装甲配置に関するメモ
以前の物は補足のページ

相変わらず乱雑なので、まずは補足ページの分を含めて扱った内容をリンクでまとめておきたい
「本ページにおける集中防御の定義について」 「各国における集中防御の採用状況」 「全体防御という名称について」
「艦首尾における防御の有無について」 「巡洋艦の装甲配置分類」
・「装甲配置に関する諸要素を用いた分類の試み」(下にあるように公開停止中。いずれ完成させたい)
「主装甲帯の上部がテーパーする艦について」(このページの最初の項目だが、メモ的な要素が強いので別に読み飛ばしてもらっても)
「傾斜装甲とその採用状況」 「内装式装甲帯について」
「艦尾装甲の分類」 「艦首装甲の分類」
「前部横隔壁の分類」 「司令塔の装甲について」 「装甲板に舷窓を開けた例」
「砲塔天蓋の形状(傾斜)について」 「煙路防御について」
「主装甲帯とバーベット厚の関係メモ」
「甲板傾斜部、亀甲甲板について」 「平賀アーカイブより傾斜部に関する射撃実験の抜粋」
・「艦砲分類の試み」(特にひどいので取り下げ、補足の用語解説で簡易まとめ中)
「装甲帯の高さについて」
「水中弾など水線下への命中弾について」(割と文献漁りを頑張ったので見てほしかったり)「水中弾防御の分類と採用状況」
「金田大佐による水平装甲分類」 
「本ページにおける水平装甲分類の試み(対弾性能と位置の視点から)」


各要素から装甲配置についてまとめてみる 2016年7月6日仮公開 最終更新11/2
→ いろいろ問題が有ったので一旦取り下げ。とりあえず今までまとめてきた部分を反映して作り直したい。

2016 7/11
ネヴァダ級の初期案として選ばれたのは、排水量2万7千トンで14インチ砲10門、速力20.5ノットの案である。
この案の装甲配置を見ると、まず垂直装甲は既存の戦艦の上部装甲帯を廃して、主装甲帯のみとした。
水平装甲は装甲帯の上端に接続する中甲板と、その一段下で弾片防御用の傾斜部を持つ下甲板にそれぞれ装甲を設けている。

大まかな配置は最終案とあまり変わらないが、違う点も多く、まず中甲板の装甲は最終案が合計76mmに対し本案は合計38mmと薄い。(下甲板は最終案と同じく平坦部38mm、傾斜部51mm)
装甲材質の点から他国戦艦の船首楼や上甲板の装甲(25~38mmの構造用鋼)と比べると優れてはいるが、装甲甲板と言うべき隔絶した防御力は持っていない事になる。
また主装甲帯を見ると、最厚部である14インチ部分は水線付近の一部分のみで、全体の高さ(4.8m)の四分の一に過ぎない。
それより上部では11インチ、下部は8インチにテーパーする構造となっている。
最終案では最厚部は13.5インチとわずかに薄くなったが、上部のテーパー部分を廃して範囲を大きく広げている。また装甲帯の高さも5.2mと拡大した。
(実際の計画では、本案14インチ上下でテーパー → 13インチ下部のみテーパー → 13.5インチ下部のみテーパーという流れ)
他にも煙路防御が最終案と比べそこまで厚くないと言う特徴もあるがここでは扱わない。

まとめると、垂直装甲を主装甲帯のみとした点はこのページで言うところの集中防御の定義に一致するが、その上端に接続する水平装甲が装甲甲板とならない点、
装甲帯の上部が最厚部に薄くなり、防御力に劣る個所がある点から、ネヴァダ級最終案の装甲配置を集中防御の完成形と仮定した場合、本案はそれに比べ未完成な部分があると評価できる。

