「艦砲と装甲」用語集
2022年6月15日公開(一部以前の物を加筆して独立)
補足のページで述べたように、余りにもいい加減な使い方をしている専門用語に関する注意書き(という名の言い訳)の為に作成。
取り上げるのは複数の意味を持つ単語など、説明なしでは誤解を招きやすい物、そして本ページ独自の使われ方をしている物を中心とする。よって用語集と言いつつも、普遍的な情報源になりうる辞書的な内容には間違ってもならない点はご容赦頂きたい。
その他には、普段見過ごしやすい語源の紹介であったり、過去もしくは現在進行形で議論の対象になっている事柄についても、簡単に紹介した上で管理人のスタンス含め示す場に出来たらと思う。
最後については本編と重複する部分もある他、いつも通り凄まじく偏った知識しかないので、正直変な内容も普通にあると思われる。それを含めて「怪文書を書いてる奴の知識はこんなもんか」と察してもらえれば幸いである。
目次----------------------
五十音順にする程の量はないと思われるので基本テーマ別
艦艇全般
船体
装甲
兵装
機関
戦史・戦術
その他海軍史
その他(海軍以外)
研究史・説・議論等
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艦艇全般
艦種
文字通り機能や役割に応じて艦艇を分類する枠組みの事。
このページ的に重要なのは、当時のメディアや専門家であったり、後世の研究者・マニア等が認識している「軍事学」的な枠組みと、公式が用意した枠組みが必ずしも一致するとは限らない点である。
例として本邦の「護衛艦」は軍事学的にはミサイル駆逐艦やヘリ空母などを含む物であるし、独シャルンホルスト級は本国での分類はschlachtschiffe(戦艦)だが、英メディアなどでは巡洋戦艦とされる事が多い。
公式の呼称については、護衛艦の場合は普通に政治的な理由で、他には例え同じような役割性能の艦艇であっても、軍隊の規模や戦略が異なる国では扱いも異なる事になるし、他にも言語・文化的な差異が影響すると思われる。
それに対して軍事学的な分類は、艦艇そのものを評価した均質的な解釈を重視する為に差が出る面があるのでは、という事を思ったりしているが、うまく言語化できない上に例も出せないのでこのへんで。
(シャルンホルストの場合、高速で主砲口径が比較的小さく装甲が厚い点が一次大戦期の独巡戦と同じだからという、むしろドイツ側に立った分類の気がするが)
上の戯言はともかく、本ページでは公式の分類と軍事学的な分類、どちらに忠実であるべきなのかというのが問題点である。
この点は正直どっちつかずで、艦ごとに基準がぶれているのが現状である。
戦艦
巡洋艦
巡洋戦艦
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船体関連
甲板
・甲板の数え方
甲板は位置や機能によって様々な名称が存在する。
補足のページで明記したように、本ページで用いるのは「船体を全通する甲板のうち、最も高い位置にある甲板」を基準にした物である。
ただしこれも言語によって違いがあり、その一例と訳語をまとめると下の表のようになる。
上記の基準になる甲板 | その一段下の甲板 | さらに一段下の甲板 | 〃 | |
日 | 上甲板 | 中甲板 | 下甲板 | 第一船倉甲板 |
英 | upper deck(上甲板) | main deck(主甲板) | middle deck(中甲板) | lower deck(下甲板) |
米 | main deck(主甲板) | second deck(第二甲板) | third deck(第三甲板) | 1st platform deck(第一船倉甲板) |
独 | oberdeck(上甲板) | batteriedeck(砲甲板) | panzerdeck(防御甲板) | oberplatformdeck(上船倉甲板) |
仏 | 1er pont(第一甲板) | pont principal(主甲板) | 1er faux-pont(第一船倉甲板) | 2e faux-pont(第二船倉甲板) |
補足
これもあくまで一例で、例えば一次大戦期までの日本海軍では英国式の主甲板を含む物が見られる。
また上は主に重要区画上の甲板の呼称で、艦首尾にはこの間に別の甲板(tween deck)が入る場合も。
米国式の呼称の場合、甲板が全通する場合は上からthird、fourth、fifthと延々と続いていくが、全通しない甲板になるとplatform deckに呼称が変わるようだ。
機能的に見た甲板名称
装甲甲板
機能的な部分を用いた分類で
防御甲板もしくは防護甲板 protective deck 主に本格的な水平装甲が施される前に良くみられる
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装甲関連
・装甲
広義の装甲には、対象を想定される攻撃から防御するための構造全般を指す、という物がある。
その定義に則って考えた場合、艦艇において防御対象となる物は主に以下の4つである。
「船体(の持つ浮力や復原力)」
「機関部や弾薬庫など被弾時に大きな被害に繋がる部位」
「兵装」
「人員」
そして想定される攻撃の方は、戦艦の主砲弾や大型爆弾から、機銃弾程度まで大きく異なる。結果として艦艇には、材質や厚さの異なる様々な「広義の装甲」が設けられる事になる。
対してこのページ的に言う「装甲」は、艦砲クラスの直撃や弾片への対応を目的に設けられた、一定の厚さを持つ金属(主に鉄か鋼)板を指す事が多い。その上で大口径砲の徹甲弾に対応するレベル、大口径砲の榴弾や中小口径弾に対応するレベル、中小口径弾の榴弾や至近弾の弾片に対応するレベル・・・と程度が分かれるような感覚で使用している。
また別の定義としては「一定の規格を満たした装甲用の材質を用いる物は、厚さ関係なしに装甲」という場合もある。ただこちらについては満たさなくとも防御力を持つなら装甲扱いで良いのでは、と思うのでおそらくこのページでは使用しない。
・垂直装甲
船体の舷側や内部の縦隔壁、砲塔の正面・側盾にバーベットなど、縦方向に貼られた装甲全般を指す。ただし一部狭義では舷側など船体部分の装甲のみを指す場合もあり、本ページの部位分けでもそちらを使用している事が多い。
なお垂直装甲といっても実際には角度がついて取り付けられたものも多く、完全に垂直とは限らない。
・装甲帯
垂直装甲の中でも船体の防御の為に横に長い範囲に設けられた装甲を指す。名称はそのままアーマーベルトの邦訳から。舷側に設けられた物は舷側装甲とも。
