おまけ7 艦砲と(略)ロシア・ソ連戦艦編

2015年11月公開  相変わらず未完成

※注意 相変わらずこのページでは管理人の趣味と妄想が垂れ流されています。前のページの注意書きを読んでから閲覧することをお勧めします

元々その他戦艦編として1ページに押し込めるつもりだったが、ロシア・ソ連艦だけでだいぶ圧迫されているので独立。その他国家の艦についてはこちらに移動 
今回もそれぞれの艦がどこまでのサイズの艦砲に耐えられるか、サイズ別に代表的な艦砲を勝手に選んで計算してみることとする。
計算法などについてはこのページを参照。相変わらず重要区画以外をほぼ無視しているが、ここにて一部扱っている。

はじめに
戦艦の時代である20世紀前半におけるロシア・ソ連海軍と言えば、日露戦争での大敗に革命後の混乱による弱体化と、かなり不遇な時代を過ごしていたイメージがあるだろう。
実際第二次大戦時にも戦艦建造を試みるも、独ソ戦によりすべて計画中止。結果として大戦中に保有した艦は弩級戦艦三隻(と貸与艦1隻)のみと、これまで扱った国以上に小規模な物に留まっている。
しかしながら、元々は19世紀の大半で世界3位に位置した大艦隊があり、日露戦争後にしても多数の主力艦を建造していた。未成艦として興味深い計画を多数残している事も忘れてはいけない。
これらの内容を含めれば扱う内容はかなりの物になるのだが(それこそ簡単にツリーができるぐらい)、まずは最初からと言う事で19世紀半ばの装甲艦から紹介していこう。
なお艦名は基本的に竣工時の名称を使用。

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最初期から露土戦争まで

ロシア海軍はクリミア戦争で炸裂弾の脅威を証明し、仏英における装甲艦の誕生を促した張本人とも言える存在である。
一方国内情勢などから装甲艦の整備自体は遅れ、61年より開始。62年に竣工した小型砲艦オープィトが初の装甲を持つ艦艇となる。
以降は全くの新兵器である事から先行する海外企業の技術に頼っていた面もあるが、それでも60年代の間により大型の装甲艦22隻をほぼ国内で建造・就役させるなど、かなりの艦隊を整備するに至っている。

最初に建造されたペルヴェネツ級は、排水量3千トン台の装甲浮き砲台もしくは舷側砲列艦に分類されるもので、水線部全域と砲門周辺の舷側に最大4.5インチの錬鉄装甲を設けている。
浮き砲台にも分類されているようにやや速力が遅い点を除けば、最初期の装甲艦として一般的な物である。
加えて舷側砲列艦には非装甲フリゲートからの改装として、排水量6千トン台とより大型で航行能力に優れた艦も同時期に建造された。
さらに似た艦としては装甲巡洋艦の系譜が存在する。これらの艦については現在は未定だがまとめて解説予定である。

一方で上記の艦とは別に、多数が建造されたのがモニター系統の艦である。
米国で誕生したこの艦種は、低い乾舷と浅い喫水から航洋能力に乏しいが、船体サイズのわりに強力な兵装と装甲を設けて高い戦闘力を発揮可能であり、防衛的なロシア軍の性質によく合っていた。
実際に南北戦争でモニターの性能が証明されると、ロシア海軍も排水量1500トンから3800トンまで17隻を建造、数的な主力と言って良い存在になっていた。

これらの艦の中でも最初に建造され数も多いウラガン級は、エリクソン式の連装砲塔を1基のみ搭載。装甲は1インチ厚の錬鉄を貼り合わせた物で、厚さは舷側5インチ砲塔11インチなど。 
対してスメルチなど後続艦では、主砲塔は英国のコールズ式を採用すると共に多砲塔化しており、アドミラル・ラザレフに至っては連装砲塔3基を中心線配置という、この時期では中々見ない物に。
装甲も一枚板の錬鉄となり、舷側・砲塔ともに46インチ程度の厚さを持つ。加えて乾舷が低いモニターでは甲板への命中弾が想定される事から、新たに1インチの水平装甲が施されたのも変更点である。
なおモニターの主砲は米国の影響か建造時はどれも滑腔砲が中心であり、その点はやや時代遅れな面もあるかもしれない。

これまで紹介してきた装甲艦はすべてバルト海に配備されている。
これはクリミアの講和条約であるパリ条約で黒海の非武装化が定められたからだが、1871年には外交努力によりこの規定を無効化。装甲艦の建造が可能になっていた。
そうして1874年に初の黒海向けかつ、70年代最初の装甲艦として就役したのが、非常にユニークな姿で知られる円形砲艦ノヴゴロドである。

同艦は船体が円盤状である事を除けば、低乾舷・浅喫水の船体に旋回砲を載せる、モニターに近い艦である。
主砲は滑腔砲ではなく、クルップ社設計の11インチ後装式ライフル砲を2門搭載。搭載方式は砲塔ではなくバーベット式、この時代では固定式の円筒装甲を露天砲の周囲に設ける防御方式である。
これは天蓋を持たずに砲身の大半が露出している事から、若干不安に見える形かもしれないが、水平弾道の砲弾に対して有効な範囲を防御しており、かつ装甲化された砲室を回さなくて済むので軽量である利点があった。
装甲は舷側内に埋め込まれた装甲帯とバーベットに錬鉄9インチ、水平装甲は70mmと、こちらもかなり向上している。
こうしてみると本艦は失敗兵器とも言われるが、これまでのモニターと大差ないサイズで、かなり攻防力が強化されている事が分かるだろう。
黒海向けと言いつつも、厳密には河川砲艦もしくは自走浮き砲台である事を考えれば、航行能力はおまけみたいなものと言える。それならば攻防力の強化は兵器として進歩と考えられるのではないだろうか。

そして後続として、設計者の名前を冠したポポフ中将も76年に就役。同艦は基本的にノブゴロドの拡大版であり、装甲は舷側・バーベット共に2枚重ねの合計厚16インチにさらに強化、甲板も76mmに。 
主砲は12インチ砲に拡大しただけでなく、「隠顕砲」という搭載形式に。これは装填時などは主砲がバーベットの円筒内に完全に隠れる位置に置かれ、使用時のみ砲架がせり上がって発射できるというものである。
陸上砲台ではよくあるが艦艇では非常に珍しい。(他国では英テメレアの他レンデル砲艦の一部に見られる程度)

以降も個性豊かというか、悪く言えば統一性のない艦が続いており、まず1876年には初めて1万トン超えの大型装甲艦であるピョートル・ヴェリーキィが竣工する。
本艦はモニターの改良版であるブレストワークモニターを大型化した物であり、船体中央に設けたブレストワークの上に12インチ連装砲塔を前後に1基づつ設けている。
このブレストワークによる砲門の高さに加え、それ以外の乾舷も通常のモニターより高く設けた事により、本艦は一定の外洋航行能力を有していた。
同じコンセプトで英海軍が建造したデヴァステーションと共に、帆を持たない航洋性砲塔艦としては最初期の一隻となる。

装甲配置はデヴァステーションとほぼ同一である。(厳密にいえば後続のドレッドノートと同じであるが、詳細は英戦艦編を参照)
垂直装甲は水線部を全周する装甲帯に、船体中央に設けられたブレストワークの側面にも装甲が施され、横から見た装甲区画は凸字型となる。
厚さは船体中央の主装甲帯とブレストワークが14インチと最も厚く、艦首尾の装甲帯は8~9インチと減厚。水平装甲も各垂直装甲の上端を覆う形で最大3インチが設けられた。砲塔の外周も同じく14インチだが、こちらは7インチの装甲板二枚重ねでできているようだ。

そして1877年にクリミア以来の対外戦争である露土戦争が勃発。
舞台は黒海であるが円形砲艦の出番は特になく、バルト海艦隊も英国の参戦を警戒して回航されず、特に装甲艦の活躍は(両軍ともだが)ないまま陸戦で勝利している。

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以降の装甲艦
露土戦争からしばらくの間、ロシア海軍はかなりの数の装甲巡洋艦を建造する一方で、純粋な装甲艦の建造は行われず。
新型艦は1888年より竣工するエカテリーナ二世級を待たなければならない。

本級は特殊な主砲配置で知られる艦であり、まず前級より長砲身化した(一二艦艦30口径、三四番艦35口径)12インチ連装砲を、前部に2基並列、後部に1基の計三基設けている。
この三角配置だけなら一応他にもドイツ海防戦艦に例があるが、本級はさらに各連装砲を一基づつ砲塔やバーベットに収めるのではなく、バーベットを拡大したような洋梨型の巨大な装甲区画(専門的にはリダウトと呼ぶ)上に置いている。
複数の砲架をリダウト上に置く配置は、これまたドイツのザクセン級が近い事をしているが、三角配置の連装砲3基という大胆な配置と併用したのは本級が唯一無二である。
極めつけに、一番艦のみだが各砲架は隠顕砲となっている(信頼性の低さから残りの三隻は採用せず。通常の砲架に弾片防御程度の厚さを持つシールドを設ける形に)

一方で装甲配置は、当時のトレンドとして英伊独などでは重量問題などから、重要区画の範囲のみに垂直装甲を設け残りは水平装甲のみとする形を採用していた。
本級でもこの配置が検討されるが、結局艦首尾にも高さはないが水線装甲を残し、船体中央には先述したリダウトが乗る凸字型の配置を維持している。
装甲厚は主装甲帯最大16インチ、リダウト12インチ、艦首尾装甲帯6~8インチである。水平装甲は装甲帯の上端に57mm、リダウトの天蓋に38mmなど。
材質面の変化もあり、垂直装甲は錬鉄に変わりイギリス製の複合装甲、四番艦のみフランス製の軟鋼を使用と、厚さ以上に実質防御力を向上させている。
なお本級は黒海艦隊初の本格的装甲艦だったが、旧式化と練度の低下が激しいオスマン帝国の装甲艦に対して、個艦では間違いなく優位な性能を持つ艦と言えるだろう。

そして次は排水量8千トン台と比較的小型な装甲艦・海防戦艦が複数建造されている。
まずインペラトール・アレキサンドル2世級並びにガングートが91年から94年に竣工。この内アレキサンドル級インペラトール・ニコライ一世は日本海海戦に参加しており、ロシア主力艦の中では最古参に当たる。
両クラスは低乾舷の船体前部に12インチ連装砲(一番艦は防盾付きバーベット、二番艦は砲塔)を一基のみ搭載して主砲としている。これだけなら英コンカラー級風だが、これに加えて船体中央の砲郭四隅に比較的大型の9インチ砲を4門搭載するのが特徴である。
装甲配置を見ると、まずアレキサンドル級は水線部に主装甲帯14から12インチ、艦首艦尾には225mmから102mm厚を配置。一方で9インチ砲のある砲廓は部分的に2~3インチの装甲があるのみで、加えて砲廓と主装甲帯の間の部分も非装甲になるなど弱体であった。
つまり本級に実質的な装甲範囲は、艦首艦尾を含むが高さの無い主装甲帯のみという、この時期のフランス装甲艦に通じる部分のある配置とも言える。水平装甲は装甲帯の上端に軟鋼63mmが設けられた。
続くガングートは装甲材質そのままで主装甲帯が16~14インチに強化、それだけでなく砲廓の防御として8インチ、主装甲帯との間にも5インチの上部装甲帯が追加されて、防御範囲を大幅に改善している。

同系統の艦としてドヴィエナザット・アポストロフが1892年に竣工。同艦は防盾付きのバーベットで12インチ連装砲を前後に1基づつ設ける、よりオーソドックスな形を採用している。
装甲は主装甲帯最大14インチで艦首尾にも薄い装甲あり、船体中央には5インチの上部装甲帯が設けられるなど、武装に関連する部分以外はガングートに近い配置と思われる

そして装甲艦としては最後の世代に当たる、ナヴァリントリー・スヴャチーチェリャが96並びに97年に竣工。
両艦は排水量一万トン付近と再び大型化。比較的乾舷の低い平甲板型の船体に、船体中央で甲板を追加して設けた中央砲郭が乗り、その前後には12インチ連装砲を砲塔で1基づつ搭載。
主砲はナヴァリンは35口径砲、トリー・スヴャチーチェリャは以降の艦にも長く使われる長砲身の40口径砲である。(なお後者より尾栓の閉鎖機がクルップの鎖栓式に変わって螺式となるが、これはフランスからの影響と思われる)
大まかな艦型は殆ど英トラファルガー級の模倣と言えるもので、この頃からのロシア主力艦は、外国艦からの影響に一部独自の工夫を加えた艦という印象が強くなっている。
また重要な変化として、装甲配置も同級とほぼ同一になった結果、垂直装甲は殆ど船体中央のみに設けられ、艦首尾の大部分は装甲帯を持たずに水平装甲のみが防御を担う形に。
同時期の英艦艇と同じく、いわゆるコンプリートベルトを持たない艦(このページ的に言うと「舷側横方向の集中」を行った艦)になったという事で、ロシア主力艦では最初の例となる。

装甲厚を見ていくと、まずナヴァリンは水線部の主装甲帯が16~14インチ、この一段上には上部舷側や砲塔の揚弾機構の防御として12インチ、さらに一段上には副砲砲廓の防御として5インチの上部装甲帯が設けられる。水平装甲は主装甲帯の上端に2~2.5インチ。一方垂直装甲の無い艦首尾では3インチに増厚しているのが確認できる。材質は垂直装甲複合装甲、水平装甲は軟鋼である。
対するトリー・スヴャチーチェリャは、垂直装甲の材質が新たに英仏製のハーヴェイ鋼となり、主装甲帯の厚さも18~16インチと大きく強化されている。(なお厚さ的には富士型戦艦と同じく、同じ厚さの複合装甲と比べて性能はそれほど伸びなかった可能性も)
ただ両艦とも建造時の重量超過により喫水が増加しており、乾舷に占める主装甲帯の範囲減少や復原性能の低下を招いている。これは以降もロシア戦艦の悩みの種として続いていく事になる。

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近代戦艦の登場
ここから近代戦艦・前弩級戦艦に分類できる艦に入っていくが、一部不具合を除けば96年竣工のシソイ・ヴェリーキィがロシア初の近代戦艦と言えるだろう。
同艦の最大の特徴は乾舷の高さであり、これまでの艦は船体中央を除いて甲板二層程度が水線上に出ていたのに対して、本艦は艦首尾にも3層分の高さを有している。被弾面積が拡大したかもしれないが、同時に外洋航行や予備浮力の保持において大きな進歩である。
他にも主砲である40口径12インチ連装砲は、フランス式の新型砲塔に収められて前後に1基づつ搭載。これは砲室と共に旋回する揚弾機構を設けて、どの旋回角度でも装填が可能。装甲化された砲室と別に旋回部を守るバーベットを併用する、近代的な砲塔となった。さらに6インチ副砲も門数は片舷3門のみだが速射砲と(こちらは採用自体は前級より)、進歩的な要素を備えている。

装甲配置はナヴァリンより一部変化し、近代戦艦の始祖であるロイヤルサブリン級に類似したものとなっている。
まず船体構造は平甲板型で、先述した通り甲板は上中下三層(船体中央のみ中央楼あり)。
垂直装甲は相変わらず船体中央のみで、艦首尾は水平装甲のみ。厚さは下甲板までの主装甲帯が16~14インチ、その上には中甲板まで5インチ、上甲板は副砲砲廓の範囲のみさらに5インチの上部装甲帯が設けられる。水平装甲は主装甲帯の上端に当たる下甲板に1.75インチ、艦首艦尾では3インチに増厚。砲塔は前盾バーベット共に円形の10インチ、天蓋2インチ。なお材質はすべてニッケル鋼である。

