おまけ6 艦砲と(略)イタリア・フランス戦艦編

2015年11月公開

※注意 相変わらずこのページでは管理人の趣味と妄想が垂れ流されています。前のページの注意書きを読んでから閲覧することをお勧めします

そろそろ書くことが無くなってきたが公開。未完成 
今回もそれぞれの艦がどこまでのサイズの艦砲に耐えられるか、サイズ別に代表的な艦砲を勝手に選んで計算してみることとする。
計算法などについてはこのページを参照。相変わらず重要区画以外をほぼ無視しているが、ここにて一部扱っている。


使用する艦砲は以下の通り貫通力はそれぞれ第一次大戦期の表面硬化、均質装甲に対して。カッコ内は30度)

55口径8インチ マーク12/15   マーク19(非SHS)
搭載艦艇 ニューオリンズ級、ウィチタ 
砲弾重量118kg 初速823m/s 最大仰角41度 最大射程29km
貫通力 
18.3km 垂直142mm(125mm) 水平40mm

27.5km 垂直94mm(84mm) 水平104mm

54.5口径34年式28cm砲   L/4.4
搭載艦艇 シャルンホルスト級
砲弾重量330kg 初速890m/s 最大仰角40度  最大射程41km
貫通力
18.3km 垂直312mm(253mm) 水平53mm

27.5km 垂直224mm(180mm) 水平84mm
備考 ドイッチュラント級の28cm砲よりもわずかに重い砲弾を使用。最大射程で上回り、落角が浅めになる為より優れた垂直貫通力を持つ。
そのかわりに20km以降での水平貫通力で劣る。

45口径41年式36cm砲 九一式
搭載艦艇 金剛、扶桑、伊勢型戦艦
砲弾重量673.5kg 初速770m/s 最大仰角43度 最大射程35.5km
貫通力
18.3km 垂直353mm(292mm) 水平76mm

27.5km 垂直262mm(221mm) 水平137mm

45口径14インチ マーク7   マーク7B
搭載艦艇 キングジョージ五世級
砲弾重量721kg 初速757m/s 最大仰角40度  最大射程35km
貫通力
18.3km 垂直404mm(333mm) 水平81mm
27.5km 垂直305mm(241mm) 水平147mm
42口径15インチ マーク1 マーク17B
搭載艦艇 
クイーンエリザベス級、レナウン、ヴァンガード(初期の戦没艦とR級を除く英15インチ砲艦)
砲弾重量879kg 初速749m/s  最大仰角30度 最大射程30km
貫通力
18.3km 垂直452mm(368mm) 水平86mm

27.5km 垂直345mm(272mm) 水平147mm
備考 英戦艦編を参照

45口径16インチ マーク5/8   マーク5 mod.5
搭載艦艇 コロラド級
砲弾重量1016kg 初速768m/s 最大仰角30度  最大射程32km
貫通力
18.3km 垂直472mm(396mm) 水平89mm

27.5km 垂直358mm(300mm) 水平147mm

45口径94式46cm砲  九一式
搭載艦艇 大和型
砲弾重量1460kg 初速780m/s 最大仰角45度  最大射程42km
貫通力
18.3km 垂直561mm(437mm) 水平104mm

27.5km 垂直430mm(358mm) 水平150mm

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イタリア海軍編

・初期の艦について
このページもできる事なら装甲艦時代から始めたい。
まず近代イタリアは中世以降の分裂状態から、1861年にサルデーニャ王国を中心に誕生した国家である。
つまり同じような時期に統一や体制の転換を経て、のちの時代には枢軸国として手を組むドイツや日本と同じく、帝国主義渦巻く国際社会に遅れて参入した国の一つとなる。
成立後は統一時に解決しなかった領土問題(未回収のイタリア)をめぐり、同地を保有するオーストリア帝国を敵対視する流れが強かった点も特徴である。


編集予定

なぜかイタリア級装甲艦の配置図を作ってしまったので掲載。上甲板より上は大体省略。


まだ編集してないので適当な事言うと、何度見ても天才的というか過渡期の極みみたいな素晴らしい艦だと思う。

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第二次大戦期の旧式改装戦艦

コンテ・ディ・カブール級(大改装後)
1910年起工 1914~55年就役 33~37年改装
27,000t 186.4m  1934年式44口径32cm砲 連装・三連装各2基10門  27~28ノット

装甲厚
垂直防御 250mmKC → 20mm×2傾斜60度内傾
砲塔前盾 280mmKC傾斜20度(内傾)推定
バーベット 50mmNCV→ 230mmKC
バーベット(艦内部) 150mmTC → 50mmNCV → 130mmKC
水平装甲(弾薬庫) 24mmDS+18mmDS→ 30mmHT → 100mmNCV → 12mmHT×2 ≒  131mmNCV/125mmNCV1.4 1 0.7
水平装甲(機関部) 24mmDS+18mmDS → 30mmHT → 80mmNCV≒  109mmNCV
砲塔天蓋 85mmKNC水平~傾斜10度(推定)

上部装甲帯→甲板 あり
上部装甲帯→傾斜部 あり
上部装甲帯→縦隔壁 あり

船体 長船首楼型

コンテ・ディ・カブール級安全距離

 装甲部位\艦砲

8インチ

28cm

41年式36cm

14インチマーク7

15インチ

16インチ

46cm

 垂直装甲 6.5km以遠 23km以遠 28km以遠
31km以遠 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
 砲塔前盾 6.5km以遠 26km以遠 安全距離なし 安全距離なし  安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
 バーベット(露出部) 2.5km以遠
(4km以遠)
14.5km以遠
(16.5km
以遠)
28.5km以遠
(31.5km以遠)
31.5km以遠
(33km
以遠)
安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
 バーベット(艦内部) 3.5km以遠 18km以遠  25.5km以遠 28.5km以遠  安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
水平装甲(弾薬庫)  貫通不能 32kmまで 25.5kmまで 25kmまで 24.5kmまで 24kmまで 20kmまで
水平装甲(機関部) 貫通不能 31kmまで 24kmまで 22.5kmまで 22.5kmまで 21.5kmまで 17kmまで
 砲塔天蓋 26km
~23kmまで
27.5kmまで 
~20kmまで
21kmまで
~安全距離なし
20kmまで
~安全距離なし
18.5kmまで
~安全距離なし
17kmまで
~安全距離なし
14kmまで
~安全距離なし

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垂直装甲(30度) 3.5km以遠、16km以遠、22km以遠、26km以遠、29km以遠、安全距離なし、40km以遠

とりあえず現時点では、第二次大戦に参戦した戦艦並びに、完成していればその中にあったであろう同時期の未成艦、計画艦を中心に取り上げたい。
まずは戦間期の大改装で知られる、コンテ・ディ・カブール級について。

本級の前にイタリア海軍は1909年より、初の弩級戦艦であるダンテ・アリギエーリの建造を開始していた。
同艦は主砲として三連装砲塔を最初に導入した戦艦であり、これを艦の中心線上に四基搭載することで、12インチ砲を片舷に12門の火力を発揮可能である。
これは英独が建造した弩級戦艦に勝る面すらあるが、砲塔製造の遅れなどから建造は遅れ1913年に竣工している。
既に英国では13.5インチ砲艦が多数竣工するなど、所謂超弩級戦艦の時代に完成してしまった。(一応日本の河内型やフランスのクールベ級と言った他国弩級艦とは大差ない時期ではある)

さらに第一の仮想敵とされたオーストリア=ハンガリー海軍も、初の弩級戦艦であるテゲトフ級四隻の建造を1910年より行っている。
その内一隻は12年末に完成して、「最初に完成した三連装砲塔搭載戦艦」の称号は同級に奪われてしまった。
また主砲配置は両者とも中心線上に4基12門を搭載しているが、アリギエーリは各砲塔を同じ高さに搭載しているのに対し、テゲトフ級は艦の前後部で二基を背負い配置する形になる。
これによりテゲトフ級は砲塔が占める長さを短縮して重量を軽減したり、艦首尾方向への指向門数が多いなどの恩恵を受けている。
さらに装甲も全体的にテゲトフ級の方が厚く、本艦はそれと比べるとやや劣っている部分もあると言える。

本級はテゲトフ級への対抗も込めて、イタリア弩級戦艦の第二陣として1910年より建造された。
こちらは主砲の背負い配置を採用し、三連装砲塔と連装砲塔を混載して前後部に5門ずつ配置。
これで艦首尾方向への火力を増したほか、さらに船体中央部に砲塔を一基追加して片舷の砲門数を前級より一門多い13門としている。(地味に竣工した艦ではエジンコートに次ぐ弩級艦中第二位)

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竣工時における重要区画内の装甲配置を見て行くと
まず船体形状は長船首楼型で、船首楼甲板が四番砲塔まで続いている。その為、五番砲塔を除く重要区画上の甲板は基本的に船首楼から下甲板までの四層になる。
装甲帯は水線下から下甲板の高さまでにある主装甲帯が250mmと最も厚く、この上に220mm(下甲板から中甲板まで)、130mm(中甲板から上甲板まで)と続く。
また船体中央部に限り副砲防御として上甲板から船首楼甲板までの間に110mmの装甲帯も加わる。
これはドレッドノートと比較すると主装甲帯の厚さで1インチ劣るが、一段上の装甲帯(ドレッドノートは8インチ)では勝る。
さらに同艦はそれよりも上(中甲板から船首楼甲板)に装甲帯を持たない為、装甲範囲では本級が優れている。
と言う風に初期の弩級艦のくくりでは十分な物だが、同時期の弩級・超弩級戦艦と比較すると全体的な厚さで劣ることは否めない。
一応はライオン級を含む英巡洋戦艦、もしくはガングートやアルミランテ・ラトーレなど比較的軽装甲の戦艦に対しては、一部で劣るが全体の防御力では比較できるか勝る程度ものは持っている。 

砲塔は前盾280mm、バーベット露出部230mm、天蓋85mm。
前盾は同時期の英独戦艦に劣らないが、バーベットはやや薄く巡洋戦艦並み。天蓋は戦艦と巡洋戦艦の中間程度と言った具合。
水平装甲は最も厚い甲板で44mm、上甲板若しくは中甲板が30mm、下甲板が24mm。すべてHT鋼相当の鋼材を二枚重ねにしたもので、炸裂した砲弾の弾片が重要区画に飛び込むのを防ぐ程度の防御力。
それでもネヴァダ級を除くこの時期の艦としては普通の厚さであり、大きな差はない。

なお本級もこの時代の多くの艦と同じく、下甲板の外側40mm部分は傾斜して装甲帯の下端に接続。この部位への弾片防御として機能している。

竣工時の砲弾に対しては、比較的薄い130~110mmの上部装甲帯が弱点になると予想される。
ただしその部分とバーベット被弾からの誘爆による被害さえ防げれば、ドイツ11・12インチ砲艦に対しては有効な防御力を示すことが出来ると思われる。

つまり同程度の威力を持つであろう、テゲトフ級のシュコダ社製12インチ砲にも一部を除けば有効と言える。
結局大戦では消極的な運用により戦うことはなかった両級だが、テゲトフ級は砲弾性能や装甲品質を含めた攻防力での優位を持つ点から、本級にとってかなりの難敵である。
ただし排水量の割に詰め込みすぎた事から生じる不具合も無視できない面もあり、本級が明らかに劣るかと言えば、決してそのようなことも無いだろう。

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ここからが本題で、30年代に行われた改装について。

イタリア海軍は15年までに本級を三隻すべて完成させているが、翌年に三番艦のレオナルド・ダ・ヴィンチを事故で失い、さらに後続の戦艦計画の一部(後述予定)は大戦により消滅している。
その結果として海軍休日の時代には、本級とその改正型である次級カイオ・デュイリオ級の計四隻が同海軍の最も有力な主力艦となる。
といっても12インチ砲艦である本級は他国の主力戦艦に対して不利は明らかな上に、水雷兵器などの攻撃に対しても脆弱だとして、海軍は本級を含む既存の戦艦部隊の価値を低い物と見做していた。
さらに当時は、新たに主な仮装敵となったフランス海軍との間で補助艦の戦力を競い合っており、多額の費用を要する戦艦の改装にも特に興味はなかったとされる。
結果として前級アリギエーリは艦齢20年を待たずに28年に解体、本級の二隻も20年代後半には一線を退いている。

このまま何事もなく艦歴を終える可能性もあったかもしれないが、32年にフランスが代艦として建造を開始したダンケルクの登場により状況は一変する。
同艦はドイツ装甲艦の撃破を狙った高速の中型戦艦だが、こちら側は同艦に対抗できる高速艦は存在せず、補助艦を一方的に撃破されかねない事態となる。
さらに純粋な戦闘能力も、13インチ砲を搭載して最低でも対28cm砲防御を持つと予想された事から、本級よりも強力な艦である事は確実である。

これに対抗するには、こちらも代艦として新型艦を建造するのが望ましい。
当時検討されていた案としては、比較的小型の巡洋戦艦的な艦と防御を兼ね備えた3万5千トンの高速戦艦案が存在したが、計画の進行段階からしてどちらにせよ完成は遅れる物だった。
(結局この計画は4万トン越えのリットリオ級として40年より完成。これらの計画については後述予定)

そこで白羽の矢が立ったのが本級を含む既存の戦艦で、ダンケルクに対抗できる戦力への引き上げを木手に、33年より四年近くをかけて大規模な改装が行われることになる。

改装内容については長くなりそうなので、このページの内容に沿う物(主に装甲配置)を中心に紹介したい。
といっても改装による外観の変化は兎に角すさまじい。
空母とか標的艦への改装みたいな艦種を変更するものはともかく、単純な近代化改装による変化としては一番外観が変わった近代戦艦ではないだろうか。

なお本級の改装が行われた時期には、ワシントン条約で艦の戦闘能力に大きく影響する、主砲口径若しくは門数の増大と垂直装甲の強化が禁じられていた。
これ以外の主砲仰角の拡大、水平・水雷防御の強化、機関の更新などは認められるも、改装による排水量増加は3000t以内に収めなければならない。
するとダンケルクに対抗できる程の大きな改装を行うこと難しい事になるが、幸いにも仏伊両海軍ではこの規定が緩く、最初に挙げた主砲と垂直装甲の強化が特例として許可されていた。

主砲は条約制限の16インチまで強化する事が許されていたが、口径を拡大するとしても本級の船体で十分な門数を確保するのには限界もあり、さらに新しく砲塔などを設計する時間が問題である。
そこで苦肉の策として、既存の12インチ砲の内筒を削って口径を320mmに拡大。新たに設計する部分を極力減らしている。
またダンケルク級に対抗する上で速力は必須であり、機関に充てるスペースを確保するために船体中央部の第三砲塔を撤去、これにより砲門数は10門に減少している。
他にも機関部上で下甲板の中央部を廃したり、先述したように煙突の配置も変えて、機関出力の向上に努めた。
これにより最大速力は改装前の22ノット付近から27ノット(過負荷で28ノット)となり、ダンケルクにはやや劣るが、不利にならない程度の物に強化された。

防御面を見ると、現状では殆ど無いに等しかった水平・水雷防御が大きく強化されている。
その他の改正内容も含めて上の表の解説に移りたい。なおダンケルク級の33cm砲に対する安全距離は中戦・大巡編に掲載。


(上図の左が改装前、右が改装後となるが、あくまで模式図。省略したり正確でない部分が普通にあるので注意)

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まず垂直装甲から、先述した通り本級はこの部分の装甲を強化する事が許されているが、250mmの主装甲帯並びに一段上の220mm装甲に変化はない(背後の構造も一部を除いてほぼ変わらず)。

おそらく工事にかかる時間が現実の改装以上に伸びる上に、他の改装でかなり吃水が深くなっており、これ以上の重量増加を避けたかった等の事情があったのだろう。
その結果として防御力は改装前と同一であり、この時期の戦艦主砲に対しては不十分としか言えない。
一方で上部装甲帯の一部は強化されているが、この部分に関しては水平装甲の後で。

砲塔前盾も強化は可能なはずだが、装甲厚は改装前と変わらない。  
バーベットは面白い強化を行っており、既存の装甲(露出部230mm、艦内部130mm)に貼り足す形ではなく、明らかに間を空けて50mmの装甲を外側に追加している。
つまりリットリオ級の装甲帯(新戦艦編を参照)の様に、外側の装甲で被帽脱落を狙った構造となる。
艦内部の範囲では、上部装甲帯を貫通する時に被帽は失われるので、普通に貼り足せばいい気もするが、装甲帯ではなく船首楼甲板を抜いた砲弾への対策だろうか。
この構造が機能するかについては、外側の装甲は厚さ50mmで十分なのかと言う点、そしてバーベットとの間に十分な距離があるかと言う点が問題となる。
どうやら次級の改装では普通に貼り足す形にされたようなので、うまく機能しなかった可能性が高いと思われる。

表では前回と同じく、厚さの6.5倍(325mm)までの口径を持つ砲弾に対して機能する物とした。

次に水平装甲に関して
元々一定の程度の厚さを持っていた砲塔天蓋は手つかずだが、防御力的には弱体であり、特に傾斜部はこの時期の艦砲には耐えられない。

一方で船体の水平装甲は、中甲板が弾薬器100mm、機関部80mmの均質装甲を有する装甲甲板となり(一枚板なのか既存の甲板に貼り足す方式かは不明、表では一枚とした)、船首楼も厚さは大差ないが、新しい鋼材で貼りなおされた。
改装前の各甲板に薄い甲板を設けた形から、中甲板(上述の下甲板撤去により、機関部では重要区画で最も下を通る甲板となる)が主、船首楼甲板が補助的な防御を担う、より有効な構造へと強化された。
表の方ではそこまで優秀とは言えないが、少なくとも垂直装甲と異なり、それなりの距離で自艦クラスの砲には通用する物となっている。
ただ二番艦のジュリオ・チェザーレは英ウォースパイトの15インチ砲を24km付近で受けている。
その際に装甲が貫通されることはなかった(対空砲弾に誘爆して一部ボイラー内に被害あり)が、運が悪ければもっと大きな被害となっていた可能性もあっただろう。

一方で上図を見れば変わるように、実は中甲板の強化範囲は船体幅の半分程に過ぎず、それよりも外側の部分は改装前の30mm(18mm+12mmの二枚重ね)のHT鋼のままである。
この範囲に達するには、150mmから120mmに強化された上部装甲帯を貫通する必要があるが、8インチ砲ならともかく、戦艦主砲ならに対する防御としては不十分としか言いようがない。
尤もイタリア海軍もそのことは認識していたようで、上部装甲帯並びに中甲板の外側を貫通した砲弾に対して、さらに内側に装甲を設けている。
これは中甲板の強化範囲を閉じる形で下甲板まで続く70mmの縦隔壁、そして縦隔壁と傾斜部の間の下甲板に50mmの水平装甲からなる。
つまり上図の二番目の矢印のように、150mmの上部装甲帯→30mmの中甲板外側→70mmの縦隔壁もしくは50mmの下甲板が重要区画を守る事になる

このような複雑な配置になった理由は不明だが、本級は改装時の重量増加によりかなり吃水が深くなっているのが原因の一つだと想像できる。
どれぐらいかと言うと、主装甲帯の250mm部分はほぼ水中に没し、その上の220mm部分も少し傾斜すれば水没する具合で、予備浮力の観点からしても、これ以上の重量増加は望ましく無いと思われる。
そして中甲板の外側は上部装甲帯の多重防御になるので、そこまで強化範囲にしてしまうのは無駄だとされたのかもしれない。
結局この方式では縦隔壁などを新設する為に別の重量が掛かっているが、こちらは中甲板よりも下の装甲帯(220mm部分)を抜いた砲弾に対して防御力を発揮する可能性もあるという別の利点もある。
むしろ縦隔壁などを設けるために中甲板の範囲が犠牲になった、という全く逆の流れも想像できるかもしれない。

ちなみに、本級の中甲板の様に中央部のみが有効な装甲となる例は(途中で傾斜部となる艦を除くと)、ロシアのボロジノ級巡戦の中甲板、そして改装後扶桑型(船体中央部のみ)の下甲板がある。
その他戦艦編でも述べているが、ボロジノ級も上部装甲帯から中甲板の外側を貫通した砲弾への対策に、厚めの縦隔壁を持っている。改装後の本級とは特に似た配置と言えるだろう。

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まとめると改装後の防御は、とりあえず水平装甲の強化は大きいが、それ以外はあまり強化されず、戦艦主砲全般に対する防御力は不足している部分が大半となる。
やはり大改装と言っても、元々の船体サイズや工事期間による制限は大きかったと言わざるを得ない。

またダンケルク級の主砲に対しても水平装甲はともかく、垂直装甲の防御力不足が目立つ。
こちらの主砲も同級の一番艦に対しては中近距離で有効ではある為、交戦時には勝機が無い訳ではないが、基本的には不利だろう。

また実際に交戦する事になる英戦艦が相手となると、どの艦も14インチ以上の艦砲を搭載している事もあり、まともに殴り合ってはただでは済まない相手ばかりである。
比較的装甲が薄く本級の主砲が通用するレナウン級、そして水平装甲の強化を行えず速力もかなり低下しているR級・QE級の未改装艦なら勝機がある程度だろう。

カイオ・デュイリオ級(大改装後)
1912年起工 1915~53年就役 37~40年改装
 27,000t? 186.9m  1934年式44口径32cm砲 三連装・連装各2基10門   26~27ノット

バーベット(露出部) 50mmNCV+230mmKC
バーベット(艦内部) 150mmTC → 50mmNCV+130mmKC

 バーベット(露出部) 7.5km以遠
(9km以遠)
20km以遠
(22.5km
以遠)
24km以遠
(27km以遠)
28.5km以遠
(30km
以遠)
安全距離なし 安全距離なし 40km以遠
(安全距離なし)
 バーベット(艦内部) 2km以遠 14.5km以遠  20.5km以遠 22km以遠  29.5km以遠 安全距離なし 安全距離なし

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次に計画されたカイオ・デュイリオ級(アンドレア・ドリア級)は、カブール級の改正版として15年から16年に2隻が完成している。
副砲の口径が拡大して配置も前級と異なるが、主砲門数や口径、装甲配置などはほぼ同じものを踏襲している。
また船体は船首楼甲板が前部煙突で途切れる形となり、第三砲塔の高さも異なるが、こちらも大改装により前級に準じた艦容に変化した。
改装後の相違点としては副兵装がより新型の135mm砲に改められた点、過負荷時の出力が低く最高27ノット(それ以外は26ノット程度)止まりだった点が挙げられる。
装甲配置では、先述したようにバーベットの強化方法が異なり、50mm装甲を普通に貼り足している。

本級の工事が開始された1937年には海軍休日は終わりを告げ、各国は新型艦の建造を開始している。
当然イタリアも余裕があれば、リットリオ級もしくは新型の高速艦を計画・建造することに制限はない。
たしかに改装を行えば、より確実に近代的な戦力を手に入れるという点に違いはないのだが、個艦性能がどうしても十分とは言えない点や、その割に改装費用が高騰してしまった点は気になる部分である。
結果論に過ぎないが、新造艦の方が良かった面があったのではとも思える選択である。


