おまけ2 艦砲と(略)日本戦艦編
2015年7月10日公開
※注意 相変わらずこのページでは管理人の趣味と妄想が垂れ流されています。前のページの注意書きを読んでから閲覧することをお勧めします
今までのページでは扶桑、伊勢型を無視していたのが気になったので作成。
これまでは最強を決める(笑)という名目で、自艦や仮想敵として選んだ艦の艦砲に対する安全距離を求めてきた。
それに対して今回は、普通に艦がどこまでのサイズの艦砲に耐えられるか、サイズ別に代表的な艦砲を勝手に選んで計算してみる事とする。
計算法などについてはこのページを参照。相変わらず重要区画以外をほぼ無視しているが、ここにて一部扱っている。
使用する艦砲、砲弾は以下の通り、日本海軍だけではどうしてもギャップができるため、他国海軍の艦砲も使用。
貫通力は第一次大戦期の表面硬化装甲、均質装甲に対して。(カッコ内は横方向に30度角度が着いた場合)
55口径8インチ マーク12/15 マーク19(非SHS)
搭載艦艇 ニューオリンズ級、ウィチタ
砲弾重量118kg 初速823m/s 最大仰角41度 最大射程29km
貫通力
18.3km 垂直142mm(125mm) 水平40mm
27.5km 垂直94mm(84mm) 水平104mm
54.5口径1934年式28cm砲 L/4.4
搭載艦艇 シャルンホルスト級戦艦
砲弾重量330kg 初速890m/s 最大仰角40度 最大射程41km
貫通力
18.3km 垂直312mm(253mm) 水平53mm
27.5km 垂直224mm(180mm) 水平84mm
備考 ドイッチュラント級の28cm砲よりもわずかに重い砲弾を使用。最大射程で上回り、落角が浅めになる為より優れた垂直貫通力を持つ。
そのかわりに20km以降での水平貫通力でやや劣る。
45口径41年式36cm砲 九一式
搭載艦艇 金剛、扶桑、伊勢型戦艦
砲弾重量673.5kg 初速770m/s 最大仰角43度 最大射程35.5km
貫通力
18.3km 垂直353mm(293mm) 水平76mm
27.5km 垂直262mm(221mm) 水平137mm
45口径14インチ マーク7 マーク7B
搭載艦艇 キングジョージ五世級戦艦
砲弾重量721kg 初速757m/s 最大仰角40度 最大射程35km
貫通力
18.3km 垂直404mm(333mm) 水平81mm
27.5km 垂直305mm(241mm) 水平147mm
42口径15インチ マーク1 マーク17B
搭載艦艇 クイーンエリザベス級、レナウン、ヴァンガード(初期の戦没艦とR級を除く英15インチ砲艦)
砲弾重量879kg 初速749m/s 最大仰角30度 最大射程30km
貫通力
18.3km 垂直452mm(368mm) 水平86mm
27.5km 垂直345mm(272mm) 水平147mm
備考 英戦艦編を参照
45口径16インチ マーク5/8 マーク5 mod.5
搭載艦艇 コロラド級戦艦
砲弾重量1016kg 初速768m/s 最大仰角30度 最大射程32km
貫通力
18.3km 垂直472mm(396mm) 水平89mm
27.5km 垂直358mm(300mm) 水平147mm
45口径94式46cm砲 九一式
搭載艦艇 大和型戦艦
砲弾重量1460kg 初速780m/s 最大仰角45度 最大射程42km
貫通力
18.3km 垂直561mm(437mm) 水平104mm
27.5km 垂直430mm(358mm) 水平150mm
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このページ全体に関わることで一部注意
補足のページでも書いた装甲厚のポンド表記について、1インチ=40lbsとするか40.8lbsとするかで、艦種や部位によって結構正確性を失っている。
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はじめに
このページでは主に第二次大戦へ参加した1910年台以降の艦について扱うが、それ以前の主力艦である装甲艦の時代から一応触れておきたい。
日本海軍は設立の時点で甲鉄(東)と龍驤という二隻の装甲艦を保有していたが、75年より建造された扶桑と金剛型二隻の計三隻が海軍が初めて計画した装甲艦となる。
この時期の日本は台湾出兵などで東アジア世界での影響力を増し、長年この地域の中心であった清国との対立を招いていた。
清国も日本と同じく近代化が遅れた為、海軍も特に強力とは言えない物だったが、今後行うであろう海軍増強を見越して先に整備を行った形になる。
この三隻はすべて英国で建造され78年に就役。設計は装甲艦黎明期の60年代に英海軍で多数の艦を生み出したエドワード・リードが行った。
まず金剛型は規模的には龍驤と大差ない2000t台の艦で、船体の水線付近のみに最大4.5インチの錬鉄を貼って装甲化している。
主兵装としては上甲板に置かれたクルップ式の17cm並びに15cm後装砲を搭載するが、こちらは非装甲のブルワークの背後にあるだけで、非装甲艦と同じく防御を持たないものであった。
一方で扶桑は排水量3700t台とより大型で、水線部だけでなく船体中央の上部に設けられた装甲区画内に主砲クルップ式24cm後装砲を配置する、所謂中央砲廓艦である。
こちらは主砲口径やその防御で金剛型を上回るだけでなく、装甲厚でも水線部最大9インチ、砲郭8インチとより重装甲であった。
元となった英国の二等装甲艦オーディシャス級(約6000t)をはじめ、西洋列強が持つ主力艦との差は大きいものの、東アジア国家というか日本と清国の艦艇では、鉄製で航行能力に勝る大型の船体や砲郭で防御された主砲などの要素を兼ね備えた唯一の艦であり、最も優れた戦闘艦であったとも言える。
しかし清国はドイツ製の定遠級装甲艦の2隻を85年に獲得するなどして対抗。
同級は扶桑2隻分ほどのサイズに12インチ主砲、範囲は限られるが14インチの複合装甲など、既存のアジア海軍の枠を軽く越える強艦であり、日本は一転して大きな戦力差を付けられてしまった。
これに対して、当時の経済状況では対抗できる大型艦を建造することは難しかったが、新戦力として注目されていた防護巡洋艦を重視した戦力を整備。
一方の清国は定遠級以降の戦力が予算等の関係で伸び悩んだ事もあって、結果として94~95年の日清戦争で日本海軍は勝利することになる。
この戦争で最大の海戦となった黄海海戦については別ページでも少し扱ったが、基本的には速力に勝る日本艦隊が速射砲の火力を生かして、定遠級以外の巡洋艦に大打撃を与える結果となった。
なお同海戦には扶桑と金剛型の比叡も参加するも、劣速で速射砲を持たない旧式戦力として扱われ、本隊の後尾に配置された。その際には敵艦隊からかなりの攻撃を受けたが、2隻とも海戦を生き残っている
(比叡は12インチ砲と思われる砲弾の炸裂で砲弾供給が停止して戦闘不能となり、戦線離脱を余儀なくされている)
双方とも装甲区画内へ直接の被害は無いというか、そもそもここへの命中弾は無いようだ。
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日露戦争時の六戦艦
日本初の近代的な戦艦は、1897年より竣工する富士型戦艦である。
本級の計画は日清戦争前の92年より始まり、何とか工面した予算によって最新鋭の大型艦を獲得し、清国への優位を取り戻すことを狙っていた。
当時は装甲艦に代わって「近代戦艦」や「前弩級戦艦」と後に分類される艦が新たな主力として登場した時期であり、本級はその中でも英国海軍が最初に建造したロイヤル・サブリン級(以下サブリン級)を元に英国で建造された戦艦である。
(本級を含む以降の日本戦艦は基本的に英国海軍の物をベースにしているので、おまけ3も見て貰えるとありがたい)
本級は日清戦争に間に合わなかったが、黄海海戦では勝利したとは言え、小型艦のみで主力艦に対処する事の難しさを再確認させる結果となった。
そして戦後には、新たな仮想敵となったロシア海軍と対峙する上で、重要な存在とされたのは言うまでもない。
本級はサブリン級と比較して、攻撃と防御の両方で改良点を盛り込んでいる。
まず主砲は同級の30口径13.5インチ砲ではなく、英海軍ではフォーミダブル級より使用される最新の40口径12インチ砲を先んじて採用。
砲塔形式は後述するようにマジェスティック級の前期型に準じたもので、洋梨型のバーベット上に装甲砲室を設ける形である。
装甲配置を見ていくと、基準となる船体形状はサブリン級と同じく高い乾舷を持つ平甲板型。甲板は重要区画上に上中下の3層が通る。
垂直装甲は前後バーベット間の船体中央のみに存在し、下甲板の高さまでに厚さ18~14インチの主装甲帯、その一段上の中甲板までに4インチの上部装甲帯を配置。さらにその上には、6インチ副砲の中でも中甲板上の4門を一門ずつ収めたケースメイトがあり、これが舷側に接する部分は厚さ6インチとなる。
水平装甲は下甲板が二枚貼り合わせで合計2.5インチの厚さがあり、重要区画内の主装甲帯の上端に接続。またそれ以外の範囲でも艦種艦尾まで続き、艦の全長を覆っている。
主砲塔は前盾6インチ、天蓋1.5インチ、バーベットが14インチ。6インチ副砲の内6門は上甲板に置かれ、こちらはケースメイトではなく防盾を持つのみであった。
サブリン級と比較すると一部装甲厚の違いなどの細かい点に加えて、大きな違いは主に2つ。装甲化された砲室内に主砲が置かれた点と、装甲材質の変更が確認できる。
まず同級の主砲は、装填機構や人員など重要な部分は天蓋で塞がれたバーベット内に収めるも、砲身は全体が露出する形であった。一方で本級はマジェスティック級に準じた形状に最大6インチの装甲を持つ砲室となる。装甲厚はバーベットと比べると非常に薄い物だが、これにより大口径砲以外に対する防御範囲を増す事となった。
材質はサブリン級において主装甲帯に複合装甲、上部装甲帯ニッケル鋼、水平装甲などに軟鋼という構成だったが、本級の建造時期には垂直装甲用にハーヴェイ鋼が登場していた。
そこで厚さはそのままに、垂直装甲の大部分に同装甲を使用し防御性能を向上させている。(ケースメイト装甲のみニッケル鋼のまま)
(なお18インチと厚さだけなら大和型を上回る主装甲帯は、計算上では当時の徹甲弾に対する防御力で複合装甲換算で約29インチ、より優れたクルップ鋼でも約14インチに相当する事になるが、ハーヴェイ鋼はその硬化層の特徴から、このような極厚で製造してもあまり対弾性能は向上しないという面もあるようだ)
どちらにせよ日露戦争時の被害を見れば、当時の環境で徹甲弾に抜かれない防御力をこの部位は持つ事になるが、サブリン級と変わらない配置では範囲は水線付近のわずかな部分に限られる。
その上の上部装甲帯やケースメイトも中口径砲に対してなら防御力も期待できたが、12インチ砲など戦艦主砲に対しては脆弱な範囲が大部分を占めていた点は、サブリン級とも共通する欠点である。
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日清戦争後は南下政策を進めるロシアが新たな仮想敵となり、これに対抗する為戦艦と装甲巡洋艦各6隻からなる六六艦隊の整備を1896年より開始する。
その中で英マジェステック級などをベースにした敷島型(準同型艦の三笠を含む)が1900年から1902年に計4隻が完成している。
これらの4隻は前級に引き続き40口径12インチ砲を搭載。ただし砲塔は最初の三隻が英戦艦ではカノーパス級の一部艦に、三笠はフォーミダブル級以降に搭載された形式を採用。
どちらも富士型の砲塔とは違いバーベットは円筒状で、砲室と共に旋回する揚弾機構により旋回角度関係なしに装填が行えるように進歩している。特に三笠の物は揚弾薬筒を上下の二段階に分け、途中で換装室を挟むという、一次大戦期までの典型的な英国式砲塔の形がこの時点で導入された事になる。
装甲配置は三笠のみ変更点があるので、まず朝日以下の三隻について解説したい。
船体は前級と同じ平甲板型に上中下三層の甲板を持つ形であり、垂直装甲はバーベット間では下甲板(より若干上の)高さまでに9~7インチの主装甲帯、中甲板の高さまでに6インチの上部装甲を配置。さらに中甲板に8門、上甲板に4門が置かれた6インチ副砲がケースメイトに収められ、この範囲で6インチの装甲が舷側の一部に貼られている。また重要区画外の艦首尾にも、5.5~4インチの補助的な装甲帯が新たに加わったのも大きな変化である。
水平装甲は下甲板が厚さ2.5インチとなるが、これはそのまま主装甲帯の上端に接続せずに、4インチの傾斜部となって下端に接続する。これに加えて上部装甲帯の上端に当たる中甲板も0.75インチ(19mm)とやや厚くなり、上下二層による防御を行っている。
主砲塔は砲室の垂直部分が全体的に増厚、前盾は10インチに。各装甲材質は垂直装甲がハーヴェイ鋼、水平装甲は軟鋼である。
この配置は前級から大幅な変化がみられるが、特に重要なのは以下の点である
・舷側装甲がハーヴェイ鋼の性能に適した厚さまで減厚した点(主装甲帯のある下甲板までの防御力では劣るが、逆に下甲板~中甲板間の上部装甲帯では勝り、当時の砲弾に対して有効な範囲は拡大している)
・前級で非装甲だった艦首尾の水線部に薄めの垂直装甲を追加した点(日露戦争でも証明されたように当時はピクリン酸の導入などで威力を増していた榴弾が大きな脅威であり、それに対応可能な範囲を拡大させた)
・甲板装甲の一部が傾斜部となって、垂直装甲を貫通した砲弾に対する多重防御を形成した点(砲弾強度や信管の性能に不足があった当時の砲弾に対しては、厚さ以上に強力な防御力を発揮可能に)
・水平装甲が下甲板1層だけでなく、中甲板にも薄い装甲を設ける二層式となった点(遅動信管を持たない砲弾に対しては、一層目で砲弾を炸裂させて二層目で受け止める事で厚さ以上の防御力を発揮可能)
こららの要素によって、本級は前級よりも「薄く広く」「分散的」な装甲配置になったと言えるが、別ページの「戦艦砲弾に関するメモ」でも語った当時の砲弾の傾向(徹甲弾の性能不足と榴弾の威力強化)を考えると、間違いなく当時の戦場に適したものだったと考えられる。
この内1番目と3番目の要素は、元となった英戦艦ではマジェスティック級(もしくは二等戦艦レナウン)より導入されたものだが、2番目の補助装甲帯と4番目の二層式水平装甲を持つようになったのは、その次級であるカノーパス級(1899年竣工)以降である。つまりマジェスティック級以降の新しい要素も本級に取り入れられた事になる。
なおそういった追加要素の代償として、英戦艦では中甲板まであった主装甲帯の高さが減少。その部分には6インチに減厚した上部装甲帯を設けるという、一種独自な配置となっている。
最後に日露戦争時の最新鋭艦である三笠は、敷島型をベースにさらなる改良点を加えている。
まず垂直装甲は基本的に同厚ながら、初めてKC鋼(クルップ浸炭装甲。英海軍ではカノーパス級より使用)を採用、実質的な防御力が向上した。また艦首尾の一部薄い装甲帯には非浸炭のKNC鋼を使用。
また本艦の副砲の内、中甲板上に置かれた8門は個別のケースメイトではなく、周囲を装甲帯で囲んだ中央砲郭によって一括で防御されている。
これにより6インチ上部装甲帯の範囲が上甲板までになり防御範囲を拡大。さらにケースメイト間の非装甲部分を抜いた砲弾の炸裂で被害を受ける可能性を無くしている。なお英戦艦で同じ改正を受けたのはキングエドワード7世級からであり、英戦艦に先行する変化である。
最後に水平装甲も変化し、下甲板の水平部が2インチに減厚、傾斜部も機関部にて3インチに減厚するが、弾薬庫では逆に4.5インチに強化。さらに上層は上甲板が1インチになり、副砲砲郭の天蓋を兼ねるようなるなど変化がみられる。
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総評と日露戦争時の被害
これら6隻はすべて同時期の英戦艦にも劣らない一線級の艦である。
攻撃面は搭載方法に違いはあるが、アームストロング式の12インチ主砲と6インチ速射砲の組み合わせに統一され、防御的には特に広い防御範囲を持つ敷島以降の4隻は、当時の脅威である大口径榴弾に対して理想的な能力を持っていたとも評価できる。
対するロシア海軍の戦艦については(ロシア・ソ連戦艦編があるのでそちらも見てほしいが)、数の面では大きな優位を持つが、戦力を分散せざるを得ない上に、個艦で日本戦艦に対抗できる艦は限られる。
さらにその有力艦にせよ、決して万全とは言えない状態で戦闘を行っていた。
この環境では勝って当たり前、という風に楽観できる戦いでは決してなかったが、艦の能力を適切に発揮できた日本艦隊が歴史勝利を収めたのは十分に納得のいく事だろう。
戦艦だけでなく装甲巡洋艦の活躍も忘れてはいけないが、こちらは巡洋戦艦の流れの中で軽く後述したい。
この戦争では八島と初瀬の二隻が触雷で失われたが、直接ロシア戦艦と砲火を交えた残りの4隻の主な被害をまとめておく。
(下で挙げる物以外にも、腔発や敵弾の命中により砲身が破断、使用不能となった例が多数みられる)
まず富士は日本海海戦にて後部砲塔の右砲砲眼孔より砲弾が侵入。砲室内で炸裂し装薬火災を引き起こすも弾薬庫誘爆などには至らず、砲身が無事だった左砲は後に復旧。後は煙突を貫通した砲弾で破片が缶室内に入った他、司令塔天蓋を滑跳した砲弾で内部人員が負傷している。
次に敷島は同じく日本海海戦で12インチ砲弾が6インチのケースメイト装甲を貫通炸裂、複数の死傷者を出すもこちらも致命的な被害とはならず。
他には右舷後部の非装甲部に6インチ砲弾を被弾。水線上に破孔を生じて、海が荒れていたこともあり結構浸水したという。艦尾装甲帯の意味は・・・となる被弾例かもしれない。
朝日は特に目立った被害はないので、最後は三笠。同艦は黄海と日本海の両海戦にて日本艦隊の先頭に立ち、最も多くの被弾を経験した艦である。
まず黄海海戦では2発の砲弾が垂直装甲を不完全な状態で貫通。一発は10インチ砲弾とされ、左舷中甲板下の6インチ装甲帯を抜くも、満載された石炭庫により内部に被害は広がらず。
もう一発は12インチ砲弾で、左舷前部砲塔横の7インチ主装甲帯を貫通するも、この時点で底部の一部が破断して装甲板の内部に残るなどしており不発化、弾頭部は下甲板傾斜部に食い込んで止まった。
後は水中弾による漏水や、3インチ砲への命中弾により即応弾が誘爆、上甲板が屈曲して直下の6インチ砲と弾薬通路に被害が出たりしている。
日本海海戦では司令塔に弾片が入った他、同じように副砲付近かその下の6インチ装甲を貫通した砲弾が3発見られるが、すべて副砲を使用不能にした程度で大きな損傷はなかった。
このように複数回貫通弾を喫した三笠にせよ、致命的な損傷は受けておらず、この時期の徹甲弾に対してはまず十分な防御力を示している。
当時のロシア海軍は既に被帽徹甲弾を開発しているたが、実戦では使用していない。仮に使用されたとしたら、装甲帯が貫通される機会は増えていただろうが、それでも内部の傾斜部含め打ち抜かれる可能性は低いだろう。
やはりこの時期の艦を沈めるには日本艦隊が行ったように、とにかく多数の榴弾を送り込んで戦闘能力を奪う方が効率が良いと思われる。
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日露戦争後の戦艦
まず戦利艦として6隻のロシア戦艦を獲得するが、これらはロシア戦艦編に回すとして、香取型から。
1906年に2隻が完成する同級は、日露開戦に備えて1904年より英国で建造された艦である。
本級も最新の英戦艦に倣った艦であり、基本的にキング・エドワード7世級の火力を強化し、防御力を若干落とした艦といえる。
同級は副兵装として6インチ砲だけでなく、より大型の9.2インチ中間砲を4門持つ所謂「準弩級戦艦」だが、本級は中間砲として10インチ砲を採用。これに加え主砲も45口径12インチ砲としている。
装甲配置を見ると、まず船体は平甲板型で上中下三層が基本となるが、中間砲の間に挟まれた煙突周辺に限り中央楼が確認できる。
船体中央の垂直装甲は下甲板までの主装甲帯9インチ、上甲板までの上部装甲帯が6インチ。上部装甲帯の内中甲板~上甲板間は6インチ副砲の中央砲郭となる。また置く場所が足りなかったのか、さらに6インチ砲2門が船体中央の上甲板上にあり、この防御として中央楼の高さまでに4インチ装甲帯を有している。それ以外には艦首に6~4インチ、艦尾に2.5インチの補助装甲帯が存在する。
水平装甲は下甲板水平部2インチ、傾斜部が3インチ。そして上甲板に1インチの二層式。砲塔は主砲塔が前盾10インチ、天蓋1.5インチ、バーベット9インチ(香取のみ13インチ、3インチ、10インチとも)。中間砲は前盾8インチ他部位不明。全体の装甲材質は前級と同じ。
基本的には三笠に近い配置と言えるが、主装甲帯が主砲横でも9インチである点、副砲防御として一部上甲板より上に装甲帯を持つ点、艦尾装甲帯が減厚した代わりに艦首装甲帯の高さが中甲板までとなり範囲を拡大した点、などが主な変更点である。それに加えて敷島型では不自然に厚かったバーベットが舷側装甲並に減厚しているが、同時にバーベット自体が小型して被弾面積が減少した点も確認できる。
元となったキングエドワード7世級と比較すると、上部装甲帯の厚さや砲塔防御で劣る点、下甲板の厚さで勝る点、中央楼の装甲が追加された点などが相違点である。
と言う風に本級は三笠レベルの防御力を維持しつつ、火力では勝るという事で、日露戦争に参加していれば大いに有力な艦となっていた事が予想される。
ただこの時期の艦の宿命として、ドレッドノートの登場によりその価値は低下してしまう。同時期には被帽徹甲弾の実用化が進むので、防御力も万全とは言えなくなる可能性があるのも不安要素かもしれない。
それでも弩級艦以外では一線級の艦ではあるし、戦争で2隻を失い(あと三笠が爆沈)戦利艦の修理も終わっていない当時の日本海軍には重要な戦力だっただろう。
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続いては初の国産戦艦である薩摩型。
同級は同時期の英戦艦を手本にしつつも、既存の艦より独自色が強い設計がなされており、また一番艦薩摩と二番艦安芸との間で異なる部分が多いのも特徴である。
本級も準弩級艦の一種であり、中間砲の10インチ砲を6基12門にまで増加、これを船体中央に3基ずつ置くことで火力をさらに強化している。他国戦艦では英ロードネルソン級や仏ダントン級に近いが、本級は両クラスに対して中間砲の数または口径で若干優位であった。それ以外の副砲は薩摩が12cm砲を採用して小型化したのに対して、安芸は6インチ砲が復活。同艦は準弩級艦の中でも欲張りというか、多様な兵装をとにかく大量に積んだ印象を受ける。
また今まで語ってこなかった速力面にも触れておくと、安芸のみ蒸気タービンを採用し最大速力は20ノットと、既存艦の18ノットに対して優位であった。
そして防御面は香取型からあまり進歩しないものだが、こちらも一二番艦で違いが存在する。
船体は中間砲が増えたので上構の殆どない平甲板型になり、甲板は上中下の三層。重要区画間の垂直装甲は下甲板の高さまで9~7インチの主装甲帯、その上の上部装甲帯は上甲板まであり、厚さは薩摩5インチ安芸7インチ。中甲板~上甲板間は同じく12cm/6インチ砲の中央砲郭として機能。艦首尾には6~4インチの補助装甲帯。
水平装甲は下甲板の傾斜部が2インチに減厚した以外前級と同一。砲塔防御は主砲塔天蓋が2.5インチに増厚した点を除きほぼ同等、中間砲は不明。 装甲材質は本級も変わりなし。
安芸はともかく、薩摩は上部装甲帯や水平装甲などの部位から香取より弱体化したと言って良いのだが、これでも日露戦争時の徹甲弾に対しては有効な防御だろう。一次大戦期の物に対しても、基本的な部分は英巡戦となら同等であるから、運が悪くない限りは12インチ砲程度の攻撃に対して有効と考えられる。
その上で火力を大きく強化(副兵装を有効に使える距離での戦闘であれば、その投射量は12インチ8門の弩級戦艦すら上回りかねない)した本級は間違いなく、当時の戦艦の中でも優れたもので、最強の準弩級・前弩級艦の一つだろう。
ただし本級は最初の戦艦建造ということもあって、完成は1910~11年に。同時期には弩級艦が各国で盛んに整備され、英国では13.5インチ砲搭載の超弩級艦オライオン級の登場も控えていた。
一応この時期であっても、遠距離砲戦において非常に重要な方位盤の導入はまだ先であり、弩級艦が相手であっても自らに適した交戦距離になれば侮れない戦闘力を発揮できると思われる。もちろんその後は有効交戦距離の延伸に伴い、苦しい立場に追いやられる事には違いはないが。
なお計画時には中間砲を持たずに12インチ片舷8門の単一巨砲艦とする案も存在したが、砲塔の製造能力などの観点から採用されていない。
本級が準弩級艦となった事は日本海軍を弩級艦の整備競争に出遅れさせる結果となったが、それでも最初の一歩という事で本級の建造が大きな役割を果たしたのは言うまでもない。
なお八八艦隊時の艦本第四部長である山本開蔵によると、本級の進水時には無事成功するのか横浜の外国人の間で賭けが行われたそうだ。
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そして最後に紹介するのは河内型、異論もあるかもしれないが日本海軍最初の弩級戦艦である。
1912年に竣工した本級は、常備2万3千トン程の船体に12インチ砲を6基12門搭載。うち4基を船体中央部の舷側に2基ずつ配置した、ドイツのナッサウ級などにみられる六角形配置を採用。片舷に12インチ砲8門を指向可能。また同級と同じく6インチ副砲を残している。
速力はタービン機関で前弩級艦の多数を上回る20ノットを発揮可能と、ここまで一見普通の弩級戦艦だが、本級の主砲は中心線上の2基4門のみは新型の50口径砲を採用していた点で大きく異なっていた。
弩級艦の定義については速力も重要な要素であるが、第一に来るのは単一巨砲艦である事だろう。その点から2種類の主砲を持つ本級は「限りなく弩級艦に近い準弩級艦」に過ぎないと評される事もあるようだ。
そもそも準弩級艦と初期の弩級艦を比較すると、搭載砲の単純な投射量では大差ないか発射速度を含めれば前者が勝る事もある。その上で弩級艦が明確な優位を持ったのは、日露戦争以降の遠距離砲戦やそこで用いられた射撃法に単一巨砲という兵装が適合するものだったからである。
その射撃法というのは、一定のタイミングで複数の砲を同時発射(斉射)し、弾着で形成される水柱の観測で修正しつつ、複数の水柱の中(散布界)に敵艦を収めるというものである。元々主砲の斉射は帆船時代より用いられてきたが、近年は無煙火薬の普及により各砲がバラバラに射撃を行う(独立打方)方が射撃速度に優れるとして優勢となっていた。それが日露戦争の前後英海軍のパーシー・スコット中佐の研究により再導入された形となる。
交戦距離が延伸しつつある環境では、以前のように独立打方を行った場合、弾着を観測して修正するのは発砲炎が邪魔をする事もありきわめて難しい。そこで多少の射撃速度低下には目をつぶって、一括で砲を管制しようというのがこの射撃法である。その際に弩級艦は使用できる門数が多く、散布界の内に多数の砲弾を送り込んだり、短い間隔で斉射を行う事が可能となる。
一方で準弩級艦は主砲と中間砲で同じようなサイズの水柱が発生してしまう事から、両者を混同すると正しい修正が行えない点が問題であった。
そして本級の12インチ砲は口径が同じでも弾道性能が異なるので、上記の射撃法において同じ問題が発生し弩級艦が持つ恩恵を受けられない、というのが分類において問題とされる。
ただし実際の所、元祖であるドレッドノートそのものは、大口径砲は遠距離でも弾道が低く安定して命中させやすい、威力が高い、弾着観測がしやすい、よって多数積んだ方が良い、みたいなおおざっぱなコンセプトで計画されている。上記の射撃法における利点云々は当時の環境を考えると当然の帰結であるものの、「弩級艦=斉射を前提とした兵装」というのは後付けという面が強い。
さらその後付けの部分にしても、本級は減装薬を用いて45口径砲と同じ弾道で打ち出す事で対策としていた。つまり45口径12門の弩級戦艦と同じ射撃か可能だった事になる。実際に1912年には斉射に必要な指揮通信装置の設置が制式化され(方位盤はまだないが)、同年もしくは翌年の戦闘射撃に参加した本級が一斉打ち方(当時の日本海軍では交互打ち方を指す)を行った事も(筆者が正しく史料を消化できていれば)確認できる。
以上のようにせっかく採用した50口径砲が無駄になったという意味では遠回りだが、本級は間違いなく弩級艦の範疇に入る艦と言えるだろう。
ようやく防御面の話に入ると、本級の装甲配置に関する情報は少ないが、間違いなく前級よりは強化されている。
船体は平甲板型で、甲板は基本上中下三層。船体中央のみ舷側砲塔を避ける形で中央楼が存在する。
垂直装甲は砲塔間で下甲板までの高さに12インチの主装甲帯、その上には中甲板まで7インチ、上甲板まで(副砲砲郭を兼ねる)6インチの上部装甲帯を配置。艦首尾の補助装甲帯は4インチに。
水平装甲はまず下甲板が今までのように傾斜部を持たず、水平のまま主装甲帯の上端に接続する富士型以来の形に。ここの厚さは1 1/8インチ(28mm)。もう一層上甲板には3/4インチ(19mm)の装甲が加わる。
砲塔は前盾11インチ、天蓋3インチ、バーベット11インチ。装甲材質は基本的に同じだが、甲板の水平装甲は今までの軟鋼に変えてより優れたニッケル鋼を採用している。
本級の装甲は主装甲帯や主砲塔がかなり強化された点に加えて、配置的に注目されるのは、下甲板の傾斜部が廃された事だろう。
この点については明確な理由は把握していないが、主装甲帯が大きく強化された事で、傾斜部による多重防御を必要としなくなったというのが最も有り得る理由だと思われる。(舷側砲塔の影響という考えも出来るかもしれないが、前級の時点で廃されていない点からすると微妙)なお甲板傾斜部の廃止はサウスカロライナ級以降の米弩級艦もしばらく同じ選択を行っており、関係性は不明だが共通点となっている。
また水平装甲はこれまでの艦の中でも特に薄い物だが、これは装甲材質の向上に伴う物と考えられる。
装甲は大まかには他国弩級艦に劣らないものだろう。(そもそも英国戦艦編でも述べるように、ドレッドノートを始めとする英弩級艦は防御的に言うと、準弩級艦の頃よりも弱体化した部分が存在する)
加えて妙な遠回りをしたとは言え一応弩級艦の火力を有しているが、そもそもの部分として完成時期的に弩級艦レースに出遅れてしまっている事が最大の問題だろうか。
そういった後れもあって、以降の日本戦艦は金剛型にて改めて英国の技術導入を図る事になる。ただし後述するように、以降の艦にも本級の要素を受け継いだと思われる部分が存在するのは興味深い点である。
因みに永村造船中将の回想によると、二番艦の摂津は建造時に計画排水量をかなり超過していたらしい。
想定よりも排水量が増せば、当然喫水も増えて乾舷を減じてしまう。そのような状態は日本海海戦のロシア戦艦の例からも艦の生存性を保つ上で良くはない。
そこで現場で垂直装甲の範囲を減らすなんて事もしていたようだ。
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金剛型以前の装甲巡洋艦
本ページは最初に取り上げる戦艦が金剛型と言うことで、そこに繋がる装甲巡洋艦を(出来る限り簡単に)紹介しておきたい。
まず先述したように日本はロシアへの備えとして装甲巡洋艦6隻の整備を計画。当時の装甲巡洋艦には様々な役割や性能を有する艦が存在するが、ここで整備されたのは主力同士の艦隊戦でも高速力を持つ二等戦艦的な役割を期待された、水上戦闘力に優れた艦である。
建艦競争中の南米向けにアームストロング社が設計していた浅間型に始まり、同社による改良版の出雲型、それぞれドイツとフランスで建造された八雲と浅間といった艦が1901年までに竣工している。
この6隻は攻防面を中心にほぼ同一の性能を有しており、まず排水量は常備9千トン台。(12,000から15,000t程度の富士~三笠と比べても、後の戦艦と巡洋艦ほどの差は無いのが分かるだろう)
兵装は戦艦と同じくアームストロング式に統一され、主砲として45口径8インチ速射砲を連装2基4門、加えて6インチ速射砲をケースメイトと露天の併用で12門搭載している。
装甲配置を見ていくと、船体は平甲板型の甲板3層で、重要区画間の垂直装甲は下甲板までに7インチ、中甲板までに5インチの装甲帯があり、その上には部分的に副砲防御として6インチ装甲が設けられる。艦首尾の水線部にも3.5インチの装甲帯あり。水平装甲は2.5インチの下甲板による一層式で、同厚の傾斜部を伴って主装甲帯の下端に接続している。砲塔防御は前盾・バーベットが6インチ、天蓋は不明である。
装甲材質は浅間型を除いてクルップ鋼を垂直装甲に使用しており、その点を含めれば4隻の船体防御は敷島型にも匹敵する。
さらに艦首尾にも榴弾防御用の装甲帯を有している点も非常に優秀であり、防御面では一部を除いて戦艦に匹敵する物と評価できるだろう。(主装甲帯の高さと砲塔防御では普通に劣る)
さらに開戦を控えた1904年には、アルゼンチンより購入したイタリア製のジュゼッペ・ガリバルディ級2隻が春日・日進としてこれに加わる。
同級は7千トン台とやや小型ながら、これまた他艦に負けない攻防力を有する準主力艦的な装甲巡洋艦である。
主兵装は春日のみ前部に10インチ単装砲、後部は8インチ連装砲という変則配置、日進は他艦と同様の8インチ連装2基。副砲は6インチ砲をケースメイトと露天で14門搭載。
装甲配置は主装甲帯が150mmとやや薄く、さらに材質も厳密には不明だがハーヴェイ鋼相当という事で最厚部の対弾性能はKC鋼採用艦に劣るものであったが、一方でその範囲は上甲板までに達しており、中小口径砲に対する防御範囲では勝るのが大きな特徴である。
このように日本の装甲巡洋艦は、英独仏伊にチリアルゼンチンといった国に縁がある、国際色豊かな?8隻で日露戦争に臨むことになる。
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こちらも戦艦と同じく主な被害を一部抜粋したい。
まず蔚山沖海戦では出雲型磐手の副砲ケースメイトに8インチ砲弾が命中、内部で誘爆を起こして多数の死傷者を出すも火薬庫には達せず。戦闘を続けている。
同艦は日本海海戦でも大小17発(12インチ砲2発含む)と三笠に次ぐ数を被弾するも、後部非装甲への8インチ砲弾でやや浸水した以外は大きな被害は受けていない。
同海戦で最も被害が大きかったのは浅間であり、海戦初期に船体後部に12インチ砲弾が命中し一時操舵不能。修理後戦列に加わろうとした際に集中砲火を浴びて、後部への被弾で浸水、煙突が損傷して速力が低下するなどの被害を受けるも、落伍する程では無かった。
日進は敵弾もしくは腔発により主砲4門中3門を喪失(砲塔内の被害は少)。その際発生した弾片で艦橋の人員に大きな被害が出た他、水中弾で炭庫の一部に浸水した。
最後に面白いのは出雲の例で、ボートダビットに命中した12インチ砲弾がショットトラップ的な事になったのか上甲板を抜いて艦内部に侵入。そのまま中甲板を経て下甲板に達するもこの装甲は抜けずに滑走、不発のまま炭庫内で止まっている。これは特に大きな被害を与えたわけでは無いが、機関室内の人員が負傷している。
この中で艦の喪失に繋がりそうだったのは磐手の誘爆ぐらいか。
それでも敷島や三笠の被弾例から、6~7インチの主装甲帯や主砲塔は12インチ砲に耐えられない事も十分あり得るが、そういった部位への被害が殆ど無かったのは幸運だったかもしれない。
つまり被弾数が増せば、致命傷につながるような命中弾が発生する事もありえたが、共に戦列を組む戦艦が敵主力の攻撃を引き受けてくれるような状況では十分な防御力であったと言える。
また火力面も主砲口径が小さいとはいえ敵艦隊に着実に損害を与えており、単独で戦う場合はともかく、戦艦の火力支援を行う分には有効な物だったという。
この八隻が艦隊決戦でその有効性を示した事もあって、同時期に各国は装甲巡を盛んに整備。この流れの中で最終的には巡洋戦艦へと発展していく事になるのである。
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戦後の就役艦
最初の筑波型は戦中に計画された装甲巡であり、失った戦艦戦力の代用としての役割がより意識された結果、巡洋戦艦へ繋がる大きな一歩を踏み出している。
本級は排水量1万3千トン台と大型化(国内で建造された艦では初めての1万トン超え)した船体に、主砲として45口径12インチ砲4門、副砲は中甲板上の中央砲郭と上甲板上のケースメイトに6インチ砲を12門搭載。
近い時期の装甲巡には伊ピサ級や米テネシー級、露リューリクなど主砲を10インチ砲4門に強化した艦も存在したが、本級はそれを上回り、実質三笠までの戦艦と同等以上の火力を有している。
装甲配置を見ると、まず船体は長船首楼型の甲板4層に。重要区画間で垂直装甲は下甲板までに7インチ主装甲帯、上部装甲帯は前後の副砲間を覆う範囲で5インチ厚を上甲板の高さまで配置。艦首尾は共に4インチ厚の補助装甲帯(香取型と同じく艦首のみ中甲板までに拡大)を有する。水平装甲は上甲板に1インチ、下甲板水平部1.5インチ傾斜部2インチの二層式に。砲塔防御は前盾9.6インチ、天蓋1.5インチ、バーベット7インチである。
こちらは三笠以降の艦に劣るのは否めないが、それでもこれまでの装甲巡を基準に一部強化された程度の物か。
つまり本級は「前弩級戦艦の火力を持つ装甲巡洋艦」という事で、この時代における巡洋戦艦とも言っていいだろう。(実際に巡洋戦艦の類別が設けられた後には巡洋戦艦扱いされている)
ただし微妙な点もあり、速力は20.5ノットと、近い時期の装甲巡が22~23ノットを狙う中では優位を持てない。
そして本級も竣工時にはドレッドノートが登場している事、直後には真の巡洋戦艦であるインヴィンシブル級が竣工する事で、その価値は大きく下がってしまう。
ドレッドノートから見ると本級は装甲が若干薄い前弩級戦艦に過ぎず、インヴィンシブルにとって本級は他の装甲巡ほど楽な相手ではないが、それでも火力と速力の差から格下扱いは避けられない。
艦自体は薩摩と同じく、革新的な存在になり損ねた感があるが、それでも重要なのは本級が日本で最初に設計・建造された主力艦である事だろう。
設計思想の面では後述する金剛型の導入で変化し、本級がどこまで影響を残せたかは不確かだが、1万トン越えの大型艦を2~3年で建造できたのは海軍にとって大きな自信に繋がったのは想像に難くない。
最後に紹介する鞍馬型は筑波型の改良版。
装甲面の変化はあまりないが、攻撃面では副兵装として6インチ砲が全廃され、代わりに8インチ砲を連装砲塔で4基8門搭載した点が特徴である。
前級に対して、こちらは準弩級戦艦の巡洋戦艦版と言ったところか。
また二番艦伊吹ではタービン機関を採用し、最大速力は21.5ノットと向上するも、同時期の艦に対して優位を持てない点は同様であった。
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第二次大戦時の旧式戦艦
ようやく表を含む内容に入るとして、最初は海軍休日前に建造され、改装を受けた状態で第二次大戦に参加した艦(4クラス10隻)について扱っていく。
金剛型戦艦(改装後)
1911~12年起工 1913~45年就役
222.7m 32,000t 36,668t(公) 四一式45口径36cm砲 連装4基8門 30ノット
装甲厚
垂直装甲(弾薬庫) 199mmVC+16mmHT → 102~70mmNVNC+19mmNS傾斜45度(内傾) 3.25
垂直装甲(機関部) 199mmVC+16mmHT → 76mmHT+19mmNS傾斜45度(内傾)
砲塔前盾 249mmVC
バーベット(露出部) 224mmVC
バーベット(艦内部) 149mmVC+13mmHT →76mmVC
水平装甲(弾薬庫) 38mmNS → 127~102mmHT+19mmHT ≒ 153~130mmNVNC
水平装甲(機関部) 38mmNS → 76mmHT+19mmHT ≒ 110mmHT
砲塔天蓋 152mmVC水平~傾斜9度/横傾斜9度
上部装甲帯→ 甲板 あり
上部装甲帯→傾斜部 なし
船体 長船首楼型
装甲部位\艦砲 | 8インチ | 28cm | 41年式36cm | 14インチマーク7 | 15インチ | 16インチ | 46cm |
垂直装甲(弾薬庫) | 5.5km ~3km以遠 |
23km ~19.5km以遠 |
31km ~28km以遠 |
33.5km ~32.5km以遠 |
安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし |
垂直装甲(機関部) | 7.5km以遠 | 23.5km以遠 | 31.5km以遠 | 33.5km以遠 | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし |
砲塔前盾 | 6.5km以遠 | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし |
バーベット(露出部) | 10km (11km以遠) |
24.5km以遠 (26.5km以遠) |
29.5km以遠 (31.5km以遠) |
31.5km以遠 (32.5km以遠) |
安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし |
バーベット(艦内部) | 11km以遠 | 29km以遠 | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし |
水平装甲(弾薬庫) | 貫通不能 | 32.5km ~34kmまで |
26.5km ~28.5kmまで |
26km ~27.5kmまで |
25.5km ~27.5kmまで |
25km ~27.5kmまで |
23.5km ~27kmまで |
水平装甲(機関部) | 27kmまで | 29kmまで | 23kmまで | 22kmまで | 21kmまで | 20kmまで | 15kmまで |
砲塔天蓋 | 貫通不能 | 33.5km ~18kmまで |
安全距離なし? | 安全距離なし? | 安全距離なし? | 安全距離なし? | 安全距離なし? |
垂直装甲(弾薬庫30度) | 貫通不能 ~1km以遠 |
14.5km ~18.5km以遠 |
21.5km ~24.5km以遠 |
25km ~29km以遠 |
安全距離なし | 31.5km以遠 ~安全距離なし |
40km以遠 |
垂直装甲(機関部30度) | 2.5km以遠 |
19km以遠 | 25km以遠 | 30km以遠 | 安全距離なし | 安全距離なし | 40km以遠 |
日本の戦艦はネット上でも詳しく解説している所が多く、あえて概略を書く必要もないかもしれないが一応。
表の結果を見て行く前に、まずは建造経緯や竣工時の性能についてまとめておきたい。
・背景と概要
日本海軍は上で見てきた通り、日露戦争期より筑波・薩摩型をはじめとした国産主力艦の整備に取り組むも、この時期はド級戦艦と巡洋戦艦が登場し、列強の主力艦が大きく強化された時代であった。
未だに列強海軍との差がある中、建造技術の獲得を兼ねて再び英国製の艦を獲得すべきという流れの中で整備されたのが本級である。
設計は日露戦争時の6戦艦のうち三笠を建造したヴィッカース社で行われ、一番艦金剛が同社にて、残りの3隻は国内の造船所で建造されている。
竣工時の本級は常備排水量27,500tに主砲を連装砲塔4基で搭載(すべて中心線上、前部2基は背負い配置を導入)、速力27.5ノットなど、大まかな性能は当時の最新鋭巡戦であるライオン級に近いものである。
ただし実際の設計はライオン級ではなく、オスマントルコ向けに建造されていたレシャド5世(エリン)をベースに行われた事や、日本側の要求も加わった事により、同級とは相違点も数多く存在する。
まず主砲は当時の英主力艦を上回る45口径14インチ砲であり、僅かな間とは言え世界最大の主砲を持つ戦艦であった時期も存在した。
実は本級の原案である「472」案では、河内型にも使われた50口径12インチ砲を8門(オプションで10門案も)搭載する艦となる予定だった。