なお興味深い事にロイヤルサブリン級と同じく、本級も前級に比べて防御的に弱体化したと思われる部分が存在する。
それは本級水線部より一段上の上部装甲帯で、前級までが12インチに対し5インチに減厚。この部分の装甲は前級では主砲の揚弾機構を守る唯一の装甲であったのに対して、本級では各自バーベットが追加された事もあり、中小口径弾や榴弾への防御で十分とされたのだろう。
この部分は当時の主砲砲弾でも普通に貫通できる厚さだが、その後の砲弾は下甲板を突破しない限り重要区画に達しない。当時の砲弾の性能を考えればその不安はまずないだろう。ただ本艦も重量超過で主装甲帯が沈みんでおり、この上部装甲帯への貫通弾で下甲板上への浸水が発生し、それが艦の生存性に多少の影響を与える可能性は否定できない。まあ最初から高い乾舷を持つ事から、多少の浸水は打ち消せるかもしれないが。

なお最初に一部不具合と書いた通り、本艦は元々8千トン台の艦として計画されるも、完成時には1万トンを超えるまで重量超過し、その他にも建造技術の不足から細かい不具合に多数見舞われた艦であった。
その点から完成度という意味で近代戦艦と呼べるのは、96年から98年に三隻が竣工するペトロパブロフスク級よりとする意見も存在する。

本級は最初から1万トン台の大型艦として計画され、高い乾舷や新型砲塔の12インチ砲など大まかな部分は同時期に設計されたシソイ・ヴェリーキィと共通する。
その上での特徴として、米戦艦の情報より6インチ副砲を一部砲塔で搭載し、門数を片舷6門に強化。さらに副砲の前方射界確保と上部の重量軽減を目的に、当時のフランス艦程ではないが若干のタンブルホームが導入されている。
防御面では装甲配置や厚さはほぼ同一(副砲塔は砲廓の四隅に置かれ5インチの装甲が施された、また水平装甲は下甲板2インチ、艦首尾2.5~3インチと増減)だが、材質面への変化が大きい。
各艦の垂直装甲はペトロパブロフスクが基本ニッケルに対して、セヴァストポリは主装甲のみハーヴェイ鋼、そしてポルタヴァは主装甲帯並びに砲塔装甲にてクルップ鋼の導入に至っている。
これに伴い、より優れた装甲材質が使用された二隻の主装甲帯は14.5~10インチに減厚した。

またこの次には、10インチ砲を主砲としたロスティスラヴが98年に竣工。同艦はタンブルホームが見られない点を除けば基本的に前級に準ずる要素を持ち、装甲配置も垂直装甲が全体的にハーヴェイ鋼で、上部装甲帯の最上段が廃された事を除けば、セヴァストポリ以降の同級と同一。

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日露戦争へ
ここまである程度固まった形の前弩級戦艦を建造してきたロシア海軍だが、続いて1901年から翌2年に竣工するペレスヴェート級はまた新要素を盛り込んだ艦に。
本級は排水量が12,700tに増加しつつも、主砲は10インチ4門、装甲も大部分で減厚と規模を落としている。一方でこれまでは15~16ノットであった速力を18ノットに強化した艦である。
そもそも同級は初めて極東での作戦を主に想定して計画されており、主に植民地派遣用の装甲巡洋艦に近い役割を担う、この時代における巡洋戦艦・高速戦艦的な艦であった。
設計においては、英海軍が同じコンセプトで建造したレナウンの影響が一部で見られるほか、一方でタンブルホームがより顕著になった点も特徴である。

装甲配置を見ると、船体は非常に高い乾舷を持つ長船首楼型になり、甲板は後部砲塔より前方では船首楼上中下の四層。
垂直装甲は引き続き付き船体中央のみで、厚さは主装甲帯が下甲板まで9~7インチ、上部装甲帯は中甲板までに4インチ。それより上部は装甲帯を持たず、副砲を一門づつ収めた砲廓の範囲のみに5インチ装甲が施されている。材質は一二番艦がハーヴェイ鋼、三番艦ポベーダのみクルップ鋼を使用。(次級以降はクルップ鋼が基本となる)
水平装甲は下甲板に設けられるが、今までのように主装甲帯の上端に接続せず、傾斜部となって下端に接続。主力艦ではレナウンで最初に導入された装甲帯と甲板傾斜部による多重防御が導入された。この甲板の厚さは水平部2インチ傾斜部2.5インチ。垂直装甲の無い艦首尾は3インチに増厚。主砲塔は砲室9インチバーベット8インチ、天蓋1.5インチ。

主装甲帯が大幅に減厚したのが目を引くが、製造技術的に品質を保つのに適した厚さになったとも言える。さらに背後の多重防御も期待できるので、当時の砲弾に対してはこの程度でも有効だっただろう。
ただ相変わらず喫水増加による装甲帯の沈み込みがあり、4インチ部分を抜かれての重要区画上の浸水は本級でも問題である。
特にトップヘビー気味な本級では、非装甲部をやられての浸水が生じやすい事を含め、当時の大口径砲に対して色々脆弱な艦になってしまった感も否めない。
本来は純粋な戦艦ではないのだから仕方ないという見方もあるかもしれないが。

続く主力艦は、英国式の最新鋭艦を整備して急速に戦力を増してきた日本海軍への対抗として、海外企業によって建造された二隻、レトヴィザンとツェサレーヴィチである。
まずレトヴィザンは米国のクランプ社によって建造され1901年竣工。
本艦は排水量1万2千トン台でタンブルホーム控えめな船体に、40口径12インチ砲を連装2基で前後に、6インチ副砲を中央砲廓に片舷6門配置など、これまでの艦と大差ない部分もあるが、防御面での着実な進歩を見せている。

船体は平甲板型の甲板三層が基本で、部分的に中央楼あり。垂直装甲は主装甲帯が下甲板までに9インチ、上部装甲帯は中甲板までに6インチ、それに加えて副砲砲廓を守る範囲で上甲板までに5インチの装甲帯が復活。(上甲板~中央楼間に置かれた6インチ砲は個別の砲郭に収められ、こちらも5インチ厚)。さらに艦首尾には2インチと弾片防御程度ではあるが、一種の装甲が施された点も見過ごせない。
水平装甲は前級と同じく傾斜部が装甲帯の下端に接続する形で厚さは同厚。砲塔防御は砲室9インチバーベット8インチ、天蓋2インチである。

前級までと比較すると、本艦は主装甲帯の一段上に当たる上部装甲帯(下~中甲板間)が増厚したのに加え、中~上甲板間の装甲帯に艦首尾装甲帯(こちらはやや薄いが)が復活するなど、最厚部分以外の装甲範囲を増している。結果として各装甲帯の範囲的には、艦首尾装甲帯が薄い以外は日本の戦艦三笠に類似するものとなった。
さらに本艦は建造中の重量超過による喫水の増加が比較的少なく、ある程度の高さまで主装甲帯で水線部を防御出来ている点も非常に重要である。
これらの点から本艦は、これまでの(そして日露戦争までに建造された)ロシア主力艦の中でも、当時の戦場で特に脅威と考えられる戦艦主砲の榴弾や中小口径砲による攻撃に対して最も適した装甲を持つ艦だと評価できる。  
本艦の建造を知った米海軍の主力艦も影響を受けたというのも納得だろう。

もう一隻のツェサレーヴィチはフランスのラ・セーヌ造船所で1903年に竣工。 排水量1万3千トンの本級は、大幅に湾曲したタンブルホームから一目でわかるように、典型的なフランス前弩級艦のデザインを受け継いだ艦である。
その装甲配置も基本的には、シャルルマルテルからシュフランに至るフランス艦に共通する配置を採用しているが、一部で独自の改良が施された物となっている。

具体的に見ていくと、まず船体は長船首楼型で甲板は後部砲塔より前方で四層、船体中央には中央楼あり。垂直装甲は主装甲帯が下甲板まで250mm、上部装甲帯は中甲板までに200mmが施される。6インチ副砲がすべて装甲厚150mmの砲塔に収められた事もあり、中甲板以上は非装甲に。その代わりにレトヴィザンより明確な厚さの装甲帯が艦首尾に設けられ、コンプリートベルトが復活している。厚さは艦首160~145mm、艦尾170~120mmである。
水平装甲はロシア戦艦としては初めての要素として、傾斜部を持つ下甲板と上部装甲帯の上端に接続する中甲板による、二層式の水平装甲が導入された。厚さは中甲板50mm、下甲板40mmで艦首尾も同厚。
その他に砲塔は主砲塔が砲室バーベットともに250mm、天蓋63mm。水雷防御用の縦隔壁が40mm(20mm×2)

本艦は艦首尾に本格的な装甲帯が復活した点、水平装甲が二層式になって、瞬発信管を持つ砲弾なら直接甲板へ命中してもある程度対応できる防御力を得た点、水雷防御用の縦隔壁を最初期に設けた点(なお本級の下甲板傾斜部は装甲帯下端ではなくこちらに接続)と、より進んだ要素が多数みられる。
その一方で、高い乾舷のわりに中甲板より上という広い非装甲部を持つ点、タンブルホームの採用が傾斜時の復原性不足の原因になる点など、当時のフランス戦艦にも共通する問題だろう。
ただし本艦は主装甲帯より一段上(下~中甲板)の範囲の上部装甲帯が、200mmと当時の主砲徹甲弾に対しても比較的有効な厚さとなっている。これはイエナやシュフランと言った当時のフランス艦よりも優れており、たとえ主装甲帯が沈み込んでも、水線付近の乾舷を守る事ができるという点で重要な要素である。
こう言った点から本級は、レトヴィザン程ではないかもしれないが、それ以外のロシア戦艦を上回る防御力を有していたと考えられる。

そして日露戦争に参加した艦の中では最新鋭に当たるのが、1903年から5年に5隻が竣工したボロジノ級である。
本級は上記2隻の内、より評価が高かったツェサレーヴィチをベースに国産化した物であり、タンブルホームが顕著な船体に砲塔式の6インチ副砲などの要素を受け継いでいる。
その上で一部改良なども加えられているが、実際の所は国内の建造技術の限界もあって、防御面で退化したと思われる艦として完成してしまった。

装甲配置も基本は前級を踏襲、艦首尾を含むコンプリートベルトや二層式の水平装甲、水雷防御隔壁などが見られるが、同時に改良点として、中甲板上に搭載された3インチ砲の防御に中~上甲板の間で3インチの装甲帯が追加されている。 これに加えその他機関などの重量増加の代償として、全面的に装甲厚が減厚されるのも変更点である。
上でも述べた通り、当時の徹甲弾の性能を考えるとより優先されるのは榴弾防御である。ならば多少装甲厚を減じてたとしても、装甲範囲を拡大した事は本来は正しい改良となるはずである。ただ本級はやや減厚しすぎの感があり、先述したツェサレーヴィチの良い点を失ってしまった事になる。

具体的に見ていくと、主装甲帯が194~145mm、上部装甲帯は152~102mmになり、その上に先述の76mmが新たに加わる。艦首尾は125mmから102mm。水平装甲は中甲板51~32mm、下甲板水平部傾斜部共に43mm。主砲塔は砲室254mmバーベット229mm、天蓋63mmである。
主装甲帯は機関部横194mmなら許容範囲とは思われるが、砲塔横145mmはさすがに当時の徹甲弾へも不安であるし、それ以前に本級も重量超過による主装甲帯の沈み込みがあった点も問題だろう。
という風に、ロシア海軍は防御的には海外製の2隻に劣る艦を主力に、日露戦争の日本海海戦に臨むことになるのである。

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これまでの総評

日露戦争までのロシア戦艦は、早期にタンブルホームやフランス式の主砲塔を導入している事から、フランス海軍の影響が強いと見なされる事が多いかもしれない。
ただ今回見てきたように防御面の設計を見ていくと、装甲配置は英海軍を手本とした時代が大半で、フランス式になったのはかなり後年からと言うのが分かるだろう。モデルもしくは類似した配置の艦は以下のようになる。

ナヴァリン→英トラファルガー
シソイ・ヴェリーキィ→英ロイヤルサブリン
ペレスヴェート→英レナウン
レトヴィザン→米製だが英国製戦艦に近い
ツェサレーヴィチ→仏戦艦から一部改良
ボロジノ→ツェサレーヴィチを改良(改悪)

これらの艦の内、日本海軍の英国式戦艦(特に敷島以降)に防御面で対抗できるのは海外製の2隻ぐらいであり、最有力艦の三笠相手ではレトヴィザンが何とか比較できる程度と、基本的に個艦では劣ると言わざるを得ない。
といっても保有戦力で言えば、近代戦艦と言える艦は開戦前に11隻、以降の竣工だが日本海海戦に参加したボロジノ級3隻を含めれば14隻を戦力化している。こちらは日本海軍の6戦艦はもちろん、準主力艦的な装甲巡8隻を含めても上回る戦力を確保していたとも言えるだろう。

そして日露戦争における勝因敗因は散々語られているが、兵器の性能や戦術以前の問題として、地理的な宿命として戦力が分散して数的有利を生かせず、実際に戦う場では性能を十分発揮できなかった点が大きいだろう。  
特に日本海海戦は長距離遠征からの戦闘という事で士気練度が低迷し、過積載による喫水のさらなる増加もスペック以上に艦の戦闘力を奪っていた。
このような状態では多少の個艦性能も関係ないというか、仮にロシア側がボロジノ・ペレスヴェート両級の代わりに、敷島型と浅間型を配備していても大差ない結果になっていたのではないだろうか。

28cm榴弾砲による旅順艦隊の被害記録
やや蛇足かもだが、最後に以前メモ的に残していたものをを簡単に載せておきたい。(内容は「極秘 明治37.8年海戦史 第10部 附記 巻2」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C05110195900 より)

記録が残るのは、砲撃によって沈没もしくは自沈処分となった4隻。
まずペレスヴェートは最も大落角の榴弾砲らしい被害を受けた艦で、9発が下甲板を破り、機械室、缶室、魚雷発射管、副砲弾薬庫などに砲弾が達している。
ただし副砲弾薬庫や魚雷発射管は誘爆せず、その他砲弾も水線下の舷側や艦底に破孔を開けていない(艦首への一発を除く)ので、このままでは沈没に至る程の被害ではなかった。
一方で艦内部の各所ではキングストン弁が開かれているのが確認され、着底の主要因はロシア側の自沈作業によるものとされている。
(同時に前後主砲塔が爆破されて変型した他、さらに周囲に魚雷の弾頭が3つ投棄されており、使用されなかったがこれも爆破用)