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フランチェスコ・カラッチョロ級
1914~15年起工 未完成
31,400t  212m  1914年式40口径15インチ砲 連装4基8門 28ノット

装甲厚
垂直防御 300mmKC → 35mmHT傾斜約50度(内傾) →10mm
砲塔前盾 400mmKC傾斜20度(内傾)推定
バーベット(露出部) 300mmKC
バーベット(艦内部) 230mmKC → 不明
水平装甲 16mmHT → 30mmHT ≒ 38mmHT/16mmHT
砲塔天蓋 150mmKNC水平~傾斜10度(推定)

上部装甲帯→甲板 あり
上部装甲帯→傾斜部 あり

船体 平甲板型

カラッチョロ級安全距離

 装甲部位\艦砲

8インチ

28cm

41年式36cm

14インチマーク7

15インチ

16インチ

46cm

 垂直装甲 6.5km以遠 18km以遠 22km以遠
26.5km以遠 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
 砲塔前盾 貫通不能 11.5km以遠 18km以遠 24.5km以遠 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
 バーベット(露出部) 5.5km以遠
(7km以遠)
16.5km以遠
(19.5km
以遠)
20km以遠
(23km以遠)
24km以遠
(27.5km以遠)
28.5km以遠
(安全距離なし)
30km以遠
(安全距離なし)
37km以遠
(40km以遠)
 バーベット(艦内部)              
水平装甲  14.5kmまで 5km未満 5km未満 5km未満 5km未満 5km未満 5km未満
砲塔天蓋 貫通不能  34km
~28.5kmまで
 28km
~23kmまで
27.5km
~22kmまで
27km
~21.5kmまで
 27km
~20.5kmまで
 25.5km
~15.5kmまで

垂直装甲(30度) 1km以遠、12.5km以遠、17km以遠、20km以遠、23km以遠、25.5km以遠、35.5km以遠

次は未成艦のフランチェスコ・カラッチュロ級。
1912年の時点でイタリア海軍は上で見てきた6隻の弩級戦艦を建造中で、数の上では墺海軍のテゲトフ級4隻に対し優位を持っていた。
ところが同年にはテゲトフ級を大きく上回る、14インチ砲艦(モナルヒ代艦級)4隻の建造が14年より行われるとの知らせが飛び込んでくる。
そこで同海軍に対する優位を維持するため、4隻の建造が計画されたのが本級となる。

常備排水量34,000t(といっても厳密にはもう少し軽いらしいが)の船体に15インチ砲を8門搭載、巡洋戦艦並みの28ノットを発揮可能する高速戦艦である。

装甲配置を見ていくと、まず船体形状は前級までと異なり平甲板型に。副砲は変わらず上甲板上に置かれ、船体中央部の最上甲板との間に収められている。
その為カブール級の艦首部分の船首楼がなくなった配置と言うと分かり易いか。
一方で内部を見ると、重要区画上で最も下を通るものは同時期の英巡洋戦艦や長門型の様に中甲板となる。
その結果重要区画上の甲板は船体中央で最上、上、中甲板の三層(それ以外では二層)に減少している。

まず垂直装甲はm中甲板の高さまでにある主装甲帯に300mmの装甲が設けられた。
この上には上甲板までに230mm、船体中央部では最上甲板までに150mmの上部装甲帯が続くが、これについては後述。
この部分は未だに英独米の新型艦と比較すると一部で劣るが、前級までと比べ全体的に強化されている。
ちなみに副砲防御の有無という違いはあるが、それを除いて厚さと甲板基準の高さだけで比較すると、本級の装甲帯は長門型戦艦とほぼ同等の配置ということになる。
装甲帯の奥には中甲板の傾斜部(35mm)や10mm程の縦隔壁が弾片防御として機能する。
主装甲帯はユトランド時の被弾記録から(よほど近距離でない限り)当時の15インチ砲などに十分耐えうる物と思われるが、いつも通り表は第二次大戦期の物である。
それらに対しては14インチ防御程度か。

砲塔防御は前盾が400mm(角度は不明だが20度と推定)とかなり厚く、バーベット露出部が300mm(艦内部は不明)。
ここも当時の15インチ砲に有効な厚さと考えられるが、表では14インチ防御程度。

水平装甲は各甲板で最も厚いのは下甲板の30mmで、それ以外では最上甲板もしくは上甲板が16mmのみ。
全体的に前級よりも減厚しおり、
甲板の数が減ったことも影響して、(のちの時代の徹甲弾に対してはどちら大差ないとはいえ)なぜか防御力はさらに低下している。
対照的に砲塔天蓋は厚さ150mmと、比べ物にならない重装甲となった。
これは同時の艦砲へはもちろん、(天蓋の傾斜にも影響されると思われるが)、前級までとは違いこの時代の戦艦主砲への防御も可能である。

本級は主装甲帯こそ前級より大きく強化されているが、それよりも上にある装甲帯は230mm、150mmとあまり強化されていない。
その為、この部分に命中した砲弾が中甲板から重要区画に達するような場合は問題となる可能性がある。
先述した通り本級が艦内部に持つ甲板は30mmの中甲板のみで、損傷せずに装甲帯を抜いた砲弾を止めることは期待できない。
といってもユトランド時の英国製砲弾はある程度の装甲に対して貫通しても砕けてしまったり、すぐに自爆してしまったりすることも多かった。
そしてドイツ製砲弾は英国の物よりもこの点では若干優れていたが、いかんせん素の垂直貫通力では劣る為、両者とも230mm部分はそこまで心配する必要はないか。
それでも150mm部分は容易に貫通される可能性が高く、中甲板に達しない事を祈るしかない。

またユトランド後は英国では砲弾の改正、ドイツは主砲口径を増した艦の完成を予定していた。そのような状況では230mm部分も危ないだろう。

本級の15インチ砲は面白い砲塔配置だがそれは置いといて、QE級などが搭載する42口径砲ではなく、本級の為に英企業が新たに設計した40口径砲である。
短砲身の分初速が低くなり、垂直装甲に対する貫通力は42口径砲以下だが、落角が大きい分水平装甲に対する効果はこちらの方か高くなると思われる。
(と言っても砲弾が同時期の英海軍仕様であれば、信管などの関係で意味はないか)

まとめると一部には改装前の前級とあまり変わらず、当時の艦砲に対して有効でない部分も存在する。
それでも基本的には、15インチ砲を搭載する主力戦艦として他国戦艦に劣らないものだろう。

さらに28ノットと言うQE級以上の速力は、巡洋戦艦の域に達する物でありながら、防御面では大半の巡洋戦艦を圧倒している。
同じように火力装甲を両立させた高速艦としては、ドイツのマッケンゼン級や、ロシアのボロジノ級と共に、当時では最も優れた艦の一つに数えることが出来るだろう。 
(本級と比較すると、マッケンゼン級は主砲口径で劣るが、防御面では水平装甲と上部装甲帯で勝る、またボロジノ級は同じく主砲口径で劣るが門数で勝る、装甲は垂直装甲が薄いが水平装甲で勝る)

マッケンゼンの後続であるヨルク代艦、日英海軍が戦後に完成させた長門やフッドに対しては劣ることは否めないが、計画時期の差を考えればしかたない。
ユトランド前のフッドや長門の原案に対しては互角以上か。

そもそも対抗馬となるオーストリアや大戦後の仮想敵であるフランス海軍は巡洋戦艦の研究こそ行っていたが、具体的な建造計画の段階には進んでいなかった。
つまり本級は既存の戦力では対応が難しく、それだけで両海軍にとって大きな脅威であることは間違いない。
また単純な攻防力も、両海軍の主力であるモナルヒ代艦とノルマンディーに対して(情報が少ないので断言はできないが)少なくとも互角以上には戦えるだろう。

優秀な艦であるのは間違いないが、戦間期から第二次大戦期にかけては他の艦と同じように全体的に防御力不足となり、仮に完成して条約期に保持されたとしても装甲の強化は必須である。
とりあえず水平装甲の強化と、できれば装甲帯の230mm部分を抜いた砲弾が傾斜部に当たった場合の対策も欲しいところだが、ここら辺は条約の内容と相談。
この時期に本級を保有した場合、フランスが建造する代艦、つまりダンケルク級の内容に影響を及ぼす可能性もあり、間接的に今後の各国海軍に大きな影響を与えたかもと妄想できるだろう。

追記すると、どうやら第一次大戦中にユトランド海戦の戦訓が認識された事により水平装甲を強化した改正案が考えられていたようだ。
ここでは最大で弾薬庫に110mm、機関部90mmとかなりの水平装甲を設ける事になるが、厄介なことに設けられるのは上甲板である。
その他の装甲配置は変わらないので、上甲板は230mmの上部装甲帯の上端に接続する形となり、同装甲帯への被弾対策にはなっていない。
一応中甲板を強化するよりは防御範囲で優れるという面もあるが、ここでも竣工時の長門型と同じ不安を抱える形となっている。
なおこの案はじきに消滅し、戦後にはさらに空母改装案や貨客船として完成させる案も登場するも、実現することなく計画中止となった。

本級の他に、この時期にはフランスのノルマンディー級に影響を受けたと思われる15インチ四連装砲を用いた戦艦研究が存在する。
中には排水量37,000tで主砲4基16門を搭載など強力な案が多数存在するが、いずれも具体的な計画には進展していない。

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条約期の戦艦案

調査中


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リットリオ級
1934~38年起工 1940~48年就役
41,377t  237.8m  1934年式50口径15インチ砲 三連装3基9門 30ノット

装甲厚
垂直装甲 70mmNCV傾斜11度 → 280mmTC 傾斜11度 → 36mmDS
砲塔前盾 350mmTC 傾斜30度(内傾)      
バーベット(露出部)350mmTC
バーベット(艦内部)70mmNCV → 280mmTC
水平装甲(弾薬庫) 36mmNCV+9mmDS → 150mmAOD+12mmDS ≒ 174mmAOD
水平装甲(機関部) 36mmNCV+9mmDS → 100mmAOD+12mmDS ≒ 126mmAOD
砲塔天蓋 200mmAOD傾斜5度

上部装甲帯→甲板 あり
上部装甲帯→傾斜部 なし

船体 長船首楼

リットリオ安全距離

 装甲部位\艦砲

8インチ

28cm

41年式36cm

14インチマーク7

15インチ

16インチ

46cm

 垂直装甲 貫通不能 6km以遠 8km以遠
11km以遠 13.5km以遠 14km以遠 20.5km以遠
 砲塔前盾 貫通不能 6km以遠 7.5km以遠 26km以遠 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
 バーベット(露出部) 1km以遠
(2km以遠)
10.5km以遠
(12.5km
以遠)
12km以遠
(14km以遠)
14.5km以遠
(17.5km以遠)
18km以遠
(20.5km以遠)
19km以遠
(22km以遠)
25km以遠
(28km以遠)
 バーベット(艦内部) 貫通不能 5km以遠  7.5km以遠 9.5km以遠 12.5km以遠 13km以遠 21km以遠
水平装甲(弾薬庫)  貫通不能 35kmまで 28.5kmまで 28kmまで 28kmまで 27.5kmまで 26.5kmまで
水平装甲(機関部) 貫通不能 32kmまで 25.5kmまで 24.5kmまで 24kmまで 23kmまで 18kmまで
 砲塔天蓋 貫通不能 34.5kmまで  28kmまで 27kmまで 27kmまで 27kmまで 25.5kmまで



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垂直装甲(30度) 貫通不能、1km以遠、5km以遠、6.5km以遠、9.5km以遠、10km以遠、16km以遠

詳しい解説は新戦艦編を参照。
70mm装甲による被帽脱落効果は、自国戦艦の320mmや381mm砲弾に対して機能することが実物大実験により確認されている。
他国戦艦の艦砲に対し有効かは不明だが、ここでは同じく有効であるとして計算。その場合垂直装甲は対18インチ装甲と言っていいものとなる。
(実はバッキングや弾片防御を一部省いているので、安全距離はさらに拡大するかもしれない)

砲塔前盾は350mmではなく、380mmとの記述も一部で見られる。
砲塔天蓋の後部は145mmに減厚しているが、反対側に傾斜している分正面から命中した砲弾への撃角は浅くなるのでそこまで問題はないだろう。

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なおプリエーゼ式円筒はタラント空襲での被害から能力不足と評価される事も多いが、実際の被害状況を見ればその結論はやや早計と言わざるを得ない。
(同じくソードフィッシュの魚雷で着底しただけなら、リシュリューだってとなるはずだが、世間一般でのこの評価の違いは何だろうか。なお要求される工作精度が高いという点はあったそうで、この問題からソ連のソユーズ級では後に米国式に改められる事となる )

それより本級の防御面(間接防御)で心配になるのは、GM値の低さに加え、重要区画外に発電機やら水圧ポンプなど重要そうな物をたくさん置いている点ではないだろうか。
具体的に言うと発電機は6800kWの総出力の内、半分近い3200kWを受け持つディーゼル発電機とその配電盤が艦首尾の重要区画外に置かれている。
もちろん総出力は実際の使用量よりも余裕をもって設定されているとは言え、他戦艦よりも脆弱な部分にある事は変わりない。また本級の各発電機は艦底を通る中央電線通路で結ばれているが、ここの水密が不完全で、被害時の浸水拡大や供給障害が起こる恐れが指摘されている。

やはり艦砲と装甲からみた本級は、欧州最強戦艦の候補にふさわしい物だが、総合的な抗耐性となると上記のような問題がある程、攻撃面でも砲撃精度が大きなネックである。
スペック通りの戦闘力を実際の戦場で発揮できるかは、中々難しい面もあると言わざるを得ない。(これはイタリア海軍そのものの立場の苦しさもがあるが)

・UP41に関する疑問
本案はソ連海軍向けの戦艦として、36年にイタリアのアンサルド社が提供した案である。
採用こそされなかったが、23号計画戦艦(ソビエツキー・ソユーズ級)をはじめとする後のソ連戦艦に多大な影響を与えたと言う。
ソ連海軍の戦艦案である為、その他ページに書くべきかもしれないが、内容はどちらかと言うとイタリア戦艦に関わる事なのでこちらに。

このUP41に関しては「リットリオ級を拡大した強力な戦艦」と言う表現をよく見かける。
確かに外見を見ると、艦橋はドイツ艦風なので第一印象は異なるが、それ以外の船体や主砲配置などはよく面影を残している。
そして要目を見ると、全長252m、基準排水量42,000t、主砲16インチ50口径砲三連装三基、18万馬力32ノットと、リットリオ級から強化・大型化している事がわかる。
(なお排水量に関
しては、リットリオ級の例から数千トン程度増加していた可能性が高い)
建造されていた場合、欧州列強の新戦艦に劣らない強力な戦艦となっていたことも確かだろう。

本案とリットリオ級の異なる点として、艦橋の形状や対空砲の配置以外には、イタリア戦艦の一大特徴であるプリエーゼ式水雷防御を採用していない事が挙げられる。
(尤も23号計画戦艦を含め、このプリエーゼ式防御が主なソ連戦艦案の水雷防御として採用されていた時期があり、情報自体はこの時期にソ連に入っていたようだ)

水雷防御よりもこのページ的に注目したい点は、通常の対弾防御だが、本案の装甲配置とされるものはリットリオ級とは全く異なるものである。
同級の装甲配置の特徴については新戦艦編で触れていたが、長々と分かり辛い表現しかしてないので、横断図から見た分だけでもまとめ直すと以下の通り。

・船体は長船首楼型で、重要区画の範囲(第一~第三砲塔)は船首楼甲板が伸びる。
・垂直装甲は水線部の主装甲帯が最も厚く(合計厚350mm)、中甲板までの高さにある。
・それよりも上の乾舷(中甲板~船首楼甲板)は非装甲とはならず、薄い装甲(70mm)を持つ
・主装甲帯は傾斜装甲を採用。一枚板の装甲ではなく砲弾の被帽脱落を狙った多重構造をとる。
・主装甲帯の上端に接続する中甲板は、ほぼ一枚板の均質装甲からなる水平装甲を持ち(100~150mm)、主な防御を担う。
・最も上部にある甲板(船首楼甲板)は均質装甲を含む水平装甲(合計45mm)を持ち、補助的な防御を担う。
・装甲甲板よりも下に水平装甲は存在しない。その為中甲板が最も下部にある水平装甲となる。
・つまり本級の水平装甲は、最も上部にある補助的な装甲と最も下部にある主な装甲の二層で構成される。
(同時期の艦ではビスマルク級21号計画戦艦などが似た構造となる)
・弾片防御用の傾斜した縦隔壁装甲(24mm、36mm)は中甲板の途中に接続する。
・その他艦首部分などにも特徴はあるが、このページでは扱わない為省略。

珍しい要素をいくつか持つリットリオ級だが、基本的には中甲板の高さにおいて主装甲帯と装甲甲板からなる装甲区画を形成する。
色々と他の戦艦に無い要素を持っているのは確かだが、それ以前にネヴァダ級の登場以降多くの戦艦が採用した一般的な構造が基本となっていると言える。

結論から言うと、UP41の配置はこの装甲区画を形成しない形となるのだが、この点を含めて違いを本案の装甲について見て行くとする。
先述の通り船体はリットリオ級に準ずるもので、重要区画の上には船首楼甲板が伸びている。
垂直装甲も基本的にはリットリオと同じ配置で、中甲板までの主装甲帯とそれよりも上部(中甲板~船首楼甲板)を守る装甲を持つが、幾つか違う点を持つ。
まず主装甲帯は370mmとより厚い上に一枚板だが、傾斜は約5度とより浅く、リットリオ級で採用された被帽脱落構造は採用されていないようだ。
さらに装甲品質の差もあるとすると、主装甲帯の対弾性能はリットリオ級よりも一段落ちるものと考えられる。
一方で主装甲帯よりも上の装甲は150mmとより厚く、主装甲帯と同じ角度で取り付けられている。この部分に関してはこちらが上となる。

水平装甲については垂直装甲よりも異なる点が多い。
まず主な防御を担う甲板は主装甲帯の上端に接続する中甲板ではなく、一段下の下甲板である。
またこの水平装甲は一枚板の均質装甲ではなく65mmと35mmの鋼材の貼り合わせであり、100~150mmのほぼ一枚板であるリットリオ級と比べると劣る。
船首楼甲板には厚めの装甲(55mm)があり、補助的な水平装甲として機能する点は同一。
すると本級もリットリオ級(やビスマルク級)と同じように「最も上部にある補助的な装甲と最も下部にある主な装甲の二層」からなる水平装甲を持つと事になる。
実質防御力でみると、装甲甲板では劣るが、船首楼甲板の装甲やその下の甲板にも薄い装甲を持つなど勝る部分もあり、リットリオ級の機関部を上回る物となる。
尤も弾薬庫は装甲甲板の厚さの差が激しいため、逆に大きく劣る部位となる。

さらに特筆すべき事として、この下甲板の水平装甲は平坦なまま装甲帯に接続するのではなく、外縁部で下側に傾斜、装甲帯を貫通した砲弾への弾片防御を形成して主装甲帯の下端に接続している。
(同時期の艦ではビスマルク級の下甲板と同じ構造になるが、傾斜部の装甲厚は30mmにまで減厚しているので、多重防御は期待できない)

この配置で問題になるのが、このページでも毎回扱っている「比較的薄い上部装甲帯を貫通した砲弾が傾斜部から重要区画に達する」可能性が配置によっては有りうる点である。
本来このようなルートは、主装甲帯が中甲板の高さまである艦には発生しない物なのだが、本級は傾斜部の範囲が広いせいか20度程度の落角を持つ砲弾なら普通に起こりうる。
このよう
なルートで砲弾が浸入すること自体、可能性は非常に低い物であるが、発生した場合戦艦の主砲弾にはまず耐えられないだろう。

まとまらなくなってきたので誤解を招く乱暴な言い方をすると、本級の装甲配置はリットリオ級よりも、「傾斜部装甲を削減した代わりに主装甲帯を強化したビスマルク級」
とでもいう
べきものになっている。
リットリオと比べると、中小口径弾への防御範囲は舷側上部や船首楼甲板の厚さで勝る点(垂直150mm対70mm、水平55mm対45mm)はあるが、戦艦主砲に対して有効な防御範囲は装甲甲板が下甲板にあるせいで一段分狭い。
また部位ごとの対弾性能は上で見た通り、機関部の水平装甲以外で劣る。

ビスマルクとは戦艦主砲に対する装甲範囲ではあまり差は無い。むしろ装甲帯のみの防御力で勝る本案がやや優位だが、垂直装甲の実質防御力は傾斜部の厚いビスマルクが圧倒。
水平装甲も大きな差はない他、本案は上部装甲帯がらみでビスマルク級にない弱点を持つ。
基本的な装甲配置に関しては、両者に比べて特に優れた点はないと言い切っていい。個人的にはビスマルク級よりもこっちの方が進歩の無い配置と言いたくなる。
(ただし上で扱わなかった砲塔防御は、装甲厚や形状の差から確実に本案の方が優れている事は追記しておく)

当のソ連海軍は1935年頃の大型巡洋艦研究の時点で装甲甲板を中甲板に設けるなど、一次大戦後の戦艦の装甲配置について、ある程度の知識を持っていたと考えられる。
このような状
況で装甲配置に劣る本案が受け入れられなかったのも当然か。
(32ノットの16インチ砲艦という時点で、多少防御に劣っていても強力な艦となることは間違いないだろうが、実際は航続距離の短さが主に問題とされたそうだ)
そして翌年にソ連海軍が設計した21号計画戦艦や、実際に建造が承認されたソビエツキーソユーズ級にしても、同じような装甲区画を持つ形となっている。

長くなったが1936年当時すでにリットリオ級の設計は完了しており、工事も進んでいた。その時期になぜこのような配置の艦をアンサルド社が新しく設計したのだろうか。
この点については管理人が当時のイタリア海軍の戦艦研究について無知である為、疑問としてここに書き捨てておく。

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フランス海軍編

・初期の主力艦について
H29 12月より色々更新

フランス海軍はページ作成時の管理人のイメージやワシントン条約の規定から、イタリア海軍と同じページになってしまったが、歴史上のフランス海軍は英国に次ぐ戦力を帆船時代から長年維持してきた大海軍国であった。
20世紀になるとその立ち位置からやや後退してしまうのも事実だが、ここではまず最初にそれ以前のフランス海軍の主力艦について、海軍の在り方なども含めてに見ていきたい。

