戦艦装甲の材質などの話

2018年7月31日公開

いつも書いている怪文書ではろくに解説していない、細かい鋼材の話などをここで書いておきたい。以前に補足のページで書いた内容が中心となる。
なお執筆者は元の文章を書き始めた頃(2015年)、均質圧延装甲のことを「均等圧縮装甲」だと本気で勘違いしていた人間なので、正確性は割と察してもらえると。
まずは主となる(第一次~二次大戦期の)戦艦が使用した装甲材質の種類と大まかな性質を解説した後に、それに至るまでの沿革を述べていきたい。

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装甲板の種類

戦艦が主に装甲として用いた装甲板は、その性質から表面硬化装甲均質装甲に二分する事ができる。
(これに加えて厳密には装甲とは言えないが、構造用鋼も防御目的で一部に使用されている)

・表面硬化装甲(Face Hardened Armor)
名前の通り、表面を硬化させた装甲板。
装甲は硬ければそれだけ敵弾を損傷させ、その機能を奪う事が可能になるが、硬さは脆さと同義語という事で、ただ硬いだけでは装甲そのものが簡単に破壊されてしまう。
そこで敵弾が最初に命中する表面のみを硬くし、裏側には衝撃を受け止める柔らかく強靭な部分を有するのが表面硬化装甲である。

鋼など、炭素を含む鉄は熱処理によって内部組織が変化し、性質を変える特性を持っている。
その中でも一定温度に熱した後に急冷する事で、非常に硬くて脆い構造を生じて硬化させる事が可能である。
(これを焼入れと言い、日本刀の製作工程で熱した刀身を水に浸ける作業もこの一種である)
表面硬化装甲というのは基本的に、この焼入れによる硬化処理を裏側に影響が出ないよう、表面のみに施した装甲となっている。

KC鋼
焼き入れ後の硬度は炭素量に大きく左右される。そのために表面に炭素を吸収させて硬化処理させやすくする「浸炭処理」が多くの場合で行われる。
表面硬化装甲の中でも、これを用いた物は浸炭装甲(Cemented Armor)と呼称される。(ただし戦前の日本海軍は浸炭を意味する言葉として「炭和」を使用)
戦艦の時代において主に使用された表面硬化装甲は、ドイツのクルップ社が開発した浸炭装甲であるクルップ浸炭装甲(Krupp Cemented, KC鋼)が基本となっている。


上図は装甲の硬度分布を示すグラフ(Okun 1989より)で、左が初期のKC鋼、右が均質装甲。縦軸が硬度、横軸が内部の深さ(0が表面)を表している 
これを見ればわかるように、KC鋼は本当に表面だけを硬くするのではなく、表面から三分の一程の深さまでを硬化層として、その範囲内で段々と硬度を落としながら残り三分のニの強靭層に至るのが特徴である。

性質
後述する均質装甲と比較すると、三分の一程とは言え硬化層を持つ表面硬化装甲は、そのぶん強度が下がる事から、実は命中時の抵抗力そのものは同じ厚さの均質装甲よりも低いものになる。
しかしながらその硬化層によって命中した砲弾を損傷させて、貫通力や貫通後の破壊効果を削ぐ事が出来れば、結果として強度の低下を上回る防御効果を発揮する事になるのである
逆に言えば表面硬化装甲は、砲弾側がどれだけ硬化層への直撃に耐えられるかによって大きく性能が左右される。この点は以下も何度も出てくるので、一つ重要な点として覚えていて欲しい。

表面硬化装甲が適しているのは、主に板厚より小さいか同程度の弾径を持つ砲弾が、比較的深い撃角で命中した場合とされている。
つまり舷側や砲塔、司令塔などが有する厚い垂直装甲に適した装甲材質である。
一方で、板厚よりも弾径の大きい砲弾が比較的浅い撃角で命中する場合、硬化部分の脆さが仇となって、叩き割られてしまう可能性が増加する。
なのでそういった命中弾が予想される水平装甲には不向きであり、基本的に使用されなかった。

また表面硬化装甲を製造できる厚さは3~4インチ程度が下限であり、それ以下では製造が難しい。(陸の方では九七式戦車が25mmの表面硬化装甲だったりと、色々事情が違うようだが)
なので垂直装甲でも、そこまで厚い装甲を用いない補助的な部分であったり、巡洋艦用の装甲には使用されない事も多々あった。

・均質装甲(Homogeneous Armor)
こちらは表面硬化装甲に対して、裏側に至るまで全体的に同じ性質(硬さ)を持つ装甲を指している。
そして艦艇が用いた物は基本的に、熱処理時に表面への硬化処理を行わず、全体的に柔らかく強靭な構造を持つ装甲である。上図の右のグラフも参照
(なお全体的に同じ硬さという事は、敵弾への損傷を狙った「全体的に硬い装甲」も均質装甲の一種という事になる。もっともそれらは艦艇用というよりは、主に車両や航空機の防弾板などで用いられる物である)

この種の装甲は、主に浅い撃角で命中した砲弾をその強度や靭性で逸らす能力に優れており、各種水平装甲への使用に適している。また厚さの下限も存在しない。
一方で厚い均質装甲を製造して主要な垂直装甲として使用する事も可能だったが、一部の例外を除いてこの時代(一次~二次大戦期)では実際に採用した例はほどんど存在しない。
上述したように素の防御力自体はこちらが上なので、仮にいかなる表面硬化装甲に命中しても絶対に損傷しないスーパー徹甲弾が登場した場合、それに対する性能はこちらの方が安定すると思われるが、結局その時代を迎える前に装甲艦艇自体が役割を終えている。

なお余談だが、主に戦車装甲などではこの種の装甲は均質圧延装甲(Homogeneous Rolled Armor)と呼称される事が多い。
ただ今回調べた限り。この時代の艦艇用装甲は「圧延」を付けない均質装甲という名称が普通であり、本ページもこちらを使用している。
おそらくこの時代では、圧延しない(プレス機による鍛造のみ)装甲も普通に存在した点もあったと思われるが、それ以前に装甲としての性質を分けるのは表面硬化の有無なのだから、圧延云々は必要ないとされたのかもしれない。

・構造用鋼
船体構造などを構成する材料として使われ、対弾性能を考えて開発された装甲ではない物。
勿論その性能は装甲材質に劣る物ではあるが、防御力が全くないわけでもないので、一応質の悪い均質装甲としても扱えなくはない。
そのため防御力は欲しいが、コスト的に装甲材質を使うほどではない程度の場所に使われていた。
具体的には装甲甲板以外の甲板、艦橋や対空兵装への弾片防御などが該当する。


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艦艇用装甲開発の沿革

まずは垂直装甲

・装甲艦登場~1870年代(錬鉄の時代)
まず艦艇に装甲が用いられたのは、よく知られているようにクリミア戦争の戦訓を踏まえた1850年代が始まりである。
この段階において、垂直装甲に使用されたのは均質の「錬鉄」を用いた装甲板であった。
錬鉄は鉄の中でも炭素量が少なく、柔らかい代わりに強靭で砕けにくい特性を持つ事から、当時の砲弾に対しては最適な材質とみなされていた。
(逆に炭素が多い鋳鉄は、形状を自在に決める事ができる利点があったが、極めて脆く防御効率で大きく劣るので艦艇に使用される事はなかった)

錬鉄が最新鋭の主力艦に用いられる時代は1880年前後までは続き、その間艦砲の大型化、砲弾の高性能化に伴い順次厚さを増している。
最初期は4.5インチ(114mm)付近が基本だったのに対して、81年竣工の英装甲艦インフレキシブルの舷側装甲は合計厚24インチ(610mm)までにもなり、これは大和型の砲塔を除けば史上最も分厚い艦艇用の装甲である。
ただ同艦の装甲は二枚の装甲の合計厚であり、一枚板となると実際に使用されたものではないが、イタリアのスペツィアで行われたコンペで試験された厚さ22インチ(559mm)の物が最大か。
80年代以降は後述する新装甲の登場に伴い完全に旧式化。錬鉄装甲を持つ中で最後まで現役だった主力艦は、やや特殊な例だが20世紀のバルカン戦争などに参加したトルコの装甲艦メスディイェと思われる。

・1870年代半ば~80年代(軟鋼と複合装甲の競合)
は鉄の中でも鋳鉄と錬鉄の中間程度の炭素を含む物であり、古来より刀剣などの武具では最も適した金属として用いられてきた。 
鋼の生産はちょうど装甲艦時代前夜の50年代に革新があり、ベッセマー転炉の発明で(品質に関するやっかいな問題を抱えつつも)大量生産が可能になっていた。
ただし先述したように 鋳鉄ほどではないが若干の脆さを持つ鋼は、装甲材質としては錬鉄に劣るものとされ、これが見直されるのは平炉法の発明や砲弾側の進歩を経た70年代になってからであった。
ここで使用された鋼は現代では普通鋼とか炭素鋼と呼ばれる物の一種で、その中でも炭素量が少なめの「軟鋼」(mild steel)に当たる物である。

最初の例は80年竣工の伊カイオ・デュイリオ級装甲艦で、55cmの垂直装甲にはスペツィアでのコンペで勝利した仏シュナイダー社製鋼板が使用された。

ただ軟鋼をのみを用いた装甲は、フランス海軍やフランスで建造された艦以外にはあまり使われず、各国に広まらなかった。
理由としては、脆さに対する不安も一部にはあるが、それ以上に厚い一枚板の鋼板を大量生産するための技術的な制約が挙げられる。
代わりに広く用いられたのが、同時期にジョン・ブラウンやキャメルと言ったイギリスの企業が開発した「複合装甲」(compound armor)と呼ばれる装甲である。
(なお複合装甲と言えば戦車装甲に用いられる物を想像するが、異なる素材を重ね合わせた装甲である点以外は普通に別物である)

これは錬鉄の外側に軟鋼を貼り合わせて結合させ、硬い表面の鋼が敵弾を破壊し、強度のある裏側の錬鉄で衝撃を受け止めて、装甲が損傷するのを防ぐ事を狙ったものになる。
これまでの装甲が均質の鉄や鋼でできていたのに対し、より硬度の高い部位を表面に持つという意味では表面硬化装甲の走りと言える
そして製造にやや手間はかかるが、使用する鋼板自体はより薄い物しか必要としないため、技術的制約が少ない点などで優れていた。
性能の方は言うと、先述したスペツィアでのコンペでは軟鋼に敗北しているが、別の試験(フランスで行われた物を含む)では勝利した事もあり、明確な優劣はないようだ。
最初の使用例はインフレキシブルの砲塔で、舷側装甲ではコロッサス級や南米装甲艦などが初期に導入。その後90年代の革新により軟鋼共々旧式化するも、前弩級戦艦の最初の世代では広く使用された。