続いてペトロパブロフスク級ポルタヴァはペレスヴェートと比べると被弾数は少なく、下甲板を破ったのは2発のみ。
この2発は両方右舷後部の外殻に命中して艦内部に侵入、中・下甲板を貫通という流れである。
一発は発電機室に入るも損害軽微に終わったが、もう一発は見事に後部12ポンド速射砲の弾庫内部で炸裂、これが誘爆を引き起こしその後着底する主要因となっている。 
最大の被害は右舷中央部の水線下外殻に空いた6×3mの大破孔だが、破孔の形状や爆発位置などから至近弾などではなく、ペレスヴェートで行われなかった爆破処分によるもの。後部砲塔も爆発して天蓋が吹き飛んでいるが、これも同じく。
なおキングストン弁は砲弾が侵入した後部弾薬庫以外は開かれていない。さらに海底の泥の形から、本艦は船体後部が着底した後に旋回を試みた跡が確認されている。
これらの点からまず後部弾薬庫への命中弾とその浸水により船体後部が水没、その後艦を守る為の活動は続けられるも最終的に放棄される事になり、鹵獲を防ぐために爆破されたという流れだと思われる。

三隻目のペレスヴェート級ポベーダは同型艦とは対照的に、一発も下甲板を抜かれていない。(もちろん複数発が甲板に命中していたが、すべて中~下甲板で止まる)
本艦も同じように左舷水線下の中央部と後部が爆破され大穴が空いている。
一方で本艦は右舷側に大きく傾斜して着底しているが、こちらの水線下には2発の水中弾が命中しているのが前に紹介した二隻との大きな違いである。
両者とも不発弾で、一発は炭庫内で止まるが、もう一発は缶室横の炭庫を斜めに進んで缶室と機械室を分ける横隔壁を貫通。
また右舷水線下にはもう一発貫通弾以外で外殻が裂けた痕があり、これらの水中弾による浸水が着底に与えた影響が大きいと推測されている。

最後はレトヴィザン。まず下甲板を破った砲弾は同艦では一発のみで、後部砲塔横の糧食庫や機械室の後部横隔壁を破壊するも損害は軽微。
本艦は4隻の中でも水線下の被害が最も大きく、大小6つもの破孔が左舷に開いている。
船体中央と前部砲塔横の2つは破孔のサイズから他艦と同じく爆破によるもの、もう2つも閉塞船など障害物と接触した際に出来たとされる。
残りの2つが水中弾で、爆破により破孔が消えた一発を加えた計3発が命中。
まず後檣横への一発は炭庫で炸裂して弾片を副砲弾薬庫内に送り込むも、内部は空で誘爆せず。もう一発は缶室横の炭庫内で不発となって止まる(破孔はその後の爆破で消えて砲弾のみ発見される)。3発目は同じく缶室横に命中後、炭庫を突破して缶室内で炸裂という具合である。元から接触時の破孔などがあった状態で、この3発による浸水被害が着底に繋がったと推測されている。
なお本艦は一部弾薬燃料の陸揚げで喫水が浅くなっていた。つまり装甲帯の下端も浅くなって、水中弾が非装甲部分に命中する可能性が増していたのと、石炭庫の防弾効果が減少して被害拡大に繋がったと思われる。陸揚げのお陰で誘爆しなかったのもあるが。

まあ簡単に言うと、たくさん甲板を抜かれたが致命傷にならなかったペレスヴェート、抜かれた数は少ないがそれが致命傷になったポルタヴァ、甲板命中弾より水中弾の方がダメージが大きかった残りの二隻と言う具合である。

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以降の戦艦
以降という言葉を使っておいてなんだが、最初に扱うのは1905年に竣工し、同年の反乱で有名なポチョムキン(ポチョムキン・ダヴリー・チェスキー公)である。
建造自体は日露戦争前、実をいうとレトヴィザンやツェサレーヴィチよりも早い時期より行われたが、艦の様式的にこちらで扱わせてほしい。
本艦はロスティスラヴ以来の黒海艦隊向け戦艦であり、トリー・スヴャチーチェリャをベースとした元の計画に近代的な要素を追加していった結果、排水量1万2千トン台ながらも攻防の両方で優秀な艦として完成している。

装甲配置を見ていくと、本級は船体が長船首楼型になり、甲板は船首楼上中の3層を基本に一部では中央楼が加わっている。シソイ・ヴェリーキィやレトヴィザンと言った高い乾舷を持つ平甲板型の艦と比較すると、後部の甲板を一段分切り欠いたような船体であるため、対応する甲板名称が一段づつ上がっているが、実際の高さはほぼ変化しないので注意してもらいたい。
垂直装甲は主装甲帯が中甲板までに9~8インチ、上部装甲帯が上甲板までに6インチ、さらに上甲板から短艇甲板までに5インチとなっている。艦首尾にも2インチと薄い装甲帯を有する。水平装甲は傾斜部を持つ下甲板に施され、厚さは水平部2インチ、傾斜部2.5インチ、艦首尾3インチ。砲塔は砲室10インチ天蓋2インチ、バーベットは不明だが他の部位の厚さからこれまでの艦と大差ないと思われる。

先述した甲板名称の変化こそあるが、本級の装甲範囲と厚さはレトヴィザンとほぼ同等であり、副砲の一部が置かれた船首楼~中央楼間(レトヴィザンでは上~中央楼に相当)が装甲帯となった分、僅かに本艦が勝っている。火力面でも同等以上(副砲門数が片舷8門に増加)と言う事で、ボロジノ級の苦労とは裏腹に、実は攻防の面でロシア戦艦中最優と言える艦を、同時期に国内で建造する事が出来ていた事になるのである。
ただし欠点もあり、速力は16ノットと控えめ(ペレスヴェート級以降はいずれも18ノット)であった。また後甲板が低い分、平甲板型の艦よりも傾斜時の復原性が劣ったかもしれないが、特にその点を証明するデータ等は有していない。

次級のエフスタフィ級の2隻も起工は日露戦争前だが、建造中に勃発した革命の影響などで完成は遅れ、竣工は1911年と弩級艦時代に突入した頃である。
同級はポチョムキンの改良版として建造が遅れる中で一部設計を改め、砲廓内の副砲4門を8インチ砲とし火力を強化、加えて防御面でも部分的にだが日露戦争の戦訓を取り入れている。
基本的な船体形状並びに装甲範囲はほぼポチョムキンと同一であり、変更点として艦首尾の装甲帯が4~2インチに増厚、また船首楼~中央楼間の装甲帯は一部こそ5インチのままだが、砲を仕切る装甲隔壁が導入されたからか、一部の範囲では3~1インチにまで減厚している。水平装甲は機関部上限定で船首楼もしくは中央楼に1インチの装甲が施され、下甲板との二層式防御が再び導入された。これに伴い下甲板の厚さは平坦部35mm、傾斜部48mm(弾薬庫のみ79mmとも)に。

そして次に紹介するアンドレイ・ペルヴォズヴァンヌイ級(インペラトール・パーヴェル1世級)がロシア最後の前弩級戦艦となる。
同級は元々ボロジノ級の改良型で、排水量16,500tと一気に大型化した船体に、砲塔式の副砲を全門8インチ砲に換装、同級の欠点であった主装甲の増厚などを行う予定であった。 
それが上述の混乱期に伴う建造の遅れに伴い、日露の戦訓反映としてさらに設計を改め、最終的には主に防御面で日露戦争の戦訓を大幅に取り入れた最初の艦として完成している。(なおドレッドノートの情報から12インチ砲8門の単一巨砲艦案などもあったが、さすがに急進的過ぎとして採用されなかった)
 

本級は最終的に、排水量1万7千トン台でややタンブルホームが残る船体を持ち、副砲は8インチ砲14門(片舷7門)を砲塔と砲廓で併用する形に。
これ以外にマストは前級の時点でファイティングトップを廃した簡素なものになっていたが、本級はさらに変化して米国以外では珍しい籠マストを採用、外見上の大きな特徴になっている。
そして本題の防御面だが、日本海海戦での自国艦の戦没は脆弱な非装甲部の広さが一因であると認識された事もあって、本級は舷側のほぼ全面を装甲化するという、近代戦艦随一の装甲範囲を獲得している。その代償として装甲の厚さ自体は控えめな物に留まっているが、これらの特徴は弩級艦でもある次級にも受け継がれる事になる。またこの配置のために本級は舷窓を全く持たず、通風には苦労したそうだ。

具体的な配置を見ていくと、本級の船体は平甲板型で甲板は基本的に上中下の三層。船体中央の一部のみ副砲や速射砲を設ける中央楼が二層分加わる形である。
垂直装甲は、まず主装甲帯がこれまでの艦よりも一段分高い中甲板までに8.5~6.5インチ。上部装甲帯は上甲板までに5~4インチ、加えて8インチ砲を持つ中央楼一段目も5インチ、3インチ砲が置かれた二段目は79mm(3 1/8インチ)。艦首尾の装甲は中甲板までが5~4インチ、上甲板までが79mm。
水平装甲も一部変化があり、一定の防御力を持つ甲板を3層設けて防御を行う形に。その代わり一層ごとの厚さはさらに減厚し、下甲板が水平部40mm傾斜部79mm、中甲板1インチ、上甲板もしくは中央楼の二段目に1インチとなる。艦首尾の厚さは把握していないが、広い範囲に垂直装甲を設けた事によりこの部分も各層の厚さは減じたと思われる。砲塔防御は砲室の厚さが部位によって異なる形になり、主砲塔が前盾8インチ天蓋2.5インチ、副砲は前盾6インチ天蓋2インチである。

以上のように近代戦艦の中でも特筆すべき「薄く広い」装甲範囲を有した本級は、間違いなく日露戦争時の環境において非常に優れた防御力を有していたと考えられる。
ただし問題は本級の竣工が1912年と、前弩級艦としては最後の世代に当たる遅さであった事だろう。この時代は弩級艦が多数就役している事以外にも、被帽弾の普及などで艦砲は装甲に対する攻撃力を高めていた。「砲弾に関するメモ」で述べた通り、当時の砲弾にも諸問題があり、垂直装甲なら9インチ程度+甲板傾斜部、水平装甲は薄くても2層式防御であれば12インチ砲に対して許容範囲だった感もある。それに対して本級の主要区画は、最大8.5インチの主装甲帯が比較的広い範囲を防御しているという点はあるが、砲塔横の6.5インチ減厚部分など不安になる箇所もあり、加えて主要区画以外の薄い装甲は徹甲弾中心の戦場では防御効果を得られずに、重量の無駄になってしまうとも評価できる。
と言う風に、戦訓を盛り込んで優秀な艦となったはずの本級だが、建造の遅れから環境の変化に対応できなかった面があると言わざるを得ないだろう。

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級艦以前の装甲巡洋艦について
編集
予定

ポジャールスキー公、ゼネラル・アドミラール級
正直装甲フリゲートという時点で巡洋艦的な要素が無い事もないし、英仏は植民地派遣用の中小型装甲艦という、より巡洋艦的な運用思想を持つ艦を本艦より先に建造している。
だたし航続距離や船底の銅板貼りなど 特に長期の外洋任務を想定した物   少なくとも巡洋艦的な目的がさらに強い装甲艦という事で、そこから最初期の装甲巡洋艦と称されるのだろう。

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一次・二次大戦期の戦艦・計画艦
ここからいつも通り表を含めて。なお解説はガングート以外上の文章よりだいぶ前に書いたものなので、色々矛盾しているが随時修正予定。

帝政ロシア期の装甲について
以下の艦では装甲材質について、長年推定が混じる物を表の計算に用いていたが、2023年の調査のその推定とは異なる実態が判明した。
その詳細は「戦艦装甲の材質などの話」に掲載しているのでそこを参照してもらいたい。
現時点で掲載している表などは古い物なので、この修正も随時行う予定である。

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ガングート級戦艦(改装後)

1909年起工 1914~56年就役
181.2m 24,200t 1907年式52口径12インチ砲 三連装四基12門 23ノット


装甲厚
垂直装甲 225mmKC → 25mm+12mm傾斜50度 内傾
砲塔前盾 203mmKC 傾斜約40度内傾
バーベット(露出部) 150mmKC
バーベット(艦内部) 125mmKC→ 38mm → 75mmKC
水平装甲 38mm → 25mm→ 12mm ≒ 57/51mm
砲塔天蓋 152mmKNC?傾斜5度

水平装甲や弾片防御などはHT鋼相当と仮定(調査の結果違うと判明したのでいずれ修正予定)

上部装甲帯→甲板 あり
上部装甲帯→傾斜部 なし
上部装甲帯→縦隔壁 あり

船体 平甲板型

ガングート級安全距離

 装甲部位\艦砲

8インチ

28cm

41年式36cm

14インチマーク7

15インチ

16インチ

46cm

 垂直装甲 10.5km以遠 26km以遠 31km以遠
32km以遠 安全距離なし
安全距離なし
安全距離なし
 砲塔前盾 8.5km以遠 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
  バーベット(露出部 16km以遠
(18km以遠)
36.5km以遠
(40km以遠)

安全距離なし
34km以遠
(安全距離なし)
安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
  バーベット(艦内部) 12km以遠 36km以遠 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
水平装甲  19.5kmまで 14kmまで 9.5kmまで 8.5kmまで 8kmまで 8kmまで 7.5kmまで
 砲塔天蓋 貫通不能 31.5kmまで  26kmまで 25kmまで 24.5kmまで 24kmまで 22.5kmまで

垂直装甲(30度) 4km以遠 20km以遠 25km以遠 29km以遠 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし

まずは帝政ロシア初の弩級戦艦にして、第二次大戦時のソ連海軍唯一の国産戦艦であるガングート級。セヴァストポリ級とも。

・背景 
ここまで見てきたように、ロシア海軍は戦争後も独力で主力艦を整備するも、英独を中心に進んでいた弩級艦競争には出遅れた状態であった。
ある意味では日露戦争で相対した日本海軍とも似たような状態という訳で、ここで注目されたのが技術獲得を兼ねた海外からの弩級艦獲得である。
当初は英ヴィッカース社が積極的に売り込んでいたが、別件で不信を買って契約に至らず。1907年より行われた国際コンペで設計案を募集し、建造は国内で行うという方針が採用されている。

国内外から51案が提出された同コンペでは、当初ドイツのブローム・ウント・フォス社の「627-x案」が有力であったものの、フランスからの圧力により廃案になってしまう。(本級の建造費はフランスからの借款に頼っており、それがドイツ企業に渡る事に難色を示したわけだが、設計費用だけでちょっと過剰反応ではとも思えてしまう)
最終的に設計は国内企業のバルチック造船所が英ジョンブラウン社の支援の下で行い、「627-x案」を含む各案を参考にまとめられたのが、本級ガングート級である。

・竣工時の本級について 
本級は常備排水量2万3千トンと大型化、当然弩級艦という事で主砲火力を大幅に強化したが、それ以外にも通常の弩級艦を上回る速力の強化も特徴である。防御面は基本的に前級の要素を受け継ぎつつも、艦の規模に合わせた強化が確認できる。
それぞれ細かく見ていくと、まず主砲は新型の52口径12インチ砲となり、これを3連装砲塔で4基搭載。片舷12インチ砲12門の大火力を獲得している。最初から三連装砲塔を採用した事に加え、背負い配置を採らずに1基ずつ分けて置かれた主砲配置は非常に特徴的である。この配置は艦首尾方向の射界や重要区画の短縮という意味では効率の低いものだが、艦の重心を下げる効果もあり、ロシア戦艦では以降も採用されるなど特に好まれた配置であった。
速力は日露戦争の戦訓から強化が要求されており、本級は蒸気タービンの採用もあって最大速力は23ノットに。当時の弩級艦で主流であった21ノットを上回る。