しかし計画段階で50口径砲は不具合が多いと判明、さらに他国主力艦の大口径化も予想されたため、14インチ砲を搭載する「472c」案が選ばれている。
(50口径砲は本級で採用されず河内でも初速が下げられたということで、採用した意味を完全に失うことに)
また副兵装では、英国が弩級艦以降廃止していた6インチ砲を残すのも特徴であり、新型の50口径砲16門を上甲板上の中央砲郭に搭載している。
・竣工時の装甲配置と評価
防御面を見ていくと、船体の形状は四番砲塔の手前まで船首楼が伸びる長船首楼型で、重要区画内の甲板の大部分は「船首楼・上・中・下」の四層となる。
まず重要区画内の垂直装甲は、199mm(320lbs、203mm)の主装甲帯(16mmHTのバッキングに装着される)が最も厚く、水線下から中甲板の高さに配置される。
さらにそれよりも上の1~3番砲塔間には、中甲板から船首楼甲板の高さに149mm(152mm)の上部装甲帯(バッキング13mmHT)があり、上甲板から船首楼甲板の範囲は6インチ副砲の砲郭を兼ねている。
また重要区画外では3インチの補助装甲帯が水線部に設けられ、艦首は先端まで、艦尾は舵取機械室を覆う範囲を防御している。
水平装甲は重要区画上では下甲板19mmと船首楼甲板(後部は上甲板)38mmの2層式。前者は同厚のまま主装甲帯の下端に接続し傾斜部を形成している。
重要区画外では艦首は第一主砲前の僅かな範囲のみだが、中甲板19mmと第一船倉甲板38mmと2層を装甲化。艦尾は舵機械室までをカバーする範囲で下甲板のみを装甲化し、厚さは平坦部傾斜部ともに51mm。
主砲塔は前盾249mm(254)、天蓋76mm、バーベット224mm(229) 。
装甲材質としては垂直装甲に新しくVC鋼、つまりヴィッカース社による改良版のKC鋼が採用された他、水平装甲はニッケル鋼もしくはHT鋼、一部に均質装甲であるVNCを使用する形である。
この配置をライオン級と比較すると、主装甲帯は最厚部の厚さこそ1インチ薄いものの、重要区画全体で8インチを維持しており、前後部の弾薬庫横で6~5インチに減厚する同級に勝っている。
(その代わりにか、本級はライオンなど英巡戦に見られる弾薬庫側面の64mm装甲を有していない)
さら上部装甲帯の高さや艦首尾装甲帯の長さといった補助的な部位の範囲は本級が勝っており、垂直防御はライオン級と比較しても同等以上のものと言える。
水平装甲はどちらも薄い甲板二層を持つものだが、下層の厚さでライオン級の方が若干勝る。砲塔は金剛が前盾で、天蓋は傾斜部がライオン級、水平部は金剛が勝ると微妙な差である。
※なお後続の英巡戦タイガーは、第三砲塔の配置が本級と同じものとなり、6インチ副砲が復活、上部装甲帯の増設で装甲配置も本級に近い物となった事から、金剛型からのフィードバックを指摘される事も多い。
ただし設計を行ったフィリップ・ワッツによる記録では、主装甲帯の下に接続する3インチの水線下装甲を導入した点以外は、特に本級の影響を実証するものは残されてない。
もちろん3クラスともオライオン級から始まる英超弩級戦艦の系譜にあるという事で、似た親戚同士なのは間違いないだろうが。(ライオン級はオライオン級の巡戦版、金剛型はオライオン級の後続である先代KGV級やアイアン・デューク級の影響を受けたエリンの巡戦版、そしてタイガーはアイアン・デューク級の巡戦版である)
より具体的な防御力の評価は、やはり一次大戦の実戦で英巡戦が受けた被害が大きな参考になるだろう。この点は「戦艦砲弾に関するメモ」でもまとめているので良ければ同ページも参照して欲しい。
その上でやや重複するが、金剛型と同程度の防御力を持つ英巡戦の4隻はクイーンメリーの爆沈こそあれ、12インチ砲としては優秀な部類に入るドイツ戦艦からの直撃弾にもある程度耐えていると評価できる。
これは想定よりも遠距離での戦闘が中心であった事もあるが、それだけでなく元々の砲弾や信管の性能に限界があった事で、戦艦よりも薄いこれらの艦の防御でも有効打とならなかった面が存在する。
なかでも遠距離戦闘で生じる大落角砲弾でも、当時の砲弾では薄い二層式の水平装甲、つまり外側の一層目で砲弾を炸裂させ二層目や間の石炭庫で重要区画への被害を受け止める方式、がある程度は通用していた点は注目すべき事だろう。
(タイガーでは一層目を抜いた後炸裂した砲弾の大弾片が下甲板を抜いた例があるように、完全に対応できるものではなかったが)
そこからすると8インチの垂直装甲と二層式の水平装甲を持つ本級の防御は、巡戦とはいえ当時の戦場においてそこまで悪い物とは言えないだろう。
一方で英巡戦の被害の中には、タイガーのバーベット(9インチ)継ぎ目付近をモルトケの11インチ砲が貫通したり、12インチ砲弾がライオンの主装甲帯を圧入させて大浸水を引き起こしたりと、この厚さでは決して安心できない例も存在する。そして水平装甲であれば、一層防御である砲塔天蓋は容赦なく貫通されている例も確認である。
ユトランド海戦におけるクイーンメリーを含む巡戦の爆沈は、主に杜撰な装薬の管理がなされる中、砲塔内部への被害から誘爆を起こし、これが火薬庫に達したという流れが最も有力視されている。
本級の場合、砲塔装甲はバーベット並びに天蓋が十分抜かれる可能性がある厚さであり、誘爆に対する意識も一次大戦後と比べると希薄であるから、間違いなく危険な部位と言える。
やはり運が悪いと、英巡戦と同じく貫通誘爆からの爆沈という可能性は避けられない。ただしそれさえなければ、英巡戦と同じく立派に戦い抜くことができるだろう。
加えて攻撃面の話もすると、本級の14インチ主砲は一時期世界最大の艦砲であった事は先述したが、主に装甲目標相手の威力となると、サイズだけではなく使用する徹甲弾の性能が大きく関わってくる。
本級の計画時に採用されていた「被帽徹甲弾」(特定の名称なし)は、海外企業より導入された技術により、ほぼ英海軍に採用されていた砲弾と同性能とされている。
さらに金剛竣工の翌14年に採用されたのが、「三年式徹甲弾」や「三年帽」と呼称される新型被帽を持つ徹甲弾である。(平賀アーカイブなどでは「3yc/KH」や「3yc/KAP」といった略称も確認できる)
これはフランスのシュナイダー社が開発した徹甲弾より着想を得たもので、小さいながらすでに風帽を有する他、被帽に硬化処理を施す事で、KC鋼など表面硬化装甲への効力を増している。
この更新により貫通能力自体は一次大戦期の英砲弾を上回るものとなったが、それでも実戦で想定される命中角度によっては限界があり、加えて信管が有効に作動する遅動信管ではない点、炸薬に鋭敏な下瀬火薬(ピクリン酸)を採用している点は問題であった。
つまり厚い装甲に加え、内側に多重防御を有する当時の戦艦に対しては、外側を抜くのに十分な貫通力を持っていたとしても、命中後に砲弾が砕けるか、貫通する前や貫通直後に自爆してしまい、内部に十分な破壊効果を発揮できない。そんな既存の国産・英国製徹甲弾と共通する弱点を解決できていない物になる。
(ただこれらの点は、本級の竣工時はドイツが若干ましな程度でどの国も苦しんでいる物ではある)
威力以外の点では、本級の14インチ砲は精度や信頼性の面で目立った欠点のない堅実な物である。(主に運用や弾薬の問題でたびたび事故は起こしているが)
また第一次大戦期は戦艦の交戦距離が大きく伸びた時代であり、本級も竣工時こそ交戦距離は10km程度の認識されていたが、最大仰角(金剛のみ25度他20度)時の射程は20kmを超え遠距離戦闘に対応可能。
さらに各砲塔の照準と発砲をまとめて管制する事で、斉射を基本とした砲術に必須となる方位盤も、竣工時にこそ欠いているが1916年以降に順次搭載。一次大戦期の戦闘に対応した運用が可能である。
上述のように砲弾性能は各国共に十分と言えないものなので、14インチ砲8門というサイズからくる単純な威力も相まって、本級の主兵装は相対的には優れたものと言えるだろう。
という風に、本級は総合的に見ても当時の英巡戦と同等以上の一線級の艦であり、一次大戦の例からも爆沈しない限りは防御力に勝るドイツ巡戦とも戦える戦闘力を有している。
このような艦の獲得は建造技術の吸収というだけでなく、即戦力としても大きなものであり、特に高速主力艦を持たないアメリカ海軍にとっては、長年悩みの種にもなっていくのである。
・戦間期と大改装
竣工時は優秀な艦とは言え、その後の戦艦は12インチはおろか14インチよりも大きい砲が登場し、加えて重要な事として既存の艦含めより進歩した信管等を備える徹甲弾が使用されている。
そういった第一次大戦以降の環境では、水平装甲は言うまでもなく全体的に防御力不足である事は否めない。
よって大戦後に建造が計画された高速艦は、一部を除いて以前の巡洋戦艦とは違う、より防御にも気を使った高速戦艦的な艦が中心となっていった。
そうした新型艦の就役に伴い本級もお役御免となるはずだったが、ワシントン海軍軍縮条約により現役続行。その後同条約で規定された代艦建造により今度こそ退役かと思いきや、新たにロンドン条約によりそれも先送りに。
結局、日本の条約脱退やその後の第二次大戦に至るまで主力艦として保持されるに至っている。
その間には(練習艦を経た比叡は特殊な例として)主に2度に渡る大改装により性能を大幅に向上させている。
大まかな内容はまず、主砲仰角の向上、新型砲弾への対応、射撃指揮装置の更新、観測機を含む航空機の搭載などによる砲戦能力(特に遠距離砲戦時)の向上、対空兵装の追加、上構の一新、機関換装による速力の向上など。
特に速力が30ノットの大台に達したことは、戦間期に立案された漸減作戦において、空母や巡洋艦と共同で作戦を行える機動力を有する事を意味しており、後の戦争にて本級の使い勝手を大きく高める事となった。
一方の防御面は、砲塔の誘爆対策や注排水能力の強化など間接防御強化の他、装甲に関する点は詳しくは後述するが、主に条約内容で許された水平装甲並びに水中防御(魚雷だけでなくこの時期に重要視された水中弾対策を兼ねる)の強化がメインであった。
改装による排水量増加は5000トンあまりと、改装後には条約体制からの脱退が予定されていた事もあり、条約制限の3000トンを超過。基準排水量で32,000トンあまりに大型化している。
戦間期から大戦前の日本海軍は、英米相手の数的な不利をカバーしようと個艦の質をとにかく重視する傾向があり、それが本級(を含む旧式戦艦全般)の改装にも表れた形と言える。
それでは前置きが長くなってしまったが、表の結果と共に第二次大戦期における本級の装甲について見ていこう。
表の解説と二次大戦期の装甲
まず垂直装甲から。計算の対象となった各部位の詳細については、補足のページにて図示しているので参照して頂きたい。
該当する範囲の装甲を見ると、装甲帯自体は竣工時より変化がない一方で、主装帯の下端に接続する下甲板傾斜部を強化。元の19mmNSに弾薬庫横では102mmから70mmのNVNC、機関部横には76mmのHTが貼り足されている。
少し脱線すると、戦間期の日本戦艦は多くがこの甲板傾斜部に装甲を貼り足し、装甲帯を貫通した砲弾への防御を強化している。
単純に装甲帯の厚さや傾斜を増して強化としなかったのは、条約が舷側装甲をはじめとした垂直装甲全般の強化を禁じていた為だと思われる。
(下の方で扱っているが、条約締結前の1920年代初頭には本級の装甲帯を貼りかえて、重装甲の中速戦艦とする案が平賀譲により研究されている。また他艦よりも装甲に関する改装が後になった比叡については、装甲帯を傾斜させて対弾性能を向上させる計画が存在したが、改装時間や艦の安定性に与える影響から他艦に準じるものに留まっている)
一方水平装甲の強化は認められており、ここも一応甲板の傾斜部という事で大丈夫だと判断されたのだろう。(排水量増加も自己申告だったりと、条約内の改装に関する規定は意外とザルな印象を受ける)
垂直装甲と背後の甲板傾斜部という組み合わせは、前弩級戦艦の時代から広く使われた(上で見てきたように日本戦艦では敷島型から採用)ものであり、この部分に厚い装甲を設けて多重防御としたものは、第二次大戦期ではドイツ海軍の新型戦艦が用いた事で知られている。
一方、元々傾斜部部に弾片防御程度の装甲しか持たなかったものを改装で強化し、似た効果を狙った例は日本海軍を除きあまり知られていない。
そもそも日本の旧式戦艦ほど大規模な改装を行った艦は限られるのに加えて、条約範囲内では普通の水平装甲やその他の性能向上で手一杯で、強化する余裕がなかった例が多いのだと思われる。(実際に他国で行った例だと、装甲帯の強化を含むものだがイギリスのレナウン級くらいか)
話を戻して、この措置により本級はビスマルク級のような多重防御を有する事になったが、最初に命中する主装甲帯は薄い8インチのままである。
つまり大口径弾には(落角の大きい)遠距離でも貫通され、加えて砲弾を破砕もしくは損傷させる能力も厚い装甲と比べると欠けている。
すると奥の傾斜部へは撃角が深い状態で機能を保ったままの砲弾が命中してしまうので、この時代の戦艦砲弾に対してはあまり防御効果は増加しないのである。
表を見ても第二次大戦期では巡洋艦への防御はともかく、戦艦主砲に対しては多重防御を含めてもかなり脆弱である。
もちろん10km以内から放たれた16インチSHSを耐える事も不可能。(尤もこれは大和型でも厳しいはずだが)
次に砲塔関連では、前盾やバーベットの装甲も竣工時より変化はない。第二次大戦時の戦艦主砲には比較的簡単に打ち抜かれるだろう。
また上部装甲帯を抜いた砲弾が、バーベットの艦内部部分に命中した場合、この部分は下甲板に面した基部こそ装甲を貼り足して強化しているが、大部分は竣工時の76mmしかない。
この部位は竣工時の砲弾(信管)では性能不足の為直撃する可能性は低く、上では取り上げていなかった。
一方で二次大戦時の砲弾に対しては不足している以外の何物でもなく、至近距離での戦闘では8インチ砲弾にも貫通を許す恐れがあるだろう。
続いて水平装甲は先述したように、竣工時の薄い2層式防御は瞬発弾相手ならともかくとして、有効な遅動信管を持つ大口径弾の直撃にまず耐えられるものではなく、また航空爆弾へも脆弱である。
この対策として20年台の改装では、重要区画を通る甲板の内、最も下にある下甲板に装甲が追加されている。
先述した傾斜部と同じく、中央の水平部分にも弾薬庫上では127mmから102mmのNVNC、機関部上に76mmのHTが貼り足された。
(機関部上の貼り足しは64mmのCNCとする資料もあるが、CNCの開発時期は1931年と言う事で時期的に微妙。もしかしたら比叡のみCNCなのかもしれない)
表を見ると、両者とも竣工時より大きく強化されたが、機関部上は追加された鋼材がHT鋼であることもあり、防御力としてはやや不足している感あり。
一方で均質装甲が追加された弾薬庫は遠距離砲戦に対応した装甲を獲得していると言えるか。
砲塔天蓋は主砲仰角引き上げ時に新しく装甲を貼り変えて強化。さらに装甲板同士の継ぎ目部分の防御力低下に対応して、端部に段差ができる程に深く重ね合わせる装着方式に変更されている。
装甲厚自体も76mmから152mmに倍増という、各国戦艦の中でも厚い部類となったが、表では「安全距離なし?」とした。
これは他のページでも述べたように表面硬化装甲の使用が理由である。日本の改装戦艦はどうやら全艦が天蓋にVC鋼を使用しているようで、これにより厚さ程の防御力を持たない事になってしまっている。
この件について補足すると、日本海軍は1910年代末から砲塔天蓋用の装甲として、VC鋼と均質装甲であるNVNCとの比較実験を幾度も行っていた。
そして1922年までの実験では、砲塔天蓋に使用する6インチ以上の厚さでは、変形しやすいNVNCよりVC鋼の方が当時の砲弾への防御力は上と認識していたのである。
表の結果の様に容易に割れて被害を受けやすいと認識したのは、より進歩した徹甲弾を用いた1929年の試験以降であり、大改装以前に天蓋を強化した長門型以外の戦艦では、VC鋼の使用が問題になるとは思われていなかったようだ。
なお、それなら判明後の大改装時に均質装甲に交換する選択肢はなかったのかと言う疑問や、一部に矛盾する記録(海軍造船技術概要では既存の76mmに76mm装甲を重ねたとあり、少なくとも一枚板のVCではない事に)もあるが、これらの点については本ページでは明確な答えを出せていないのが現状である。
・それ以外の防御面について
補足のページにまとめた表にない部位についても一部触れておきたい。
まず上部装甲帯について。この部分を貫通した砲弾は、上で扱ったようにバーベットに命中する場合以外にも、他にも下甲板に命中して直接重要区画へ達する可能性がある。
改装前の下甲板は上で見たように19mmと非常に薄く、遅動信管が機能した徹甲弾はおろか、運が悪いと下甲板に達する前に炸裂した砲弾の弾片が重要区画に侵入する可能性の考えられる部位だった。
ただ改装後はそれなりに下甲板が強化されたので、他の部位と比べればそこまで問題となる場所ではなくなっただろうか。
また同じく上部装甲帯や船首楼甲板を貫通後に砲弾が達するルートとして考えられるのは、煙路など甲板に設けられた開口部を抜いて機関部に達する場合である。
竣工時は開口部への防御は殆ど有していなかったが、改装時に主要な箇所には8~6.5インチのコーミングアーマーで囲って砲弾の突入に備えている。 厚さ的に自艦含め戦艦主砲に対応できるかは怪しいが、少なくとも他部位と比べて防御力の劣る部位ではなくなったと評価できる。
本級は水中弾防御を改装で追加しており、弾薬庫付近の船体外板(バルジの追加により船体に内装される)の部分に25mmのHTを3~4枚重ねて装甲としている。ただバルジとの距離が近いので、魚雷の爆発によって粉砕されて被害を拡大させる恐れがあり、そもそも戦艦主砲の水中弾に対応するにはやや中途半端な厚さという印象である。
最後このページを書き始めた際には無視していた、重要区画外の防御や全体の抗堪性に関する部分もいくつか見ておきたい。
まず重要区画外の装甲について。この部分は改装時、艦首の既存の装甲範囲に83mmのNVNCを追加。おそらく前方から来た砲弾が前部弾薬庫の横隔壁装甲の下をくぐり抜けて達するのを防ぐためと思われる。
そして艦尾は特に外側への装甲の追加はない。(内側では舵機械室に51mmの中央縦隔壁を設け二分している)
よって大部分は竣工時の薄い装甲帯と甲板のままという事で、榴弾や小型爆弾、至近弾等への防御としてはこの時期でも一定の防御力を持つが、同時に限界のある物である。
中でも艦尾装甲は、第三次ソロモン沖海戦で比叡が舵損傷から戦没した事が示すように、重巡クラスと近距離で戦闘を行う上でも不足していた事は否めない。
続いて日本の改装戦艦全般に言える事だが、改装による大幅な重量増加はそのままだと乾舷の減少を引き起こし、航洋性能だけでなく予備浮力や復原力を減少させ、損傷時の生存性を低下させる問題にもなり得る。
それを防ぐ対策の一つとして水雷防御を兼ねるバルジの設置が行われたが、一方でバルジというのは、被弾時には比較的簡単に破壊されて浮力を失う区画である。(もちろん内部の区画分けや水密鋼管の充填など、バルジ内でも浮力喪失を局限する工夫はあるが)
砲弾相手ならともかく、魚雷や爆弾が殺到して船体を破壊するような被害が想定される二次大戦期の戦場では、この破壊されやすいバルジを後付けする対策はやや相性が悪かった面が指摘されている。
同じく数字には出てこない欠点として、日本の改装戦艦は重要区画を守る主要な装甲甲板が、水線付近の甲板(主に下甲板)である点もその一つになり得る。つまり装甲甲板以上の範囲は非装甲ではないが比較的脆弱な区画という事で、装甲甲板が命中弾を防いでも、爆発などでこの区画が大きく破壊されれば、付近から浸水した際に被害が拡大して、これまた艦の予備浮力を喪失しやすくなるのである。
まあ上で挙げた2つとも、本ページで扱うようなバイタルパートの抜きあいではそこまで関係のない、もっと現実的な話に過ぎない事ではあるが、とりあえず大改装といっても船体を一から作り直すわけではないので、元々の設計やサイズによる限界が生じるという例である。
二次大戦期の評価
装甲については上記のように、水平装甲などが改装で強化され一定の防御力を確保したのに対して、垂直装甲や砲塔防御を中心に自艦を含む戦艦主砲へは十分な防御力を持たない部位も多く残す結果となった。
仮想敵である米英海軍を相手にした場合、14・15インチ砲艦が多数を占める両海軍の主力艦に対しては、それらの部位は安全距離を持たない事になり、正面からの殴り合いでは大きなハンデとなるだろう。
火力面を見ると主砲は他艦と同じく九一式(一式)徹甲弾を採用。
この砲弾は「戦艦砲弾に関するメモ」でも述べたように、他国徹甲弾と比べると若干斜撃時の弾体強度が弱めであるが、少なくとも一次大戦期のように簡単に砕けたり自爆する事なく、戦艦の重要区画を抜ける砲弾である。日本海軍がこだわった水中弾効果を抜きにしても、基本的な性能は二次大戦期の徹甲弾として一定の水準に達した物と言える。
それを運用する砲術についても、少なくとも昼間の砲撃戦においては30km程度の大遠距離へも対応可能な優秀な砲戦能力を有していた。(残念なことにサマール沖海戦を含め、そのような理想的な状況で戦闘を行う事はかなわなかったが)
つまり本級は、やや弱体な防御とそれなりの火力を持つ14インチ砲艦となり、通常の殴り合いでは新戦艦は言うまでもなく、装甲の差から米標準型や英QE級といった旧式改装戦艦への不利は否めない。
(改装を殆ど受けてないR級、そしてQE級コロラド級のうち大改装を受けられなかった艦なら防御に穴があるので、一部通用する部分もあるかもしれないが)
一方で重要なのはやはり速力面である。30ノットの本級に両海軍で対応できるのは新戦艦に加えて、英フッドとレナウン級、米アラスカ級といった高速主力艦に限られる。
勝てないにしろ虎の子の新戦艦を割かせる事ができれば、それはそれで大きな意味があり、他の高速主力艦相手は、お互い防御面に穴がある事から必ずしも本級が不利とは言えない。
元が一次大戦期の旧式艦と言えど、かなり便利な立ち位置にいると評価できるだろう。
また巡洋艦が相手の場合、竣工時であれば下手をすると致命傷を受けかねない防御上の弱点は改装で解消されており、攻防共に十分な戦力である事は言うまでもない。
長くなったが、金剛型はこの時期の日本戦艦の中ではおそらく最弱である。その一方で兵器としての有用性は高いものがあり、実際に戦史においても最も活動的であった日本戦艦であることからも、兵器としての評価は単なる火力や装甲、他の戦艦との強さ比べで決まるわけではない、という良い例になるだろう。
(割とこのページを全否定する言葉だけど、このまま終わるのも何かしっくりこないので)
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本級は戦前の想定と少々違う形かもしれないが、四隻すべてが水上戦闘を経験しており、比叡と霧島の二隻はその中で受けた損傷が原因で戦没している。
これについて追記すると、まず比叡は乱戦となった第三次ソロモン沖海戦の第一夜戦にて集中砲火を受け、多数の中小口径砲並びに機銃弾を受けている。
その際には艦橋への命中弾で少なからず戦闘能力を失った他、上部装甲帯への貫通弾も複数出ているが、機関と浮力には問題なく、これだけで沈没に至るような被害では決してなかった。
しかし運の悪いことに艦尾に命中した8インチ砲弾により操舵不能になって、海域からの離脱に失敗。夜明け後の空襲により航行不能とみなされ、二次大戦における最初の喪失戦艦となってしまった。
この舵機械室の被害は、直接砲弾が達したのではなく、被弾で生じた下甲板上への浸水が、破壊された通風筒を通じて内部へ拡大したのが原因とされる。
しかし艦尾の装甲は上述した通り、重要区画を守る物と比べてもかなり簡素(3インチ装甲帯と2インチ下甲板)で、近距離からの8インチ砲弾で舷側の水線部付近を抜かれた事が、被害のきっかけである事は否定できない。
とはいえ損傷した海域が制空権内にあり、曳航可能な大型艦がいれば助かったような被害で、非常に後味の悪い喪失と言える。
霧島は後日発生した第二夜戦にて、米戦艦ワシントンより距離7kmという近距離で放たれた16インチSHSを多数被弾。
(米軍記録によれば9発だが、海戦後に救助された副長への聴取によると、主砲弾約10発に加え魚雷2~3発命中の疑いありとしている)
これは新戦艦であっても危険となる距離と命中数だが、霧島はフッドやブルターニュの様に爆沈はせず、双方が離脱した後も浮かんでいた。
それどころか操舵不能にはなっていたが、機関は生きており自力航行もなんとか可能だった。
これは本級の装甲が被弾に耐えたと言うより当たり所の問題で、主砲の水圧機などは破壊された事から重要区画内に被害を受けたのは確実だろう。それでも機関部内で炸裂した砲弾はなかったと思われる点は興味深い。
しかし戦闘後には火災がコントロール出来なくなり、機械室内の温度が急激に上昇して機関員の多数が戦死。実質航行不能になり、艦の放棄が決定された。
その後は興味深い事に、本艦は自沈処分を行う前に転覆したようだ。
その原因は多数の命中弾による浸水や、艦を守るための注水で浮力を失いすぎたからと考えられている。
(以下の文は大体R.ラングレン氏の論考を参考にしたものだが、管理人の勘違いなどあるはずなので、できるなら原文を読んでほしい)
上で魚雷命中の疑いありとされたように、本艦は右舷水線下に複数発の16インチ砲弾を受けていた。
その砲弾は短遅動信管の為か、艦の奥深くに飛び込む前に炸裂したが、周辺の区画を大きく破壊。戦闘終了後にも浸水は収まらずに右舷への傾斜を引き起こしていた。
これに対応するために反対舷への注水が何度か行われるが、結果として艦全体へ入る水の量は増し、すでに注水された弾薬庫の部分を含めて浮力を大きく喪失。
最後には復原力が極めて低下した状態となって、注水を行った左舷側に一気に傾斜、そのまま転覆したと言う。
舵と機械室の放棄だけなら、比叡と同じく環境によっては帰還する事も可能だったが、こちらは浸水を止められない限り、いずれ艦の喪失に繋がったと思われる。
(と言ってもここは実質敵地なので、浸水を局限できても航行不能の時点で自沈処分は避けられなかったが)
私的な戯言
2018年3月の世艦アーカイブ金剛型を読んでると、ここにも書いたよなあという記述もあって、割と増長しそう。
まあ所詮は他の誰かの研究から引っ張ってきたにすぎないのだけれど。
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扶桑型戦艦(改装後)
1912~13年起工 1915~44年就役
212.8m 34,700t 39,154t(公) 四一年式45口径36cm砲 連装6基12門 24.7ノット
装甲厚
垂直装甲(弾薬庫1) 224mmVC+18mmHT傾斜約4度 → 32mmNVNC → 67mmNS+32mmHT傾斜55度(内傾)→ 38mmHT
垂直装甲 (機関部、弾薬庫2) 299mmVC+18mmHT → 25mmHT+38mmHT
砲塔前盾 274mmVC傾斜30度(内傾)
バーベット(露出部) 299mmVC
バーベット(艦内部) 199mmVC+18mmHT傾斜約4度 → 162mmNVNC
水平装甲(弾薬庫) 35mmHT → 12mmHT → 67mmNVNC+32mmNS ≒ 106mmNVNC
水平装甲(機関部) 35mmHT → 67mmNVNC+32mmNS ≒ 103mmNVNC
砲塔天蓋 152mmVC水平~傾斜9度/横傾斜9度
上部装甲帯→甲板 あり
上部装甲帯→傾斜部 部分的にあり
船体 長船首楼型
装甲部位\艦砲 | 8インチ | 28cm | 41年式36cm | 14インチマーク7 | 15インチ | 16インチ | 46cm |
垂直装甲(弾薬庫1) | 貫通不能 | 18.5km以遠 | 24.5km以遠 |
28km以遠 | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし |
垂直装甲(機関/弾2) | 5.5km以遠 | 17.5km以遠 | 21km以遠 | 25km以遠 | 30km以遠 | 安全距離なし | 39.5km以遠 |
砲塔前盾 | 5km以遠 | 31km以遠 | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし |
バーベット(露出部) | 5.5km以遠 (7km以遠) |
16.5km以遠 (19.5km以遠) |
20km以遠 (23km以遠) |
24km以遠 (27.5km以遠) |
28.5km以遠 (安全距離なし) |
30km以遠 (安全距離なし) |
37km以遠 (40km以遠) |
バーベット(艦内部) | 2km以遠 |
15.5km以遠 | 19km以遠 |
21.5km以遠 |
26.5km以遠 |
28km以遠 |
安全距離なし |
水平装甲(弾薬庫) | 28.5km | 30kmまで | 24kmまで | 23kmまで | 22.5kmまで | 22kmまで | 17kmまで |
水平装甲(機関部) | 28kmまで | 29.5kmまで | 23.5kmまで | 22.5kmまで | 22kmまで | 21kmまで | 16.5kmまで |
砲塔天蓋 | 貫通不能 | 33.5km ~18kmまで |
安全距離なし? | 安全距離なし? | 安全距離なし? | 安全距離なし? | 安全距離なし? |
垂直装甲(弾1)30度 | 貫通不能 | 11km以遠 | 19.5km以遠 |
22km以遠 | 25.5km以遠 | 30.5km以遠 | 38.5km以遠 |
垂直装甲(機/弾2)30度 | 1km以遠 | 12km以遠 | 16km以遠 | 19km以遠 | 23km以遠 | 25km以遠 | 35.5km以遠 |
次の扶桑型は日本海軍が独自に設計・建造した最初の超弩級戦艦である。
そして地味に初めて常備排水量3万トンを超えた世界最大の戦艦でもあったが、あまり優れた艦ではなかったという評価も多い。
この件も含めて竣工時、改装後の本級について見ていこう。(あと既に長くなりすぎなのでなるべく簡潔に行きたい)
竣工時の概要と評価
まず主砲は金剛型と同じく45口径14インチ連装砲を採用。砲塔はすべて中心線上に置かれ、前後に2基ずつを背負い配置、中央部に煙突を挟んで1基ずつ配置している。
(計画案は50口径12インチ砲からスタートしているほか、14インチでも三連装砲塔の採用がヴィッカース社より打診されているが、機構の複雑さや交互打方での運用に不都合な点から採用されず。さらに砲塔配置も中央の2基で英独艦などに見られる梯形配置が検討されるなど、紆余曲折を経て最終案へと至っている)
これにより片舷門数は12門と、河内型までの戦艦を大きく上回る火力を発揮可能に。ただし中央部の砲塔配置は船体のスペースを無駄に使用するもので、その上爆風問題も加わったため、次級伊勢型で改正される事になる。
副砲は金剛型と同じく上甲板上の中央砲郭に収められた6インチ単装砲からなる。
また計画速力は22.5ノットと、ドレッドノート以降21ノットが基準であった当時の戦艦の中では優位を持つ。ただし安定して出せるのは21ノットあたりと平均的な物だったようだ。
竣工時の装甲配置を見ていくと、まず船体は五番砲塔まで船首楼が伸びる長船首楼型で、重要区画上の甲板は中甲板が一部途切れる部位があるが、それ以外は金剛型と同じ船首楼と上中下の四層。
垂直装甲は水線下から下甲板の若干上までにある主装甲帯が最も厚いが、船体中部(前部司令塔から後部マストまで)が299mm(480lbs、305mm)なのに対して、それ前後部弾薬庫横などでは224mm(229mm)まで減厚している。
両者の上には上甲板までの高さに199mm(203mm)、船首楼甲板までに副砲砲郭を兼ねる149mm(152mm)の上部装甲帯が続く。重要区画外の艦首尾水線部には4インチの補助装甲帯あり。
水平装甲は船首楼(もしくは上甲板)と下甲板の2層式で、前者が35mm、後者が32mm。下甲板は前後弾薬庫横などでは傾斜部となるが、船体中央では水平のまま主装甲帯の上端近くに接続している。
砲塔は前盾274mm(279mm)、天蓋114mm(76mmとも)、バーベット299mm(305mm)。
以上のように、本級の装甲配置は同時期の英戦艦や金剛型と比べると、一部明らかに異なる点が見受けられる。
まず主装甲帯が重要区画間で一定の厚さを持たず、前後弾薬庫で減厚するのが最も大きな違いで、これは日本戦艦だと薩摩型以来の採用となる。
そして船体中央のみとは言え、下甲板が傾斜部を持たず水平のまま装甲帯に接続するのは、前級河内型より続く構造である。
(採用理由は同級と同じく、主装甲帯が12インチと厚い中央部は余分な重量や工事の手間を必要とする傾斜部を設ける必要が無い一方で、9インチと薄い弾薬庫横では、少しでも防御の足しにするため傾斜部が必要とされたと思われる)
両方とも金剛型以前の戦艦より受け継がれた印象を受けるのは非常に興味深い点である。
具体的な防御の評価としては、少なくとも金剛型よりは大部分が強化されているので、当時の12インチ砲等に対して基本的に有効な物であるのは確実だろう。
ただし先述したように主装甲帯の一部が9インチまで減厚するのは、同時期の主力艦と比較しても(巡洋戦艦や一部南米向け英国製戦艦を除いて)弱体と言わざるを得ない箇所であり、12インチ以上の艦砲に対しては不安もある。
その一方で誘爆からの致命傷となりかねない砲塔を守る装甲は、前盾11インチ、天蓋4.5インチ(金剛型と変わらない3インチ説もあるが)バーベット12インチと、いずれも一定の水準に達している事は重要な点である。
垂直部分は当初金剛型と変わらない9インチ厚、建造時も9.5インチという微妙な薄さから、伊勢型の計画時になって他国戦艦の情報から強化されたようだが、間違いなく意味のある強化だったと評価できるだろう。
余談だが本級や次級の伊勢型の配置として、前後弾薬庫横の主装甲帯の厚さを全体的に8インチとしたり、艦首尾の水線部装甲帯が途中で途切れ、端部が非装甲になっている装甲配置図を見た事がある人もいるかもしれない。
どうやらこれは戦前にジェーン年鑑に掲載された想像図を元にしたものであり、普通に誤りなので注意が必要である。
火力面は同じ砲を持つ金剛型の解説を参照だが、同級とは搭載門数という違いが存在する。
ややスペースを浪費しつつ確保した12門という門数を持つ本級は、当時の基本的な射撃法である交互打方を行った際に、最大6門が使用可能である。そしてこの6門という数は、砲塔の損傷や装填の遅れなどがあっても、有効な斉射門数を維持しやすくなる点から、8門艦に対して投射重量以上の利点が存在したのである。
(この交互打方に適した斉射門数という点は、後の八八艦隊の時代でも主力艦の設計に影響を与えることになる)
ここまでまとめてきた分だと、主砲配置や機関の安定性、さらに一部装甲配置など、あまり洗練されていない要素も見られるが、全体として他の列強戦艦と十分に比較できる能力を持つ艦である。
特に火力面では英独で15インチ砲艦が登場し一発の威力では劣るようになるが、この頃は徹甲弾の性能不足が大きい時代である事から、(弾薬庫の誘爆を起こさない限り)一発の威力によって大打撃を与えるのではなく、命中弾数による削り合いで優劣が決まる印象が強い。
その場合本級は、上記のように砲術に適した門数を持っている事、さらに防御面でも(誘爆対策はともかく)原因となる主砲塔への防御が有効な点は当時の環境に適していたと言えるだろう。
なお最近は「欠陥戦艦どころか当時の戦艦では世界最強」という言説も結構見られるようになったが、さすがにそれには違和感がないこともない。
本級と同じく15~17年に竣工する艦といえば、英QE級(一番艦除く)、R級、独バイエルン級、米ネヴァダ級、ペンシルヴァニア級などを挙げる事ができる。
それに対して本級は方位盤の搭載時期や、砲弾性能とか誘爆対策への不安などを無視したとしても、素の装甲では上記の艦に明らかに劣る面が多いので、最強を名乗るには厳しいのでは、というのが正直な所である。
もっとも上記戦艦よりも以前の艦であったり、残る仏伊露墺の最新鋭艦との比較なら話は別であるから、本級の設計レベルが河内型より大きく進歩した物であるのは間違いないだろう。
・その後の改装と票の解説
その後の本級は金剛型と同じく、ワシントン条約により戦間期にも保有されるが、交戦距離の変化や徹甲弾の進歩などで適切な防御を持たないとされたのはこちらも同じ。
これに対して他艦と同じく大改装が行われ、遠距離砲戦への対応、水平水中防御の強化、また機関換装で24.7ノットと伊勢・長門型に準ずる速力を獲得している。
改装後の排水量は基準排水量で3万5千トン弱と、やはり条約制限を超過。なお改装は30年台前半に一気に行われ、日本の改装戦艦の中でも最も早く大改装を終えた戦艦となった。
ここからは表に使用した改装後の装甲について。
まず垂直装甲は装甲帯に変化はなく、それよりも内側にある傾斜部もしくは縦隔壁が若干強化されている。
船体中央部は先述したように奥に傾斜部を持たないが、この部分の299mm装甲は交戦距離の延伸を考えれば、第二次大戦時でも自艦14インチ砲に対する防御力は許容範囲に当たる。
その為大規模な貼り足しは行われず、新設された水雷防御隔壁が弾片防御としてある程度機能する程度の強化に留まった。
一方で装甲帯が薄くなる前後部では、金剛型と同じく傾斜部に装甲を貼り足して多重防御の強化を試みている。
これにより傾斜部は合計厚100mmとなり、傾斜も結構あるが、こちらも元の装甲帯が薄い為あまり効果はない。横方向の角度をつけない限り、戦艦主砲へはかなり心もとない結果となった。
なお次に扱う伊勢型では各砲塔ごとに異なる厚さ・配置の装甲が改装で追加されている。
本級を計算で参考にしたのは二番砲塔と船体中央の図面だけなので、実は別の部位では異なる改装が施された可能性も否定できない。
砲塔前楯も竣工時より変わらず274mm(279mm)。
ユトランド時なら有効だろうが、この方向への傾斜が逆効果なることもあってあまり防御力は期待できない。
一方バーベットの露出部分も厚さは変わらないが比較的強力で、表でも自艦14インチ砲にある程度対応可能な安全距離を持つ結果となった。
バーベットの艦内部分はあらかじめ199mmの上部装甲帯を貫通する必要があり、改装時に貼り足された分の厚さもあるため、ある程度の安全距離を持つ。
(艦内部分の一番薄い所は51mmだったりするが、面積が小さく表には含めなかった。
続いて水平装甲は弾薬庫・機関部共に下甲板中央部を強化。32mm厚の同甲板に67mmのNVNCを追加し、合計厚99mmとしている。
これは弾薬庫を重点的に強化し、機関部にはHTやDSと言った非装甲規格の鋼材を貼り足すに留めた他の戦艦とは異なる内容である。
その為機関部上の一部は長門・伊勢型を上回っているが、弾薬庫の水平防御だけを見ると、日本戦艦中最弱となる。両部位とも遠距離戦志向としては不十分なものに留まっているか。
各艦の改装時期からして、扶桑型における水平防御の強化が不十分であると判断された為、伊勢型や長門型ではあれほど割り切った改装内容になったのかもしれない。
砲塔天蓋は金剛、伊勢型と同様である。なおこの部分の強化は大改装前の20年代と、問題が認識される前だったようだ。
最後に金剛型と同じく、表で扱わなかった部位について。
(今更模式図を用意するとして、上は改装後の機関部断面となる)
本級の装甲配置では、上部装甲帯へ命中した砲弾は落角にもよるが、上で扱ったバーベットに加え、下甲板の水平装甲にも命中する。
水平装甲は改装後も遠距離戦闘において不十分と先ほどは書いたが、このルートの場合、砲弾は先に8インチもしくは6インチの装甲帯を貫通する必要がある。
その場合は自艦14インチ砲はもちろん、15・16インチと言ったより大口径の砲でも下甲板の強化部分を突破できず、装甲側が安全距離を持つ可能性が高い。
ただし上図のように、下甲板の強化部分は艦幅の全体を覆うものではなく、機関部では外側の部分は半分の51mm(32mmNS+19mmHT)しかないので、装甲帯を貫通した大口径弾を防げない場合があると思われる。
また弾薬庫も傾斜部は撃角が深くなる関係でより貫通されやすい事になり、上記防御力が全体的に発揮できるわけではない点には注意しなければならない。
また本級は大改装に伴う重量増加により喫水が増加し、下甲板の位置がほぼ水線付近まで沈み込んでしまっている。
こうなると金剛型の解説でも述べたように、下甲板で重要区画内への砲弾の侵入が防げても、それよりも上の区画に浸水が広がりやすくなり、結果として艦の生存性を害する原因になってしまうが、これは装甲配置的に仕方がない。
煙路などは本級も改装時に7インチ厚のコーミングアーマーを追加して防御している。
水中弾防御は水雷防御隔壁が行うもので、合計厚は弾薬庫は89mm機関部76mmとそれなりだが、二次大戦時の日本戦艦では最も簡素な物といえる。
土佐の被弾例を見ると直撃弾には厳しい物だが、一応水雷防御区画で炸裂した物には効果があると思われる。
まとめ
上記のように改装後の本級が持つ装甲は、第二次大戦期における自艦レベルの火砲に対して微妙なものに留まっている。
金剛型とは違い、敵戦艦との直接対決を主な役割とした艦としては不本意な物ではあるが、やはり竣工時の設計に由来する問題であったり、それに対処する改装の内容にも限界があった結果と言える。
火力面は一応この時代でも、門数からくる砲術上の利便さを依然として有している。一方で敵艦への効果としては、砲弾の進歩を経た事により貫通力からくる一発の威力の影響がより大きくなった点が指摘できる。そうすると本級のような門数重視より大口径もしくは高初速の砲を一定数揃えた方が、という評価も否定はできない。防御面では火力低下が少ない点もあるが・・・
他国の旧式戦艦と比較すると、間違いなく攻防共に一定の水準を確保した艦と言えるが、それでも英米戦艦の中でも大改装を受けたQE級や米標準型に対しては不利な面があるという風に、金剛型と大差ない評価にならざるを得ない。
個艦での戦闘となると、速力の優位を生かせるか、それこそ水中弾頼みでもしなければ厳しそうだ。
最後に本級は金剛型を除く日本戦艦の中でも、防御面ではやや弱体な面があることは否めない。
その一方で繰り返す事になるが、攻撃面で他の14インチ砲艦と同等の改正を行い、伊勢・長門と戦列を組める速力を確保している点から、本級は艦隊決戦で足手まといになるような欠陥戦艦ではなく、貴重な戦力である事に違いはない。
結果的に太平洋戦争にて活躍する機会がなかったのと、戦艦としての性能や存在価値といった評価を混同するのは避けるべきだろう。
(太平洋戦争における兵器としてはやや低い評価にならざるを得ないが、残念ながらこれは他の低速戦艦も同じ)
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なおスリガオ海峡夜戦で壮絶な最期を遂げた本級の2隻だが、このうち被雷しつつも突入を続けた山城はオンデンドルフ少将率いる米戦艦の攻撃を受けている。
その時山城は巡洋・駆逐艦部隊と交戦していたので、一方的に砲撃されたことになるが、一応世界で最後に発生した戦艦同士の戦いとして数えられている。
といっても同海戦で戦艦の砲撃は重要な役割を果たしたとは言い難く、山城も最終的には魚雷でとどめを刺された形になるようだ。
米戦艦も複数の命中弾を主張しているものの、詳しい被害は生存者が少ないこともあって不確かである。
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伊勢型戦艦(改装後、戦艦時)
1915年起工 1917~45年就役
213.4m 35,800t 40,167t(公) 四一年式45口径36cm砲 連装6基12門 25.3ノット
装甲厚
垂直装甲(弾薬庫1)199mmVC →100mmNVNC+51mmHT → 25mmDS
垂直装甲(弾薬庫2)299mmVC傾斜約4度 → 120~68mmNVNC+32mmHT傾斜60度(内傾)→ 25mmHT 141 90
垂直装甲(弾薬庫3)299mmVC →32mmHT傾斜60度(内傾) → 100mmNVNC+25mmDS×2傾斜約9度→ 25mmDS
垂直装甲(弾薬庫4)299~224mmVC → 240~200mmVC→ 25mmDS
垂直装甲(機関部)299mmVC → 32mmHT傾斜60度(内傾)→38mmHT?