部位や役割から舷側装甲帯、内装式装甲帯、水線装甲帯、艦首装甲帯、艦尾装甲帯、主装甲帯、上部装甲帯、などに分類が可能である。
・水平装甲
船体の甲板、砲塔や司令塔の天蓋などに横方向に貼られた装甲を指す。本ぺージでは甲板の水平装甲を指す事が多い。
垂直装甲が垂直でない場合と同じく、完全に水平でない例も多い。
・甲板傾斜部
本ページでは甲板装甲の中でも、外縁部で下側に傾斜する部分を指す。主に装甲帯の下部に接続することで、装甲帯を突破した砲弾や装甲の破片を受け止める構造を形成している。
本ページで主に使用する甲板傾斜部という名称以外にも、タートルデッキ、亀甲甲板、タートルバック装甲とも呼ばれる。採用状況などは「装甲配置に関するメモ」を参照。
・集中防御
一般的には重要区画を守る範囲に装甲を集中させた防御様式を指す。ただし本ページではやや異なる定義に合致した配置を集中防御と呼称している。
詳しくは補足のページの「装甲配置関連」を参照。
・全体防御
一般的には集中防御とは違い、重要区画外の広い範囲に補助的な装甲を持つ防御様式を指す。本ページではこの用語を使用しない。理由は同じく「装甲配置関連」を参照。
追記 最近の改稿部分ではこの配置を表す言葉として、代わりに「分散的」という表現を用いている。
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兵装関連
兵装の構造が攻撃能力を左右するというのは言うまでもなく、このページ的にはユトランド海戦での誘爆に代表されるような防御面に影響を及ぼす点にも注目すべきである。
ただし現時点では調査不足もあって各ページの解説ではそこまでカバーできていない。
・火砲の搭載方式
砲塔(Turret)
戦艦主砲の搭載方式としては最もポピュラーな形。
定義は様々だが、近代戦艦の時代における狭義の砲塔は「砲身等を収める砲室に加え、揚弾薬機構などを持つ下部構造が共に旋回する形で付属し、それが艦の奥深く(弾薬庫など)に達する物」が対象となる。
一方で広義だと、旋回砲室の中に火砲を搭載する物全般を指す事が多いが、砲”塔”とある通りTurretは元々城塞の石塔を指す単語であるので、旋回せずとも甲板上で突出した塔状の構造であればTurret扱いで良いようだ。
実際に旋回しない固定砲塔という物も装甲艦時代の初期にいくつか存在する。
そして注意点としては、砲室のみが旋回したり下部構造が弾薬庫に達しないなど、広義の砲塔とは言えるが狭義の砲塔ではない物は、中口径砲を中心に戦艦時代にも多数存在する。
また砲塔艦の元祖であるモニターの物を含め、1860~90年代の装甲艦時代の砲塔(囲砲塔)もまた、戦艦時代の狭義の砲塔とは異なる物である。
これらの広義の砲塔についても、本文中で特に区別せず砲塔と呼称している事が多いので注意である。
バーベット(Barbette)
上記定義による近代的な砲塔においては、砲室よりも下にある旋回盤や揚弾機構などの防御を目的に周囲に設けられた装甲を指す。形状は多くの場合で円筒状(一部初期は洋梨型も)であり、旋回はしない。
装甲艦時代では旋回砲の周囲に円筒装甲を単体で設ける搭載方式をバーベット式と呼んでいた。これは露砲塔とも言うが、本文では普通にバーベットと呼称しているのでこれも注意である。
舷側砲列(Broadside battery)
艦内の甲板上に多数の大砲を並べ、舷側に設けた砲門より発射する方式。帆船時代より続くもので、最初期の装甲艦で採用された。
帆船であれば砲列を二層や三層の甲板に設け、合計100門以上の大砲を持つ艦も存在した。ただし装甲艦では砲の大型化や装甲重量の都合により基本的に一層に。一部で二層の艦が存在するのみにとどまっている。
砲郭・ケースメイト(Casemate/Central battery)
船体の一部を仕切って出来た区画に1門若しくは複数の大砲を置く形。複数の大砲を置く物は舷側砲列と似るが、主に船体に占めるサイズの違いで区別される思われる。
1860年代の装甲艦主砲から海軍休日前の戦艦副砲として長く使われた方式であり、下図のように細かいバリエーションも複数存在する。
左上:船体中央の区画に複数の砲を設ける形(中央砲郭)
右上:1門ずつ小型の砲郭に設ける形
左下:中央砲郭に1門ずつ仕切りを設ける形
右下:非装甲の中央砲郭
ちなみに英語名称は砲塔については既に触れたが、上の殆どが城塞・築城用語が元となっている。(batteryについては砲台という意味なので当然に城塞にも使われるが、上記のような組み合わせは自体は艦艇で初めて誕生した物と思われる。また城塞におけるケースメイトは砲郭ではなく「穹窖」と訳される事が多い)
広義の砲塔
先述したように密閉された旋回砲室を持ち外見は砲塔に見えるが、下部構造の違いから純正な砲塔とは言えない物。呼称は「砲塔式」や「準砲塔」、「ショートトランク式砲塔」、そして単純に「砲室(gunhouse)」などが存在する。
戦艦時代では中小口径砲を中心に広く見られ、多くの場合で弾薬は固定式の揚弾薬機構で砲の直下などに設けられる弾薬供給所※に運ばれ、ここから砲に付属した揚弾薬機構や人力で砲室内へ運ばれる形になる。
※弾薬供給所(ammunition lobby)以外にも給弾薬室(handling room)や換装室(working chamber)という表記も確認できる。
特に駆逐艦主砲は日本の50口径5インチ砲や、米38口径5インチ砲など密閉砲室であっても基本はこの形。旋回部を拡大するのは重量等の制約があったと思われる。
(駆逐艦の中では英M・L級、仏モガドール級の主砲は狭義の砲塔に極めて近い物で、共に砲室から伸びる揚弾薬機構が弾薬庫まで達しているものの、砲と共に旋回するタイプではない。また後者は密閉砲室でもない)
リダウト(Redoubt)
注意点として英語圏だけでも異なる二種類の物を指す場合がある。
第一には砲の周囲を囲う形で天蓋の無い固定式装甲を設け防御する物、バーベット(装甲艦時代の露砲塔)に似た物だが、より大型で複数の砲架を置いた物を指す。具体的にはエカチェリーナ2世級の主砲やザクセン級の後部主砲といった物が、この意味でのリダウト上に搭載された。
もう一つはバーベット(近代砲塔の物)と似た砲室の下部を守る装甲の一種。例として先代テキサスの菱型装甲、そしてヴィクトリア級やロイヤルサブリン級フッドの洋梨装甲がリダウトと呼称される。
以上どちらも近代的な砲塔の誕生以前の物で、新旧のバーベットに似た火砲の防御に関連する装甲を指す事になるが、形状やサイズに相違点があるという印象である。