1890年代以降(浸炭装甲の一般化)
80年代以降も装甲開発は続き、主な進歩としては炭素鋼に代わり合金(特殊鋼)を用いる事、そして表面硬化の手法に関する革新があった事が知られている。
まず特殊鋼は軟鋼と同じくフランスでの開発が抜き出でており、1889年に
ニッケル鋼を用いた装甲を実用化する。
ニッケルを加えた装甲は、軟鋼に比べて弱点の脆さを大きく改善しており、複合装甲に対しても防御性能は大きく上回っていたとされる。
そして表面硬化に関しては、複合装甲のように二枚の装甲を後から結合させるのではなく、一枚板の装甲板に焼き入れを行って表面硬化する手法が確立している。
最初に登場したのはドイツのグルーソンが開発したチル化鋳鉄装甲だが、これは要塞砲のドーム状防盾などに用いられるも、艦艇には用いられず。
同じく鋼板に表面硬化を施した物の開発も英独などで行われていたが、90年代に入ると新たに革新的な装甲が登場してしまった事で、特に顧みられていない。
そしてニッケル鋼の方もその影響をモロに受けてしまい、主装甲帯や砲塔など最も重要な部分に採用した艦は本国フランス戦艦以外ではあまり多くない。
(ただし薄い補助的な部分である艦首尾や上部舷側の装甲帯として採用した艦は多い。また水平装甲としてはさらに長い間使われている)

上記の研究をあっという間に過去の物にしてしまったのは、1890年アメリカで発明されたハーヴェイ鋼である。
この装甲も簡単に言えば、一枚板の鋼板に表面硬化を施した装甲だが、その手法をさらに発展させて浸炭処理の採用により性能をさらに伸ばしている。
ハーヴェイ鋼は元となる軟鋼若しくはニッケル鋼の板を長時間木炭に漬け込みながら加熱し、表面のみ炭素を多く含んだ状態にしたのちに焼き入れしている。
これにより表面に生じる1インチ程の浸炭層と呼ばれる非常に高い硬化層と、元となる軟鋼もしくはニッケル鋼の強度が相まった結果、既存の装甲とは比べ物にならない性能の表面硬化装甲として誕生したのである。
実験の場でニッケル鋼、複合装甲を大きく上回る性能を示したハーヴェイ鋼は、これまで装甲開発で先を走っていた英仏両海軍を含む各国海軍で採用される事となった。

ただ装甲の進歩はこれで終わらないのがこの時代の技術革新の恐ろしい所で、1894年ドイツのクルップ社から表面硬化装甲の決定版が登場する。
これがおなじみのクルップ鋼(Krupp Cemented, KC鋼)となる。
優れた製鋼・大砲メーカーとして知られるクルップ社は、これまでも艦艇向けに複合装甲やニッケル鋼など他国発の装甲を製造していた。
それが80年代には表面硬化装甲の研究へと乗り出し、他にも90年代初めには先述したグルーソンを買収。最終的に独自の革新的な装甲を生み出すに至っている。

ハーヴェイ鋼との違いは、まず元となる鋼材がニッケル鋼よりも優れたニッケル・クロム鋼となった点、そして浸炭処理の際に木炭もしくは骨炭に漬け込むのではなく、ガス浸炭を行う点が挙げられる。
これに加えて非常に重要な変化は、焼入れ方法の改良による硬化層の範囲拡大である。
ハーヴェイ鋼の欠点は、板厚関係なしに生じる硬化層の厚さが変わらない点であった。その場合板厚が増するほどに硬化層の占める割合は減っていき、対弾性能へ与える効果も同じく減少してしまう。
それに対してKC鋼は上図でも見たように、板厚の三分の一程の範囲に硬化層が続いている。徐々に硬度を落とす事で
強度に気を使いつつも、深い範囲を硬化させて敵弾を損傷させる能力を向上させる事となった。

そんなKC鋼がハーヴェイ鋼を大きく上回る性能を示したため、20世紀に入ると各国戦艦の垂直装甲の中でも、製造可能な厚さ以上の範囲は殆どKC鋼やそれを基にした装甲へと変化していく。
本文にも出てきているヴィッカース鋼、テルニ鋼、クラスAアーマーなどもその一つである。(クラスAは後述するようにちょっと複雑だが)

なおこれまで出てきた各装甲の防御性能をクルップ鋼基準で比較すると以下のようになる。
錬鉄 2.6
軟鋼・複合装甲 2.1
ハーヴェイ鋼 1.3
クルップ鋼 1

これを当てはめると三笠など厚さ9インチのクルップ鋼は、錬鉄なら23.4インチ、軟鋼複合装甲18.9インチ、ハーヴェイ鋼11.7インチ相当という事になる。
ただし注意しなくてはいけない事として、やっぱり上でも述べた通り、装甲の効果は使用砲弾の性能に左右される部分が大きい点である。
この数字もあくまでクルップ鋼開発当初の被帽を持たない鋼製徹甲弾に対する物であり、その後に開発される砲弾に対しても適用できるとは限らない。

その後の変化
以降細かい材質や製法の改良はあるものの、基本的に第二次大戦期の戦艦に至るまで主要な垂直装甲はクルップ鋼をベースにしたものが主流であった。

その性能は最初期の物に比べて向上している事は確かだが、ハーヴェイ鋼からクルップ鋼への変化ほど飛躍したわけではない。

一応その中で大きな物といえば、クルップ病とも呼ばれた被弾時の脆性の克服だが、ちょっとまとめられていないので割愛。やっぱり熱処理時の工夫が云々なので、管理人の知識ではちょっと怪しい。
そして全体には広まらなかったが、あえて浸炭処理を省いた表面硬化装甲が再登場した事も大きな出来事である。その代表は日本のVH鋼だが、元々は米仏の企業で研究が進んでいた物のようだ。
他にはフランスが最初に行ったモリブデンの導入もあるが、これも全体に広まったものではない。

このように以降の変化はこれまでと比較すると鈍いもので、第一次大戦後も大きく進歩を続けた徹甲弾側と比べると攻撃側に比重が傾いていた状態と言えるだろう。
(上で例えに出したスーパー徹甲弾の登場に近い段階だったと言っても良い、それ以前に第二次大戦前あたりからは航空兵器の進歩が異常でそれどころの話ではなかったが)

その他
因みに1919年の「軍艦ノ砲砲装弾薬及装甲ノ變遷」では主に19世紀以降の技術の進歩を一覧としてまとめている。
そのうち装甲の欄には練鉄からクルップ鋼やヴィッカース鋼に至るまで代表的な物の名前があるが、ここで取り上げてないマイナーな物も。
まず1892年には「Ellis Tresidder Plate」なるものが。
これは名前から分かるように英ジョン・ブラウン社が開発、非浸炭のニッケル鋼に表面硬化処理を施した、ハーヴェイ鋼に近い性能を持つ装甲という。(つまりクルップ鋼の誕生により旧式化する)
そして1910年には「Simpson's Armor 現ハル」とも。
こちらは英国造船官アトウッドの著作にて触れられていたが、銅をなにかするとかで具体的な内容や採用状況は把握していない。→一部後述

あと実態を全く把握できてない物としては、秋山真之『海軍基本戦術』にて言及がある「エレクトリック・ハーベー」というものも。同書ではクルップ鋼よりも高性能という話もあるそうだが。

水平装甲について
装甲艦が登場した時期の海戦は、至近距離での水平射撃が基本であったため、この時期に水平装甲を設けた艦は一部であった。
しかし陸上砲台から曲射砲弾を撃ち込まれる可能性や、モニターなど低乾舷艦を中心に例外的に水平装甲が重要になる艦もあり、その場合には船体の構造材や垂直装甲と同じく、錬鉄を厚めに設けて装甲としている。

その後上でまとめたように垂直装甲用の装甲が進歩する中でも、水平装甲の中でも甲板装甲は基本的には船体の構造材とほどんど変わらない物が使われていたというのが大きな特徴である。
この特徴は1910年ぐらいでもあまり変わらず、この頃も主体は軟鋼や高張力鋼と言った構造材に加え、それよりは高級な(だが垂直装甲用としてはすでに旧式化している)ニッケル鋼などが使われる程度だった。
理由としては未だに短い交戦距離に加え、1900年前後に甲板二層式の多重防御が導入された事で、各甲板の防御力が低くとも当時の砲弾に対しては配置の工夫でなんとかなっていた面が存在すると思われる。

ただし一方で、一層式防御である砲塔や司令塔の天蓋などでは、より高い防御力が必要とされる事になる。
そこでは構造材を大きく上回る性能を持つ非浸炭のクルップ鋼(KNC)、つまりニッケルクロム鋼からなる均質装甲が新たに開発されて用いられていた。
なぜクルップ鋼そのものではないかは先述した通り、表面硬化装甲の特性によるものである。(なお海軍休日から第二次大戦における日本やフランスでは、独自の考えもあって主力艦の砲塔天蓋に表面硬化装甲を用いる事もあった)

甲板へのKNCやそれに相当する均質装甲の導入は、一部でより早い物もあるが、主に一次大戦後。
理由やはり遠距離砲戦とそれに伴う甲板防御の必要性の向上で、甲板一層に厚い水平装甲を設ける装甲配置が普及し、それと共により高い防御力を実現する為使用される事になる。

基本的に複数枚の鋼材を重ね合わせ構成される※それらの水平装甲において、初期は米ネヴァダ級(合計厚76mmで均質装甲は32mmのみ)のように合計厚に占める使用比率が低いものであったが、後にはネルソン級(171mm中158mmもしくは108mm中95mが均質装甲)など、厚い装甲と薄いバッキングの組み合わせも登場。
使用比率を増して実質防御力を上げていく傾向が見られる。