砲塔前盾 299mmVC傾斜30度(内傾)
バーベット(露出部)299mm
バーベット(艦内部)199mmVC+18mmHT → 230mmNVNC~125mmVC
水平装甲(弾薬庫)35mmHT → 135~120mmNVNC+32mmHT ≒ 167~150mmNVNC
水平装甲(機関部)44mmHT → 2~3×25mmDS+32mmHT ≒ 109~92mmDS 42 88 69
砲塔天蓋 152mmVC水平~傾斜9度/横傾斜9度
上部装甲帯→甲板 あり
上部装甲帯→傾斜部 あり
船体 長船首楼型
装甲部位\艦砲 | 8インチ | 28cm | 41年式36cm | 14インチマーク7 | 15インチ | 16インチ | 46cm |
垂直装甲(弾薬庫1) | 4.5km以遠 | 18km以遠 | 23.5km以遠 |
28km以遠 | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし |
垂直装甲(弾薬庫2) | 貫通不能 | 貫通不能 ~7km以遠 |
貫通不能 ~17.5km以遠 |
2km ~20km以遠 |
19km ~25km以遠 |
21km ~27.5km以遠 |
安全距離なし |
垂直装甲(弾薬庫3) | 貫通不能 | 12km以遠 | 16km以遠 | 18km以遠 | 22.5km以遠 | 24km以遠 | 34.5km以遠 |
垂直装甲(弾薬庫4) | 貫通不能 | 3.5km ~11km以遠 |
6km ~13.5km以遠 |
7km ~15km以遠 |
10.5km ~19km以遠 |
13km ~21km以遠 |
21km ~34.5km以遠 |
垂直装甲(機関部) | 5.5km以遠 | 17.5km以遠 | 21km以遠 | 25km以遠 | 30km以遠 | 安全距離なし | 39.5km以遠 |
砲塔前盾 | 3km以遠 | 20km以遠 | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし |
バーベット(露出部) | 5.5km以遠 (7km以遠) |
16.5km以遠 (19.5km以遠) |
20km以遠 (23km以遠) |
24km以遠 (27.5km以遠) |
28.5km以遠 (安全距離なし) |
30km以遠 (安全距離なし) |
37km以遠 (40km以遠) |
バーベット(艦内部) | 貫通不能~4.5km |
11km ~17km以遠 |
14.5km ~22km以遠 |
16.5km ~24.5km以遠 |
20.5km以遠 ~安全距離なし |
22.5km以遠 ~安全距離なし |
34km以遠 ~安全距離なし |
水平装甲(弾薬庫) | 貫通不能 | 34km ~35kmまで |
28km ~29kmまで |
27km ~28.5kmまで |
27km ~28kmまで |
27km ~28.5kmまで |
26.5km ~28kmまで |
水平装甲(機関部) | 28km ~26kmまで |
30km ~28kmまで |
24.5km ~21.5kmまで |
23km ~20.5kmまで |
23km ~18.5kmまで |
22.5km ~17.5kmまで |
18.5km ~14kmまで |
砲塔天蓋 | 貫通不能 | 33.5km ~18kmまで |
安全距離なし? | 安全距離なし? | 安全距離なし? | 安全距離なし? | 安全距離なし? |
垂直装甲(弾1)30度 | 1km以遠 | 14km以遠 | 19.5km以遠 |
22km以遠 | 26km以遠 | 29km以遠 | 40.5km以遠 |
垂直装甲(弾3)30度 | 貫通不能 | 7.5km以遠 | 11km以遠 |
12.5km以遠 | 16.5km以遠 | 19km以遠 | 28.5km以遠 |
垂直装甲(機関)30度 | 1km以遠 | 12km以遠 | 16km以遠 |
19km以遠 | 23km以遠 | 25km以遠 | 35.5km以遠 |
伊勢型と言えば、戦時中に「航空戦艦」と言う、実際に建造された艦では本級以外に存在しない、唯一無二の存在になったことがよく知られている。
一方で戦艦としての本級は、日本初の国産超弩級戦艦である扶桑、海軍休日中の日本を代表する戦艦であった長門、という両級の間に挟まれていることから、これらと比べるとやや地味な存在かもしれない。戦歴の殆どが航空戦艦への改装後だったのもこの印象に拍車をかけていると思われる。
なお表を見た時点で分かるかもしれないが、管理人は伊勢型戦艦が大好きである。そこでこのページの趣旨とは関係ないが、個人的にその少し語らせてもらいたい。
・・・と思ったが、言葉では説明し辛いのでまた別の機会に。ただ航空戦艦改装後の公試時の写真をみてみると、日本戦艦の中でも最も写真写りが良い艦と言えるのではないだろうか。
竣工時の概要と評価
こちらも竣工時の話からすると、本級は基本的に扶桑型の改良版であり、前級で特に非合理的とされた主砲配置の改善に加え、装甲配置や速力面の改正も行われている。
まず主砲は変わらず14インチ連装砲を6基12門と多数搭載するものだが、この内船体中央の2基は煙突と後部艦橋の間で背負い配置を取る形に改められている。
これにより全体的な主砲配置は米ワイオミング級のように、背負い配置の主砲2基を前中後部の3か所に設ける形となり、艦内部のスペース節約という意味で成果を上げている。
(なお本級はそのせいで前級よりも船首楼甲板が短くなり、居住性などに弊害は生じたことでも知られている)
副砲はこれまでの6インチ砲に変えて、砲弾重量が軽く日本人の体格でも扱いやすい50口径14cm砲を新たに採用。
これを上甲板上の中央砲郭を中心に20門と門数を増して(船首楼が短くなった事でスペースが足りずに、うち4門は砲郭装甲外に)搭載している。
また速力面はより効率のより機関を搭載し、計画速力23ノットを安定して確保。公試時には過負荷で24ノット前後を記録と、巡洋戦艦を除けばQE級に次ぐ高速主力艦と言っていいものを持っていた。
(その一方で直進性の悪いじゃじゃ馬であったともいわれるが)
ここから竣工時の装甲配置を見ていくと、まず船体は船首楼の範囲が第三砲塔までに短縮されたものであり、重要区画上の甲板は最大4層だが、以前の艦と比べると上中下の3層のみとなる範囲が増えている。
垂直装甲は下甲板付近の高さを持つ主装甲帯が最も厚く、この部位は扶桑型と同じく重要区画内でも船体中央部以外で減厚している。ただ本級は最厚部の範囲が若干拡大し、二~五番砲塔間に299mm(305mm)の装甲があり、残る一番砲塔横は199mm(203mm)、六番砲塔横は224mm(229mm)となる。
また主装甲帯よりも上には、上甲板までに199mm(203mm)、船首楼までに149mm(152mm)。前後部には102mmの補助装甲帯と、これらは扶桑型と変わらず。(先述したように船首楼の範囲自体が変わった事で、船体に占める149mm部分の範囲は変化する事になるが)
水平装甲は二層式であり、船首楼もしくは上甲板が35mm、下甲板は32mmでこちらは船体中央でも傾斜部を伴い装甲帯の下端に接続する。主砲塔はバーベットと前盾両方が299mm(305mm)に、天蓋は114mm(76mmとも)。
材質は水平装甲がHTのみになった点以外は扶桑型と変わらず。
以上のように主な変更点としては、主装甲帯最厚部の拡大、下甲板水平装甲の傾斜部、砲塔前盾の増厚、水平装甲の材質変更などが挙げられる。
間違いなく前級よりも強化されているが、重要区画内の主装甲帯に減厚部分があるのは引き続き不安な点だろう。
このように竣工時の本級は前級とほぼ変わらない排水量で、主に防御と速力面での性能向上を実現し、より効率よくまとまった艦として完成している。
他艦との比較では前級と大差ない(英米独の最新鋭艦相手は単艦ではやや劣るかもしれない程度)評価になるだろうが、それでも積極的に設計レベルと完成度を高めていった流れが見受けられる艦である。
改装と改装後の装甲・表の解説
完成度を高めた艦であるといっても、本級もまた改装なしに大戦後の環境に適応できないのは以前の艦と同じである。
戦間期に行われた改装の内容も基本的に同じようなもの(遠距離砲戦への対応、速力25ノット台に向上、水平・水平防御などを中心に防御力強化、排水量増加は条約制限を超過など)だが、特に防御面の改装内容は次級長門型と同じく、やや極端な弾薬庫重視という傾向が確認できる。
また弾薬庫には前級よりも本格的な水中弾防御が施された点、この過程で艦首の装甲帯など一部装甲が撤去されて装甲範囲を減じているのも興味深い点である。(なお航空戦艦改装時にさらに装甲は撤去されている)
ここから表で扱った改装後の装甲を見ていこう。
まず垂直装甲の内、重要区画内の主装甲帯については大きな変化はないが、主に弾薬庫では下甲板傾斜部や弾薬庫側面の縦隔壁に装甲を貼り足して防御力を強化している。
その内甲板傾斜部を強化しているのは2番砲塔横のみで、他の部位は側面の縦隔壁に直接装甲を貼って強化する形である。
強化内容を詳しく見て行くと、2番砲塔横は既存の32mmの下甲板傾斜部に120mmから68mmのNVNCを追加。
1・3・4番砲塔は100mmのNVNC(と50mmのバッキング)、5・6番砲塔は240から200mmのVC鋼を縦隔壁に追加し、こられの装甲が装甲帯貫通後の多重防御として機能している。(下図も参照)
機関部横については32mmの傾斜部に加え水雷防御縦隔壁が弾片防御としても機能するが、これまでの艦と比べるとほぼ竣工時のままである。
これらを踏まえて表を見て行くと、一番砲塔を除けば自艦14インチ砲へもかなりの防御力を有している事になる。
特に弾薬庫側面の貼り足しが非常に厚い後部砲塔横は、かなり格上の艦砲にも耐えられる事になるが、この点に関しては構造的に注意が必要な点があるので後述する。
ただしそれを除いても、弾薬庫の安全距離などは他国旧式戦艦を上回る部分も一部に持っていると言えるだろう。
砲塔前盾は改装時も特に強化されることは無く、自艦主砲に対応できず。バーベット露出部は扶桑型と変わらず、14インチにもある程度は対応可能である。
一方で艦内部のバーベット部分だが、こちらは扶桑型と異なりほとんど改装により装甲厚を増していない。
唯一二番砲塔の基部のみ230mmとかなりの厚さのNVNCが貼り足されているが、それ以外は手つかずである。
199mmの上部装甲帯を貫通後としてもかなり脆弱と言わざるを得ない。
続いて水平装甲は、30年代の改装で金剛、扶桑型と同じく下甲板を強化。
重点が置かれた弾薬庫上には120~135mmのNVNCが追加され改装戦艦では長門型に次ぐ水平防御を手に入れている。
表の安全距離では自艦の14インチ砲はもちろん、16・18インチ砲と言った大口径砲に対しても20km後半で安全距離を持つ結果に。
一方で機関部の下甲板は25mmのD鋼を2~3枚貼り足すに留まっている。
薄い部分は20km付近でも戦艦の砲撃に耐えることが出来ず、改装を行った旧式戦艦の中では弱体な部類に入るという風に、弾薬庫重視による防御力の差が顕著な部位となった。
なお機関部や弾薬庫上の一部上甲板は厚さが57mmで、その部分はわずかではあるが表よりも広い安全距離を持つだろう。
砲塔天蓋は金剛、扶桑型と同じく20年台に強化されたものである。
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表に乗せた部分の解説は以上だが、本級もこれまでの戦艦と同じく、上部装甲帯を貫通した砲弾についても考えなければならない。
(基本的に上部装甲帯の厚さや主装甲帯の高さと言ったものは扶桑型と大差ないので解説内容は重複してしまうが)
違う点を挙げると、まず機関部上の水平装甲は伊勢型が劣っており、上部装甲帯から下甲板に命中するルートはそこまで安全距離を持たないと思われる。また航空戦艦時代の話になるが、この際に本級は149mmの上部装甲帯をほぼ全撤去しているので、この部分から侵入した砲弾が直接下甲板に命中した場合も、防御力は改装前や他艦に比べても低いものになると思われる。
もちろん逆に弾薬庫の場合は伊勢型の方が厚い水平装甲をもっているので、46cm砲を含め貫通されることはそうないだろう。
また傾斜部に命中するルートの防御力では、上で解説したとおり伊勢型は扶桑型と違い弾薬庫の側面に装甲を貼り足している。
その為上部装甲帯→傾斜部→弾薬庫側面の貼り足し、と言うルートになる。
機関部以外は扶桑型程簡単に貫通されるわけではないが、計算してみると自艦の14インチに対する安全距離は23km程度であり、十分とは言えない。
また注意が必要なのが先述した五六番砲塔の弾薬庫で、この部分は主装甲帯と弾薬庫を守る箱型の装甲区画との間の距離がかなり離れている。
そのため主装甲帯よりも上の非装甲部から侵入した砲弾が、薄い水平装甲を破って直接弾薬庫側面の装甲に当たる可能性が存在する。
(今回参考にしたのは航空戦艦時代の図面であり、上述したように航空戦艦に至るまでに何度か装甲範囲の削減を行ってる事から、元々は199mmの上部装甲帯でカバーされていたという可能性もあり。ただ戦艦時代の写真を見るとこの場所に舷窓が確認できる事から、元々非装甲であったとするのが妥当だろう。この部分のみ240~200mmと他の二倍近い装甲を貼り足しているのも、直接命中弾が生じる事を考えてのものと思われる)
装甲甲板が下甲板にある云々の話も以前の艦と同じだが、本級は船首楼甲板が船体中央部までしかない事もあって、全体的な乾舷はこの時期の日本戦艦の中でも特に低いものに留まっている。
見た目なら砲塔や艦橋が強調されて立派に見えるというのは置いておいて、少々浸水時の打たれ強さや復原性で不安に思う面も存在する。(なお改装時にその点は把握済みであって、通常時のGMを大きめにして一部対策としたようだ)
煙路防御については弾薬庫重視の改装であったため、以前の艦のようなコーミングアーマーは設けず。よってアーマーグレーチングによる弾片防御程度と、直撃弾への対応はできない物に留まっている。
最後に水中弾防御は弾薬庫側面に限定され、縦隔壁のうちの1層に装甲を貼り足している。その厚さは最大240mmと、こちらも弾薬庫重視の強化によりかなり有力なものを持つ結果となった。
描いてしまった物は仕方ないので掲載(バルジは諦めた)。船首楼が途切れるのと、砲塔の高さからして3番砲塔横
この部分では上甲板から船首楼甲板へ設けられていた上部装甲帯もなくなるため、上甲板を貫通した砲弾がバーベットの減厚部分に命中する可能性が高くなる。
それでも弾薬庫内に被害を及ぼさないため、揚弾筒周辺にも結構な装甲を持つ点は日本戦艦らしい。
(バーベットを直接強化すればいいじゃないかとなるが、一応改装期間の大体が条約失効前である。しかし弾薬庫横の50mmDS+76~200mmnNVNCも水雷防御と呼ぶには少々厳しい物があり、排水量増加も3000トンを超えているのだから、重量と時間が許すのならバーベットも強化すべきだったのではと思わずにはいられない)
まとめ
まとめると、いまだに部分的という言葉を付けなければいけないが、改装後の本級は対14インチ砲防御を実現していると言っていい。
同時にそれは機関部の一部を切り捨てる形の強化内容で実現した物であるので、それを防御上どう評価するかが大きな問題となる。
少なくとも弾薬庫防御の強化は、同部位への貫通弾により少数の命中弾で爆沈する可能性を減らし、さらに格上からの攻撃に耐えるチャンスも増える。一方で機関部を破壊されて速力が落ちれば、艦隊から落伍して戦闘に参加できなくなり、水圧や電力といった動力系統の損傷から戦闘にも支障をきたすなど、沈まなくとも戦力として期待できない状態になる可能性もあるという風に、判断は難しい。
同格やそれ以下の戦力に対してはバランスを取った強化の方が確実と思われるが、やはり仮想敵を数的に勝る米英とした場合、少々尖った強化が必要だったのだろう。
一応他艦と比較すると、総合的には大改装QE級と比較できる装甲である。しかし米標準型と比較するとまだ分が悪いと言わざるを得ない。
火力や速力面については基本扶桑型と同じという事で、正直実際にそれらの艦との戦闘を想定するとなると、安全距離では米標準型に劣り、英艦が持つ15インチの破壊力には厳しいものがあると言う事で、結局前級と大して変わらない評価になるかもしれない。水中弾含む弾薬庫への一撃への防御力を生かせれば、というのは以前の艦よりも本級に期待できる点ではある。
個艦としては微妙な評価にならざるを得ないが、対14インチ防御の範囲を増していることは、対米艦隊戦において戦列を構成する上では重要な働きを見せるかもしれない。
長門型と比べると華がないかもしれないが、基本的に各国の同時期の戦艦と比較できる戦力を維持できたことは、戦艦として評価できる点ではないだろうか。
・航空戦艦について
やはり伊勢型を語る上で避けて通れないのは航空戦艦時代である。
この時点での装甲を見ると、基本的な主要区画の装甲に変化はない。航空機の弾薬並びに燃料は5・6番砲塔の弾薬庫跡に収められており(主砲塔が入っていた開口部は150mmのNVNCで蓋)、艦砲並びに爆弾への防御力を確保している。
上述した上部装甲帯撤去による装甲範囲減とそれに伴う弱点の露呈を除いて、戦艦時代と同程度の攻撃にも耐えられるだろう。(大鳳のように被弾時の衝撃でガソリンが漏れて、みたいな事を考えなければ)
火力面では主砲後部2基が撤去され門数の利点が失われた上に、中央の2基も射界が大きく減少しているが、戦艦主砲としての一発の威力は変わらない。
弱体化しているのは間違いないが、戦艦としての大口径砲と装甲を持つという事で、航空戦艦の名前に偽りはないと言えるだろう。
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本級も実戦での被害について書いてみるとして、今回は艦砲に対するものではないが、以前にも触れた呉空襲での第三砲塔への被弾について、新たに判明した事を含め述べていきたい。
戦後に呉空襲で着底した伊勢を収めた写真の中には、砲塔天蓋を爆弾がキレイに貫通した写真が残されている。(ネット上でも見れない事はないが、自分の知る限りはまともな画質は丸の伊勢型特集号に掲載)
大型の徹甲爆弾などが使われた訳でもないのにも関わらず、このような被害を受けた理由として、本ページは天蓋に表面硬化装甲を使用した事が原因だったと以前より主張している。
水平装甲にこれを使用すると衝撃の大きさによっては持ちこたえられず、割れてしまう。メルセルケビールのダンケルク被弾とともに、本被害がその証拠であると、割と公開当時から書いていたと思う。
しかし令和になってから、戦後米海軍がまとめた技術調査報告書にて詳細を確認したところ、原因の中には単純に材質によるもの以外の要因が絡んでいた事が判明した。
写真を見てもらえれば分かるように、破口は砲塔天蓋の前方、ちょうど中心線上に空いてる事がわかる。実はここは内部人員用のペリスコープがあった場所である。
このペリスコープのカバーも装甲はされていたが、当然通常の天蓋よりは防御的に弱点と言える部位となる。
報告書によると、爆弾(周囲の被害から1000ポンドGP爆弾と推定)はカバーと天蓋の継ぎ目の部分に命中。
ペリスコープは爆発で粉砕されて消失し、さらに衝撃で天蓋の装甲板から直径9インチの破片が発生。これらが砲架に直撃して主砲を動作不能に至らしめた、というのが被害の実態であった。
(また砲塔の外では、爆発の弾片により砲身に最大で深さ2インチの穴が穿たれている)
つまり単純に、天蓋の中でも構造的に弱点に近い部分への命中弾であった事が要因の一つであった事になる。
また天蓋の破穴は、失われたペリスコープと天蓋が割れた分から生じたものであって、爆弾自体は貫通していなかった点も補足として書き残しておく。
詳細を知ると今度は、今まで主張してきた「表面硬化装甲の弊害」云々は、この被害において当てはまるのか再考しなければならない。
そもそも報告書には「6-inch NC」という記述があったり、破孔周辺の装甲がやや変形している点、表面の亀裂などが確認できない点から、天蓋に表面硬化装甲らしくない要素がある点についても指摘できる。
しかしながら、被弾の衝撃で割れて破片が飛び出すという現象は、均質装甲では殆ど発生しない物で(オクン曰く)、天蓋が表面硬化装甲であった証拠として有効な物と考えられる。
また同報告書には、同じく一番砲塔のペリスコープに500ポンドGP爆弾が命中し、やはりこれを吹き飛ばして左砲の砲架に被害が生じているが、この時には天蓋の装甲自体は割れていなかった。
この二例から、衝撃の大きさによっては装甲が割れてしまい被害が拡大する、という現象が起こった事は否定できないのではと考えている。
ただし上記のような現象があっても、やはり被害の原因は被弾部位が悪かったという点の方が大きかったのは確実である。
そして普通の6インチVC鋼の天蓋に、同じ条件で1000ポンド爆弾が命中しても、ここまでの被害になるかは断言できない。(装甲の強度が落ちる端の部分だからこそ、破片が発生した可能性がある為)
この点に関しては、これまでの主張と大きく異なる点であったため、ここで訂正と共に強調しておきたい。
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長門型戦艦(改装後)
1917~18年起工 1920~45年就役
224.5m 39,130t 43,450t(公) 三年式45口径41cm砲 連装4基8門 25ノット
装甲厚
垂直装甲(弾薬庫1) 299mmVC → 274~125mmVC+25mmHT×3傾斜45度(内傾) 316~169
垂直装甲(弾薬庫2) 299mmVC → 25mmHT×3傾斜45度(内傾)→ 249~149mmVC
垂直装甲(機関部) 299mmVC → 25mmHT×3傾斜45度(内傾) 65
砲塔前楯1 299mmVC+161mmVC傾斜45度(内傾)
砲塔前盾2 299mmVC+208mmVC傾斜45度(内傾)
バーベット(露出部) 299mmVC+122mmNVNC
バーベット(艦内部)224mmVC+25mmHT → 209mmNVNC+75mmVNC
水平装甲(弾薬庫) 13mmHT×2 → 25mmHT×2+19mmHT → 125mmNVNC+25mmHT×2 ≒ 186mmNVNC
水平装甲(機関部) 25mmHT+13mmHT×2 ~ 3mmHT×2 → 25mmHT×2+19mmHT → 25mmDS+25mmHT×2 ~ 25mmHT×2 ≒ 124~96/71mmHT
砲塔天蓋 230mm~250mmVC 傾斜7度/横傾斜4~9度
上部装甲帯→甲板 あり
上部装甲帯→傾斜部 あり
船体 長船首楼型
装甲部位\艦砲 | 8インチ | 28cm | 41年式36cm | 14インチマーク7 | 15インチ | 16インチ | 46cm |
垂直装甲(弾薬庫1) | 貫通不能 | 貫通不能 ~5.5km以遠 |
貫通不能 ~10.5km以遠 |
貫通不能 ~12.5km以遠 |
貫通不能 ~16.5km以遠 |
貫通不能 ~18.5km以遠 |
5~31km以遠 |
垂直装甲(弾薬庫2) | 貫通不能 | 1km ~8.5km以遠 |
4.5km ~10km以遠 |
5km ~13.5km以遠 |
8.5km ~17km以遠 |
10.5km ~19.5km以遠 |
18.5km ~30.5km以遠 |
垂直装甲(機関部) | 5km以遠 | 17.5km以遠 | 21km以遠 |
25km以遠 | 30km以遠 | 安全距離なし | 39.5km以遠 |
砲塔前盾1 | 貫通不能 | 貫通不能 | 貫通不能 | 30.5kmまで | 28kmまで | 16.5km以遠 25.5kmまで |
安全距離なし |
砲塔前盾2 | 貫通不能 | 貫通不能 | 貫通不能 | 貫通不能 | 貫通不能 | 5km以遠 32kmまで |
2km以遠 23kmまで |
バーベット(露出部) | 1km以遠 (3km以遠) |
11.5km以遠 (13.5km以遠) |
13.5km以遠 15.5km以遠) |
16.5km以遠 (19km以遠) |
20km以遠 (23km以遠) |
21km以遠 (24km以遠) |
27km以遠 (31km以遠) |
バーベット(艦内部) | 貫通不能 | 8km以遠 | 11km以遠 | 13km以遠 | 17km以遠 | 18km以遠 | 27km以遠 |
水平装甲(弾薬庫) | 貫通不能 | 36kmまで | 30kmまで | 29kmまで | 29.5kmまで | 29.5kmまで | 29.5kmまで |
水平装甲(機関部) | 28.5km ~26kmまで |
30.5km ~27.5kmまで |
24.5km ~12.5kmまで |
24km ~12kmまで |
23.5km ~11.5kmまで |
23km ~11kmまで |
19.5km ~9.5kmまで |
砲塔天蓋 | 貫通不能 | 41km ~40.5まで |
32.5km ~32kmまで |
29kmまで | 28.5km ~29kmまで |
28km ~25.5kmまで |
安全距離なし ~15kmまで |
垂直装甲(弾薬庫1)30度 | 貫通不能 | 貫通不能 ~1km以遠 |
貫通不能 ~5.5km以遠 |
貫通不能 ~6.5km以遠 |
貫通不能 ~10.5km以遠 |
貫通不能 ~12.5km以遠 |
貫通不能 ~22km以遠 |
垂直装甲(弾薬庫2)30度 | 貫通不能 | 貫通不能 ~4km以遠 |
貫通不能 ~8.5km以遠 |
貫通不能 ~9km以遠 |
2.5km ~12.5km以遠 |
6km ~12.5km以遠 |
14km ~22km以遠 |
垂直装甲(機関部)30度 | 貫通不能 | 11km以遠 | 15km以遠 | 19km以遠 | 23km以遠 | 24.5km以遠 | 33.5km以遠 |
次に紹介するのは記念すべき?第一話ビッグセブン編でも扱った長門型。
実は次項の八八艦隊編でも計画案の流れについて触れているので、色々と内容は重複する事になってしまうが、ここでも基本的な艦の概要と装甲配置から解説していきたい。
・竣工時の本級並びに装甲配置
長門型は条約前に日本海軍が完成させた最後の戦艦であり、軍縮条約中の戦間期では最も有力な戦艦として長年象徴的な地位にあった戦艦である。
そんな本級は、常備排水量33,800tと順調に大型した船体に、既存の艦より一段階上の16インチクラス、正確にはやや大きい41cm砲を採用。これを連装4基8門搭載している。
8門というのは上述したように交互打ち方が基本である当時の砲術上ベストな門数とは言えないものの、キャリバーレースでは金剛型以来3クラスぶりにトップの座を勝ち取ることに。
また副砲は前級と変わらず14cm砲を20門搭載。上甲板上と船首楼甲板上の二層に分かれた砲郭に収められたのが特徴である。
主砲に加えて特筆すべきはその速力であり、最終的に計画速力は26.5ノットと一昔前の巡洋戦艦に匹敵する。同時期に竣工した主力艦では巡戦を除いて最も優れた速力となる。
この事から本級は、高速戦艦の元祖である英QE級に対して、主砲と速力の両方で上回る高いレベルを確保していると言えるだろう。
一方の防御面については既存の戦艦をベースにしつつも、ユトランド海戦の情報から全体の装甲配置を改正。今後予想される戦場へ適応を図っているが、その評価については後述するようにやや複雑な部分も存在する。
装甲配置を見ていくとして、まず船体は第三砲塔まで船首楼が伸びる長船首楼型。艦内の甲板は重要区画全体を通る甲板の内、最も下を通るのは中甲板となる。
よって重要区画上の甲板は、前部弾薬庫と機関部が船首楼上中の3層、後部弾薬庫は上中の2層と、既存の艦より変化している点に注意である。
垂直装甲は中甲板より若干上の高さを持つ主装甲帯が299mm(305mm)あり、重要区画全体で減厚せず。この上には上甲板までの高さに224mm(229mm)の上部装甲帯が存在する。
副砲砲郭を兼ねる上甲板以上の舷側上部、また艦首尾の水線装甲帯は本級では廃され非装甲となっている。
水平装甲は上中の2層に設けられ、上甲板が三枚の貼り合わせで合計厚70mm。中甲板は弾薬庫上51mm機関部上25mmで、両者とも合計厚76mmの傾斜部として装甲帯の下端に接続。また本級は前後部の補助装甲帯が廃された代わりに、艦首尾の下甲板水平装甲が76mmと既存の艦よりも増強。
主砲塔は前盾並びにバーベットが299mm(305mm)、天蓋水平部127mm傾斜部152mm。副砲砲郭は先述したように非装甲で、誘爆時の被害局限を目的とした仕切りのみが残る形に。
これらの部位以外で、本級では重要区画全体に76mmの水雷防御隔壁を持つのも特筆できる点である。
装甲材質は基本として垂直装甲VC、甲板の水平装甲や隔壁類がHTと以前の艦と変わりないが、一方で砲塔天蓋は新開発の均質装甲であるNVNCと表面硬化装甲であるVCの2種を使用。特に完成を急いだ陸奥では両材質が混在している。
本級の装甲配置において重量なのは、やはり上部装甲帯の一部と艦首尾の装甲帯を廃して、水平装甲の強化並びに主装甲帯最厚部を重要区画全体に拡大した点である。
これは敷島型以来続いてきた非重要区画への榴弾・中小口径弾防御を放棄した事を意味するが、その重量を用いて重要区画への防御を今まで以上に強化している。つまり以降の戦艦でトレンドとなっていく、集中防御様式へと傾いたものと指摘できるだろう。
(なお本ページにおける集中防御という用語の解釈については、補足のページにて定義付けを行っているので、詳細はリンク先で確認してもらえれば)
一方で先行する米標準型や各国の後続艦と比較すると、本級の配置は集中防御艦としては徹底を欠く部分がいくつか見受けられる。
具体的な点として、まず垂直装甲は主装甲帯のみを高い範囲まで設けるのではなく、水線部の主装甲帯とその上の上部装甲帯という2段で構成されている。さらに甲板の水平装甲も、装甲帯の上端に接続する上甲板を強化したとは言え、その厚さは非装甲規格のHT鋼3枚貼り合わせ合計70mmと、25~51mmHTの中甲板に対してそこまで隔絶した防御力を有していない。
つまり補足のページでの定義で言うと、本級は「舷側横方向の集中」には当てはまるものの、それ以外の「舷側縦方向の集中」並びに「水平装甲の集中」は不完全という事になる。
なお後述するように、陸奥の改設計案や加賀や天城といった以降の主力艦計画では、さらに抜本的な装甲配置の変更が行われ、より完成した集中防御への指向を見せている。
この事から本級の配置は伊勢型までのイギリス式の装甲配置から一歩を踏み出し、新しい装甲配置へと発展していく過渡期的な段階であると評価できるだろう。
続いて具体的な防御力については、砲塔天蓋の強化や主装甲帯の減厚部分がない点などから伊勢型以前の艦より強化された事に違いはない。
一方で水平装甲は強化されたといえ、上甲板のみで大落角砲弾を防ぐには不十分であり、貫通後炸裂した砲弾を石炭庫や中甲板で受け止める多重防御に頼る事になる。また舷側では9インチ部分の上部装甲帯が撃角が大きくとも抜かれやすいので、こちらも中甲板の水平装甲に期待しなければならないなど、先述した集中防御の不徹底な部分が防御上の弱点と言える。
これらの部位であっても、今までのように瞬発もしくは自爆してしまう砲弾に対しては一定の防御力を見せると思われるが、外側を貫通しても機能を失わない砲弾には、重要区画まで抜かれて大きな損傷を負う可能性がどうしても生じてしまう。(また「装甲配置に関するメモ」で紹介した実験では、弾片の威力も侮れないものがある事にも注意)
本級が竣工した一次大戦後はそういった性能の砲弾が普及していく時期であり(詳しくは「戦艦砲弾に関するメモ」の沿革を参照)、その中では本級の防御はやや心もとないと言わざるを得ない
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41cm砲と徹甲弾の進歩
話を攻撃面に移すと、本級の41cm砲は砲身・砲塔ともにイギリス式の14インチ砲を拡大させた堅実なものである。
また搭載門数は砲術上ベストではないが、仰角30度で最大射程30km、高所に方位盤と大型測距儀を設けた櫓型艦橋を竣工時より有するなど、今度さらに増大が予想される交戦距離に十分対応している。
使用砲弾については竣工時の時点では三年帽となるが、竣工の前後よりドイツや英国の砲弾を参考に弾体強度や自爆防止に関する改良が進められており、最終的には英ハドフィールド社の砲弾をベースとした五号徹甲弾の採用で一種の革新を迎えている。
両砲弾に関しては平賀アーカイブにて多数の実験や試算などの記録が残されており、そこから貫通力は以下のようになる。
傾斜のない垂直装甲(VC)に対して、三年帽が20kmで348mm、15kmで470mm。五号徹甲弾は20kmで380mm、15kmで510mm。
水平装甲(おそらくNVNC)に対しては両者とも20km127mm、15kmで102mm。
なお五号徹甲弾は垂直装甲へ20km270mm、15km406mmと、上記の数字よりかなり控えめな物も知られているが、そのデータは実際五号弾よりも昔の時代から確認できる物である。おそらく三年帽の別データと思われる。
これに対して、当時の交戦距離が20km以内であった事を考えると、三年帽の時点で本級の防御力は不足しているのではと思うかもしれない。
確かに数字の上ではそうなるが、今までの解説や「戦艦砲弾に関するメモ」でも述べたように 色々な部分の性能不足を差し引くと評価は変わってくる。
同ページや金剛型の解説から繰り返す事になるが、本砲弾も斜撃性能の限界(具体的には本級の主装甲帯など厚い浸炭装甲へは、20数度超えると砲弾が損傷)や、自爆する下瀬火薬、遅動式でない瞬発信管という部分が装甲目標へ有効な効果を発揮する上で不足していた点になる。
そうすると現実的な環境において砲弾は、本級の垂直装甲(9インチ部分を含む)や上甲板を抜いた時点で、炸裂するかバラバラになった状態で艦内に突入する事になり、それはそれで付近の構造を大きく破壊するだろうが、同時に内部の中甲板で受け止められば、重要区画内に損傷を与えられない事になる。
また同じく多重防御的な要素を持った他の艦の装甲に対して、数字の上では十分貫通できる距離であっても、有効な打撃を逃してしまう可能性も高まるのである。
(なお本ページでは長年、三年帽使用時の16インチ砲の貫通力を20kmで290mmとしていた。これはB62の計画時に上記試算と同じドマールの式を用いて出された数字であるが、落角に実際よりも2.4度大きい数字を用いた為この値となっている。たった2.4度でここまで貫通力が変化しているのは、一定の撃角を境に大きく性能を落とすという、この時期の徹甲弾の実態を表すものである)
それに対して五号弾は様々な改正を経た結果、まず斜撃性能は2インチ薄い装甲(つまり本砲の場合14インチ)に対して30度までに許容範囲を改善。実戦でも損傷せず抜ける範囲を増やしている。
また炸薬は自爆防止機構を盛り込んだとは言え下瀬火薬のままだが、信管は有効な遅動信管になったのも大きな進歩である。
つまり本砲弾は自爆しない限り、外側を抜くだけでなく、さらに多重防御を破って重要区画で炸裂できる能力を得たのである。この点は数字に現れる貫通力以上に実戦での効果を左右するだろう。
以上のように五号弾の採用に伴い、本級の火力は完全に防御力を上回るレベルとなり、同時にフッドやコロラド、バイエルンなど他国艦に対しても、十分有効と言える火力を手にしたと言える。
また海軍休日以降より新しい思想の元建造された艦、英ネルソン級などに対しても通用する機会を増やしているだろう。
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竣工時のまとめ
せっかく一部データがあるので、ビッグセブン編では行わなかった竣工時の具体的な比較もやってみたいが、ちょっと文量的に次の項目に回したい。
ここでは簡単な評価を行った上で、本題である改装後の防御に移りたい。
上の解説では、改善された装甲配置でも不徹底な部分が目立った事、世界最大の41cm砲とは言え砲弾性能に関する不安があったなど、ややネガティブ部分の紹介が多かったかと思う。
一方で海軍休日までに実際に竣工した艦は、より進歩した後続艦の建造中止もあって、本級と同じような欠点を何かしら抱えるものであった事も事実である。
竣工時の本級は総合的に見れば、純粋なサイズで最大級の主砲、不十分な部分もあるがそこまで劣る訳ではない防御、明確な優位を持つ速力といった要素を有している。
これらは既存の超弩級戦艦を上回るのには十分であって、海軍休日初めにおける主力艦では、米メリーランド、英フッドと共に世界最強の一角というのは間違いないだろう。
そんな本級を独力(もちろん設計思想含め技術的な部分では他国の影響を強く残すものだが)で生み出した事は、成長の果てに列強海軍の座を得たこの時期の日本海軍を象徴する業績である。
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戦間期の改装
戦間期の本級は他の日本戦艦と同じく、条約制限を上回る大幅な改装を実施。基準排水量3万9千トン程度に巨大化した状態で戦争を迎えている。