・装甲艦の誕生
最初に言った通り、仏海軍は英国の後塵を拝する側であり、対英戦が勃発した時にはその不利をいかに詰めるか、という課題が同国海軍では大きな部位を占めていた事に注目しなければならない。
同じ傾向は米国を仮想敵とした条約期の日本海軍などにも存在したが、同国もリスクを承知で強力な新兵器の導入に熱心だった面があり、結果として船体形状や兵装などで保守的な英国海軍を上回るものをたびたび生み出している。
それはナポレオン戦争に敗北した19世紀前半でも変わらず、なかでも1820年台における陸軍大佐ペクサンによる大砲の研究は、その後の艦艇に大きな変革をもたらす結果となった。
これまでの艦砲が実体弾(ただの鉄球)を主に使用していたのに対して、ペクサン砲の開発でついに木造帆船に対して致命的な威力を持つ炸裂弾が使用できるように。
つまり既存の軍艦では防御力不足でまともに撃ち合えない時代になってしまったのだ。

この時代に適した軍艦の形として、ペクサンは二つの形式を提案している。
一つは当時の主力である大型の戦列艦などを廃して、より小型で高速な艦を中心とする案。
ペクサン砲の火力の前に木造船が無力だとした場合、戦列艦のような多数の砲門は不必要で、むしろ大型の船体は被弾面積上不利で、失った時の人的・経済的損失を大きくするだけである。
それに対してより小型の艦の方は当然コストが低く、さらに実用化が進んでいた蒸気機関を取り入れることで、機動力に優れた戦力として活用することが可能とされた。
もう一つはもっと単純な物で、船体に炸裂弾を防ぐほどの防御力を持たせる事。つまり装甲の導入である。
ペクサンは当初は後者を推していたらしいが、技術的もしくは経済的な困難があったのか、前者に考えを改めている。

しかしペクサンの提案とは裏腹に、しばらく列強同士の全面的な戦争が起こらなかった事もあって、艦艇全般はナポレオン戦争の頃からそこまで急激に変化する事はなかった。
ただし蒸気機関はフリゲート以下の非主力艦に初めは外輪式、のちにはスクリュー推進式として導入され、主力である戦列艦にも50年代にはスクリュー式の艦が建造もしくは改装で誕生している。
(フランスではスクリュー推進の戦列艦としては最初に設計・建造された艦である、戦列艦ナポレオンを52年に竣工させている)
そしてペクサンが開発したものと同じく炸裂弾を撃ち出すことのできる艦砲は、これも諸問題から急速には広まらなかったが、30~40年代には列強海軍で広く採用されるようになっていた。
一方で薄い鉄製の船体を持つ艦はフリゲート以下の艦で登場していたが、これはあくまで船体強度などで利点を持つ程度で、敵弾を防ぐような厚い鉄板を用いることは、まだ実験段階を出ていなかった。

このように攻撃側有利と言える状況でクリミア戦争が勃発。シノープの海戦では炸裂弾の威力が実戦でも証明される形となり、装甲を有する艦の建造に拍車をかけた。
またオスマン側に立って参戦した仏英艦隊は、同じく炸裂弾を使用する陸上砲台に苦戦する結果となり、その為に装甲を施した自走式の浮き砲台がまず建造されている。
その第一陣としてフランスが建造したデヴァスタシオン級は、1855年キンブルン攻撃の際に初めて実戦投入され、装甲の有効性を証明している。
そして外洋航行可能な装甲艦であるグロワールの建造は1857年より開始され、1859年に竣工。一般的には世界初の装甲艦とされる同艦の完成を以て、フランス海軍は新しい時代を切り開いたといえるだろう。

本級の設計は先述したナポレオンを担当したデュピュイ・ド・ロームの手によるもので、基本的な要素は同艦より受け継がれている。
最大の違いは水線部と砲甲板の範囲の舷側を防御する装甲が設けられたという事で、これだと戦列艦のように何層もの砲甲板を設けるのはトップヘビーすぎるので好ましくない。
そこで本艦では砲甲板は一層のみとされ、搭載砲は164mmライフル砲を36門と、威力に劣る滑腔砲が多数とはいえ90門の備砲を持つナポレオンから大きく削減。当時の艦種でいうとフリゲートに相当するクラスに留まっている。
ただし120~110mmの錬鉄装甲を舷側に設けた本艦に対しては、当時の主要な火砲は通用せず、実際の戦闘力は大きく向上したことは言うまでもない。
(なお備砲は竣工時は前装式だが改装時には後装砲としており、以降の艦も英海軍とは違い後装砲を問題なく運用していた)

こうして装甲艦への転換という大きな一歩を最初に踏み出したフランスだが、最大の仮想敵であり、クリミアで共に戦った英国も当然装甲艦の必要性を認識していた。
同国はグロワールを大きく上回る巨艦ウォーリアを皮切りに続々と装甲艦を就役させ、元々の工業力や海軍に割けるリソースの差などもあって、(ブルワーク級戦列艦改装の装甲艦を含めた場合)60年代半ば以降にはフランスを上回る戦力を獲得している。
結局は英国との差をかなり縮める事には成功したものの、その立場を逆転するまでには至っていない。

ちなみに砲甲板を一層のみにする、というのはグロワール以降の各国装甲艦で基本とされたが、61年に竣工するフランス海軍のマジェンタ級のみ2層にわたる砲甲板を有している。
同級の搭載門数はグロワールより多い50門と、装甲がなくてもギリギリ戦列艦扱いもできなくもない数で、装甲もちゃんと両層に設けられている。
ただしこれは装甲艦の中では例外的なもので、以降の艦では採用されていない。この時代は門数よりも装甲を抜ける威力が重視されるので当然かもしれない。

後続と新生学派の誕生
続いて70年代以降に竣工した艦は、オセアン級より始まるフランス流の「中央砲郭艦」が主流となる。
この種の艦は英国戦艦編でも説明した通り、舷側砲をずらりと並べる既存の舷側砲列に対して、少数ながら大口径の砲を船体中央部の装甲区画(砲・ケースメイト)に収めた艦である。
その利点は大口径砲が積めるだけではなく、装甲区画の面積を節約することで装甲厚を増すほか、ケースメイトの形状を工夫することでリッサ海戦以降に重要となる衝角戦法に適した前方射界を確保することも可能であった。

中央砲艦は同時期の英国など各国でも採用されていたが、ここで建造された艦はフランス流としたように、厳密には他の中央砲廓艦とは違う独自の要素を加えている。
それは主兵装をケースメイト内だけでなく、その上に設けられた固定式の円筒装甲(バーベット)上にも搭載した点である。なので厳密には「中央砲・バーベット併用艦」と呼ぶのが正しいのだろう。
この頃のバーベットは露砲塔とも呼ばれたように、砲架や周辺の人員で防御されていない部分がかなりあったが、一定の防御力を有する旋回砲を射界の広い上甲板上に置くことは、射界などの点で多くの利益があった。
またフランス艦艇の一大特徴であるタンブルホームが顕著になってきたのもこの時代で、これも前方射界を得る上では利点もあったが、弊害も多かったことはよく知られている。

ここで建造された艦は、70年より竣工するオセアン級が水線部に最大200mm、砲廓に160mmの錬鉄装甲を設け、武装は砲廓内の274mm砲4門に加え、その上の四隅に設けられたバーベットに240mm砲一門ずつ搭載。
本級の時点でグロワールの時代よりも装甲厚、主砲のサイズ共に大きく向上していることがわかるが、この時代にもインフレは続いている。
この形式の艦としては最後の世代に当たるデヴァスタシオン級では、装甲厚は水線部380mm、砲廓240mmとなり、武装は砲廓に340mm4門、バーベットに274mmを2門(後者はさらに艦首艦尾に一門ずつ搭載)を設けている。

さてこの時期のフランス海軍を苦悩させたのは、1870年に勃発した普仏戦争での敗北である。
この戦争でフランスは海軍では圧倒的な有意を維持していたが、陸戦での勝敗がそのまま運命を分け、そのままプロイセン並びにその同盟国に敗北。
これにより国内では「強大な海軍を持っていても陸で負けては意味がない」という意識が生まれ、フランス海軍はこのジレンマの中で艦隊の整備を行う必要に迫られてしまう。

上記の艦艇はこの背景のもと、減少した海軍予算で整備された物を含んでいたが、この時点でも英国に次ぐ海軍戦力を維持しており、仮想敵が同国であるのも変わらないままであった。
(フランス海軍の悪い伝統として建造期間の長さがあり、その分も響いて個艦で見るとやや劣る面もあったが、全体の戦力は以前として強力)
しかし英国とは差がついたままで、海軍の立ち位置を考えると今度その差を埋めるほどの艦隊を持つのはまず不可能である。
そこで一部の軍人は、既存の戦力で勝てないのならと、発展著しい新兵器の運用に活路に見出すという伝統に立ちかえる動きを見せている。
新生学派(ジューヌ・エコール。他にも青年学派とか少壮学派という訳も)と呼ばれたこの流れが、以降のフランス海軍だけでなく、各国の海軍全般に色々な意味で影響を与えることになる。

この考えで特に重視されたのは、60年代に登場してから著しい発展を遂げていた自走水雷、つまり魚雷である。
厳重に防御された装甲艦と言えども水線下の防御は他艦艇と大差ないので、ここに損傷を与える魚雷は装甲艦を十分に脅かす存在となっていた。
そして、これらの魚雷を主兵装とした高速小型の水雷艇を整備することで、英国が持つ大型の装甲艦戦力を無力化しようという、ある意味ペクサンの提唱した大型艦廃止論と共通する面を持っていた。

ただし当時の水雷艇は外洋に出て敵艦隊と闘うような性能はないので、英仏海峡を渡って来襲する英艦隊から沿岸防衛を行うのが主な役割になる。
そして敵主力から本土の防衛に徹する間に、各地で巡洋艦による通商破壊戦を展開、これを持って英国の戦意を挫くと言うのが主な戦略である。
なおこの戦略は自国より強大な英国のみに対して用いるもので、それ以外のイタリア海軍などに対しては既存の戦力で対処するものとされている。
海軍内での新兵器を求める空気に加え、普仏戦争以来の既存の海軍に対する不信やより安価な兵器が中心となる点もあって、新生学派は軍人だけではなくメディアや政治家の一部にも支持を広めていった。

この考えは実際に弱者が強者と戦う面では合理的な面もあったが、無論弊害も存在した。それどころか、最終的には弊害の方が目立つ結果に終わったと言っても良い物であった。
そもそもメインとなる魚雷と水雷艇は、未だにその性能は発展途上のままで、実際に魚雷やそれを搭載する兵器によって大型艦が居場所を失うのは、結果として第二次大戦を待たなければならない。
新生学派が広まる中で大きな問題になったのは、そういった水雷艇の能力を理解しないまま、本来の思想とは異なる装甲艦不要論や水雷艇万能論とも取れる極端な意見が生まれてしまった点である。
フランス海軍がそれに気付くのは、新生学派の提唱者の一人であるオーブ提督が海相に就任し、その権勢が最も高まっている中で行われた86年の実験を経てからになる。
その後オーブ提督はこの結果を活かす前に健康上の理由で引退し、新生学派の全盛期は終わりを迎えるも、以降も一部に支持層を得たままで、装甲艦をマストドンと呼んで忌み嫌った過激派も残存していた。
そう言った中で、海軍全体にリーダーシップを発揮できる人材が登場しなかったこともあって、以降も中途半端に新生学派の影響は続き、主力艦の戦力に制約を課さざるを得ない状況が続くことになる。
その結果、元々の悪癖である建造期間の長さも重なって、20世紀初頭の海軍戦力でドイツ並びに米国に追い抜かれる原因の一つになったとされる。

フランス海軍では失敗してしまったと言わざるを得ない新生学派だが、その考えは当時の各国海軍の戦力や技術に少なくない影響を与えている。
日清戦争では少々違った形ながら、この考えに影響を受けた日本海軍が清国海軍を破り、また英国では水雷艇狩りを行う駆逐艦の前身となる艦艇の研究が進み、それがまた主力艦に影響を与えていく。
本国では巡洋艦戦力の強化を進める中で、新世代の装甲巡洋艦を整備した事も評価できる事だろう。

ただし以降に日本海海戦とドレッドノートの登場という形で結実するように、当時は戦艦(主力艦)自体も兵器としてこれから全盛期を迎えようという段階にあって、装甲艦軽視の考えは数十年程時代が早すぎていた。
結果を知っている現代の視点から評価になってしまうが、それでも世界第二位の海軍国であったフランスが行うには、少々リスクが大きすぎたと言わざるを得ない。

・バーベット艦から近代戦艦へ
さて次は80年代以降に実際に竣工した艦について。
ここまで紹介してきた艦の中でいまだに登場していない艦種として、旋回砲室内に主砲を搭載した砲塔艦が存在する。
砲塔艦は南北戦争でのモニターならびに同系統の艦の活躍を受け、フランスを含む欧州海軍でもブレストワークモニターと呼ばれる改良版が沿岸任務用の海防装甲艦として導入されている。
さらに英海軍はその拡大版であるデヴァステーション級を建造するなど、70年代半ばより主力装甲艦でも砲塔艦が主流となっていった。
一方で装甲で囲まれた重い砲塔を載せるには、トップヘビーを避けるため低乾舷にならざるを得ず、この時期フランスはそれを嫌ってか砲塔艦を主力装甲艦に採用していない。
その代わりとして、より軽量なバーベットに(砲との併用ではなく)主砲を搭載する形の艦が以降の主力艦として採用されている。
(そして低乾舷の海防装甲艦にせよ、84年竣工のトナンより砲塔からバーベット式に切り替えている)

このバーベット艦の第一陣がアミラル・デュプレであり、常備排水量11.000tで1883年竣工。
主砲配置は前に説明した通りバーベットのみに搭載するもので、前級と同じく18口径340mm単装砲を、まず艦の前部に並列で2基、船体中央と後部は中心線上に1基ずつという独特な配置で4門搭載する。
前方火力は前部バーベットの並列配置により2門を確保するも、舷側は3門が向けられるので、今までの艦と比べて舷側方向の戦闘力が高い艦と言える。
装甲配置の面では砲廓が廃止されたことによって、装甲範囲は艦首から艦尾にかけての水線付近に設けられた装甲帯に限定。
装甲帯の上端には水平装甲が接続して、非装甲部をぬいた砲弾を防ぐ形になる。
これは乾舷の大部分が非装甲になることから、速射砲の導入や榴弾の威力向上がなされる後の時代には通用しない物だったが、徹甲弾を防ぐだけなら強力な配置でもある。
装甲厚は範囲が狭いこともあって最大550mmにも達したが、材質は錬鉄であり、複合装甲を使用し始めた同時期の英艦への優位はあまりない。
バーベットは300mmの錬鉄と若干薄く、砲には防盾も設けられたが50mmと弾片防御程度。

同艦の後には、テリブル級装甲艦が87年から88年に竣工している。
本来は海防装甲艦に分類される低乾舷艦だが、排水量は7千トン台と他艦よりも大型であるため主力艦扱いされることもなくもない。そのため一応紹介。
本級はバーベット式の海防装甲艦トナンの拡大版であり、主砲は前後部のバーベットに、口径だけならフランス海軍史上最大の420mm砲(口径はテリブルのみ19口径で残りの2隻は22口径)を一基ずつ搭載。
(この砲は発射速度や扱いの難しさなどもあって兵器としてはあまり評判は良くなかったそうだが、防衛用として敵艦への示威を行う分には大口径砲は都合がよかったと思われる)
防御面の配置はデュプレとほぼ同一。装甲帯は最大500mmと若干削減されたが、一番艦テリブルでは材質はシュナイダー社製の鋼鉄(軟鋼)となり防御力を大きく増している。
当時の鋼製装甲は殆どフランスの独占技術であったが、当時の物は割れやすい欠点があったようで、二番艦以降では英国企業が開発した複合装甲が採用されている。
このようなことは後のフランス装甲艦・戦艦でもたびたび繰り返される事になる。 

次級アミラル・ボーダン級は排水量12,000tのデュプレの拡大版であり、88年並びに89年の2隻が竣工。
主砲はテリブル級に口径では劣るものの、長砲身を持つ28口径37cm単装砲に。さらにこれを収めたバーベットを中心線上に3基並べる配置をとっている。
こちらは前方火力が1門に対して舷側は3門と、今まで以上に舷側を向けた戦闘に適したもので、タンブルホームの意味はあるのかと疑問に思わなくもない。
(一応重量を節約しつつ乾舷の高さを増す効果もあったが)
装甲配置は変わらずに軟鋼で550mmの厚さとなり、バーベットは400mmの複合装甲である。

デュプレ・ボーダン両級はそもそもの建造数が少ないという致命的な部分があるが、まあ英国の装甲艦(インフレキシブルからアドミラル)と比較しても個艦では結構有力な艦ではある。
(水線上の装甲範囲が狭いとか建造に時間が掛かりすぎというのは否定できないが、それはアドミラル級も同じと言い訳できる)
この時期は造船関連における混乱こそあれど、艦の戦闘力に大きくかかわる技術面ではフランスは相変わらず優秀であった。
特に砲弾ではピクリン酸を主成分として榴弾に恐るべき破壊力を与えるメリニット爆薬と、のちに英海軍でも採用されるクロム鋼製徹甲弾を有する点は注目すべきだろう。

90年にまず竣工するのは、失敗艦として悪名高いオッシュである。
設計時における本艦の特徴は主砲配置のさらなる改良であり、以前の艦ではデヴァスタシオンの274mm砲などでも見られた菱形配置を導入している。
単装砲4基を艦の前後部と舷側に一基ずつ置くこの配置は、すべての方向に3門の砲を指向可能で、ボーダン級と比べて舷側の門数を減らさずに前方火力を大きく向上させることが可能であった。
ここでは新しく28口径34cm砲を砲塔式で搭載する予定であったが、建造開始後にこのままでは重量過多で喫水の増加が避けられないことが判明する。
対策には船体形状の変更など大規模な設計変更が必要とされたが、あまりにも労力が大きくて行われず。舷側砲がバーベット式の274mm砲に換装されたが、抜本的な解決とはならないまま竣工している。

こうして完成した本艦は船体が沈み込み、低い乾舷にやたら巨大化した上構が立ち並ぶ様はグランドホテルと揶揄された。復原性や外洋戦闘能力に致命的な問題を有するのは言うまでもない。
そもそもボーダン級よりも小型化が求められた11,000t級の船体に、これまで以上の性能を詰め込もうとすれば、タンブルホームの特性も相まってこんな艦になるのもやむを得ない部分があったと思われる。
一応装甲配置に触れておくと、基本は以前のバーベット艦と同じで、装甲帯は最大450mmの複合装甲を有している。ただし喫水の増加により装甲区画はほぼ水没し、防御力は期待できない。

オッシュの失敗から始まった菱型配置艦だが、その問題が比較的初期から見つかっていた事も幸いして、次級マルソー級は主砲を340mm砲4門としながらもすべてバーベット式にするなど設計を変更。
結果として乾舷の高さを維持する事に成功し、前級の時点で本来想定されていた艦に近いものとして、91年から93年の間に3隻が完成している。
そしてこれに改良を加えた艦として、シャルルマルテルとブレニュスという2隻が建造される予定だったが、1886年に先述したオーブ提督の海軍大臣就任により建造中止に。
しかしロリアンの海軍工廠に仕事を回しておきたい、という国防以外の事情もあって、オーブ提督の辞任後ブレニュスのみ建造が許されている。

本艦の設計はオッシュと同じく、ロリアン工廠のシャルル・アーネスト・ユアンによるものである。
しかし元の計画とは違い、本艦は建造中止期間の技術の進歩や研究の成果として、いくつもの先進的な要素が取り入れられている。
まず主砲は菱形配置を取りやめ、前部に連装、後部に単装砲塔を一基ずつ計3門搭載。当時の艦としてはかなりの長砲身を持つ、42口径340mm砲(英ロイヤルサブリン級は30口径343mm)を採用している。
また副砲の164mm砲は新開発の速射砲となり、さらに配置も今までの艦が舷側の非装甲部であったのに対して、本艦は砲塔とケースメイトの併用という形で防御構造の内に搭載されるように。
その分装甲配置にも変化があり、水線部に設けられた最大450mmの主装甲帯とは別に、船体中央部のケースメイト部分として100mmの垂直装甲が設けられ、非装甲部分が減少した。
さらに機関もより効率の良い水管ボイラーを採用、火砲や魚雷の性能向上により無用の長物と化していた衝角を廃止するなどの要素も加わる。

これらの点から、本艦は英国のロイヤルサブリン級に負けない革新的な艦であり、フランス海軍初の近代戦艦と評価される場合が多い。
(といってもオッシュが例外なだけでフランス戦艦は元から高乾舷艦が多いのと、以降も菱形配置艦を建造していることから、英国と比べると「近代戦艦」の定義はあいまいだが)
ただし96年に完成してみると、建造中の重量増加と過大な上構により復原性に問題ありという、オッシュと同じ失敗を繰り返していることが判明。その革新性にもミソがついている。
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・サンプル艦隊と以降の近代戦艦(前弩級艦)
フランスはブレニュスの成否を見極める前に、英海軍が整備していた主力艦10隻に対抗する必要があり、90年代初めより本格的に主力艦建造が進められていく。
ただし最初に建造された5隻では大胆にも、大まかな指標のみを設けて、細かい点は技術者や造船所に任せる形で建造されている。
5隻の内、まずシャルル・マルテルは引き続きユアンが設計し、建造はブレストの海軍工廠。続くカルノーはツーロンの海軍工廠で設計・建造され、ジョーレギベリは民間のラ・セーヌ造船所。マッセナは80年代に活躍したド・ビュッシーが設計し、サン・ナゼールのロワール造船所が建造。最後のブーヴェはユアン設計でロリアン海軍工廠が担当したが、これもシャルル・マルテルをベースにしつつも異なる点を持つ。

当時は同型艦でも造船所によって微妙に出来が違ったり、不具合を直していった結果性能が違う艦になる事もあったが、この場合は設計からして異なる別の艦である。
その差は外観だけではなく、機関の軸数や最大速力、副兵装の配置や種類なども含むため、共同での運用や整備性に欠け、(フッドを除いて)同一艦として竣工したロイヤルサブリン級と比べて兵器としての評価は下がるものとされる。
事前に計画をまとめられなかったという意味では、海軍の主力艦整備に関するリーダーシップの欠如を表していると言えるだろう。

一方で大体共通する面を見ていくと、まず常備排水量は12,000t付近と14,000tのサブリン級よりは小型で、船体のタンブルホームも健在。
主兵装は菱形配置に回帰。前後部には40口径305mm砲、舷側には45口径274mm砲が砲塔式が搭載される。両方ともブレニュスよりも小型化しているのが特徴だが、これは排水量制限によるものという。
副砲は138mm砲を砲塔式で搭載するが、一部の艦は水雷艇攻撃用を兼ねて100mm砲を搭載する艦も。

そして装甲配置も一部を除き共通している。この配置は今後の数クラスにも受け継がれるものなので、少し詳しく見ておきたい。
(この5隻は船体形状も違うので、いつも使っている甲板名称を基準にできない。なので面倒な表現になるが了承してもらいたい)