※先述した構造用鋼などが使用された時代は、重要度や製造規格の点から、1~1.25インチ以下の厚さの鋼材を重ねて甲板を構成しており、例に出したネヴァダ級も主な水平装甲は3枚の合計厚と、そのなごりのような構成が初期には見られる。
そして厚い均質装甲を用いる場合も、単体ではなく別途船体の構造材や水密構造を担う為のバッキングを要する事になる。(独戦艦の場合は詳細不明なので今後調査していきたい)
なお二次大戦期の米戦艦はバッキングにSTSを用いる事で実質均質装甲のみを使用した水平装甲を実現しているが、他国の場合この部分は構造用鋼が基本。コスト以外にもこちらの方が加工が容易で水密の確保がしやすいようだ。

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船体用の構造材
一般的に装甲として扱われない船体の構造材に使われた物も一部はここでまとめたい。

鉄(錬鉄)を主体とする船は1820年代より登場しているが、被弾時の被害や事故への恐怖などの理由から、軍艦では結構な数の艦で木造船が使われ続けている。
装甲艦時代もしばらくは過渡期的とも言える段階にあり、たとえば英国初の装甲艦ウォーリアは鉄製船体だが、世界初の装甲艦であるフランスのグロワールは木造船体。
その後も鉄製や木造、鉄製の骨組みに外板は木製の複合構造といった異なる構造が混在する時代が続いている。
傾向として基本は強度や水密に優れた鉄製が木製に取って代わっていくが、一方で外洋での長距離任務を行う巡洋艦では、船底の汚れを防ぐ銅板貼りが鉄製船体では難しいので、外板のみ木製とした複合構造が比較的長期にわたって採用されている。

一方1878年には製鋼技術をリードするフランスが初めて船体に鋼(軟鋼)を用いた装甲艦ルドゥタブルを完成させる。
その後国によって差もあるが、装甲非装甲を問わず、軟鋼製船体が軍艦の船体構造で主流となっていく。
(なお初期の鋼は錬鉄より割れやすい面があったので、骨組みのみ鋼で外板は鉄という別の複合構造も一部にみられた)

19世紀末には、より強度を増した高張力鋼(HTもしくはHHT)が登場。巡洋戦艦や駆逐艦と言った高速艦の発達に重要な役割を果たしたという。
そして20世紀の条約時代から第二次大戦期においては、材質並びに建造法の両方でさらに新しいものが生み出され、強度の向上や軽量化が進む事になる。
まず材質の方はさらに強度を増した高性能高張力鋼の登場で、代表的なデュコール鋼(DS)は英国のネルソン級をはじめ、以降日本やイタリア海軍で使用された。
もう一つは建造時における電気溶接の本格的な導入である。

ここまで全く説明がなかったが、鉄製船体の導入以降の船体構造にはリベット工法が用いられていた。
事前に穴を開けた板同士を少し重ねるか別に目板を当てた所に、赤熱した鋲を打って接合するこの方式に対して、溶接は(溶接棒と共に)板の端同士を付けるので、重量や生産性の面で大きなアドバンデージを有している。
(ただリベット後方と同じく板を重ねたり目板を用いる事も、まったくないわけではないようだ。なので画質の粗い写真や図面などで外板が重なっているように見えても、その部分が必ずしも鋲接とは限らないので注意が必要である)
また溶接であれば衝撃で破断したリベットがスプリンターと化したり、板同士の接合は保たれているが水密を失って漏水、という事もないので、魚雷や至近弾の命中など衝撃に対する防御の向上にもつながるのである。

この2種類の新機軸(特に溶接)は、条約期以降の造艦において非常に大きな役割は果たすも、同時に弊害が出た事例も数多く見られた。
溶接ではアメリカで大量建造されたリバティ船における事故が最も有名である。第二次大戦における勝利を支えた同級だが、鋼材そのものの溶接性不足から特定の条件で脆くなり、破断してしまう事例が多発した。
また戦間期に日本海軍が起こした第四艦隊事件でも、直接の原因ではないもののD鋼の溶接性不足が認識され、近い時期に行った全溶接艦の建造にも大きな困難が伴うなど、以降の建造では重要箇所での溶接使用を控える判断が下されている。

一方で上記のような利点を失う損失は大きいとして、溶接に適した高張力鋼の開発も各国で行われた。
特に早くから電気溶接の導入に熱心なドイツは、溶接可能な高張力鋼であるst52をいち早く開発、多くの艦艇で使用した点は非常に先進的だったと言える。また米国もリバティ級の事件こそあれど、艦艇に対しては高張力鋼や溶接を多用しつつも特に問題なく運用していた印象を受ける。 
一方でD鋼を使用していたイギリスは炭素量を減らして溶接性を改善したDW鋼を開戦後に開発、日本も遣独潜水艦より来日したドイツのシュミット博士の協力もあり、アルミニウムを含む新型の高張力鋼を43年に実用化と、使用範囲は限られるが問題を解決している。
このように第二次大戦の後半から戦後にかけて、より進歩した溶接技術がリベットに置き変わる事になるが、これに対して各国主力艦の多くは時期的にそれ以前の建造であり、程度の差もあるが両者を併用した艦が主流となる。

またこれ以外に特筆すべき材質として、米海軍では一部にSTSと呼ばれる均質装甲規格の鋼材(これ自体は後述するように第一次大戦前に開発)を構造材として使用した事も大きな進歩の一つと言えるだろう。

装甲板の装着方法について
やや順番がおかしい気もするが、装着法について。
まず戦艦の主装甲帯などは数十センチと極厚の表面硬化装甲であり、溶接はおろか穴を開けてリベットを打つ事も難しい。
そこで一定の厚さを持つ装甲板に対しては、貫通しない範囲までにねじ穴を設け、これを通るアーマーボルトによって背後の薄板(バッキング)に装着する方法が採られている。
装甲艦時代最初期のアーマーボルトは装甲板を貫通するものであったが、これは直接砲弾がボルトに命中する可能性があるのと、表面硬化装甲の時代は穴を開けるのが難しくなる事から、70~80年代を境にこの方式が主流となっている。
他にも装甲のねじ穴よりもバッキングを通る穴を小さくする、特殊なワッシャーを用いてボルトの後端やナットの破断を防ぐなど、衝撃でスプリンターが発生しないよう様々な対策が取られていた。

隣接する装甲板同士では、キーを打ち込んだり端部をはめ込み式にする事でお互いを支える事も行われる。これは継ぎ目の強度向上に効果がある一方で、同時に損傷時に交換する手間が増えるという事で、採用は国や部位によってまちまちである。
主に内部に十分な支持構造を設けるスペースが無い砲塔や司令塔の装甲に用いられた(またそれらの部位では装甲同士を直接アーマーボルトで接合する事も行われた)。

また舷側装甲帯に限り、バッキングとの間に隙間ができないよう3インチ程度の木材が充填されることが多い。これも元々装甲艦時代は非常に厚いものが用いられ、防御力の補助としての役割を含んでいたが、装甲材質の進歩と共に薄い物へと変化している。また代用にセメントなどが用いられる事もあり、確認できる中では米戦艦ニューヨークが初期の採用例である。
装甲帯の上端もしくは下端は甲板の水平装甲とかみ合うように配置され、両者のバッキングの背後(もしくは下部)には船体の肋骨や梁が一定間隔で置かれている。これらが最終的に命中時の衝撃を受け止め装甲を保持する構造となる。

一方で一定以下の薄い装甲においては、アーマーボルトを用いずに船体構造と同じ工法にて装着される事も行われていた。つまり前の項目で述べたリベットや(一部後の時代では)溶接が該当する。

上は前者の中でも厚い装甲を用いた例である日本重巡の装甲帯の図。平賀譲デジタルアーカイブ〔講演用壁掛図表:鉸鋲図〕(東京大学柏図書館所蔵)を一部改変
ここでは装甲自体に船体の構造材としての役割を持たせる為、それぞれ4インチと3インチの装甲板同士をスカーフ継手として重ね、目板と共にリベットで鋲接(外側のみネジ式のタップ鋲を使用)している。
他に後者の例としてはビスマルク級の上甲板や艦首尾の装甲帯と言った部位では、それなりに厚い(50~80mm)wh鋼を溶接して重量軽減が行われた事が確認できる。

なお大和型が被雷時に生じた被害に関連して「舷側装甲のリベットが破断して云々」みたいな話を聞いた事がある人もいるかもしれない。
これはやや省略しすぎで、まるで410mmもの装甲板にリベットを打って止めたかのような誤解を招く表現である。
厳密に言えば「主装甲帯下端を保持する楔状の受材があり、これを棚板に固定するリベット(とタップ鋲)が被雷時に装甲を押し込む力に耐えきれず破断。結果として装甲帯やそれが装着された構造が押し込まれて云々」という事になる。

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KC鋼以降の各国装甲材質まとめ 2020 3/20     
肝心な戦艦時代に使用された装甲などを国ごとに簡単にまとめて行きたい。一部内容は前後と重複。
今更追加したのは内容に自信がなかったからだったりも。正直オクン氏のHPを見た方が早いし正確だと思われる。

まず最初はドイツから

クルップ浸炭装甲(KC)
上述のようにニッケル・クロム鋼に新しい硬化処理法を用い、ハーヴェイ鋼よりも深い範囲の硬化層と高い強度を両立させた革新的な表面硬化装甲。
1894年にドイツのクルップ社が開発、以降主力艦の垂直装甲として各国が採用した。初期に導入した艦は独カイザー・フリードリヒ三世級、英カノーパス級、日三笠、露ペレスヴェート級、米メイン級など。

クルップ非浸炭装甲(KNC)
KC鋼と同じ成分のニッケル・クロム鋼を使用するが、浸炭並びに表面硬化を行わずに均質装甲としたもの。「クルップ高ニッケル鋼」とも
同じく各国に広まるが、一次大戦期までは砲塔や司令塔天蓋と言った比較厚い部位、そしてKC鋼の製造が難しい薄い部位の垂直装甲へ使用された。
(当時の艦は一部を除いて、甲板装甲にはHT鋼や軟鋼、ニッケル鋼など対弾性能に劣る鋼材を使用。ドイツ戦艦もニッケルなどの量が少ない「クルップ低ニッケル鋼」を使用していた)