この点は予算やスケジュール、そもそもの必要性などの理由で小規模な改装に留まった近い時期の英米戦艦(コロラド、フッド、ネルソン)とは大きく異なる点だろう。
基本的な内容はほぼ他艦と同じだが、その中で機関部は例外である。当初よりギアードタービンを採用した本級は機関の全面換装を行わずに、ボイラー全基の重油専焼化で機関重量の軽減を行う程度に留めている。
結果として出力は殆ど据え置きで、最大速力は25ノット台に。攻防力の強化と比べるとあまりリソースが割かれなかった部分となる。
さらにリソースをつぎ込んで高速戦艦としていれば、二次大戦期での使い勝手はさらに増したのではとの指摘もあるが、そうすると戦艦としての戦闘力向上が犠牲になるのが難しい所である。
特に他戦艦と戦うのに必要な防御力を得られない可能性が高く、その場合艦隊決戦における主力部隊の戦力を大きく弱体化させてしまうだろう。
防御面についてはこの時期、砲弾性能の向上に交戦距離のさらなる延伸の結果として、自艦クラスの火砲への防御には計画時よりはるかに重装甲が必要と見做されるようになっている。(後に紹介する金剛代艦案が良い例である)
そのような環境では、以前より満足の行く物でなかった本級の防御力というのは、他の旧式戦艦と大差ない脆弱な物と言わざるを得なかった。
(さらに言うと仮想敵の米戦艦と比較すると、改装後の米標準型はおろかニューヨーク級にも劣るレベルである)
そこで大改装時には、機関部を控えめにした分のリソースを含め大幅な強化を実施。内容は伊勢型に近いかなりの弾薬庫重視である他、水中弾防御の追加に加えて、砲塔装甲垂直部の貼り足しが行われるなど、同級よりもさらに厳重な強化が行われた。
それでは表の結果を交えつつ改装後の防御を見ていこう。
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改装後の防御と表の解説
表の範囲はビッグセブン編とほぼ同じだが、一応ここにも
まず垂直装甲は299mmの主装甲帯含め全体に変化なし、それに対して以前の艦と同じく、貫通後の砲弾が命中する部分に装甲を追加、多重防御を強化している。
強化範囲は弾薬庫のみで、前部弾薬庫は中甲板傾斜部(25mm3枚重ね)に274mm~125mm厚を、後部弾薬庫は弾薬庫側面に249mm~149mmのVC鋼が追加された。(後者はビッグセブン編では省略)
安全距離を見ると、弾薬庫は最も薄い部分でも16インチ砲以下に対しては十分、一部は過剰な程の防御力を持っていることがわかるだろう。
一方で竣工時のままの機関部は、以前の戦艦とほぼ同じで自国14インチには許容範囲だが、弾薬庫や16インチ砲の攻撃力とは大きな差を生じる防御力である。
続いて砲塔の垂直装甲は、前盾バーベットの両方で装甲を貼り足したのに加えて、前盾の取り付け角度の変更も行われた(40→45度へ)。
これによりまず前盾は合計厚457もしくは508mmの傾斜45度になり、一枚板程の性能はないがどちらも16インチレベルの直撃に応じた防御力へ。またバーベットの最厚部も同じく貼り足しで強化されている。
なお竣工時には紹介しなかった部位である、艦内部のバーベット減厚部分にも貼り足しは及んでいる。竣工時は非常に脆弱であった(3インチ)この部位だが、これにより上部装甲帯を抜いた後砲弾が達した場合へも対応可能となった。
この部位の強化は条約で禁止されていたが、本級は条約失効後の1941年に再び改装が行われた際に工事が行われている。
同厚の装甲を有していた扶桑伊勢では実施されなかった改装であり、本級が水上戦闘における戦力として重要視されていたことを伺わせる。
続いて水平装甲。竣工時は多少優秀だったとはいえ、薄い構造鋼の重ね合わせに過ぎない各甲板の防御力不足は明らかであり、こちらも弾薬庫を中心に大幅な強化が行われた。
ここで注目すべきは、主に強化された甲板が竣工時に厚かった上甲板ではなく、その下の中甲板である点である。
これは上述したように重要区画上の甲板では最も下層に当たり、傾斜部を経て装甲帯の下端に接続している。
元々の装甲配置を考えると、防御効率や船体の防御範囲の面から、既存の上甲板を強化する利点も多かったと思われる。
しかしその場合、中甲板傾斜部による多重防御が使えずに、垂直装甲の方の強化が行えない(上部装甲帯への貫通弾という弱点も残ったままとなる)ので、こちらが選ばれたのだろう。
上の解説では本級の配置について、既存のイギリス式配置から集中防御艦への過渡期的な配置と述べたが、改装後の本級はこの水平装甲の位置から、伊勢までのイギリス式(の改装後)配置にむしろ近づいた面があったと評価できる。
具体的な防御力を見ると、弾薬庫は125mmNVNCが追加され、他の甲板含めると合計270mm付近にも達する。もちろん実際の防御力は合計厚程ではないが、自艦含む戦艦主砲による遠距離砲撃戦に十分対応したものである。
一方機関部も最厚部は、船首楼50mm、上甲板70mm、中甲板75mmの合計195mmにもなるが、すべて構造鋼であるHTやDSを貼り合わた物であるので、実質防御力はかなり微妙なものに。
さらに一部貼り足しが最小限になった部分は格下相手でも危険で、特に弱体なままの部位と言える。
砲塔天蓋は元々竣工時より有力な厚さを有していたが、改装時にさらに厚い物に貼り替えられた一方で、こちらも材質はVCである。
伊勢型までと違い、VC使用の評価が明らかになった後に採用されているのは不可解だが、こちらは平坦部でも230mmと非常に厚いため、16インチ砲に対しても有効な安全距離を持っている。もちろんNVNCの方がこの時期の艦砲へは優れるが。
また36cm砲ではペリスコープがすべて天蓋にあったのに対し、本級の改装砲塔では一部が砲塔側面に移動したのも特徴である。つまり上記の伊勢型のような状況での弱点を減らしているのも改善点と言えるだろう。
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表に載らない部分
まず上部装甲帯への貫通弾は、先述したように本級の配置の中では進歩した砲弾に対して弱点となり得る部分であった。
今更図を載せると、左図のような貫通ルートが想定される。
これに対して改装後では、弾薬庫の中甲板が水平部傾斜部共に大幅に強化されたので、この部位は自艦クラスの艦砲含めまず問題のない部位となった。
(右図がこれまた今更な改装後の弾薬庫のつもりだが、機関部の図に装甲を追加しただけの手抜き図である。船体形状など根本的な違いも多数あるので、機会があれば差し替えたい)
一方で機関部中甲板は微強化に留まっており、戦艦主砲弾が形状と余勢を保ったまま直撃した場合の防御として有効とは言い難い。
通常の水平装甲と同じく、弾薬庫とは対照的に格下相手でも弱点となり得る部位のままである。
煙路防御は伊勢型と同じく装甲は追加されず。グレーチングと周囲の弾片防御程度で直撃弾には対応せず。
水中弾防御に関しては、弾薬庫横の水雷防御隔壁(25mm×3)もしくはその背後の弾薬庫側面に装甲を追加。
最厚で垂直274mm~149mm、最薄も上図で少し描かれた湾曲部107mm(+元の隔壁)と、伊勢型以上の厚さを持つ部位が多い。直撃弾へも有効な防御力を持つと思われる。
また水雷防御隔壁は機関部横にも存在し、場合によっては防御効果もあると思われるが、同じ構造を持つ土佐への実験からも分かるように、勢いを残した砲弾が直撃した際には対応できない程度である。
最後に本級もまた、バルジによる浮力喪失の多さや、主な水平装甲が水線付近の低い位置になった事での防御範囲に関する点という、他の改装戦艦と同じ問題を有している。
加えて本級は艦首尾の装甲帯を廃している分、この範囲の防御範囲は他改装艦(同じく艦首尾装甲帯を撤去した伊勢型を除く)よりさらに劣る。
一方で上甲板70mm装甲の存在は、小型の非徹甲爆弾などに対する非重要区画の防御範囲拡大に繋がると思われる。
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まとめ
改めて見てもピーキーとしか言いようがない。18インチに耐える部分もあれば14インチ相手でも怪しい面もあるが、それでも砲塔装甲の強化含め、総合的には日本の改装旧式戦艦中最も優れた装甲である。
弾薬庫重視はともかく、一部過剰な部分は機関部の装甲に回せなかったのかと疑問に思うかもしれないが、これは弱点である上部装甲帯貫通弾への対応が含まれるので仕方がない。
主となる水平装甲が中甲板になった事も同様の理由であるので、元々の過渡期的な装甲配置や条約における制約が、結果として改装後の歪な防御力に繋がった面もあると言えるだろう。
火力面では主砲も普通に16インチ砲艦相応という事で、貫通力の面では14インチ砲艦より大きく進歩。
米標準型やQE級のみならず一部新戦艦に対しても、主に決戦距離における垂直装甲への有効性を大いに向上させている。
そして具体的な戦闘力は、やはり伊勢型と同じく弾薬庫と機関部の極端な差をどう評価すべきかに左右されるだろう。
もし敵戦艦と一対一で、お互いが沈むまで砲撃戦をするのならば、間違いなく旧式戦艦中最も強力な艦の一つである。
一方で機関部の防御が現実的な戦場でネックとなる恐れも十分に考えられる。米戦艦との艦隊決戦で敵14インチ砲艦の集中砲火を受け、早々に落伍する本級の姿なんてものは見たくはないが、防御力的に可能性としては有り得るだろう。
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時期的に新戦艦編に入れないのは当然だが、少々もったいないので他の新戦艦が持つ艦砲を表を追加してみる。
装甲部位\艦砲 | 45口径38cm (リシュリュー) |
50口径15インチ (リットリオ) |
47口径38cm (ビスマルク) |
45口径16インチ (NC) |
50口径16インチ (アイオワ) |
垂直装甲(弾薬庫1) | 貫通不能 ~23km以遠 |
1km ~26.5km以遠 |
貫通不能 ~17.5km以遠 |
貫通不能 ~20km以遠 |
貫通不能 ~24.5km以遠 |
垂直装甲(弾薬庫2) | 14km ~24.5km以遠 |
17km ~28km以遠 |
11km ~19.5km以遠 |
11.5km ~21.5km以遠 |
16km ~27km以遠 |
垂直装甲(機関部) | 38km以遠 | 39.5km以遠 | 30.5km以遠 | 32km以遠 | 38km以遠 |
砲塔前盾1 | 1km以遠 30kmまで |
2km以遠 34kmまで |
1km以遠 33.5kmまで |
安全距離なし | 安全距離なし |
砲塔前盾2 | 35.5kmまで | 1km以遠 38.5kmまで |
貫通不能 | 1.5km以遠 28kmまで |
10km以遠 28kmまで |
バーベット(露出部) | 24km以遠 (27.5km以遠) |
24.5km以遠 (28.5km以遠) |
21km以遠 (24km以遠) |
21.5km以遠 (25km以遠) |
27km以遠 (31km以遠) |
水平装甲(弾薬庫) | 33.5kmまで | 35.5kmまで | 32kmまで | 26kmまで | 29kmまで |
水平装甲(機関部) | 26.5~12.5kmまで | 27~13.5kmまで | 26~13kmまで | 20~9kmまで | 21~10.5kmまで |
砲塔天蓋 | 30km ~33kmまで |
30km ~33.5kmまで |
33.5kmまで | 23.5km ~20kmまで |
25km ~20kmまで |
垂直装甲(弾薬庫1)30度 貫通不能~18.5km以遠、貫通不能~16.5km以遠、貫通不能~12.5km以遠、貫通不能~13.5km以遠、貫通不能~18.5km以遠
垂直装甲(弾薬庫2)30度 10~21km以遠、7.5~19km以遠、4.5~14.5km以遠、6~15.5km以遠、10~20.5km以遠
垂直装甲(機関部)30度 30.5km以遠、29km以遠、23km以遠、26km以遠、32km以遠
新型戦艦相手でも一部はさすがの防御力だが、米新戦艦相手では砲塔防御がやや足りなくなってくるほか、弾薬庫すら薄い部分は遠距離から貫通される可能性もある(特に後部弾薬庫)。
機関部の装甲がほとんど意味をなさないこともあり、全体の防御力は決して強力なものとは言えないだろう。
それでも長門型の16インチ砲が十分通用する相手、米ノースカロライナ級などには対抗できるか。
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八八艦隊編(長門以降の八八艦隊計画艦について)
大幅改稿中
ここでは第二次大戦に参加した旧式戦艦ではなく、ワシントン条約で未完成となった八八艦隊計画艦について一通り扱っていきたい。
表は実際に建造予定であった案を中心に作成するが、それ以外の研究案も非常に興味深い装甲配置の変遷をたどっているので、これ見ていく上で詳しく取り上げる予定である。
具体的にはだいたい上図のような変遷となる。以下の解説で参考(クリックで拡大推奨)にしてもらえれば。
なお上図の中段左に「A115~A123」という記述があるがこれは誤りで、実際は「A115~A122」が正しい(そしてA123は上段中に加わる)。現時点では画像を修正できていないのでここで訂正したい。
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長門型
まず未成艦の前に前に長門型の補足とおさらいをすると、同級の計画では1916年の4月頃にA110案と呼ばれた案が初期案として採用されていた。
この案の時点で排水量32,500t、16インチ(41cm)砲8門、24.5ノットと、この時点で16インチ砲搭載の高速戦艦というコンセプトを確立している事が分かる。
一方で装甲配置は最終案と異なり、伊勢型以前の艦の特徴を大きく残す物であった。
詳しく見ていくと、船体形状は最終案と同じ形。その為甲板の高さが伊勢型までと比べると一段分ずれているので注意である。
まず垂直装甲は重要区画間にて、中甲板近くまでに12インチの主装甲帯を配置。この上には上甲板までに6インチ、さらに副砲砲郭(本案はここに全門を搭載)の範囲で船首楼甲板までに4インチの上部装甲帯が設けられる。また艦首尾にも厚さ4インチの補助装甲帯あり。
水平装甲は重要区画間では船首楼甲板と中甲板の2層からなり、前者が28mm、後者は水平部25mm、傾斜部70mmを経て装甲帯下端に接続する。重要区画外では中甲板19mm、下甲板38~51mmの2層が設けられる。
主砲塔はバーベット12インチ以外不明。この厚さから前盾も最終案と同じと思われる。また3インチの水雷防御隔壁はこの時点で確認できる。
使用材質は垂直VC、水平並びに水雷防御隔壁は上記の範囲ではHT鋼である。
これは伊勢型と比較すると、中甲板~船首楼甲板の範囲で上部装甲帯が2インチ減厚し、代わりに主装甲帯が重要区画間全体で12インチを維持し、中甲板傾斜部が増厚、新たに水雷防御隔壁を獲得した形になる。
(なお上部装甲帯の減厚は、英海軍でもQE級からフッド以前に計画されていた高速戦艦案など、近い時期に進んでいた事が確認できるが、関係は不明)
対弾防御としては主に主装甲帯やそれを抜いた砲弾への多重防御が強化されたが、上部装甲帯が大口径弾に対して抜かれやすくなったのがマイナス点である。
貫通後の砲弾が機能を保って突入した場合、そのまま中甲板を抜いて重要区画へ大きな損傷を与えかねないが、一方で先述したような信管性能を考えると当時の環境でも許容範囲とも考えられる、
未だに薄板2層式に過ぎない水平装甲も同様の評価である。
本案は同年5月のユトランド海戦の情報から改正が決定され、8月までに「a」から「d」の四案が作成されている。
(なおこの作業から、これからの日本艦艇に絶大な影響を与えることになる平賀譲造船中監(当時)が設計で大きな役割を果たす事になる)
その中では「b」案を除く3案で26~27ノットとさらなる高速化が。加えて装甲配置についても「a」案以外の3案で改正が行われた。
ここでは副砲防御を兼ねる上部装甲帯の4インチ部分を完全に廃止し、加えて艦首や艦尾の装甲帯も4インチから2インチに削減。浮いた重量で残る上甲板までの上部装甲帯と上甲板の水平装甲を強化。最終的に選ばれた「c」案では前者が10インチ、後者が3枚合計70mmHTとなっている。
この「A110c案」をもとに作成されたのが「A112案」であり、艦尾の装甲帯を完全に廃し上部装甲帯が9インチに減厚。中甲板の傾斜部が75mm弾薬庫のみ水平部も51mmに増厚など、細かい変化を経て最終案の装甲配置として採用されるに至っている。
(なおこの後も他の改正などで正式な最終案は「A114案」となるようだ)
その装甲配置については上で触れているが、艦首尾装甲帯や上部装甲帯の一部など装甲範囲を犠牲に、重要区画間での水平装甲の強化などを行い、いわゆる集中防御への指向が見て取れるものである。
それは当時の環境において、既存の日本戦艦より進歩した配置であるのは間違いないが、一方で米海軍がネヴァダ級建造に際に行ったものと比べると十分な改正とは言い難い物であった。
具体的には未だに主装甲帯よりも薄い上部装甲帯を残す点、そして水平装甲が強化されたのは間違いないが、HT鋼を重ねる旧来の方式で厚さ程の防御力を発揮できない点が挙げられる。
そもそも計画の遅延を防ぐために大幅な改正が行えなかったと言うこともあり、以降の案ではこれらの弱点を克服する為、その装甲配置は大きく変化していく事になる。
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竣工時の比較
次は予告していた通り、竣工時の安全距離であったり同時期に竣工した戦艦(ここでは米コロラドと英フッド)相手の比較を行いたい。
今回はNAaBではなく当時の貫通力曲線の値、もしくは試算時のFMを用いて管理人がドマールで安全距離を算出する。一応元資料は補足のページで挙げてるのでそちらを参照。
まず主装甲帯(バッキング含む)は三年帽に対して21km、五号弾は24kmで均衡、当時想定された交戦距離が10km前半から20kmであるから、その全域で貫通される事になる。なお上部装甲帯は安全距離なし。
ただし三年帽は撃角的にこの距離で弾体強度が既にギリギリなので、実戦において横方向の角度が少しでも加われば安全距離は大きく改善する。
表と同じく30度角度付いた場合にて計算すると、三年帽への安全距離は16kmに。想定距離内である程度の安全距離を得たのに加え、この場合は常に撃角が30度を超える事から、更に近距離でも砲弾が損傷して中甲板で止まる可能性も増しているだろう。
一方で五号弾は30度でも19.5kmとかなり遠距離で均衡する上に、この条件でも弾体強度の許容範囲内で、損傷せず突入する事も十分に考えられる。この条件でも安全距離を持てないのはかなり厳しいと言わざるを得ない。
さらに上部装甲帯はこの条件でも三年帽24km、五号弾へは未だに安全距離なし。厚さ的に砲弾を損傷されないまま突入を許すので、自爆してくれない限りかなり危険な部位である。普通に14インチ砲以下の格下相手でも弱点になるだろう。
残る部位を見ていくと、まず砲塔前盾は両種共に安全距離なし。舷側と違い横方向の角度が加わるとは限らない事から、垂直装甲の中でも相対的に弱体な部位となる。
バーベットも主装甲帯と同厚だが、こちらは曲面次第である。
水平装甲は表と同じく一枚板換算並びにHT鋼である事を加味して計算したが、弾薬庫12km、機関部10kmまでとかなり厳しい結果に。一層目を抜いた直後に炸裂・自爆するとしても、二層目(特に機関部25mm)を破られて、かなり近距離でも損害が生じる事もあるだろう。
天蓋は水平部5インチは20kmと有効だが、撃角が深くなる傾斜部6インチ部分は15kmまでと(当時の射撃実験とは異なり)かなり減少した。
自艦主砲に対してはやや厳しい結果となったが、比較相手が搭載する20年代初頭の米16インチや英15インチに対する防御はどうなるだろうか。
両者の砲弾については「砲弾メモ」でも一部述べたが、米海軍については おそらく三年帽と大差ない性能(炸薬は鈍感だが自爆防止は不十分、信管性能に不安があるのも同じ)と推測される。
一方で英戦艦が用いたグリーンボーイは5号弾の元となった砲弾に相当する物で、性能も近いと考えられる。
両者に対しては主要区画の装甲は砲塔天蓋、また横方向の角度によっては主装甲帯やバーベットと言った部分が許容範囲になる程度(あと砲弾自爆してくれた場合も)で、あらゆる部分が防御力不足になる事は避けられない。
最後にこちらの砲弾が相手に通用するかを含め、優劣を簡単に比較してみよう。
まずコロラド級は明らかに本級を上回る防御力を持っている。特に砲塔前盾が非常に厚く、天蓋も有効な厚さなのに加えて、主装甲帯やバーベットも三年帽の弾体強度では実戦環境で通用するか怪しい部分である。
つまり殆どの部位の安全距離で本級の不利は避けられないが、水平装甲のみ例外である。この部位は配置や使用材質こそ本級より先進的だが、防御力自体は本級の弾薬庫と大差ない物に過ぎない。
この部分へは交戦距離の大半で十分打撃を与える事が可能で、特に本級の優速を生かせれば遠距離戦闘にて勝機があるだろう。こちらの防御が不十分である事は変わらないので、どの距離でも大きな被害を覚悟する事になりそうだが。
そして五号弾行進以降の20年代後半においては、信管の改善で水平装甲から重要区画内まで達する可能性を増すだけでなく、主装甲帯を決戦距離で満足に抜く事も可能になる。
殴り合いで良い勝負になるとすれば、こちらの時期になるだろうか。
続いて英フッドは主装甲帯や砲塔前盾こそ本級を上回る防御力を有しているが、同時に本級と同じかそれ以上に弱点を持つ艦である。
上部装甲や水平装甲から重要区画に達するルートは、三年帽でも自爆しないかぎり本級の主砲が十分通用する部位となる。(こちらも五号弾ならさらに確実に有効打を与えられるが)
速力の優位を持てないのに加え、同じく本級の防御も15インチ相手に通用しないのが難題であり、戦うとなるとこちらも覚悟が必要だろう。
結局は上で先にまとめたように、どの艦も相手の主砲に対して弱点を持つ状態であり、安全距離の面で明確な優劣は断言出来ないというのが穏当な所である。
その上で本級が竣工した艦の中では最強の一角というのは間違いないと思われるが、20年代後半には英国でネルソン級が登場する。
ビッグセブンにまとめられつつも実際は世代一つ分違う同級と殴り合うとなると、やはり改装後でないと厳しい。(実戦なら同級が初期に見舞われた不具合や射撃精度の面で、どれだけ本級が挽回できるかが課題か)
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4万5千トン巡洋戦艦案
長門型以降で最初に資料が残るのは、1916年9月から10月にかけて検討されていた、「4万5千トン巡洋戦艦案」とも呼ばれる案である。
本案は「Ⅰ」から「Ⅳ」の4つが作成され、実は排水量は40,430tから44,500tと4万5千トン以下ではあるものの、英フッドを超えるこれまでにない規模の大型巡洋戦艦となっている。
全案とも武装は長門型と同じ41cm砲8門、14cm砲20門。加えて速力は34.5から35ノットと言う異常な数値が計画されている。
この時期には米海軍がレキシントン級に繋がる35ノットの偵察巡洋艦・巡洋戦艦を研究していた時期である事から、同級へ対抗した物と思われる。
機関は(II並びにIV案の一室を除き)すべて重油専焼缶を採用。出力は一番小型の「Ⅱ」案でも既存艦の2倍以上の18万6千馬力、大型の「Ⅲ」案に至っては21万5千馬力と、実際に建造された戦艦ではアイオワ級のみが実現した数字に。
284mから295mmという全長を含め、建造はコストや技術的に難しい面があった事が予想される。そもそも長門型や後の艦の設計案と違い計画番号を持たない事から、今後の設計のための研究用としての要素が強かったのかもしれない。
装甲配置を見ると、まず船体形状が変化し平甲板型に。よって重要区画上の甲板は上中下にシェルター甲板(船体中央のみ)の3~4層となっている。
垂直装甲は重要区画間のみに設けられ、中甲板の高さまでの主装甲帯のみに。それより上の舷側は副砲砲郭含め非装甲。厚さは「I」「II」案が9インチ、「III」「IV」案が12インチ。
重要区画間の水平装甲は主装甲帯の上端に接続する中甲板と、傾斜部を経て下端に接続する下甲板の二層。前者は全案とも70mm。後者はまず水平部が「I」「II」案で弾薬庫1.5インチ機関1インチ、「III」「IV」は弾薬庫2インチ、機械室1.5インチ缶室1インチ。傾斜部は全案とも3インチ。
重要区画外には艦首で第一船倉甲板に3インチ、艦尾は下甲板に水平部2インチ傾斜部4インチの水平装甲も施される。
砲塔前盾並びに天蓋は不明、バーベットは一四番砲塔12インチ、二三番砲塔10インチ。重要区画間には水雷防御隔壁3インチ、機械室横のみ4インチ。
装甲材質は長門と同等。
以上のように大まかな配置は長門型をベースに一部増減がある物だが、一か所非常に重要な進歩が確認できる。
本案の垂直装甲は長門型までのように、主装甲帯とより薄い上部装甲帯からなるのではなく、主装甲帯のみを高い位置(長門型であれば上部装甲帯の上端に相当する)まで配置している点である。
これは本ページが集中防御の定義の一つとして論じた、「舷側縦方向の集中」を満たしている事を意味している。
また本級はこれによって、主装甲帯とその上端に接続する水平装甲による装甲区画が主な防御を担い、それよりも上部は非装甲として同区画に装甲を集中するという、米ネヴァダ級に酷似した装甲配置を獲得している。
同級と比較すると「水平装甲の集中」具合ではやや劣るが、本ページにおける集中防御の定義を満たす最初の日本戦艦案だと評価できる。
またこの変化で上部装甲帯を完全に廃止した事は、長門型が有していた装甲配置に起因する弱点の一つを解消した事を意味している。
これにより長門型と同厚の主装甲帯や水平装甲などを持つ「III」「IV」案については、全体の防御力も同級に対して同等以上と評価できるだろう。
先述した通りその程度では自艦の16インチ砲に対して十分とは言い難いが、(最終的に建造が予定された巡洋戦艦案と同じく)戦艦並の防御を持つ高速戦艦的な指向を見せた案と言える。
A115~A118案
これ以降の戦艦案としては、同年10月頃にはA115からA118の四案が作成される。(同時期には巡洋戦艦案も提出されているが、こちらは加賀型まで解説した後で扱いたい)
排水量34,700tから39,400tのこれらの案は、武装は長門型と同等だが、A115・116が30ノット、A117・118が32ノットと、これまた既存の戦艦を上回る実質高速戦艦と言うべき案である。
防御面を見ると船体は平甲板型で、各部位の装甲範囲、厚さなどは4万5千トン巡戦案に近い物である。
(なので部位ごとの列挙は省略したいが)同案から装甲配置の性質を大きく変える変更点として、日本の戦艦案として初めて傾斜装甲が導入された。
これにより全案とも9インチ厚の主装甲帯は、垂線に対して25度の傾斜を持ち、水雷防御並びに安定性確保の為に突き出したバルジの上端まで設けられる。またこのバルジ上面には逆方向に傾斜した6インチ装甲が装甲帯に接続している。
(この他にも一部装甲厚の相違点として、中甲板の水平装甲が3インチと若干増厚、下甲板傾斜部は機関部で2インチに減厚、そして艦尾水平部が3インチに。またバーベットは全砲塔共に12インチに)
傾斜装甲の導入については、1916年の時点で日本海軍も英フューリアスの舷側が傾斜している事に気付いていたが、その効果についてはよく知られていなかったようだ。
そんな中横須賀工廠造船部長の山田佐久造船大監(後に造船中将)の呼びかけにより、亀ヶ首にて実射試験が行われ採用に至っている。
山田大監は1912年頃から傾斜装甲についてのアイディアを有していたそうで、また水平装甲でも上層で敵弾を破壊し下層を破片を受け止めるという、より積極的な防御方式の導入を同時に意見していた。この2点は後の計画案の配置で特に重視される点となっていく。
この部位の均衡距離は通常時三年帽19km、五号弾21km。30度横方向の場合は三年帽16km台、五号18kmに。
素の装甲厚こそ9インチと薄く、それは砲弾を砕く能力を低下させ逆に砕かれやすくなる事を意味しているが、上の条件では傾斜の効果で直立した12インチ装甲よりも防御力は上となった。
なお傾斜装甲の導入は防御上の利点とは別に、船体が逆三角形状になる事で安定性の減少、同じサイズの装甲帯と比べて高さを減じる点が欠点として知られている。
この問題については上述したように、船体水線下をバルジが突き出した形状へ変更し、装甲帯下端に接続する6インチ装甲の追加が対策となる。
傾斜装甲に次いで重要な点として、煙路防御用の装甲を設けたのも本案の一部(A116並びにA118)が最初である。
これは中甲板からシェルター甲板の高さで煙路を囲う6インチの台形上の装甲、そして煙突基部の9インチ円筒装甲によって構成されている。
上部装甲帯を廃した艦は、装甲範囲的に煙路など甲板の開口部に砲弾が直接命中する可能性を増すが、長門型の時点では周囲に弾片防御程度を設けるだけで、そういった直撃弾に対応する事は出来なかった。
それが本案より(船体装甲よりも弱体ではあるが)一定の防御力と広い範囲をカバーする装甲を設けたのは防御上重要な進歩である。
以上のように傾斜装甲と煙路防御(一部案のみ)の導入を行った本案は、英巡戦に匹敵する高速力を持ちながらも、総合的な防御力も(自艦に対して十分かはともかく)長門以下既存の艦を上回る高速戦艦と言えるだろう。
A119~A122案
さらに続く119から122の4案は、排水量38,400t~43,500tとさらに大型化。こちらは装甲配置や速力は115~118と同じ物だが、主砲41cm砲を4基8門から5基10門に強化している。
これは扶桑型の解説でも述べたように、交互打方を基本としていた当時の日本海軍では、損傷や故障、装填作業の遅れに伴う使用可能門数の減少を考えた場合、5基10門艦の方が実戦で有効な斉射門数を維持出来ると考えられた事に拠る。
砲塔配置は既存の艦が持つ前後背負い配置の4基に加え、後部艦橋の後ろ、艦内で言うと缶室と機械室の間に後ろ向きで1基を追加するという、後の加賀型でも採用される方式がこの時点で見られる。
A123~124案
ここまでは計画の進行と共により強力な戦艦案が作成されているが、翌17年始めに提出されたA123、124案、A124''の3案は、36,600~38,800tと一転して規模を抑えた案となっている。
これらは様々な新要素を導入した上述の戦艦案とは別系統の、長門型の直接改良版と言うべき物であり、船体は同級と同じく長船首楼型、装甲配置や厚さもほぼ同様な物に逆戻りしている。(唯一の変更点としてA124を除き煙路防御が設けられた)
加えて速力も27ノットと以前の30ノット超から長門型に準ずる物へと引き下げられたが、主砲は119案等と同じく5基10門に強化。同じく上記砲術上の利点を確保した形になる。
これらの案は戦力としてはA115からA122に劣ることは否めないが、長門型と比べれば着実に強化された点を持つ艦ではある。
30ノット超えの高速戦艦となると建造費や技術的な問題を抱えうるものになり、それらと比較する為により実現性の高い案として作成されたのだろう。
A125(陸奥変体)
17年6月に作成されたA125は陸奥変体の名前で知られるように、予算の都合で長門よりも建造が遅くなった陸奥を新設計で完成させるべく作成された案である。
同案は排水量33,800tと長門型と同じ規模の艦ながらも、A122案までに導入された新要素や重要区画の短縮などの方法で、大きく戦闘力を上げる事を狙っている。
まず船体は平甲板型となり、主砲は連装5基10門(配置は船体後部で3基がピラミッド配置をとる)を搭載。8門案よりも砲術上の利点を確保している。一方で副砲は14cm砲16門とやや削減。
速力面では機関室長を既存の案よりも大きく削減。重量軽減を図りつつも、ここに同出力8万馬力の機関を詰め込んで26.5ノットを維持している。
装甲配置についてはA115からA122に採用された物に近い物を採用。垂直装甲は25度の傾斜を持つ主装甲帯のみで、上部並びに前後部は非装甲。
(以前の案の様に装甲帯の下端からバルジを設けるのではなく、バルジが装甲帯の下半分くらいを覆う形に、それに伴いバルジ外板にある6インチ装甲も廃されている)
驚くべきは厚さであり、本案は以前の案のような9インチではなく、長門型と変わらない12インチに増厚している。
それ以外の水平、砲塔、煙路、水雷防御隔壁などの部位は長門型と同等。唯一弾片防御用の甲板傾斜部76mmHT(1インチ三枚)の傾斜角が35度内傾とやや変化している。
当時の16インチ砲に対する主装甲帯の均衡距離は、三年帽15km、五号弾16.5km。そして30度横方向の角度が付いた際にはそれぞれ12km、13.5kmとなる。
a122までをさらに上回る防御力となり、当時想定された10km台という交戦距離でも有効な物を確保していると言えるだろう。
特に以前の9インチ装甲よりも厚さを確保した事は、砲弾によって叩き割られることなく、逆に貫通されたとしても砲弾側を損傷させる確率を上げるという意味で重要である。
実際この装甲を模した17年の試験では、距離12kmで16インチ三年帽に抜かれているが、砲弾を損傷させる事には成功している。
そして弾体強度を大きく向上させた5号弾でも、想定距離で30度を大きく超える撃角になる事からその限界を超える可能性が高い。つまり上記の均衡距離より近距離での被弾でも、砲弾を損傷させた上で背後の弾片防御で受け止めるという方法で、重要区画への損傷を防げる可能性も十分あると考えられる。
一方で上述のように砲塔防御や水平装甲は竣工時の長門型より変わらず、煙路防御も有していないので、これらの部位は相対的に弱体なままである。
建造のさらなる遅延や戦艦2二隻セットでないと運用し辛い点などが問題で採用には至らなかった同案だが、長門型より強化された艦であるのは間違いないだろう。
特に垂直装甲の防御力向上は、仮に条約期以降に保持された場合もこの部分の防御力不足に悩まずに済む事を意味している。その場合、装甲に関する改装は甲板傾斜部への貼り足しを行わないなど、現実の長門型とは大きく異なる内容になると予想される。
(なお本案は機関部という、元の長門型にあった無駄をそぎ落として性能向上を図った艦なので、逆に言えば改装時には余裕となる部分が少ないという面もあるが)
まあそもそもの話として、採用していればワシントン会議で未成艦として廃艦になる未来も見えるので、結果として不採用で正解だったのだろう。
参考までに垂直装甲のみ表を
垂直装甲 | 2km以遠 | 11.5km以遠 | 13kmまで | 15kmまで | 17kmまで | 20kmまで | 24.5kmまで |
この部分は二次大戦期の16インチ砲にも対応しており、新戦艦並みとも言える。もっとも他の部位は話にならないので、この時代の艦としてはやはり要改装。
A126
ここから新型戦艦案に戻るとして、A126は翌18年の初頭に提出され、砲塔配置を変更したaからc案を加えた4案が存在する。
これらは全て排水量3万9千トン台と4万トン以下で、主砲5基10門や副砲20門は据え置きだが、速力は30ノットではなく26.5ノットに抑えられている。
そして最大の変化として再び装甲配置を改正。次の計画案であり、最終的に加賀型の原案として採用されるA127に繋がる配置がここで確認できる。
具体的に見ていくと、船体は平甲板型で重要区画上の甲板は上中下の3層、部分的に中央楼が加わって4層になる。
垂直装甲は中甲板までの高さに11.5インチの主装甲帯のみを設け、それ以外の上部舷側並びに艦首尾はほぼ装甲を持たず(B案以外は数m程度だが、前後砲塔間の外側にも主装甲帯が高さを減じつつ続くのが特徴である)
また主装甲帯は水線上では15度の傾斜装甲として取り付けられるが、水線下では湾曲して12~10度程度と若干傾斜角を減じる形となっている。
水平装甲は重要区画上では中甲板と下甲板の2層に主に設けられ、前者が合計4インチ(64mmVNC+38mmHT)、後者は水平部が弾薬庫2.75インチ(38mmHT+32mmVNC) 、機関部1.75インチ(44mmHT)、外側では共に3インチ(38mmHT+38mmVNC)の傾斜部となって、装甲帯の下端より延びる水雷防御隔壁の途中に接続している。
また重要区画外の水平装甲としては、艦首は第一船倉甲板、艦尾は下甲板に装甲が施される。厚さは前者が2.75インチ(70mmHT)~4.75インチ(70mmHT+51mmVNC)。後者は水平部が4.75~4インチ(70~51mmHT+51mmVNC)、外側は5.75~5インチ(70~51mmHT+76mmVNC)の傾斜部となる。
砲塔防御、水雷防御隔壁は長門型と同等。煙路防御は8から6インチの装甲が艦内部の煙路周囲に施される。
装甲材質は垂直装甲は基本VCだが、 上でも表記したように、水平装甲はHTに加え均質装甲であるVNCが部分的に用いられている。
(その為本案の一部資料では、装甲規格の鋼材を用いた部分はインチ表記、HT鋼使用部分はポンド(lbs)と表記を分ける例も見られる)