まず水線部には高さのあまりない主装甲帯があり、中央部以外で薄くなりつつも、艦首から艦尾までを覆っている(マッセナの艦尾のみ例外的に非装甲)。
最大厚は450mmで、材質は新たに開発されたニッケル鋼を採用する。一方でブーヴェのみこれを上回るハーヴェイ鋼を導入し、その分厚さを400mmに減じている。(富士型よろしくこの厚さのハーヴェイ鋼は過剰だが)
ここまでは既存のバーベット艦と同じものだったが、速射砲にメリニット弾がデフォルトで使用されるような戦場では、厚い装甲を狭い範囲のみに設ける以前の配置は不安なものであった。
そこで主装甲帯よりも上に、均質の特殊鋼を中心とした100mm(カルノーのみ120mm)の上部装甲帯を設け、榴弾に対する防御範囲拡大を試みている。
これは副砲関連の範囲にのみ装甲を設けた前級と異なり艦首から艦尾にまで設けられるが、高さはカルノーを除いて一段上の甲板に達せず、その半分程度とあまりない。
同じような装甲を持つロイヤルサブリン級と比べても覆う範囲は狭い、というか、タンブルホームの曲線のせいで装甲範囲が狭くなっているようにしか見えない。
ちなみにこれとは別に、舷側の速射砲を守る装甲帯が存在するが、その範囲は主装甲帯の3段上と2段上の甲板の間なので、上部装甲帯との間には結構広い非装甲区画が生まれる事になる。
そしてこの非装甲部を抜いた砲弾が煙路にホールインワンする可能性もあるので、その周辺に装甲帯と同じ450mm厚の円筒装甲が設けられるのも特徴である。
水平装甲は主装甲帯の上端に接続する甲板が合計90mmにもなり、さらのその一段下、装甲帯の下端につながる甲板にも20から40mmの装甲を部分的に設けている。
垂直装甲は不安をぬぐい切れない範囲の狭さが気になるが、水平装甲に関しては結構なものがあったと言っていいかもしれない。
(もちろん材質ならびに防御範囲の高さではのちの戦艦に劣るが)

最初にあった兵器としての均一性という問題こそあれ、この五隻よりフランスは英独を中心に加速していく戦艦整備に付いていける戦力を獲得している。
ただ単艦で見ても、タンブルホームと装甲範囲の狭さから撃たれ弱いイメージを持ってしまうのは残念な部分かもしれない。
(個人的にはタンブルホームの見た目は威圧感があって好きだったり、スチームパンクの世界にそのまま出せそうな感じだと思う)

続く3クラスは同じような装甲配置が続くので簡略に。
まずシャルルマーニュ級は、ちゃんと同じ設計案を基に3隻が97年から1900年に竣工している。
最大の違いは兵装配置で、305mm主砲は連装砲を前後2基、138mm副砲は砲塔ではなく舷側砲にという風に、同時期の英戦艦に近い形に。
これは模倣というよりは、性懲りもなく小型艦に固執する風潮の中で、排水量の削減に都合がよいからと採用されたようだ。
装甲面では上部装甲帯が合計75mmに減少している。

その後は1902年に改シャルルマーニュ級であるイエナが竣工。
主砲は40口径ながら初速が向上し、副砲に164mm砲が復活と火力が強化された。
さらに防御面では過剰であったハーヴェイ鋼の主装甲帯を320mmに削減。その分高い位置にまで範囲を増し、上部装甲帯の一部が120mmに増厚した。
水平装甲装甲は若干薄くなり、上層が合計84mm、下層が合計34mmへ。
本艦は1907年に爆発事故を起こして着底しており、その残骸は後に射撃実験に供されている。
調べた分だと詳細な記録は分からなかったが、日露戦争以降もてはやされた榴弾万能論に一石を投じる内容だったようだ。

1903年に竣工するシュフランは前艦に対して砲塔式の164mm砲を追加し、副砲火力を強化した艦である。
主装甲帯は300mmにまで減少するが、いまだに薄いというわけでなく、浮いた重量でさらに装甲範囲を増した。
ついに本艦では、上部装甲帯が主装甲帯の一段上に甲板に接続する範囲にまで拡大している。
(本艦の場合は主装甲帯は下甲板までなので中甲板まで。なお厚さは110mmに)
さらにケースメイト式で搭載された副砲を守るため、船体中央の一部のみ上部装甲帯は上甲板にまで達している。これは若干ブレニュスの副砲防御に近い形か。
なお本級の竣工時には主砲塔の防御に疑問が呈せられた(命中弾が貫通しなくとも衝撃で使用不能になるのではと)為、この部位に対する射撃実験が行われている。
そこで本級の砲塔は、マッセナが至近距離から放った12インチ砲の貫通を許さないばかりか、衝撃にも耐える結果に。

シュフランに至るまで、フランス戦艦は着実に強化されてきたといえるが、サンプル艦隊の時代から続く主装甲帯の狭さや復原力不足につながるタンブルホームの採用といった問題では、根本的な解決がなされているわけではない。
この最大の原因とされるのは結局80年代より続く主力艦整備に対する制約であり、この時代になっても排水量12,000t付近という小型の船体に、敵主力艦に負けない性能を持たせることを迫られていた。
そういった制約から解放されるのは1896年、80年代の日本海軍に指導を行ったことで知られる、エミール・ベルタンが設計の担当者となってからとなる。
この時期には大きな差がついてしまった英海軍に対してはともかく、ドイツ艦隊法による同海軍の急速な成長に対抗する必要があった。
そこでベルタンによるレピュブリク並びにリベルテの両級は、排水量15,000tを基準に設計された堅実な艦として生み出されている。

前者は305mm主砲4門に164mm副砲と火力面では前級とあまり変わらないが、防御面に大きな革新を加えたものとなっている。
装甲配置を見ていくと、本級の船体形状はタンブルホームを抑えた長船首楼型で、甲板は船首楼、上中下の四層。
まず垂直装甲は主装甲帯が中甲板までに範囲を拡大。数字でいうと下端からの高さは3.8mm(シュフランが2.5m、シャルルマーニュはわずか2m)に。
この主装甲帯は最大厚280mmで、上部で240mmにまでテーパーする装甲を使用。厚さはさらに減少しているが、新たにクルップ鋼を採用したので防御力では前級に劣らない。
これによって、前級では110mmしかなかった下甲板から中甲板の範囲は、280から240mmの装甲で防御される事になり、有効な防御範囲を大きく増している
水平装甲もこれに合わせて大きく変化。前級が下甲板とその一段下の第一船倉甲板の2層に装甲を設けたのに対し、中甲板と下甲板の2層に。
こちらも主装甲帯の上端と下端の2層という点では変わらないが、垂直装甲に合わせて一段上の甲板になり、防御範囲を増している。
両甲板は軟鋼3枚重ねで、中甲板が55mm、下甲板水平部が45mm。さらに下甲板は特殊鋼と軟鋼の重ねせた70mmの傾斜部が導入され、垂直装甲を補強する役割を有している。

本級にて導入された新しい配置は、基本的には英戦艦で導入され、各国へ広がった要素を取り入れた物である。
主装甲帯が中甲板の高さまでになり、甲板傾斜部を導入したのがマジェスティック級(1895年より竣工)から、さらに水平装甲が中甲板との2層になるのはカノーパス級(99年より竣工)で採用されている。
(甲板傾斜部については艦種によって複雑な歴史をたどっているが、これは「装甲配置に関するメモ」を参照)
これと比較すると、フランス戦艦はかなり遅れた段階で英国戦艦に近い防御様式を獲得した事になるが、その代わり本級は同国の艦よりも確実に重装甲である。

続くリベルテ級は英キングエドワード7世級の情報を得たことから、リピュブリクの164mm砲を廃して194mm砲を砲塔とケースメイトの混載で10門搭載。英国と同じく準ド級艦へと変化した艦である。
両級は日本海軍の恩人ベルタンの作品とかそういう点を無視しても、目が覚めたかのように優秀な戦艦と言っていいが、その竣工は1906年から8年まで待たなければならない。
この優秀艦もドレットノートの革新性の前には、同時期の戦艦と同じく評価は下がらざるを得ない。

一方でドレッドノートの登場は既存の戦艦戦力のリセットを意味し、フランスにとってはこれまでの不利を挽回するチャンスでもあった。
(同時期には巡洋戦艦の登場で、多数を整備した装甲巡洋艦が旧式化してしまったが)
しかし1907年より建造が行われた次級ダントン級は、結局中間砲を搭載する準弩級戦艦止まりに終わってる。
同級は主砲4門を45口径砲として、砲弾重量は前級の349kgに対して435kgの重量弾を使用。そして中間砲は砲塔式の240mm砲10門に強化されている。
これは英ロードネルソン級と同じく大口径化による火力増強の傾向を見せてはいるが、単一巨砲艦には至っていない。
計画時には舷側に305mm単装砲を搭載する案もあったものの、建造期間へ与える影響と、当時想定されていた交戦距離では混載艦が優れるという意見が勝ったようだ。
(そもそも計画時のフランス海軍は、10kmを超えるような遠距離砲戦に適した射撃管制装置が整っていなかったので、弩級艦の利点があまりなかったと言う)

防御面も触れておくと基本は前級と同様である。変更点は前級にあった中間砲のケースメイトがなくなったのに加え、主装甲帯は250から上部で220mmにテーパーする装甲へと減厚している。
それでも一応ベレロフォンからネプチューンまでの英弩級艦に劣らない物で、おそらく薩摩型と同じく搭載砲に適した距離ではかなり強力ではあったと思われる。

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第二次大戦期の旧式戦艦、一次大戦期の未成・計画艦

クールベ級
フランス最初の弩級艦である
本級は4隻が1910年から建造、13~14年にかけて完成している。
本級は事故で喪失したフランスを除く3隻が条約期以降も保有され、練習艦という扱いだが一応若干の改装を受けた状態で二次大戦を経験している。その事からこの時期の仏海軍では最古参の戦艦となる。
なので表はここから掲載すべきなのかもしれないが、結果は次級とほぼ同じなので二次大戦期の評価含めそちらの項目でまとめておきたい。

竣工時の特徴としては、初の弩級艦という点に加え、その他の様々な点もレピュブリク級以降の仏戦艦から新たな一歩を踏み出した艦と言える。
まず船体は23,500tと前級から5000t近くも一気に大型化。形状もタンブルホームが完全に廃止された物に、主兵装は前級とほぼ同じ45口径12インチ砲を連装6基搭載。
主砲配置は比較的登場が遅めなのもあって、いきなり前後部で2基ずつ背負い配置を採用。船体中央で並列配置を取る2基と合わせて片舷に5基10門を指向可能となる。

またこの砲は砲塔構造も大きく異なる物で、ダントン級までが基本的に艦底まで達するセンターピボットによって旋回部を支えたのに対して、本級はローラーパスを挟んでリングサポートの上に載る形に。
加えて揚弾方法も以前までのように揚弾薬筒が砲室まで直通する物から、途中に換装室を経て上下に分かれる物になるという、言ってしまえば英国式の砲塔に変わっている。(動力はこれまでと同じく電動だが)

副兵装には対水雷艇と大型艦の両用を狙って55口径138.6mm砲を採用。これを前部上甲板上と後部中甲板上の2か所に設けた砲郭に、前者は片舷に3門ずつまとめて9門、後者は2門ずつ、合わせて片舷11門、計22門を搭載する。
機関は引き続き蒸気タービンを用いて当時の平均的な21ノット。本級は艦首砲塔の位置からフロントヘビー気味で凌波性には難を抱えていた。荒天時には前部の副砲などは(一段低い位置の後部副砲もだが)かなり影響を受けたようだ。

竣工時の防御面と評価
主装甲配置の面も変化が大きいので最初から見ていたい。なおこの時期の仏戦艦はバッキングを含めた装甲厚が紹介されている事も多いが、今回それは分けて書くものとする。
まず船体形状は第五砲塔まで船首楼が伸びる長船首楼型。重要区画上を通る甲板は基本的に船首楼上中下の4層。
垂直装甲は重要区画内では中甲板の高さまでに主装甲帯を設け、厚さは最厚で250mm。ただし主砲塔横の部分以外は本級も上部でテーパーして230もしくは220mmまで減厚する。(ここにバッキング10mm×2が加わる)。
この上には副砲砲郭の防御を兼ねて、前部主砲から第三煙突の範囲までは船首楼甲板の高さまでに、後部主砲周辺の砲郭範囲は上甲板の高さまでに上部装甲帯を設け、厚さは大部分が160mmでバッキングは主装甲帯と同厚。(3、4番主砲塔のバーベットの一部を兼ねる部分のみ232mm。そしてその周囲のみ142mm。両者のバッキングは10mm+28mm)
また重要区画外では、中甲板までの高さを持つ装甲帯が続き、艦首は全体、艦尾もほぼ端部までの範囲を防御。厚さは160mm上部140mmに(+バッキング10mm×2)。
水平装甲は重要区画内では主に2層を装甲化。上層は重要区画前部の副砲砲郭の範囲で船首楼甲板となり、厚さ40mm(25mm+15mm)で上部装甲帯上端に接続。それよりも後部では中甲板が48mm(18×2+12)で主装甲帯上端に接続。下層は共に下甲板を装甲化し厚さは平坦部が42mm(14×2+12)、外側は70mm(14×2+42)の傾斜部となって主装甲帯下端に接続する。
重要区画外では主に装甲帯の上下に接続する中甲板と下甲板の2層に装甲を設け、厚さは前者が30mm(12+18。一部は重要区画内と同じ48mm)、後者は平坦部40mm傾斜部70mm。
主砲塔は前盾250mm(+バッキング20mm×2)、天蓋72mm(24mm×3)、バーベット(円筒部分は)236mm(+バッキング17mm×2)。

材質については「装甲材質に関するメモ」にて触れているが、ここでも10年代の仏製装甲の補足をしておきたい。
まず主装甲帯や砲塔等の厚い垂直防御はKC。この時期のフランス製KC装甲はいち早くモリブデンの導入を行い優れた性能を実現していたとされる。 
そして下甲板傾斜部の42mm部分とおそらく砲塔天蓋、上部装甲帯の一部は特殊鋼。原語での名称は不明だがニッケルクロム鋼などを用いたKNC相当の均質装甲と思われる。なおややこしい事に上部装甲帯の160142mm部分ではKCと特殊鋼が混在しているようだ。
残る薄い甲板やバッキングは軟鋼。

配置をみると主装甲帯の形状や範囲、下甲板中甲板の間の細分化の試みと言った部分はレピュブリク級以降の仏戦艦より受け継いだ点となる。
それに対して大きな変更点としてケースメイト副砲と共に上部装甲帯が復活し、今までにない広い範囲に設けられている。重要区画間の一部のみではあるが、装甲帯が乾舷全体を覆う部分を有する部分を持ち、これは英戦艦でいえばキングエドワード七世級に近い配置と言える。
あとは前級で導入された水中防御隔壁を廃止、上部装甲帯の導入に伴い下甲板開口部に設けていたコーミングアーマーも無くなったのが変更点である。

主な配置や厚さは他国の初期弩級艦と大差ない物で、この程度でも砲弾が不完全だった時代の12インチ砲に対しては一定の物を確保している。また装甲範囲はコロッサス級までの英弩級艦に勝り、これは抗堪性の面で良い点だろう。
その中では比較的薄い上に本級の場合一枚板ではない砲塔天蓋が最も弱体かつ危険な部位(ここは同時期の艦もそうだが)と思われる。

竣工時のまとめと評価
この他にも外観を見ると、先述したようにタンブルホームの廃止に加え、さらに上構もミリタリーマストではない単脚マストに(後者は前級の時点でそうみたいだが)。
以上のように様々な要素がより英戦艦に近い形になっている事から、既存のフランス艦の要素をかなり薄めて完成した艦と言えるだろう。
装甲艦を導入した半世紀前や新生学派が盛り上がった時代とは違い、殆ど英国に追従する形に落ち着いてしまったと言えるのは残念な事かもしれないが、艦自体は中々に優秀である。

上記の通り防御面は表面硬化装甲の品質含め一定の物で、加えて攻撃面で徹甲弾の品質にも注目すべき物がある。
1913年に日本海軍が試験したフランス製徹甲弾は硬化処理を施した被帽を有し、同時期のイギリス製徹甲弾を明らかに上回る性能だったと言う。(それでも撃角が20度を超える場合の斜撃性能は不足。また硬軟目標への両用を目指した遅動信管を持つものの、メリニット炸薬の量が砲弾重量の4パーセントとかなり多く、自爆防止が十分だったかも不明)
その一方で主砲の最大仰角は12度に過ぎず、最大射程は13.5km。方位盤の導入も戦後と、この時期発展していた遠距離砲戦能力ではやや不利である。

以上の点から竣工時の本級は、12インチ砲搭載の弩級艦としては上位である。カイザー級以降の独戦艦相手こそ厳しいが、伊弩級艦に対しては片舷の主砲門数以外で優位を確保していると思われる。
加えて既にオライオンをはじめ超弩級艦も登場しているが、初期のそれらの艦に対しても完全に劣る訳でもない部分を持つ。自軍が想定していた10kmかそれ以下の交戦距離では、という注釈が付くものになるかもしれないが。

そして個艦性能以前の話として、建造が遅れたせいで英独には弩級艦戦力でも完全に差を付けられたのはそれ以上に残念な事だが、すでに英国との関係は改善しているし、地中海の伊墺海軍を相手にするなら十分なものだろう。
フランス海軍としてはここから挽回、と行きたいところだが、この後は第一次大戦が勃発、国家自体がこれまで以上の苦境に立たされる事になる。

戦間期の改装としては機関の換装(速力はほぼ変わらず)の以外にも、主砲仰角を23度に引き上げ最大射程を26kmに拡大。さらに大型三脚マストのトップに方位盤を有する射撃指揮所を設け、ある程度の遠距離砲戦を可能としている。
また上述した凌波性不足への対応として、艦首の装甲帯を撤去して重量軽減を行っているが、これ以外に防御面に関する部分の変更は特にない。
二次大戦時の戦艦としての評価は、基本的に次級と同じであるので後述したい。

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ブルターニュ級

1912年起工 1916~53年就役
166m 23,936t(常)    1912年式45口径34cm砲 連装5基10門(ロレーヌのみ改装後4基8門) 21.4ノット
装甲厚
垂直装甲 250mmKC+10mmMS×2 → 14mmMS+14mmMS+42mmKNC 傾斜約65度内傾   62
砲塔前盾  300mmKC+20mmMS×2 傾斜20度(内傾)

バーベット 236mmKC+17mmMS×2 
バーベット(艦内部) 160mmKNC+10mm×2 → 56mmKNC+17mm×2
水平装甲 15mm+15mm → 12mm+8mm → 14mm+14mm+12mm ≒  59/38mm
砲塔天蓋 24mmKNC×3 水平~7度傾斜

上部装甲帯→甲板 あり
上部装甲帯→傾斜部 なし

船体 長船首楼

ブルターニュ安全距離

 装甲部位\艦砲

8インチ

28cm

41年式36cm

14インチマーク7

15インチ

16インチ

46cm

 垂直装甲 貫通不能 18.5km以遠 25km以遠
30km以遠 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
 砲塔前盾 3km以遠 18.5km以遠 26km以遠 34.5km以遠 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
 バーベット(露出部)  8.5km以遠
(10km以遠)
 21.5km以遠
(24km以遠)
 26km以遠
(29.5km以遠)
 29.5km以遠
(31.5km以遠)
 安全距離なし 安全距離なし  安全距離なし
 バーベット(艦内部) 10km以遠   31.5km以遠  35km以遠 34.5km以遠  安全距離なし   安全距離なし   安全距離なし 
水平装甲  21kmまで 10kmまで 7kmまで 6.5kmまで 6.5kmまで 6kmまで 5kmまで
 砲塔天蓋 24km 
~21kmまで
 22.5km
~10kmまで
 13.5km
~安全距離なし
12km 
~安全距離なし
11km 
~安全距離なし
11km
~安全距離なし
9.5km
~安全距離なし 

垂直装甲(30度)  貫通不能 9km以遠 18km以遠 23km以遠 27km以遠 30.5km以遠 39km以遠

竣工時の概要と防御
最初に表で扱う本級は、クールベ級に続くフランス海軍の弩級艦で、プロヴァンス級の名でも知られる。新たに34cm砲を主砲とする、いわゆる超弩級戦艦である。
基本的には前級をベースに、そこまで船体を大型化させずに主砲口径を一段階引き上げて強化を図った艦であり、多くの面で前級との共通点を残している。

まず主砲は540kgの砲弾を用いる45口径34cm砲を採用。これを連装砲塔に収め、前後の背負い配置と中央部の計5基搭載。砲塔はすべて中心線上に置かれ、5基10門の片舷門数を維持している。
元々前級の三四番艦の計画時、英オライオン級の情報もあって34cm砲艦を建造する計画も存在した。しかし砲の設計にかかる時間から、ただでさえ出遅れた弩級艦整備を滞らせるとして却下。結果として本級が最初34cm砲艦となった。
副砲は配置が僅かに異なるが、同じく55口径138mm砲を上甲板と中甲板上の砲郭に計22門搭載。21ノットの速力と前部砲塔のせいで凌波性不足なのも同じく。

竣工時の装甲配置も基本は前級と同一なのでそちらの解説を参照して欲しいが、その中で一部に変化が見られる。
最も変化したのは砲塔前盾で、250mmから300mm(+バッキング20mm×2)に強化。 また水平装甲の内、重要区画前部の上部装甲帯を持つ範囲は船首楼甲板30mm、上甲板20mm、下甲板平坦部40mm傾斜部70mmという構成になっている。(この他に重ね合わせた合計厚は前級と同じだが、構成する板厚は違うという個所も)
なお砲塔装甲については400mmとかなり厚い数字が紹介される事もあるが、これはカウンターウェイトとして設けられた後面装甲の厚みである。この部分も前級から引き継いだもので、厳密には360mm+バッキングで400mm。 
加えて主砲がすべて中心線上に置かれた事で、前級にあった舷側がバーベットの一部を兼ねていた箇所も見られなくなった。

超弩級艦とはいえ、この時期の戦艦としてはやや小型なのもあって、主な部位の装甲厚は英独戦艦などと比べるとやや劣る。(英13.5インチ砲艦と比較すると艦首尾や上部装甲帯の範囲と、下甲板~中甲板間の装甲帯一部の厚さで勝る程度) 
ただし前級の解説で述べた通り、天蓋はなんとも言えないとしても、12インチ砲程度に対してはほぼ十分な防御力。前盾の強化も自艦クラスの超弩級艦を相手にする場合は有意義な物だろう。 
そして主砲口径を拡大して一発の威力を増したことは、防御面での差をカバーする上で大きな物があったと思われる。もっとも前級と同じく、最大仰角での射程は15kmに満たず、遠距離砲戦用の設備も不足している点は一次大戦期の環境ではネックとなる。