集中防御の発展から戦艦を見る際に注目すべき点として、垂直装甲としてこの「上部でもテーパーする主装甲帯」のみを持つ例は、後年他国が計画した戦艦案にも見ることが出来る。
例の一つとして挙げられるのが、20年代後半フランスの代艦建造の研究の際に検討された37,000t巡洋戦艦案であり、主装甲帯最厚部280mmに対し、上部は220mmまでテーパーしている。
また、ユトランド海戦における設計変更により垂直装甲の上端に水平装甲を備えた長門型(竣工時)も似た例と言える。
長門型の垂直装甲は主装甲帯一枚板ではなく、別の装甲帯と組み合わせる形だが、主装甲帯12インチに対し、水平装甲が接続する上部装甲帯は9インチとより薄い。
ここで言う「上部でテーパーする主装甲帯」のみを持つ構造と類似したものと判断出来る。
そしてこのニクラスとも、次級(ダンケルク級、加賀型)においてより完成した集中防御艦が登場している。(両国ともその間に幾つか計画案が存在するが)
ネヴァダ初期案→最終案と同じく流れを辿ったわけで、この装甲帯の特徴は集中防御の発展における判断基準の一つとして使えるのではないだろうか。

また結果的に同じような構造の装甲配置になった艦としては、20年代の改装で中甲板に装甲を持ったフロリダ、ワイミング、ニューヨークといった米戦艦が存在する。
これらの艦は船体中央部では装甲甲板よりも上に装甲帯を持つと言う違いもある。

この特徴が他国海軍でも見つかればいいのだが、そもそもの情報不足もあり、例を見つけることはできないのが現状である。
そもそも集中防御とは別方向の進化をたどったドイツ戦艦は置いておくとして(ナッサウなどがこののテーパー部を持つ)、まずイタリア海軍のリットリオ級(これも純粋な集中防御艦とは言えないが)には見られない。
一方イタリア旧式改装戦艦の主装甲帯は上部でテーパーしており、改装による水平装甲の引き上げで似たような配置になっているが、そもそも上部装甲帯を持つうえに、こちらも米改装艦と同じく結果的に似ただけともいえる。

また「半年足らずで20年分の装甲配置の変遷を辿った」と言っていいオランダ巡洋戦艦計画においても、このような主装甲帯は見られない。

英海軍も同じく、自分の知る限りでは存在しない。
上部でもテーパーする主装甲帯と言うのは英戦艦ではQE級で採用されているが、次級R級では製造コストの関係で廃されている。

そもそも、この上部テーパー(略)装甲帯がなぜ存在するかと言うと、既存の装甲配置における上部装甲帯の名残(長門、ネヴァダ)や以前からこの形式の主装甲帯を使用していた(仏戦艦)と言うことが考えられるが、
他にも装甲範囲と重量の兼ね合いで装甲厚を減じていると言うのも理由として考えられる。
英海軍が最初に設計したL・Kと言った集中防御艦では、装甲帯の範囲自体を狭くしてしまって、その分の高さを甲板傾斜部で補うと言う配置になっているのだから、採用されなかったと推測する事もできる。

ここまで書いてきて気付いたが、この上部テーパー(略)装甲帯は、集中防御の有無にかかわらず傾斜装甲を持つ艦には見られない。何故かはわからないが。

2016 7/17 戦艦・巡洋戦艦への傾斜装甲の採用について

ここでいう傾斜装甲とは、上部が艦の外側に向かう形で外傾して取り付けられた舷側の装甲帯を指す。
(旧海軍では一定の割合で薄くなる装甲、つまり一般的にテーパー装甲と呼ばれるものを傾斜甲鈑と呼ぶ事があったので混同しないよう注意)

傾斜装甲は通常の垂直装甲帯に対して、命中した砲弾の撃角が浅くなり、見かけの厚さを増し命中時のエネルギーを逸らすなどして、同じ厚さでより強力な対弾性能を発揮する事が可能である。
また撃角が浅い状態では砲弾に横方向の力がかかる為、砲弾の一部が損傷しやすく、装甲を貫通しても不発化や不完全爆発を起こし、破壊効果を大きく削ぐ事も期待できた。

一方で欠点としては同等の高さ、厚さを持つ傾斜しない装甲帯に比べ重量が増す(つまり同じ重量を用いた場合装甲範囲が減少する)こと、装甲帯の下端が水中防御区画に食い込むなど、船体形状に与える影響が強いことが挙げられる。
その他にも英海軍は、装甲帯に命中した砲弾が下に逸れ、水線下で炸裂する事を懸念し
ていたようだ。
この方式はそう言った欠点を持ち合わせつつ、第一次大戦後を中心に砲弾がより進歩していく中、より強力で効率の良い対弾性能を求めた結果として、各国戦艦に採用されて行く事になる。