この新たな配置の特徴としては、第一に(重要区画の内外で)水平装甲の明確な強化が挙げられる。
その中で材質も変化し、既存のHT鋼のみを重ね合わせる方式から、均質装甲が大きな割合を占める物へと変化。単純な厚さ以上に防御力を強化している。
なおこれまでも、砲塔や司令塔の天蓋として装甲規格の鋼材を用いる例は見られたが、これを普通の甲板装甲として大規模に使用したのは、確認できる限り日本戦艦では本案が最初である。
統合的な防御力は均質装甲の使用で先行する米露戦艦と比べても、合計厚や均質装甲の厚さ両方で勝っており、1918年当時では最も強力な水平装甲を持つ案となる。
また装甲帯の上端に接続する中甲板が主な装甲甲板として強化されている事は、装甲区画の上層の甲板で砲弾を反らすか破壊するという、山田中将が主張した「より積極的な水平防御」へと一歩を進めた物と評価出来る。
そしてもう一つの変更点は舷側装甲帯の傾斜角が減少し、A115以降の25度から15度になった点である。
25度という傾斜装甲は他国の計画案でも存在したが、実現した例は皆無であり、たとえ防御力が優れても、船体形状や重量効率の面で不利な点があった物と考えられる。
また本案は、対弾性能低下の代わりとして25度傾斜の案よりも装甲帯の高さ(深さ)を増して、防御範囲の拡大に成功している。(高さは本案の17.9フィート(約5.5m)に対して25度傾斜艦は水線下の6インチ部分含めても15フィート(約4.6m)。なお長門型は9インチ上部装甲帯の範囲が大きいので、主装甲帯のみだと水線下の6~3インチ装甲帯を含めても11.5フィート(3.5m)である)
なお装甲帯の傾斜角が水線下で変わるのも、少しでも防御範囲を稼ごうと言う工夫の一つだと思われるが、装甲製造の面では面倒な工夫と言えるだろう。
それでは当時の16インチ砲への安全距離など、具体的な防御力はという話だが、それについては結局同程度の防御力を持つ艦となり、実際に建造される予定であった加賀型の解説(今後改稿予定)で行いたい。
編集中
改稿現時点でここまで。以下の項目も順次変更予定
:
加賀型戦艦
1920年起工 戦艦としては未完成
234.1m 39,900t(常) 三年式54口径41cm砲 連装5基10門 26.5ノット
装甲厚
垂直装甲 274mmVC+18mmHT傾斜15度 → 38mmHT×2傾斜25度(内傾) → 13mmHT
砲塔前盾 305mmVC傾斜40度 内傾69
バーベット 299mm
水平装甲(弾薬庫) 12mmHT+10mmHT →64mmNVNC+38mmHT → 32mmHT×2 ≒ 123/97mmNVNC
水平装甲(機関部) 16mmHT→12mmHT+10mmHT →64mmNVNC+38mmHT → 38mmHT ≒ 116/102mmNVNC
砲塔天蓋 152mmNVNC 水平~傾斜7度/横傾斜4~9度
上部装甲帯→甲板 なし
上部装甲帯→傾斜部 なし
船体 平甲板型
装甲部位\艦砲 |
8インチ |
28cm |
41年式36cm |
14インチマーク7 |
15インチ |
16インチ |
46cm |
垂直装甲 | 4km以遠 | 15.5km以遠 | 18km以遠 | 21km以遠 | 23.5km以遠 | 25.5km以遠 | 33km以遠 |
砲塔前盾 | 1km以遠 | 13km以遠 | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし |
バーベット | 5.5km以遠 (7km以遠) |
16.5km以遠 (19.5km以遠) |
20km以遠 (23km以遠) |
24km以遠 (27.5km以遠) |
28.5km以遠 (安全距離なし) |
30km以遠 (安全距離なし) |
37km以遠 (40km以遠) |
水平装甲(弾薬庫) | 貫通不能 | 31.5kmまで | 26kmまで | 25kmまで | 24.5kmまで | 24kmまで | 14.5kmまで |
水平装甲(機関部) | 貫通不能 | 29.5kmまで | 23.5kmまで | 22.5kmまで | 21.5kmまで | 20.5mまで | 16kmまで |
砲塔天蓋 | 貫通不能 | 34km ~30.5kmまで |
28km ~24.5kmまで |
27.5km ~24kmまで |
27.5km ~23.5kmまで |
27.5km ~23kmまで |
26.5km ~20.5kmまで |
垂直装甲(30度) 1km以遠、10.5km以遠、13.5km以遠、16km以遠、19km以遠、21.5km以遠、28km以遠
防御様式の特徴と言っても上の解説と重複することになるが、当時の徹甲弾に関する防御含め書いていきたい。
といっても本当のA126からの変更点はあまりないのだが、一部部位の厚さや材質の変化、そして重要区画外の装甲配置が改正されている。
まず主装甲帯は同じ程度の高さを持つ15度傾斜装甲だが、厚さは11インチ(440lbsだと274mm)に減厚。
その他には、A126では水線下の範囲で傾斜が12~10度程度とやや浅くなって、A127の防御配置図でもこれが確認できるが、最終案では見られない。
裏に控える傾斜部は角度が25度内傾と大きく変わっているが、これは先述した傾斜部の試験の結果から、装甲帯と傾斜部の間をなるべく広くとって、
装甲貫通時に発生した弾片の威力を減衰させる意図もあったようだ。
材質も38mmのHT鋼二枚重ねに変更されているが、厚さ自体は大差ないので、普通に装甲帯を貫通した砲弾が命中した場合の効果は薄い。
その為安全距離はA126よりも狭くなっているが、それでも長門型までの戦艦が持つこの部分を上回る事に変わりはない。
さらに何度も言っているように、長門型までの戦艦は主装甲帯よりも薄い上部装甲帯への貫通弾が致命傷になる恐れがある。
それに対して本級を含む戦艦案は、主装甲帯を水平装甲へ接続する高い位置にまで配置しており、乾舷の装甲区画は均一に主装甲帯の防御力を発揮可能である。
それを含めた同級からの防御力の向上は非常に大きい。
この部位の三年帽に対する安全距離は16インチ砲16km台、14インチ砲12km台、30度の場合は14km、10km。
A126より若干狭いが、16インチ砲へ有効だろう。
そもそもこれは砲弾が装甲を完全に貫通する距離ではなく、傾斜装甲による砲弾の損傷や自爆問題を考えると、重要区画での炸裂を防ぐ事の出来る距離はさらに広くなるだろう。
(なお本級の垂直装甲に関して、平賀は当時の主要な交戦距離とされた12kmから砲弾に損傷を与え、その威力を大きく減らすことが可能としている)
砲塔防御は竣工時の長門型(からA126まで)より変わらず。自艦16インチ砲に対して有効。
装甲配置が変更された都合で、長門型でバーベット(艦内部)であった一部が本級だと主装甲帯と中甲板からなる装甲区画内にあり、その部分は強化されたといえる。
水平装甲も配置はA126と同一で、主な水平装甲を担う中甲板も厚さ、材質ともに同じ物を受け継いでいる。
要求された5インチに届いて居ないのは前案と同じだが、やはりこの部位でも当時の徹甲弾は中甲板を貫通する時に自爆もしくは破砕されるので、厚めの下甲板でこれを受け止める事が可能としている。
(中甲板のみの三年帽への安全距離は、16インチ14km、14インチ18kmとやや不安ぎみ)
また下甲板は機関部が38mmHT鋼のみ、弾薬庫64mmHT鋼のみと僅かに減厚し、さらに均質装甲を用いていない。
これもA127時点での防御配置図では、弾薬庫上の下甲板に50lbs+1 1/4インチとある。
この時点ではインチ表記、つまり装甲規格の鋼材の使用を示すことが確認できるが、以降に作成された要目や配置図でHTのみになっている。
弾片防御が弱体化するのは、本級の防御様式では少々不安だが、設計時では最も強力な水平装甲を持つ艦であることは変わらない。
少なくとも弾薬庫は未だに厚い下甲板を持ち、自艦16インチ砲に十分な防御力を持つことが予想される。
このように重要区画の防御はA126より若干劣化したことになるが、減厚した分の重量がどこに行ったかと言うと、既存の案では水平装甲を設けるのみだった重要区画外の艦首艦尾が強化されている。
本級は艦尾全体と艦首の三分の一程の範囲に、主装甲帯よりも1インチ減厚した装甲帯(傾斜も変わらず)を配置。さらにその上端には重要区画内と同じく4インチの水平装甲が接続している。
この部位へ装甲を施す必要があるかは意見が分かれる所だが、伊勢型までの艦が持っていた巡洋艦の主砲や戦艦の榴弾に耐えられる程度の物ではなく、当時の戦艦徹甲弾への防御も期待できる厚さである。
防御範囲にある魚雷発射管や舵機室の防御には役にたっただろう。
ちなみに同時期米国が設計したサウスダコタ級も偶然の一致か、重要区画はともかく前級より艦首防御を強化した艦である。
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ここまで見てきた部位だと、機関部の水平装甲を除いて、本級は自艦16インチ砲に対して垂直16km、水平20kmで安全距離を有し、当時の交戦距離では有効な防御力を持っていたと評価できる。
ただ問題としては、本級が竣工するであろう時期には、既に既存の三年帽を大きく上回る威力を持った徹甲弾の開発が進んでいた点だ。
上でも述べたように三年帽はユトランド時の英国製徹甲弾を上回る性能を持っていたが、これでも撃角20度を超えた状態での貫通力は大きく低下した。
(たとえば米標準型戦艦の13.5インチ装甲(+バッキング)は通常時では16インチ砲19km、14インチ砲16.5km以内で貫通できる計算になるが、
横方向に30度の角度が加わると、16インチでも11km以内に接近しなければ抜けず、14インチ砲はより近距離でも通用しないという風に、撃角が浅くなりやすい実戦では大きな問題となる)
そこで日本海軍は、撃角30度で口径より2インチ薄い(つまり14インチもしくは12インチ)装甲を、損傷せずに貫通できる砲弾を目標に開発を進めていた。
これに大きく影響を与えたのが、1921年に行われた英ハドフィールド社製の新型徹甲弾の試験情報である。
この砲弾はユトランド時に使用された一体型の中空被帽とは違い、内帽と外帽(被帽と風帽)に分かれ、三年帽に似た形状になっている。
試験では16インチ砲弾が厚さ13.5インチの米カーネギー社製クラスAアーマーを撃角30度で貫通。そして砲弾も炸裂時の威力を失わない程度の損傷に留まり、日本海軍が目標とした性能に近い物を発揮していた。
翌年日本で行われた14インチ砲弾の試験でも優れた性能を示したことから、この砲弾を参考に徹甲弾の改良が行われる事になる。
少なくとも1923年までには14インチ、16インチ砲弾ともに砲弾の改正に成功し、一部試験では元となったハドフィールド社製砲弾を上回るとも評価されている。
この砲弾の威力を示す良い例として、使用されなかった本級の11インチ装甲を用いて行われた試験がある。
同試験では距離20km程度を想定し、傾斜を考慮に入れ撃角36.5度で行われたが、改正16インチ砲弾は撃速440m/s(20kmの撃速)で損傷せず見事に貫通。
さらに水平装甲への貫通力はあまり変わらないらしいが、砲弾強度が上がった事で中甲板で破砕されない可能性が増えており、10km台後半で機関部の水平装甲はさらに危険になる。
このように改正された自艦主砲に対して、本級は有効な安全距離を持たず、その優れた配置も若干力不足になってしまった感がある。
ただ先述したように、もう一つの問題だった砲弾の自爆については、少なくとも改正が行われた1923年の時点でも解決できていなかった。
これは1924年に行われた(改正砲弾を使用したと思われる)戦艦薩摩に対する14インチ砲の射撃試験でも結果として残っており、この時は砲弾の自爆が相次いで有効な損傷を与えることが出来なかった。
一応この試験は距離21kmとかなりの遠距離で行われたが、14インチ砲の資料を見ると、主装甲帯9インチ、上部装甲帯7インチの同艦なら多少角度がついても抜けるはずではあった。
薄い水平装甲に対しては言うまでもなく、これで有効でなかったと言うのだから、かなり重大な問題があったのだろう。
そこから実戦でも、加賀型はこの時点の16インチ砲弾に対して、それこそ水中弾が発生しない限りそこまで脆弱とはならないかと思われる。
なお土佐への試験では、水中弾となった二発以外にもう二発命中弾があり、一発は先述の撃速に近いが、やや浅め(39度)の撃角で命中、装甲帯に破砕され貫通せず。
もう一発は装甲の継ぎ目に命中したため、それよりも浅い撃角(41度)で貫通したが不発化、と言う風に陸での試験と比べると砲弾側の結果は良くない。
問題はその後の改正だが、これについては少々分からない点があるので、乱雑に書いて見ると、
自爆の原因はやはり下瀬火薬への対策が十分でなかった点に加え、信管も既存の物と同じく有効な遅動信管でなかった点が大きかったと思われる。
後者は翌25年に採用された信管で改善されたと思われるが、下瀬火薬の使用は変わらず31年に91式が登場するまで続いている。
なので25年より自爆問題が解決されたか確証が持てない。
もう一つの疑問として、一部文献では24年の薩摩実験の結果などから、改正砲弾を放棄して改めてハドフィールド社製砲弾を五号徹甲弾として採用した、と取れる記述を見る事がある。
確かに24年には同社と砲弾製造権の契約を結んでいるが、改正砲弾自体がハドフィールドの技術に依る所が大きいので、色々権利上の問題が発生したと考えることも出来る。
またさっき言った通り、少なくとも炸薬は下瀬火薬のままで、英砲弾が使用したシェルライトやTNTではないと言う風に、英砲弾そのままと言うわけでないだろう。
そして改正時に導入された熱処理方式は、16インチ砲弾で31年、14インチ砲弾は33年まで使用されている。
昭和11年に砲弾の改正に携わった野田造兵中将が叙勲された時の記録が残っているが(「故海軍中将野田鶴雄叙勲ノ件」)、
これを見ると、この改正砲弾は「現用新式徹甲弾ノ前身ナリ」とされているように、既存の改正砲弾が発展して五号徹甲弾になったと考えるべきだと思う。
アジア歴史資料センター、ref.A10113162900(P11、12)、叙勲裁可書・昭和十一年・叙勲巻一・内国人一(国立公文書館)
なお五号徹甲弾が制式採用される1925年には、先の信管の改正に加え、被帽の処理や弾体硬度の分布等の改正などが行われており、どちらによせ既存の砲弾よりも優れた物が導入されたことは確かだろう。
幸いなことに平賀文書にはこの時期の砲弾データもあり、五号徹甲弾の貫通力も大体把握できる。
(16インチ砲が27年、14インチ砲は26年の資料だが、実はFMを割り出してみると一致しないので、別砲弾の可能性もなくはない)
これによると16、14インチ砲弾への本級の安全距離(砲弾が自爆しない場合)は以下の通り
(なお今までの三年帽の物とは違い、表と同じく砲弾が完全に貫通する場合を想定して、装甲は厚さ1インチぐらい増して扱っている)
垂直装甲 16インチ:20km以遠、14インチ:15km以遠 同30度 16km、11km
砲塔前盾 16インチ:安全距離なし、14インチ:安全距離なし
バーベット 16インチ:20.5(22.5km)以遠、14インチ:17(19km)以遠
水平装甲については先述したように、砲弾が破砕されずに機関部の安全距離は10km台になると思われる。
このように攻撃力の進歩に追いつかれた感のある本級だが、同時期の艦と比較すると、やはり優れた戦艦であることは間違いない。
本級の装甲配置は長門型より各案での改良を経て、同級の持つ二つの弱点を解消した、より完成した集中防御と評価できる物に至っている。
さらに先行する集中防御艦である米標準型に対しても、傾斜装甲の導入により防御効率の向上を図った点で先を行く形になる。
このような革新的な配置を持つ点から、本級より日本の戦艦設計技術が一線級に達したとも評価できるだろう。
他艦と比較すると、長門型に対しては砲塔防御以外で大きく勝り、五号16インチ砲弾に対する防御力は、垂直装甲は米サウスダコタ級(343mm傾斜なし)にも匹敵する物である。
同級と比較すると、砲塔防御とはかなりの差があるが、水平装甲では逆に同級は12km以遠で有効な防御力を持たず、本級が明らかに優れる。
火力は本級を上回る物を持つと思われ、本級も砲塔防御など不足する部位が多いが、それは相手も同じ。
また速力の優位もあると言うことで、総合的には十分対抗できる艦であり、1919年時点では最も優れた戦艦計画であったとさえ言える。
(と言ってもこのすぐあとに英海軍がさらに一歩先を進んだ革新的な戦艦の設計を開始し、それらは日本戦艦へ新たな影響を与えていくことになる)
なお平賀譲が1924年に行った「列強軍艦設計の大勢に就いて」という講義の記述を見ると、想定される交戦距離は近側(垂直装甲)15kmから遠側(水平装甲)20kmとされている。
そこでは亀ヶ首での実験から、この距離で当時の(三年帽)16インチ砲に対して主装甲帯もしくは中甲板単体では不足するが、
それらの装甲で弾体を破壊もしくは炸裂させ、内側の下甲板やその傾斜部で受け止めきる事が可能としている。
一方で同年の「欧米視察所見」ではその方式について、「最近土佐ノ実験ニ依ルニ聊カ賴ムべカラザルモノヲ賴ミトシ又不利益ニ重量ヲフタツノモノニ分チタル嫌無キ能ハズ」とある。
「列強軍艦~」の方でも、ネルソン級について同じく土佐の実験を例に出したうえで、「弾丸、信管ニ殆ド完全ナルモノヲ期シ得ル今日ノ防御法トシテ確カニ良好適切ナルモノ」としているように、
撃角が浅くても破壊されず、自爆しない砲弾の出現が迫ってる状況で、本級の防御力が通用しなくなることが認識されていたようだ。
「欧米視察所見」では、(弾片防御の大部分を廃して装甲を集中した)ネルソン級と比較すると、本級の防御は徹底していなかったと続けている。
最後に表の方を一応見ると、垂直装甲は五号徹甲弾よりもさらに進歩したこの時期の砲弾だと、この程度の角度は普通に想定内である。
14インチ防御としては十分だが、それ以上へは不足している感もある。砲塔防御も同じく。
水平装甲は砲弾側の射程延伸と落角の減少で安全距離は増えているが、この時代の交戦距離だと機関部は依然弱体である。
・・・表を見るとA126より良い結果になっているが、これは上甲板やらシェルター甲板を含めた数字である。
これを含めずに外殻を貫通して直接中甲板に命中する場合、安全距離は以下のようになる。
弾薬庫 貫通不能/31.5km/25.5km/24.5km/24km/23.5km/13.5km 機関部28km/30km/21.5/20km/18.5km/17km/13.5km
このように九一式の時代に本級が保持されていた場合、やはり16インチ対応防御とは言い難く、14インチ対応程度である。
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B58~B61
これらの案は戦艦案であるA115~118と同時期に提出された案である。
主砲は戦艦案と同等41cm砲8門を搭載。興味深いのは速力で、以前の4万五千トン案とは異なり30ノットから32ノットと、戦艦案と同等の速力が計画されている。
防御配置図が残るのはB61のみだが装甲配置は戦艦案と共通する。なお他の案も要目を見ると一部案に煙路防御がない以外は同等。
まず垂直装甲は戦艦案の9インチに対して、7インチの主装甲帯を傾斜25度で配置している。
米国戦艦編で触れたように後年平賀はレキシントン級のこの部位について、傾斜装甲を採用するも厚さが7インチしかない云々と評価しているが、
当の平賀も(より深い傾斜を持つとはいえ)主装甲帯が7インチしかない案を設計していた時期があると言うのは興味深い。
25度傾斜のおかげで防御力自体は、レキシントン級を上回るものである。
といってもこの厚さでは、戦艦の大口径砲が命中すると装甲自体が割れて被害が出てしまう可能性も高まり、あまり好ましい物ではない。
三年帽14インチ砲に対する安全距離は22km、30度斜撃でも20km程度と有効でない。
水平装甲も戦艦案より薄くなり、中甲板が64mm、下甲板が弾薬庫51mm、機関部38mmから25mmとなる。
材質もすべてHT鋼であり、こちらは普通に長門型よりも弱体化している。
最後に砲塔防御はバーベットが金剛型と同等の9インチと記録されており、前盾についても長門型までの12インチよりも薄い物となっただろう。
これらの案は戦艦案と比べると火力や速力は変わらず、装甲はより薄い物に留められている。
つまり実質高速戦艦である戦艦案の防御を減らして、排水量を2000から3000t程削減した案の事を、この時点では巡洋戦艦案として分類していることになる。
B62~天城型巡洋戦艦
上の案が提出された後、戦艦案の優先から巡洋戦艦案に関する計画は余り進んでいなかったようだ。
これらの案が提出されたのは加賀型の計画がまとまった後の1919年に入ってからであり、3年以上の間隔が開いている。
B62はB62'並びにAからGの派生を含め9案が存在する。
これらの案は搭載主砲含め艦の規模で大きく異なるが、装甲配置は後述するG案以外はある程度共通している。
特徴を挙げていくと、
垂直装甲は中甲板の高さまでに主装甲帯のみを配置
主装甲帯は傾斜装甲を採用するが、傾斜角はB61までと比べると浅く、そのかわりに高さを増す。
主装甲帯は一定の角度で傾斜し、水線下で角度が変わることはない。
水平装甲は基本的に主装甲帯の上端に接続する中甲板が主な装甲で、一段下の下甲板が補助的な装甲となる。
中甲板の材質は記載はないが、他の甲板にあるHT鋼表記が見られない。このことから均質装甲を一部に使用する物と思われる。
下甲板の傾斜部の角度がより深く、垂直に近づく。
これらの特徴は戦艦案でいうA126以降、より厳密には改正後の加賀型の装甲配置と共通する物である。
また横断面以外では、A126までの案に見られない前後部横隔壁の傾斜が見られ、同じく艦首・艦尾の装甲帯も一部案に残されている。
この事から本案の装甲配置は加賀型をベースにした物となっており、加賀原案(A127)の改正が進められた18年前半以降に設計されたと言うことになるだろう。
同じような配置(艦首・艦尾装甲や煙路防御の有無で異なる)とはいっても厚さはかなり差があるもので、案ごとの防御力の差は大きい。
各案をまとめておくと以下の様に。
B62 排水量39,900t 41cm砲8門 32ノット
主装甲帯9インチ(傾斜12.5度)、下甲板傾斜部76mm(傾斜約25度内傾)
中甲板95から89mm、下甲板弾薬庫57mm機関部25mm
バーベット11インチ、砲塔前盾12インチ、煙路防御あり、艦首・艦尾装甲帯あり
B62'一部装甲厚が強化されているが他の内容は不明
A 排水量40,000t 41cm砲8門 35.25ノット
主装甲帯8インチ(傾斜12.5度)、下甲板傾斜部64mm(傾斜約25度内傾)
中甲板70から51mm、下甲板弾薬庫38mm機関部25mm
バーベット9インチ、砲塔前盾12インチ未満、煙路防御なし、艦首・艦尾装甲帯 削減
B 排水量40,000t 35.6cm砲8門 35.25ノット
主装甲帯9インチ(傾斜12.5度)、下甲板傾斜部76mm(傾斜約25度内傾)
中甲板89から64mm、下甲板弾薬庫51mm機関部25mm
バーベット10インチ、砲塔前盾12インチ未満、煙路防御なし、艦首・艦尾装甲帯 削減
C 排水量44,000t 35.6cm砲8門 35.25ノット
D 排水量46,000t 41cm砲8門 35.25ノット
装甲はB62に準ずる
E 排水量35,000t 41cm砲8門 35.25ノット
主装甲帯6インチ(傾斜12.5度)、下甲板傾斜部28mm(傾斜約25度内傾)
中甲板38mm、下甲板弾薬庫32mm機関部13mm
バーベット7インチ、砲塔前盾12インチ未満、煙路防御なし、艦首・艦尾装甲帯 削減
F 排水量35,000t 35.6cm砲8門 35.25ノット
主装甲帯7インチ(傾斜12.5度)、下甲板傾斜部38mm(傾斜約25度内傾)
中甲板44mm、下甲板弾薬庫25mm機関部13mm
バーベット8インチ、砲塔前盾12インチ未満、煙路防御なし、艦首・艦尾装甲帯 削減
G 排水量43,500t 41cm砲8門 35ノット
主装甲帯9インチ(傾斜12.5度)、下甲板傾斜部、縦隔壁76mm(傾斜約25度内傾)
中甲板102mm、下甲板 弾薬庫25mm機関部なし
バーベット11インチ、煙路防御あり、艦首・艦尾装甲帯 削減(他の案とは違い長さではなく高さを減ずる)
すべての案で主装甲帯の角度が12.5度とやや浅くなり、B62からB62D案までは中甲板の水平装甲が中央部で減厚するのが加賀型との相違点である。
見てわかるように垂直の方は最も充実しているB62やC・D案などでも、砲塔前盾を除いて加賀型よりも引き下げられている。
9インチ装甲帯の三年帽16インチに対する安全距離は16インチ21.5km、14インチ16km、30度で19.5km、14kmとなる。
つまり12インチの長門主装甲帯には劣るが、上部装甲帯9インチ部分を含めた全体の防御力では完全に劣る訳ではない程度の防御力である。
当時の交戦距離だと16インチ防禦としては有効ではない、対14インチ防御として設定されている。
一方で水平装甲を見るとこちらは長門型を明らかに上回り、(といっても上の解説で触れたとおり、この厚さでも16インチ防御としては不足するか)
砲塔防御もバーベット以外は同等といった具合に、全体の防御は(やはり16インチ防御として不十分であるが)長門型に比べてそこまで劣っているものではない。
B62の速力は、前案の内B60・61案と同等の32ノットになる。
前案とは異なり、19年当時では戦艦案は26.5ノットの加賀型に決定しているため、戦艦案に対して速力の優位を持つものである。
ただこの速力では満足できなかったのか、A案以降では再び35ノットという米偵察巡洋艦に劣らない速力に挑戦している。
A・B案は排水量がB62と同程度の案である。
その為にA案は全体的に装甲を削減。特に水平装甲は材質にもよるが、長門型と同等かそれ以下。
砲塔防御にも結構な差があり、同級と比較すると明らかに劣るものとなっている(レキシントン級へはこれでも優位だが)
B案では主装甲帯をはじめ装甲の削減こそ抑えられているが、代わりに主砲を14インチ砲としている。
C・D案は装甲の削減を行わない案で、共に4万トン半ばの大型案である。
E・F案は排水量を一気に35,000tまで抑えた案で、A案以上に防御力を犠牲にした、日本版レキシントン級と言える案である。
(高速戦艦ではない純正な巡洋戦艦とも)
41cm砲搭載のE案は長門以降の計画案では最も薄い装甲を持ち、特に水平装甲は材質に関わらず第一次大戦期の艦とあまり差がないレベルまで引き下げられている。
主砲を14インチとしたF案ではやや強化されているが、これでも八八艦隊艦の中では装甲(特に水平装甲)の薄さが目立つ
全体的な防御力は竣工時の金剛型にやや劣る程度の物で、主装甲帯の範囲を考えればライオンからタイガーといった一昔前の英巡戦にも完全には劣りはしない。
またレキシントン級の初期案である米偵察巡洋艦案が相手なら優位を持てるが、最終案には両案とも防御面で劣る事になってしまう。
最後のG案は43,500tとC案以下の排水量で、41cm砲を搭載、装甲厚も62やC・Dと大差ない。
その為に一部装甲配置が異なっており、まず本案では機関部上の下甲板が存在せず(傾斜部は存在)、同部位の水平装甲は中甲板のみとなる。
その代わりに中甲板の厚さが重要区画全体で4インチとあり、加賀型と同等に強化されている。
中途半端な弾片防御は効果を発揮しない事も考えられ、それに比べれば中甲板を強化しているのは良いことだが、甲板自体がなくなると他に不便な事もありそうだ。
(弾薬庫上の下甲板は後から書き足されているように見えるが、弾片による二次被害を受けやすいので全廃するのは危険だと判断されたか)
なおこの配置は他にも装甲帯の方にも命中弾があった際に弾片が重要区画に入りやすくなってしまうが、それを防ぐために傾斜部の上端と中甲板の間に3インチの縦隔壁を設けている。
このように下甲板の水平装甲が薄いか全く存在しない代わりに、厚めの縦隔壁を配置する方式は、帝政ロシアの弩級戦艦やイタリアの改装戦艦で似たような構造が部分的に見られる。
このように面白い案が存在するB62だが、いずれも採用されず。
(同案に関しては当時のメモが結構残っており、重要な事も書いてあるはずだが、情けないことに殆ど読めず)
同時に提出されたB63並びに64案は62とは打って変わり、B63が29ノット、B64が30ノットと言う風に速力は大きく抑えられている。
その代わりに火力を41cm10門に強化、装甲も(長門型以下の物が多かった)62各案を上回るものとしている。
この内B64が選ばれ、天城型巡洋戦艦として建造が開始されている。
同じく列強軍艦~や欧米視察所見によると、(B62の様な)高速力艦は米巡戦への対抗から望まれたものの、予算や製造時間の問題から採用されず、
代わりに防御に優れた高速戦艦的な案(B63・64)にシフトしていったようである。
天城型巡洋戦艦
1920年起工 未完成
41,180t(常) 252.4m 三年式45口径41cm砲 連装5基10門 30ノット
装甲厚
垂直装甲 249mmVC+18mmHT傾斜12度 → 38mm+31mmHT傾斜25度(内傾)→13mmHT
砲塔前盾 305mmVC
バーベット 274mm
水平装甲(弾薬庫) 19mmHT → 57mmNVNC+38mmHT → 47mmHT ≒ 108/89mmNVNC
水平装甲(機関部) 32mmHT → 25mmHT → 57mmNVNC+38mmHT → 22mmHT ≒ 109/105mmNVNC
砲塔天蓋 127mmNVNC水平~傾斜7度/横傾斜4~9度
上部装甲帯→甲板 なし
上部装甲帯→傾斜部 なし
船体 平甲板型
装甲部位\艦砲 |
8インチ |
28cm |
41年式36cm |
14インチマーク7 |
15インチ |
16インチ |
46cm |
垂直装甲 | 6km以遠 | 18.5km以遠 | 21.5km以遠 | 24.5km以遠 | 27km以遠 | 29.5km以遠 | 36km以遠 |
バーベット | 7km以遠 (8.5km以遠) |
21km以遠 (21.5km以遠) |
23km以遠 (26km以遠) |
27.5km以遠 (30km以遠) |
安全距離なし |
安全距離なし |
40km以遠 (安全距離なし) |
水平装甲 | 29kmまで | 30.5kmまで | 24kmまで | 23.5kmまで | 18.6kmまで | 17kmまで | 13.5kmまで |
水平装甲 | 28.5kmまで | 30kmまで | 24kmまで | 23kmまで | 22kmまで | 21kmまで | 16.5kmまで |
砲塔天蓋 | 貫通不能 | 32km ~28.5kmまで |
26km ~22kmまで |
25km ~21.5kmまで |
25km ~20.5kmまで |
25km ~19.5kmまで |
23km ~12.5kmまで |
垂直装甲(30度) 2.5km以遠、13.5km以遠、17.5km以遠、19.5km以遠、22km以遠、25km以遠、32km以遠
本級の装甲配置も基本的にB62と同一のもので、一部部位が増厚している。(B62'案に近い厚さに)
まず主装甲帯は10インチ(400lbs=249mm)のVC鋼、裏側の傾斜部は合計70mmのHT鋼からなる。
装甲帯の傾斜はB64の資料では12.5度のままだが、後の資料には12度とあり、微妙な改正が行われたか。
三年帽に対する安全距離は16インチ19km、14インチ14km台、30度17km、12.5kmと、撃角によっては長門型の主装甲帯に匹敵する。
先述したように既存の日本戦艦は上部装甲帯(伊勢型8インチ、長門型は9インチ部分など)に命中した砲弾が重要区画に達する恐れがあり、
それに対して本級は主装甲帯のみを高い位置にまで配置し、垂直装甲は全体で10インチ傾斜12度の防御力を発揮可能である。
旧解説の図を載せておく、いつも通りだいぶ簡略化しているので注意(右天城、左長門のつもり)
この点から本級のこの部位は、加賀型以外の日本戦艦の中で最も強力な物となっているといえる。
といっても自艦41cm砲に対する安全距離は微妙であり、当時の交戦距離では十分な防御力として設定されていない事が分かる。
砲塔前盾は長門や加賀と同等の12インチで、三年帽16インチ砲に対応。
バーベットは1インチ薄い11インチとなり、安全距離は16インチ20.5km、14インチ18.5km、30度14km台、約11kmとなる。
なおこの部位の装甲は国内の製造能力の限界から、ヴィッカース社に発注される予定だったそうだ。
水平装甲は中甲板が57mmNVNCと38mmHTの合計95mmで、B62の最厚部と同等だが、B62案と違い中央部では減厚しない点でやや強化。
(下甲板はやや薄くなっているという事で総合的にはあまり変わりないか)
加賀型に劣る事から自艦41cm砲に対して有効でない可能性はより高いが、こちらも1919年までの戦艦案では依然トップクラスである。
砲塔天蓋は長門・加賀と同じ6インチだと思っていたのだけれど、どうやら1インチ薄い5インチのようだ。
その分傾斜部が10km台で貫通される可能性は高まるだろう。
まとめると、加賀型の優秀な配置を受け継いだだけあって、一部部位を除いてその防御力は加賀型を除く既存の日本戦艦を上回る物である。
他国巡洋戦艦と比較しても優れたもので、英フッドに対しては砲塔防御と主装甲帯で劣るが、それ以外の部位で優位。
また重装甲で知られた独海軍巡洋戦艦の内、完成に至らなかったマッケンゼンやヨルク代艦に対しても、水平装甲で大きく勝り他の部位でも劣らない。
レキシントン級とは比較するまでもない(一応砲塔防御のみは比較できるが)。
他にも本級の持つ41cm砲10門の火力に30ノットの速力を考えれば、後に計画される英G3級以外に対しては優位を持つ、恐るべき高速戦艦となってたのは疑いようがない。
といっても三年帽16インチに対して一部有効でない物ではあるし、五号徹甲弾が導入される時期には防御力不足は否めない。
その為上で挙げた艦との直接対決では必ずしも勝利できるとは限らない。
特にレキシントン級は防御力こそ無いに等しいが、搭載主砲である50口径16インチ砲は遠距離から本級の垂直装甲を抜くことも可能である。
他の艦もマッケンゼンの35cm砲はともかく、15インチクラスも10km後半では油断ならない威力となる。
それでも本級の主砲(三年帽だとやや不安だが)は敵艦に対してより広い距離で致命傷を与えれるし、速力の優位もレキシントン級が僅かに持つのみと、本級が優位となる事は揺るがないだろう。
五号徹甲弾に対する安全距離は以下の通り
垂直装甲 16インチ:22.5km以遠、14インチ:16km以遠、30度16.5km、12.5km
砲塔前盾 安全距離なし
バーベット 16インチ:22.5(24km)以遠、14インチ:18km台(20km)以遠
なお第二次大戦期の砲弾に対する防御は、上の表でもあるように加賀型と同じくさらに有効とは言えない防御力である(ギリギリ14インチ防御と言える程度か)。
上の表は(機関部で妙に厚い)上甲板やらを含めた数字で、直接中甲板に当たる場合は以下のように。
弾薬庫 28.5km/30km/24km/23km/16km/15km/12.5km 機関部 26km/27km/20km/18km/16km/15km/12.5km
:
紀伊型戦艦とそれ以降の計画案
紀伊型戦艦
計画のみ(起工前に計画中止)
252.4m 42,600t(常) 三年式45口径41cm砲 連装5基10門 29.75ノット
装甲厚
垂直装甲 287mmVC+18mmHT傾斜12度→37mm+31mmHT傾斜25度(内傾)→13mmHT
水平装甲(弾薬庫) 不明 → 16mmHT →73mmNVNC+44mmHT → 47mmHT ≒ 128/120mmNVNC 63
水平装甲(機関部) 19mm+16mmHT → 16mmHT →73mmNVNC+44mmHT → 22mmHT(+9mmHT)≒ 128/120mmNVNC
上部装甲帯→甲板 なし
上部装甲帯→傾斜部 なし
船体 平甲板型
装甲部位\艦砲 |
8インチ |
28cm |
41年式36cm |
14インチマーク7 |
15インチ |
16インチ |
46cm |
垂直装甲 | 4km以遠 | 15.5km以遠 | 19km以遠 | 21.5km以遠 | 24.5km以遠 | 26.5km以遠 | 33.5kmまで |
水平装甲(弾薬庫) | 貫通不能 | 31.5km | 25.5kmまで | 24.5kmまで | 24kmまで | 24kmまで | 21kmまで |
水平装甲(機関部) | 貫通不能 | 31.5km | 25.5kmまで | 24.5kmまで | 24kmまで | 24kmまで | 21kmまで |
::
:
:
:
:
:
:
垂直装甲(30度) 1km以遠、10km以遠、13.5km以遠、16.5km以遠、19km以遠、21.5km以遠、28.5m以遠
.