その後の改装と表の解説など
改装内容は前級に近い物で、主砲は最大仰角23度、新型徹甲弾にも対応して射程は23km台に。また三脚マスト上に方位盤を搭載するなど指揮装置の更新、副砲を一部撤去。機関は重油専焼ボイラーとギアードタービンに換装され、速力も若干向上している。
防御面については、本級の持つ250mm+α程度の装甲や、薄い水平装甲による多重防御を用いる装甲配置などが通用するのはせいぜい一次大戦期程度までである。
戦間期以降は砲術に加えて砲弾の進歩により、水平装甲はもちろんの事、最も厳重な主装甲帯→甲板傾斜部ですら戦艦主砲クラスなら普通に貫通可能になるだろう。
そんな環境の中、本級の防御面に関する改装は、前級と同じく艦首装甲帯の一部を廃止して重量バランスの改善を行ったのみ。特に強化を図った部分は存在しない。

もちろんフランス海軍は後述するように、一次大戦後の時点で水平装甲の必要性を十分認識しており、以降の計画艦や新戦艦では普通に厚い装甲を盛り込んでいる。
またワシントン条約では、既存戦艦の改装に関してフランスは伊海軍と同じく垂直装甲の強化も認められるなど、制限はむしろ他国よりも緩い物であった。

それにも関わらず改装が行われなかった理由として、まず本級は小型の船体に色々と詰め込み気味で拡張性が低い艦だったという事もあるが、基本的に大幅な重量増加が生じる大改装では、対応としてバルジや船体延長などの作業が必要となり、結果として膨大なコストがかかってしまう。
そしてそもそもの話、地中海の両海軍において、既存の戦艦の価値は低い物と見做されていた。伊戦艦の場合は独装甲艦の登場以降の連鎖反応で扱いが大きく変わっていくが、フランス戦艦は変わらず、新規建造計画を圧迫してしまう規模の大改装は避けられた形になる。
(機関の換装などは他国では出来てない艦もあるし、まったくの手つかずという訳では間違いなく無いのだが)

表の話に移っていくとして、防御面は十分な改装を受けられなかった旧式戦艦としか言いようがない。
水平装甲の薄さは致命的であるのは言うまでもなく、垂直装甲も全体的に有効とは言い難いものになった。

表以外の部位ではまず160+20mmの上部装甲帯を貫通するルートについて、この奥で重要区画を守るのは非装甲規格の薄板を重ね合わせた40mmの下甲板に過ぎず、砲弾や弾片の突入に対して有効とは言えないだろう。もっとも通常の水平装甲からして防御力不足なのでしたかないが。
70mmの傾斜部を抜くルートに関しては、主装甲帯がある程度の高さまであり可能性は低い。主装甲帯の上部テーパー部分(250220mm)を抜いた砲弾ならあるが、こちらは若干防御力が減少する程度。
水中弾対策は後述する被害からも分かる通り特になし。煙路防御は専用の装甲ではなく水平装甲の上層30mmもしくは上部装甲帯が担う。厚さ的に戦艦主砲へ対応する物ではない。
そして防御範囲的な面では、主となる水平装甲が水線付近であり、改装後は艦首水線部の装甲帯を撤去している(通常時の艦首浮力の為に必要な事だが)など浮力を失いやすい部分は割と存在する。

まとめとして防御面は見てきた通り弱体。また水平装甲が未強化な程度であれば、他国海軍でもそのような艦もあったが、本級の場合評価を不安にさせる要素は攻撃面にも存在している。
二次大戦時の34cm砲は一定の射程を得ている一方で、使用する砲弾は20年代の改装で対応した1912-1921年式砲弾を用いていた。重量554kgのこの砲弾は、弾体の上に実帽のみを持つ1912年式にさらに風帽を追加した物である。
風帽は空力特性の改善は当然の事として、加えて先端部分は着水時に脱落、平頭となって水中での直進性向上を狙った構造となっている。つまりこの時点で水中弾効果の利用を試みた砲弾なのである。
水中弾効果を利用した徹甲弾については、後述するように一次大戦前のリヨン級の頃まで計画は遡り、実用化の時期も日本の88式に先行する。近代戦艦の主砲弾としてはおそらく最初の例だろう。

と言う風に注目すべき面を持つ一方で、それ以外の構造は1912年式を受け継いだものである。被帽は硬化しているが鋭角に近い形状で、そして何より自爆防止機構を持たないメリニットを炸薬として大量に充填している。   
そこから装甲目標への性能はこの時期の徹甲弾として劣っていた可能性が高い。(上述した計画時の性能要求では撃角30度で貫通可能な装甲厚の設定がなされているものの、実現したか定かではないのと、どのみち戦間期以降の砲弾より甘い規格に思える)
水中弾効果というのは対戦艦戦で非常に魅力的なのは間違いないが、本分である装甲を貫通して重要区画に達する能力に疑問符が付くレベルの物は、さすがに二次大戦期の砲弾としてはまずいだろう。

以上のように、一応ダンケルクが竣工するまでは最強の戦艦となる本級だが、十分な改装がなされたとは言い難い点もあって、評価はかなり低くならざるを得ない。  
同時にダンケルクへの対抗から大改装を行ったイタリア旧式戦艦の相手は厳しい物がある。
速力に大きく劣り、防御面では水平装甲が強化されていない点から、よほど近距離で戦闘する機会がない限りは完封されてしまうだろう。

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最後に本級のブルターニュ、プロヴァンスの2隻は、英海軍によるメルセルケビール港襲撃でフッドやヴァリアント、レゾリューションといった15インチ砲艦による攻撃を受けており、ここでの被害を紹介したい。
港内に居た戦艦の中でも逃げ遅れたブルターニュは4発の命中弾を受けて爆発転覆し戦没。僚艦からの目撃情報や戦闘後に行われた潜水調査から推測される内容は以下のようになる。
まずほぼ同時に命中した最初の2発の内、最初の一発は水中弾となって後部弾薬庫に突入、誘爆から大量の浸水を引き起こし、もう一発は舷側の水線上を貫通後、機械室で炸裂し全動力と通信能力を喪失させる。
この時点で艦尾を沈降させ戦闘、航行能力を完全に失っていた同艦だが、その後2発の命中弾があり、うち一発は第三砲塔横の副砲群近くに命中。その後しばらくたって再び爆発を起こして急速に転覆したという。

潜水時の破壊状況から、最初に水中弾が飛び込んだ後部弾薬庫が再び爆発して致命傷になったと思われる。なお爆沈と言われる事もあるが、船体は十分原型をとどめており、ダイバーは無事な区画内に生存者を確認していたりと、ユトランドの巡戦やフッドの爆沈とはまた違う状況である。
また水中弾に加えて、主装甲帯もしくは上部装甲帯を貫通後、下甲板を抜いて被害が重要区画にも達した被害も想定される。戦艦の歴史を見ても、実戦で複数のルートから重要区画を抜かれた艦というのはなかなか無いのではないだろうか。
(ユトランドでマレーヤが似たような目に合ったが、どちらも重要区画へは達せずに致命傷とはならず)
そしてかつての英砲弾と比較すると、非常に少数の命中弾で簡単に同艦を沈めた事は、砲弾性能の進歩と一次大戦期の装甲配置がそれに対応できなくなった環境を如実に物語る例と言える。

次にプロヴァンスは主砲1門が砲口をかすめた砲弾で損傷、ダンケルクの天蓋で砕けた砲弾の弾片が射撃指揮所に命中。そして一発の15インチ砲弾が艦尾に命中、中甲板48mm部分を貫通後艦内で炸裂している。
これは重要区画外への被弾となるが、発生した火災を止められずに後部弾薬庫への注水を行った他、炸裂後には大弾片が40mm下甲板も抜いた後に反対舷の水線装甲帯に内側から直撃、これを脱落させた様で、大量の浸水を発生させている。
船体に命中したのはこの一発のみにも関わらず、同艦は沈没を防ぐため意図的に座礁せざるを得ない所まで追い詰められた。
ユトランドで同じく15インチ砲弾を受け、艦尾装甲帯が脱落しかけながらも戦い抜いたフォン・デア・タンとは対照的な被害と言えるだろう。(今回は砲弾性能が違いすぎるのに加え、装甲は普通外側からの衝撃を想定して取り付けられる物であるし、また炸裂で既に周辺の水密をかなり失っていたなど条件は異なるが)

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ノルマンディー級

1913年起工 未成(五番艦のみ空母として完成)
176m  25,250t(常) 1912年式45口径34cm砲 四連装3基12門 21ノット
装甲厚
垂直装甲 300mmKC+10mm×2→ 14mmMS+14mmMS+42mmKNC傾斜60度内傾 → 30mm
砲塔前盾 300mm+20mm×2傾斜15度
バーベット(露出部) 250mmKC+17mm×2
バーベット(艦内部) 160mmKNC+10mm×2 → 50mmKNC+17mm×2
水平装甲 26mm+14mm → 13mm+13mm → 14mm+14mm ≒ 63/51mm
砲塔天蓋  100mm水平~7度傾斜

上部装甲帯→甲板 あり
上部装甲帯→傾斜部 なし

船体 長船首楼

ノルマンディ安全距離

 装甲部位\艦砲

8インチ

28cm

41年式36cm

14インチマーク7

15インチ

16インチ

46cm

 垂直装甲 貫通不能 15km以遠 20km以遠
22.5km以遠 28.5km以遠 30km以遠 39km以遠
 砲塔前盾 3km以遠 20km以遠 24.5km以遠 33km以遠 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
 バーベット(露出部) 8km以遠
(9km以遠)
20.5km以遠
(23km
以遠)
24.5km以遠
(27km以遠)
29km以遠
(30.5km以遠)
安全距離なし
安全距離なし
40.5km以遠
(安全距離なし)
 バーベット(艦内部)  10km以遠  31.5km以遠 35km以遠 34.5km以遠  安全距離なし 安全距離なし  安全距離なし 
水平装甲  21.5kmまで 12.5kmまで 9kmまで 8kmまで 8kmまで 8kmまで 7.5kmまで
 砲塔天蓋  28.5km
~26.5kmまで
29.5km
~25.5kmまで 
23km
~18kmまで
22km
~16.5kmまで
21km
~13kmまで 
20km
~7.5kmまで
15kmまで
~安全距離なし 

垂直装甲(30度)  貫通不能 7.5km以遠 12.5km以遠 17.5km以遠 22km以遠 24.5km以遠 33.5km以遠

フランスは各国の建艦競争に対抗するため、1912年の時点で1920年までに一線級の戦艦28隻からなる艦隊を保有する事を計画していた。
これは一定の性能を有するリピュブリクからクールベ級の15隻、同年起工するブルターニュ級の3隻に加え、新たに10隻の戦艦を整備する計画である。
その内の5隻として最初の計画されたのが、次に扱うノルマンディー級である。

設計において問題となったのがやはり重量関連で、他国戦艦のインフレに対抗しつつ中、本級はドックの制約等で排水量25,000t程度の艦に収める必要があった。
それに対する革新的な解決法として、本級は新たに四連装砲塔を採用。これを前後部に加え船体中央に1基ずつ計3基を搭載し、34cm砲の搭載数を12門としている。
前級に比べ門数を2門増しながら主砲塔の重量は合計4500tと、500tの重量軽減に成功。艦内スペースの節約という面でも効果があるのは言うまでもない。
加えて砲塔配置は前級と同等の前方火力を維持しつつ、問題だった背負い配置によるフロントヘビーを回避。凌波性の向上にも効果があった。

サン・シャモン社が開発したこの四連装砲塔は、左右2門ずつを同じ砲鞍に乗せて俯仰させる物で、機構の複雑化を防ぎつつ、また被弾時の対策として両者は40mmの縦隔壁装甲で隔てられている。
つまり後のフランス四連装砲塔に受け継がれるアイディアがこの時点でも確認できる。(下部揚弾薬機の構造が誘爆対策的に怪しい物になったのもあるが、この時期の砲塔であれば仕方がない)
弩級艦以降ではどうしても英国追従のイメージが強かったフランス戦艦だが、本級以降はこのイメージを破り、四連装砲塔艦という独自路線を再び突き進んでいくことになる。

加えて副砲は同じく138mm砲だが発射速度の向上を図った物を、門数を増した24門搭載。配置はこれまで通りの上甲板と中甲板上に加えて、前部の6門は第一砲塔周辺の船首楼甲板上に新たに設けられた副砲砲郭内にあり、以前の物よりも一段高い位置なのが特徴である。

また速力こそ変わらないが、機関自体は蒸気タービンのみの前級までに代わってタービンとレシプロの混載に。
高速発揮の上ではタービンのみの方が効率は良いのは明らかだが、当時の直結タービンは低速時の燃費が悪く、巡航時の航続距離を得る為の選択である。(実際に護衛任務が主になる一次大戦時にはタービン搭載艦の燃費の悪さは欠点と認識される事になる)
なお建造が遅れていたベアルンのみ蒸気タービンのみ搭載の計画だったが、空母として完成した際の同艦には姉妹艦の機関が流用されたため結局混載艦となった。

竣工時の防御面と評価
一方装甲配置は前級より引き継いだ英戦艦の影響を受けた物だが、装甲厚を中心に変化も結構あるのでちゃんと解説しておきたい。
まず船体形状は第三砲塔まで船首楼が伸びる長船首楼型。重要区画上を通る甲板は基本的に船首楼上中下の4層。また第一砲塔と前艦橋周囲のみさらに一層最上甲板が加わる。 
主装甲帯は中甲板の高さまでに最厚300mm、上部で240mmまでテーパー。(バッキング10mm×2)。上部装甲帯は基本的に第二砲塔までの前部が船首楼の高さまで、それより後部は上甲板まで。さらに前部の中でも前部副砲砲郭横のみさらに一層上の最上甲板まで装甲帯を設ける。厚さはすべて160mm(+10mm×2)
また重要区画外では、中甲板までの高さまでに艦首は全体、艦尾もほぼ端部まで補助的な装甲帯を設け。厚さは160mm上部140mmテーパー(+10mm×2)。
水平装甲は重要区画上では甲板3層を装甲化しており、船首楼甲板(後部は上甲板)40mm(26mm+14mm)が上部装甲帯の上端に接続、間に中甲板26mm(13×2)を挟み、下甲板平坦部28mm(14×2)傾斜部70mm(14×2+42)が主装甲帯下端に接続。また中甲板装甲は外縁部の僅かな範囲のみ80mmに増厚するとも。
重要区画外では中甲板と下甲板の2層を装甲化、前者が30mm(15+10)、後者は平坦部28mm傾斜部70mm。
主砲塔は前盾300mm(+バッキング20mm×2)、天蓋100mm(おそらく三枚の合計厚だが表は一枚板で計算)、バーベット250mm(+17mm×2)。また機関部と中央部弾薬庫側面には30mm(10mm×3)の水中防御縦隔壁を設ける。

材質は基本的に前級までと同じ。なお水中防御縦隔壁は軟鋼2枚+特殊鋼1枚という構成。

装甲配置は前級までの物をベースにしつつ、いくつか変更点が見受けられる。
垂直防御を中心に装甲厚が増加した他、副砲配置の変化などに伴い上部装甲帯の範囲が拡大。加えて水平装甲は重要区画上で3層式になり、重要区画後部での上層が上甲板になるなどこちらも防御範囲を拡大している(新たに設けられた80mm部分は正直謎)。また背負い配置の廃止と上部装甲帯の拡大で、バーベットは艦内部の薄厚部分の範囲が相対的に広いのも地味に特徴である。
なお主装甲帯はこれまでの傾向でいうと300mm+バッキングではなく280mm+バッキング20mmの合計300mmだった可能性もあるが詳細は不明。

また大きな変更点と言えば水中防御隔壁が復活している。これは範囲こそ重要区画の一部のみだが、ダントン級の物と比べても外板からの幅が深くなり、隔壁の手前の区画には燃料層を設けるなど進歩した物となった。
なお本級の計画では水中防御の導入は重要な要素とされ、実際に採用された物とは大きく異なる装甲配置を設ける案も存在した。
そこでは中甲板以上の船体幅を狭めて、副砲や上部装甲帯の位置を艦の内側に移動させると共に、その下端から艦底までに達する縦隔壁装甲を設ける。同隔壁は弾片防御や水雷防御を担い、また上部装甲帯の外側に出来た空間にはブローオフパネルならぬブローオフハッチを設けて、隔壁が防いだ爆圧を艦上に逃がそうとしていたようだ。

話を戻すとして、本級の装甲は第一次大戦の環境において、特にバーベットや砲塔天蓋が厚くなったのは同クラスの艦と比較する上で結構重要な改善点である(ちなみに砲室後面は重量バランスが良くなったのか減厚した)。
攻撃面も四連装砲塔の信頼性という点はあるが、門数を増しただけでなく遠距離砲戦への理解も若干進んできて、最大射程はまだ短めだが15度で16.5kmとなる予定と進歩している。 
こういった進歩もあり、本級は14インチ12門程度の各国超弩級艦とも十分比較出来る物と言える。同時期の15インチ8門艦が相手でも、不完全な砲弾を用いてお互い爆沈せずに削り合いとなってくれれば、十分戦える面もあるだろう。
伊カラッチョロ級は高速戦艦なので本級とは速力面で差があるのが難点か。

建造再開計画
そんな本級だが、起工後に第一次大戦が勃発したことにより建造は凍結。戦後にはそのまま建造を再開する計画に加え、少しでも大戦後の環境に対応すべく改設計案が検討されている。
ここでは攻撃面では主砲仰角の引き上げと方位盤の搭載、防御面ではバルジの増設に水平装甲の強化(配置不明だが要求では120mm厚に)を行う。また別案として船体を延長した上に機関を最新のボイラーとギアードタービンを搭載、倍以上の出力8万馬力で25~26ノット程度の高速艦とする案も存在する。

しかし当時の財政状況ではどれも実行に移せるものではなく、仮想敵であるイタリア海軍の戦艦戦力もさほどという事で、再開計画は凍結。
殆どは進展のないままワシントン条約が結ばれ廃艦に。以前より空母改装計画が存在し、実験も行っていた五番艦ベアルンのみ航空母艦として完成が許されている。

もし戦後建造できていた場合、原設計のままでも貴重な戦力に違いはない。(造船部門の責任者は本級を指して「今の船であって未来の船ではない」と建造再開計画の際に述べたように、この時期の16インチ砲艦にはかなわないが)
二次大戦期に他の大改装艦に対抗する場合は、垂直装甲は兵装に見合った防御とも言えなくもないので、あとは水平装甲の強化はもちろんの事、徹甲弾をダンケルク級などと同じ最新の規格まで強化したい所。
前級までの改装規模を考えると、大改装を行うには色々と環境が変わっている必要があるが。

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リヨン級

計画のみ(設計完了前に計画中止)
194.5m  29,600t(常)   
45口径34cmC型砲 四連装4基16門 21ノット
船体 長船首楼

フランス海軍が一次大戦及び海軍休日前に計画した最後の戦艦が、開戦で計画中止となったリヨン級である。
本級は建造予定艦の命名まではされたものの、設計の詳細までは完了せず。本級の姿とされる図にも一部推測が混じるなど不明な部分も存在する。だが基本的にはさらに大型化したノルマンディー級の強化版である。

まず船体は設備の拡張などを受けて29,000t級まで拡大し、主砲は前級に対して四連装砲塔を一基追加。これで34cm砲の門数は16門と、近代戦艦の門数としてはおそらく史上最多に。
砲塔配置については前後部で背負い配置を取る物が戦時中の米専門誌に掲載されているが、設計者のメモにはフロントヘビー回避の為に前部で背負い配置をとらないスケッチが残るなど、最終的にどのような形になったかは不明である。

また主砲自体も45口径34cmであるのは同じだが、使用砲弾は重量590kgに増加し、20年代の砲弾で導入される事になる水中弾効果の積極的な利用を狙った構造を持つ新たな砲弾が計画されていた。(砲塔動力もなぜか液圧である)
計画では他にもさらに重い630kgの砲弾を用いる50口径34cm砲、そして当時の各国戦艦の中でも最大クラスの(砲弾は800kgと軽め)38cm砲が検討されている。またこのサイズの艦なら12インチ20門積めるというメモも残っているが、さすがに検討されず。
ただし当時のフランス海軍でも(一般的に大口径化の利点が大きい)遠距離砲戦の実現性については実験を通して徐々に認識されていたが、自軍の交戦距離として想定された10km台前半では34cm砲で十分と判断。そもそもの部分で今回も設計にかかる時間の問題があり採用されていない。

他に副砲は先述したスケッチでは138mm砲24門をノルマンディーと似た配置で搭載。機関はノルマンディーの混載式、ベアルンの直結タービンのみに加え、ギアードタービンへの興味を示していた事が分かっているが、最終的な決定はされていない。

そして防御面については当初こそ前級とほぼ同じ物が予定されていたが、攻撃面でも注目されていた水中弾効果に対応した防御が以降の戦艦に要求された事で、これに応じた研究が行われている。
この際に提案された防御は、文章のみでは少々具体的な配置は分かりづらいが、第一砲塔前から第三砲塔後ろまでの範囲(つまり第四砲塔横は範囲外)に、装甲甲板(下甲板)の端部から水線下6~4.5mの深さまでに装甲を設け、 厚さは80mm(一枚板ではない)35mmとなる。
一方で重量増加の代償として、160mm(+10mm×2)であった上部装甲帯の副砲砲郭部分は100mm(+10mm×2)に減厚。同時にその背後にある主砲バーベットは幾分か強化するとされている。

厚さは後の戦艦程ではないので効果の程は不明だが、当時見られた普通の水雷防御隔壁等とは明らかに異なる物で、おそらく近代戦艦では世界初の水中弾防御装甲である。
もっとも本級は建造されず、以降のフランス戦艦でも水中弾防御用にそこまで厚い装甲を設けた艦は存在しない。この研究が残した影響は不明である。

まとめると防御面は前級に引き続き超弩級艦として一定の物。攻撃面は主砲口径でこそ再び一部に後れを取る形になったが、まず16門という門数はやはり注目に値する。斉射時の投射重量だけ見た場合、本級は16インチ8門艦すら上回り、10門艦に匹敵する。  
そして攻防の両方で既に水中弾効果に着目していた点は非常に面白い。計画された新型砲弾は着水後100m直進可能という、事実なら九一式以上の効果を想定しており、信管ならびに自爆防止が不十分だった疑惑のある当時の砲弾にとって、装甲目標への有効打を増やす可能性を秘めている。 
(ユトランドでケーニヒに命中した英13.5インチ砲弾が良い例で、重要区画に達せずに水中防御区画内で炸裂するも、弾片を突入させて重要区画内への浸水や火災を発生させている)

本級もまた、前級と同じく比較的短い距離での削り合いで真価を発揮する艦だと思われる。その場合の戦闘力は口径で勝る艦にとっても侮れない物で、一次大戦期でも最上位だったと見て良いだろう。
ただし仮に戦後に建造されていたら等は、以降は交戦距離の延伸によって口径が重視される部分もあるので、評価を下げる面があるのも否定できない。
その場合、条約では主砲口径の拡大が許された点を利用して、15インチや16インチ8門に改装し直す事も選択肢かもしれない。