ただしフランス語のredouteだと装甲砲郭等を指す場合に使われているイメージで(語源が同じはずのréduitもréduit centralで中央砲郭という意味に)、微妙に意味が異なる部分もあるようだ。
なおこれも築城用語が由来。
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・主砲(主砲塔)の配置
主砲配置は(砲塔以外の搭載法も存在した)装甲艦時代や他艦種も含めれば更に多様な物が見られるが、ここでは近代戦艦を対象に主な要素をいくつか挙げていきたい。
前後部配置(艦首尾配置)
前後部のみに主砲を配置した例
艦の中央部を占める艦橋や機関部を避け、その前方もしくは後方に置かれた物。
それぞれ艦首尾の反対側への指向こそ出来ないが、それ以外へは広い射界を持ち、また艦上や艦内部のスペース的にも自然という、最も基本的な配置である。
一応欠点としては重量物である砲塔は端部にある程船体への負担が大きくなりやすく、位置が極端な場合はピッチングの増加や波浪の影響による射撃上の問題を引き起こす可能性も存在する。
先述したように最も基本的な形であり 前後部どちらにも主砲を持たない(=中央部のみに主砲を搭載する)艦は、装甲艦時代には存在するが近代戦艦では存在しない。
また前後部のみに主砲を持ち中央部には持たないという形に限定した場合でも、弩級戦艦の登場以降には中央部砲塔を持つ例が多くなった時期も存在するが、基本的には多数派である。
中央部配置
前後部配置と併用で中心線上に1基のみ配置した例
前後の艦橋間、もしくは機関部に挟まれる形で搭載された物。先述したように近代戦艦では前後部配置との併用で搭載され、一部は後述する舷側配置を行う物も確認できる。
特徴としては前後部砲塔と比較して一部の射界が制限される場合が多く(金剛の第三砲塔など機関部の間にあるが射界は普通の後部砲塔と大差ない物も存在する)、艦内部のスペースを機関部と食い合う等、基本的には制約が多い物である。
また米海軍の事例では、弾薬庫近くを機関の蒸気管が通る事で室内の温度が上昇し装薬の状態に影響する事も指摘されている。
その一方で利点としては、重量物を中央に置くので重量バランスや船体への負担的には良い他、中央部は艦幅が広いので、理論上は水雷防御幅の確保が容易(採用時期からしてこの点は活かされていないが)という点が考えられる。
ただし実態として、主に中央部砲塔の併用例が増える弩級艦時代の初期の場合、火力の増強や砲術上適した門数を確保する必要に迫られた結果、中央部にも砲塔を置かざるを得なかったという印象も受ける。
そして以降は主砲の多連装化や速力重視の影響か採用例は減少。大戦後では日本の加賀から紀伊、英G3と言った未成・計画艦において見られるも、結局竣工した主力艦では確認できない。
なお前後部に主砲を持たずに中央部砲塔のみという配置は、装甲艦時代の一時期にある程度流行している。
これは主砲とその直下を守る装甲(初期の砲塔はバーベットを持たないので別途装甲区画を設ける必要があった)をコンパクトにまとめる事が可能で、また前後部配置と比較した場合の射界の狭さという点についても、帆装がまだ一般的だった時代はそもそもマスト等が邪魔で、一部の艦種を除いてその差があまり問題にならないという状況がしばらく続いていた。
採用艦の中でも特に後述する梯形配置艦は、主砲と装甲を特にコンパクトに収める事でその分強力な物とし、加えて射界も当時の戦場に適した物を持つ配置であり、一部海軍で主流となっている。
そして近代戦艦では計画レベルだが、少なくともリシュリュー級の計画案には中央部砲塔のみを持つ案が存在した。(反対向きの四連装2基を背中合わせにして中心線上配置という特異な物。元はイタリアのデ・フェオ提督のアイディアで、イタリアの中型戦艦計画にも同じ配置の案が存在する)
その前の17500t巡戦案も中央部で梯形配置という話もあるが、ジョーダン本では前部集中と断言されているのでこの件については不明。梯形配置とする資料には計画当時に発行された米海軍協会誌の記事(著者の一人が日米戦シミュレーションで有名なバイウォーター)があるようだ。
話を戻すとして、この時代で用いるメリットとしては上で挙げた重量や水雷防御と言った点に加え、副兵装や航空艤装を搭載するスペースが確保しやすい点も考えられる。
背負い式配置
2基の砲塔で片方を高所に置き、その砲身がもう片方の砲室の上に来るように配置した物。
背負い配置をとらない物に対して砲塔同士の間隔を空けずに、より効率良く配置出来る(ただしバーベット重量は増加し、重量物を高所に置く事で復原性への影響も)他、また前方の砲塔越しに射撃が可能になる(爆風が片方の砲塔に影響を及ぼす場合を除いて)効果を持つ。
主砲塔同士の背負い配置は米サウスカロライナ級が最初に採用。以降の各国でも帝政ロシアを除いて導入している。
またこの2砲塔に反対向きの砲塔を一基追加した物は、その形状からピラミッド配置とも呼称される。採用例は妙高型など巡洋艦のイメージが強いが、戦艦でもエジンコートの後部砲塔が存在する。
舷側配置
前後部配置と併用かつ中央部での舷側配置の例
一般的な中心線上ではなく、舷側に近い甲板の縁に寄った位置に搭載される物。近代戦艦では中央部砲塔に用いられ、その中で左右に並列する物と、それを前後にずらした梯形配置(en echelon)が存在する。
中央部砲塔を中心線上に置いた場合と比較して、並列配置は艦首尾方向への射界を持つ代わりに舷側方向への指向門数は半減。一方の梯形配置は(爆風の影響を無視した場合)反対舷へも部分的ながら指向が可能な配置である。
近代戦艦では中央部砲塔に用いられたという事で、この時代は単体ではなく前後部配置との併用となる。
代表的な採用例としては、まずフランスの初期前弩級艦に多い(末期装甲艦の時点でも見られる)菱型配置において、タンブルホームで内傾した舷側から突き出して並列配置をとる物。
そして最初期の弩級艦では、準弩級艦の中間砲配置から発展した六角形配置(亀甲配置)にて、片舷2基ずつ設けられた物。最後に一時大戦期までの英独艦などで確認できる、中央部の2基を梯形配置にした物などが挙げられる。
しかし当時の主力艦は舷側方向への砲戦が基本であり、この点で並列配置は不利である。そして梯形配置も反対舷に向けられるが爆風問題があり、また中心線上に2砲塔を配置した場合よりスペースや重量的に有利という話もあったが、実際は背負い配置の導入を考えるとこの点は大差なかった。
そして両者とも中央部とは言え、弾薬庫の水雷防御を行う上で不都合(図面を見るとさすがに弾薬庫が直接外板近くに配置される訳ではないが、それでも砲塔の給弾薬室と外板の間隔が狭くなりやすい事が分かる)と、攻防双方の面で問題を抱えていた事になる。