それ以降(掉尾六艦)として予想される案
研究のみ(具体案の決定並びに詳細設計前に計画中止)
大体45,000~51,000t(常) 41cm砲12門もしくは46cm連装4基8門 30ノット
装甲厚
垂直装甲1 299mmVC+18mmHT傾斜15度 → 38mm+31mmHT傾斜25度(内傾)→ 13mmHT
垂直装甲2 324mmVC+18mmHT傾斜15度 → 38mm+31mmHT傾斜25度(内傾)→ 13mmHT
砲塔前盾1 324mmVC傾斜40度内傾
砲塔前盾2 349mmVC傾斜35度内傾
バーベット 324mmVC
水平装甲 中甲板127mmなど(内訳不明)
砲塔天蓋 165mmNVNC
上部装甲帯→甲板 なし
上部装甲帯→傾斜部 なし
船体 平甲板型
装甲部位\艦砲 |
8インチ |
28cm |
41年式36cm |
14インチマーク7 |
15インチ |
16インチ |
46cm |
垂直装甲1 | 3.5km以遠 | 14.5km以遠 | 16.5km以遠 | 19.5km以遠 | 22.5km以遠 | 24kmまで | 30kmまで |
垂直装甲2 | 2km以遠 | 13km以遠 | 15km以遠 | 18km以遠 | 21km以遠 | 22km以遠 | 28km以遠 |
砲塔前盾1 | 貫通不能 | 7km以遠 | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし |
砲塔前盾2 | 貫通不能 | 8km以遠 | 17.5km以遠 | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし |
バーベット | 3km以遠 (5.5km以遠) |
13.5km以遠 (17.5km以遠) |
16km以遠 (20.5km以遠) |
19.5km以遠 (25km以遠) |
23km以遠 (29.5km以遠) |
24.5km以遠 (31km以遠) |
31km以遠 (38.5km以遠) |
砲塔天蓋 | 貫通不能 | 35km以遠 | 29km以遠 | 28km以遠 | 28km以遠 | 28km以遠 | 28km以遠 |
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垂直装甲1(30度) 貫通不能、10km以遠、11.5km以遠、14km以遠、15.5km以遠、18.5km以遠、25.5m以遠
垂直装甲2(30度) 貫通不能、7km以遠、9km以遠、11.5km以遠、14km以遠、17.5km以遠、22.5m以遠
加賀・天城以降のワシントン条約によって起工前に計画が消滅した8艦について。
これらの艦は八八艦隊第一号の長門が竣工し、加賀型・天城型の建造も開始される1920年に予算が成立している。
この少し前から日本海軍は、米国が1916年に承認した海軍拡張計画の情報を入手し始めており、中でも主力戦艦となるサウスダコタ級の脅威は問題となっていた。
同級は当初舷側装甲406mmという誤った情報が入ってきたらしいが、より正しいスペックでも50口径16インチ砲を12門を持つことから加賀型に対し攻撃面で大きく優位である。
さらに米国が18インチ砲の試作に成功し、英国も18インチ砲艦を計画中などの情報も得たことにより、新造艦はこれらに対抗する必要が生じていた。
まず天城型の作業も一段落した19年10月、平賀は多連装砲塔(特に四連装砲塔)の採用で、より強力な戦艦を建造可能とする意見書(四連装砲塔説)を提出。
これに付属する資料では、41cm連装、三連装、四連装砲塔を使用した砲門数10門から16門の戦艦案を比較しており、多連装砲塔による排水量軽減効果を強調している。
また同資料では参考用として46cm砲艦案の記載もあり、こちらも連装4基8門、5基10門、三連装4基12門の三案が存在する。
新型艦に関する他の協議としては、翌20年に複数回行われた主砲研究会が存在する。
これによると当初要求された艦は50口径46cm砲を10門搭載する強大な物だったが、八八艦隊の計画規模ではこの要求を実現することは難しいと判断される。
そこで10門艦は今後の計画に回すとして、まずは50口径46cmを8門で建造するのか、41cm砲(既存の45口径もしくは新型の50口径砲)をより多く搭載する艦とするのか検討されている。
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会議の記録は元の史料にあたってもらいたいが、これに関連することで少し書いてみたい。
46cm砲艦を支持する意見としては、やはり一発の威力に優れる点である。
50口径41cm砲は落角が小さめな分、45口径砲に比べ三年帽の性能が大きく落ちる撃角20度台に達するのがより遠距離になる、と言う利点はあるが、
逆に言えば撃角10度台の垂直貫通力は撃速分の優位だけで、大きな差はない。
一方で46cm砲は砲弾重量と中遠距離での残速に優れ、さらに落角も50口径砲だけあって浅い物で、垂直貫通力は41cmの両者を大きく上回る。
同会議の参考資料にも両者を含む各艦砲の貫通力が記載されているが、近距離でのFMが大き目(1.12から)で試算されているようだ。
一方で平賀が残したメモでは18年の物と変わらないFMで試算されており、こちらは近距離の貫通力がだいぶ凄まじい事になっている(18インチ砲は20kmで垂直500mm越えとか)。
横方向の角度が付かない場合に米サウスダコタ級の垂直装甲を貫通するには、前者の資料によると41cm砲は18km台、46cm砲は21km台、メモの方では共に20km前半まで貫通可能である。
また貫通出来なくとも、砲弾の持つエネルギーにより、命中時のダメージが大きくなる点も好ましい。
威力面以外では、砲弾重量が大きいことから弾道が安定しやすく、射撃管制上優位とされている。
一方41cm砲艦を支持する意見としては、やはりこの時代は交互打ち方を基本とした都合で、砲門数を確保しておきたいという意味が大きいが、威力面でも46cm砲を採用する必要はないとする意見も存在する。
まず一つ目は何度も言っているように、三年帽は撃角が浅くなると貫通力が大幅に落ち、さらに砲弾が砕ける可能性から、遠距離での垂直貫通力は期待できない点。
もう一つはサウスダコタ級の水平装甲があまり強力でない点で、どちらの艦砲も15km以遠の広い範囲で貫通可能である点。
最後に水中弾の存在もこの時点で指摘されており、これもに対して(後に土佐が示したように)既存の戦艦は脆弱である点も。
一応最初の指摘について、平賀は30度横方向の角度がついても、46cm砲は20km付近で343mmの装甲を貫通可能に対して、50口径41cm砲は15kmまで接近する必要があると前者の優位を主張している。
また砲弾が破砕されてしまう事も確かだが、口径が大きいほどそれを防ぐ確率も上がる為、この点ではそこまで46cm砲の優位を否定する物では無いように思える。
ただ、その後の二つについて考えると、装甲帯とバーベット以外へは、41cmも46cm砲も効果は大差ないと見て良いのかもしれない。
さらに本計画が竣工する時期にはすでに五号徹甲弾が導入されている訳で、41cm砲弾の垂直貫通力も研究会時点よりも大幅に強化されている。
これだとG3やN3に対抗する場合ならともかく、サウスダコタ級に対しては50口径41cm砲艦でも十分な気もする
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結局意見はまとまらずに研究会は終了(ただし同資料には50口径41cm3連装4基とする案を支持する様な記述もある)。
それ以前の問題として、このまま新型の砲や砲塔を設計していては、計画の遅延につながるという問題も発生していた。
そこでまず最初の二隻については、天城型をベースにした45口径41cm10門に、防御力は加賀型と同程度まで強化、速力も30ノット近くを維持する高速戦艦してまとめられている。
これが紀伊型となり、八八艦隊の主力艦の中で建造が承認された最後の設計案となる。
上の方の表を見てもらうとして、基本的に天城型の発展系であり、配置は加賀より天城に近い。
主装甲帯は加賀型よりも厚い287mm(460lbs、292mm)となったが、傾斜は天城型と同じく12度にとどめられた。
また傾斜部の厚さも合計厚70mmに。
対弾性能自体は加賀型と大差なく、三年帽に対しては41cm:16km、14インチ:13.5km、30度で14km、10kmとなる。
五号徹甲弾へは41cm20.5km、14インチ14.5km、30度で17km、11km
水平装甲は加賀より順調に増厚しているが、それでも中甲板のみでは4.5インチと、当時から不足とされた厚さに甘んじている。
砲塔防御に関しては加賀型と全く同じ厚さであり、天城型よりやや強化された。
基本的に五号41cmへは不足しかねないが、計画時の三年帽41cmへは基本対応したものである。
本級は天城型を上回る優秀な高速戦艦だが、攻防力自体は加賀型とあまり変わらず、サウスダコタを相手にできるのかと不満も出てきそうな気もする艦である。
といってもこの時期には、米戦艦は全砲門を使用する一斉打ち方を採用しており、交互打ち方を行う日本の10門艦と比べても攻撃面でそこまで差はないとの意見が出てきている。
少々楽観的ではあるが、先ほど見たように防御ではこちらが優れる面もあり、速力の優位を含め米戦艦と比較しても十分な能力を持つと評価されてもおかしくはないのだろう。
また、やはり八八艦隊は計画自体の負担が大きかったこともあり、建造艦を天城型に統一する説や加賀、天城型を再び建造する事も一時期には検討されていたらしい。
そう考えると、両クラスから着実な強化を行った本級を建造できることは十分な意味を持つだろう。
その後建造される予定だった6隻については、具体的な設計はもちろん、計画案すらまとまる前にワシントン会議を迎えたと言うのが実態の様である。
計画が進んでいた場合は主砲研究会の内容通り、50口径41cm砲12門もしくは50口径46cm砲8門を搭載した艦となっていたと予想される。
主砲製造のリスクを考えると41cm砲案の方が現実的ではあるが、以前には48cm砲の試作に一応成功しており、46cm砲についても時間を掛ければ製造可能とすることもできる。
ただ21年になって平賀は45口径46cm砲を搭載した排水量47,500tの戦艦案(13号艦としてよく知られるのはこの案か)を提案している。
50口径砲の製造はやはりネックだったのだろうか。
上の表は四連装砲塔説の試案並びに21年の案から、本級の装甲として採用される可能性のある物を表にした。
まず垂直装甲から、四連装砲塔説や主砲研究会の資料に見られる案は、J案を除き主装甲帯12インチ、そして21年案は13インチである。
装甲帯の傾斜は確かな資料がないので何とも言えない。15度とされる事が多いので表でも採用しているが、紀伊型をベースに設計されていた場合、12度のままと言う可能性もあり得るだろう。
(同じく裏側に控える弾片防御なども基本的に紀伊型と同等と推定したが、B62の資料内にはG案以外にも弾片防御を最小限とした案もあるので、そのようにより薄くなる可能性も)
これに関連する記述を当たると、四連装砲塔説では、
「防禦力ハ今日充分トハ言ヒ得ザルモ先ズ相當ナリト考フル程度ノモノ」、「(加賀型の)防禦力ヲ少シ増加シタルモノ」、あとは「天城型ノ防禦力ヲ加賀型以上ニ増加シタルモノ」などがある。
傾斜角を含めた装甲配置の具体的な記述はない。
21年案の方も言及はないが、こちらは目標安全距離が設定されており、16インチ砲(45口径か)に対し近距離側が12km(やむなければ15km)とされている。
これは時期的に対三年帽と思われる為、計算してみる。
すると傾斜15度、12度の両案とも12kmでの安全距離を持たないが、15kmでは両案とも有効という結果になり、これだけでは何とも言えない。
(当然15度の方が防御力は高く、砲弾の破砕を勘定に入れた防御力なら12kmを達成している可能性もある。ただ完全に防ぐにはもう少し傾斜が欲しいところ。)
砲塔防御は両案とも前盾・バーベットともに13インチ(520lbs、324mm)となると思われる。
ただ四連装砲塔説の表には「前鈑14~15」というメモが下の方にあり、また50口径46cm砲の資料にも14インチ表記がある事からこれを砲塔前盾2とした。
なお46cm砲塔は同資料によると、前盾の傾斜が35度とやや浅くなっている。
水平装甲は他の艦と同じく中甲板が主な装甲となると思われ、厚さは4連装砲塔説が114mm、21年案で127mmになる。
こちらもNVNCとHTの貼り合わせだと予想されるが、具体的な割合やその他甲板含めた防御力は不明。(前者は紀伊型と同程度になるか)
仮に加賀~紀伊型と同程度の物が加わるとすると、NVNC一枚板でも130mm台にはなり、その場合20年代の艦としてはかなりの防御力と言える。
ようやく中甲板のみで20kmでの16インチ砲に耐えられる計算になるが、竣工時期の交戦距離ではこちらも不足するか。
砲塔天蓋は少なくとも46cm砲塔は厚さ6.5インチとのメモが存在。この砲塔は日本海軍では珍しく、天蓋が傾斜せずに水平部のみで構成されるのも特徴となる。
一応五号徹甲弾のFMを用いて計算した両41cm砲、46cm砲への安全距離は以下のようになる。
垂直装甲(四連装) 41/45:19km以遠 41/50 46/50 30度 14.5km、
垂直装甲(21年)41/45:17km以遠 41/50:19km以遠 46/50:22.5km以遠 30度 13km以遠、16km以遠、20.5km以遠
砲塔前盾1 安全距離なし
砲塔前盾2 安全距離なし
バーベット 41/45:19.5(21.5km)以遠 41/50:22(24.5)km以遠 46/50:24km台(27.5)km以遠
21年案の垂直装甲は45口径41cmには対応、50口径砲へも許容範囲だろうが、46cm砲には不足するか。
砲塔防御の方はどちらも砲弾の性能向上に対応できないものである。
なお水平装甲に対する貫通力では、三年帽の時点で46cm砲が20kmで5.6インチと一割ほど向上しているが、そこまで大きな影響はないだろう。
五号徹甲弾を使用した場合、46cm砲はもちろん50口径41cmも以前の45口径砲よりもだいぶ強化される。
サウスダコタ級の防御なら20km以遠で十分垂直水平の両方を破れるので、50口径41cm12門艦でも個艦で同級を圧倒する艦になっていただろう。
さらに英G3級も、弾薬庫装甲こそ垂直、水平ともに劣るが、機関部ではむしろこちらが勝る分もあり、こちらの主砲も十分通用する。
(英国装甲はこの時期性能が向上していることも考慮する必要があるが)
英N3級は建造できたかは不明だが、かなり厳しい相手と言える。
同級の垂直装甲は機関部こそG3の弾薬庫と大差ないが、弾薬庫は15インチに達しており、16インチ五号弾の性能では砲弾が破砕される可能性が一気に高まる。
さらに同級の18インチ主砲は本家ハドフィールド社製砲弾を使用する事が予想され、性能はこちらの18インチ砲に劣らない物、つまり本級の装甲でも耐えきれない攻撃力を有することになる。
速力には大きな差があるものの、単純な砲撃戦では不利になることが予想される。
一方で46cm砲なら20km以内の戦闘で弾薬庫装甲を抜くことも可能で、中近距離戦では有効な攻撃力を持つ。
N3級に対抗しようとするのなら、46cm8門艦の価値が出てくるだろう。
一応まとめると、本案もまた攻撃力の進歩に対応できたとは言い難いが、八八艦隊計画の最終グループだけあって、非常に高いレベルにまとまった高速戦艦である。
ただこのスペック通りに建造できたかどうかについては異論もあり、仮に可能だとしても設計に費やす時間や経済的な問題から当初の予定よりも建造が遅れていた可能性も高い。
九一式の時代になるとより遠距離戦志向となるので、このような状態では水平装甲の不足も問題となっているだろう。
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まとめと妄想的な物
まとめと言っても上で散々言ってきたように、八八艦隊計画中に日本戦艦の防御様式は大きく進歩し、他の列強戦艦に比較しても光る面を持つ物に発展した。
しかしこれを持ってしても今後の砲弾の進歩には一部対応できず、計画が達成される20年代後半までに、16インチ砲に対しては、建造が承認された長門から紀伊までは防御力不足となる。
(計画の理想に従って、艦齢8年で新型艦に更新し続けることが出来ればそこまで問題にはならないが、常識的に考えて難しいのは言うまでもない)
米海軍はこれもよりも悪い状況ではあるが、英海軍は同時期に第二次大戦期の16インチ砲に対しても十分な防御を持つ新型戦艦の設計を行っている。
それと比較すると、平賀が後年述べたように徹底していなかった部分があると言える。
その結果、平賀の金剛代艦私案、条約脱退後の新戦艦大和型といった今後の日本海軍の戦艦は、英国新型艦の影響を受けたより徹底した重装甲艦となるのだが、
これについては各艦の解説で後述したい。
一応こんなものも制作したので、上の文を読みなおす時に拡大して見てくれれば幸い。(左上から初源が古いものとなる)
(いつも通り「だいたいこんな感じ」という図なので、一部省略したり明らかに違う所もあるが)
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仮に八八艦隊未成艦(ここでは加賀型とする)が条約下で保持された場合、16インチ対応防御を目指す為にどのような改装がなされていただろうか。
現実の旧式戦艦で行われた改装では艦ごとに強化内容が異なるが、条約失効を見据えた伊勢並びに長門型では弾薬庫の水平垂直装甲に加え、
水中弾防御の厚い貼り足しを行い、その代わりに機関部装甲の強化は最小限という特徴がある。
さらに長門型の場合、砲塔の垂直装甲を条約失効後に強化しているのも他の艦と違う点だ。
(加賀型は竣工予定時期からして改装は最後に回されるとして、下手すると大きな改装はできずに大戦に突入する可能性もあるが、何とか間に合った事にしておく。
また土佐の実験が無いと色々と流れが変わってしまうが、これも別の実験から似たような成果を得たと都合よく設定したい。英戦艦からの影響などは現実の通りで)
砲塔前盾、天蓋、バーベットは長門型に準ずるとして、問題は船体防御である。
既存の日本戦艦は重要区画上で一番下を通る甲板(金剛から伊勢は下甲板、長門は中甲板)で水平装甲を、さらに同じ甲板の傾斜部か弾薬庫横の縦隔壁への貼り足しで垂直装甲を強化している。
これらの強化個所は、薄い上部装甲帯を貫通した砲弾が重要区画に達する恐れがあるという、防御様式の欠点をカバーする位置にある。(弾薬庫横の縦隔壁は水中弾防御の延長という側面もあるが)
一方で竣工時よりこの問題を解消している加賀型の場合、既存の装甲個所を強化した方が効率がよく、防御範囲の広さからくる船体防御、浮力維持の観点からもより優れている。
つまり既存の主装甲帯や中甲板の水平装甲を取っ払って、新規に製造した装甲に貼りかえるのが一番効率よく強化できる方法となる。(一番非経済的だが)
無論条約期では垂直装甲の強化は禁じられているが、条約失効後に改装が開始されるなら問題はないだろう。
16インチに対する安全距離は20~28kmとすると、主装甲帯は傾斜15度で350m、水平装甲は一枚板で150mmぐらいは欲しい。
これだけなら装甲のみで3000t程度の重量増加で済むはずだが、さらに砲塔防御や水中弾防御等が加わり、それらの重量を支える為のバルジ設置なども考えるとかなり厳しいか。
ただ下甲板の傾斜部や魚雷発射管とその周辺の艦首艦尾の装甲など、撤去すれば若干重量を捻出できる部位を残している。
さらに最悪の場合は他艦と同じく機関部の強化を控えめにするなどすれば、割と行けそうな気もする。
なお実現可能としてもネックになるのが工事の期間と装甲の製造にかかる手間で、新型戦艦の建造に影響を与えるような事があっては元も子もない。
(英海軍ではこれのせいでR級の内4隻の大改装が行えないまま大戦に突入している)
そして速力は普通に長門と同じ程度になりかねないので、結局使いどころが限られる事も予想される。
それに対して長門型でも提案された、装甲よりも速力向上を重視する案が検討されてもおかしくないが、これらの問題については自分の知識では何も書けない。
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ここで少し脱線して、20年代前半に計画された戦艦改装計画について見ていきたい
扶桑型改造案
研究のみ(採用されず)
装甲厚
垂直装甲(弾薬庫) 不明
垂直装甲(船体中央部) 299mmVC+18mmHT傾斜15度 →64mmHT?
砲塔前盾 299mmVC傾斜30度内傾
バーベット(露出部)299mmVC
バーベット(艦内部)199mmVC+18mmHT傾斜4度 → 51mmVNC
水平装甲 35mmHT→ 64mmNVNC+38mmHT+16mmNS ≒ 114mmNVNC
砲塔天蓋 114mmVNC水平~ 傾斜9度/横傾斜9度
上部装甲帯→甲板 あり
上部装甲帯→傾斜部 部分的にあり
船体 長船首楼型
装甲部位\艦砲 |
8インチ |
28cm |
41年式36cm |
14インチマーク7 |
15インチ |
16インチ |
46cm |
垂直装甲 | 3.5km以遠 | 14.5km以遠 | 16.5km以遠 | 19.5km以遠 | 22.5km以遠 | 24km以遠 | 30km以遠 |
砲塔前盾 | 3km以遠 | 20km以遠 | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし |
バーベット(露出部) | 5.5km以遠 (7km以遠) |
16.5km以遠 (19.5km以遠) |
20km以遠 (23km以遠) |
24km以遠 (27.5km以遠) |
28.5km以遠 (安全距離なし) |
30km以遠 (安全距離なし) |
37km以遠 (40km以遠) |
バーベット(艦内部) | 8.5km以遠 | 23.5km以遠 | 28km以遠 | 30.5km以遠 | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし |
水平装甲・砲塔天蓋 | 29.5km ~27.5kmまで |
31km ~26kmまで |
25km ~19kmまで |
24km ~17.5kmまで |
23.5km ~15kmまで |
23km ~14kmまで |
19.5kmまで ~安全距離なし |
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平賀アーカイブ内の「扶桑級改造案」より
この資料では3種類の改装内容が触れられている。
まず一つ目が水平・水中防御を中心に強化を行うA案で、次のB案は防御力はそのままに攻撃力を大幅に引き上げる改装を行う。こちらが有名な41cm砲10門を搭載する案となる。
余談だが資料内では、A案とB案の改装を同時に行った場合の重量増加について触れている。
実際そこまでやる予定があったかは分からないが、実現できていたら垂直装甲がやや弱いこと以外は、八八艦隊の新造艦に負けない戦力となっていただろう。
今回紹介するのは残りの一つ、水平・水中防御だけでなく、垂直防御についても大幅に変更される案である。主砲の換装を行うかは不明。
(甲板の数え方がA・B案と異なり、本ページと同く主甲板を用いない物になっているので、もしかしたら時期差のある物かもしれない)
まず垂直装甲は、299mm(480lbs)の主装甲帯とその上の上部装甲帯からなる構造は変わっていないが、主装甲帯は傾斜約15度の傾斜装甲に改められている。
装甲板は改造前の物を再利用するため、その高さは加賀型などと比べると狭い物だが、防御力は自艦の14インチ砲に対する安全距離を含め大幅に改善する。
表の砲では15インチ砲以上に対して不十分だが、それでも垂直防御を十分に強化できなかった現実の扶桑を上回る防御力といえる。
しかし扶桑型の解説で述べたように、主装甲帯の内、最厚部は船体中央部のみであり、それ以外の装甲厚は224mm(360lbs)と大幅に薄くなる。
この部分については、この案でどのような変更が加えられる予定だったかは不明である。
砲塔前盾の装甲は伊勢型と同じ厚さまで強化される。
先述したようにこの厚さの前盾は三年帽に対して、16インチ砲含めある程度の防御力を持つが、五号徹甲弾が採用されると自艦14インチ砲にも対応できない。
第二次大戦期の艦砲に対しても力不足。
バーベットについては特に記述がない。竣工時と同じと考えると露出部が299mm(改装後の扶桑と変わらず)で14インチ防御と言える。
一方艦内部は上部装甲帯→バーベットというルートである。
竣工時の数字で計算すると、28cmを含む戦艦の主砲弾に対しては力不足である。
(余談だが資料に上部装甲帯は既存の装甲板を用いるよう記述があるにも関わらず、図に記載された厚さは320lbsではなく360lbs(=229もしくは224mm)になっている)
水平装甲は現実の改装時と同じく下甲板に装甲が貼り足されている。
新たに貼り足された装甲はNVNCとHTを併用し、同時期の八八艦隊計画艦(A126以降)の特徴と一致する。
強化後の装甲厚は現実の改装をやや上回る数字であり、一枚板換算では114mmとなる。
こちらも自艦の14インチ砲に対しある程度の安全距離を持っていると見ていいだろう。
最後に本級の改装では、上部装甲帯の撤去や一段上の甲板に水平装甲を設けたりしたわけではないので、上部装甲帯→下甲板についても考えなくてはならない。
こちらも扶桑型の解説で述べたように、199mmの上部装甲帯(上にあるように図では224mm)を貫通した砲弾は高い確率で下甲板の水平装甲で受け止めらる。
水線近くの主装甲帯に直接命中弾がない限り、本級の防御力はかなりのものになったのではないだろうか。
また、この改造案では現実の改装でほとんど強化されなかった、甲板の外縁部にも装甲が貼り足されている点も上部装甲帯への被弾を考える上で大きいかもしれない。
なお上部装甲帯→弾薬庫の傾斜部のルートについては通常の垂直防御と同じく図がないのでよくわからない。
全体的に八八艦隊の計画艦と比較できる安全距離をもつ結果となった。
(もっとも装甲甲板が一段低い分、中甲板の高さで集中防御をとる艦に比べ艦内の防御範囲や艦内部のバーベット防御で劣っている)
第二次大戦期の艦砲に対しても、今回扱った部分は現実の改装後扶桑型を上回る安全距離を持っている。
もっとも現実の改装で強化された部分が本案では手つかずだったりと、単純には比較できない。
:
金剛級改造案
研究のみ(採用されず)
214.6m 31.500t 45口径14インチ連装4基8門 速力不明
装甲厚
垂直装甲 324mmVC+16mmHT → 19mmHT傾斜45度内傾 → 57mm?HT
砲塔前盾 299mmVC
バーベット露出部 不明
バーベット艦内部 不明
水平装甲 38mmNS → 57mmNVNC+44mmHT → 19mmNS ≒ 112/105mmNVNC
砲塔天蓋 152mmVC水平~ 傾斜9度/横傾斜9度
上部装甲帯 → 甲板 あり
上部装甲帯 → 傾斜部 なし
船体 長船首楼型
装甲部位\艦砲 |
8インチ |
28cm |
41年式36cm |
14インチマーク7 |
15インチ |
16インチ |
46cm |
垂直装甲 | 3.5km以遠 | 15.5km以遠 | 19km以遠 | 23km以遠 | 27km以遠 | 28.5km以遠 | 37km以遠 |
砲塔前盾 | 3km以遠 | 20km以遠 | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし |
バーベット(露出部) | |||||||
バーベット(艦内部) | |||||||
水平装甲 | 28.5kmまで | 30kmまで | 24kmまで | 23kmまで | 22kmまで | 21kmまで | 16.5kmまで |
砲塔天蓋 | 貫通不能 | 33.5km ~18kmまで |
安全距離なし? | 安全距離なし? | 安全距離なし? | 安全距離なし? | 安全距離なし? |
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垂直装甲(30度) 1km以遠、10km以遠、13.5km以遠、16.5km以遠、19km以遠、21.5km以遠、25m以遠
平賀文書内の「伊勢級・長門級・加賀級・金剛級改造案」より。
この資料で金剛型は二種類の改装案が記されている。
一つは水平・水中防御を主に強化するほか、砲塔装甲の強化や機関の一部換装なども行う物。
一方今回扱うもう一つの案は、装甲配置の変更を含むより大規模な改装である。
なお理由には後述するが、本案はワシントン会議中の1921年から22年の間に検討されたものと考えられる。
改装内容で特筆すべき点を二つ挙げると、まず一つは主装甲帯の貼り換えを行う点
199mm(240lbs、203mm)という厚さの装甲帯を持つ巡洋戦艦として竣工した本級だが、この数字は当時の戦艦(やドイツ巡洋戦艦)と比較すると弱体な物であったことは否めない。
これは第一次大戦後、各国で被帽や信管の改良が進み、徹甲弾の性能が大きく向上した環境においては、なおさら防御力不足となる部位である。
そこで本案では、大胆にもこの主装甲帯を範囲はそのままに、厚さ324mm(520lbs、330mm)の物に貼り換える事を計画している。
次の特徴は、下甲板ではなく中甲板に水平装甲を設け、装甲甲板とした点
もう一つの方の改装案や20年代に行われた改装では、下甲板に水平装甲を貼り、上の甲板や垂直装甲を貫通した砲弾への防御としている。
一方で本案では、主装甲帯の上端にあたる中甲板に水平装甲を設けることにより、中甲板までの主装甲帯と水平装甲による広い装甲区画を形成している。
このような装甲区画を形成する配置は、米標準型戦艦や加賀・天城以降の八八艦計画艦などの集中防御採用艦とも共通する形となる。
しかし主装甲帯よりも上の装甲帯を残すと言う点で、それらの艦と本案は異なる。
一応副砲範囲を防御する装甲帯(上甲板から船首楼甲板まで)が撤去されているが、それでも中甲板から上甲板にかけての一段分が残っている。
(同じように中甲板で接続する装甲区画を持ちながらも上部装甲帯を残す配置は、後のソ連海軍計画艦などでも確認できる)
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ここから今まで通り表を見ていくとして、
まず垂直装甲は324mmのVC鋼に。バッキングは今まで通り変わらず16mmとした。
先述した通り、下甲板ではなく中甲板の装甲が強化されたため、装甲帯の裏に控える傾斜部は竣工時の19mmのままである。
そのかわり、重要区画側面に新たに設けられた縦隔壁が57mmの厚さを持つと図にあるように見えるため、これを計算に加えた。
表を見ると、竣工時や実際の改装後の装甲はもちろん、竣工時の扶桑~長門型の垂直装甲を上回る。
八八艦隊計画艦では、天城を上回るが加賀や紀伊には劣る程度に。
元々の主装甲帯の高さは中甲板までと(加賀・天城が登場するまでの)他の日本戦艦よりも広かった事もあり、
範囲の面でも八八艦隊の未成艦を除けば、当時の日本戦艦の中で最も強力な垂直装甲を持つという事になる。
(なお上で挙げた扶桑級改造案が実現した場合、主装甲帯の防御力は本案以上の物になるが、装甲帯の高さと言う意味では本案に大きく劣る)
余談だが、主装甲帯への傾斜装甲の採用が本案の資料内では触れられている。
その中では船体形状に影響を与えるため採用しないとしているが、影響がない場合は傾斜装甲により装甲重量や費用を減らす事も可能ともしている。
その場合は垂直324mm相当の対弾性能を持つ傾斜装甲となっていただろう。(安全距離は殆ど変らないと思われる)
砲塔前盾は299mm(480lbs、305mm)と、伊勢型や扶桑改造案と同等になったが、こちらも五号徹甲弾以降の自艦主砲には対応できず。
バーベットの装甲が増強されたかは不明。もし強化されない場合は、他の部位に比べて非常に弱体な防御力のままになる事が予想される。
(砲塔甲鉄を12寸に、という記述がバーベットにも当てはまるのかもしれないが)
露出部224mm(360lbs、229mm)も薄いことに違いはないが、それ以上に問題なのが艦内部の減厚部分である。
本級のバーベットは船首楼甲板から下甲板の間で76mmに減厚しており、装甲帯を貫通した砲弾が早発や破砕されない場合、容易に貫通される可能性がある。
主装甲帯と中甲板の強化により、中甲板より下の部分については問題がは無くなったが、それより上の範囲については竣工時と変わらずに弱体な物のままである。
その中でさらに問題なのが船首楼甲板から上甲板の範囲で、この部分の装甲帯が撤去されたことにより、砲弾が非装甲の外殻を貫通後、76mm部分に直接命中する可能性が存在する。
この場合、戦艦主砲はもちろん、巡洋艦の8インチ砲などにも有効な安全距離を持たないだろう。
水平装甲は先述した通り、一段上の中甲板に装甲を貼り足している。
その内容は57mmのNVNC(均質装甲)に44mmのHT鋼を合わせたもので、合計で約4インチの厚さとなる。
均質装甲一枚板ではなく厚めのHT鋼と併用する形は、上の扶桑改造案と同じく八八艦隊計画艦の水平装甲の特徴と一致する。
しかし本案の水平装甲は、合計厚で加賀型と同等だが、HT鋼の割合がより高くなっている。
また使用されるNVNCの57mmという数字は天城型と同じ厚さだが、実際に資料内では
「70听H.T、及90听N.V.N.Cを使用シ後者ハ天城赤城用ノモノヲナルベク多ク流用スルモノトス(天城赤城ガスクラップトナル場合)」
という記述があり、ワシントン会議で新造艦の扱いに関する協議が進む中、すでに発注製造されたであろう装甲を流用する目的が存在する。
その中で天城型よりも強力な水平装甲が求められた結果、より厚いHT鋼を設ける事になったと考えられる。
またこの記述からは、本案は加賀・天城等の新型戦艦が廃艦となった後を見据え、残された既存艦の戦力を増強するための改装計画だと推定することが出来るだろう。
表の方を見ると、こちらも八八艦隊計画艦に匹敵する装甲で、長門型以前の(竣工時の)水平装甲を大きく上回るのは言うまでもない。
また上部装甲帯を残っているため、装甲甲板に達する前にこの装甲にあたる場合も存在する。この場合安全距離はそれなりに拡大するだろう。
砲塔天蓋は149mm(240lbs、152mm)と、長門型以降と同等になったが、この時期の日本海軍は、諸実験から砲塔天蓋にVC鋼を使用する方針を打ち出している。
これは先述した(する予定)ように、この時期の徹甲弾に対してはNVNCよりも有効とされたが、その後の徹甲弾に対しては割れてしまい脆弱である。
この改装では他にもバルジの増設や機関の一部換装を行い、4,900tもの重量増加を伴う。これにより排水量は31,500tとなると予測されている。
(常備だと32,400tのはずだから、基準排水量か)
速力についてもそれらしい記述が存在するが、文字がかすれていてほとんど読み取ることはできない。
「約2.8浬」と言う文字はかろうじて確認できるが、前後の内容が解読できない為、これが速力の減少値なのかは不明
ただし、実際に20年代に行われた改装時の速力低下を考えると、25ノット程度の中速戦艦になっていてもおかしくはないだろう。
(そして現実の金剛型が第二改装時に32,000t程度だったことを考えると、このまま第二次改装を行っても重量に余裕がなく高速戦艦に戻るのは難しくなるのでは)
一応まとめると、バーベットの一部に不安な点が存在する可能性もあるが、それ以外は全体的に天城型に匹敵する装甲となり、長門型以前の日本戦艦を上回る。
さすがに速力や火力は八八艦隊の戦艦に劣るが、それでもワシントン条約による新造艦の廃棄を行った場合の日本海軍にとっては主力と言っていい性能である。
(上の扶桑型改造案には部位ごとの実質防御力で劣る箇所もあるが、装甲範囲からくる船体防御の面でこちらが優れている面もある)
またここで扱わなかったが、艦尾の舵機械室を守る装甲の増厚並びに範囲拡大を行っている点も、ソロモン諸島での比叡の被害を考えると望ましいものだっただろう。
しかし本案の研究中に内容が定まったであろうワシントン条では、既存の戦艦の改装による増加排水量を3,000tまでとした上に、垂直装甲の強化を禁じている。
この両方に触れる本案が実行される事はなく、実際の金剛型は20年代の第一次改装で水平・水中防御を強化、30年代の第二次改装で速力の向上を図っている。
本案の速力を25ノットとすると、第二次大戦の環境では速力に劣り、空母や巡洋艦との作戦で活躍することは難しくなっていただろう。
それでもこの速力は米戦艦を上回り、改装前とは違い直接戦闘でも一方的に不利となるほどの防御力の差もない事になる。
実際の金剛型と同じく、本案も米海軍にとっては悩ましい存在となる事が予想される。
尤も本案が実現するという事は、条約の内容が異なるという事になり、米英の戦艦についても本案のように防御力を強化したものが出てくる可能性も否定できない。
そうすると、結局は「速力に優れるが、防御力ではやや劣る」という日本戦艦の特徴に落ち着いていたのではないだろうか。
長門級改造案
研究のみ(採用されず)
表は現時点で省略
同じく「伊勢級・長門級・加賀級・金剛級改造案」より長門型の改装案。
長門型戦艦は上でも述べた通り、ユトランド海戦の戦訓を取り込んだ結果、高い位置にある甲板(長門の場合上甲板)の水平装甲を強化した艦となっている。
これにより、遠距離戦において以前の日本戦艦よりも優れた装甲配置を手に入れたが、完全な物とは言えず、一部問題を抱えていた。
まず強化された上甲板装甲は均質装甲を使用せず、構造用鋼を複数枚張り合わせる旧来の方式のままであり、装甲厚ほどの対弾性能を持たない点。
また垂直装甲の内、中甲板から上甲板にかけて設けられた上部装甲帯を貫通した砲弾が、落角によっては重要区画に達してしまう可能性がある点も弱点となる。
この二つの点から、長門型の防御様式はのちに日本海軍が設計した加賀や天城と言った戦艦、若しくは米海軍の標準型戦艦に比べて劣るものとなっている。