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第一次大戦前の巡洋戦艦案

研究のみ

ジル案 
205m 28,347t(常) 45口径34cm砲 四連装3基12門 27ノット
ヴェール案A
210m 27,500t(常)  45口径34cm砲 四連装2基8門 27ノット
ヴェール案B
208m 27,500t(常) 37cm砲 四連装2基8門 26~27ノット

フランスは新生学派の時代に、装甲帯を持ち中小口径砲への防御力に優れた装甲巡洋艦を導入するも、巡洋戦艦の誕生により旧式化してしまった事は先述した。
これらの艦の中にはドイツのブリュッヒャーの様に主砲口径を統一したエドガー・キーネ級(19.4cm砲14門)も含まれるが、結局単一巨砲の巡洋戦艦を整備することは出来なかった。

しかし1914年の時点で英独に対抗して巡戦を整備する必要性が認識されており、研究案としてはそれ以前の1913年に提出された以下の2案が知られている。
どちらもノルマンディー級をベースに、防御面も以前の戦艦に匹敵する物を持つ高速戦艦的な艦であるが、それぞれ具体的に見ていこう。

ジル案
同案は1911年に英国でライオン級を含む主力艦建造を視察、1913年にはブレストでノルマンディー級フランドール建造の監督などを行っていた造船官であるP. ・ジル(フルネーム不明)が作成した案である。

主砲は1912年式の34cm砲をノルマンディー級と同じく3基12門搭載。ただし船体中央部は高速発揮の為の機関部が占めるので、第二第三砲塔が後部で背負い配置を取る形に。
船体はついに全長200mを越えるまで長大化した事に加え、砲塔が端部に寄った事への重量バランスの変化に対応する為、前後部を中心に縦強度の確保を重視した構造を新たに採用している。
副砲はやや減少した20門をノルマンディー級に近い配置で搭載。ただし後部砲郭も一段上の高さである上甲板上に設けられた。

機関は中圧を除いて直結の蒸気タービンを用いて出力8万馬力。速力28ノットを以て、22~3ノット程度と想定された他国戦艦に機動力の優位を確保する事を狙っている。

そして装甲配置について判明している部分を書いておくと、まず重要区画内の垂直装甲は副砲配置などからノルマンディー級に準じた装甲範囲を持つと思われ、厚さは主装甲帯270mm、上部装甲帯180mm(共にバッキングを含む厚さ)。一方で艦首尾の装甲帯は廃止され「舷側横方向の集中」をとる形になる。
水平装甲は重要区画上の下甲板のみ判明しており、ここも若干減厚し平坦部20mm傾斜部50mmに。また上甲板は不明だが強度上の都合で厚めになったとも。
砲塔装甲は不明。水中防御隔壁は重要区画の側面全てをカバーする範囲に拡大。また水中弾防御は作成時期もあって存在しない。

主装甲帯がノルマンディーからは減厚したが、ブルターニュに対しては同厚かつ上部装甲帯の範囲で勝る。最新の戦艦と比較すると防御面が犠牲になった部分は確かにあるが、十分高速戦艦的な厚さと言える。
艦首尾の装甲帯廃止については、敵補助艦との交戦時などにはマイナス面かもしれないが、少なくとも重要区画の装甲は戦艦並にすべき、という目標の為の選択である。

ヴェール案
こちらは後に大将になるデュラン・ヴェール大尉が作成した物で、彼を含む学生たちが海大の研究課題として提出した案の中の一つである。
研究案と言えば技術部門が要求に応じて作成するのが普通で、その点若干気色が違う物と言えるだろう。

と言っても各案の内容は将来用兵側の中核を担うであろうエリート層が当時どのような艦を望んでいたのか知る上で興味深い物であり、そこで全体の傾向を若干触れておきたい。
まず実を言うと、ここで提出された中でも巡戦案は少数派であり、大多数は戦艦、それも英QE級を意識した24~25ノット程度の高速戦艦が中心であった。
そして主砲は38cmから34cm砲で、後者が優勢。リヨン級でもそうだったが、当時の地中海で想定される交戦距離では34cm砲で門数を稼ぐ方が優先され、また大口径砲が有利な遠距離砲戦は攻撃精神が足りないと否定的である。
機関の混載を採用した案は存在せず。そして防御面では前後部の装甲帯はやはり重量の無駄として廃止、他にも具体的な配置は不明だが水平装甲の重視も指摘されている。

本案はA案ならびにB案が存在する。
どちらも同サイズの船体に主砲は四連装砲塔を艦の前後部に1基ずつ配置し計8門搭載。A案は34cm砲と控えめな一方でB案は880kgの砲弾を用いる37cm砲を採用。19世紀のアミラル・ボーダン級以来となる珍しいサイズとなる。
副砲は138mmの発射速度を増した物をA案が24門、B案は28門搭載。
機関はA案が直結タービン7万4千馬力で27ノット。B案は一部缶が重油専焼となり、直結タービン6万3千馬力26ノットもしくはギアードタービン8万馬力27ノットの2案が存在する。

装甲については主要な部分はノルマンディーに準ずる物で、主装甲帯が280mmに減厚(バッキング含む厚さかは不明)。ただし各案の部分で先述したように前後部の装甲帯はジル案と同じく廃止か。

普通に考えてAB両案を同排水量に収めるには、B案はどこかの重量をA案より削る必要がある。その範囲としては機関の違いに加えて、上部装甲帯の内副砲砲郭の装甲が該当するとされる。

まとめ
仏巡戦の両案は、共に巡戦が登場して既に結構時間が経った時期に作成されている。それもあって運用思想は最初期の装甲巡キラー的な物ではなく、艦隊戦において優速を活かしつつ敵主力艦と戦闘を行う、高速戦艦的な物となった。
防御面はこの時期重要な砲塔防御が不明な点はあるが、その他の主な部位は自国のブルターニュ級相当で、フッド以前の英巡戦全般に勝る。また重装甲で知られる独巡戦に対しても主装甲帯の高さや上部装甲帯の厚さなどを加味した場合、モルトケ級までの艦に負けないレベルである。
もっともブルターニュの装甲はこの時期の戦艦としては薄めではあるし、最新のノルマンディー級や他国の超弩級艦と比較した場合は控えめ。そしてマッケンゼンやカラッチョロと言った、攻防走三拍子の揃った計画巡洋戦艦・高速戦艦に対してもやや劣る面があるだろう。
一方で火力面は特にジル案とヴェール案Bが強力な物を有しており、総合的に見た場合は両級にも匹敵するかなり有力な高速戦力になっていたかと思われる。

ただし本案は上で紹介してきたノルマンディー、リヨンなどの未成・計画艦とはまた違い、本格的な建造計画に発展する事の無かった一設計案にすぎない。その点も注意すべきである。

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大戦後の戦艦計画

第一次大戦により大きな被害を負ったフランスは、日本の八八艦隊計画の様に、大戦後に新たな戦艦計画を実行に移すことは出来なかった。
ただ先述したノルマンディー級を改めて完成させる計画の他に、45cm砲の開発計画が存在していたようだ。

これまで見て来た通り、フランス戦艦の主砲はリヨン級で38cm案が採用されなかった為34cm止まりだったが、45cm砲はそこから11cmもの拡大を行うことになる。
これはユトランド海戦での艦砲の効果をフランスなりに研究した結果、艦砲には貫通力と貫通後の破壊効果の両立が必須であり、それには可能な限り大口径の砲を搭載するのが一番手っ取り早いという所から来ている。
そして現行の設備で45口径砲を製造した場合、とりあえず実現可能な最大サイズが45cmだったというわけだ。

他ページでも見てきたように、この頃には日米英の三か国で18インチ砲艦案が登場している。
それらの艦の砲と比べて、この砲は1366kgと大体同じ程度の砲弾を使用するが、初速はなんと875m/s。これは米国の48口径、日本の50口径砲を大きく上回り、砲弾自体も長大な風帽を設けて最大射程47kmと色々オーバースペック。

もちろん後年の38cm砲での諸問題から45cm砲ではそれ以上に問題が増える事も考えられるし、徹甲弾の効果は同時期の日本海軍も苦しんだピクリン酸充填砲弾の自爆防止が可能かどうかで大きく左右される。
それでも基本は非常に高性能で強力な砲として計画されており、海軍国としての地位は低下し続けていたとはいえ、多くの分野で兵器技術を引っ張ってきたフランスの面目躍如とも個人的には感じる。

なおこの砲を搭載する艦の計画自体は行われていない。
ただし参考にした本だと、戦後のフランスは20年かけて4万トンクラスの戦艦11隻を整備する長期的な海軍拡張計画を検討しており、ワシントン条約さえなければその艦に搭載された可能性があるとの事だ。

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条約期の計画案

ワシントン条約により各国の建艦競争が終わりを告げたこの時代、条約下でのフランス海軍はイタリアと同等、英米日に次ぐ量の主力艦保有が許されている。
ドイツの没落と日本の勃興で、世界第四位という立場は戦前より変わっていないが、隣国イタリアに並ばれてしまった点は国防上非常に大きな問題である。
保有艦の内、弩級艦の数は7対5(後にクールベ級フランスの事故で6対5に)と勝り、さらに超弩級艦を保有と全体の質でも勝ってはいるが、明確な優位とはならない。
この状況で両国は、保有量の制限が設けられなかった巡洋艦以下の補助艦艇を盛んに整備し、相手に差をつけようと新たな建艦競争が勃発する。

そしてイタリアと同じく、他国より一足先の27年から代艦建造が可能になる主力艦も、この競争の影響を受けた艦が研究される。結果として一次大戦期の戦艦とダンケルク級を繋ぐ要素を持つ案が作成されていった。

まず最初に提案されたのは17,500t主力艦(巡洋戦艦)案である。
同案は不明な部分も一部あるが、最大出力18万馬力、速力34~35ノットの高速力を持つ代わりに、防御面は対8インチ防御とされる(配置などの詳細は不明)。
また主砲は長砲身の55口径12インチ砲を4連装砲塔で2基搭載。配置はダンケルク級へと受け継がれる前部集中配置をこの時点で採用している。
(装甲艦時代のように船体中央部で梯形配置にする案もあるらしい。なお上で見たように当時のフランス装甲艦ではこの配置は採用されていない)

同案は対巡洋艦を重視した高速軽装甲の主力艦という事で、以降に各国で多数が計画・建造されるクルーザーキラー的な大型巡洋艦、高速戦艦である。また本案はその中でも特に初期に登場した案と言える。

何度も書いているように、戦間期の海軍戦力では「戦艦より速く巡洋艦より強い」艦は非常にいやらしい存在である。ただしそういった艦は一次大戦の戦訓が証明したように、重装甲の純粋な戦艦を相手にしては不利は否めない。
そうなると、フランスと同じく代艦の建造を行うイタリアとの間で純粋な戦艦戦力の差が生じてしまうのは問題となる。
そこでより大型で強力な装甲を持つ、37,000t巡洋戦艦案が新たに登場する。(制限を超過しているように見えるが、基準排水量では35,000t以内らしい)

この案はより資料が残っているので詳しく紹介していくと、まず全長250mと今までにないサイズに巨大化した船体に、主砲は同じく12インチ4連装砲。後部に砲塔一基を追加し門数を12門に強化している。
副兵装も判明しており、まず130mm砲を4連装砲砲塔3基で12門搭載。ただしダンケルク級の物とは違いこの時点では両用砲ではなく平射砲。別途対空用の90mm高角砲を単装8基搭載する。
そして速力も18万馬力で33ノットと高速を維持(断面図には石炭庫が確認できるが混焼だったかは不明)。機関配置は後の新戦艦と同じくシフト配置を導入した。(なお16インチ6門27ノットの中速案も存在する)

さらに本案は装甲配置についても断面図が残る機関部内の配置は明らかになっており、第一次大戦前の艦より大きく変化しているので少々詳しく見ていきたい。
まず船体形状は第三砲塔手前まで船首楼が伸びる長船首楼型で、重要区画上を通る甲板は船首楼、上、中、下の四層。
垂直装甲は中甲板の高さまでに280mm(+バッキング)の主装甲帯を有し、上部は今までと同じく上部で220mmまでテーパーする。そして中甲板より上の舷側は非装甲。
水平装甲は主に中甲板と下甲板の2層を装甲化。前者は合計厚90mm(75+15)で主装甲帯の上端に接続。後者は水平部25mm、傾斜部は65mm(25+40)となり主装甲帯の下端に接続する。この他には上甲板15mm、船首楼甲板38mm(20+18)。
また機関部側面には3層の縦隔壁を設け、この内2層目が50mmの水中防御縦隔壁となる。
装甲材質は不明だがダンケルク級以降の艦と同じ物になっていたと思われる。(つまり詳しい性能等はどのみち不明)

変更点を見ていくと、垂直装甲は前後部の配置こそ不明だが、舷側上部については守るべき副砲砲郭がない事もあって廃止し、主装甲帯のみに設ける形に。
ただし主装甲帯の上部がテーパーする形状は残している点から、これだけではダントン級の配置に近い形に戻っただけとも言える。

それ以上に大きく変化したのは水平装甲で、主装甲帯の上端に接続する中甲板を重点的に強化している。
先述したように既存の戦艦は戦間期に水平装甲の強化を行う事はなかったが、この事から当時のフランスでも遠距離砲戦や爆弾への防御が認識されていた事がわかるだろう。
また厚い中甲板とその下層に設けた亀甲状の弾片防御甲板との組み合わせは、以降装甲厚の変化こそあれど、実際に建造される新戦艦へも受け継がれる事になる。

そして全体的配置の特徴をおおざっぱに言うと、本案は既存の配置の上部装甲帯を廃して装甲範囲を減じた代わりに、垂直装甲上端の水平装甲を強化。限られた区画を重点的に防御する方向へ指向した物である。
実際に補足のページでいう所の「舷側縦方向の集中」と「水平装甲の集中」という、(近代戦艦における)集中防御の定義2つをある程度満たしてる点から、近代戦艦以降ではフランス初の集中防御艦と言えなくもない。
ただし主装甲帯が上部で減厚し、均質な防御力を発揮できない点は「舷側縦方向の集中」に一部反しており、この点から日本の長門型(改装前)と同じく過度期的な配置と言った方が正しいか。

これ以外の防御面の特徴として、水中防御では機関部横のみだが、装甲縦隔壁の外側に一層空層を挟んで重油層を設ける液層防御としているのも進歩である。

全体的な評価として、本案は高速のクルーザーキラーというだけではなく防御面も大きく強化されている。
配置に過渡期的な部分を残していたり、そもそも装甲厚的に防御力には限界がある物とは言え、既存の仏戦艦にないレベルの水平装甲を得たのは大きい。 
一方火力は門数と砲身長に優れるとは言え、排水量の割に主砲口径が小さい面は否定できないが、総合的に見て仮想敵になっていたはずの独装甲艦や伊改装戦艦を相手にする上で十分だろう。
しかし本案もドックや予算の問題に加え、当時はイギリスが個艦の排水量制限をさらに厳しくしようと動いていた事もあって、採用は見送られている。

その後設備ならびに個艦制限の引き下げ問題に対応した案として進められたのが23,333t巡戦案である。
同案は以前の17500t案と比較して、主砲は同等の12インチ8門前部集中、速力は30ノットに低下する一方で防御面を強化。この時期大きな脅威となっていたドイッチュラント級への対応を図った案である。
そして最終的にはさらなる大型化を経て、主砲口径の拡大や対28cm防御を盛り込んだ新世代の高速戦艦であるダンケルクへと発展していった。

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ダンケルク級

1932~34年起工 1937~42年就役
ダンケルク   26,500t  215m 1931年式50口径33cm砲 四連装2基8門 31ノット
ストラスブール 27,320t 215m 1931年式50口径33cm砲 四連装2基8門 31ノット

装甲厚(ダンケルク)
垂直装甲 外板 → 225mmKC(+16mm)傾斜11.5度→40mm傾斜24度(内傾)
砲塔前盾 330mmKC傾斜30度(内傾)
バーベット 310mmKC+15mm×2 327
水平装甲(弾薬庫) 8mm→20mm→125mmNC+15mm→40mmNC ≒ 159/141mmNC(材質不明)
水平装甲(機関部) 8mm→20mm→115mmNC+15mm→40mmNC ≒ 148/131mmNC(材質不明)
砲塔天蓋 150mmKC 水平~7度傾斜

上部装甲帯→甲板 なし
上部装甲帯→傾斜部 なし

船体 平甲板型

ダンケルク安全距離

 装甲部位\艦砲 8インチ 28cm 41年式36cm 14インチマーク7 15インチ 16インチ 46cm
 垂直装甲 7km以遠 20km以遠 23.5km以遠
26km以遠 28km以遠 32km以遠 37km以遠
 砲塔前盾 貫通不能 13km以遠 28km以遠 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
 バーベット 3.5km以遠
(5km以遠)
14km以遠
(16km
以遠)
16.5km以遠
(19km以遠)
20km以遠
(23km以遠)
24km以遠
(27km以遠)
25.5km以遠
(28.5km以遠)
32.5km以遠
(33.5km以遠)
水平装甲(弾薬庫)  貫通不能 34.5kmまで 27.5kmまで 26.5kmまで 26.5kmまで 26kmまで 24.5kmまで
水平装甲(機関部) 貫通不能 34kmまで 26.5kmまで 26kmまで 25.5kmまで 25kmまで 23kmまで
 砲塔天蓋 貫通不能 34km
~31kmまで
 
安全距離なし? 安全距離なし? 安全距離なし? 安全距離なし? 安全距離なし?

垂直装甲(30度)  3.5km以遠 15km以遠 19.5km以遠 21.5km以遠 24km以遠 27.5km以遠 34km以遠

艦の概要
本級はフランスが代艦として海軍休日中に建造を開始した戦艦であり、四連装砲塔艦の中では最初に竣工までこぎつけた艦でもある。
上で見てきたように、戦艦としてはドイツ装甲艦対策から23,333t案にさらに改良を加え、主に攻防両方の面で対艦戦闘能力を向上。二番艦ストラスブールは防御面を更に強化して完成している。

まず本級は全長約215mと、建造された仏戦艦ではこれままで最長。そして実を言うと、先述した建造設備の問題は200m以上の艦に対して未だに存在していた。
200m以上の艦が入れるドックなら海軍工廠含め複数存在したが、それらの多くは修理改装用に過ぎず、建造設備を備えたドックでサイズを満たすのは民間のサンナゼール造船所の一か所のみであった。
そこで一番艦ダンケルクの建造時には艦首先端の17mは別途製造し、これを欠いたまま進水させた後に改装用ドックに入れて継ぎ足すという、中々大胆な手法が採られた。 
(なお後述するように、本級は就役後に艦首の強度不足が露呈しているが、同じような事をした次級の実績からしてこの建造法との関係はないだろう)

攻撃面は主砲として一回り大型の52口径33cm砲を採用。これを前部に2基8門搭載する。
この砲塔は左右2門ずつの俯仰、中央の装甲縦隔壁と、ノルマンディー級より計画されてきた機構がついに実現した形に。また集中配置と言っても、被雷等で一度に全砲塔が被害を受けないようやや間隔を空けて配置している。 
加えて130mm両用砲を四連装3基、連装2基の計16門(片舷10門)搭載し、副砲は同砲のみに統一するという意欲的な物となった。(動力機構の信頼性などあまり評判の良い物ではなかったが)

速力は10万7千馬力で計画速力29.5ノットと高速を維持。なお細身の艦首形状もあって荒れた北大西洋を航行した際には、たびたび艦首が水没してしまう等、凌波性は十分ではなかったとされる。
凌波性不足は近い時期の欧州新戦艦も度々悩まされた物だが、本級の場合は船体自体の軽構造が祟って艦首修理の為ドック入りしている風に、より大きな問題が存在した。

装甲配置と防御
防御面を見ていくと、装甲配置は新戦艦編で扱ったリシュリュー級とほぼ同じだが、一応重要区画外の配置含め最初からまとめていきたい。なお2番艦ストラスブールは別に解説するとして、まずはダンケルクから。

船体形状は2番砲塔から船体後部の副砲群までに中央楼を設けた平甲板型で、重要区画上を通る甲板は上中下の三層の他大部分で中央楼が加わる。
垂直装甲は重要区画間のみに設け、この部分は中甲板の高さまでに11.5度の傾斜を持つ主装甲帯を内装式で設け、厚さは225mm(+バッキング16mm)。これより上の舷側は非装甲。
水平装甲は重要区画内では中甲板と下甲板を主に装甲化。前者は弾薬庫125mm+15mm機関部115mm+15mmで主装甲帯の上端に接続。後者が水平傾斜部共に40mmで装甲帯の下端に接続。この他には上甲板20mmなど。
また重要区画外では艦首が非装甲。対する艦尾は舵機械室を覆う範囲まで亀甲状の下甲板を伸ばし、厚さは水平部傾斜部共に舵機械室までが100mm、舵機械室上が100+50mmになる。 
主砲塔は前盾330mm、天蓋150mm、バーベット310mm(+バッキング15mm×2)。副砲塔は四連装が前盾135mm、天蓋90mm、バーベット120mm。連装は砲室20mm、バーベット60mm(20×3)。
この他には水中防御縦隔壁が30~50mm。また中甲板から上甲板の高さまでに煙路防御として20mmの縦隔壁が確認できる。

具体的な材質は何度も言っているように不明な部分が多いが、傾向として垂直装甲全般に加え、当時の仏戦艦の特徴である主砲の砲塔天蓋と言った物が浸炭装甲。中甲板(バッキングを除く)と下甲板、副砲塔などが均質装甲。バッキングや上甲板以上の水平装甲が高張力鋼系統と思われる。

本級の配置を見ていくと、以前の37000t巡戦案までに存在した装甲帯上部のテーパー部分を廃し、舷側縦方向の集中が完全になった事から、より完成した集中防御艦と言えるだろう。
またアイディア自体は一次大戦期から存在したが、前後部の垂直装甲も実際に廃止され、「舷側横方向の集中」についても満たす事となる。

また主装甲帯はフランス戦艦初の傾斜装甲となった点に加えて、内装式という選択も注目される。
内装式の傾斜装甲に、舷側横方向の集中まで行った狭義の集中防御との組み合わせは、主砲塔の前部集中と同じく英国のネルソン級と共通する物である。
37000t巡戦案は装甲帯のテーパー部分を加味した場合は竣工時の長門型、無かった場合はニューメキシコまでの米標準型に米標準型に近い配置である。同案からの変化はかなり大きく、より進歩した物と言えるだろう。
本級の計画時により新しい要素を持つネルソン級の情報が入って、その影響を受けたという事だろうか。

ただし影響の有無はともかくとして、ネルソン級の模倣ではないフランス独自の要素も確認できる。
傾斜装甲を採用しつつも高さ(深さ)のある装甲帯、主な装甲甲板に一段下に設けた亀甲状の弾片防御甲板を残す点などがそれにあたる。特に後者は以前の条約期計画案より受け継いだ物となる。(その分水平装甲の集中ができてないとも言えるが)