上で述べた通り中央部砲塔自体の需要が一次大戦以降低下していくが、上記の理由もあって舷側配置はそれよりも前、竣工した艦ではリヴァダヴィア級あたりが最後になると思われる。
また前後部に主砲を持たず、2基を中央部で梯形配置にした艦は、英インフレキシブルに代表されるように英伊の装甲艦などで一時期に確認できる。
これらの艦は上で述べたように重要区画を短縮し強力な主砲と装甲を持つ艦であり、また当時は衝角戦術の為に前方火力が重視された時代であった為、中心線上ではなく梯形配置が選ばれている。
前部集中配置
後部主砲ならびに中央部主砲を持たず、前部艦橋より前に全ての主砲を置いた物。
まず装甲艦時代には衝角戦術と関連して、(複数の砲塔を持つ艦が登場した後も)敢えて砲塔1基のみを艦首に搭載した艦が存在する。代表的な物としては英ヴィクトリア級の他、ロシアの先代ガングート、ニコライ1世なども一応該当。
そして一般的に前部集中としてイメージされるのは、一次大戦後に複数の砲塔を集中配置した物である。こちらは条約期の排水量制限の中で、主砲と重要区画をコンパクトに納める手段として導入された。
実際に採用したのは英ネルソン級に仏ダンケルク、リシュリュー級で、計画レベルでは大和やノースカロライナの配置として検討されるなど一時期流行していたと言える。
しかしネルソンの場合は艦橋への爆風が悪評だった他、基本的に射界の制限や副兵装配置への影響が避けられない物である為、一度採用した英仏も、以降のKGV等にガスコーニュ、アルザス級といった後続では他の配置に改められている。
ただしさらに以降になると英海軍のライオン級1945年案、そしてソ連が1950年代に計画した小型戦艦案と言った物で前部集中案が確認出来、最後の最後に復活する可能性も存在していた。
なお採用には至らなかったが射界面の改善を試みた配置として、米海軍の条約型戦艦研究の中には砲塔3基を同じ向きで前部集中しつつ、その2番3番砲塔を梯形配置にした案が存在する。
これは近い時期のケーニヒスベルク級軽巡でとられた後部砲塔の梯形配置と同じく、反対側への射界を増す物である。(また同案は横から見ると三段重ねの背負い配置のようになっているので、全門が前方へ指向可能)
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・揚弾薬装置
艦砲の弾薬、特に装薬は誘爆時に致命的な損傷へ引き起こす恐れがある。よってそれらは装甲防御の有無に関わらず、水線下など船体下部の弾薬庫に収めるのが基本である。
一方で艦砲そのものは甲板上か、ケースメイト式であっても水線からある程度の高さがある場所に設けられる。弾薬庫の高さから砲まで有効に弾薬を供給する必要がある中で、艦の上方へ運ぶ役割を担うのが揚弾薬機(筒)である。
揚弾薬機は砲の搭載方式によって、砲塔もしくは砲架の一部として旋回する物、船体に固定された物。そして弾薬庫から砲まで直通する物、しない物が存在する。
また砲弾と装薬を一緒に運ぶ物(そもそも固定式弾薬を運ぶ物)と、両者を異なる機構に分けて運ぶ物の二つに分かれ、後者の場合は呼称もそれぞれ揚弾機(筒)、揚薬機(筒)と分かれる。
ただし、揚弾薬装置全般の略称として「揚弾機」を用いる事もあり、その場合は砲弾と装薬を一緒に運ぶ物であったり、揚薬機が別にある方式の物を指している可能性も存在する。
この点は本ページでも曖昧になっているのが現状だが、少なくとも用語集のこの項目では、「揚弾機」は厳密に砲弾のみを運ぶ物という定義に従う事とする。
・揚弾薬機の種類
また揚弾薬機は機構そのものの違いによっても複数に分類する事ができる。
エレベーター式
筒内で弾薬を入れたカゴ(揚弾薬筺)をエレベーターのように上下させて運ぶ方式。
近代戦艦の登場以降、大口径砲の方式としては最も基本的な形。主に一次大戦期までは砲弾と装薬を一つの揚弾薬筺に収める物が大多数を占めた。
それ以降は他の方式と組み合わせる形が増加するものの、後述するように、新戦艦の時代でも大口径主砲の揚薬機構は殆どがこの方式である。
なお初期の砲塔では弾薬庫(給弾室)から砲室まで直通する場合、弾薬を受け取った弾薬筺が砲室まで上がって戻ってくるまでの時間が無駄になりやすい傾向があった。
この対策として、揚弾薬機を上下二つに分け、途中に弾薬を移し替える換装室(working chamber)を設ける方式が登場している。
換装室まで上がって弾薬を移し替えた下部揚弾薬機は、上部揚弾薬機が砲室へ砲弾を運んでいる間に、下降し再び弾薬を受け取りに戻る事ができる。こうして今までより短い時間で往復が可能となり供給速度を向上させる事になった。
この換装室を挟んだ二段階の揚弾薬方式は、英マジェスティック級の一部が搭載した主砲の時点で見られるが、完成系としてはフォーミダブル級や三笠などがそれで、以降一次大戦期までの英国式砲塔に受け継がれる事になる。
なお砲室と弾薬庫が直通しない事から安全性の向上という面も存在したが、ユトランドでの爆沈艦は射撃速度維持の為に揚弾薬機構周辺に多数の即応弾を置いていた為、意味をなさなかったとされる。
せり上げ式(pusher hoistもしくはpawl hoist)
逆流防止用の爪を設けた筒内に、弾薬を縦向きに押し込んで運ぶ方式。(ロケット鉛筆に例えられる事もあるが、管理人も名前だけで使った覚えないし、そろそろ通じないのでは)
各種機構の中でも最も効率良く供給が可能な方式である一方で、筒内を連なるように運ぶ形である為、揚薬機構として用いた場合は危険性が高い。
戦艦主砲ではヴィッテルスバッハ級の24cm砲やブラウンシュバイク級の28cm砲にて揚薬機構での採用が確認出来るが、これらは例外的な物で、基本は誘爆しにくい砲弾のみを運ぶ機構として一次大戦期の米戦艦や新戦艦を中心に採用例がある。
その場合必然的に揚弾機と揚薬機が分離した物となる。
それ以外の採用例は、やはり発射速度が重視され、誘爆も比較的起こし辛い薬莢砲が主である小口径砲が多い。
また改装前の青葉・妙高型の20cm砲は揚弾、揚薬機の両方がせり上げ式であった。比較的大きい口径、しかも薬嚢砲が用いた例という事で、砲塔自体の軽装甲も相まって非常に危険だったと思われる。
エンドレスチェーン式(endless chain hoist)
筒内を巡るチェーンに弾薬筺もしくは砲弾を取り付ける部分を設け、コンベアのように運んでいく方式。なおチェーンではなくワイヤーを用いる場合も存在する。
その中でも多数の弾薬筺を設けて高い効率を狙った物は、日本語での名称は不明だが英語ではdredger hoistと呼ばれる。