硬質ヴォタン鋼(Wh)
1920年代にクルップ社が開発した、ヴォタン鋼と呼ばれる新型均質装甲の一種。
ドイッチュラント級アドミラル・シェーアに初めて採用されて以降、主力艦の水平装甲や薄い垂直装甲、巡洋艦用の装甲として広く使用された。
装甲としては一次大戦までのKNCと比較して、モリブデンを追加する事で性能向上を図った物とされる。また硬質とあるように伸びが悪く、大口径弾が直撃する戦艦の水平装甲としてやや弱い面が存在するとも指摘されるが、一部では矛盾する記録も存在している。

なおヴォタン鋼と言えば一部ネット上などに「二次大戦時のドイツ戦艦の装甲=ヴォタン鋼」とする言説が見られるが、これは誤りである。この出所については明確な答えは出ていないが、ページ下にて一部調査を行っている

軟質ヴォタン鋼(Ww)
同じくヴォタン鋼の一種。Whと比較して柔らかく変形しやすい特性を持ち、命中弾を防ぐのではなく魚雷の爆圧に持ちこたえる事を目的とした装甲である。シャルンホルスト級以降の水雷防御隔壁に使用。

Wsh
ヴォタン鋼の一種。Whよりもさらに硬い均質装甲であり、機銃弾防御用の薄いシールドなどに使用された。艦艇用の装甲というよりは航空機の防弾板や一部の戦車装甲に近い。

新型クルップ浸炭装甲(KC n/A)
クルップ社によるKC鋼の改良版。ドイッチュラント級の砲塔より採用され、さらに若干の改良を加えた物がシャルンホルスト級以降の主力艦で垂直装甲を中心に使用された。
同じくモリブデンの追加を行い強度を増した上で、硬化層を拡大し裏側の強靭層も硬度が高めになるという風に、砲弾へ与えるダメージの増加を狙った装甲となる

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英国

浸炭装甲(CA)
(主に20年代以降に)KC鋼をベースに英国で製造された表面硬化装甲。
元々英国はクルップ浸炭装甲(KCA)の名称を導入以降使用してたが、一次大戦後にドイツ製の物よりも自国の改良版の方が優れているとして、クルップの文字を抜いて単に「浸炭装甲(CA)」と呼び始めたようだ。
成分的には独KC n/Aと同じく20年代にモリブデンの追加を行った他、30年代には性質を大きく改めた物が以降の主力艦や一部の巡洋艦に使用されている。  
これはあえて表面の硬度を落とした上に、硬化層の割合を減らして裏側の強靭層を拡大するというもので、多少の硬化層をものともしない二次大戦期の戦艦砲弾へは、こちらの方が相性がよかったと考えられている。
この時期の製造はイングリッシュ・スチール、ファース=ブラウン、ベアードモアの三社が行い、この内イングリッシュ・スチールの物が最も優秀だという。

非浸炭装甲(NCA)
英国製の均質装甲。同じ理由でKNCからクルップを抜いた名称に。
30年代の物(の内少なくともイングリッシュ・スチール製)は浸炭装甲と比べるとニッケルを殆ど含んでおらず、代わりにクロムとモリブデンを多く含むのが特徴である。
なお主力艦で使用した例はないが、後述するように一部は自国の製造能力の限界から、チェコスロヴァキアのヴィトコヴィッツ製鉄所に発注された物を含んでいた。

イーラ鋼板(Era steel)
 ハドフィールド社が開発した鋳鋼装甲。艦艇用としては非常にマイナーだった鋳造装甲の中では数少ない名前が残る装甲の一つ。
下の写真にある波状甲鈑(!)やフッドの司令塔上に置かれた測距儀カバーなど、複雑な形状を持つ装甲に使用された。

平賀資料によると日本海軍も普通に輸入してテストしていた・・・というか金田大佐曰く金剛型の司令塔天蓋はこれらしい。
なお試験の方は、鋳造だから言ってそこまで性能に劣るわけでは無いようだ。

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日本

国産化(模倣)クルップ浸炭装甲
日本国内で始めて船体装甲用として製造された材質。(それ以前に製造されたのは機砲の防盾程度)
1901年に初めて試作され、本格的な製造は日露戦争時より開始。損傷艦の修理の他、筑波型から河内型に至るVC鋼採用以前の国産主力艦に使用された。

特徴としては導入の際には正式な契約は結ばれず、日本海軍向けの戦艦ならびに装甲を製造していた英ヴィッカースならびにアームストロング社へ派遣された技術者が、文字通り「見て盗んだ」物であった。
それもあって、他国と同じく被弾時に亀裂破壊を生じる傾向(いわゆるクルップ病)が対弾性能以前の大きな問題となった際には、独自の研究で解消する必要に追われている。

また性能的にはクルップ病を恐れるがあまり、焼き入れ温度、深さが過小に過ぎるきらいがあり、この点が影響を与えている。
被帽を持たない既存の徹甲弾に対する性能は、香取型の英国製装甲と同じ基準を満たしていたものの、被帽弾に対しては大きく性能を落とし、弱体な物であった。
これを受けてKC鋼とは異なる装甲を模索(未採用)した時期もあったが、最終的には安芸の9インチ装甲において、通常のKC鋼で満足のいく性能になったとされる。 

ヴィッカース浸炭装甲(VC)
英ヴィッカース社によるKC鋼の改良版。同社による金剛建造をきっかけに正式な契約を交わして国産化された。(原型となる物は同社が建造した三笠の装甲の時点で使用されていたとも)
以降海軍休日までに竣工した10戦艦が採用。他にも八八艦隊の未成艦や金剛代艦においても主要な表面硬化装甲として使用予定だったと思われる。
国内での製造は他の艦艇用装甲も殆ど全種がそうであったように、すべて呉工廠製鋼部が行った。

オリジナルのKC鋼と比較すると熱処理の手法が異なるほか、炭素量が多いのも特徴である。性能的には導入時期において試験された各国装甲を上回ると評価されている。
また国産化後、一次大戦の勃発で欧州産の銑鉄が輸入できず、不純物の多い国産銑鉄を材料としたが、その際にも輸入装甲との比較で英国産の物と遜色のない物と確認されている。
(扶桑の主装甲帯最厚部が9インチから12インチに増加したのは、この材料切り替えに伴う性能低下への不安が背景にあったという記述も存在するが、結果的に杞憂だった事になる)

ヴィッカース非浸炭装甲(VNC)
KNCに相当する均質装甲。ただしVCの成分そのままに表面硬化を行わない物ではなく、若干ニッケル量が多かった。
後述するNVNCの実用化以前、八八艦隊計画の研究案において水平装甲などに使用予定だった事が確認できる。現時点では出典がすぐ用意できないが、これ以前のVC鋼採用艦も竣工時の砲塔天蓋などで使用されたと考えられる。

新ヴィッカース非浸炭装甲(NVNC)
VNCに代わってニッケル量をVCと同等まで減らした均質装甲。
20年代に採用されたとの記述も存在するが、実際は1918年の時点で複数の資料に登場する。八八艦隊主力艦や戦間期の改装艦の水平装甲であったり、巡洋艦用の装甲としても広く使用された。
性能的には大口径弾の直撃にやや弱い面もあり、九一式徹甲弾の採用以降には海軍内でも不足が指摘されていた。
(なおVNC、NVNCとはさらに別に「表面硬化を行わないVC」というものが長門型の砲塔天蓋一部に使用されていた。NVNCと同じ成分の均質装甲となるが、おそらく熱処理の工程が異なるものだったので区別されていたと予想される)

銅含有非浸炭装甲(CNC)
希少なニッケルの節約を目的に、1931年に開発された均質装甲。ニッケル量を減らす代わりに銅を追加した各国の装甲でも珍しい存在である。
二次大戦期にはさらにニッケル量を減らした(代わりにモリブデンを追加)CNC1、CNC2も採用されている。
対弾能力は3インチ以下の厚さではNVNCに劣らないとされ、その範囲にある重巡の水平装甲や軽巡の装甲全般など比較的薄い装甲に使用された。

ヴィッカース非浸炭表面硬化装甲(VH)
浸炭処理を施さずに硬化処理を行った新型の表面硬化装甲。大和型戦艦の建造において採用され、戦艦の装甲としては史上最も厚い砲塔前盾にもこの装甲が使用された。
成分的にはVCと同一(つまり炭素量がやや多く、この時期よく使用されたモリブデンは含まない)であり、浸炭を省いた事でVCより生産性を大幅に向上させたほか、性能的には表面にできる硬く脆い浸炭層を持たず、さらに硬化層の厚さを拡大して砲弾へのダメージを強化した装甲である。
性能の評価に関しては諸説あり、戦後回収された装甲を用いた試験では他国装甲に対して遜色の見られるものが多い中、184mmと380mmの装甲板についてはその厚さにおいて世界最高と言える結果を残している。

モリブデン含有非浸炭装甲(MNC)
30年代に試験用に輸入されたドイツ製装甲に着想を得て開発された均質装甲。
同甲鈑が使用していたモリブデンを採用することで、NVNCよりもニッケル量を減らしつつ(ついでに炭素量も減少)大口径弾への性能を向上させている。大和型の水平装甲など比較的厚い部位の水平装甲に使用された。

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アメリカ

クラスA装甲(class A)
米海軍における表面硬化装甲の総称。海軍休日までは主要メーカーであるカーネギー、ベスレヘム、ミッドヴェールの三社が異なる製法・品質の装甲を製造していたのが最大の特徴である。
把握している物としては以下の4種類が存在する。

カーネギー浸炭装甲(CKC)
3社の中で最も規模の大きいカーネギー鉄鋼会社(USスチール)製のクラスA装甲。基本的にはKC鋼のライセンス版で性能もほぼ同等と言う。
下記の装甲を開発したベスレヘム・ミッドベールの2社もこの装甲を製造している。最も広く使用されたクラスA装甲である。

ベスレヘム非浸炭表面硬化装甲(BNC)
ベスレヘム社が1906年より短期間製造していたクラスA装甲。サウスカロライナ級からワイオミング級の一部に使用。日本のVH鋼に先行する非浸炭の表面硬化装甲である。
装甲としては浸炭処理を行わない点に加え、クロムとニッケルの量が逆転している点、硬化層の範囲が通常の表面硬化装甲よりもはるかに大きい点が特徴だが、基本的に脆く強度に欠ける欠点があった。
製造後に亀裂が生じるような不良品の割合が高く、性能的にも他種に劣る物と考えられている。
(日本へも試験用に持ち込まれ、その硬化層の深さで海軍の技術者を驚かせたが、性能自体はVC鋼に数段劣る物と結論付けられている)