また水中防御も以前の案をベースに発展させた独自の物である。
本級も装甲隔壁を含む多数の縦隔壁と重油層を組み合わせた液層防御を採用しているが、以前の案より防御層の幅が深いのに加えて、一番外側の区画には中甲板の高さまで(加えて弾薬庫横は一番奥の装甲隔壁手前の区画にも)エボナイトムースと呼ばれる発砲素材を充填している。
これは爆圧を吸収したり、区画をあらかじめ埋めておく事で浸水量を局限したりする事を狙った物で、過去にもコルクや石炭、比較的最近では水密鋼管が似た目的で用いられている。

話は変わるが、本級も砲室の後面装甲はカウンターウェイトの為に345mmと前盾よりも厚い。そしてこの部分の装甲材質には「引っ張り強度60kgの特殊鋼」が用いられている。
「装甲材質などの話」などで述べたように、これは特殊鋼とは言え引っ張り強度60kgという数字から装甲規格か怪しい物と思われる。つまり防御上に必要な厚さを大きく上回る部位であるので、材質を変えてコストを削減したのだろう。

表の解説
特に改装はないのでここからはいつも通り表の内容を見ていきたい。装甲材質については新戦艦編と同じく1920年代の表面硬化装甲とドイツWh鋼を使用して計算している。

まず垂直装甲は上でまとめた通り、内装式の傾斜装甲帯と背後の下甲板傾斜部の組み合わせ。
内装式の装甲帯という事は装甲帯に命中する前に船体外板を貫通する必要があるが、フランス戦艦の場合は後のアイオワ級のようにこの部分に装甲が貼られているわけではない。
表をみると仮想敵である装甲艦の主砲より強力なシャルンホルスト級の28cmに対しても対応している。しかしそれ以上の艦砲に対して装甲帯は傾斜込みでも薄めなのは否めず、背後の傾斜部も厚さや形状的に弾片防御に過ぎない物である。  
15インチ以上に対しては多少角度が着いてもやはり厳しい結果となる。

砲塔前盾も14インチ以上の艦砲に対しては脆弱。本級も中央隔壁を設けて一度に全門が使用不能になる確率を減らしている。
一方でバーベットは損傷すれば一基全体が使用不能になる恐れが高いので、防御力もこちらの方が高いのはこのためか。

水平防御は垂直装甲と比較してかなり厚い。地味に竣工時は最も強力な機関部水平装甲を持つ艦なのでは、と思ったが実際は改装後のニューメキシコ級に次ぐ数字だった。
表を見ると弾薬庫は20km台後半での命中弾がない基本的に安全で、機関部にしても46cm砲以外には許容範囲と十分なものとなった。
(外殻→中甲板のルートではわずかに狭くなり、弾薬庫は貫通不能/34km/27km/26km/26km/25.5km/23km、機関部は貫通不能/33.5km/26km/25km/24.5km/24km/21.5kmとなる)

砲塔天蓋は日本の旧式戦艦と同じように、14インチ砲以上に対して安全距離なしとなっているが、理由も同じく表面硬化装甲を使用している事による。
ダンケルクの砲塔天蓋についてはメルセルケビールでその防御力が実証されてしまったので、大口径弾に対する防御に問題がある可能性は高いだろう。
(余談だが、メルセルケビール時のダンケルク級は砲塔を陸側に向けていたせいで云々というが、砲塔損傷時は一応英艦隊に砲塔を向けた状態で被弾している)

表以外の部分も見ていくと、まず上部装甲帯云々のルートは本級の配置的に関係なし。
続いて水中弾防御。フランス海軍の水中弾への関心や防御の試みについては上で見てきたが、本級の配置では主装甲帯を水線下のある程度まで伸ばす、深い水中防御層を設けるといった消極的な対処法にとどまっている。
そして煙路防御は上で述べた弾片防御の他には、次級と同じであれば蜂の巣甲板を持つはずだが詳細は不明である。

そして浮力保持の観点では、艦首尾を含む集中防御の結果、非装甲となった部分は当然小口径弾含め被弾に脆弱である。ただし戦艦主砲の徹甲弾へは中途半端な厚さを設けても無駄であるし、装甲範囲については浮力維持に必要な範囲を計算した上で設定されるなど、浮力面がまったく考えられていない訳でもない。 
それとは別に条約期の艦なので仕方ないが、構造自体に無理があるのではないかと言う点や、実戦例を見ているとスペックに比べてソフト面を含めた抗堪性が低いという印象が拭えない点はあるだろう。

まとめ
本艦の防御面は対28cm砲とそこまで重装甲が要求された訳はない点に加え、スペック以外で疑問符が付く部分も存在する。
それでも、その配置は戦間期以降の戦場を想定した洗練された物を持つ点から、既存のフランス戦艦を上回る対弾性能を実現している。
元々の装甲厚的に限界はあるが、独装甲艦の28cm砲、そして伊改装戦艦の32cm砲と言った仮想敵相手でも有効。また水平装甲はそれ以上の相手にも通用するだろう。

攻撃面について。主砲用徹甲弾は既存艦とは違い新規設計され、炸薬としてメリニットにジニトロフェノールを混ぜて鈍感化させた物、つまり英海軍が用いたシェルライトとほぼ同じ物を用いて装甲目標への有効性を上げている。
高初速も相まって水平装甲への威力は低いが、垂直装甲に対する貫通能力は基本的に14インチクラスにも匹敵する強力な砲である。また以前の砲弾と同じく水中弾効果用の機構は維持されている。

ただし同砲弾はこの時期の砲弾としてはかなり斜撃性能が低く設定されており、傾斜装甲や横方向の角度が着いて命中した場合、垂直装甲への強みも大分失われてしまう。
その理由にはこの時代の徹甲弾にしては薄く鋭角な被帽形状に加え、炸薬がなんと砲弾重量の3.6%と、他国徹甲弾の二倍近い量(特に炸薬量が少ない米海軍であれば半徹甲弾扱いされる量)で、その分弾殻が薄い点が考えられる。
そこから本砲弾は格上戦艦の装甲貫通というよりは、独装甲艦や巡洋艦を中心に比較的抜き易い艦を主目標として、貫通後の破壊効果を最大限高める事でそれらの艦に対して少数で打撃を与える事を狙った砲弾なのだと思われる。

砲術的な部分では指揮装置等は時代相応の新しい物。ただしせっかく導入したRPCは信頼性や出力不足で実用レベルではなかったのと、また同一砲鞍に乗った砲身2門の間隔がやや狭く、(交互打ち方を用いた場合でもこの2門を同時発射するので)散布界が悪化する傾向もあった。 
また防御面では新戦艦編でも述べたように、エンドレスチェーン式の下部揚弾薬機の誘爆対策に疑問がある点も。

以上細かく見ていくと疑問符の付く点もあるものの、サイズを抑えつつ強力な装甲や主砲を持ち、設計そのものの革新性も高い。過去の巡戦とは違う「新世代の高速戦艦」にふさわしい物である。
「戦艦より早く、巡洋艦よりも強い」本級が海軍休日中に登場した事は、各国海軍にかなりの影響を与え、ドイツではシャルンホルスト級、イタリアでは旧式戦艦の大改装やリットリオ級の計画など、第二次大戦にまで至る建艦競争へと繋がっていく。
その後はフランスのたどった運命により戦歴には恵まれなかったが、戦艦史の最終段階へ繋がるこの時期で重要な存在である。

仮想敵との比較も若干書いておくと、まず本来の仮想敵である装甲艦や条約巡の相手は十分すぎる物である。当初の目的通り確実に圧倒することが出来るだろう。
そして一つの仮想敵となるイタリア改装戦艦に対しても、有効な安全距離を持ち火力でも勝っている。基本的には本艦が有利である。

それに対して中々難しいのが本艦への対抗から生まれたシャルンホルスト級である。中戦大巡編でも計算しているが、垂直貫通に優れた本艦の主砲はシャルンホルストのドイツ式装甲配置と非常に相性が悪い。
対する相手の28cm砲は威力に劣るものの、それでも接近戦時には本艦の装甲を抜きかねない物である。勝敗は砲塔へ命中弾などを与えるなど、接近戦になる前に同級の戦闘力を削ぐ事が出来るかに左右されるだろう。
また実戦で砲火を交える事になった15インチ搭載の英戦艦を相手にした場合は、さすがに防御的に厳しい部分ある一方で、フッドや大改装後のQE級を含め自艦の主砲が通用する部分もあり、絶望的な相手ではないという所か。

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最後に実戦での被害として、メルセルケビールでは本艦も15インチ砲弾4発の命中で大きな損傷を負い、プロヴァンスと同じく沈没を防ぐために擱座させられている。
損傷は先述したように第二砲塔天蓋が割れて砲室右側に破片が降り注いだのも損傷の一つだが、この被害は砲室左側や砲塔下部には達せずに大事には至らず。また右側の一門も人員を補充すれば使用可能な状態に復旧している。
そして擱座の主な原因となったのは主装甲帯を貫通した二発の15インチ砲弾による被害である。

このうち一発は装甲帯の上部を命中貫通し、130mm砲の揚弾筒を破壊しつつ中甲板と下甲板の間で炸裂。もう少し下を抜いた二発目は、後ろの傾斜部や水中防御区画も難なく突破し缶室内で炸裂している。
これらの被弾により砲塔などを動かす電力や水圧の供給が途絶え、本艦は戦闘能力を喪失。さらに機関部の通風システムが一部で停止し、煙や蒸気が充満した機関部の大部分を放棄している。
この時点で未だに無事な機関もあり自力航行は可能だったが、それでも英艦隊から逃げるような速力が出せるわけでもなく、座礁させられた。

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装甲厚(ストラスブール)
垂直装甲 外板 → 283mmKC(+16mm)傾斜11.8度→50mm傾斜24度(内傾)
砲塔前盾 360mmKC傾斜30度(内傾)
バーベット 340mmKC+15mm×2 357
水平装甲(弾薬庫) 8mm→20mm→125mmNC+15mm→40mmNC ≒ 159/41mmNC(材質不明)
水平装甲(機関部) 8mm→20mm→115mmNC+15mm→40mmNC ≒ 148/131mmNC(材質不明)
砲塔天蓋 160mmKC 水平~7度傾斜

上部装甲帯→甲板 なし
上部装甲帯→傾斜部 なし

ストラスブール安全距離

 装甲部位\艦砲 8インチ 28cm 41年式36cm 14インチマーク7 15インチ 16インチ 46cm
 垂直装甲 4km以遠 15km以遠 17.5km以遠
21.5km以遠 24km以遠 25.5km以遠 32km以遠
 砲塔前盾 貫通不能 9.5km以遠 16km以遠 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
 バーベット 2km以遠
(3km以遠)
12km以遠
(13km
以遠)
14.5km以遠
(17km以遠)
17.5km以遠
(20.5km以遠)
21km以遠
(24km以遠)
22.5km以遠
(25.5km以遠)
28.5km以遠
(32.5km以遠)
水平装甲(弾薬庫)  貫通不能 34.5kmまで 27.5kmまで 26.5kmまで 26.5kmまで 26kmまで 24.5kmまで
水平装甲(機関部) 貫通不能 34kmまで 26.5kmまで 26kmまで 25.5kmまで 25kmまで 23kmまで
 砲塔天蓋 貫通不能 35km
~32.5kmまで
 
安全距離なし? 安全距離なし? 安全距離なし? 安全距離なし? 安全距離なし?

垂直装甲(30度)  1km以遠 10km以遠 13km以遠 16.5km以遠 19km以遠 22km以遠 28.5km以遠

二番艦ストラスブールはイタリアが戦艦建造に乗り出した事を受け、ダンケルクから装甲を強化した艦である。
配置はほぼ同じで、舷側装甲が傾斜11.8度の283mmになったのを始め、下甲板水平装甲の傾斜部が50mmに、主砲塔が前盾360mm、天蓋160mm、バーベット340mm(+15mm×2)に強化された。

表を見ていくと、砲塔天蓋こそ相変わらずだがそれ以外の部位は日英14インチ砲対応レベルまで引き上げられている。
同時期に建造、計画された巡洋戦艦・大型巡洋艦などクルーザーキラーと呼ばれた艦の中では、最も優れた防御を持っていると見ていいだろう。

本艦は火力面の強化がないとはいえ 一番艦では主力艦として若干薄めだった垂直装甲の強化は大きい面がある。
その点からシャルンホルスト級に対しても、接近戦になる前に有効打を与え勝利する可能性を高めているだろう。また一番艦では防御面に不安がある対金剛型へも優位か。

リットリオやビスマルクと言った4万トン級の新戦艦が相手になるとさすがに勝ち目は薄いが、本級の役割からして仕方がない。
これらの艦の相手はリシュリュー級という事で、むしろ想像すると面白いのが、英フッドと万全な状態で対決した場合だと思う。
フッドが予定されていた大改装を行っていれば勝ち目は薄いだろうが、メルセルケビール時のフッドと単独で戦闘した場合は中々いい勝負になるのではないだろうか。

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最後にツーロンで自沈した後の本艦は、枢軸側によって浮揚された後に、米軍の空襲により撃沈されている。
再び浮揚された後の写真を見ると、砲身がすでに切断されるなど解体が進んでいるが、残された主砲塔が激しく損傷していることがわかる。
その中でも一番二番ともに砲塔天蓋に大穴が開いているのが確認できるが、これは貫通されたというよりは、装甲を支える構造が耐え切れずに装甲板が落ちたのだろうか。

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リシュリュー級

1935~36年起工 1940~61年(68年)就役
 一番艦43年米国で完工 二番艦49年竣工
248m  37,000t  1935年式45口径38cm砲 四連装2基8門 32ノット

装甲厚
垂直装甲 10mm → 330mmKC+18mm傾斜15.4度 → 50mm傾斜24度(内傾)
砲塔前盾 434mmKC傾斜30度(内傾)
バーベット 405mmKC
水平装甲(弾薬庫) 25mm→170mmNC+10mm→40mmNC ≒ 199/183mmNC(材質不明)
水平装甲(機関部) 25mm→150mmNC+10mm→40mmNC ≒ 180/164mmNC(材質不明)
砲塔天蓋 170mmKC水平~195mmKC傾斜7度

上部装甲帯→甲板 なし
上部装甲帯→傾斜部 なし

船体 平甲板型

リシュリュー級安全距離

 装甲部位\艦砲 8インチ 28cm 41年式36cm 14インチマーク7 15インチ 16インチ 46cm
 垂直装甲 1km以遠 11km以遠 12.5km以遠
16km以遠 19.5km以遠 20.5km以遠 25km以遠
 砲塔前盾 貫通不能 1km以遠 1km以遠 13km以遠 27.5km以遠 29.5km以遠 安全距離なし
 バーベット 貫通不能
(1km以遠)
9.5km以遠
(11.5km
以遠)
11km以遠
(13.5km以遠)
13.5km以遠
(16.5km以遠)
17km以遠
(20km以遠)
18.5km以遠
(21km以遠)
24km以遠
(27.5km以遠)
水平装甲(弾薬庫)  貫通不能 37kmまで 30kmまで 29kmまで 29kmまで 29kmまで 29kmまで
水平装甲(機関部) 貫通不能 35.5kmまで 29kmまで 28kmまで 28kmまで 28kmまで 27kmまで
 砲塔天蓋 貫通不能 37kmまで  安全距離なし?
~28kmまで
安全距離なし?
~21.5kmまで
安全距離なし?
~17kmまで
安全距離なし? 安全距離なし?

垂直装甲(30度)  貫通不能 6km以遠 7.5km以遠 10km以遠 13km以遠 16km以遠 20.5km以遠

艦の概要と防御面
次はフランス最後かつ世界最後に就役した戦艦の一つでもあるリシュリュー級。新戦艦編でも扱ったがそれ以外の事を中心に書いていきたい。
同級はダンケルクの登場を受けて伊海軍が進めた新戦艦計画(リットリオ級)への対抗と、これらの艦によって個艦制限に引き下げを狙う英海軍の動きが一時的にとん挫した事を受け、制限一杯の3万5千トン級(完成時には超過)に大型化した戦艦である。
その設計はダンケルクをベースに改良を加えた物であり、主砲や装甲配置を含む多くを要素を受け継いでいる。

まず船体は全長250m近くまで大型化。一番艦リシュリューの建造では前級と同じドック問題から、艦首43mに加え艦尾8m分を欠いた状態で進水させ、後にこの二つを継ぎ足す方法が採られた。
攻撃面では、主砲は大型化した45口径38cm砲を四連装砲塔で採用。条約制限一杯の16インチ砲も検討されたが、四連装砲塔でも船体に収まる大きさとしてこちらが選ばれている。
そして砲塔配置についても、ネルソンのような3基を前部集中配置する案、中央部の中心線上に2基を配置する案が存在したが、結局ダンケルクと同じ2基を前部配置となっている。

一方で副兵装は130mm砲に変えて55口径6インチ砲を採用。水上射撃能力の強化を目的とした選択だが、最大迎角は大きく一応両用砲的な能力が期待された物である。
計画時は前級の副砲のような配置で三連装砲塔を5基(片舷9門)搭載する予定だったが、最終的に搭載されたのは後部の3基(片舷6門)のみ。代わりにリシュリューでは45口径100m高角砲を連装6基搭載し、二種類の混載として完成している。

機関は幅の小さい新型ボイラーの採用による機関部の短縮、煙突と後部艦橋が一体化したMACK構造の導入といった特徴があるが、出力自体も15万5千馬力で計画速力は32ノットと強化されている。
また公試時には過負荷で短時間のみだが32.6ノットを発揮。これはアイオワ級が戦時積載の都合で計画速力を記録していない(もっとも同級は理論上過負荷で35ノット出るが)事を考えると、新戦艦の中でも屈指の高速戦艦といえる。
加えて本級は単純に船体が大型化したのに加え、艦首形状や船体強度的な部分も改善。前級で問題だった凌波性は劇的に向上した物となった。

装甲配置は基本的にダンケルク級と同一の配置で、重要区画を中心に強化した物となる。

ここも重要区画外含め見ていくと、垂直装甲は重要区画間のみに設け、この部分は中甲板の高さまでに15.4度の傾斜を持つ主装甲帯を内装式で設け、厚さは330mm(+バッキング18mm)。これより上の舷側は非装甲。
水平装甲は重要区画内では中甲板が弾薬庫170mm+10mm機関部150mm+10mm。下甲板水平部40mm傾斜部50mm。この他には上甲板20mmなど。
また重要区画外では艦首がほぼ先端まで下甲板に40mm。艦尾は舵機械室を覆う範囲まで亀甲状の下甲板を伸ばし、厚さは水平部傾斜部共に舵機械室までが100mm、舵機械室上が100+50mmになる。
主砲塔は前盾430mm、天蓋170~195mm、バーベット405mm(+バッキング15mm×2)。副砲塔は前盾130mm、天蓋70mm、バーベット100mm。
この他には水中防御縦隔壁が30~50mm。煙路側面20mm。材質は前級とほぼ同等である。

それ以外の変更点としては、重要区画外の艦首にも薄い水平装甲を設けている。これは英戦艦の「傘」装甲のような防御上の効果というよりは、前級で問題だった構造的な強化のために設けられた物である。
他には6インチ副砲塔は最厚部の厚さでは前級の130mm4連装に劣るが、全砲塔ともに同じ厚さに。なお100mm砲は弾片防御のみ。
水中防御も基本的に同じだが、エボナイトムースの充填層が重要区画の前部横隔壁の前方、つまり艦首の根本の区画に設けられたのも変更点である。

表の結果とそれ以外の部分
ここでも前回と同じく、1920年代の表面硬化装甲とドイツWh鋼を使用して計算。
結果としては、自艦と同クラスの主砲を持つ新戦艦等が相手でも基本的には対応した物となる。
なお砲塔天蓋はより厚い傾斜部では若干の安全距離を持つようになったが、未だに有効とは言えない物に。

補足として砲塔前盾の傾斜は今回参考にした書籍にて30度とされていたが、同書の図(模式図ではなく図面をトレースしたと思われる詳細な物)を測ると20度に。どちらを信用すればいいものか。

外殻→中甲板を載せておくと、弾薬庫は 貫通不能/36.5km/29.5km/29km/29km/29km/28.5km。機関部が 貫通不能/35.5km/28.5km/27.5km/27.5km/27.5km/26.5km。

表以外の部分では、まず水中弾防御は前級と同じく消極的な物。そして煙路防御は弾片防御程度の隔壁だけでなく、開口部に300mmの蜂の巣甲板を設けた事が確認出来る。
浮力保持や抗堪性の観点では基本的に前級と同じで、艦首に設けた薄い水平装甲やエボナイトムースの充填層などは改善点と思われる。
一方で抗堪性の面は、やはりカサブランカにて1000ポンド爆弾によって前後部に大きな損傷を受けている点から、構造的な部分の弱さがあったという印象は拭えない。

まとめ
これも新戦艦編でやってしまったので最初にまとめておくと、本級も一部兵器としての信頼性に関する疑問点があるものの、前級からの強化や改善点が多く盛り込まれた物である。
スペック面でリットリオやビスマルクと十分に戦える攻防力に加え高速性を兼ね備えた、非常に優秀な戦艦と言える。

攻撃面を見ていくと、当初採用された38cm砲の徹甲弾(1936年式)は、33cm砲弾と多くの面で共通するが、炸薬量は弾重の約2.5%と比較的常識的な物に。垂直装甲への貫通力は強力で、他の欧州新戦艦に十分通用する物である。
なお同砲弾は弾底部に化学剤(言ってしまえば毒ガスだが)充填用の空洞を設けていた。これはダカールでの戦闘にて空洞保護用のキャップが腔圧で砕け、高速の破片が弾腔内まで突入した事で引火、腔発を引き起こす原因になってしまった。

完工後に用いられた米国製の1943年式徹甲弾は、当時の米国式徹甲弾に準じた物で、化学剤や水中弾効果の為の構造はない。また初速も下げられている。(炸薬はD爆薬を2.27%と米国式にしては多め) 
その一方で分厚く鈍角の被帽を持ち、斜撃性能など装甲に命中した際の能力だけを考えた場合には、こちらの方が普通に上だろう。

他には前級と同じ散布界の問題が存在したが、戦時中に発砲遅延装置を設けるなど対策が取られている。ただ満足行く段階になったのは戦後のようだ。
このように攻撃面を含めた戦闘能力では、竣工時よりは43年以降の方が明らかに優れると見た方がいいだろう。

またフランス海軍は戦後になってジャンバールを完成させるなど、本級はアイオワ級程ではないが比較的長期間運用されていた。
この時期の改装はレーダー類の充実や対空能力の強化が主な物だが、より大規模な改装が行われたジャンバールでは、未搭載だった高角砲として新型の55口径100mm砲を最終的に24門搭載。また実戦で衝撃に弱い面が指摘された塔型艦橋に変えて、よりシンプルで低めの艦橋となったのも特徴である。
これらの結果満載排水量が4万9千トン近く、軽荷で4万2千トンにもなった事から、基準排水量も4万トンを超える物になっていたはずである。この対応としてはバルジを増設した事が確認出来る。