(dredgerは浚渫機の意。なお画像検索した限り、バケットチェーンエクスカベーターという掘削機の構造が近い気がする)
dredger hoistは中小口径砲での採用例が多く、現存する英ベルファスト等が搭載したロングトランク式の6インチは揚弾、揚薬機共にこの方式で、資料も多く分かりやすい。
一方で戦艦主砲用として見た場合、揚薬機構としてはエレベーター式より危険性が高く、揚弾機構としてはせり上げ式よりもチェーンが下降する部分の幅が必要など効率で劣る。
そこから採用例はそこまでで、確認できる物では一次大戦期の米戦艦の多数が持つ下部揚薬筒の他、仏新戦艦の四連装砲塔が設けた下部揚弾薬筒がこの方式である。
後者ではその部分の揚弾薬筒が門数の半分である2基しかないので、その中で供給能力を少しでも確保しようと試みた物と思われる。ただし複数発分の装薬が内部に連なり危険ではないかという指摘も存在する。
またエンドレスチェーン式の中でもdredger hoistと異なり、両端の2か所のみに弾薬筺等を設けた物が釣瓶式(bucket hoistは違う物を指す気がするので英名は不明)である。
エレベーター式よりも速度を維持しつつ、筒内の弾薬は基本的に一発分のみとなり、dredger hoistより誘爆の危険性を抑えた形になる。
戦艦主砲としては、フランス最初の四連装砲艦であるノルマンディー級の下部揚弾薬筒はdredger hoistではなくこちらのようだ。その他の古い例としては日本の装甲巡などが搭載したアームストロング式45口径8インチ連装砲の揚薬筒がこの形。
また二次大戦時の日本8インチ・15.5cm砲の揚薬筒がこの方式として知られる。同砲は軽装甲ながらユトランド時のような爆沈艦を出しておらず、せり上げ式に変えて採用した効果があった物と思われる。
手渡し(hand-up)
甲板の防焔シュート等を通して人が上げる方式。最も原始的で多くの制約があるが、同時にある意味確実な方式である。
戦艦主砲の場合、非常時に人力で揚弾薬機構を動かす事はあっても、さすがに手渡しはないと思われるかもしれないが、実際には存在している。
ワイオミング級の12インチ砲ならびにニューヨーク級の14インチ砲が採用艦で、これらの砲塔で装薬はエンドレスチェーン式の揚薬筒で上部給薬室に運ばれた後、砲室に揚薬する際の作業の一部が人力である。
なお手渡しとは書いたが、上部給薬室と砲室の間にはワイオミング級の場合は扉を二つ持つボックスを、ニューヨーク級の場合は専用の一区画を介して、両者が直接繋がらないようにして安全対策としている。
そして中小口径砲ではさらに採用例がある。
日本海軍の場合、上で説明した狭義の砲塔とは違う、砲の直下に設けた弾薬供給所を経て砲へ至るタイプの砲でのルートの一部に確認できる。
具体的には駆逐艦の50口径5インチ砲、阿賀野型の6インチ砲、そして竣工時の古鷹型の20cm砲と言った物で、これらの砲では弾薬供給所からの揚薬が人力による手渡しである。
他国の例としては英リアンダー級等が搭載したショートトランク式の6インチ砲も似た構造で、やはり一部に手渡しでの揚薬を行っている。
この他にも吊り上げ式(crane hoistもしくはsingle whip hoist?)と言うべき物もあり、機能的にはエレベーター式に近い。
一次大戦期の米戦艦の一部で揚弾用に確認できる。
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・各国新戦艦主砲塔の揚弾薬機構まとめ
上で紹介した3つの要素を用いて分類する。
1:砲弾と装薬を同一の機構で運ぶ「一括式」か、別々で運ぶ「分離式」か。
2:弾薬庫から(給弾薬室)から砲室まで一気に運ぶ「直通式」か、上下に分かれ、途中の換装室で移し替える「二段式」か
3:各機構は「エレベーター式」か、「せり上げ式」か、「エンドレスチェーン式(dredger hoistか釣瓶式)」か
まとめ
日:大和
分離、直通式
揚弾:せり上げ式
揚薬:エレベーター式
米:ノースカロライナ~アイオワ
分離、直通式
揚弾:せり上げ式
揚薬:エレベーター式
英:KGV
一括、二段式
下部揚弾薬:エレベーター式
上部揚弾薬:エレベーター式
英:ヴァンガード
一括、二段式
下部揚弾薬:エレベーター式
上部揚弾薬:エレベーター式
独:ビスマルク
一括、直通式
揚弾薬:エレベーター式
伊:リットリオ
一括、二段式
下部揚弾薬:エレベーター式
上部揚弾薬:エレベーター式
仏:リシュリュー等
一括、二段式
下部揚弾薬:エンドレスチェーン式(dredger hoist)
上部揚弾薬:エレベーター式
雑感
一次大戦期まで主だった一括二段のエレベーター式は、この時期の砲塔を用いるヴァンガードはもちろん、それ以外でも採用艦が存在する。
大和と米新戦艦の砲塔は共に共通する形だが、これは米標準型戦艦の砲塔に関する情報が大和の砲塔設計に影響を与えた面が強かったからと思われる。
だたし米標準型の砲塔では揚薬筒は二段式なので、この部分は大和と米新戦艦が並行して同じ変化を遂げた形になる。
独戦艦の主砲塔は安全性重視の為に分離式を採用しているという言説も割とみられるが、今回調査したかぎり一次大戦期の砲塔を含め一括式が主流である。(ビスマルクの主砲塔は一見分離式に見えるが、斜めに直通する揚弾薬筒は補助のようだ)
また同砲が用いた直通のエレベーター式は、先述したように供給スピードの面で無駄が多い面があったが、むしろ独主砲は発射速度には定評があり、この部分の問題はなかった事になる。また安全性についても実戦で十分証明済み。
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・弾薬通路
揚弾薬機構によって船体直下の弾薬庫と砲を結ぶ形式に対して、一次大戦期までの艦に良くみられる船体中央にずらりと並んだケースメイト砲など、直下に弾薬庫を設ける事が物理的に不可能な配置も存在する。そのような配置でも十分な供給能力を持たせる方法の一つとして、弾薬通路という構造を持つ艦も存在していた。
これは各砲に対応する複数の揚弾薬筒を繋げる通路を設け、この中をコンベアや人力で弾薬を供給していく物である。
上はキングエドワード7世級の6インチ副砲用の弾薬通路を示した図。(平賀譲デジタルアーカイブ〔英国巡洋戦艦(Minotaur Class)弾薬庫関係図面〕東京大学柏図書館所蔵を一部改変)
前後に設けられた弾薬庫からこの層に上げられた弾薬が、副砲1門ずつに対応した片舷5基の揚弾薬機へと運ばれる流れが分かる。
そして大抵想像が付くと思うが、弾薬通路は防御上危険な構造とされる。