ミッドベール非浸炭表面硬化装甲(MNC)
同時期にミッドヴェール社が開発したクラスA装甲で、こちらも非浸炭の表面硬化装甲。日本のMNCとは略称が同じだが関係はない。
成分的には炭素量がやや多く、BNC以上に広い硬化層(板厚の三分の二にまで達する)を設けて砲弾へ損傷を与える事に特化した装甲である。
開発時にはCKCと大差ない性能の普通の表面硬化装甲と評価され、デラウェア級からネヴァダ級の一部までに使用されていた。
一方で1919年以降に行われた試験では、現行の被帽徹甲弾を容易く砕いてしまう破砕能力が注目され、通常のCKCよりはるかに有力な装甲と判断されている。そこから条約で廃棄された未成艦にも使用が予定されていた。
ただし高評価の一方で、16インチ砲弾など板厚よりも大きい砲弾に対して、この装甲は強度の弱さが勝ってしまい大きく性能を落とすものであった。その点から仮に未成艦に採用されていた場合、使用部位は他国16インチ砲の直撃に対して弱点となった可能性が高いだろう。

ベスレヘム薄チル浸炭装甲(BTC)
上記2種の深い硬化層を持つ装甲の失敗を受けて、1921年にベスレヘム社が製造した浸炭装甲。
名前の通りチル化層(ここでは硬化層の意)を薄くして裏側の範囲を拡大、強度を確保する方向へ向かった装甲である。
主にウェストヴァージニア並びに以降の未成艦の一部に使用予定で、ワシントン条約の締結時点ではクラスA装甲の中で最も有効な装甲とみなされていた。
そして同条約により大量の余剰品が生まれているが、これは主に射撃試験に供されて、以降の徹甲弾開発に大きな影響を与えたという。

二次大戦期のクラスA装甲
この時期のクラスA装甲は3社ともにほぼ同一に。特徴として戦間期の試験におけるBTCへの不満、特に現行の砲弾へ損傷を与える能力の低さを改善すべく、再び硬化層を大幅に(5割強まで)拡大した装甲になる。
その際に犠牲となる強度については材料や熱処理の面でカバー可能で、総合的に見れば砲弾に損傷を与えられる分、対弾性能は向上するという考えである。ただしこの時期の徹甲弾の性能を考えると、逆効果であったという見方が強い。
それもあって、戦後の試験では戦艦が用いる厚さで英独の浸炭装甲に劣るとみなされた。一方で巡洋艦が用いる7インチ以下の厚さでは非常に優秀。

クラスB装甲
こちらは均質装甲の総称
クラスAとは違い、メーカーごとの差はどの時代でも極めて小さいものとされているが、それでもモリブデンやバナジウムなど使用成分に微妙な違いが存在するようだ。

特殊処理鋼(STS)
カーネギーやベスレヘムが弩級艦時代の始めより製造した鋼材。名前の通りニッケルクロム鋼(初期はバナジウムを使用)に特殊処理を施したもので、均質装甲に相当する対弾性能を有している。
海軍休日までは水平装甲や薄い垂直装甲として使用される一方で、興味深い事に以降二次大戦期の艦艇などでは、通常装甲材質が使用されることがない船体構造用にもこの鋼材が用いられている。
なぜクラスBと分けて呼称されているのかなど、色々謎な部分はあるが、一応詳細はページ下の「米STSに関して」も参照  

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イタリア

テルニ浸炭装甲(TC)
テルニ社が製造した浸炭装甲。これ自体はおそらく総称であって、装甲としての性質は時代ごとに違いが存在すると思われる。
中でもリットリオ級に用いられた二次大戦期の厚い装甲については、オクン氏による評価では各国の表面硬化装甲の中でも最高とされた事で知られている。
ただし主に使われた装甲厚は舷側装甲で280mm、最も厚い砲塔でも350もしくは380mmと、他国と比べると薄い物しか製造していない点に留意すべきだろう。

ニッケル・クロム・バナジウム均質装甲(NCVもしくはPOV)
既存のKNCに代わってテルニ社が20年代末より製造した均質装甲。名前の通り成分にバナジウムを追加しているのが特徴で(また名前にはないがモリブデンも使用)、同種の鋼材を広く用いたのは一部米装甲を除けば唯一の例となる。
50~70mm程度の厚さで使用された。

AOD
名前は直訳すると均質延性鋼みたいな感じか。同じくテルニ社が20年代末より製造した均質装甲。こちらは100mm以上の比較的厚い水平装甲などに使用。
NCVと比較すると炭素量がやや多めで、バナジウムの使用量を大きく削減した代わりにモリブデンを多量に用いている。
そして均質装甲としては硬めであるのが最大の特徴であり、これにより戦艦の水平装甲としては逆に各国の中でも低い評価とされる。

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フランス
オクン氏が特に情報を公開していないので、ジョン・ジョーダンの著作並びに日本海軍の資料より一部推測を交えて書いていきたい。

海軍休日まで
基本的に艦艇の垂直装甲としてはKC鋼をベースとした表面硬化(浸炭)装甲を使用。一方で薄い垂直装甲や水平装甲の一部には特殊鋼(special steel、原語での名称は不明)の使用が確認できる。これは名称や使用部位からおそらくKNCに相当する均質装甲と想定される。
装甲の製造はシュナイダーやサンシャモンといった企業に加えて、ゲリニーの官営工場(こちらは主に薄い装甲を製造)が行っていた。

補足としてシュナイダー社は1912年の時点で世界に先駆けてニッケル・クロム・モリブデン鋼を用いた表面硬化装甲を製造。同時期の装甲でも優秀な性能を獲得していた。
さらにシュナイダー、サンシャモンの両社は上記の物とは別に、この時期に非浸炭の表面硬化装甲を開発している。これは米BNCと同じくVHに先行するだけでなく、フランスは同装甲開発時の製鋼部長である佐々川少将の留学先である事から、開発への直接的な影響も指摘される。

また金田大佐による「弾丸対甲板効力標準」ではシュナイダー並びにサンシャモン両社の非浸炭装甲(SHS並びにSNC)が紹介されている。
両者ともに「堅鋼板」という名称が用いられており、さらに前者は非浸炭装甲ながら浸炭装甲並の対弾性能を持つとされ、件の非浸炭表面硬化装甲を連想させる。ただし通常の均質装甲と同じ欄にある事、またgoogle patentのUS925659aAに近い内容がある事からすると、普通に均質装甲という可能性も。成分的にはサンシャモンの物は非常にクロム量が多い点が目を引く。
また別資料では日本海軍が試験した装甲材質の一つとして「S.C.(シュナイダー・スチール)」の記述も確認できる。こちらはクロム量が多い一方で、それ以外はKC、VCと共に大同小異とされている。略称がNCではなくCである事からも、浸炭を行う通常の表面硬化装甲を指すと思われる。

海軍休日以降

60kg special steel 
シュフラン級までの巡洋艦で装甲に主に使用された鋼材。引張強度60kgというと同時期の均質装甲としては明らかに低いもので、完全な装甲規格の鋼材とは言えない物と予想される。

80kg special steel
アルジェリーの装甲などに使用。こちらは他国の均質装甲と同等レベル

二次大戦期の浸炭装甲
ダンケルクやリシュリュー級に使用されたもの。詳細は不明だが前の時代に引き続きモリブデンを使用していた事が想定される。

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ロシア・ソ連
同国についてもオクン氏が言及していないので受け売りが出来なかったが、最近資料を発見したのでそこから。
一応下の方でも補足するとして(今のところは殆ど参考資料のみ掲載)として、ここでは対象のみを簡潔に。

帝政ロシア期のKC装甲
1900年前後にクルップ社とライセンス契約を結び国産化。同国戦艦で最初に用いたポルタヴァの採用箇所はドイツ製なので、国産品はポベーダが最初に使用。
製造はサンクトペテルブルク周辺のイジョラ工廠とオブコフ工廠が初めに行い、日露戦争後は主に後者が担った他、一次大戦前には黒海でもニコポリ=マリウポリ鉱業及び治金協会の工場(後のイリイチ製鉄所)が製造した。
性能については導入初期の報告で、当初製造不良が多くみられたオブコフ製の物含め、元のドイツ製の物を上回るとする記録が存在する。

ガントケ装甲
1911年よりイジョラ工廠で開発された装甲。炭素量が0.6%以上と高い(通常は0.34%程)ニッケル・クロム鋼に焼き入れを施して表面硬化させた、浸炭処理を用いない表面硬化装甲の一つ。
当初は主に150mm以下の厚さで製造。浸炭を省く事から生産性に優れる上に、その厚さにおいて既存のKC鋼と同等か上回る性能を持つとされた。インペラトリッツァ・マリーヤ級の薄い垂直装甲向けに結構な量が製造されている。
また試作された262.5mm厚の物も良好な結果を残していた事から、マリーヤ級以降の主力艦ではより広範囲に使われていた可能性が存在する。

帝政ロシア期の均質装甲
まずややイレギュラーな物として、1897年には甲板の水平装甲用にニッケルクロム鋼が開発され、主力艦ではこれも最初にポベーダが用いている。
砲塔や司令塔の天蓋ではなく甲板用にニッケルクロム鋼という高級な材質を用いた例は、他国で早期と言える米STSですら採用が1908年以降なので、それよりも10年以上早い例外的な存在である。
ただし背景には、以前発注したフランス製の甲板用ニッケル鋼と同等の装甲が求められるも、ニッケル鋼では国内で再現できず、代わりにこれが採用されたという流れがあるようだ。
なので装甲としての性能や革新性は差し引いて考える必要があると思われる。(実際に以降の前弩級艦でも海外製のニッケル鋼を用いた例が存在する)

そして一次大戦期の主力艦が用いた甲板用材質としては、通常の物、品質の高い物。最高級の物という三種類があったとされる。
これらの引張強度は最大42kg、最大63kg、最大72kgとなっており、それぞれの数値は通常の構造鋼(軟鋼)、高品質の高張力鋼やニッケル鋼、高張力鋼と平均的な均質装甲の中間程度、に対応する物である。
三種の中でも最高級の物は引き続きニッケルクロム鋼の使用を行っていたとした場合、かなり早期に甲板に用いられた均質装甲と言えるかもしれない。