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その後の計画艦
まずリシュリュー級で未成に終わった三四番艦については、建造設備の都合で建造まで時間の余裕がある事から、設計の変更が行われている。
3番艦クレマンソーは主に副兵装の配置が改正され、6インチ副砲は2基を背負い配置にする形で4基12門(片舷9門)に。加えて100mm高角砲12門と混載になった。(時系列的にリシュリューでの100mm砲搭載より先)

そして4番艦ガスコーニュでは、主砲の前部集中を取りやめ、前後部に1基ずつ配置(また6インチ副砲も3基を中心線上配置、100mm高角砲は8基16門に)するという大胆な変更が予定されていた。
これによって同艦は艦首正面へ指向できる主砲は4門に半減するも、艦尾方向の真後ろへも同数の砲門を指向する事が可能となった。 
艦首を向けた接近時や追撃戦で全門を使用できる利点はなくなったが、その代わりに撤退戦など対応できる幅を広げる事を重視した選択である。

一方で集中配置の利点である重要区画の短縮という恩恵がなくなった事で、バイタルパート長はリシュリューに対して4m弱長大化している。
主砲並びに主要区画の防御は基本的に変わらないのだから、限られた重量でより効率よく火力と防御力を確保する、という観点では逆行した面もある。(計画排水量自体は同じ35,000tの予定だったが)
ただ正直なところ第二次大戦期の戦艦としては、それ以外の要素も重要である。 
特に主砲の集中配置は爆風などの関係で、対空火器を含む副兵装の配置が偏ってしまい、その分有効な射界を得る上で不都合な点が問題であった。
同艦の改正はその問題を解消する効果もあった事から、戦艦の本分であった対戦艦以外の面ではこちらの方が適した艦と評価できるだろう。

なおその対戦艦で重要となる装甲については、基本的な配置はリシュリューより変化はない。クレマンソーは重量増に対応する為、主装甲帯が320mm、副砲前盾が116mmになるなど若干減厚。密閉砲室に収められた高角砲は30mm厚に。
そしてガスコーニュもそれを受け継ぎ主装甲帯が320mmだが、基数が減少した副砲塔については前盾155mm、天蓋85mm、バーベット150mmと強化。また煙路防御も30mmとなっている。

そして最後の戦艦案であるアルザス級は、エスカレーター条項の発効を受けて計画された、フランス海軍史上最大の戦艦案である。
これまでに見てきた2クラスで分割建造という複雑な方法を併用した事からも分かるように、大型の主力艦を建造出来る設備の不足という点は、フランス海軍にとってかなりの足かせとなっていた。
その事から発効当初こそより大型化した艦の整備には積極的ではなかったが、ドイツ海軍のZ計画により状況は一変する。同計画のH級戦艦に対抗する必要から、建造ならびに運用設備の拡張計画と共に本級の計画が進められている。

39年より用意された案は以下の3種類。いずれも主砲配置は前部2基後部1基の計3基というスタンダードな形を採用したのが特徴となる。
「1」排水量40,000t、主砲38cm砲9門、31ノット、主な装甲厚(主装甲帯、中甲板、下甲板の3つのみ記載)はリシュリューと比較して中甲板の水平装甲を強化(機関部170mm、弾薬庫180mmに)
「2」排水量42,500t、主砲40.6cm砲9門、31ノット、主な装甲厚はリシュリューと同等
「3」排水量45,000t、主砲38cm砲12門、32ノット、主な装甲厚はリシュリューと比較して主装甲帯を350mmに強化

この中でも最大の「3」案は、主砲一発の威力こそ前級から変わらないが、12門という門数は大きな特徴であり、ゲーム等でもこの姿で登場している姿も確認できる。
ただし実際の所、結局設備や建造期間などの関係で、実際に発注されたのは最も現実的とされた38cm9門の「1」案だったそうだ。

この案でも一応スペック上ではリシュリュー級を攻防ともに上回るのだから、欧州戦艦の中でもかなり有力な艦になる事は間違いない。
ただアイオワ級相手は言うまでもなく、H39にライオン級など同時期に各国が計画した16インチ砲艦と比べると若干寂しい物を感じてしまうのも本音である。

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おまけ 1
イタリア・フランス巡洋艦
軽巡・重巡編その2へ移設

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おまけ2

イタリア18インチ砲搭載戦艦?(フェルディナンド・カッショーネのボイラーを水線上に設けた大型巡洋戦艦案)

非公式案
285m 45,000t 456mm連装砲4基8門 35~40ノット
装甲厚
(材質はすべて推定)
垂直装甲 456mmKC傾斜18度 → 80mmKNC
砲塔前盾 不明
バーベット(露出部) 不明
バーベット(艦内部) 150mmKC傾斜12度 → 不明
水平装甲 120mmKNC → 80mmKNC傾斜50度内傾
砲塔天蓋 不明 

上部装甲帯→甲板 あり
上部装甲帯→傾斜部 あり

船体 長船首楼型

 装甲部位\艦砲 8インチ 28cm 41年式36cm 14インチマーク7 15インチ 16インチ 46cm
 垂直装甲 貫通不能 4.5km以遠 5km以遠
9km以遠 11.5km以遠 13km以遠 16km以遠
水平装甲 貫通不能 33.5kmまで 26kmまで 25kmまで 25kmまで 24.5kmまで 23kmまで

某海戦ゲームのティア10として出るという予想でその存在を知ったが、元々は1921年にフェルディナンド・カッショーネ(Ferdinando Cassone)という人が雑誌「Rivista marittima」に寄稿した論文中に出てくる大型巡洋戦艦(grande incrociatore da battaglia)案である。
(この論文自体は現在ネット上で公開されている。筆者は未読のまま解説を書いてしまったが、2023年になってようやく存在を把握したのでその内容を反映して改稿)
端的に言うと、本案は伊海軍で正式に研究・検討された案ではなく、実現性も皆無である。本来はこのページでとりあげるべき物ではない(やっていたらキリがない)が、案自体は興味深い点をいくつか持つので、特別に書いてみたい。

案の概要と背景
まず大まかなスペックを見ていくと、本案は排水量4万5千トンの船体に主砲18インチ(厳密には456mm)連装砲を前後に2基ずつ、計4基8門搭載。
副砲は6インチ砲を多数とあり、中心線上に大和型のように三連装砲塔2基を置き、残りはケースメイトとする物、ケースメイトのみとする物の2案が存在する。

そして兵装以上に注目すべきはその速力と機関配置である。
論文中では最大出力が21万6千馬力、速力は35~40ノットにも達すると主張している。そしてこのような大出力の機関を、機械室の上に缶室を置く二階建て配置にする事で長さを短縮し船体に収める事を狙っている。
またこの配置は全長短縮の他、ボイラーの浸水対策や通風のし易さ、そして水中防御幅の確保が利点としてあるという。

そもそもの話だが、この論文自体が昨今の主力艦に関する要素を一通り論じつつも、機関の項目ではかなりの文量をこの二階建て機関の提案に費やしている。
そしてこの大型巡洋戦艦自体、その利点を説く例として作成されたというのが実態のようだ。

また本案の誕生のヒントになるのが、論文中に出てくる比較対象である。
まず挙げられたのは米海軍のレキシントン級で、攻防走すべてにおいて本案が上回るとしている。
そして注目したいのが、論文の序盤で登場した「排水5万7千トン、18インチ砲8門、出力20万馬力33.5ノットの最大戦艦」であり、それに対しても同等以上の性能を持ちつつ小型化出来ると評した点である。

この最大戦艦案は、特に言及はなく一部異なる点もあるが、主なスペックはヴィッカース社のジョージ・サーストンがブラッセイ海軍年鑑の1920-21年号に寄稿した論文に登場する物と酷似している。
特に現行のシャフトの強度上、4軸20万馬力が出力の上限であるとした点、防御重量を排水量の32パーセントとした点は完全に一致しており、執筆者が意識しているのは間違いないと思われる。
つまりサーストンという権威ある設計者の想定を借りつつ、自身のアイディアでそれを上回る艦を作成し、アイディアの効果を示そうとしたというのが、本案の背景として考えられるのではないだろうか。

ここで艦の性能に話を戻すが、仮に本当に計画されたとしても実現が難しいのは言うまでもない。
肝心な速力については、比較的近いスペックのアイオワやレキシントン、八八艦隊の4万5千トン巡戦案と比較した限り、35ノットでも微妙(公試条件にもよるが)で、40ノットは荒唐無稽という感じだろう。
18インチ砲などもサーストンの最大戦艦に合わせただけで、当時のイタリアで計画されていない事からも、本案が机上の物である事を示している。

そもそも論文中で「排水量については厳密に計算したわけではない」と作成者が白状しているので、真面目な艦艇の計画としては批判を免れない物である。

防御と装甲配置
上記の前提の上で防御面も見ていきたい。本案は兵装や速力に劣らずスペック上は非常に強力な装甲を持つと同時に、水線上に置かれ被弾面積の大きい缶室の防御の為、特徴的な装甲配置を有している。
正直なところ筆者の文章力で伝えられるか微妙である為、元画像を貼るのでこれを参照しつつ読んでもらいたい。
 

最初から見ていくと、まず船体は第三砲塔まで船首楼が伸びる長船首楼型で、また二番砲塔から三番砲塔まではその上に中央楼が加わる。
そして重要区画上を通る甲板については、断面図がある機関部はボイラー配置の為変則的になっており、弾薬庫上の詳細は確認できない。
缶室は実質長船首楼型と上甲板の2層のみで、一応その下の機械室との間には第一船倉甲板が通る。そして弾薬庫もおそらく同甲板が最も下を通り、機関部ではボイラーで省略された中下甲板も加わった計5層(後部は船首楼除く4層)と思われる。

続いて具体的な装甲配置だが、重要区画外については垂直水平装甲共に不明で、重要区画内(より具体的には機関部)のみを。
垂直装甲は重要区画間では、下甲板の高さまでに456mm、中甲板までに350mm、そして船首楼甲板までに150mmと装甲帯を設ける。またこれらは456・350mm部分が約18度、150mm部分が約12度とかなりの傾斜を有している。
水平装甲は機関部上のみ判明しており、この部分はボイラー防御の為に傾斜部を多用した複雑な形状を示している。
主体となる水平装甲は、上甲板という高い位置に120mmの装甲を設けている。しかしその平坦部は僅かな範囲のみで、外縁部では下向きに傾斜して装甲帯350mm部分の上端に、そして中央部へは上向きに傾斜して船首楼甲板より立ち上がる煙路防御の下端に続いている。

最後にそれ以外で判明しているのは、煙路ならびにボイラーを防御する装甲である。この部分は、先述した水平装甲とその傾斜部、そこから続く120mmの装甲が存在する他、その内側にも湾曲した玉ねぎ状の傾斜部からなる装甲を設けている。
後者の装甲は煙突基部を守る垂直350mm装甲と、80mmの湾曲した隔壁からなり、後者は第一船倉甲板の高さまでおよんでいる。

以上本案の装甲配置は、変則的なボイラー配置に伴う要素が最大の特徴と言えるが、他にもいくつか注目すべき点を有している。
第一に垂直装甲は装甲厚の増強に加え、かなりの角度を持つ傾斜装甲を導入している。そして水平装甲も垂直装甲ほど強力ではないが、一次大戦期より厚い一枚板と思われる装甲を設けている。
この2点はユトランドや一次大戦以降の各国戦艦にも取り入れられる物で、そのトレンドが(正式な案ではないとはいえ)イタリアに入ってきていた事を示す点で重要である。また厳重な煙路防御も特徴的である。

一方で垂直装甲の配置については、456mm、350mm、150mmと上部ほど薄くなる装甲で乾舷全体を防御する「分散的」な物であり、一次大戦期の物に近い古い形が混在する配置である事も指摘できる。
また玉ねぎ状の装甲は、主な垂直もしくは水平装甲を貫通した砲弾に対する多重防御的な機能を併せ持つ物で、そのような装甲を持つ事もまた一次大戦期までの配置に多い要素である。

表の結果と解説
改稿前の解説は一部装甲厚に誤りがあったので、再計算した物を掲載。
まず前提として、装甲材質については垂直装甲が1910年代のKC、そして水平装甲や隔壁は同年代のKNCと推定、また各部位の装甲は一枚板と仮定して計算している。
垂直装甲は最厚部の厚さから品質を保てない可能性があり、水平装甲や隔壁は材質がより低級であったり、複数を重ねた合計厚である可能性が存在するが、その場合は幾分か安全遠距離を減ずる事になる。

ここから本題の結果だが、本案は不明部分が多い為、計算できた部位は2つのみ。
最初に垂直装甲は、456mm傾斜18度の主装甲帯と、それを貫通した砲弾に対して、さらに玉ねぎ状の80mm装甲の垂直部が弾片防御となる形である。
この部位は(上で挙げた材質等の問題がなければ)46cm砲に対しても十分な安全距離を持ち、この時期の戦艦としては言うまでも無く、以降の戦艦を含めてもトップクラスの数字である。

続いて水平装甲は 上甲板120mm装甲の平坦部に加え、それを抜いた砲弾が80mm装甲の傾斜部に命中するルートを想定した。
こちらは同時期の英計画艦や後の各国新戦艦と比較するとそこまでと言った感じであるが、八八艦隊の未成艦にも劣らず、当時の艦としては上位に入るだろう。

表の部分は以上だが、上の断面図を見てもわかるとおり、本案の装甲配置では主装甲帯や120mm装甲の平坦部が占める範囲は限定的で、計算した2部位以外のルートも多数存在する事になる。
その場合の防御力についても、いつも通り表に載らない部位としてある程度解説していきたい。

まず第一に想定される物は、主装甲帯ではなくその上部350mm部分への貫通弾である。
この部分は、未だにネルソン級弾薬庫とほぼ同等の厚さと傾斜を持ち、当時の16インチ砲が相手でも弱点とはならないだろう。
一方で防御的に怪しくなる(と同時に評価が面倒な)ルートなのが、さらに上の150mm部分を貫通して重要区画に達する場合だろう。
単純に言うと(上の図も参照)この場合に命中する各装甲は「150mm装甲帯傾斜12度→120mm上甲板傾斜部35度傾斜(55度内傾)→80mm傾斜部内傾50度」となる。
あまりにも面倒なので計算はしてないが、表で水平装甲として計算したルートに比べて、ここの120mm装甲は傾斜の分逆に撃角が大きくなり、防御力を減じている。150mm装甲帯が加わる事が防御力の補填になるかは正直怪しい所である。

そして上の2ルートより深刻なのが、ボイラーに砲弾が達するルートの中に、120mm上甲板傾斜部→80mm傾斜部でしか守られていない部位が存在する点である。
ここも傾斜の都合で撃角が深くなる事を考えると、有効な遅動信管を持つ戦艦主砲弾に対して十分な厚さとは言えず、表の水平装甲を比べて大きな弱点となるだろう。

それ以外だと水中弾防御は水雷防御自体はかなり重視しているものの、積極的な防御策は無し。一方で煙路防御先述したようにボイラー防御を兼ねる意味もあって厳重。(さっき言った通り限界はあるが)
これ以上は判明している情報の少なさもあって、特に解説出来る事はない。

まとめと評価
何度も言っているように正規の案ではないので、評価等しても無駄かもしれないが一応。
本案はその速力については言うまでも無く、それ以外の攻防面も非常に高く尖ったスペックを持つ案である。21年という時代を考えると、日米英等の計画艦を(実現性を無視しているとは言え)上回る部分も確かに存在する。
一方でこのスペックを実現する為のアイディアである機関配置が、一部防御上の弱点を生み出したのも事実である。
第二次大戦期だと水平装甲の厚さが正直平凡なので、新戦艦勢との闘いではその強化が必要だが、装甲配置に起因する上記弱点の解消には抜本的な改装を必要とし、より大きな問題になると考えられる。

最後に装甲配置の解説で述べたが、本案に見られる傾斜装甲や水平装甲に関する進んだ思想は、この時期の各国で大きく変化した装甲配置の変化とも一部共通する物である。
この流れにおけるイタリア海軍の動向については良く調べられていないが、私案とは言え本案の配置は、それを考える上で重要な一例と言えるだろう。

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以下未読時の解説 近日中に削除

つまり正式にイタリア海軍内で計画もしくは研究された物ではない可能性が高く、また性能的にも後述するように、実現不可能なスペックの艦であることは明らかである。
しかしその装甲配置は同時期の物のみならず、全戦艦の中でも変わったものとなっているので取り上げさせてほしい。

その前に速力について、本案は出力21万6千馬力で速力35~40ノットという高速力を発揮する艦であるとされている。
つまりアイオワ級戦艦と比べてやや軽い排水量に同程度の船体サイズと出力を持ちながら、さらに2~7ノット速い艦として設計されていると言うことである。
(なおアイオワ級は公試時の排水量が56,000tにも達していたため最高32ノット止まりだが、過負荷25万馬力なら理論上は満載時33.5ノット、51,000t時は35ノット発揮可能とされている)
管理人は機関とか速力などは全くの無知なのだけど、さすがにこの数字はおかしいと言いたくなる。

一応日本海軍も1916年の四万五千トン巡洋戦艦や、19年のB62シリーズなどで35ノット艦を計画している。
排水量が近い「Ⅲ」案は同程度の21万5千馬力、「C」並びに「D」は23万馬力付近といった感じである(船体は本案よりも細長い)。
これらと比較すると速力は33ノット以上で、35ノットは環境によっては発揮可能と言った程度だろうか。40ノットは知らない。
ただしこの規模の艦が45,000tに収まるかどうかも怪しい物で、排水量によっては33ノット程度に落ちる可能性もあるだろう。
そもそもこの船体に18インチ砲が載るのかという問題もあるが、そろそろ本題に入ろう。

装甲配置の特徴は色々とあるが、なんというかフッドとG3級を混ぜたような配置に見える。
無論第一次大戦前に設計されたカラッチョロ級とは全く異なる物である。ドイツ戦艦編風に見ていくと
・船体は第三砲塔前まで船首楼甲板が伸びる長船首楼型で、船体中央部での重要区画上の甲板は船首楼、上中下の4層からなる
・垂直装甲は水線下から乾舷全体(船首楼か上甲板まで)に配置
・下甲板までの高さにある水線部の装甲が最も厚く(456mm)、下甲板から中甲板まで(350mm)、中甲板から上甲板もしくは船首楼甲板まで(150mm)と薄くなる
・装甲帯は乾舷に露出する形で設けられ、すべて傾斜装甲となる
・水平装甲の内、上甲板が他の甲板と隔絶した厚さを持ち(120mmと既存の艦の二倍以上に達する)、主な水平装甲を担う
・材質は不明だが、他国戦艦の例から一部もしくは全体に均質装甲が使われる可能性が高い
・主な水平装甲を担う上甲板は外側で下方向に傾斜、中甲板の高さまで下がって装甲帯に接続している

また本案はこれらの配置に加え、船体と重要区画の短縮の為、船体中央部ではレキシントン級の初期案の様に機関部が二段重ねとなっている。
つまり一部缶室が船体上部に配置されており、これを守る為に複雑な装甲を持っている。
この件に関しては後述するとして表の方に移りたい。
なお本級の配置図は(自分が知る限りは)船体中央部の物のみ残されており、弾薬庫では一部水平装甲の配置が異なる可能性が高い。

まず垂直装甲だが、下甲板の高さまである主装甲帯の厚さは456mm(ほぼ18インチ)で傾斜は約18度である。
(装甲帯の裏側には上部缶室防御のための50mm隔壁が下甲板に接続し弾片防御として機能)
実現可能かはともかく、この時代の戦艦案としては英計画艦に匹敵する唯一の案ということになる。

砲塔にも重装甲が施された可能性が高いがこちらの厚さはすべて不明。

水平装甲は上甲板が120mmで主な装甲となり、一応上部缶室防御の隔壁も大きく内傾しているが補助的な防御を担う位置にある。
先ほども述べたように上甲板は既存の艦のように薄い構造用鋼を重ね合わせた物ではなく、一部もしくは全体に均質装甲を使用する可能性が高い。
といっても材質は不明で、表では上甲板が均質装甲一枚板、隔壁がHT鋼一枚板と仮定した。
こちらは英計画艦や後の戦艦と比較すると控えめだが、八八艦隊の未成艦にも劣らず、当時の艦としては上位に入る。

18インチ砲艦であることや馬鹿げた計画速力に加え、上でみてきたように防御面も恐るべき案である。
ただしより細かく見てみると、本案の装甲配置は上部装甲帯と上部缶室がらみで3つの弱点を抱えている。
まず1つ目、本案の主な水平装甲は上甲板の高さにあるが、外側では中甲板の高さまで下側に約35度傾斜(55度内傾)している。
つまりこの傾斜部に対する命中弾はより撃角が深くなり、貫通され易くなってしまう。
本案は中甲板よりも上に150mmの装甲帯(約12度傾斜)があり、直接この部分へ命中するわけではないが、これが加わっても第二次大戦期の戦艦砲弾にはあまり有効ではない。
表の14インチ以上の艦砲に対しては主要な交戦距離の殆どで貫通されることに。

もう1つは主装甲帯の高さが下甲板までしかなく、一段上のより薄い装甲帯に命中した砲弾が重要区画に達する可能性がある点。
といってもこの部分もネルソン級弾薬庫とほぼ同等の350mmもあり、18インチ防御防御とはいかないが16インチ砲なら十分に耐えられる物である。
他の二点ほど重大な弱点とはなら
ないか。

最後は先述したように、本案の一部缶室は船体短縮のために通常の機関部の上にある為、これを守る装甲が下甲板から船首楼甲板の間まで、
上甲板(120mm)と中甲板(50mm)の二枚の装甲が上に立ち上がる形で、50度内傾して配置されている。
こちらも撃角が深くなる事を考えれば、戦艦主砲への防禦としては全くもって不十分な物である。
表の艦砲だと11インチ砲以上に対して有効ではなく、8インチ砲に対しても15km以内から貫通を許してしまう結果に。

この部分へ砲弾の侵入を許した場合、下部の機関室(横断図では機械室が配置されている)へ被害が拡大する可能性もあるが、これに対する対策がとられているかは不明である

一部分は凄まじい防御力を持つ本級だが、これらの弱点の内、甲板傾斜部と上部缶室の防御は当時の16インチ砲に対しても不足していると言わざるを得ない。
水平装甲は後の時代では普通に不足する事に加えてこれらの弱点を考えると、さすがに同時期の英計画艦や後の大和・モンタナといった艦には劣るか。

最後に本案の装甲配置を見ると、深い傾斜装甲や当時としては厚い水平装甲など、後の戦艦のスタンダードになる要素を取り入れている事が確認できる。
他のページでさんざん見てきたように、第一次大戦以降各国海軍では主力艦の装甲に関する考えは大きく変化する。 
この頃のイタリア海軍の動向については調べられていないが、少なくとも本案の配置でこの変化に対応するための努力が見られるという点は、本案の実現性の低さ関係なく重要である。

 

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