まず水線上に設けた場合、当時の配置的に上部装甲帯か水平装甲の上層を抜いた砲弾の被害が及ぶ可能性が高く、そこから連鎖誘爆を起こして致命傷を負う恐れも存在する。
一方で水線下に設けた場合、通路は水平装甲と石炭庫によって守られ、位置的に被害が及ぶ確率自体が低くなる上に、被害時には浸水が誘爆を防ぐ事も期待出来る。
しかし横隔壁を貫通する構造を水線下に設けてしまうと、被害時に浸水拡大の原因になりかねない上に、揚弾薬筒を通して爆炎が侵入する可能性は残されている。
実戦ではユトランドでの英装甲巡ディフェンスの爆沈原因とされる他、ドッガーバンクで独ブリュッヒャーが速力低下から集中攻撃を受け戦没する原因にもなっている。
なお前者は舷側の7.5インチ砲用に、前後の弾薬庫をつなぐ形で船体中央部を縦断する弾薬通路を水線下に設ける形。
そして後者の主砲は基本的に各自弾薬供給所を介して揚弾するタイプだったが、前部の舷側砲塔2基のみ対応する弾薬庫を持たず、代わりに後部舷側砲塔の弾薬供給所から弾薬通路を伸ばしていた。つまり水線上に設ける形のようだ。
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・砲弾
現時点では「戦艦砲弾に関するメモ」を参照
・被帽
装甲の貫通を助けるために弾頭部に被せられた鋼製の弾帽。主に表面硬化装甲に命中した際に弾体が破砕されるのを防ぐ、種類によっては逆に硬化層にダメージを与える機能を持つ。
19世紀末に開発され、20世紀初頭の弩級艦時代以降は徹甲弾において一般的に用いられるように。
なお一般書等では稀にだが、空力特性を改善するために設けられる「風帽」の事を被帽と呼称している例も見られる。風帽も「砲弾に被せる弾帽」ではあるので完全に間違いとは言い切れないが、機能的には全く異なる両者を被帽として一括りにしてしまうのは、誤解を招く原因になりかねない。
よって本ページでも最初に説明した、砲弾の貫通能力向上の為に設けられた物のみを被帽と呼称している。
なお被帽を持つ徹甲弾の事を被帽「付」徹甲弾と表記する例もあるが、旧海軍の史料を見ていると付を付けない被帽徹甲弾が主流のようなので、本ページではそちらを用いている。
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機関関連
本編で殆ど扱っていないように、現時点での知識では殆ど書ける事はない。
シフト配置
戦艦など十分な防御構造を持つ艦では相対的に重要度は下がるが、それ以下の比較的小型の艦においては生存性に大きな影響を与える。一方で機関部長が増して艦の大型化につながる上に整備性が悪化するデメリットも。
これも和製英語疑惑。
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戦史・戦術関連
単縦陣戦術
ブレーク将軍の戦闘教則に登場するなど、英蘭戦争のあたりから一般的に
戦列突破
ロドニーのセインツの海戦~テゲトフのリッサ海戦にて
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その他海軍史
条約・法令等
以前補足のページに載せていたメモなど。現時点では主に主力艦関連の内容のみ
・戦間期の海軍軍縮条約
ワシントン条約
・一次大戦後の建艦競争を受け1921年より協議、1922年2月に批准
・日米英仏伊が調印。軍縮会議にはオランダ、ベルギー、ポルトガル、中華民国の代表も参加
・主力艦を含む艦種の定義付け
・主力艦の新規建造禁止と未成艦の廃棄。(陸奥の保有に伴う例外あり。一部は条約内で他艦種に改装が可能)
・非締結国への廃棄艦の譲渡売却の禁止
・各国主力艦の合計排水量を規定(量的制限)
・艦齢20年を超える艦のみ代艦建造を認める→日英米の場合31年まで戦艦の建造禁止
・主力艦は基準排水量3万5千トン、主砲口径16インチまで(質的制限)
・改装による主砲口径・門数の増大や垂直装甲の強化を禁止(仏伊の戦艦と改装工事が遅れていた巡戦レナウンは一部が例外的に認められる)
・改装で認められる排水量増加は3000トンまで
・締結国が非締結国向けに建造する艦も質的制限内
・締結国が戦争に参加した場合一部制限の停止が可能。ただし非締結国向けに建造する艦の編入は禁止
・1934年日本が脱退を宣言。1936年末に失効
ロンドン条約
・1930年始めより協議、同年10月に批准(仏伊は一部のみ)
・主にワシントン条約で定めらなかった補助艦の制限を目的とした内容
・代艦を含め主力艦の建造禁止を五年間延長し36年までに
・ただし仏伊は27、29年に与えられた代艦建造の権利が認められる
・さらなる主力艦の廃棄。一部は練習戦艦に
・1936年末に失効。同年までに再び加盟国で軍縮会議を開く → 第二次ロンドン会議
第二次ロンドン条約
・1935年末より協議 1936年3月批准(日伊は調印せず)
・質的制限は新たに基準排水量3万5千トン 主砲口径14インチまでに
・ただしワシントン条約の締結国がこの条約に参加しない場合、37年4月より主砲口径は16インチまでに拡大
・加えて非締結国で制限を超過する艦が建造される場合、制限を超える艦を建造する権利を持つ
・その内容は締結国間の協議により決定され、1938年6月に基準排水量4万5千トン、主砲口径16インチまでの新しい質的制限を制定
・主力艦の定義がカテゴリーA(ワシントン条約で定められた定義)とカテゴリーB(排水量8000t未満だが8インチより大きい砲を搭載する艦)の2つに
・艦齢に関する規定はあるが量的制限を定めず→ワシントン条約の失効と共に海軍休日が終焉
・新規建造艦の内容通知を義務付け
・発効期間中は排水量17500t未満のカテゴリーA主力艦、ならびに10インチ未満の主砲を持つ主力艦の建造禁止
・締結国が戦争に参加した場合内容の一部もしくは全体の停止が行われる
・42年末まで効力を持つが39年9月の開戦により実質無効化
・その他の条約等
ヴェルサイユ条約内のドイツ海軍に対する軍備制限
・主力艦は前弩級戦艦6隻のみ保有
・賠償艦の指定
・艦齢20年を超える艦は排水量一万トンまでの代艦建造が認められる
・代艦には主砲口径の制限は存在しない
英独海軍協定
・1935年6月締結
・対英35%の水上艦艇の保有量が認められる
・現行の軍縮条約におけるカテゴリ分けと質的制限を受け入れる(1938年よりエスカレーター条項が適応された可能性も)
・将来無条約もしくは条約内での制限が行われなくなった場合、その際の状況に応じて35%の比率を変更する権利を持つ
英ソ海軍協定
・37年7月締結
・ソ連海軍が誕生以降初めて条約体制に組み込まれる
・主力艦は第二次ロンドン条約で定められた個艦の質的制限と建造通知の義務付けを適応