加えて通常の非浸炭のクルップ鋼(KNC)も、KC鋼と共にクルップ社とのライセンス契約に含まれており、普通に製造されている。なお甲板用の最高級の物との関係は現時点では不明。
最後にイジョラ工廠では第一号甲板鋼という物を試作しているが、詳細は不明で少なくとも採用には至っていないようだ。

二次大戦前のソ連KC装甲
ソ連海軍は帝政時代のイジョラとマリウポリの設備の復旧・拡充に加え、ウラル山脈近くのチェリャビンスクに新たな製造拠点を設け、新規建艦計画に対応する予定であった。
しかし独ソ戦までにチェリャビンスクでの生産は実現せず、既存の設備復旧も不完全な物に終わった結果、この時点で製造能力を想定を大きく下回る物となったのに加え、その性能もノウハウの喪失等で厳しい物だったとされる。
39年の時点で領収試験では34割が不合格で、特に230mm以上の厚さで合格した物は皆無という話(実際はマリウポリ製の物だけだったという指摘もあるが)があり、少なくとも一次大戦期の装甲と近い条件での実験を比較した場合、イジョラ製の物も表裏の脆性などが大きい事が確認できる。

同年にはクルップ社との装甲購入契約を結ぶも、ここで用意された浸炭装甲はドイツ海軍向けの物より性能で劣る物で、これもソ連側の規格を満たさずに採用されていない。
そして1940年11月にはこの状況を鑑み、使用されるのは200mm以内の厚さで、新開発の加速浸炭法を用いた物のみに限る、という決定が海軍人民委員会と造船省の間でなされたようだ。
つまりソユーズ級等の建造が進んでいた場合は、この方針が適応されていた可能性が存在する。

代用の非浸炭表面硬化装甲(BC)
イジョラ工廠に設けられた研究機関NII-48が開発。名前の通り再度開発された非浸炭の表面硬化装甲で、成分製法等は把握していないが帝政期のガントケ装甲とは別物。
同装甲とは違い(実験の条件が異なるので一概には言えない面もあるが)、その性能はこの時期のKC鋼と比較して200mm未満の厚さで劣り、それ以上では許容範囲だが砲弾への損傷を与える能力は悪化しているなど、性能面よりは生産性の向上がメインのようだ。
1940年には425mm厚までの試作に成功しており、同年11月の方針では200mm以上の部位に用いるとされた。つまりソユーズ級の垂直装甲は大部分がこれだった可能性が存在する。

また資源節約の為にニッケル含有量を減らし、熱処理も油ではなく水焼き入れにした物も試験で良好な結果を残したとされる。これはBCに関連する物なのか、KCにも用いられる物なのかは資料によって異なり不明。

ソ連期の均質装甲
元々表面硬化装甲と比べてそこまで大きな差が出にくい物なのもあって、特に情報がない。先述したクルップ社製装甲購入の件で均質装甲は一部受領したとも。

戦後のソ連KC装甲
この時期の装甲は再度の設備拡充やドイツ等からの技術吸収などで、質量ともに製造能力の大幅な向上があってもいいはずだが、具体的な情報は全く把握していない。
よって24号計画戦艦等の極厚装甲をまともな品質で製造できたかは未知数である。

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オーストリア=ハンガリー

ヴィトコヴィッツ製浸炭装甲
同国の艦艇用装甲を一手に担うヴィトコヴィッツ(ヴィートコヴィツェ)製鉄所で製造された浸炭装甲。
基本はKC鋼を国産化した物だがテゲトフ級が用いた物からは改良が施され、これはオクン氏いわく一次大戦時期では最も優れた表面硬化装甲という。
(オーストリアはドイツと同じく、表面硬化装甲に対する効果を向上させる被帽への硬化処理を早期に採用しており、その砲弾を用いて同国より厳しい条件で試験を行っていたのが理由のようだ)

ヴィトコヴィッツ製均質装甲
これもオーストリア=ハンガリー時代の艦艇に使われたと思われるが、どちらかというと一次大戦後チェコスロバキア領になり、艦艇用の装甲製造にはあまり縁がなくなった時期の物が有名である。
同製鉄所は1938年、条約失効で装甲生産が追い付かなくなった英国より均質装甲の発注を受け、ちょうどチェコスロバキアがナチスドイツによって併合されようとする中、1万トン以上の装甲が製造・輸送されている。
これらの装甲はイラストリアス級航空母艦やクラウンコロニー級巡洋艦などに用いられた。

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以上のように種類によって製造元や成分、硬度分布、さらに(理解できているかはともかく)熱処理の工程まで把握しているものから、具体的な名称すら知らないまで、理解度に大きな差があるのが現状である。

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以降は怪文書の本編内容に関連した補足、メモ書きとなる。

新戦艦編補 装甲材質まとめ

とりあえずわかる範囲で、

日(大和) 
舷側主装甲帯、砲塔・司令塔・舵機械室など主要な垂直装甲 :VH(ヴィッカース表面硬化装甲)
船体中央中甲板、砲塔・司令塔天蓋:MNC(モリブデン含有非浸炭装甲)
水中弾防御用の下部装甲:NVNC(新ヴィッカース非浸炭装甲)
一部の甲板やコーミング:CNC(銅含有非浸炭装甲)
その他甲板やバッキング :DS(デュコール鋼)
艦橋の大部分や一部シールド類:BK(防盾鋼板)もしくはFBK(不感磁性防盾鋼板) 

米(Nカロライナ、Sダコタ、アイオワ) 
舷側主装甲帯、艦尾装甲帯、主砲塔側面・後面・バーベットなど:クラスA(表面硬化装甲)
船体中央中甲板、砲室前盾、砲塔・司令塔天蓋・水中弾防御用の下部装甲(持ってる艦のみ)クラスB(均質装甲)
その他甲板、バッキング、防盾類:STS、HT、MS
測距儀・観測鏡覆い:鋳鋼装甲

英(KGV、ヴァンガード)
舷側主装甲帯 、砲塔・司令塔関連の垂直装甲CA(浸炭装甲)
船体中央中甲板、艦首尾下甲板、艦首尾装甲帯(持ってる艦のみ)NCA(非浸炭装甲)
その他甲板やバッキング :DS(デュコール鋼)

独(ビスマルク)
舷側装甲帯、砲塔・司令塔関連の垂直装甲KC n/a (新型クルップ浸炭装甲)
船体中央上甲板・下甲板、砲塔・司令塔天蓋、一部艦首尾装甲帯・甲板Wh(硬質ヴォタン鋼)
水雷防御隔壁Ww(軟質ヴォタン鋼)
その他甲板・バッキングなどst52(高張力鋼)

伊(リットリオ)
舷側主装甲帯(内側)、艦首尾装甲帯の一部、砲塔・司令塔関連の垂直装甲TC(テルニ浸炭装甲)
船体中央中甲板、砲塔司令塔AOD(均質装甲)
一部甲板、舷側上部装甲帯、主装甲帯被帽脱落用装甲NCV(ニッケル・クロム・バナジウム均質装甲)
その他甲板やバッキングDS(デュコール鋼)

とりあえず上で見たように、表面硬化装甲→厚い垂直装甲、均質装甲→水平装甲、薄い垂直装甲、構造用鋼→その他、という傾向が見てとれるだろう。
なお本編でもあったようにフランス艦に関しては細かい名称などの知識がないので不明。
一応大まかには、垂直装甲全般に加え砲塔天蓋にKC鋼系統、船体中央の中甲板と下甲板・艦尾下甲板などに均質装甲系統、その他甲板やバッキングなど高張力鋼系統になると思われる。
また大和型の司令塔からのびる交通筒はバイブリック鋼という鋳鋼を装甲として用いたらしいが、戦後の米技術報告書では鋳鋼装甲は特にないとあるし、どうなのやら。

上記装甲の性能比較
こちらも完全にオクン氏並びにNAaBの設定の受け売りだが、主要な部位に使用された表面硬化装甲・均質装甲を格付けすると以下の通りとなるらしい(大口径弾に対する防御力の場合)。
表面硬化装甲 伊(TC)>英(CA)>独(KC n/a)>米(クラスA)>日(VH)
均質装甲   英(NCA)≒米(クラスB)>日(MNC)>独(Wh)>伊(AOD) 

一応知っている事をメモ
ここでもフランス製は不明。
表面硬化装甲はイタリア製が最も優れていると評価されているが、あまり厚い装甲を作らなかったのが高評価につながっているような気もする(管理人の妄想)
これらの装甲の中で、16インチ以上の厚さで実際の艦に用いられたのは米クラスA並びにBと日VHのみ。(フランス製装甲はリシュリューの砲塔で16インチ以上)
なお厚さ7インチ以下の表面硬化では米クラスAの品質が最も高いとされる。
日本のVHは最も低い評価だが、戦後調査された物の中には非常に優秀な性能を持つ(英CA・独KC n/Aを上回る)物も確認されている。
戦後英国で行われた独KC n/Aに対する試験では、英国の物よりも劣るという結論だったが、英国製装甲は別の試験でこれよりも悪い結果を出したこともある。
厚さによる違いや品質のばらつきなども影響しているだろうが、独≧英に逆転する可能性も。
均質装甲では日本のMNC
がドイツの均質装甲よりも優れた物とされるのは、日本側で行われた試験の結果とも一致する。

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新戦艦編以外での装甲性能に関する言及
本文と重複する内容だが、正直文量が増えすぎているのこちらでも簡易にまとめたい。

・1910年代の日本製表面硬化装甲(国産VC鋼)と同英国製装甲の比較(日本戦艦編)
平賀譲の欧州視察、またヴィッカース社からの書簡などから、日本側としては(少なくとも八八艦隊の頃の)国産の装甲は英国製の物に劣るものではないと主張している。
その点からこのページでもVC鋼は1910年代の平均的な表面硬化装甲と同等として計算している。

・1910年代のドイツ製表面硬化装甲(KC鋼)と同英国製装甲の比較(ドイツ戦艦編)
第一次大戦前にドイツ側が行った試験では、英国製装甲は自国の物よりも脆く、性能で劣るとしている。
一方で第一次大戦後、英国がバイエルン級バーデンを標的にした試験では逆の結果となり、ドイツ製装甲は同時期の英国製装甲に対して明らかに劣ると結論付けられている。
詳しくは該当ページで他にもいろいろと考えているが、このページでは優劣を付けずにVC鋼と同じく平均的な物として計算。