30年代の改装では、弾薬庫を中心に既存の甲板よりも一段下の甲板(中甲板の高さにある下甲板なのだが、ここでは中甲板として表記)
やその傾斜部に装甲を貼り足すことで、この部位の防御力不足を改善しているが、本案では異なる改装が研究されていたことがわかる。
上図の内、水色の部分が新たに設けられた(増厚した)装甲となる。
最も大きな特徴は中甲板と上甲板の間に、大きく傾斜した4インチのNVNCからなる縦隔壁を設ける点だろう。これにより上部装甲帯を貫通した砲弾が中甲板へ達するのを防いでいる。
いまだに傾斜部に命中する可能性が残るものの、これについては現実の改装と同じく傾斜部自体を増厚して対応している。
当たり前だが、この部分を強化することで、主装甲帯を貫通した砲弾への防御も強化されている。
強化内容は既存の3インチ(1インチ三枚重ね)鋼板の上に2インチのNVNCを貼り合わせる形となり、現実の長門に比べると控えめな厚さだが、弾薬庫だけでなく機関部も強化されている点は異なる。
そして縦隔壁により中甲板への被弾が防げるようになったため、水平装甲はそれよりも内側の範囲で既存の主な水平装甲である上甲板を強化している。
強化内容は既存の装甲に44mmのNVNCを貼り合わせる形で、こちらも30年代の長門型弾薬庫の強化内容に比べると薄いが、重要区画全体に施すことが出来ている点、
そして強化された個所が上甲板である為、防御範囲の面では実際の長門よりも優秀な点が挙げられる。
こうして今回強化された個所を見てみると、縦隔壁と甲板の組み合わせから帝政ロシアの戦艦(ボロジノ級とかニコライ)やイタリア改装戦艦の装甲配置に近い感じになった気がする。
(主な水平装甲よりも上に装甲帯を設けない点、全体的にこちらの方が装甲厚は上な点などで異なるが)
なおこの改装では他にも煙路防御の設置(ここでも装甲は天城型の物を流用)、バルジの設置などを行い、3,300tの排水量増加を伴うとしている。
こちらも増加量から条約下では実現できない物となっている。(縦隔壁も垂直装甲扱いになりそう)
伊勢級改造案については、扶桑型のA案のように水平・水中防御を強化するものとなる。
上の三案程大幅に装甲配置を変えるものでもないので、本ページでは取り上げない。
その他英設計戦艦案
日本の戦艦並びに巡洋戦艦の中で、英国で設計が行われたのは金剛型が最後だが、その後も英国企業が日本向けの戦艦設計を行わなかったわけではない。
まず1910年には金剛型原案の1つである巡洋戦艦X案に並行して、13.5インチ砲12門、速力23ノットの戦艦X案がヴィッカース社によりまとめられ、これは後に主砲を14インチ砲に改めたY案に発展する。
またアームストング社も1911年には同じく14インチ砲12門、速力23ノットの714案を設計している。
これらの案は、日本側で検討されていた扶桑原案の一部と同じく船体中央部の3・4番砲塔が背負い配置ではなく梯形配置となるのが特徴である。
また同社による740案では、中央部の砲塔は背負い配置に近い形(なぜか向きが逆に)をとっており、一気に伊勢型に近い形になっている点は興味深い。
他には1912年から1913年にかけて、40~45口径16インチ砲を8門搭載した戦艦案が複数提案されている。
これらの案は25~26ノットとQE級以上の高速力を持ち、後の長門型にも影響を与えたと思われる。
(一部案についてはブラジルやロシア海軍に提案された物へ流用された。後者の場合は船体は平甲板型、主砲は背負い配置を廃止と一部はロシア艦風に)
また具体的な年代は不明だが、それ以降に提案された思われる大型艦の案も存在する。
ヴィッカース社762並びに763案とされるもので、大体のスペックは以下の通り
762案
全長281m 常備排水量40,000t 主砲16インチ三連装砲二基 速力35ノット
主装甲帯10インチ 上部装甲帯不明 バーベット12インチ 上甲板2インチ 下甲板3インチ
763案
全長277m 常備排水量46,500t 主砲16インチ三連装砲三基 速力33.5ノット
主装甲帯12インチ 上部装甲帯9/6インチ バーベット12インチ 甲板 不明
まず目に付くのは異常なまでの速力で、レナウン級以降の英巡洋戦艦も31~32ノットを発揮可能だが、それらの艦を1段上回る速力が設定されている。
これは米海軍のレキシントン級巡洋戦艦(33ノット)を明らかに意識した数字であり、その他の艦の規模から八八艦隊計画の巡洋戦艦案として提案された物である可能性が高い。
装甲配置についてもわかっている数字から考えてみる。
まず垂直装甲は762案は主装甲帯10インチで上部装甲帯の有無は不明、763案は主装甲帯が12インチ、上部装甲帯は下から9インチと6インチとなっている。
後者については既存の英戦艦と同じく、高さによって厚さの異なる装甲帯を持つことがわかる。
前者も同じ配置か、もしくは上部装甲帯の装甲厚が記載されていない点から、レナウン級やレキシントン級のように主装甲帯のみを配置する形と思われる。
装甲帯の傾斜などは不明。年代的に導入している事も考えられるが、これよりも後に他国海軍へ提案された戦艦案の中には意図的に傾斜装甲を省いた例も確認される。
一方で日本海軍も独自に傾斜装甲について検証を進めており、その効果を把握していた。その点から要求内に盛込まれていた可能性もなくはないだろう。
水平装甲は762案のみ判明している。各甲板の装甲厚はユトランド以前の日英戦艦よりも厚いが、隔絶した装甲甲板を持たないという点から、第一次大戦後の日英計画艦には劣るものである。
既存の配置で装甲厚のみを強化した水平装甲というと、英戦艦ではフッドと同じコンセプトの配置と言える。
(フッドのようにHT鋼の貼り合わせせではなく、均質装甲を用いるものなら対弾性能はさらに向上するが、時期的に採用されたかは疑わしい)
763案についても多少の増厚があるだろうが、大きく異なる配置ではないと思われる。
以下の点から、763案は天城型のように主装甲帯とそれに接続する装甲甲板に重点を置く形(いわゆる集中防御)をとらず、
既存の戦艦の装甲配置に一部改良(やや厚い水平装甲、場合によっては傾斜装甲)を施した物と推測される。
水平装甲を762案と同等として同時期の艦と比較してみると、まず本案の垂直装甲の装甲厚は長門と同等であり、傾斜装甲を採用した場合では上回る。
水平装甲については実質防御力はあまり変わらないが、主要な水平装甲がより上の高さにある長門の方が優れている。
天城型との比較では、垂直装甲は上の解説にもあった通り主装甲帯部分の対弾性能はほぼ同じで、上部装甲帯の被弾を考えれば天城型に劣るものである。
一方で傾斜装甲が採用されていた場合、主装甲帯で天城を確実に上回り、9インチ部分も傾斜角によってはそこまで弱点とはならない可能性も存在する。水平装甲については先述。
英フッドだと、垂直装甲は傾斜の有無次第(ない場合は普通のフッド優位)で、水平装甲は機関部において本案が優位。
そして米レキシントン級に対しては傾斜関係なしに垂直装甲で勝り、水平装甲は防御力装甲範囲ともに同程度といった所か。
762案が上部装甲帯を持たず、10インチの主装甲帯のみを持つとした場合、その装甲配置は装甲厚を全体的に強化したレナウン級(竣工時)のような感じか。
(艦自体も主砲6門、既存の巡洋戦艦を大きく上回る速力、控えめな防御力とレナウン級みたいな艦である)
こちらの案もレキシントン級と比較すると、水平装甲で同程度、垂直装甲は傾斜関係なしに優位となる。
天城型に対しては垂直装甲は傾斜角次第だが、水平装甲や上部外殻の分全体的な防御力は大きく劣るものだっただろう。
どちらの案もレキシントン級と同等かそれ以上の防御力をもち、763案については攻防力だけでも長門型と互角以上の艦となる。
それでも実際に承認された天城型と比較すると、装甲配置や実質防御力の両方で劣っており、特に水平装甲がそこまで強力でない事はこの時代の戦艦としては大きな欠点である。
さらに搭載主砲も、当時の日本海軍が交互打ち方での門数を稼ぐ方針であったらしい事を考えると、3連装2基6門は望ましくなく、3基9門も中途半端であった。
圧倒的な速力を持つ点は(実現出来るかはともかく)魅力的だが、以下の点から採用されなかったのは仕方のない事か。
(この文は上で扱ったB62の解説を書く前に書いたもので、同案との比較は時間があれば加筆したい)
これ以降の設計案は、日英同盟の解消やワシントン条約による戦艦建造の禁止もあり確認されていない。
平賀文書の中にはネルソン級戦艦に酷似したヴィッカース873案が存在するが、これは欧米視察中に平賀がネルソン級の資料として同社より入手したものである。
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金剛代艦(平賀案)
計画のみ(決定前に計画中止)
234m 35,000t 52.5口径41cm砲 連装2基・三連装2基10門 26.3ノット
装甲厚
垂直装甲 13mmDS → 381mmVC 傾斜20度 →9mmDS
砲塔前盾 510mmVC傾斜40度内傾
バーベット 483mmVC
水平装甲 22mmDS×2 → 213mmNVNC → 6mmDS ≒ 227/226mmNVNC
砲塔天蓋 229mmNVNC水平~254mmNVNC傾斜10度
上部装甲帯→甲板 なし
上部装甲帯→傾斜部 なし
船体 平甲板型
装甲部位\艦砲 | 8インチ | 28cm | 41年式36cm | 14インチマーク7 | 15インチ | 16インチ | 46cm |
垂直装甲 | 1km以遠 | 9.5km以遠 |
10km以遠 |
13.5km以遠 |
16km以遠 |
18km以遠 |
21km以遠 |
砲塔前盾 | 貫通不能 | 貫通不能 | 貫通不能 | 貫通不能 | 貫通不能 | 4.5km以遠 | 2km以遠 27kmまで |
バーベット | 貫通不能 | 7km以遠 (9km以遠) |
8.5km以遠 (10.5km以遠) |
10.5km以遠 (13.5km以遠) |
13.5km以遠 (16km以遠) |
15km以遠 (17.5km以遠) |
20km以遠 (23.5km以遠) |
水平装甲 | 貫通不能 | 39.5kmまで | 31.5kmまで | 30.5kmまで | 貫通不能 | 31.5kmまで | 32kmまで |
砲塔天蓋 | 貫通不能 | 39.5km ~38kmまで |
31.5km ~28kmまで |
30.5km ~27kmまで |
貫通不能 ~27kmまで |
貫通不能 ~27kmまで |
32km ~27kmまで |
垂直装甲(30度) | 貫通不能 | 1km以遠 | 3km以遠 | 2km以遠 | 6km以遠 | 12km以遠 | 15.5km以遠 |
背景と艦の概要(平賀案)
ワシントン条約で一端停止した日本の戦艦建造だが、同条約では艦齢20年を超える艦の代艦建造が認められていた。
日本でも金剛型を代替えする戦艦の建造が31年より可能となり、これが所謂金剛代艦となる。
設計は当時の計画主任である藤本造船大佐が担当したが、これに対し妙高型を最後に設計部門から遠ざけられていた平賀造船中将も私案を提出。
両者の案が比較検討されるという異例の事態の末に、結局ロンドン条約にて代艦建造はさらに5年延期され、計画は中止された。
その後日本はワシントン条約の脱退を宣言。条約の制限に縛られない大型艦を新型戦艦として建造する計画を進めていく。
本来は藤本大佐による物(艦政本部案)が正式な案という事になるが、装甲配置関連で詳細な資料が残るのは平賀案のみという事で、表は同案の物である。また解説もこちらから行いたい。
本案は条約制限の基準排水量3万5千トンの中で特に戦闘力を追究した艦であり、その意味では条約型の先駆けであるネルソン級の影響が随所に見られる艦と言える。
まず主砲は41cm砲だが、藤本案含め新開発の52.5口径砲が採用された可能性が高い(詳細は後述)。
本案は同砲を連装・三連装の併用で合計4基10門搭載。長砲身である事を含めれば、既存の16インチ砲艦はもちろん八八艦隊の未成艦をも上回る物だろう。
副砲は6インチ砲を16門搭載。14cmより再び大型化した事に加え、最大仰角75度と対空兵装としての役割も期待されていた点が注目される。
また配置を見ると、半数の8門は連装で密閉砲室(おそらく砲塔)に収められ船体中央に配置されるが、残る8門は単装で中甲板上に分散して置かれたケースメイト砲である。
詳細は不明だが、一般的にケースメイト砲は人力に負う部分が多いので、(伊勢型での14cm砲の採用理由からしても)砲塔に比べ運用に難があるのに加え、水防や被弾時の安全性など防御面の欠点を持つ事も予想される。
それにも関わらず採用されたのは、重量軽減の為に徹底した重要区画の短縮を行った事で、甲板上に砲塔を置くスペースが確保出来なかった事が考えられる。副砲は本案の設計の中でも無理が出た場所と言えるだろう。
なお副砲以外には、専門の高角砲としても12cm砲を連装4基8門搭載している。
計画速力は26.3ノットと、長門型と戦列を組める速力である。
これはQE級を含む当時の他国戦艦に優位を持つ物でもあるが、条約時代に保有された巡洋戦艦やダンケルク級以降に登場する高速戦艦などには劣り、あくまで攻防に重点を置いた純戦艦の範疇に入る。
装甲配置
そして装甲配置など防御面について。これまで見てきたように、ユトランド海戦以降日本戦艦の装甲配置は大きく変化し、遠距離戦闘が重視される環境において、より洗練された物へと進歩して行った。
一方で条約期には徹甲弾の大幅な性能向上に、更なる交戦距離の延伸といった環境の変化があり、それには洗練された配置を持つ艦ですら防御力不足いうのが現実であった。
本案はそういった現在の環境で、再び有効な安全距離を持つ事を目標としており、その結果として装甲配置は八八艦隊時代よりさらに変化、後の時代へと繋がる重要な形態に至っている。
具体的に見ていくと、まず船体は平甲板型で、重要区画上の甲板は上中下の3層。
垂直装甲は主砲塔間の重要区画横のみに施され、中甲板と下甲板の中間程度の高さまでに15インチ厚、傾斜20度の主装甲帯を有する。主装甲帯は舷側ではなく船体に内装される形で設けられ、これよりも上の範囲は非装甲である。
また主装甲帯の下端には、水中弾防御と水雷防御を兼ねる13.2インチ~3.5インチのテーパーした下部装甲が続く。
水平装甲は重要区画上の中甲板に集中され、同甲板は外側で20度傾斜して主装甲帯の上端に接続する。厚さは水平部8.4インチ、傾斜部11.75インチ。その他重要区画上の甲板は上甲板が1.75インチ、下甲板は0.25インチ。
主砲塔は前盾20インチ、天蓋10~9インチ、バーベット19~17インチ。副砲はケースメイト部、砲塔共に不明だが後述するように非装甲だったと思われる。
装甲材質は年代的に、垂直装甲全般がVC、装甲甲板や砲塔天蓋、そして下部装甲などがNVNCと推定される、また装甲が用いられない甲板やバッキングなどには、新型の構造用鋼であるデュコール鋼(DS)が導入された。
重要区画の配置は本級も、「水線部の主装甲帯とその上端に接続する甲板」からなる区画に装甲を集中して、それよりも上部は非装甲としている。つまり「舷側縦方向の集中」「水平装甲の集中」という、本ページにおける集中防御の定義を満たした物である。
この点は加賀・天城型など八八艦隊未成艦と同じだが、両級と比べても他の部分含めて装甲の集中主義をさらに徹底しており、限られた重量で求められる防御力を実現するよう努力を払っている事が分かる。
具体的には、艦首尾を守る船体装甲を(舵機械室のボックスを除いて)すべて廃し、上記の二つに加え、「舷側横方向の集中」を行っている点。
亀甲状の下甲板装甲を廃し、主装甲帯と中甲板からなる一層防御により重点を置いている点(特に「水平装甲の集中」度合いが大きく向上した)。
そして配置以前に、装甲が施される重要区画の範囲を全長の4割程度と極めて小さく(この範囲は5割以上あり、おそらく史上最も小さい数字)まとめている点が該当する。
その他にも新たな要素として、中甲板の水平装甲は複数枚の重ね合わせで材質も構造用鋼の割合が大きい物だったのが、本級は殆ど均質装甲一枚板になった点、同甲板は外側で傾斜部を持つ点。
そして主装甲帯は傾斜角度を増した内装式となった点、その下端より水中弾対策のテーパ-装甲が伸びる点などが船体装甲では確認できる他、詳細は後述するが砲塔装甲にも変化が見られる。
上記の変化の多くは、英ネルソン級やN3・G3などそれ以前に英海軍が計画していた新型戦艦案との共通点や影響を見て取れる事ができる。
加賀や天城ですら今後の砲戦に対応できないという現実の中で、16インチ砲に対して十分な防御力を持つ艦として計画されたネルソン級の登場は衝撃であり、本級では再び英海軍に範をとって、上で挙げた史料等で平賀が言う所の「徹底した」防御様式が導入された事になる。
配置の中でも、舷側装甲が内装式の傾斜装甲となる点、そしてその上端に均質装甲一枚板の水平装甲が傾斜しながら接続する点は、特にG3までの英計画艦に酷似している部分である。
もっとも平賀は欧米視察中にダインコート卿やヴィッカース社を通じてネルソン級の資料を入手していたが、それ以前の案について知識を持っていたかは不明で、この点に関しては直接的な影響があったかは明らかではない。
また水中弾防御は英計画案などには存在しない、確実にオリジナルと言えるもので、ここまで本格的な物を設けたのは各国の戦艦案でも初めてである。水中弾が土佐の実験以来、日本海軍で重要視されていた事が伺える。
以上のように本級の配置は、より新しい英戦艦の影響を受けつつ、そこに一部改良を加えた物と言えるだろう。
そしてこの配置は以降の時代 最上・利根型といった巡洋艦を経て、大和型へと受け継がれていく物であるのも重要な点である。
(なお英海軍は新戦艦の時代に再び装甲配置の改正を行ったので、以降本級に似た装甲配置の艦が登場する事はなかった。その一方で米海軍では新戦艦のサウスダコタ級の設計段階にて、ほぼ本級そのままと言える配置案が検討されていたのが興味深い所である)
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表の解説
ここから表の解説に入っていきたい。なお装甲厚はこれまで40lbs=24.9mmとしていたが、今回は都合により正インチとして計算している。比較する上で微妙に結果がズレる事になるがご容赦頂きたい。
まず垂直装甲は20度と大きく傾斜した15インチ(381mm)のVC鋼で、背後の弾片防御などは殆ど持たないが、装甲帯単体で非常に強力な対弾性能を確保している。
元々自艦の長砲身41cm砲に対して17kmの安全距離を目標としただけあって、より進歩した砲弾を用いた16インチ砲に対しても対応可能な結果となった。
ネルソンを含めた条約型の中でも優秀どころか、先述した英計画艦と並び、これまで設計されてきた戦艦では至上最も強力なレベルである。
続いて砲塔前盾は後述する試作装甲の件から18インチ厚とされる事もあるが、平賀資料内の砲塔図などによると厚さ20インチ(508mm)である。傾斜は40度内傾。
船体装甲と同じく、徹甲弾が進歩する中十分な防御力を持たせるべく、これまでの12インチ程度から大きく強化されている。
これまた当時の戦艦の中では最も厚い装甲であり、表を見ると大和型程ではないが、明らかに過剰な防御力である。
ただこれは装甲品質も関わってくる。1926年には450mm厚のVC鋼が試作されていたが、これは当時の基準でも厚さ相応とはとても言えない品質であった。
同甲鈑は41cm砲弾を用いた試験にて、432m/sと45口径砲なら距離20km前後の撃速で正貫を許しており、推定されたVC鋼本来の性能では、375mm相当の防御力しか持たないと評価されている。
一応同年には硬化層の範囲を増す事で厚さ相当の性能を獲得しているが(この経験は後のVH鋼の開発でも活かされる)、そのような製造時の問題による性能低下も勘定に入れた厚さなのかもしれない。
次にバーベットは露出部19インチ、上甲板から中甲板の範囲では17インチとなる。(なお平賀資料にある「日英戦艦防御比較」では露出部20インチの文字も確認できる)
表は19インチとして計算。例え正面から命中しても第二次大戦期の16インチ砲に対して有効な防御力である(装甲の品質がまともな場合)。
17インチ部分は命中前に上甲板を抜く必要から減厚された物と思われるが、舷側の外板を抜いた場合、砲弾は殆ど威力を失わないまま命中してしまう。
その場合は表の16インチ砲だと18km(21km)と安全距離は悪化するが、未だに有効な防御力と言える。
水平装甲は主となる中甲板が8.4インチ(213mm)と非常に厚い。計画艦を含めても、一枚板でこれ以上の甲板を持つ艦はいないのではないだろうか。
また上甲板も構造用鋼の貼り合わせとはいえ、外縁部では合計44mmと大和型を上回る。
装甲材質はNVNCとして計算したため、MNCを用いる大和型に対しては僅かに劣る結果になったが、通常の交戦距離で貫通されることはまずないだろう。
(外殻→中甲板の安全距離はそれぞれ、貫通不能/38km/31km/30km/貫通不能/31km/31.5kmに現状するが、これも問題なし)
ただ甲板の外縁部は300mmもの厚さの代わりに、20度という傾斜の分、砲弾はより深い撃角でこの部分に命中する。
当時のメモでは16インチ砲に対してもギリギリ有効な厚さとして設定されていたことが分かるが、今回使用した砲弾への安全距離は表の物より短い結果である。
このような傾斜部と舷側傾斜装甲と組み合わせは、装甲区画の容積(=防御される範囲の大きさ)を保ちつつ艦幅を減らせるので、その分重量軽減に効果はあるが、単純な対弾性能的にはデメリットも大きいと言える。
砲塔天蓋は水平部と傾斜部からなり、それぞれ9インチと10インチ。こちらも他の部位と同じく増厚が顕著である。
また本級では後に改装戦艦などでも見られる、装甲板の一部が明確に重なり合う形の天蓋が採用されている。
この天蓋の配置に関しては、1925年の試験記録に「継ギ合ワセ方式現行ノモノハ脆弱不良ナリ。須ラク英式重畳式トナスヲ要ス」とあり(松尾少佐の調査による)、それが本級より導入された形になる。
傾斜部の角度は最大で約10度とやや大き目で、その分水平の物よりやや貫通されやすいが、継ぎ目の防御力は大きく向上したと思われる。
また本級の建造は31年からと言うことで、一応砲塔天蓋にはNVNCが使用されるとした。
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表以外の部分について(なお上部装甲帯云々は装甲配置的に発生しないので省略)
まず煙路防御などは八八艦隊の物を踏襲したコーミングアーマーを設けており、最大17インチとこちらも増厚が見られる。
そして水中弾防御は先述したように非常に本格的で、装甲帯の下端より伸びる10度傾斜の下部装甲を有している。厚さは上端の13.2インチから、機関部は艦底までに3.5インチ厚、弾薬庫で床面装甲に接続するまで9.7~8.4インチにテーパーする。
副砲については詳細は不明だが、重量表では連装砲塔が一基70tと記録されている。これは後の阿賀野型の主砲とほぼ同じ重さであり、そこから弾片防御以上の装甲を砲室に施す余裕はなかったと考えられる。(また構造自体も阿賀野型等と同じいわゆるショートトランク式と言う事にも)
同時期の巡洋艦主砲と同じく、砲塔そのものは軽装甲に留めて誘爆対策に集中する形だろう。ケースメイトも不明だが、こちらは八八艦隊艦の時点で非装甲化されており、砲塔と同じく非装甲でも不自然ではないと思われる。
以上のように以前の日本戦艦とはレベルの違う強固な装甲区画を持つ本級だが、全体の防御力を考える上で気になるのは、やはりその装甲区画の範囲が非常に狭い点だろう。
重要区画の短縮はこの装甲厚の実現に必須だったと思われるが、やはり全長の4割は(大和やダンケルク、ネルソンといった艦でも五割以上あることから)特に狭いと言わざるを得ない。
もちろん非装甲区画は弾薬庫や機関部と違って、被弾しても一撃で艦に大きな損傷を受ける場所ではないし、むしろ徹甲弾の信管を作動させないという意味では、中途半端な厚さの装甲を設けるより優れた面もある。
ただそれは戦艦同士が徹甲弾で撃ち合う時のみの話であり、第二次大戦で予想される航空攻撃などに対しては、脆弱な区画が非常に大きいという事に他ならない。
一応関連史料によると艦首若しくは艦尾の浮力を失っても、上甲板が水没しない(復原力を喪失しない)ように出来ているようだが、そう一部だけに被害が集中する訳ではないし、正直大丈夫なのか心配になる。さらに内装された弾薬庫装甲の側面区画がかなり大きい点も不安である。
また航空攻撃が中心となる戦場では、対空火器を増設するスペースが限られる点も、(能動的な)防御を行う上でこの配置が不都合な点と言える。
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全体的な評価
まず防御面は上で見てきたように、重要区画の装甲はとにかく強力(水平装甲の傾斜部のみ比較的落ちるか)で、影響を受けた英戦艦にも劣らない物である。
竣工時以降の16インチ砲に対しても十分な物を確保しており、大和型以外の新戦艦と比較しても上位に入るだろう。
同時に集中主義を徹底しすぎた感のあるその配置は、対戦艦戦以外において効率的でないと思われる部分も見られる。対戦艦を本分としてそれに特化した結果の防御力である。
一方の攻撃面では、先述したように新開発の52.5口径41cm砲を主砲として採用。
砲塔は基本的には八八艦隊時代より特に変わりない、英式砲塔の拡大多連装化版と言った感じだが、唯一換装室内に砲弾の一部を搭載する形になっているのが変更点である。後の大和型の砲塔のような抜本的な変化ではないが、戦間期に入手した米戦艦の砲塔に関する情報が一部に取り入れられた事になる。
肝心の砲は試作砲が完成していないので詳細は不明な点が多いが、初速を846m/sとした分、45口径砲より性能向上が予想される。
関連資料に記載された垂直装甲(VC)への貫通力試算は、距離20kmで440mmである(45口径砲は390mm)。砲弾は五号弾より一世代先の八八式と思われるが、艦の建造時期にはさらに九一式が開発されているので、この数字はさらに向上するだろう。45口径砲との比較だと60mm程上がるか。
水平装甲への貫通力については、本級の水平装甲を距離28km以遠で貫通、ネルソン級の弾薬庫なら24km以遠で貫通可能としている。
当時の砲弾は空力的に射程が短く落角が大きい事や、装甲材質(NVNCは大口径弾へやや弱い面もあり、のちにMNCが開発されている)の違いがあるとは言え、高初速でこれはやや信じがたい部分も。
以上のように単純な攻防力から見た本級は、条約型戦艦としてネルソンやサウスダコタを上回るだけでなく、大和や一部未成艦を除いた戦艦全体でも上位ではないだろうか。
尤もその戦闘力を条約範囲内で追究する上で、かなり無理をしている印象も強い。
仮に建造されていても、同時期の巡洋艦のように排水量制限を超過したり、色々な不具合に見舞われて兵器としての実用性を下げてしまう可能性もあるだろう。
最後に平賀は計画前の1924年、「欧米視察所見」にて条約型の計画について以下のような意見を述べていた。
・排水量制限を考えれば防御力と速力を両立した高速戦艦の建造は不可能、つまり装甲の薄い巡洋戦艦か低速の戦艦のどちらかに
・条約下で戦艦の保有数が減ったことや第一次大戦の戦訓を考えれば、よほどの理由がない限り英海軍のように戦艦を建造するのが普通だろう
・要求される艦の内容は知らないが、ネルソン級を上回る火力、16インチ砲に対して有効な防御、速力は長門型に近い(他国戦艦に優位を持つ)物、などが希望されると思われる
・ただこれを実現するのは現時点では不可能に近く、新機軸により重量軽減が行えない場合はいずれかを犠牲にする必要がある
それに対して本案では、鋼材や機関といった技術の進歩に加え、重要区画の極端な短縮という少々犠牲を伴う方法により、挙げられた要素を満たした艦と言えるだろう。
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藤本案に関する妄想
一方で正式な設計案として進められてきた藤本(艦政本部)案については、肝心な装甲厚や配置の詳細が不明である為、他のように評価を行うには難しい面が存在する。
それ以外の艦の概要としては、排水量は当然3万5千トン、主砲52.5口径41cm砲三連装3基9門、副兵装は仰角75度の6インチ砲連装6基12門、12cm高角砲連装4基8門、速力は25.9ノットなどの数字が残っている。
元々あった同案に対して、これを上回ろうと平賀が私案を作成した流れになるので、カタログ上では若干ながら平賀案よりも控えめと言える。
装甲関連では平賀資料に重量表の一部やスケッチなど関連資料(平賀が対抗案を作成すべくシンパの人間に入手させた物)が残っており、限定的だが内容を推測する事も可能である。
まず重量表を見ると、本案は平賀案と比べて船殻と兵装重量が小さく抑え、装甲に1700t程大きな数字を割いている。
装甲重量の内訳には舷側+水中防御、甲板防御、バーベット、司令塔、副砲防御、舵機室防御、煙路防御、その他防御板と言った項目が存在し、1700tは主に「舷側+水中防御」の重量差と、そもそも平賀案には存在しない「副砲防御」の2項目で生じた事がわかる。
一方で具体的な防御力となると、重量とは別に配置に左右される面が大きく、やはりこの部分が推測の域を出ないというのが現状である。
一応配置に関してスケッチから明らかな事としては、まず平賀案同様に前後主砲塔間、つまり一般的に重要区画となる部位を大きく短縮している。
(全長に占める割合としては本案の方がやや広い他、主砲塔が三基なので、平賀案ほど無理に詰め込んだ印象は受けないが)
またこの両端には前後横隔壁も描かれており、少なくとも主要な装甲区画はこの範囲と考えられる。(また同資料では、主な水平装甲は中甲板に施された事もわかる)
広大な非重要区画の範囲は、平賀案同様に航空攻撃などに対する脆弱性に繋がる可能性もあるが、この部分に補助的な装甲や水雷防御が存在するかは不明であるので、艦の防御にどういった影響を与えるか論じる事は出来ない。
一方で少なくとも大口径弾に対する装甲防御の範囲は、平賀案と同じく極力小さいものとし、重量軽減を図ったことは確実である。
加えて注目すべきは先述した前後横隔壁が傾斜している点である。時期的に前後する主力艦の配置から見ても、本案も舷側は傾斜装甲となっていただろう。
更に推測を進めると、全体的な配置は自身が手掛ける最上型などでも採用される配置、つまり平賀案と同じものであった可能性も考えられる。
なお戦後の艦艇研究でも活躍した造船官の牧野茂大佐は、両案を比較して「類似した集中防御主義」という評価を下している。ただ文脈からしてこの「集中防御主義」とは重要区画の極端な短縮を指しており、具体的な配置が同じであったかは結局不明である。
・副砲防御について
もう一つ本案で目を引くのが、密閉砲室(こちらもおそらく砲塔)に収められた6インチ連装砲の搭載位置である。
先述したように平賀案がケースメイト併用のかなり苦しい配置で済ました一方で、藤本案はなんと艦首・艦尾といった主砲よりも外側に三分の二にあたる4基を配置している。
艦の前後部に対空用の軽火器を置くことは珍しくないし、条約以前ならケースメイト砲の搭載例もないことはないが、砲塔を設けるのは近代戦艦としてきわめて珍しい。
またこのサイズの火砲であれば、有効な射撃を行うには砲塔の下に揚弾機構や弾薬庫を持つことが予想される。
砲塔の防御は捨てて誘爆対策に力を入れるとしても(なお重量表では砲塔は1基80tと平賀案よりやや大きいが、そこまで装甲厚に差があるとは思えない数字である)、弾薬庫に直接命中弾を受けた場合は問題である。
主砲弾薬庫とは距離があるのでそう簡単に爆沈しないとしても、艦首喪失やシャフト損傷など航行能力を大きく失う可能性も考えられる。
主要な装甲区画の外にあるはずのこの部位をどう守っていたのかは、本級の装甲について考える上での大きな謎の一つだろう。
妄想100%となるが、副砲弾薬庫の防御方法は以下の物が考えられる。
1 装甲などは設けない
2 主砲塔間と同じ装甲区画を副砲横まで延長する
3 水線付近の甲板水平装甲による防御
4 水線付近の甲板水平装甲と艦首尾補助装甲帯の組み合わせによる防御
5 弾薬庫の天蓋と側面に直接装甲を貼ったボックス装甲による防御
まず1は装甲を設けず、副砲弾薬庫を水線下深くに収めて被弾の可能性を減らす事で対策とするもの。
当然砲弾が達すれば被害は避けられないのと、そもそも上記の重量表に副砲防御の項目がある事から、ここでは考え辛いだろう。
2は主砲塔艦間の主要区画を守る装甲を副砲弾薬庫を収める範囲まで伸ばすもの。
この場合厚さも主要区画そのままであれば、防御力的には十分なものになるが、全長の8割近くに重装甲を施すことになり、間違いなく重量過多となる。(重量表で舷側の重量が上と述べたがさすがに足りないだろうし、第一水平装甲は大差ないのでまず考えられない)
この為に全体の厚さを減じるのも本末転倒であるので、主要区画よりも薄い装甲となるのが自然と考えられる。
3~5はより限定された範囲に装甲を設ける物で、巡洋艦の弾薬庫装甲配置などで見られる配置に似た物になる。(どれも副砲弾薬庫は1の場合と同じく、水線下の低い位置に収めることを前提とする)
まず3の甲板は主砲塔間の装甲甲板よりも一段下、水線付近の高さに貼る事で、水線上から来た被弾から弾薬庫は守ることが出来る。
4はそれに装甲帯を加え、厚さにもよるが水中弾気味の砲弾にある程度対応できる他、非重要区画の防御強化にも貢献する物に。
そして5は船体防御にはならないが、重量が節約できる他、水中弾への対策としてより有効である。
3~5はいずれも控えめな重量で一定の防御を得られる物で、可能性として高い物と思われる。
ここで注目すべきは「副砲防御」という項目の存在である。なお副砲防御と言っても砲室の装甲は兵装重量に加算されるのでそれ以外となる。
残る物としてはバーベットも該当するが、ここで議論している弾薬庫の防御もこの項目に加わるとした場合、舷側や甲板防御の重量として加算されない装甲、つまりボックス装甲の存在を示した物と考える事が出来ないだろうか。
つまり5ではないかと言いたい所だが、決定的な証拠となる物は存在しないし、また仮にこの形であったとしても、どの程度の防御力を持っていたかも結局は不明である。
この点含め本案については、今後の発見等に期待したい。
なお他国の似た例として、英ネルソン級で副兵装を133mm砲に統一する改装案があり、この中で一番主砲前に2基4門を配置する案が確認できる。
この場合の弾薬庫防御は、艦首甲板(既存の装甲甲板の一段下の高さ)へ水平装甲を貼り、弾薬庫をその下の配置することで防御を試みている。
つまり上で言うところの3が採用予定であった。ただしピッチングなどで弾薬庫が水線上に露出する可能性を考慮すれば、装甲帯を艦首に増設した4とする必要性も指摘されている。
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・昭和期の徹甲弾について
上では日本海軍の徹甲弾として五号徹甲弾までを見てきたが、ここからさらに6号弾(八八式)を経て、九一式徹甲弾が開発され、第二次大戦を迎える事になる。
(実際に使用されるのは九一式に着色料を入れた一式徹甲弾だが、徹甲弾としての性能はほぼ変わらず)
先述したように五号徹甲弾は一三年式信管との組み合わせて、戦艦の厚い装甲を損傷せずに抜いて奥で炸裂が可能という、徹甲弾として満足のいく性能をようやく獲得した砲弾であった
上で取り上げた金剛代艦のような重装甲艦も、このような砲弾が使用される環境に対応を図った結果として計画されたものである。
一方この時期は、より致命的な脅威として水中弾効果が注目されていた時代でもある。
水中弾効果自体は19世紀の時点で認識されており、別ページでまとめた通り実戦でも普通に発生していた。
それが日本海軍の場合、自爆問題が解決出来ていない土佐に対する実験の際に、同艦へ大きな損傷を与えた事から一気に重要視されたものと思われる。
結果として1928年に採用された六号徹甲弾(のちに八八式に改称)では、水中弾効果に適した構造に新たに取り入れた徹甲弾となっている。
ここら辺は有名だが一応説明しておくと、着水後の弾道を安定させるには通常の椎の実型の弾頭よりも、平坦な平頭弾が適していた。
しかし平頭弾は比較的軟質の水平装甲を貫通する際に適した物でもあったが、垂直装甲に使われる表面硬化装甲に対する効果に乏しく、その点が問題である。
(ちなみにフランス海軍の34cm砲弾は直接装甲に命中する部分ではなく、風帽の先端を平頭とする事を試みていたが、空力的な効率が悪く、射程や撃速などが低下してしまった)
そこで八八式では、これまでの弾体・被帽・風帽の3つからなる徹甲弾の中で、被帽を2つに分割。平頭の被帽と、その上に乗る鈍角の被帽頭を設けている。
こうすることで、着水時には風帽と被帽頭が取れて平頭部分が現れるのに対して、普通に装甲に命中した時は被帽頭が着いたままで、通常の徹甲弾と同じ形状になるという仕組みである。
すぐ上で出した16インチ砲のデータが八八式とすると、実際に貫通力を落とさずに、水中弾道に適した砲弾が欲しいという目的を達していると言えるだろう。
そして31年採用の九一式は、八八式をベースに遠距離戦闘に適した射程延伸の為の改良を加えた砲弾である。
具体的にはより先鋭な風帽とボートテイル状の尾部を設け、空力的な効率を上げている。
結果戦間期の仰角拡大も相まって、14並びに16インチ砲艦は30km台半ばかそれ以上の最大射程を得ることになった。
さらに射程が伸びたということは、一定での距離での撃速が上がり落角が小さくなり、その分垂直装甲への貫通力は当然向上する。
また弾道が下がったのながば一般論として命中界が拡大し、遠距離での精度も向上するだろう。(ボートテイルが弾道に悪影響を及ぼすという指摘もあるが)
射程以外の改良点は炸薬の成分が変更された点で、鋭敏で自爆の原因になる下瀬火薬に変わり、より鈍感なTNA系統の炸薬を使用している。
(そして先述したように水柱の観測用に着色料を入れた一式徹甲弾が実戦で使用される)