・条約不参加の日本が制限を超える艦を建造する場合、太平洋艦隊向けの主力艦は質的制限を免除。ソユーズ級が6万トン近い巨艦として計画された背景に
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その他
・怪文書
このページの別名。身内からは「そもそもどう読めばいいかわからない」と評判。
・忠実
まったく関係ないがたまに「史実」と言う単語が入るべき文で間違えて使っている人を見かける気が。意味はもちろん読みも全く異なるが、「恣意的」を「懇意的」と間違えるように視覚的に似ているのが原因か。
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研究史・説・議論等
基本的に過度な否定論に対して否定的という、消極的なスタンスの人間が書いてる物だと思ってもらえれば。
・大和型不要論
まず大戦前の時点での戦艦廃止論については、後知恵の極みとしか言いようがない。
そういった結果ありきの批判をしている人は、仮に二次大戦期に本当に日本海軍が戦艦建造を行わなかった場合、どのような事を言うのだろうか。偏見だが、第三次ソロモンの第二夜戦のような海戦が生起していたとして、この件を持ち出して「対抗できる戦艦を作るべきだった」と逆の事を言っているのではないだろうか。
また新戦艦の建造は行うにせよ、そこまでの巨艦でははなく規模を抑えた高速戦艦の方がコストパフォーマンスの面で適していたのでは、という意見も存在する。
実際に大和建造に莫大なリソースを費やしていた点は否定できないが、たとえ規模を抑えたとしても戦艦という時点で、ドックの占有期間や装甲主砲の製造などを含めた負担は重い物になり、何がコストパフォーマンスの面で最も優れていたか考えるのは中々に難しい。ここではそうとだけ書いておきたい。
・大和副型砲弱点説
新戦艦編で述べているので細かい部分は割愛。
結論のみ述べると、これが本当に致命的な弱点なら、大和以外にも戦艦という兵器全般が致命的な弱点だらけで構成される事になってしまうだろう。
そもそもこの説は第1デススター的というか、インパクトがあり娯楽のネタとして消費しやすいので、説自体の論理性以上に広まった物という印象を勝手に持っている。
こういうインパクトがあり分かりやすい物は、簡単に知的好奇心を満たす事ができるという意味では魅力的だが、同時に真実を追求する上で危険を孕むという認識は常に持っておくべきだろう。
両用砲統一VS混用
上の件に関連して、二次大戦期の戦艦副兵装は両用砲一種に統一した物と、中口径副砲と小口径高角砲を混用する物、どちらがより適した物かという点も議論の対象になるだろう。
一応30年代以降の新造戦艦の例を出すと、英米そして仏ダンケルク級が統一、日独伊に仏リシュリュー級が混用。ただし大和やリシュリューの中口径砲は対空射撃を行う両用砲的な能力が(実態はともかく)期待された物である。
結果論になるが、二次大戦時の環境において対空能力があり過ぎて困るという事はない物なので、その点では両用砲統一の利点は大きいと思われる。
一方でこの時代でも副兵装による水上射撃能力は水雷戦力への自衛等で軽視できない部分があり、そしてKGV級の5.25インチ砲が失敗したように(砲自体は同じでも指揮装置や砲架が変更されたヴァンガードでは多少改善しているが)バランスの取れた真の意味での両用砲開発は普通に難しい物である。
そのハードルを考えれば、状況によっては多少効率で劣ってしまうが、副兵装を2種に分け分業する事は堅実な選択とも言えるだろう。
また全体の戦力的に見た場合、護衛の補助艦を多数用意出来る国は両用砲統一、できない国は自衛用に中口径混用という考え方も可能である。実際の優劣はともかく流れとしては順当な物と思われる。
大和全門斉射できない説
松本喜太郎大佐の『戦艦大和 設計と建造』には、主砲塔を支えるリングサポートが2門分の同時発射を基準に設計されたという記述があり、そこから全門斉射時を含む1砲塔3門すべての発射に耐えられない(使用を想定していない)のではないかとする説。
そもそも日本海軍は昭和初期まで水圧の問題で交互打ち方を主な打ち方として用いており、この問題が解決した以降も基本としていた。
全門斉射と比べて散布界内での密度が下がってしまうのが欠点だが、同時に斉射間隔を短く出来る利点もあり、なにより使い慣れた射法である。戦闘力に致命的な影響が出る物ではないという意味では、特にどちらでもいいかなと(架空戦記作家にとっては死活問題だが)。
なお交互打ち方のみを用いたと仮定した場合、サマール沖での斉射回数と発射弾数が合わない事から、少なくとも2基6門での斉射は実戦で行っていたものと思われる。
大和船体強度不足説
大和武蔵両艦共に海底調査で前部主砲塔間の同じ様な位置で船体が折れている点から、強固なバイタルパートとそれ以外の船体の間で縦強度の不連続に伴う強度不足が発生していたという説。
造船工学の初歩的な知識すらない筆者ではまったく分からないとしか言いようがない。
その上で他の部分の重箱の隅をつつく方向で書いていくと、説の提唱者は先述した「設計と建造」にも不連続性があった事を匂わせる記述が存在したとしている。
確かに松本大佐は(途中の重量増加への対応を含め)前後部など一部は構造的に無理をし過ぎたという旨の回顧をしているが、これは文脈ならびに内容から、不連続性というよりは武蔵戦没時の艦首の急速な浸水の原因になった点への反省である。
むしろ同書では不連続性について、最上型で起こった砲塔旋回不能事件を失敗例として挙げつつ、大和型では縦通材がバイタルパート前後の横隔壁装甲で断ち切られないように通すなど、十分な対策をとったと明言している。
加えて提唱者は「舷側装甲を船体構造材として用いた」点が不連続性を加速させたとしている。しかし実際に大和の舷側装甲で船体構造に組み込まれたのは、一般的に舷側装甲としてイメージされる水線部の装甲帯ではなく、水中弾防御用の下部装甲のさらに下端部分のみである。
以上のような事実の誤認、もしくは誇張のような内容が含まれるのは気になる点である。
追記。最近の書籍でもこの説に関する主張がなされていたが、それによると参考にした松本大佐の書籍は『設計と建造』ではなく『戦艦大和 その生涯の技術報告』であったようだ。
同書も(現時点では時間の関係で詳細にとは言えないが)確認する機会があったが、その内容は大部分が『設計と建造』にも掲載された物(時系列的には本書が先)で、少なくとも上で挙げた構造に関する記述も変わらないと理解している。