防御面は基本的には前級より受け継いだ形であり、垂直装甲が舷側のほぼ全面を覆い、榴弾に対して脆弱な非装甲部をなるべく設けない事を狙っている。
(なお本級では艦尾の上部が非装甲になり若干範囲が減少。また一部で装甲に穴を開ける形で舷窓が復活した)

具体的な装甲配置をみると、船体は上構の殆どない平甲板型で、甲板は上中下の三層。
垂直装甲は主装甲帯が中甲板までで225mm、その上には上部装甲帯が上甲板までに125mm。艦首尾の装甲帯は125~100mmである。
水平装甲は薄板三層式で、下甲板が水平部12mm傾斜部37mm、中甲板25mm、上甲板38mm。下甲板が一番薄いのはこの時期では地味に珍しいが、これは新たに下~中甲板の範囲に50mmの縦隔壁が設けられた事による。艦首は上甲板38mm中甲板25mm、艦尾は中甲板38mm下甲板25mm
砲塔は前盾203mm、天蓋76mm。なおこれまでの艦では省略していたが、バーベットは露出部以外に垂直装甲の背後になる艦内部では減厚する。厚さは露出部150mm、艦内部の上~中甲板間で75mm。

・竣工時の評価
まず装甲配置を受け継いだ前級と比べると、間違いなく垂直装甲は強化されている。主装甲帯は225mmと当時の艦の中で薄いのは間違いないが、中甲板までの高さを維持しつつ、弾薬庫横などで減厚していないのは良い点だろう。   
装甲帯を突破した砲弾が重要区画に達するには、さらに37mmの下甲板傾斜部を貫通するか、もしくは傾斜部上端から中甲板に達する50mm縦隔壁を経て、12mmの下甲板水平部を貫通する必要がある。この組み合わせは砲弾や信管性能を含めた場合、当時の12インチ砲に対して許容範囲程度の防御力を有していたと思われる。

水平装甲は各層の厚さこそ薄いが、基本的に上甲板や上部装甲帯を貫通後炸裂した砲弾を、下の2層で受け止める事を狙ったものであり、これも当時の砲弾に対しては一定の能力を有するものである。
一方で砲塔防御は危険である。前盾8インチ、天蓋3インチは当時の環境でも普通に防御力不足であり、バーベットも背負い配置がないので範囲が狭いとはいえ、露出部150mmは薄すぎと言うしかない。ユトランドでも証明されたように、誘爆対策が不完全な場合、砲塔内への被害は致命傷になりかねない。 中でも本級の砲塔天蓋は船体に占める面積が大きい事から特に大きな弱点になり得ると思われる。

攻撃面についてもここで扱うと、本級の12インチ砲は新たに471kgと言う重量弾を使用し、最大射程は23kmと当時の交戦距離に十分対応。それに加えて、徹甲弾としての性能もかなり優れていたとされている。
「砲弾性能に関するメモ」 では全体的な情報が少ない事から扱わなかったが、この砲弾は大戦後英国で行われた試験にて、8インチ装甲に撃角20度で打ち込んだ際に、初期のグリーンボーイを上回る斜撃性能を示している。また炸薬は比較的鈍感なTNTを使用して自爆を防いでいる。不明な信管性能に左右される部分も多きはずだが、判明している範囲では当時の英国製砲弾を上回る性能である事は確実と思われる。
各国で13.5~15インチ砲艦などが登場するなかで、本級以降も12インチ砲艦に留まったロシア戦艦だが、このように砲弾性能と12門という門数を考えると、所詮は12インチ砲艦と侮れない攻撃力を有していた面が指摘できるのである。

一度まとめると、竣工時の防御面は戦艦と言うよりは、基本的にはライオン級や金剛型などの英国式巡戦、もしくはエジンコートやカナダといった英国輸出戦艦と比較できる程度。砲塔防御がやや怖いが、それ以外は12インチ砲弾にある程度対応できると思われる。そして攻撃面は12インチ砲艦の中ではトップクラスの大火力と言って良いものである。

本級が配備されたバルト海では、主にドイツ海軍が仮想敵ということで、同海軍の主力艦との比較を行ってみたい。
同時期のドイツ弩級戦艦に対して本級は、火力面はともかく防御の差(特に砲塔周辺)から不利は避けられない、ただ速力の優位から交戦を避ける事も可能だろう。一方ドイツ巡戦は本級を速力で上回り、攻防力も戦艦並という事で難敵となる。ただ巡戦もモルトケ級までは舷側の一部や砲塔など、それなりにこちらの攻撃が通用すると思われる部位も大きい。そしてこちらは11インチ砲に(やはり砲塔以外)ある程度対応できる防御力を有しており、十分対抗可能である。
つまり本級は、この時期大幅に戦闘力を増していたドイツ主力艦に対しても、一定の脅威になる艦と評価して良いのではないだろうか。もちろん個艦の話であり、全体の戦力に差がある事は否定できないが。

戦間期と改装
この時期の主力艦の防御で重要な変化は、主に交戦距離のさらなる拡大に加え砲弾・信管性能の向上により、本格的に薄板分散式の水平装甲が通用しなくなる事である。そこで同時期の列強海軍では、改装時に水平装甲を強化する例が多くみられる。

設立当初のソ連海軍は革命後の混乱に加え、それ以降もしばらく新生学派的な方針を重視している。そこで実質唯一の主力艦となった本級も手つかずであったが、一応1920年代後半から開戦直前に至るまで順次改装が行われている。
その際の内容は射撃管制設備の更新を含む上構の一新、機関の換装、対空兵装の強化、水上機の搭載など、他国の主力艦に準ずる改装が行われたが、防御面の強化に関しては控えめな物に留まっている。
全艦に施されたのは砲塔天蓋の強化のみで、唯一セヴァストポリのみ水平装甲の強化やバルジの増設、艦首装甲帯の一部撤去といった変更が加えられている。また主砲仰角を引き上げ、最大射程が3万ヤードを越えたのも本艦のみである。
(ほかに火災で大破したポルタヴァの改装計画として、26~27ノット程度の速力を持つ艦とする案も存在したが、結局実行されずに戦列に戻る事はなかった)

表の解説
表の内容に入っていくとして、この結果から第二次大戦期の艦砲に対する防御を評価していきたい。
まず垂直装甲は竣工時ままの225mmKC鋼からなる装甲帯に、背後の傾斜部もしくは縦隔壁が加わる形である。
竣工時の基準では許容範囲と上では述べたが、この時代はやはり砲弾の性能が大きく異なる。戦艦主砲へは多少横方向の角度が付いても、有効な防御力を有しているとは言い難い。

そして竣工時より弱体であった、砲塔の垂直装甲が防御力不足である事は言うまでもない。
前盾203mmにバーベット露出部150mmと言うと、二次大戦期の一部巡洋艦にすら迫られる厚さだが、逆に言えば巡洋艦であれば最も厚い部類であり、さすがに8インチ以下の砲弾へは対応可能である。
またこの時期には信管性能が向上した事もあって、上部装甲帯を貫通した後にバーベット減厚部分に命中貫通する事も十分想定できるだろう。

水平装甲は後述するセヴァストポリを除いて竣工時のままで、基本的には薄い甲板を三層に持つのみ。進化した砲弾に対しては無力である。巡洋艦が相手でも、交戦距離や艦の動揺によっては抜かれる可能性もあるだろう。
なお表にある10km以内の距離では、さすがに実際は落角度的に砲弾が重要区画に達するとは考え辛いが、中甲板で炸裂した弾片が下甲板を貫いて重要区画に損害を与える事はあり得るだろう。
一方で砲塔天蓋は全艦とも改装時に152mmに強化。表では均質装甲の品質は一次大戦時のやや低めの物として計算したが、これでも一部大口径砲以外へは有効。被弾面積が大きい天蓋の強化は防御上重要だろう。

なお第二次大戦ではペテロハブロフスクがドイツ軍の空襲で1t爆弾二発を被弾、前艦橋から先を失って着底するという大損害を受けているが、この爆弾は普通に甲板に命中している。
この内の一発を投下したパイロットの件については余りにも有名なので省くとして、少し脱線。
この後も生き残った後部主砲で作戦を続行した同艦だが、近くにあった花崗岩の石壁を持ってきて甲板上に敷いたりもしていたらしい。どこまで効果があったのかはわからないが、熾烈な状況だった事を物語る逸話である。

表で扱った部位はこれまでだが、補足のページでも扱ったように、艦の装甲配置によってはこれ以外にも重要区画に達するルートが存在する。
本級の場合以下の2ルートが考えられる。
上部装甲帯125mm → 中~上甲板間の縦隔壁38mm → 中甲板25mm → 下甲板12mm
上部装甲帯125mm → 中甲板外縁部19mm → 下~中甲板間の縦隔壁50mm  → 下甲板12mm

最初に命中する垂直125mmというのは、この時期の戦艦砲弾へは無力。背後の装甲も弾片防御程度なので、有効な防御力はまず発揮できないと思われる。
ただ本級は表の水平装甲の時点で非常に弱体なので、この部分のみ特に弱点というわけではない。そして8インチ以下の砲弾に対しては、他の部位程の防御力はないかもしれないが、致命的な弱点となる事もないだろう。

・セヴァストポリについて
同艦は本級で唯一甲板の水平装甲を強化、具体的には中甲板を75mm厚にしており、その際の安全距離は以下のようになる。
(材質に関しては不穏な記述を見かけたが、今回は一枚板の均質装甲とした) 

水平装甲 38mm → 75mm → 12mm ≒ 93/91mm

水平装甲  27.5kmまで 28.5kmまで 21.5kmまで 20kmまで 18.5kmまで 17kmまで 12.5kmまで

これでも遠距離砲戦へは不十分であり、おそらく1トン爆弾へも耐えられない物だとは思うが、大幅に改善した事に違いない。
またこの強化により、上記の上部装甲帯125mmを貫通した砲弾に対しても一定の防御力を獲得した事になるだろう。(ただ外縁部の厚さは不明)

同艦はその他の改装を含む重量増加により、代償として艦首装甲帯の上部が撤去されているが、それでも改装後の安定性は好ましくなかったという。
そこで対策として水雷防御を兼ねるバルジを増設しているが、この外板に50mmの装甲が貼られていたとの記述も見られる
位置によっては、主装甲帯に命中する前に砲弾の被帽を脱落させる可能性もあるが、詳細は不明である。

・まとめ
本級は元々の防御力が低めであった事に加え、改装による強化も大部分で不十分なものに留まっている。それもあって第二次大戦期の大口径砲に対して弱体な部分が多い結果となった。特に砲塔の垂直装甲であったり、甲板や上部装甲を貫通後、甲板や隔壁や抜いて重要区画に圧するルートなどが危険だろう。
一方で攻撃面を見ても、革命以降も徹甲弾の更新が行われていないのはマイナス面である。元が優秀であっても他国砲弾の性能が進歩した状態では、一発の威力に劣る砲と言わざるを得ない。

という事で、本銃はソ連海軍にとって実質的に唯一の戦艦でありながら、攻防共に水上戦闘を行う艦としては微妙な評価にならざるを得ない。
ただ当時の状況を考えると、再軍備を行ったドイツ海軍を除けば、水上戦闘を行う可能性がある主力艦自体が殆ど存在しなかった。このような状態では、水上戦闘能力に期待されなかった面もあるのだろう。そして実戦において本級は、先述したように船体が折れて着底した艦を含め、主に陸上砲撃任務で非常に良く働いた艦であった事も付け加えておきたい。

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インペラトリッツァ・マリーヤ級戦艦

1911年起工 1915~20年 (36年?)就
169.8m 22,600t(常)  1907年式52口径12インチ砲 三連装四基12門 21ノット
装甲厚

垂直装甲 263mmKC →  50mm傾斜50度内傾
砲塔前盾 250mmKC 傾斜約40度内傾
バーベット(露出部) 250mmKC
バーベット(艦内部)100mmKC→25mm → 125mmKC
水平装甲 38mm → 25mm→ 12mm ≒ 57/51mm
砲塔天蓋 100mmKNC傾斜5度

上部装甲帯→甲板 あり
上部装甲帯→傾斜部 なし
上部装甲帯→縦隔壁 あり

船体 平甲板型

インペラトリッツァ・マリーヤ安全距離

 装甲部位\艦砲

8インチ

28cm

41年式36cm

14インチマーク7

15インチ

16インチ

46cm

 垂直装甲 6km以遠 20.5km以遠 25km以遠
30km以遠 安全距離なし
安全距離なし
安全距離なし
 砲塔前盾 4km以遠 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
  バーベット(露出部) 8.5km以遠
(10km以遠)
21.5km以遠
(24km
以遠)
26km以遠
(29km以遠)
29.5km以遠
(31km以遠)
 安全距離なし 安全距離なし 40km以遠
(安全距離なし)
  バーベット(艦内部) 8.5km以遠 25.5km以遠  安全距離なし  安全距離なし  安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
水平装甲  19.5kmまで 14kmまで 9.5kmまで 8.5kmまで 8kmまで 8kmまで 7.5kmまで
 砲塔天蓋 27kmまで 26.5kmまで  19.5kmまで 18.5kmまで 15.5kmまで 13.5kmまで 6kmまで

:

:

:

:

:

:

:

:

:

:

垂直装甲(30度) 1km以遠、15km以遠、19.5km以遠、24.5km以遠、28km以遠、30.5km以遠、39km以遠

ガングートの次級であるインペラトリッツァ・マリーヤ級は第二次大戦前にすべて失われるか退役しているが、装甲配置の比較も行うので扱っておく。
と言ってもロシア戦艦の装甲配置が大きく変化するのは、次級ボロジノ級や本級の改設計版であるニコライ一世からであり、本級の配置はそこまで前級からの変化はない。
ただ速力を犠牲にした代わりに、全体的に装甲厚を増している。

まず垂直装甲の内、主装甲帯は範囲をそのままに厚さが263.5mmへ。前級よりも強化されたが、いまだに列強の新鋭艦の中では平凡(伊仏戦艦と同程度、日英米独には劣る)なものに見える。
しかし本級の主装甲帯は前級から受け継いだ広い範囲を防御しており、それを考慮すれは伊仏戦艦を全体的に上回り、日本の扶桑型に対しても一部分を除いて勝る防御力を有すると言っていい。
後ろに控える弾片防御は前級と同じく、上部の縦隔壁と下部の傾斜部からなる。傾斜部は50mmとこちらも増強。

砲塔前盾とバーベットは250mm。
同時期の戦艦と比べると未だにやや薄めといえるが、巡洋戦艦並みかそれ以下の前級からは大幅に強化された。
艦内部のバーベット装甲は上部装甲帯が100mmに減厚しているが、バーベット部分が125mmに。こちらも実質防御力は前級よりはマシに。

水平装甲は前級より大きな進歩はないが、設計時期的に仕方がない。
なお中甲板と上甲板の間にある縦隔壁(25mm)の位置が少し変わった都合で中甲板の一部は38mmになるが、表には含めていない。
砲塔天蓋は100mmで、これも竣工時の前級(75mm)に勝る。

上部装甲帯云々に関しては、前級よりも薄くなった分悪化したと考えられる。
ただ第二次大戦期の艦砲へは前級と大差ない防御力(8インチ砲へは十分だが、それ以上へは無力)だろう。