・1910年代のフランス製表面硬化装甲(KC鋼)の性能(伊仏戦艦編)
日本海軍が輸入した仏シュナイダー社のモリブデン入り表面硬化装甲は試験にて非常に優秀な成績を示し、1914年には国内で試作までされているが、今更VC鋼に変えて採用する程のものではないと評価している。
その点からフランス戦艦が持つこの種の装甲は、当時の平均を上回る対弾性能を持っていた可能性が高いが、該当する装甲が無いのでこれまた本文では平均的なものになっている。

・海軍休日までの米国製表面硬化装甲の違い(米国戦艦編)
米海軍の表面硬化装甲であるクラスAアーマーは、カーネギー(後にUSスチールに吸収合併)、ベスレヘム、ミッドヴェールの三社によって製造されている。
そして海軍休日までの時期にこの三社が製造した装甲は、製法や特性がかなり異なるものであって、当時の艦の垂直装甲にはそれらが混在していたという点が大きな特徴である。
大まかにいうと、再大手のカーネギーはKC鋼ベースのオーソドックスな浸炭装甲を製造し続け、対するベスレヘムとミッドヴェールは、(VH鋼のように)浸炭処理を省いて表面硬化を施した装甲をそれぞれ開発している。
後者の2種は両方とも厚い硬化層にて砲弾を破砕する能力を特化させたものだったが、共に大口径の新型砲弾に対しては逆効果だと判明して製造中止に。
以降の2社はカーネギー式の浸炭装甲、もしくはベスレヘムが新たに開発した薄チル(逆に硬化層を薄くした)浸炭装甲を製造している。
この本文では最も多い量が使用されたとされる、カーネギー浸炭装甲のみを計算に使用している。

・ロシア・ソ連戦艦の装甲
現時点では2023年に掲載した情報は反映できていない。(後日対応示予定)

・第二次大戦時のソ連の戦艦用表面硬化装甲(KC鋼)の性能(ロシア・ソ連戦艦編、後日変更予定)
この時期のソ連海軍では、革命以降の設備やノウハウの喪失もあって、戦艦用の厚い表面硬化装甲で満足のいく物を製造出来なかったといわれている。
なので仮にソユーズ級などが大戦の影響を受けずにそのまま竣工していた場合、一部部位は厚さ程の防御力が発揮できなかった可能性が存在する事になる。
なお本文ではどこまで低下するのが不確かなのもあって、これまた1910年代の平均的な物扱いとなっている。
(このように本ページでは、よくわからなかったらとりあえず1910年代の表面硬化装甲、というのが現状である)

・砲塔天蓋に表面硬化装甲を使用する事の是非(主に日本戦艦編)
新戦艦編でも触れていた事だが、砲塔天蓋などの水平装甲に表面硬化装甲を用いた場合、大口径弾の命中で割れてしまって、同厚の均質装甲と比較してより近距離でも内部に被害を及ぼす可能性が存在する。
日本海軍は1910、20年代に行った試験において、当初均質装甲のNVNCより表面硬化装甲であるVCの方が優れていると評価し、実際に一部艦の改装にて採用していた。  
しかし後の実験では、進歩した被帽を持つ砲弾に対してはNVNCの方が適切と考えを改めている。
この結果やメルセルケビール時のダンケルクの被害などから、少なくとも第二次大戦時の砲弾に対しては、この部位に表面硬化装甲を使用する事は避けるべきというのは事実だと思われる。

・巡洋艦の垂直装甲
海軍休日以降に建造された軽・重巡洋艦の垂直装甲は、多くは均質装甲であったが、一部では表面硬化装甲の方が適しているとしてこれを採用した例も存在する。
代表は米海軍であり(ブルックリン級以降は基本表面硬化)、イタリアのザラ級(あと一部英改装艦や計画艦)など他の採用例も同じ結論に達した結果かと思われる。
また実戦でこれを証明する例として、ソロモン海の戦いにおけるニューオリンズ級とブルックリン級ボイジの砲塔への被弾例を挙げる意見も存在する。

・大和型砲塔前盾用VH装甲に対する米戦後テスト(補足のページ)
16インチSHSを撃角0度で同甲鈑に打ち込んだ場合、均衡撃速は1839fps(560m/s)と算出された。
この結果から本来の砲塔のように45度の角度で取り付けられた装甲に対しては、いかなる距離でも完全に貫通する事は不可能であると予測されている。

性能関連で何度も注意したい事
繰り返す事になるが、装甲の効果や性能というものは、それに対する砲弾側の性能に左右される部分が大きい。

極端な例では、既存の砲弾に対する防御力と、より高い性能を持つ新型砲弾に対する防御力で、装甲の優劣が逆転する事すら起こり得る。
とにかく装甲の優劣を語る場合は、根拠となるデータが得られた条件に注意すべきであって、間違って三段論法を適応してしまうと結構おかしな事になるのは避けられないと思われる。
(そうなると、すぐ上の「1910年代の平均的な物と同等」という仮定も、条件によっては正確ではない事になるのは否定できない)

ちなみに特に深い硬化層を持って砲弾を破砕することに重点を置いたタイプの表面硬化装甲は、それに破砕されない強固な砲弾が登場すると一気に効力を失い、このような現象が起こりやすい。
その代表としては上でも触れた、米ミッドヴェール社の非浸炭・表面硬化装甲(炭素量が多く、他の装甲に比べて硬化層が非常に深い=強度に影響する裏側の範囲が狭い装甲)が挙げられる。

2018 5/30  米STSに関して

そろそろ勇気を出して書かなければと思ったので。
STS(special treatment steel)は米海軍のみならず、20世紀前半の艦艇に使われた鋼材の中でもかなりややこしい存在ではないだろうか。
この鋼板は1908~10年の間に登場し、フロリダ級ユタから第二次大戦時の艦艇全般に至るまでに使用された事で知られている。
そして名前に装甲(armor)と付かないにも関わらず、対弾性能を重視した鋼材として開発されたのが特徴である。

1910年度のブラッセイ年鑑によれば、戦艦副砲の増強に伴い既存のニッケル鋼からなる補助的な部位の装甲帯が防御力不足となり、これを解消する為に開発されたという。
そして同年にはベスレヘム社製のSTSに対して6並びに8インチ砲弾による射撃試験が行われ(正撃もしくは撃角9度にて)でニッケル鋼を上回る性能が確認された。
また翌年の同誌によると、興味を示したロシア海軍がカーネギー社製の物を輸入して試験を実施。こちらの鋼板はバナジウムを含有する物で、驚くべき性能を示したと報じられている。

なおベスレヘムの試験並びにカーネギー社の鋼板に関するデータは平賀文書にも所蔵されている。(識別子10190302、10190301)
後者を見ると確かにバナジウムが含まれているが、それだけでなくニッケルやクロムを多量に用いており、通常の構造用鋼と比べてかなり贅沢な物だったと予想される。
また同社の鋼板は日本海軍で試験された記録もあり、性能は優れていたがバナジウムを多く含み高価だったので採用されなかったという。(呉工廠史料集成「本邦ニ於ケル甲鈑製造法発達ノ歴史」)

そして平賀自身も「列強軍艦設計ノ大勢ニ就テ」において、初期の軽巡洋艦は米国巡洋艦(オマハ級)の一部以外は舷側装甲に「船体用鋼板」を用いているとしている。
同資料の付図ではオマハ級の舷側装甲として3インチのSTSが用いられているとあり、そのことからSTSは通常の船体用鋼板と異なると平賀は認識していたようだ。

ここまで読まれた方は感付かれているかもしれないが、正直調べた分だと、少なくとも開発当初のSTSは「アーマー」とつかないだけで、性能材質ともに通常の構造用(船体用)鋼とは一線を画している。
実質的には非浸炭のニッケル・クロム・バナジウム鋼、つまり均質装甲に相当する鋼材だったのではないかと思わざるを得ない。
それを補強する資料を最近見つけたので貼ってみると、1915年の海軍士官学校の教本(Naval Ordnance)にはこんな記述が存在した。(クリックで拡大。画像は一部切り貼りして編集)
断言するにはあまりにも他の資料が足りないが、全面的に信用した場合、当時のSTS=クラスBとまで言っていいことになる。
(なお追記するとバナジウムの使用は開発初期の一時期のみだったようだ)

しかし仮にSTSとクラスB装甲が同一とした場合、海軍休日以降の艦艇においては不可解な点が生ずる。
この時期の艦艇、特に戦艦ではクラスB装甲とSTSが併用されている例が多くみられるからだ。
具体的には米戦艦は中甲板の水平装甲としてクラスBを使いながらも、そのバッキングや一層上の上甲板に結構な厚さのSTSが貼られている。
またアイオワ級並びにモンタナ級では、水平装甲だけではなく砲塔前盾にも両者が併用される形となる。

同一の鋼材だったら、わざわざ別の名称を用いる必要なんてないのが自然だろう。
この答えは見つける事が出来ていないのが現状だが、いつも通り可能性をいくつか挙げて起きたい。

1 この時期のSTSと海軍休日までのSTSは別物である
もしSTSという名称が「特殊鋼」レベルのおおざっぱな物だったとした場合、おなじSTSでも異なる物が存在して良い事になる。
つまり海軍休日以降のSTSはそれ以前の物とは違い、通常の甲板やバッキングに使われるようなちょっと低級な鋼材を指すようになったと想像できる。
ただし当時の米海軍には旧来のSTSを使用している艦艇が多数現役で存在しており、そんな混乱を招くような名称変更が行われたのかは疑問。

またこの場合、海軍休日前のSTSも異なる鋼材をひとくくりにして呼んでいた可能性が出るので、前提であるSTS=クラスBを疑う所からやり直す必要も。
そうするとクラスB相当の高級STSとバッキングに用いられる低級STSの二種類があったという説が浮上する。
上図の下から十行目にそれっぽい記述も存在するが、具体的にどれくらい違うものだったかは分からない。

2 海軍休日まではSTS=クラスBだったが、第二次大戦期はクラスBとは別物である。
クラスBが進歩したのに対して、STSは据え置きだったもしくは別の進歩を遂げて別れた説。海軍休日以降はクルップ鋼が登場した頃ほどではないが、一応装甲板の進化は進んでいるのでおかしくはない。
ただ旧式とはいえ通常の構造用鋼よりはるかに生産性が悪く、最新の均質装甲に比べて性能では劣る物をそのまま生産する理由が気になるところ。