一方で巡洋艦用の徹甲弾は戦艦用とまったく構造が違うものだが、これについては該当するページに回したい。
さて、そんな九一式・一式徹甲弾に関する評価として「水中弾効果を重視した為に、徹甲弾の本分である装甲貫通力に劣る」という評価がなされる事もある。
このような内容は、一昔前に「九一式徹甲弾 性能」みたいな単語で検索すると一番上に出てきていた、大塚先生のHP(今は亡きインフォシーク)でも主張されていたと思う。
(脱線するが、氏は紙もネット上も問わず精力的に活動されている為か、こういう意見を含め良くも悪くも影響力が強すぎだと毎回感じさせられる。あと学研は正誤表だけでも氏のページからサルベージすべき)
そもそも水中弾効果を重視したのは八八式からで、これは以前の徹甲弾に劣っていないと書いたばかりだが、他にも九一式と他の第二次大戦期の砲弾と比較した場合、という意味を含むと思われる。
こちらの場合は、確かに戦後の検証では米国製の同口径の徹甲弾に対して、貫通力並びに弾体強度で若干劣っていた事が確認されている。
しかしこれが水中弾効果を重視した結果かと言えば、明確な答えは出しづらいとしか言いようがない。
(なお氏が根拠として挙げていたサヴォ島沖海戦の件は、巡洋艦用の徹甲弾が使用された例なので全くの別問題である)
ただ言えることとしては、少なくとも砲弾強度の面では別要因があり、水中弾効果を重視しなくても差があったのは確実である。
例えば九一式は新たに炸薬としてTNAを使用したと述べたが、これは下瀬火薬よりはマシとはいえ、他国が用いるTNTやシェルライト、D爆薬に比べると鋭敏であるのは否めない。
結果として自爆防止のために炸薬量の割に弾腔が広くなり、その分弾体の肉が薄くなって、強度を向上させる上で不都合だった。
さらにそもそもの話になるが、九一式は水中弾効果に空力特性、炸薬という面を除けば、基本は1925年の五号徹甲弾(これも元をただせば一次大戦後のハドフィールド弾)からそこまで大きくは変わっていない。
それに対して、戦中にも普通に改良を行っていた米軍の砲弾と比較すれば、劣る面があるのも否めないだろう。
少なくとも採用時の31年時点なら、通常の徹甲弾としての評価もまた違ったものになっていたのではないかと思われる。
それでも31年はともかく、開戦までの10年間にさらに性能を伸ばすことができなったのか、という問題が出てくるが、これは必要性と費やすリソースを天秤にかけた結果である。
実際46cm砲用の徹甲弾では、VH鋼の開発に対抗する形でやや弾体強度を増していたが、既存の41、36cm砲弾では余裕がなくてそれが出来ていないという一面もあった。
そして性能向上にリソースを費やさなかった裏に「少々性能で劣っても水中弾効果があるからいいじゃないか」みたいな風潮が万が一あったとした場合(堀川一男少佐が戦後の実験結果に関してそういう意見を述べていた)、ここまでくれば水中弾重視のせいと言えるのかもしれない。
話は変わるが貫通力とは別に、水中弾効果を生かす為の0.4秒という非常に長い信管設定も議論の対象になるかもしれない。
(なお大和建造時の艦本部長である中村良三大将も、この信管に対してひどく不満だったというエピソードが呉鎮守府長官時代に残っている)
ただ一度装甲を抜けば残速もだいぶ落ちるし、内部にも色々と構造物があるので、少なくとも対戦艦を本分とした場合、20年代前半までの自爆・早爆祭りよりはマシだろう。
水中弾効果を重視しつつそれなりの性能を持つ九一式だが、結局のところ戦史を見れば日本の戦艦がこの砲弾を敵艦に放ち、その性能が試される機会自体が限られる結果となった。
おそらく厚い装甲に命中したのは、第三次ソロモン沖海戦のサウスダコタのバーベットに命中した霧島の14インチ砲弾が唯一の例である。
この命中弾はバーベットの434mm装甲を押し込んで砲塔の旋回を困難にしたが、10km以内という至近距離にも拘わらず、装甲の貫通に失敗している。
米海軍の最新砲弾には劣るとはいえ、この砲弾が一定の性能を有している事には違いはないが、それでも口径の1.2倍ほどある装甲を抜くのは、落角以外の角度がつく実戦ではかなりの難題であったようだ。
(また仮に貫通していても、そう簡単に弾薬庫誘爆とはいかないので、与える被害もそこまで大きくはなかっただろう)
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大和型戦艦
1937~38年起工 1941~45年就役
263m 64,000t 69,000t(公) 九四式45口径46cm砲 三連装3基9門 27ノット
装甲厚
垂直装甲 410mmVH+16mmDS 傾斜20度
砲塔前盾 650mmVH 傾斜45度(内傾)
バーベット 560mmVH
水平装甲 16mmDS+18mmDS → 20mmDS → 200mmMNC +10mmDS → 9mmDS ≒ 221/219mmMNS
砲塔天蓋 270mmMNC 水平~傾斜5度
上部装甲帯→甲板 なし
上部装甲帯→傾斜部 なし
船体 長船首楼型(船首楼が艦尾付近まで伸びていて、ほとんど平甲板型と言えるが、本ページの甲板名称は長船首楼型に準ずる)
装甲部位\艦砲 | 8インチ | 28cm | 41年式36cm | 14インチマーク7 | 15インチ | 16インチ | 46cm |
垂直装甲 | 貫通不能 | 8km以遠 |
8.5km以遠 |
9.5km以遠 |
14.5km以遠 |
16.5km以遠 |
19.5km以遠 |
砲塔前盾 | 貫通不能 | 貫通不能 | 貫通不能 | 貫通不能 | 貫通不能 | 貫通不能 | 貫通不能 |
バーベット | 貫通不能 | 3.5km以遠 (6km以遠) |
5km以遠 (7.5km以遠) |
7km以遠 (9.5km以遠) |
10km以遠 (12.5km以遠) |
11.5km以遠 (14km以遠) |
16km以遠 (18.5km以遠) |
水平装甲 | 貫通不能 | 39.5kmまで | 32kmまで | 31kmまで | 貫通不能 | 32kmまで | 33kmまで |
砲塔天蓋 | 貫通不能 | 貫通不能 | 34km ~32kmまで |
32.5km ~30.5kmまで |
貫通不能 | 貫通不能 ~31.5kmまで |
35km ~32kmまで |
垂直装甲(30度) | 貫通不能 | 1km以遠 | 1km以遠 | 貫通不能 | 3.5km以遠 | 11km以遠 | 13.5km以遠 |
ようやく日本最後の戦艦である大和型。新戦艦編でも扱っているのでそちらも参照。
そちらでも少し述べたが、本級は厳重に存在が秘匿された終戦までとは対照的に、零戦と共に旧日本軍を象徴する兵器として今日圧倒的な知名度を有している。その為か単なる一兵器として以外にも、「戦前」とか「日本人」とは何か、といった大きなテーマを論じる際にも結びつけられやすい点があるだろう。
この種の議論でも本級に対しては様々な評価がなされている。
極端な例としては、ある種の人間にとって大和は「(彼らの考えによると)時代遅れな大艦巨砲主義」に固執した海軍ひいては日本人の失敗の象徴であり、またある種の人間は戦後日本が技術立国となった事実に対して、その根源を戦前の技術、特に大和型などの海軍技術に求め、戦後の成功の礎となった重要な存在として本級を称賛している。
どちらも結論ありきというか「教訓を作るための解釈」という印象で、細かい部分の正確性や理論の飛躍などの問題があり、無批判で受け入れられる物ではない。
と言ってもここはそんな大きな話を論じる場所ではないので、いつも通り本ページなりに兵器としての大和型について解説しておきたい。(そしてこんな事に言及して置いてなんだが、実は詳しい建造経緯など本級についてはあまり知らないのでそこまで語る事がないという)
背景と艦の概要
ロンドン条約の締結以降、依然として米英を下回る規模へと抑え込まれた海軍の中では条約体制自体への不満が高まり、実際に1934年ワシントン条約からの脱退を宣言。
この時期より、新たに条約制限に縛られない巨大艦の整備で他国戦艦に対する優位を確保する、という考えが検討されて行き、最終的に大和型の計画へと発展していく。
その後第二次ロンドン条約への不参加に伴う無条約時代や、国際的な孤立が深まり戦争へと向かっていく中、厳重な防諜のもと秘密兵器的に建造が進められていった。
(これ以前には第二次ロンドン条約に参加した際の主力艦案として、排水量2万8千トン~3万5千トンの14~16インチ砲艦に関する研究も存在していた。なお2万8千トンというのは英国が求めた個艦制限の引き下げに対応したものである)
本級は建造された戦艦の中ではダントツの基準排水量6万4千トンの船体に、これまた最大の46cm砲を搭載、それに対応した防御を持つなど、攻防の面で一段階上のステップへと達した艦である。
大まかには3万5千トンの金剛代艦計画と同じく、最大限の火力・防御力とそれなりの速力を持ち、純粋な対戦艦における水上戦闘能力を追求した艦となっている。
その設計においては巨大戦艦のイメージとは異なり、条約時代の巡洋艦建造で培ったノウハウなどを用いて、小型軽量化への努力が払われている。
一方で友鶴転覆や第四艦隊事件など設計上の無理が祟った不祥事が起こった事もあり、同時に堅実さを重視。言い換えれば技術や思想的にやや保守的な部分も見受けられた。
細かい部分も一応見ておくと、本級は主砲として、実際に搭載された戦艦主砲としては最大(かつ最も強力と思われる)の45口径46cm砲を採用。
本級はこれを三連装砲塔に収め(当初はネルソン風の前部集中も検討されたが)前部2基後部1基と、新戦艦では最もポピュラーな形で配置している。
主砲塔は砲弾の一部を旋回部に収容し、砲弾と装薬を別々に揚弾するなど、主に米標準型より受けたと思われる影響が強い。加えて誘爆対策として一次大戦期のドイツ戦艦の要素も取り入れられ、海軍休日以前からの英国式より大きく進歩した物である。
一方で砲身は内筒への自己緊縮法の採用こそあるものの、基本は元をたどると14インチ砲に行き着く鋼線砲(この時代鋼線はむしろ無い方が軽量化できると判明していた)。水圧中心の砲塔動力なども含め、英国式の名残でありやや旧式な面も存在する。
副兵装には水上並びに対空用として、最上型で採用された60口径155mm砲と、改装戦艦などにも用いられた40口径5インチ砲の二種類を搭載。
前者は三連装砲塔4基を上構周辺に菱型配置、後者は連装砲架を中央部舷側に3基ずつ計6基を配置している。また竣工した2艦共に戦時中に舷側の副砲塔2基を撤去、大和のみ高角砲を計12基に強化した。
速力面については15万馬力で27ノット台を発揮。他の新戦艦と比較すると欧州艦や米英エスカレーター条項艦には劣るが、米英3万5千トン艦とは同等で、一部巡洋戦艦を除く旧式戦艦を全体的に上回る。
最初期の案では蒸気タービン・ディーゼル併用の20万馬力31ノットという意欲的な物であったが、後に10万馬力台24~29ノットへと控えめになり、搭載艦の成績不良からディーゼルの併用を中止。
最終的には蒸気タービンのみ、それも同時期の翔鶴型が搭載した最新の物ではなく、性能は落ちるが既に実績のある物を採用して、この形に落ち着いている。
この中速戦艦化は実戦での使い勝手を落としたという評価もあるが、第一に戦艦の本分である(実戦では必ずしもそうでは無い事になってしまったが)他戦艦との戦闘において十分な性能と信頼性を確保する方針を採った事になる。
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装甲配置と表の一部解説
まず船体はほぼ平甲板型と言えるが、艦尾の航空機格納庫付近が切り欠かれた長船首楼型。そのため重要区画上の甲板は船首楼上中下の4層になる。
装甲は基本的に重要区画間のみに設けられ、前後部はほぼ非装甲。垂直装甲は中甲板より若干下の高さまでに主装甲帯を設け、20度傾斜した410mm装甲が16mmのバッキングに装着される。
これに加えて主装甲帯の下端にはテーパー装甲が接続し水中弾防御として下方に伸びている。
重要区画間の水平装甲は中甲板が最も厚く、中央の水平部が200mm(10mmバッキング)、外側では230mmで7度傾斜して装甲帯の上端に接続する。
このほかには重要区画上の船首楼甲板に38~12mm、中甲板装甲の直下にスプリンター防御用の甲板9mm。また艦首尾の船首楼甲板には50~30mmと言った水平装甲を有している。
主砲砲塔は前盾650mm、バーベット560mm、天蓋270mm。副砲塔は前盾天蓋共に25mm、バーベット75mm。高角砲は一部爆風除けのシールドを持つが基本無防御である。
材質は垂直装甲の大部分がVH、主な水平装甲である中甲板装甲にMNCと新たな材質を導入。
一方でその他にも、下部テーパー装甲や副砲砲室はNVNC、艦首尾船首楼甲板や煙突付近の装甲、副砲バーベットの一部にCNC、それ以外の甲板やバッキングがDSと、既存の戦艦よりかなり種類豊富な材質が用いられた。
本級の装甲区画は、主に非常に厚く深い傾斜を持つ垂直装甲と下部テーパー装甲、外側で傾斜する中甲板の水平装甲で構成されている。
この組み合わせは金剛代艦平賀案に非常に近いものであり、大まかな部分は同案から受け継いだと考えられる。
一方で相違点もいくつかあり、表で扱う範囲では主装甲帯全体がバルジ内に内装されるのではなく、上部が露出する形で取り付けられる点、中甲板傾斜部の角度がより浅くなった(それに伴い装甲厚を減ずる)点、装甲材質が新たにVHとMNCが中心になった点など。
それ以外には、主装甲帯とテーパー装甲の継ぎ目の構造が違う点、重要区画前後部の横隔壁や舵機室周辺の装甲の形状が複雑化した点、煙路防御に新しく蜂の巣甲板を導入した点、艦首尾が完全な無防御ではなく薄い水平装甲を設ける点。
また各部位の装甲厚は排水量の割にそこまで差はないと言えるかもしれないが、やはり船体が大型化した分装甲区画の割合は増加しており、全長の5割を超える程度になった点も大きな違いである。
表の詳しい部分は新戦艦編で扱ったので省略。
(一応外殻→中甲板は、貫通不能/39km/31.5km/31km/貫通不能/32km/32.5kmとなる)
安全距離を見てみると、こちらでも相変わらず圧倒的としか言いようがない。
舷側部の安全距離はリットリオ級やビスマルク級、長門型など特殊な構造を持つ艦ほどは過剰な安全距離ではないものの、46cm砲に対する防御力では大差ないか本級が勝っており、それ以外の部位は他の艦を完全に圧倒している。
総合的に見れば、建造された戦艦の中で最も優れた対弾防御を持っていることは間違いないだろう。
砲塔前盾については560mmという説も。VH鋼の開発に携わった佐々川清少将の証言による。
その場合の安全距離は以下の通り
砲塔前盾(560mm) | 貫通不能 | 貫通不能 | 貫通不能 | 貫通不能 | 貫通不能 | 貫通不能 | 36kmまで |
650mmの場合と異なり、撃角が深くなる遠距離では自艦主砲に貫通される。それでも36kmと言う距離では実戦で問題になることはまずないだろう。
正直この厚さでも、対18インチ防御としては少々過剰のように思えてくる。
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表に載らない部分
まず煙路防御は新たに厚さ380mmのMNC装甲に煙を通すよう穿孔した蜂の巣甲板を導入。コーミングアーマーに対して(おそらくバーベットと同じ560mm円筒装甲が必要と思われる)防御力を確保しつつ大幅に重量軽減に成功している。
これに加え、小型爆弾防御として煙路周辺の船体に50mmCNCの装甲が加わる。
なお実戦では機械室の通風口から航空爆弾の爆炎が内部に入った例があるので、やはり完全な防御は難しい面も存在するようだ。
副砲防御については新戦艦編で述べたが、弾薬庫へのホールインワンを防ぐ装甲を除き弾片防御程度であり、直撃弾に対して破壊される事は避けられない。
それに対して基本的には、その際に生じる被害が弾薬庫に達して致命傷を負わないよう対策を設ける防御方式である。
補助艦との戦闘時に損傷して火力を失いやすいという面はあるが、戦艦主砲に対する防御だけであれば、他国の副砲と大きな差は無いとの評価も可能である。(他国ではリットリオ級の副砲装甲が非常に厚い事で知られるが、これでも前盾280mmと戦艦主砲には限界あり)
水中弾防御には主装甲帯の下端に接続するテーパー装甲が用いられ、200mm~50mm厚の装甲が艦底まで、弾薬庫では270~100mm厚が弾薬庫床面の装甲に接続する範囲まで設けられる。
竣工した戦艦では数少ない、また日本戦艦の中でも唯一、重要区画全体に「積極的な」水中弾防御を有する艦となる。
またこの装甲は水雷防御を兼ねる物であったが、近い構造を持つ米新戦艦での例でも明らかなように、柔軟性の無い厚い装甲を艦底まで伸ばすという行為は、魚雷の爆圧を防ぐ構造としてベストな物ではなかったとされる。
ここで水雷防御の話に脱線して行くと、本級の主装甲帯とテーパー装甲の継ぎ目には棚板が通っており、この上下に装甲とかみ合う受材を取り付ける事で、(楔型のドアストッパーのように)両装甲の端部を支える構造になっていた。
しかし実戦では浅深度の魚雷が付近で炸裂した際に、装甲に掛かる圧力に受材を固定するリベットが耐えきれずに破断。継ぎ目から分かれるように装甲が内部に圧入してしまった。
元々被雷時に継ぎ目が水密を失い背後に浸水が生じる事は想定済みだったが、圧入した装甲と背後の肋骨がこの浸水を食い止める為の隔壁を破壊してしまい、結局重要区画まで達する被害が生じてしまったと言う。
実戦でこのような被害を受けた事は構造上の問題に加え、そもそも当時の米魚雷はトーペックスやHBXなどの採用で実質400kg程度の威力を持っていたのに対して、本級の水雷防御は350kg対応を目標としていた事も要因として考えられる。(一部で500kg対応という試算もあるが、他艦の数字が大分おかしいので正確性には疑問)
既に自国が炸薬量500kgの61cm魚雷や400kgの53cm魚雷を持つ中、この程度に留められた理由としては、当時の他国魚雷の情報から、炸薬量は将来も300kg程度だろうと推定された事による。
この予測は結果として当たってはいるが、爆薬の進歩を含めた威力向上は想定外となり、対弾防御と比べると見通しが甘かったと言わざるを得ない。(結局他国戦艦もこの時期の魚雷に対応できなかった事から、どのみち技術的な限界もあったと思われるが)
最後に金剛代艦より範囲は広がっているとは言え、本級の対弾・水雷防御の両方は重要区画間のみに設けられており、それ以外の艦首尾は一部区画を除きほぼ無防御である。
これは最低限必要な箇所に最大限の防御力を持つ事が出来るので、本来想定していた対戦艦では最も効率が良い方式であるが、同時に航空機からの飽和攻撃などに対する生存性という面ではやや問題のあるものであった。
そんな本級でも実戦で見せた抗堪性、特に空前絶後というレベルの攻撃を受けながらも、最期まで推進力を失わずなんとか航行可能であった武蔵の例というのは忘れてはいけないが、異なる思想で設計されていたのであれば、さらに生存性を増す事も可能だったとみなされている。
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まとめ
以上のように数字に出ない細かい部分では色々あるものの、対艦戦闘における装甲は就役艦の中で一線を画する物である。
30km付近の遠距離から、決戦距離になるだろう20km付近かそれ以内の距離という広い範囲の殆どにおいて、既存の艦砲へ対応が可能となる。
また火力面は、主砲に新旧入り混じった部分があるのは先述したが、他にも訓練時にはやや信頼性への不安が報告されている。(実戦では幸い目立った故障などは起こさず。事故では武蔵が腔発を起こしたが)
射撃指揮に関しては、最大射程42kmでアウトレンジというのはともかく、30km付近での遠距離戦闘への対応を想定。サマール沖海戦では十分な戦果こそ得られなかったが、実戦でもその能力の一部を見せている。
そして貫通力は砲弾性能に多少の遜色があるとは言え、サイズの優位で打ち消せる範囲である。そして条約に縛られた艦に対しては、特に中距離以内からの垂直装甲に対して、多少横方向の角度が付いても有効な威力を有している。
こちらの装甲が耐える状態で一方的に相手の装甲を抜ける範囲が広いというのは、もちろん戦闘において絶対とは言えないが、戦闘力的な優位である事は言うまでもない。
最後に上で触れた「時代遅れな大艦巨砲主義に」みたいな言説は言い過ぎとしても、太平洋戦争の戦場にはやや適応出来ず活躍の機会が限られたのは事実であり、兵器として残念な点ではある(これは当時の戦艦多くに言える事だが)。
しかし戦艦という兵器の枠組みの中で、とにかく強力な艦である事には違い無く、本級に比肩しうるのは未成若しくは計画艦のみだろう。
戦艦としてだけでなく、100年弱続いた装甲軍艦の歴史、そして600年余りと考えられる砲装軍艦の歴史において、ここまでの艦が実際に建造されたという意味で、本級が特別な存在である事は否定のしようがない。
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・後半になるほど妄想がひどくなる追記
仮に後知恵で本級を改良する場合、まあ基本は水雷防御と対空能力の改善が求められるだろう。
まず水雷防御は主装甲帯と下部テーパー装甲の支持構造を強化し、なるべく装甲圧入を防ぐ事。それが不可能であれば背後の構造を強化し、なんとか浸水をここで止める事。
そして重要区画外側へも防御の対象となる範囲を増す他、防御構造は性能や浸水量の少なさから液層防御(日本海軍では翔鶴型で採用済)の導入も良い手段だろう。
これでも同時期の水雷兵器の威力向上へ対応できるかは怪しく、特攻時のような一方的な状況で艦の運命は変わらないだろうが、普通に運用する上ではより有効である。
対空能力も当時の装備で強化できる範囲は限られるが、これも有りすぎて困る事はないだろう。
一方で通常の対弾防御はこれらの改良に伴い削減される側だが、重量が許せばこちらも変更したい部分はある。
まずは重要区画外への防御強化の一環として、計画案にあった前後部の下甲板装甲を復活させるというのは一つの手段だろう。
これは主に航空爆弾への防御範囲を増やしてくれる物で、重要区画内に置くほどではないが防御がないのも不安という程度の物を配置するスペースにもなる。無論だいぶ重量を食うが。
次に本級の水平装甲(中甲板や弾薬庫床面など)は図面を見ればわかるように、かなり傾斜部を多く設けている。
これは艦のサイズを抑えつつ有効な防御範囲を確保するために熟考された物なのだろうけど、ここまでする必要はあったのか疑問もある。
垂直装甲とは違いここに傾斜を設けると撃角が深くなる場合もあるし、無い方が工事を簡略化できたのでは。
最後は煙路関連で、蜂の巣甲板に爆焔が入らないようにと煙突基部に装甲が設けられたが、これの範囲は足りず、中甲板での炸裂を許して被害を受けかねない。
そこで中甲板に接続する範囲まで装甲を伸ばすのが望ましい。
同じく他の通風口に繋がるトランク類も基部に弾片防御程度があれば、被害拡大を防ぐのに少しは役立つだろう。
当然これらの改良にはそれなりの重量を必要とするが、その代償としてはやはり主要区画の装甲削減が候補となる。敵艦との直接対決における優位性を減少させる選択だが、実戦に即した部分の性能を向上させる為には仕方がないだろう。
あとは信頼性を重視した機関においても、島風とは言わないが翔鶴型の物を採用するなど冒険する事も選択肢の一つである。
さらに欲張ると攻撃面の改良として、徹甲弾の改正もやっておくべきか。
上で解説した通り、戦時中にも改良を重ねた米英の徹甲弾に比べれば、一式も足りない部分がある事は否めない。日本もリソースさえ割けば今以上の物を作るのは不可能ではないと思いたい。
今の性能でもアイオワ以下既存の艦を撃つ分には問題ないが、自艦やモンタナ級が持つような16インチ越え表面硬化装甲を斜貫しても損傷しない弾体強度があれば尚の事良い。
領収試験時は410mmのVHに対して20km相当の撃速で30度が限界だったが、ちょっと欲張って35度ぐらいは欲しい。
尤もこの強化が重要な要素になるのは対モンタナ戦ぐらいで、当然上の改善点と比べると実戦での重要度は低いだろう。
また九一式・一式と言えば水中弾効果を狙った被帽頭との二重構造と大遅動信管だが、実は個人的に結構好きな機構なので、弾体強度さえ上がればそのままで良いと思う。
パッとしない内容ばかりだが、そろそろ脱線が激しくなってきたので終了。
結局は戦艦という艦種を復権させる程の戦力にするには難しいと言うことで、考えて勝手に虚しくなってしまった。
もちろん価値が無くなった訳ではないので、最初に言った通りその枠組みの中で優れた艦となるのは意味のある事に違いはないが。
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大和武蔵以降の後続艦
以下では未成(もしくは艦種変更)に終わった大和型系統の戦艦を軽く紹介していきたい。
まず三番艦信濃(110号艦)並びに4番艦111号艦(命名されず)の2隻は、一部防御面での変更が加えられる予定であった。
両艦とも機関部艦底の大部分を3重底とし、各層の厚さ自体も増す事で艦底爆発への防御力を強化している。
また根本的な変化ではないが、残された図面から主装甲帯下端の受材のサイズが微妙に変更されており、この部分の改正を行っていたようだ。
また大和型の装甲厚設定は、46cm砲の開発時期から、八八艦隊時代に試作された48cm砲を修理改装して行った試験をベースにしたものであった。
ところが実際の46cm砲に対しては、この数字はやや過剰であると判明。そこで2隻は主要区画の装甲を若干削減し、上記変更に要した重量に充てている。
判明している範囲で装甲厚は舷側400mm、水平190mm、バーベット540mmとなる。
なお砲塔前盾については戦後米軍によって回収試験された660mm前盾装甲が現存しており、これが信濃用とも伝わっている。ただ他部位での装甲削減を考えると、やや怪しい面もあるだろう。
次に開戦後に構想されていたマル5計画では、大和型の発展形3隻の整備を予定していた。
3隻ともミッドウェーに伴う計画変更で早期に消滅したので、詳細は不明な部分も多いが簡単に紹介しておきたい。
このうち797号艦は、いわゆる改大和型として知られている。
基本的な部分は信濃をベースにしつつも、最初から副砲を削減(全廃とも)。空いたスペースに高角砲として新たに長10cm砲を多数搭載する予定であった。
防御面では機関部の艦底全体を3重底とし、さらに重要区画外の艦首尾にも水雷防御隔壁を追加して防御範囲を拡大している。
大和型と比較すると、主に対空能力の向上と防御区画の拡大を行うもので、上で述べた改良内容にも近い物を実行予定だった事になる。
これらの改良に費やす重量は、普通に排水量を増加させるのか、何かしら重量軽減策を取るのかどちらかとなるが、詳細は不明である。
本艦の完成は大分先になるはずなので、装甲削減以外にも機関や溶接技術の面での重量軽減が可能とも考えられるが、これも筆者の妄想に過ぎない。
そして798、799号の二隻はいわゆる超大和型、さらに一段階上の51cm砲を搭載した戦艦である。
本級の計画においては三連装3基9門、連装4基8門などの案も存在していたが、あまりにも艦型過大になるとして採用されず。大和型と大差ないサイズの船体に連装3基6門となる予定だったと言う。
大和型に対して三分の二になった6門という主砲門数は、砲弾の投射量的には大和やモンタナに劣る他、射撃管制上でも中々議論を呼ぶ選択と言える。
特に交互打方を使用した際の発射弾数が3発になり、遠距離での射撃管制に適さない点が問題であった。
日本海軍は既に水圧の問題を解決して全門斉射が可能になっていたとは言え、以降も交互打方を基本としていた事からすると、どう対応したのか気になる点である。
それでも一発の威力自体は確実に向上する事から、同レベルの重装甲を持つ艦、米モンタナ級などが相手でも有効打を与えやすいというのは進歩であるが。
また防御面は改大和型と同じような改良が施されたと思われるが、装甲については大和型と大差ないサイズでは、51cm対応防御にならない可能性が高い。
以上のように本級は超大和の通称とは裏腹に、「大和型をあらゆる面で上回る究極の戦艦」のような印象とはやや異なる艦と言えるだろう。
同じ技術レベルで排水量が大差ないとなると、やはりトレードオフになった部分もあると言わざるを得ない。
もちろんベースが大和型であるのでお化け艦の一つである事には間違いないが、モンタナ級をはじめとする各国の未成艦に対して確実に優れるかというと、中々断言し辛い所である。
これらの5隻に加え、ほぼ検討されずに消滅したマル6計画では、詳細不明の戦艦4隻整備という記録も残っている。
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新戦艦編にも書いたが、大和型に使用されているVH鋼の品質は戦後の調査などでかなり低く評価されている。
しかしその中でも一部については、ドイツのKC n/Aを上回る品質を持ち、第二次大戦期の表面硬化装甲の中でも高品質と評価されている。
結局この高品質のVH鋼を用いた艦艇が存在したかは不明だが、仮に装甲厚の判明している改大和あたりに使用された場合の安全距離を表にしてみよう。
なおNAaBにはこの項目はないので、ドイツのKC n/Aを使用する。なお品質としては件のVHの方がやや優れているとされ、安全距離にズレが生じている点は注意。
また、この高品質とされるVH鋼として確認された物の中で、最も厚いものは英国でテストされた380mmの物に過ぎない。
改大和型舷側の400mmやそれを超える厚さの砲塔やバーベット装甲も優秀な品質となっていたのかは未知数である。
改大和型戦艦(高品質VH使用と仮定)
研究のみ(起工前に計画消滅)
装甲厚
垂直防御 400mmVH(KC n/aとして計算)+16mmDS傾斜20度
砲塔前盾 650?mmVH 傾斜45度(内傾)
バーベット 540mmVH
水平装甲 16mmDS+18mmDS → 20mmDS → 190mmMNC +10mmDS → 9mmDS ≒ 213/210mmMNS
砲塔天蓋 270mmMNC水平~傾斜5度
上部装甲帯→甲板 なし
上部装甲帯→傾斜部 なし
装甲部位\艦砲 | 8インチ | 28cm | 41年式36cm | 14インチマーク7 | 15インチ | 16インチ | 46cm |
垂直装甲 | 貫通不能 | 5.5km以遠 | 6km以遠 |
10km以遠 | 12.5km以遠 | 14.5km以遠 | 16.5km以遠 |
バーベット | 貫通不能 | 1km以遠 (4km以遠) |
3.5km以遠 (5.5km以遠) |
5.5km以遠 (8km以遠) |
8.5km以遠 (11km以遠) |
10km以遠 (12km以遠) |
14km以遠 (17km以遠) |
水平装甲 | 貫通不能 | 39kmまで | 31.5kmまで | 31kmまで | 貫通不能 | 32kmまで | 32.5kmまで |
垂直装甲(30度) | 貫通不能 | 貫通不能 | 貫通不能 | 貫通不能 | 貫通不能 | 8.5km以遠 | 10km以遠 |
舷側はあと20mm程削っても良かったんじゃ、と思う程過剰な安全距離である。
水平装甲も10mm削られているが、0.5km刻みではほとんど変化はない。
(外殻→中甲板だと、貫通不能/37.5km/31km/30km/貫通不能/31km/31.5kmとなる)
ちなみに46cm砲に対する安全距離は、アメリカのモンタナ級を全体的に上回る結果となった。
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超甲巡(高品質VH使用と仮定)
研究のみ(起工前に計画中止)
32,000t 31cm砲三連装3基9門 33ノット
装甲厚
垂直装甲 190mmVH改(KC n/Aとして計算) 傾斜20度
砲塔前盾 不明
ベーベット 210mmVH改
水平装甲 125mmNVNC(他甲板の厚さは不明)
砲塔天蓋 不明
上部装甲帯→甲板 なし
上部装甲帯→傾斜部 なし
船体 平甲板型?
装甲部位\艦砲 | 8インチ | 28cm | 41年式36cm | 14インチマーク7 | 15インチ | 16インチ | 46cm |
垂直装甲 | 9.5km以遠 | 20.5km以遠 | 23.5km以遠 |
24.5km以遠 | 26.5km以遠 | 29.5km以遠 | 34km以遠 |
バーベット | 9.5km以遠 (11km以遠) |
23.5km以遠 (26km以遠) |
28.5km以遠 (31.5km以遠) |
31km以遠 (32km以遠) |
安全距離なし | 安全距離なし | 安全距離なし |
水平装甲 | 貫通不能 | 32kmまで | 26kmまで |
25kmまで | 25kmまで | 25kmまで | 23kmまで |
垂直装甲(30度) | 7km以遠 | 17.5km以遠 | 20.5km遠 | 20.5km以遠 | 23km以遠 | 26km以遠 |
30.5km以遠 |
本ページで最後に扱うのは超甲巡。マル5並びにマル6計画で建造が予定された、主力艦に相当する艦では超大和型と同じく日本海軍最後の1クラスとなる。
兵器としての同級は名前の通り、甲型巡洋艦(ロンドン条約でカテゴリAに定義されたいわゆる重巡洋艦)を超える戦闘力を目指した大型巡洋艦である。
よって基本的に大火力重装甲を基本とした中速戦艦であった大和型などの戦艦とは異なり、対巡洋艦戦で有効な規模の主砲や装甲を持った高速戦艦となる予定であった。
同時期の各国海軍でも同じような特徴を持つ大型巡洋艦・高速戦艦の計画は盛んに行われたが、本級もアメリカのアラスカ級の影響を受けて計画されている。
(そのアラスカ級の建造理由の一つに、秩父型・カデクル型と言われる日本の大型巡洋艦に関する誤情報があるのが面白いところだ)
また日本海軍で巡洋艦狩りは金剛型の役割とされてきたが、同級は改装を受けたとはいえ既に艦齢30年に迫る老朽艦であり、これらを代替する目的もあった。
全体的に大和型に似たシルエットを持つとされる本級は、基準排水量3万2千トンの船体に主砲として新設計の50口径31cm砲を9門搭載。副兵装は6インチ前後の中口径砲を持たず、長10cm砲16門に。
その真価である速力については、主力艦としては最も大きい17万馬力の機関を持ち、米巡洋艦やアラスカ級と同等の33ノットの速力を発揮可能である。る。
防御面では一部装甲厚の記録が残るものの、装甲配置については具体的な内容は不明である。
しかし大和型をはじめ最上利根型と言った近い年代の大型艦には共通する装甲配置が確認でき、それが本級でも採用された可能性が高いだろう。
(「舷側縦方向」「舷側横方向」「水平装甲」すべてを満たした狭義の集中防御。垂直装甲は深い傾斜を持つ装甲帯と下端より続く水中弾防御を持ち、水平装甲は途中で傾斜して装甲帯の上端に接続する形)
表を見ていくと、まず垂直装甲は190mmのVH鋼を傾斜20度で配置。バッキングや弾片防御は不明。
利根型の様に完全な内装式となるか、大和型の様に一部が露出する形のどちらかとなるが、前者の場合、船体の外板も僅かながら防御力に加わるだろう。
今回それらを加えずに計算したが、表を見ると安全距離は(多重防御が影響する対8インチを除いて)金剛型を大きく上回るものとなった。
ただし同じ時期の主力戦艦が搭載した15~18インチに対しては無力なのは変わらず。
砲塔前盾の装甲厚は不明だが、バーベットは210mm。
こちらも8インチ対応防御だが、垂直装甲と比べるとより大型の砲への防御としては劣るか。
水平装甲は弾薬庫・機関部上ともに125mmのNVNCからなる装甲甲板を持つ。実際はこの上下にも薄い甲板があったと思われるが、その厚さは不明として表に含めず。
安全距離はそこまで遠戦志向でない限り許容範囲という程度か。また金剛型を含む旧式改装戦艦は機関部に有効な水平装甲を持たない為本級が勝るが、弾薬庫では劣る。
砲塔天蓋も不明。
表に載らない部分としては、同時期の改大和型と同じく、蜂の巣甲板による煙路防御、テーパー装甲による水中弾防御、そして艦の前後部へも若干水雷防御を持つ点などが想像できる。
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まとめ
装甲厚が判明している部分に限るが、装甲品質や傾斜装甲の効果もあって、同規模の大型巡洋艦や高速戦艦の中でも堅実な物である。
8インチ砲に対しては十分な防御力であり、改装後の金剛型に対しても若干上回る程度という風に、兵器としての目的に適合としたものと言えるだろう。
尤も第二次大戦期の戦艦として見ると弱体である事は否めず、同規模の艦との戦闘でもそこまで安心できる物ではないという点はあるが。
攻撃面についても見ていきたいが、31cm砲に関しては不明な部分が非常に多い。
上でも触れたように、この時期の徹甲弾は巡洋艦と戦艦用で構造や炸薬量の違いからかなり性能が異なるものであったが、この点が31cm砲にどう反映されたかも不明である。
一方で砲弾重量に関しては560kgという数字も存在する。これはアラスカの12インチSHSはおろかダンケルク級の33cm砲に匹敵する重量弾である。
おそらく巡洋艦をより少ない命中弾で撃破できる威力を求めた結果と思われるが、SHS的な特性から遠距離での水平装甲貫通力に優れる物になる可能性もあるだろう。(実際は初速にも左右されるが)
そこで遠距離戦闘における口径以上の威力を以て、主力戦艦との砲戦に生かそうとする意図があった、と妄想する事が出来る。
まあこれは本気で妄想に過ぎないもので、実際は遠距離戦闘の精度や本級の水平装甲など、色々限界はあると思われる。
という事で現時点での認識では、元々の目的である巡洋艦狩りと同規模艦との戦闘を主とした艦の域を出ないと思われる。
そんな本級にとって仮想敵である米海軍がアイオワ級を整備している事は、やや厳しい点になるだろう。
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おまけ 日本巡洋艦の装甲比較
→「軽巡・重巡編」に加筆して移動
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