竣工時の基準で本級について見ると、本級は上部装甲帯がかなり薄いという弱点を持つが、主装甲帯はユトランド前の英13.5~14インチ砲へ対応可能な厚さとなり、その範囲が広い点で優秀である。
火力面に優れた面もあることは前級の解説で触れた通りで、速力も平均的である。
本級の仮想敵となるオスマントルコ海軍は、英国よりKGV級に準じた13.5インチ砲艦であるラシャディエ級を獲得する予定だったが、本級なら十分に対抗可能とみていいだろう。
またブラジルが売却した12インチ14門艦もスルタン・オスマン一世として編入予定だったが、こちらは本級よりもガングートに近く、性能ではやや落ちる感がある。
それらの艦については良く知られているように開戦により英国に接収されエリンとエジンコートになったので、結果的に同海軍唯一の弩級艦は、本級との交戦経験もあるヤウズ(モルトケ級ゲーベン)のみとなる。
同艦と比較すると、火力面では明らかに本級、防御面では特定の部位や交戦距離ではどちらも不足しているが、基本的に主装甲帯の範囲や砲塔防御で優れる本級がこちらでも優位。
速力は巡洋戦艦であるヤウズに分がある為、本格的な砲撃戦となる可能性は低いが、攻防力から本級が優勢だろう。
(実際の戦闘でも双方に命中弾はなく、アウトレンジされたヤウズが早々に撤退する形にとどまっている)

:

ボロジノ級巡洋戦艦
1912年起工 未完成

装甲厚
垂直装甲 238mmKC → 50mmKNC+25mmNS傾斜55度内傾          68
砲塔前盾 300mmKC 傾斜約40度内傾
バーベット(露出部) 250mmKC 約10度内傾
バーベット(艦内部) 100mmKC→ 25mm → 150mmKC約10度内傾
水平装甲 38mm → 40mmKNC+20mmNS→ 9mm ≒  73/71mmKNC                            53
砲塔天蓋 150mm傾斜6度

上部装甲帯→甲板 あり
上部装甲帯→傾斜部 なし
上部装甲帯→縦隔壁 あり

船体 船首楼型

ボロジノ級安全距離

 装甲部位\艦砲

8インチ

28cm

41年式36cm

14インチマーク7

15インチ

16インチ

46cm

 垂直装甲 2.5km以遠 21km以遠 27km以遠
31.5km以遠 安全距離なし
安全距離なし
安全距離なし
 砲塔前盾 1km以遠 13km以遠 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
  バーベット(露出部 8.5km以遠
(10km以遠)
24km以遠
(27.5km以遠)

31km以遠
(34.5km以遠)
34km以遠
(34.5km以遠)
安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
  バーベット(艦内部) 6km以遠 21km以遠 32km以遠 33.5km以遠 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
水平装甲  25kmまで 25kmまで 16kmまで 14.5kmまで 12.5kmまで 12.5kmまで 11kmまで
 砲塔天蓋 貫通不能 31.5kmまで  25.5kmまで 24.5kmまで 23.5kmまで 23.5kmまで 21.5kmまで

垂直装甲(30度) 貫通不能、14.5km以遠、20.5km以遠、25km以遠、29.5km以遠、安全距離なし、40km以遠

ロシア海軍初の巡洋戦艦として設計されたボロジノ級について。
なお本国ではイズマイル級(Измаил)と呼ばれる事の方が主流のようだ。

ロシア海軍は日露戦争での戦訓を活かし、英ヴィッカース社より最新鋭の装甲巡洋艦リューリクを購入、1909年に就役させている。 
そして同艦を就役前に陳腐化させることになる巡洋戦艦の登場にもいち早く興味を示しており、1907年頃より計画が進んでいたとされる。
具体的な要求がまとまったのが1910年で、排水量28,000tで12インチ砲を8門以上搭載、190mmの主装甲帯を持ち、28ノット若しくは30ノットを発揮する艦となっている。
ただし、そこで検討された際には建造費の高騰が指摘され、一旦計画は白紙に。
その後はヴィッカース社の単独設計を断って国際コンペを行い、最終的には国内の造船所の案が選ばれる、というガングート級と少し似た流れを辿っている。
1912年末より4隻の建造が開始されているが、開戦により建造は停滞。
ロシア革命後には3隻が早々に解体され、
残った一隻も空母に改装する計画が存在したが、こちらも実現することなく解体された。

艦の特徴としては速力が26.5ノットと、同時期の英独巡洋戦艦と比べると控えめとなるが、代わりに火力に優れた艦である。
本級はマリーヤ級では建造の遅れを招くため採用されなかった14インチ砲を搭載。初期の案では9門や8門搭載予定だったそうだが、最終案では3連装4基12門にもなる。
砲自体は英国で設計された物だが、747kgと金剛やアルミランテ・ラトーレよりもさらに重いロシア製砲弾を使用する。
これは軽量砲弾を使用するバイエルン級の15インチ砲とほぼ同重量にもなる。
また52口径という長砲身を持ち、高初速によるさらなる威力拡大を狙っていたが、こちらは途中で砲身の強度不足が判明。
実際に列車
砲や陸上砲台で用いられた際には、他の14インチ砲より低初速で運用されている。
肝心の砲弾の品質は不明だが、12インチ砲と同じく同時期の英国製砲弾を上回る可能性もあり、建造できていた場合は最も優れた火力を持つ戦艦の一つだったと言っていいだろう。

防御面について見て行くと、船体形状はこれまでの艦とは異なり艦橋より前に船首楼を持つ形となる。(駆逐艦ならともかく、戦艦でこの船首楼は珍しいような)
その分艦首の非装甲区画は前級より広がっているが、日本海海戦以降のロシア艦らしく装甲範囲自体はかなり広い。

重要区画内の装甲配置は、他のロシア戦艦と同じくガングート級の解説で紹介した二つの特徴(弾片防御用の縦隔壁と中甲板の水平装甲が厚い事)が受け継がれている。
ただ本級が設計がまとめられた1912年には、ガングート級の装甲配置を模した実物大模型の射撃試験が行われている。
これにより既存の装甲配置では水平装甲が不足していると判断されたため、本級では設計を一部変更し、主に水平装甲の大幅な強化が行われた。

いつも通り垂直装甲から。主装甲帯は範囲はそのままで、厚さは238mmになる。
これはガングートよりは厚く、金剛やライオン級など他国巡洋戦艦にもわずかながら優位だが、戦艦であるマリーヤ級からは減厚した。
一方で弾片防御の傾斜部は合計厚75mmになった上に、使用鋼材に均質装甲が加り対弾性能が大幅に強化されている。
その為表の一部砲弾に対しては、マリーヤ級の垂直装甲と同程度の安全距離を有している。
ただ縦隔壁の方は50mmのままであり、こちらを貫通するルートの場合、マリーヤ級に対して劣るものとなる。

砲塔装甲は前盾が300mm、バーベットの露出部が250mmと数字の上ではマリーヤ級以上。
さらに艦内部の部分も25mm増厚しており、この部分は純粋に強化されているように見える。
ただバーベットの露出部は内側に傾斜する形(円錐台のような感じ)になっており、同厚のマリーヤ級に比べ劣るものとなる。
このような形状のバーベットは本級以降の16インチ砲艦案などでも見られるが、何か意味があるのかは良くわからない。

水平装甲は前級と比較して中甲板を強化している。ガングート級以来の「下甲板に比べて中甲板が厚い」という特徴がさらに際立つ配置となっている。
中甲板は艦の中央部分のみ40mmの均質装甲と20mmのニッケル鋼を重ねたものとなる。
これは同時期の艦と比べてそこまで厚いと言うわけでは無いが、均質装甲を使用している点は驚くべき事である。

当時は砲塔天蓋に均質装甲を用いることは普通であったが、甲板への使用は米海軍がフロリダ級より用いていただけで、他国海軍が採用するのは一次大戦後の艦になる。
その為本級の水平装甲は、ユトランド以前に設計された艦としては米戦艦に次ぐ防御力を持ち、同海戦の戦訓で水平装甲が強化された竣工時の長門やフッドの一部すら上回るものとなっている。
さらに主な水平装甲を担う甲板が比較的高い中甲板にある事も含め、水平装甲に関する先見性は評価されるべき物を持っていると言える。

と言っても英国戦艦編で触れたエディンバラ試験の結果が示すように、一次大戦の交戦距離ではこの装甲でも十分でない。
仮に大戦後に完成していた場合も強化が必要である事は、より優れた水平装甲を持っていた米標準型の改装内容を見ても容易に想像できる。

砲塔天蓋も射撃試験に結果を受けて大幅に強化された部分で、なんと150mmへ。
結構傾斜が大きいため防御力は差し引かれるが、それでも当時の艦ではトップクラスの防御力となった。

表の部分は終わりで、上部装甲帯の2つのルートについて。
本級の上部装甲帯は100mmとマリーヤ級と同等で、戦艦主砲に対する防御力は殆どない。
2つのルートの内、中甲板の合計60mm部分を通る前者については、以前の艦よりもマシな防御力となっている。
一方で中甲板の外縁部を通り縦隔壁を抜く後者は、外縁部に60mmの装甲が存在せず、25~12mmと一部前級よりも薄くなってることから、相変わらず有効な防御力を持たないことに。

本級の防御力はガングート級よりは確実に上で、マリーヤ級と比較しても主・上部装甲帯から縦隔壁を貫通するルートと何故か内傾しているバーベット以外は同等以上の物である。
というか、その二つを除いた場合の防御力は、フッド以前の巡洋戦艦としては最も優れたものではないかと思う。
さらに本級の持つ大火力を考えれば、完成さえしていれば第一大戦期では最強クラスの巡洋戦艦と評価されてもおかしくはない。
(マッケンゼンやカラッチョロ級といった高速戦艦に勝てるかと言われると、少し難しいところもあるが)

:

インペラートル・ニコライ一世
1914年起工 未完成
垂直装甲 270mmKC → 75mm傾斜60度内傾
砲塔前盾 300mmKC 傾斜約40度内傾
バーベット(露出部) 300mmKC
バーベット(艦内部)75mmKC→ 225mmKC
水平装甲 35mm → 50mmKNC+13mm→ 6mm ≒ 74/72mmKNC
砲塔天蓋 200mm傾斜5度

上部装甲帯→甲板 あり
上部装甲帯→傾斜部 なし
上部装甲帯→縦隔壁 あり

船体 平甲板型

インペラートル・ニコライ一世安全距離

 装甲部位\艦砲

8インチ

28cm

41年式36cm

14インチマーク7

15インチ

16インチ

46cm

 垂直装甲 貫通不能 15.5km以遠 23km以遠
27km以遠 安全距離なし
安全距離なし
安全距離なし
 砲塔前盾 1km以遠 13km以遠 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
  バーベット(露出部) 5.5km以遠
(7km以遠)
17km以遠
(19.5km以遠)
20km以遠
(23km以遠)
24.5km以遠
(27.5km以遠)
 29km以遠
(安全距離なし)
30.5km以遠
(安全距離なし)
37.5km以遠
(40km以遠)
  バーベット(艦内部) 1km以遠 13km以遠 17km以遠 18km以遠 21.5km以遠 26.5km以遠 安全距離なし
水平装甲  25kmまで 25kmまで 16kmまで 14.5kmまで 12.5kmまで 12.5kmまで 11kmまで
 砲塔天蓋 貫通不能 35kmまで  28.5kmまで 27.5kmまで 27.5kmまで
27.5kmまで
27kmまで

:

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:

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:

:

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垂直装甲(30度) 貫通不能、5km以遠、13.5km以遠、19.5km以遠、25km以遠、27km以遠、39km以遠

帝政ロシアが起工した最後の戦艦となるインペラトール・ニコライ一世。
本艦はオスマン帝国のさらなる海軍増強に対抗する為、1914年より建造が進められている。

設計時にはボロジノ級の様に14インチ砲を8門もしくは12門搭載する計画も存在したが、建造期間短縮の為マリーヤ級の準同型艦として設計された。
装甲配置に関しては、先の射撃試験の結果を反映してボロジノ級と同じ改正を施された他、装甲厚自体も主な部位でマリーヤ級を上回るものに強化されている。
(重要区画外では艦尾の装甲帯の範囲が狭くなったなどの違いも)

いつも通り垂直装甲から見て行く。
主装甲帯の厚さは270mmと前級より微増しただけだが、傾斜部はボロジノ級と同じく75mmとなり、総合的な対弾性能は確実に以前の戦艦より向上した。
ただ本艦も装甲帯貫通後に縦隔壁に命中する砲弾に関しては、表の物よりも安全距離は短くなる。(一応縦隔壁も75mmに強化されているが)

砲塔前盾は300mmとボロジノ級と同等。バーベット装甲は露出部が300mmと厚く、しかもボロジノの様に内傾もしていない。
また艦内部の部分も225mmと結構な厚さに。
上部装甲帯は75mmに減厚しているが、この厚さでも砲弾の被帽を飛ばせるとすると、バーベットの防御力だけを見るならだいぶ強力な物となっている。
(無論その代わりに副砲や中甲板よりも上の非重要区画の防御力はこれまでの艦より下がることになるが)

水平装甲は中甲板が主な水平装甲で厚さ63mm、他の甲板は上甲板35mm、下甲板6mmとなる。(上では中甲板50mm+13mmとしているがソースを失念してしまった・・・)
ボロジノ級と同じく均質装甲を用いた配置になると思われ、完成していた場合は本艦も(米戦艦を除く)当時の戦艦の中でも優秀な物となっていただろう。
砲塔天蓋はついに200mmに。数年後の英戦艦がこの厚さの砲塔天蓋を採用しているが、16インチ砲艦すら登場していない時に、ここまでの厚さは意味があるのだろうか。

なお上部装甲帯関連だが、先述したようにこの部分は75mmしかない。
ここは以前に増して容易に貫通されることになるが、まず二つのルートの内、前者はボロジノ級と同じく中甲板によりある程度防御可能である。
そしてボロジノ級では有効でなかった後者については、実は本級の中甲板はボロジノ級とは少し強化範囲が異なり、外縁部にも50mmの水平装甲が施されている。
その奥に控える縦隔壁自体が75mmに強化されたことを含め、これまでの艦を大きく上回る防御力を発揮可能である。
といっても第二次大戦期の戦艦主砲が相手だと、水平貫通力が低い一部砲弾を除いてあまり有効ではないが、既存のロシア戦艦よりも上であることは確かである

(いっその事上部装甲帯を撤去して、中甲板の外縁部を63mmにまで強化すれば、横断図はやや弾片防御が厚い集中防御艦になる。
そうすれば弱点となる部分がなくなって均質な防御力が発揮可能になるが、それだと副砲が無防備になるということで一長一短か)
ちなみに装甲厚には大きな差があるが、本艦の様に「薄い上部装甲帯を持つ代わりに装甲甲板の外縁部がやや減厚する」という配置は、後のリットリオ級戦艦にも見られる