3 第二次大戦期のクラスBとも同一の物であるが、板厚や使用箇所などの条件によって異なる呼称が使用されていただけである。
STSも同じく進歩した場合。割と有り得そうだが条件に関しては正直見当がつかない。

4 第二次大戦期のクラスBとも同一の物であり、何かしらよくわからない理由で異なる呼称が用いられている。
他にも製造場所が違うとか、あとどれに分類していいかわからないけど微妙に規格や製法が異なる物、鋼材としては全く違うものだが性能が近い物、なんて想像もできるか。

まあ結局のところ一次資料を見ないと、何考えても想像に過ぎないとしか言えないのが現状である。
第二次大戦中でもウェストヴァージニアやテネシーの改装ではクラスBではなくSTSが使われているので、ここら辺を当たれば良いのかもしれないけど。

ちなみにNAaB上のSTSは第二次大戦期のクラスBと同一(つまり3か4)扱いだったり。まあこれもいい加減なところは本当にダメダメなんだけれども。

追記 1957年の Naval Ordnance and Gunnery (Gene Slovers US navy pageにて公開 ttp://www.eugeneleeslover.com)にて関連記述を発見。

この場合でもSTSとクラスBが完全に同一の成分製法でできているかは証明できないが、少なくとも判断基準が上でいう「3」(の中でも板厚)だったということになる。
ただその場合、一次資料を使ってるはずのフリードマンの著作にて、この条件と当てはまらない厚さのSTSに関する記述もあり、その点も念頭に置く必要があると思われる。

ヴォタン鋼について(2017  4/14)
自分の知る限りヴォタン(Wotan)鋼とは、20年代にクルップ社が開発した均質装甲の一種である。
第二次大戦時のドイツ艦ではビスマルクをはじめとした戦艦の水平・水雷防御として使われた他、厚さ的に表面硬化装甲を使用できない巡洋艦や装甲艦では大部分に同鋼板が用いられている。
またこの装甲は試験用に装甲を製造する余裕がなかった頃の日本へ輸出され、800kg徹甲爆弾のテストに使用されて同爆弾によるアリゾナ撃沈に貢献した他、大和型の水平装甲に使用されるMNC鋼開発のヒントにもなるなど、日本海軍にとっても関係の深い装甲といえる。

この怪文書を書き始めた頃から気になっていたが、第二次大戦期のドイツ艦の装甲=ヴォタン鋼という勘違いをしている人をネット上で時々見るのはどういうことなんだろうか。
実際にドイツ戦艦の垂直装甲に使用されている新型のクルップ鋼(KC n/A)を無視してヴォタン鋼のみを語るのは、大和型で言うとVH鋼を無視してMNC鋼のみを語るようなものであり、違和感を覚える。
(あれだけ詳しく書いてあるビスマルク級戦艦のwikipedia日本語記事(17年4月現在)からして曖昧な事が載っているのだからどうしようもない。
なお外国語の記事だと、英語版には特に記載はないがドイツ語版にはしっかりと垂直装甲は新型クルップ鋼で、ヴォタン鋼は水平・水雷防御に使用と書いてある)

このような勘違いの原因を探る為、ヴォタン鋼について触れている紙触媒にあたってみると、十分とは言えないがヒントになる記述を見つけた。
まず見つけた中で古いものだと世界の艦船ドイツ戦艦史(1989年3月号)でヴォタンの記述がなされている。
しかしここでは水平装甲と水雷防御に使用されるものとされており、さらに硬質(Wh)、軟質(Ww)の二種類の存在についても触れられるなど、誤りは見られない。
同書を参考文献として挙げている『世界の戦艦パーフェクトガイド』(太平洋戦争研究会、2009年)でも、これに関しては特に誤った記述は無い。

一方で『第二次大戦 世界の戦艦』(イカロス出版、2005年)のビスマルクの記事では、「ヴォタン鋼を使用している為バイエルン級から防御力が低下したわけでは無い」と言った意味の記述がなされている。
明らかに舷側装甲にもヴォタン鋼が使用されていると誤解を与える記述である。
(なお同記事ではビスマルクの水平装甲はバイエルン級よりも薄いと言う驚くべき主張を行っているが、今回の話と関係ないので深くはツッコまない)
さらに同出版社のミリタリークラシックスvol.34ビスマルク特集でも同じような記述が一部に存在する。
該当項目の執筆は世界の戦艦、ミリクラ共に瀬戸利春氏によるものである。

このように現状ではイカロス出版並びに特定の執筆者の方の記述をあげつらうことしか出来ていないが、原因に関しては戦後のミリタリーブームや下手をすると戦前まで遡る可能性も否定できない。
機会があればもう少し昔の雑誌なども調べてみたい。

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シンプソン鋼とはいったい何なのか
 2018 8/28 
世艦KGV特集を見ていて、装甲材質の話で「シンプソン鋼」という言葉を久しぶりに見たけれども、一体なんなんだろう。
例の「軍艦ノ砲砲装弾薬及装甲ノ變遷」以外で、自分が知ってるのはこれぐらいしか(拡大推奨) ないけど、さっぱり分からない。

エドワード・アトウッド『The Modern Warships』より

 

(2020/1/23追記)
今更だがここで紹介されているシンプソン鋼とは、銅を用いて鋼板を接合する技術の事であり、これを用いる事で厚い硬化層を持つ装甲を安定して作れるのではみたいな内容である。
KGVが用いた装甲とは明らかに違うものなので、仮にこれ以外にシンプソン鋼が存在しない場合、世艦の記述は誤りではないだろうか。

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リチャードソン鋼について
 2019 9/30

1910年代のアームストロング社にて「リチャードソン鋼」と呼ばれる新型装甲が開発されていた、という記述は
複数の書籍に見られるが、具体的な内容は把握していなかった。
そこで今回検索してみると、一件だけだが1913年の『Britannica year-book』にて言及されているのを確認した。
同書の装甲材質に関する記述を要約すると以下のようになる

・厚い装甲板では、クルップ浸炭装甲が世界の標準である状態が続いている
・米国のベスレヘム鈑はそれの改良版である
・モリブデン合金であるリチャードソン装甲は実験にて素晴らしい成績を残したが、現時点では採用には至ってない
・その原因は主要な生産メーカーが必要な製造設備を用意する費用を嫌った事による
・薄い装甲板では、バナジウムを含む物が英海軍本部に採用され、1912~13年計画で発注された軽装甲巡洋艦への使用が計画されている

この記述を見る限り、リチャードソン鋼の特筆すべき点はモリブデンを含む事だったようだ。
この時期の同社の装甲がモリブデン含有というのは、1913年に日本海軍が購入試験した装甲でも確認でき、裏付けをとる事が出来た。一方でこの事は採用に至っていないという同書の記述とは一部矛盾する。

なおバナジウム鋼の方はDKブラウンの著作にて存在自体は言及があるが、実際に1912年計画の軽装甲巡(おそらくアリシューザ級)の装甲に用いられたのは(少なくとも垂直装甲は)ただのHT鋼である。
また同書は装甲材質の後に各国戦艦の装甲配置について解説しているが、その内容は正確だったり惜しかったり全く違ったりと、色々な情報が錯綜していた事をうかがわせて興味深い。
というわけでリチャードソン鋼の記述もあくまで話半分でいた方が良いかもしれない。

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ロシア・ソ連製装甲についての補足   2023/3
上の補足。参考資料は今の所以下の物を使用しているが、それぞれ矛盾もなくもないので、今の所それを中心に。

《資料A》 Sergei E. Vinogradov, Battleship Development in russia, 1905-1917 chapter 4, 2000
《資料B》 ttps://alternathistory.com/proizvodstvo-broni-dlya-nuzhd-flota-v-rossijskoj-imperii-2-0/
《資料C》 А.М. Васильев , Линейные корабли типа Советский Союз, Галея Принт, 2006
《史料1》 ttp://docs.historyrussia.org/ru/nodes/280973-pismo-direktora-bronevogo-instituta-a-s-zavyalova-sekretaryu-tsk-vkp-b-i-v-stalinu-o-proizvodstve-korabelnoy-i-tyazheloy-tankovoy-broni-6-avgusta-1940-g

一次大戦期の甲板用に三種類の材質が存在したという件は、1913年にエカテリーナ二世級チェスマを用いたガングート級の装甲配置に対する射撃実験の記録より《資料B》。
ただし《資料A》では同じ三種の鋼材が甲板以外の構造材として使われたという記述も。

また別の例として、ボロジノ(イズマイル)級ナヴァリン用にニコポリ=マリウポリに発注された材質は四種類。普通の甲板装甲用、品質の高い甲板装甲用、KC、KNCとなっている《資料B》。
ここでは上で挙げた三種のうち二種しかない事に。最高級の材質=KNCと考える事もできるが、単純に1種類が使わなかっただけの可能性も考えられる。
また製造元はイジョラ工廠ではないので、ガントケ装甲は使用せず。

二次大戦期のKC鋼の性能については、クルップ製の物を拒絶した件から、そもそもの目標性能が高すぎたようにも解釈できなくもない。ただしこの時期のソ連は一次大戦期(1916年)と同じ規格を用いていたとされる《資料C》。
資料Bで紹介された実験記録とNAaB上での装甲を比較して性能を調べる事も出来そうだが、対象となる砲弾側のデータが曖昧なのでなんとも。まだやってないがドマール使った方が何か分かる気すら。

《資料C》にてBCはニッケル節約と水焼き入れを行う物とされるが、《史料1》では両者は別々の技術のように扱われている。
また200mm未満でKCを用い、それ以上はBCという方針については、《資料C》で決定されたとする他、《史料1》では8月の時点でNII-48の所長が同じ内容を提案している。ここではBCの使用が受け入れられない場合、すべての厚さを加速浸炭法に切り替えるとも。

上では全く触れなかったが、航空爆弾実験の際にほぼ垂直に落ちてくる徹甲爆弾の水平爆撃に対しては、表面硬化装甲の方が適しているとの意見が出ている《資料C》。
しかしただでさえ表面硬化装甲の製造に苦労している状況で、水平装甲まで使用範囲を増やす事は出来ないと却下された《同上》。
ただしガングート級セヴァストポリ(パリジスカヤ・コンムナ)の改装時追加された75mmはKCという説もあり。

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