縦強度に関する記述はP.151~153にあり、ここでは水線部の装甲帯と中甲板の水平装甲は船体構造材に用いていないと断言しているし、下に貼ったその事を示す図は、『設計と建造』にも掲載されている物だが、この時点で確認出来る。
『戦艦大和 その生涯の技術報告』P.152より抜粋
またP.249では武蔵戦没に関して前後部など構造的に無理をし過ぎたという記述もあり、それは文脈から縦強度ではなく間接防御に関する問題を指すと考えた方が自然という点も同じである。
また上記の点以外の主張についても、正直色々言いたくなる物である。
まず構造材としての装甲利用について、(通常の船で強度材となる)キールやフレームの「代わりに」装甲を用いたと取れる記述が存在する。これは該当箇所がまるで装甲のモノコック構造になっているとでも取られかねない書き方だろう。
次に実戦で大和型が経験した被雷時の装甲背後への浸水についても、この「装甲を構造材しても用いた」構造が原因としてる。さらっと流していたが、これも事実であれば強度不足説と同じく通説を塗り替える大胆な新説である。
(通説における浸水の原因は、棚板に鋲接された楔状受け材からなる装甲帯の支持構造にあり、トーペックス弾頭を用いた米魚雷の威力で支持構造ごと装甲帯が押し込まれた結果背後に浸水が発生。加えてスケートからの被雷時等は被雷箇所が背後の隔壁が他より一層少ない場所であった点が被害を拡大させたとされる)
中央部のみ厚い装甲を構造材として用いれば、それ以外と縦強度上の不連続に繋がるというのは(仮に事実であれば)感覚でも理解出来るが、この点については説明がないので全く理解できない。
仮に背後の支持構造がそのままで、装甲を構造材として用いない場合は何が変わるのか、提唱者はきちんと説明し論じる必要があると感じる所である。
加えてこの件を造船官、より正確には元造船官による旧海軍艦艇史観への批判に使うのはどうなのかという所もあるが、面倒なのでこの件はノーコメントで。
最後に装甲はボイラーの水蒸気爆発等内部からの衝撃に耐える為の物ではないので、バラバラになった海底の残骸から構造材としては使えないという話だが・・・装甲が吹き飛ぶ規模の爆発に対して、普通の構造材の方が何か期待出来る物があるとでも言いたいのだろうか。
これは何度も言う通り、水線部の装甲が構造材として本当に使われているのかという部分からの問題で、その上で最低でも同じような内部爆発をおこした艦の残骸との破壊状況の比較を行って、初めて証明される事だと思われる。それなしに決めつけるのはちょっと浅慮と言わざるを得ない。
以上に加えこれは編集の怠慢と言うべきだが、被雷時の文章で「上部"水平"装甲帯」と言う、垂直(舷側)装甲と水平装甲を取り違えた初歩的な誤字が二度も出てくる。それらの事もあって、この説と提唱者に対する個人的な心象はかなり悪いというのは否定できない。
大和そのものというより大和を取り巻く歴史観に寄った話だったのもモヤモヤする点で、そもそもテーマ的に、もっと砲塔の話を書くべきだったのでは・・・(一番言いたい事)
水中弾効果を高めた砲弾や蜂の巣甲鈑と言った物は日本海軍独自の物、もしくは世界で最初に採用した物である説
別ページでも既に扱っているがここでも否定しておくと、普通にそんな事はない。
まず水中弾効果を高めた砲弾については、対潜弾等を除いた場合でもフランス海軍が戦艦主砲用として一次大戦中に計画20年代に採用と、日本海軍に先行する物が存在した。
これに関連して、『海軍砲術史』や黛治夫大佐の著作にはフランスでの水中弾研究に関する記述が存在するが、実際に主砲弾に採用していた所までは周知されなかった物と思われる。
なお仏海軍の砲弾は風帽の根本から先が脱落して平頭状になるのに対して、日本海軍が(戦艦主砲用の)88式以降に採用した砲弾は「被帽頭と被帽の二つを設け、前者と風帽が脱落する事で平頭弾になる」という風に構造が異なる。
この水中弾効果を高める為の構造に対象を限定した場合、確認できる範囲では日本海軍独自の物と言って良さそうだ。
そして蜂の巣甲鈑は確認出来る範囲では米独仏の戦艦で採用されている。また実際に採用された物ではないが英戦艦の改装計画にも登場している。
そもそも以前の煙路にはアーマーグレーチングを設けていたわけで、これを穴を開けた装甲板に変えるという発想に至るのは別に難しい物ではないだろう。
戦後に大和の計画主任である福田啓二中将が寄稿した文章では、当時米国出張中だった松本喜太郎大佐が蜂の巣甲鈑について「こんな物は米国の新戦艦にもない」と発言したエピソードを残している。
他国での採用状況についてこの2人が普通に知らなかったとすると、他の造船官や戦後初期の研究者なども知らないまま独自の物として広めてしまった流れが想像出来る。
平賀藤本論争
造船官に限らず、内外からの評価というのは自己保身に責任転嫁といった相反するバイアスが多重にかかった物である。冷めた目で見るくらいが丁度いいと思っている。
・ビスマルク旧式論
筆者は設計の新旧というよりは、運用の違い等の影響で他国とは「方向性が違う」艦になったという認識。
実際に各国新戦艦の中では、装甲配置の面でバイエルン級等一次大戦期の艦に似ている部分があるのは確かだし、日米海軍が想定した遠距離戦中心の艦隊決戦を想定した場合、この設計にマイナス面があるのも否定できない。
しかし、それはあくまでも特定環境下での一視点(もちろん戦艦という兵器にとって非常に大事な物だが)に過ぎないもので、ここでの優劣だけで他の視点における評価まで否定してしまう「旧式」という言葉を使ってしまうのは、正直言い過ぎだと考えている。
また以前述べたように、遠距離砲戦という環境を認識し、防御面含めドイツなりに対策を行った結果が本級である。その環境での戦闘能力も一次大戦時の艦と比較して大きく改善された物である為、ここも旧式という言葉では語弊が生まれる面があるだろう。
なお旧式論は(戦艦にとって特に重要な)攻防面の要素、特に後者のコンセプトに対する評価が主体であり、その他を構成する技術的要素を見た場合、他国並かむしろ意欲的な面が多数存在する。
それらには、高温高圧缶の採用、溶接の広範囲導入、各動力の電力利用と交流電流の使用、ジャイロを利用した射撃指揮装置や対空砲架の安定化などを挙げる事ができる。(最初の二つは場合によってはデメリットが怖いが)
最後に本級に関しては近年ネット上で扱いが特に悪いと感じているが、これはドイツ戦艦編でも述べたように「詳細が分からなかった時代に過度な賞賛と他戦艦への叩き棒に使われていたのがヘイトを買っていたから」と想像しているが、特に根拠はない。
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