まとめると、本艦は主装甲帯→縦隔壁のルートが少々弱いかもしれないが、優秀な水平装甲を持つことを考えれば第一次大戦期の艦としては平均以上の防御力を持つだろう。
さらにマリーヤ級やボロジノ級と言った以前の艦が持っていた上部装甲帯関連の弱点について、改善への着実な進歩が見られるのも評価すべき点である。
単純な攻防力の面で見ても、第一次大戦期の戦艦としては強力な部類に入るが、あくまで第一次大戦期に本艦が完成していた場合の話となる。
本艦の建造は大戦中に延期され、革命後に取りやめとなっているが、部品が揃っていたとしても完成は大戦末から大戦後になる。
同時期には英海軍で砲弾の改正が行われ、13.5インチ砲艦への火力面での優位が揺らぐ他、そもそも15・16インチ砲艦が列強海軍では新造艦の主流となっている。
このような環境では、いくら優れた部分があるとはいえ、12インチ砲艦に過ぎない本級では見劣りすることは否めない。
もちろん(じきに消滅する)オスマン帝国海軍への対抗という意味では、結果的にゲーベン一隻に留まった同海軍主力艦に対しては過剰でしかないが、十分に役割を果たしただろう。
列強海軍の新造艦に対しては、本級よりもボロジノ級以降に設計された16インチ砲艦が対応する物となる。
 

:

帝政期16インチ砲艦案

編集予定

;

・帝政ロシア弩級戦艦の装甲配置に関する雑感
これらの戦艦の装甲についてまとめてみると、時代を経るごとに中甲板の増厚と、それより上にある上部装甲帯の減厚が確認できる。
中甲板 ガングート・マリーヤ25mm  ボロジノ60mm ニコライ一世63mm
上部装甲帯 ガングート125mm マリーヤ・ボロジノ100mm  ニコライ一世75mm
ネヴァダ級のような徹底した配置の艦は今回扱った中では存在しないものの、最後に起工されたニコライ一世に至るまで、
集中防御に近づく傾向が見て取れるのではないだろうか。
それでも上部装甲帯を完全に廃する事はなく、重要区画外の装甲も広い範囲に有しているわけだが、これは日本海海戦における非装甲部分の損傷が影響しているのだろう。

そうしてみると、割りと一気に変化した感のある米英、長門型を経て集中防御に対応した日本、そしてやや時代は異なるが既存の防御を改良する方向へ向かったドイツと言った国の戦艦とはまた異なる。
クラスごとに地道な変化を遂げている印象を受ける。
残念ながらロシア革命の影響などで以降の戦艦建造は行われなかったが、
20年代に戦艦が建造されていた場合どのような配置になったかは気になるところである。

→ ニコライ一世やボロジノ級以降の戦艦計画(未編集の16インチ砲艦計画)について少し調べてみると、上部装甲帯を残しつつも集中防御を大幅に取り入れた物、
装甲帯ではなく傾斜部を垂直防御の中心にした奇抜なもの(軽巡夕張のような傾斜部による多重防御の一種か)などが見られる。
これらの艦についてもいずれは取り上げたい。

これから取り上げるソ連時代の計画艦は普通に集中防御の範疇に入るものだが、上部装甲帯や艦首部分の装甲を持つ物もあり興味深い。詳細は該当艦の解説で。

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ソ連時代の新型主力艦計画(編集中、全面改稿予定)

ここからは最終的に完成に至る事はなかったが、ソ連時代にも数多く存在した主力艦の計画について見ていきたい。
ガングート級の項でも述べたように、革命後の海軍はしばらく新生学派的な戦艦軽視の時代が続いた後、20年代後半より同級の大改装を順次実施。
そして五か年計画の成功や大粛清によるスターリン体制の強化と言った出来事が前後する30年代後半、多数の主力艦を含む大艦隊整備計画がスタートする。

この背景には海軍増強による国威の発揚、大型水上艦を好んだスターリンの個人的な理想の実現と言った物の他、もっと現実的な部分ではドイツ再軍備への備えや、ドイッチュラント級の登場から日本の条約脱退に至るまで、各国で再燃し始めていた主力艦の建艦競争へ追従するという面が考えられる。

具体的な内容としては、36年5月の計画にて整備される主力艦には「A型」8隻、「B型」16隻などの数字が見られる。
A型はB型よりも大型な純戦艦で、特に後述する(予定)理由で太平洋艦隊向けの案で顕著である。一方のB型はソ連内では「重巡洋艦」と呼称された高速艦の計画が中心であった。
この時点でソ連は軍縮条約の制限を受けてない為、ここで言う重巡はロンドン条約で定義された物ではなく、普通サイズの巡洋艦の撃破を目指した大型巡洋艦。条約の基準では主力艦の範疇に入る艦を指す。
(また39年には第三次五ヵ年計画の一部としてさらに大規模な計画もあったそうだが、経緯については良く把握していない)

この計画は紆余曲折を経て、A型はソビエツキー・ソユーズ級戦艦として半数の4隻を起工。B型の計画は中止されるも、近い思想を受け継いだクロンシュタット級重巡2隻が起工された。
しかしその建造は大きな困難を伴い、最終的に独ソ戦が止めとなってすべて未完成に終わってしまう。こうして戦間期に始まった主力艦の整備計画は一旦頓挫する事になる。

第二次大戦期ソ連主力艦の装甲について
ソ連製の装甲についてはNAaB上にも項目は存在せず、計算はこちらで近い性能と推測される材質を用いるしかない。
一応このページでは独自の推測(とりあえず1910年代の表面硬化装甲という物)を長年掲載していたが、2023年に一部新情報を発見したのでこれに伴う変更が一部必要となった。
その内容は「戦艦装甲の材質の話」を参照として、この時期には浸炭装甲の不足と厚板の製造不良問題から、200mm以上の表面硬化装甲は代用の非浸炭表面硬化装甲(BC)を用いるという方針があったのである。
つまり二次大戦時のソ連戦艦の装甲材質KCとKNCだけでなく、BCを含む三種類について推測する必要があるという事になる。

と言っても「材質の話」でも書いた通り、現時点では結局データ的な検証は殆ど出来ていないので、感覚的な判断になってしまうのが現状である。
その上でクルップ社の装甲を拒絶した話から、本来の性能は巷で言われる程酷くない可能性がある一方で、BCが用いられる範囲では、帝政期のKCで想定される性能に達していない(被弾時の破壊状況からやや脆い)結果があるのも事実である。

という事で何度も言うように完全に想像だが、このページでは200mm以下のKCは今までと同じく1910年代の表面硬化装甲、そしてそれ以上に用いるBCは(NAaB上ではなぜかそれよりも性能が低い事になってる)VH鋼扱いで計算する事としたい。
またKNCについても特に情報はないが一次大戦期の物を使用する。

最後に戦後に計画された主力艦に用いられる予定のKC鋼については、この間の性能向上があってもおかしくはないはずだが、実態についてはまったく不明である。
計算では以前と同じく、200mm以上を含むすべての厚さで一次大戦期の表面硬化装甲に相当という扱いとする。

現時点で変更予定箇所は一旦取り下げているが、本文の改稿と共になるべく早く反映していきたい。

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とりあえず前置きはここまでで具体的な紹介に移りたいが、今のところ対象となるのはソ連が計画した艦かソ連向けに提供された設計案のみで、戦利艦や貸与艦は対象外。
この内少なくともR級とコンテ・ディ・カブール級については元の保有国のページで扱っている。

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21号計画戦艦(第四設計局案)
計画のみ(採用されず)
249m 35.000t? 16インチ砲三連装3基9門 30ノット以上

装甲厚
垂直装甲 380mmBC

砲塔前盾 420mmBC傾斜不明(推定15度内傾)

バーベット 400mmBC
水平装甲 60mmKNC → 140mmKNC ≒ 169mmKNC
砲塔天蓋 250mmKNC

上部装甲帯→甲板 あり
上部装甲帯→傾斜部 なし

船体 長船首楼型(大和と同じく船首楼が艦尾付近まで伸びる)

21号計画戦艦安全距離

装甲部位\艦砲
8インチ
28cm
41年式36cm
14インチマーク1
15インチ 16インチ
46cm
 垂直装甲 3.5km以遠 14.5km以遠 17km以遠
20.5km以遠 24.5km以遠
26km以遠
33km以遠
 砲塔前盾 貫通不能 12.5km以遠 17.5km以遠 21.5km以遠 26km以遠 28km以遠 38.5km以遠
  バーベット 1km以遠
(2.5km以遠)
11km以遠
(13km以遠)
13km以遠
(15.5km以遠)
16km以遠
(19km以遠)
19.5km以遠
(22.5km以遠)
21km以遠
(24km以遠)
27km以遠
(30km以遠)
水平装甲  貫通不能 35kmまで 29kmまで 28.5kmまで 28.5kmまで 28.5kmまで 28kmまで
 砲塔天蓋 貫通不能 41kmまで  32kmまで 31kmまで 貫通不能 32kmまで 32kmまで

垂直装甲(30) 貫通不能 7km以遠 9km以遠 14km以遠 18km以遠 20km以遠 25.5km以遠

案の概要
最初に扱う21号計画戦艦は、1936年前半にバルト海向け戦艦として計画された案で、ソ連国内では最初に形になった戦艦案でもある。
なおこの時期の主力艦案は、国内では第一中央設計局(TsKBS-1)とバルチック造船所内に設けられた第四設計局(KB-4)が平行して設計作業を行っている。本案も二種類存在するが、ここで扱うのは情報が多い後者の物である。

元々35年の時点で、計画番号こそないが国内でも大型巡洋艦を中心に主力艦の研究は行われていたが、その中には53cm砲だの36ノットなど、少々空想的な要求も多少は見られた。
本案はそれとは対照的に、主砲16インチ砲基準排水量35,000tと、ワシントン条約での個艦制限内にまとまった条約型戦艦である。
これには建艦計画に伴う外交交渉が背景にあり、当時のソ連は海軍軍縮条約に参加していないが、その結果次第で条約の制限に従う必要が出てくる可能性を考慮した物である。(実際翌37年には英ソ海軍協定を締結する)

艦の特徴は、第一に主砲配置を含めネルソン級に酷似した外見だが、それ以外には艦尾を一段切り欠いて航空艤装を置いた船体形状、水中防御にプリエーゼ円筒を用いた点など、この時期に影響の強いイタリア艦的な要素も既に見られる。
武装はネルソン級に準じた配置で、主砲は16インチ三連装3基を前部集中。副兵装は煙突横に6インチ三連装砲を2基ずつ計4基、加えて艦尾に10cm連装砲3基ずつ計6基搭載。

機関もネルソンと同じく、機械室の後ろに缶室を置く変わった配置だが、それ以上に驚くべきなのはその出力だろう。30ノット以上の高速力を求めた結果、本案の出力はアイオワ級すら上回る22.5万馬力。しかも3軸推進なので一軸あたり7.5万馬力という凄まじいものに。
サウスダコタ級ぐらいの機関室長で本当に実現できたのかは疑問な面もあり、少なくともソユーズ級がそうだったように、タービンやシャフトは海外に発注するものと思われる。

装甲配置とその特徴
ここから防御面。本案の装甲配置は以前の帝政期戦艦と以降のソ連戦艦案、どちらとも異なる点を持つ独特な物である。

最初から見ていくと、まず船体は伊戦艦に似た船首楼が第三砲塔端部まで伸びる長船首楼型。なので重要区画上の甲板は基本的に船首楼、上、中、下の4層。
垂直装甲は前部弾薬庫から後部缶室までの重要区画間を覆う範囲で、中甲板までの高さに主装甲帯を設け、厚さは380mm。この上には上甲板の高さまでに150mm、船首楼の高さまでに60mmの上部装甲帯が加わる。
また重要区画前後の艦首尾にも端部に至るまで中甲板の高さまでに装甲帯を設ける。厚さは艦首尾共に基本100mm、舵機械室横のみ250mmに増厚する。

続いて水平装甲は、重要区画上では主装甲帯の上端に平坦なまま接続する中甲板が主な装甲を担い、これに加えて最上層の船首楼甲板にも一定の装甲を施す。厚さは前者が140mm、後者が60mm。
そして重要区画外では主に第一船倉甲板を装甲化。形状は艦首尾ともに装甲帯の下端に接続するが、艦首のみカーブを描く亀甲甲板風。厚さは艦首が水平部傾斜部共に75mm、艦尾100mm。これに加えて艦尾では舵機械室上で中甲板が140mmに。
それ以外では主砲塔が前盾420mm、バーベット400mm、天蓋250mm。副兵装は副砲塔が150mm。その他には艦首のみに?40mmの水中防御隔壁があるようだ。

装甲材質については 上述した垂直装甲の大部分は200mm以上であり、製造状況によってはBCが用いられていた可能性が存在する。それ以外は普通のKCにKNCや構造鋼が想定される。

本案の配置の特徴は第一に、140mmという今までにない厚さ(また帝政期戦艦と違い外縁部でも減厚しない)の水平装甲を、主装甲帯の上端に接続する甲板に設け、重要区画を守る強力な装甲区画を形成する点である。
また帝政期戦艦の特徴であった傾斜部と縦隔壁からなる重厚な弾片防御が廃され、上記の装甲区画など外側での防御に重点を置いた点も指摘できる。

以上の点は間違いなく時代に即した変化だが、その一方でより保守的と言える要素も多数見られる。
主装甲帯は厚いが傾斜を持たない他、その上部には薄い上部装甲帯を設け乾舷全体を防御し、加えて前後部の水線部にも薄い装甲帯を設けている。
つまり本案の装甲配置はネルソン級とは全く異なる、「分散的」な指向を示す物である。これは全体の抗堪性という意味では利点もある一方で、同時にこの時期に戦艦同士の打ち合い最優先した場合、最適な配置とは言えない物である。

本案がこのような配置に至った経緯は残念ながら把握していない。だが本案に影響を与えたと思われる艦の中では、主装甲帯を除けばリットリオ級の配置と(実際に提供されたUP41案よりも)共通点が多いと思われる。
そういった他国の新しい防御思想が、元々あった帝政時代の配置に入って行った過渡期的な配置と考えるのが自然と言った所だろうか。
少なくとも確実な事としては、以降のソ連主力艦計画の中で、装甲配置はここからさらなる変化を遂げていく事になる。

表の結果と解説
ここからは表を見て行くとして、まず注意点として上で述べたように、200mm以上の垂直装甲にはBCを用いていた可能性が高いという事で、本案の計算でもBC相当の材質として計算を行っている。

最初に垂直装甲は主装甲帯が380mmと、帝政期の艦から一気に飛躍。同時期の各国戦艦と比較しても決して薄くないというか、むしろ35,000t級の艦としては最も厚い部類に入る。
だが傾斜の恩恵を受けられない点、そして材質の点から、この時期の戦艦の中ではあまり良くない結果となった。
対敵姿勢で横方向の角度が付く場合を除いて、この部位の配置では列強の新戦艦が装備する15、16インチクラスに対し有効な安全距離を持つ事は難しいだろう。

続いて砲塔前盾は420mmの厚さを持つ。傾斜角等の配置は不明だが、ここでは後のソユーズ級の砲塔と同じく15度程度内傾している物と仮定した。
この部位も正直艦の規模や備砲に対しては微妙といったところ。
一方でバーベットも400mmと厚い物で、こちらは正面から命中した場合でも15、16インチクラスに対してある程度の安全距離を持つことに。

水平装甲は上でまとめた通り、主装甲帯の上端に接続する中甲板に一枚板140mmの強力な装甲を設け、加えて船首楼甲板にも60mmと厚めの装甲を貼る2層式。
こちらの材質は特に弱体な物を使ったわけではない事もあって、この時期の遠距離砲戦に十分対応した物と思われる。
最後に砲塔天蓋は帝政期の計画艦の時点で厚めの傾向があったが、本級では250mmとさらに増厚(天蓋の形状は不明)。計画艦を含めてもこれを上回るのは大和型ぐらいだろう。
水平防御は基本的に遠距離戦に対応したと評価できる。

続いて表以外の部位について。
本案の重要区画間では150mmならびに60mmの上部装甲帯で乾舷全体を防御しており、船首楼甲板ではなくこちらを抜いた砲弾が中甲板装甲に達するする可能性も存在する。
だが一次大戦期の艦などとは違い、中甲板の外縁部にまで厚い装甲を持つ本案では防御上の弱点になる事はないだろう。

他の部分では、煙路防御は詳細不明だが煙突基部に60mmの装甲が施される他、甲板開口部は上部装甲帯と船首楼甲板がカバーする範囲にあるので、少なくとも中小口径弾に対する防御は行っている。
水中弾防御は特に確認できない。プリエーゼ円筒を設けた事もあって主装甲帯の水線下の範囲も狭く、特に積極的な防御は期待できないだろう。

最後に全体的な抗堪性に関する部分では、本案は重要区画間では上部装甲帯を設け、その前後の艦首尾にも垂直水平共にある程度の装甲を設けている。
これは上で述べた通り、戦間期に想定された戦艦同士の遠距離砲戦のみを考えた場合は非効率的な配置である一方で、他の脅威に対してはそれらを持たない艦よりも利点になる場合も考えられる。

まとめ
以上のように本案は、帝政期戦艦よりもはるかに厚い装甲を持ちつつも、配置の面で一部非効率的な部分もあり、安全距離的には特に垂直装甲が微妙な結果となった。
一方で他の部位、特に水平装甲の強化は、この時期の遠距離砲戦への対応という意味で非常に重要である。

そして他国戦艦との比較に必要な攻撃面については、正直あまり把握していない。一応最終的にソユーズ級で採用される物を搭載したと思われる。(同級の解説で一部書いているがここも後日改稿予定)

またそれ以前の問題として、本案は3万5千トンに抑えた船体にここまでのスペックが発揮できるかは疑問があり、独ソ戦の影響などを無視したとしても建造にはかなりの困難を生じると思われる。
予想される不具合などを含めた現実的な兵器としての能力は、実際に建造に漕ぎつけた各国新戦艦を上回る事はないのでは、というのが正直な感想である。

もちろんスペック上は強力な高速戦艦と言えるのは間違いない点で、それが存在するという時点で、他国(特に独)海軍の脅威となっていただろう。
またソ連海軍自身も本案に留まる事はなく、以降はこれを上回る主力艦計画を進める事になる。本案の重要性は、海外から提供された案と共に、その流れの起点の一つになったという点にもあるだろう。

なお紹介しなかった第一中央設計局の案は、装甲厚がやや減少するかわりに装甲帯が傾斜(総合的な防御力は同程度か)。水中防御もプリエーゼ円筒ではなく複数の縦隔壁と液層を用いた米国式を採用。
また副砲は155mm砲で、出力は17万1千馬力と3軸でも第四設計局案よりは現実的な値となっている。

以降改稿予定

ソビエツキー・ソユーズ級戦艦
1938年起工 未完成
59,150t  269.4m  B-37 1937年式50口径16インチ砲 三連装3基9門  28ノット

装甲厚
垂直装甲(弾薬庫) 420mmKC傾斜5度
垂直装甲(機関部) 375mmKC傾斜5度

砲塔前盾 495mmKC 傾斜約15度内傾

バーベット 425mmKC
水平装甲 25mm → 155mmKNC → 50mmKNC ≒ 184/163mmKNC
砲塔天蓋 230mmKNC傾斜0~5度

上部装甲帯→甲板 なし
上部装甲帯→傾斜部 なし

船体 長船首楼型(大和と同じく船首楼が艦尾付近まで伸びる)

ソビエツキー・ソユーズ安全距離

 装甲部位\艦砲

8インチ

28cm

41年式36cm

14インチマーク7

15インチ

16インチ

46cm

 垂直装甲(弾薬庫) 1km以遠 11km以遠 12.5km以遠
15.5km以遠 19.5km以遠 20.5km以遠 25.5km以遠
 垂直装甲(機関部) 3km以遠 13.5km以遠 15.5km以遠
19km以遠 22.5km以遠 24km以遠 29.5km以遠
 砲塔前盾 貫通不能 6.5km以遠 9.5km以遠 15km以遠 19.5km以遠 20.5km以遠 29.5km以遠
 バーベット 貫通不能
(2km以遠)
9.5km以遠
(11.5km以遠)
11.5km以遠
(14km以遠)
14km以遠
(17km以遠)
17.5km以遠
(20.5km以遠)
18.5km以遠
(22km以遠)
24.5km以遠
(28km以遠)
水平装甲  貫通不能 36kmまで 30kmまで 29kmまで 29.5kmまで 29.5kmまで 27kmまで
 砲塔天蓋 貫通不能 39.5km
~37.5kmまで
 
31.5km
~29.5kmまで
30.5km
~28.5kmまで
貫通不能
~28.5kmまで
31km
~28.5kmまで
31km
~28.5kmまで

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垂直装甲(弾薬庫30度) 貫通不能、3.5km以遠、4km以遠、8km以遠、11.5km以遠、15.5km以遠、18.5km以遠
垂直装甲(機関部30度) 貫通不能、7km以遠、8.5km以遠、12.5km以遠、15.5km以遠、19km以遠、23.5km以遠

次は実際に建造が行われるも、独ソ戦により未完成に終わったソビエツキー・ソユーズ級(23号計画戦艦)について
本級を含むソ連時代の戦艦計画はだいぶ複雑な経緯を辿っているらしいが、調べられていないので省略。
いつも通り防御様式について見て行きたい。

よく「大和型に匹敵する巨大戦艦」という表現が使われるように、5万トン台後半の排水量を誇る本級は装甲にも多大な重量を割いている。
これにより21号計画戦艦において帝政期の艦から削減されていた、艦首や艦尾といった非重要区画の垂直装甲が大幅に強化されている。
このページでもまとめたように、この時期の戦艦は艦尾はともかく、艦首では垂直装甲を完全に廃する(日米仏戦艦にKGV)か、至近弾防御の為に薄目の装甲帯を狭い範囲に持つ(伊独戦艦とヴァンガード)程度の防御に留まっている。
それらと比べると本級のこの部位は、装甲厚・範囲の両方で最も強力な物である。
(ただ巡洋艦の主砲には過剰で、戦艦主砲に対しては心もとない程度の厚さなので、無駄が多いとも言えなくはない)
なお図面を見るとこの部分の装甲はバイタルパート外に設けられたディーゼル発電機室を防御する役割もあり、本級の源流であり同じくディーゼル発電機を艦首尾に置いたイタリア戦艦から受け継いだ面があると思われる。

重要区画内の配置の特徴として、まず垂直装甲は帝政期戦艦や21号艦が有していた上部装甲帯を完全に廃し、主装甲帯のみとした点が挙げられる。
そして主装甲帯は上甲板の高さまで配置されている。
一応本級の船体形状は船首楼甲板が三番砲塔の後ろで途切れる、リットリオ級や21号戦艦と同じ形である。
よって乾舷全体を主装甲帯が覆う形とはならないが、各国戦艦の中でもかなり高い範囲までを主装甲帯で防御できている。
さらに水平装甲は前級と同じく主装甲帯の上端、つまり上甲板が主な水平装甲を担う甲板となる。
これにより形成される装甲区画の範囲は非常に広く、先述の非重要区画の防御を合わせると、第二次大戦期の戦艦としては特に優れた防御範囲を持つ艦と評価できる。

ここからはいつも通り、表の結果について。
まず垂直装甲だが、主装甲帯は外装式で、厚さは375mmから420mmにも達する。

厚さだけを見れば一部分は大和型を上回るが、傾斜が5度と殆どないのが欠点となる。
装甲品質は上で低めに設定したこともあり、装甲帯が薄めになる機関部は16インチ砲に対しても微妙な防御力と言う結果になっている。
装甲自体は厚く範囲も広いが、傾斜の関係で実質防御力の面で損をしていると言うのは、ちょうどKGV級など英新戦艦と被る面があると言えるか。
なお本級も水雷防御はイタリアのプリエーゼ式を採用する予定だったが、リットリオ級のように水線下の防禦範囲は犠牲となっていない。(KGVやリシュリューと比べると少々浅い気もするが)

砲塔防御についても前盾495mm、バーベット425mmと新戦艦の多くを上回るものである。
共に16インチ砲などにも耐えられるが、砲塔前盾については傾斜角がやや浅めであり、一部新戦艦の艦砲には不足するか。

水平装甲は装甲帯の上端に接続する上甲板に155mmの均質装甲、他にも船首楼甲板に25mm、中甲板に50mmの装甲を持つ強力な物に。
船首楼甲板ではなく、外殻を抜いた砲弾が上甲板の装甲甲板に直接命中する場合の安全距離は以下の通り
貫通不能/35.5km/29.5km/29km/29km/29km/26.5km
砲塔天蓋も230mmと大和に次ぐ厚さであり、水平装甲は基本的にこの時期の遠距離戦にも対応できているだろう。

まとめると、重要区画の防御はこの時期の艦の中では優秀な部類に入る艦だが、主装甲帯は装甲厚や範囲の割に弱体な部分があると言うのはやや気になる所か。
本級は大和やモンタナといった艦に対して非重要区画を含めた防御範囲の広さで勝り(両級のような水中弾防御は無いが)、これは戦艦主砲よりも航空攻撃が脅威となる対二次大戦の環境では優位な点だが、
重要区画の防御で言うと、排水量の割に劣る部分があると言わざるを得ない。
他の新戦艦でも表の16インチ砲を上回る艦砲を持つ艦も多く、それらに対して一部部位の防御力が不足していることは不安な点である。

本級の主砲である50口径16インチ砲は、砲弾重量1108kgとやや重めの砲弾を初速830m/sの高初速で運用し、最大射程も40kmを優に超える。
砲自体は独ソ戦前に少数製造されており、陸上砲台として使用された。

この砲の貫通力に関してはNavwepsに異様に低い数字が掲載されているが、同サイトの貫通力は出典によってはおかしいものも普通にあるのでノーコメント。
一方でNAaBでもこの砲と思われる項目が存在したが、色々と設定がおかしい(旧式のKC鋼に対する数字と第二次大戦期の装甲に対する数字が違いすぎるなど)のでこちらも信用はできない。
なお1.3以降のバージョンでは削除されたようだ。

実際の所の性能は、やっぱり砲弾の品質によるとしか言いようがないが、他国と同等レベルの物が作れたなら、主に垂直装甲に対する能力などはかなり強力な物だったと思われる。

なお未完成に終わった本級だが、建造決定後も何回かの設計変更が行われている。
水雷防御の改善が主な変更点で、イタリアのプリエーゼ円筒から先代サウスダコタ級(BB-49)を参考にした米国式、そしてノースカロライナ級に類似したより新しい米国式へと変更されている。
その際には舷側装甲の傾斜がより深い傾斜8度に変更、その後再び5度に戻され、かわりにやや厚めの弾片防御隔壁が奥に設けられた。
何故再び傾斜が浅くなったかはよくわからないが、おそらくは思ったより重量バランスに与える影響が大きかったとか、水雷防御に食い込んで邪魔になるとかの理由があると思われる。
下はその場合の安全距離。(後者の場合は計算法の都合で上の表とあまり変わらない結果に)

垂直装甲(bis) 380mmKC+10mm 傾斜8度
垂直装甲(nu) 375mmKC+10mm 傾斜5度 → 50mm

 垂直装甲 1km以遠 12.5km以遠 14km以遠
17.5km以遠 20.5km以遠 22km以遠 27.5km以遠

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クロンシュタット級重巡洋艦
1939年起工 未完成
35,240t 250.5m  B-36 1937年式12インチ55口径三連装3基9門 もしくは1934年式38cm47口径連装3基6門   33ノット
装甲厚
垂直装甲 230mmKC+18mm傾斜6度
砲塔前盾 305mmKC 傾斜9度内傾(もしくは約25度)
バーベット 330mmKC
水平装甲 12mm → 90mmKNC → 30mmKNC ≒ 107/93mmKNC
砲塔天蓋 125mmKNC水平~傾斜5度

上部装甲帯→甲板 なし
上部装甲帯→傾斜部 なし

船体 平甲板型

クロンシュタット級安全距離

 装甲部位\艦砲

8インチ

28cm

41年式36cm

14インチマーク7

15インチ

16インチ

46cm

 垂直装甲 9.5km以遠 23.5km以遠 27km以遠
29km以遠 安全距離なし 安全距離なし 39.5km以遠
 砲塔前盾 6.5km以遠 20.5km以遠 26km以遠 32.5km以遠 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
バーベット 4km以遠
(5.5km以遠)
15km以遠
(17km以遠)
17.5km以遠
(20km以遠)
21.5km以遠
(24.5km以遠)
25.5km以遠
(29km以遠)
27km以遠
(30.5km以遠)
34km以遠
(38km以遠
)
水平装甲 29.5kmまで 28.5kmまで 22kmまで 21kmまで 19kmまで 17.5kmまで 13.5kmまで
 砲塔天蓋 貫通不能 32.5km
~30kmまで
 
26km
~23.5kmまで
25km
~23kmまで
25km
~21.5kmまで
24.5km
~21kmまで
21.5km
~14.5kmまで

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垂直装甲(30度) 7.5km以遠、19km以遠、23.5km以遠、25km以遠、28km以遠、31.5km以遠、37.5km以遠

第二次大戦前の各国海軍は条約型巡洋艦やドイツのポケット戦艦を撃破する為、大型巡洋艦とも呼ばれる高速戦力の整備が一種のブームとなった時期が存在した。
その中でソ連海軍が建造を予定したのがクロンシュタット級巡洋艦(69号計画巡洋艦)である。
ソ連海軍内では重巡洋艦に分類されたが、ドイツのシャルンホルスト級に対抗するための設計変更もあり、実際は3万5千トンを超える大型艦となる予定だった。

装甲配置の特徴について少しまとめると、本級はソユーズ級と同じく、重要区画内は主装甲帯とその上端に接続する甲板に重点的に装甲を配置している。
つまり本ページが定義する集中防御艦の範疇に入る。
ソユーズ級との違いとしては、通常の平甲板型船体を持ち、装甲帯の上端が中甲板までの高さであると言う点が挙げられる。
また重要区画外では既存のロシア・ソ連戦艦と違い、艦首尾の装甲帯を殆ど廃しているのも特徴となる。

まずは垂直装甲から、主装甲帯は厚さが230mm、高さは中甲板までとなり、艦首装甲帯を廃した都合か長さは1~3番砲塔外を含む広い範囲に達している。
装甲厚自体は他の同じ目的で建造された艦とあまり違いは無い。ただ本級も装甲の傾斜は6度程度とやや浅いため安全距離では劣る結果となった。
特に垂直装甲の安全距離が、仮想敵であるシャルンホルスト級の28cm砲に対しやや不足しているのは痛い。

ただし14インチ砲以上の艦砲に対応できないのは、同じような目的で建造された他国艦も同じである(一部部位を犠牲に強力な垂直防御を持つシャルンホルスト級は除く)。

砲塔前盾は305mmの装甲を持つ。こちらも14インチ砲以上の艦砲に対し有効な安全距離を持たない。
なお砲塔は搭載が予定されていた砲により形状が異なり、同じ装甲厚でも安全距離が異なる可能性がある。
ここでは数字がある程度予測できるドイツ製38cm連装砲を搭載した場合の数字を掲載した。
一方バーベットについては、帝政ロシア期の戦艦とは異なり330mmと結構な重防御であり、本級の装甲の中では優秀な部位と言える。

水平防御は、装甲帯の上端に接続する中甲板90mmの装甲甲板と一段下に控える30mmの弾片防御甲板で構成される。
配置はこの時期の艦として一般的な物だが、厚さそのものについては不足してる感もある。
外殻→中甲板では29km/28.5km/21.5km/20km/18.5km/17km/13.5と、さらに短くなる。
砲塔天蓋は125mmとこれより厚いが、傾斜部の防御は微妙。
なおビスマルク級に搭載されたものと同じ形状とした場合、こちらの傾斜部はさらに大きな弱点となる可能性が高い。

まとめると、基本的に対戦艦においては本級の装甲は脆弱で、高速力や(38cm砲搭載案の)強力な火力を考えても不利は否めない。
対巡洋艦戦では十分に効果を発揮する程度の装甲だが、ソロモン海の夜戦のような10km以内が基本の戦場に巻き込まれた際には危険かもしれない。
最後にドイツのシャルンホルスト級やO級との戦闘について考えてみたいが、想定される交戦距離ではどちらも防御力は不足している感があるので一概には言えない。
この件についてはいずれ加筆するとしたい。

なお比較的薄い装甲が用いられている本級では装甲品質が比較的ましな可能性がある。(といってもまともに造れたのは9インチが限界だったらしいが)
仮に主装甲帯がイタリア製表面硬化装甲と同じ品質だと仮定すると、垂直装甲は3km程安全距離は広くなり、ダンケルク等に匹敵する程度にはなるか。


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24号計画戦艦
計画のみ(起工前に計画中止)
72,950t  B-37 1937年式50口径16インチ砲 三連装3基9門  30ノット
装甲厚
垂直装甲(弾薬庫) 450~425KC傾斜20度
垂直装甲(機関部) 410mmKC傾斜20度
砲塔前盾 不明 600mmKC傾斜15度内傾(推定)
バーベット(露出部) 500mmKC
バーベット(艦内部) 150mmKC → 415mmKC
水平装甲 60mm → 165mmKNC → 20mmKNC ≒ 199mmKNC
砲塔天蓋 230mmKNC

上部装甲帯→甲板 あり
上部装甲帯→傾斜部 なし

船体 平甲板型

24号計画戦艦安全距離

 装甲部位\艦砲

8インチ

28cm

41年式36cm

14インチマーク7

15インチ

16インチ

46cm

 垂直装甲(弾薬庫) 貫通不能 7.5~6km以遠 7.5~6以遠
11.5~10以遠 14~12.5以遠 15.5~14.5以遠 18.5~16.5以遠
 垂直装甲(機関部) 貫通不能 8.5km以遠 8.5km以遠
12.5km以遠 14.5km以遠 16.5km以遠 19.5km以遠
砲塔前盾 貫通不能 1km以遠 1km以遠
6km以遠 10.5km以遠 12km以遠 21km以遠
バーベット(露出部 貫通不能 6.5km以遠
(8km以遠)
7.5km以遠
(10km以遠)
10km以遠
(12km以遠)
13km以遠
(15.5km以遠)
14km以遠
(16.5km以遠)
19km以遠
(22km以遠)
バーベット(艦内部) 貫通不能 貫通不能 貫通不能 貫通不能 4km以遠 6km以遠 12.5km以遠
水平装甲  貫通不能 37kmまで 30kmまで 29.5kmまで 29.5kmまで 30kmまで 30kmまで
 砲塔天蓋 貫通不能 39.5kmまで  31.5kmまで 30.5kmまで 貫通不能 31kmまで 31kmまで

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垂直装甲(弾薬庫30度) 貫通不能、貫通不能、貫通不能、貫通不能、2km~貫通不能、10~9km以遠、12.5~10km以遠
垂直装甲(機関部30度) 貫通不能、貫通不能、1km以遠、1km以遠、3.5km以遠、10.5km以遠、13.5km以遠

装甲配置の特徴を見てみると、前級に比べて主装甲帯の傾斜が増し、水平装甲の配置が改正されている。
基本的には米海軍のノースカロライナ級やモンタナ級との共通点が多い配置である(水雷防御の形状も米戦艦に似る)。
ただし米戦艦とは違い水中弾防御は存在せず、これが本級の戦闘に影響を与える可能性もあるかもしれないが、いつも通り水中弾については論じない。
本級は主装甲帯よりも上の範囲に150mmの上部装甲帯が復活し、前級に引き続いて艦首艦尾の装甲も充実し、非重要区画への防御を考えた重厚な装甲配置を受け継いでいる(ディーゼル発電機の艦首尾配置も継承)と言える。
第二次大戦期の大口径砲弾にとって垂直150mmの装甲は無いようなもので、その分の重量を水中弾防御に回したくなってくるが、非重要区画を巡洋艦以下の砲弾に対して守る場合は有効である。

また重要区画の防御にしても、この150mm装甲が効果を発揮する場合もある。この辺は後述
前級ソビエツキー・ソユーズ級は上部装甲帯を持たないが、7万トン越えで重量に余裕がある(?)本級だがら備えられたのかもしれない(根拠なし)。

なおこの上部装甲帯は、イタリアのリットリオ級やUP41にも見られ、本級もこれらの艦の影響を受けていると考えることが出来る。
一方で革命により実現しなかった帝政ロシアの戦艦案などを見ると、集中防御に近い形を取りながら上部装甲帯を持つものもあり、結果的に時を隔ててそのアイディアが復活した形とも解釈できるだろう。
また独自設計の艦としてはこれ以前にも21号計画戦艦が上部装甲帯を持ち、本級とこれらの艦をつなぐ存在と言える。


まずは垂直防御から、主装甲帯の範囲は中甲板までと前級より一段下がった事になるが、これは船体形状が平甲板型になったからであり、相変わらず主装甲帯が乾舷に占める割合は広い。
厚さの方は410~450mmと、一部はモンタナや大和を上回る厚さとなり、前級よりはるかに深い傾斜20度で配置している。
この部位は装甲の質を低めに見積もっても、対46cmや50口径16インチ防御として有効と言える。

なお本級の計画時には16インチ砲に対して100鏈(約18.5km)の安全距離が求められたらしい。
ここで言う16インチ砲が何を指すのかは不明だが、搭載予定だった自国のB-37だろうか。
だとすると、この砲は400mm越えの20度傾斜装甲を18.5kmで貫通できると想定されていたと言うことになり、その貫通力はかなりの物である。
表に無理やり当てはめるとコロラド以上大和以下、旧式のKC鋼に対してなら同距離で500mm越えの貫通力を発揮可能な砲となっていただろう。
ただし、ここで言う16インチ砲は何らかの手段で情報を手に入れたアイオワ級の16インチ50口径砲を想定している可能性も否定できない。

前盾は前級の砲塔と同じ装甲厚・角度だとすると46cm砲に対する防御力は十分とは言えない。46cm砲に対する防御としては装甲厚の増加もしくは取り付け角度の改正が必要だろう。
一方で表に採用したように600mmとされることもあり、その場合角度が15度のままでも有効な防御力を得ることになる。

また本級は計画時点では18インチ砲を搭載する案も存在し、その場合は装甲厚・角度などが異なる新設計の砲塔が搭載される可能性もある。
ちなみにこの18インチ砲は詳細設計などは行われていないようだが、1720kgという米47口径砲と同程度の重量弾を使用が予定されていたと言う。
52kmという射程から高初速で運用されると思われ、砲弾性能がまともなら垂直水平両方で46cm砲を上回る威力の艦砲となっていただろう。
なお砲塔重量は驚異の一基4000トン越えであり、9門搭載しただけでも排水量は8万トン以上まで肥大化するなど、実現性は低く採用されていない。

バーベットは500mmと大和・モンタナには劣るが他の戦艦を大きく引き離す厚さ。正面から命中した場合を除くけばこちらも対18インチ防御と言える。
そしてバーベットの下部は特徴的で、厚さが415mmに減じている。
この部分に命中する砲弾は先述した150mmの上部装甲帯(もしくは上甲板装甲)を貫通する必要があり、その際に被帽を失う為薄い装甲で十分とされたのだろう。
計算してみると、バーベットの装甲厚を1.1倍にして計算しているせいもあり、異様に良い結果となった。
このサイトでも何度も扱っているように、上部装甲帯→露出部に比べ減厚したバーベットというルートは集中防御採用以前の艦ではよくある物である。
しかし本級は主装甲帯の高さに装甲甲板を設けた集中防御の要素を持つ艦であり、それらの艦が持つ構造としては珍しい部類に入る。
そして減厚部分でも415mmという厚さを保つ艦は本級ぐらいだろう。

水平装甲は主な甲板が165mm一枚板、合計厚245mmと前級とあまり変わらない数字だが、装甲配置の面では大きく違う点を持つ。
前級は最も上を通る甲板の装甲よりも、装甲甲板の下に控える弾片防御甲板を重視していたが、本級ではそれが逆転している。
最も上にある上甲板に60mとやや厚い装甲を設けることで、
非重要区画の榴弾や小型爆弾への防御の他、徹甲弾の信管を作動させて装甲甲板への被害を減らす狙いがあると思われる。
これは似た目的の甲板を持つドイツのビスマルク級の甲板(50mm)を上回る厚さで、米モンタナ級(合計57mm)にもおそらく勝る。
このような甲板を持つ艦は、上甲板の装甲ではなく、舷側の外殻を抜いた砲弾が直接中甲板に命中した場合、防御力はやや低下する。

しかし本級の場合、150mmの装甲帯のおかげでそのルートは弱点とはならず、むしろ甲板のみを抜くルートよりも強力である。

砲塔天蓋は本級のスケッチを見ると、23号と違い傾斜部を持たない水平な形になっている気がする。

なお水平装甲の方は16インチ砲に対して160鏈(約29.6km)が求められているが、表を見る限りは十分達成できるだろう。 
ただ表では水平装甲に対する貫通力がやや低めとなっていることを差し引いても、高初速のソ連製16インチ砲だと安全距離はもっと広くなりそうな物で、やや納得が行かない部分もある。

まとめると、23号計画戦艦と比べると重要区画内の防御は大きく強化されている。
やや特徴的な装甲配置だが、建造されていたら史上最も強力な戦艦の一つとなった事は疑いようがない。
ただし設計がまとまった時点で1950年、建造されていたとしても完成は50年代後半まで待たなければならないので、実質的な仮想敵がアイオワ級ぐらいしか思いつかないのが残念な点だ。

ほぼ青字だし、未成・計画戦艦編に本級も出してみよう。(ドイツ戦艦編のリンクより)

スターリングラード級重巡洋艦
1951~52年起工 未完成
36,500t   260m   SM-33 1948年式12インチ62口径砲 三連装3基9門    35.5ノット
装甲厚
垂直装甲 180mmKC傾斜15度
砲塔前盾 240mmKC傾斜30度内傾 (推定)
バーベット(露出部) 235mmKC
バーベット(艦内部) 50mmKNC → 185mmKC
水平装甲 50mm → 70mmKNC → 15mm ≒ 104/99mm
砲塔天蓋 125mmKNC

上部外殻→甲板 あり
上部外殻→傾斜部 なし

船体 平甲板型

スターリングラード級安全距離

 装甲部位\艦砲

8インチ

28cm

41年式36cm

14インチマーク7

15インチ

16インチ

46cm

 垂直装甲 12.5km以遠 24.5km以遠 27.5km以遠
28km以遠 30km以遠 31.5km以遠 36km以遠
 砲塔前盾 5.5km以遠 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
バーベット(露出部) 9.5km以遠
(11km以遠)
23km以遠
(26km以遠)
28km以遠
(31km以遠)
31km以遠
(32km以遠)
安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
バーベット(艦内部) 4km以遠
19.5km以遠
安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
水平装甲 28.5kmまで 29.5kmまで  23kmまで 22kmまで 21kmまで 20kmまで 15kmまで
 砲塔天蓋 貫通不能 32.5km
~30kmまで
 
26km
~23.5kmまで
25km
~23kmまで
25km
~21.5kmまで
24.5km
~21kmまで
21.5km
~14.5kmまで

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垂直装甲(30度) 10km以遠、22km以遠、25.5km以遠、26.5km以遠、29km以遠、30km以遠、35km以遠

名称は重巡洋艦だが、こちらもクロンシュタット級と同じく35,000t越えの大型艦。 
スターリンの死により一隻も完成することはなかったが、50年代に起工されている事から、本級を最後の戦艦と評することもできるだろう。

装甲配置をクロンシュタット級と比べると、装甲帯の傾斜増加、上部装甲帯の追加、水平装甲の改正など、大体ソユーズ級から24号艦と同じ変化をたどっている。
主装甲帯の長さは同級の様に砲塔外に達する物ではないが、その代わりに艦首艦尾にも(50mmと薄いが)装甲帯が設けられたのも変更点である。
上部装甲帯も50mm程度だが、おそらく中小口径弾の榴弾や、航空爆弾の至近弾に対して船体の広い範囲を守るために設けられたのだろう。
また本級は今までの艦に無かった水中弾防御がモンタナ級に似た方式で導入されている。

主装甲帯の厚さは180mmとクロンシュタット級よりも薄いが、傾斜が深くなったことにより安全距離はそこまで悪化したわけでは無い。
といっても戦艦主砲クラスへは有効でないのは同級と変わらず。
一方で砲塔装甲は明らかに弱体化し、大型巡洋艦系の艦砲に対する防御力は期待できないものに。

水平装甲は先述したように、主な防御を担う中甲板とは別に上甲板に厚めの装甲を設ける形になる。
こちらは航空爆弾への防御もあるので、そこまで弱体化せず。
主な甲板である中甲板は70mmしかないが、50mmの上甲板が効果を発揮した場合、むしろ前級よりも有効な安全距離を有している。
一方で50mmの上部装甲帯→中甲板のルートでは、14インチ砲弾などは上部装甲帯で被帽を失うことはないので、安全距離は大きく悪化する。
貫通不能/27.5km/16.5km/15km/12.5km/12km/10.5km
ただし8インチ砲に対しては、舷側貫通時に弾道が浅くなる分こちらの方が有効である。

正直本級も仮想敵となる戦艦はアイオワ級位しか無いので、特に書くことはない。
一応装甲品質が低めとしても、8インチ砲艦を相手にした場合は十分な装甲である。

本級が搭載を予定した62口径12インチ砲は、通常の徹甲弾なら初速950m/sで最大射程53kmを発揮予定であった。
これだけでも色々おかしいことになっているが、230kgの軽量弾を用いた場合、この砲弾を初速1300m/sで127kmも飛ばすことが計画されていたという。
もちろん移動目標に対しては射撃指揮能力が追い付かないし、威力面も砲弾重量が軽く、弾種も徹甲弾ではないのであまり期待できないかもしれないが、「未来の戦艦臭」の様なものがして胸が熱くなるのは私だけだろうか。

大口径の火砲を持つ水上艦艇は第二次大戦以降廃れて行ったが、本級のような艦が戦後に現れ続けていたら、艦砲や砲弾、そしてそれに対抗する装甲と言う物がどのような進化をだどったのだろうか。
考えて行くと少々虚しくなるが興味は尽きない。

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