なお装甲帯というものは艦の形状に合わせて貼られる都合、意図せずに傾斜を持っている艦も多い。
まず初期の装甲艦から前ド級戦艦の時代においては、帆船時代の名残からタンブルホーム状の船体を持つ艦がかなりの数存在しており、舷側の装甲も逆方向に傾斜している例は多い。
なお内傾では撃角が深くなり防御力を落とすと思われるかもしれないが、当時の交戦距離を考えると影響は少ないだろう。
そして以降の艦含め、艦首や艦尾など船体中央から遠ざかるにつれ舷側は外傾する傾向があり、その場合艦首尾の装甲に加え、重要区画内でも前後弾薬庫の舷側装甲などが意図しない傾斜装甲となる事が確認できる。

(一般的に傾斜装甲を持たないとされるKGVやビスマルクの装甲帯も、横断図を見るとこの部分は5~10度は傾斜している)
そのため、傾斜装甲採用の有無については船体中央部で判断すべきであろう。

また傾斜装甲の効果は砲弾の性能や距離(落角)によって結構変わる物である。
その為よほど条件が定まった時でもないかぎりは「〇度傾斜があれば対弾性能は傾斜のない装甲の〇.〇倍」みたいに、絶対的な防御力を表すのは難しい

採用まとめ
英 世界に先駆けて主力艦に傾斜装甲を導入。巡戦フッド(16年起工20年竣工、12度)が最初とされる事もあるが、以前のレナウン(14年末より設計開始)やカレイジャス級も浅
い傾斜装甲を持つ。
戦艦では第一次大戦後の計画艦やそれを引き継いだネルソン級(22年起工27年竣工、18度)で採用されるが、33年の戦艦研究で廃止、以降のKGVやライオン、ヴァンガードと言った戦艦には採用されず。

日 1916年に作成されたA115案より傾斜装甲が確認できる。建造が承認された艦としては加賀型(20年起工未完成、15度)より採用。
その後の計画案でも取り入れられるが、完成した戦艦では大和型(37年起工41年竣工、20度)のみとなる

米 15年の戦艦案よりいくつか傾斜装甲が見られるが、実際に採用されたのはレキシントン級巡洋戦艦(20年起工未完成、11度)が最初。
戦艦として完成したのは、条約開けのノースカロラ
イナ級(37年起工41年竣工、15度)以降となる。
仏 ダンケルク級(32年起工37年竣工、11.5度)より
伊 リットリオ級より(34年起工40年竣工、11度) →1921年に雑誌上に掲載された戦艦案に傾斜装甲が確認できる(ただし実現性は殆どない私案だが)
ソ連 イタリアより提示されたUP41、もしくはその後の21号計画戦艦案の一つで最初に確認できる。以降の戦艦案においても採用(すべて未完成、5~0度)
オランダ 1047巡洋戦艦案の内ドイツ設計案の一つ、そしてそれ以降の設計案において傾斜が確認できる。(未完成 15~18度)
その他 スウェーデンならびにデンマークが1930年代に計画した海防戦艦案で傾斜装甲が確認出来る。
ドイツ 甲板傾斜部を組み合わせる防御様式で十分とされたのか、戦艦・巡洋戦艦については採用されず。(装甲艦や巡洋艦には見られる他、上のオランダ巡洋戦艦案でも傾斜装甲を取り入れている)

2016 7/26   内装式装甲帯(インターナルアーマー)について

艦の舷側を守る装甲帯は、高さや深さといった範囲こそ艦によって大きく異なるが、基本的に艦の外側に露出した形で取り付けられている(外装される)ものが多い。
それに対し装甲帯が外側に露出せず、艦の内側に設けるものも存在する。内装式装甲帯と呼ばれるもので、傾斜装甲を導入した艦に関連して見られる。
(通常の外装式装甲帯を持つ艦の中にも、改装時にバルジを増設したことによって装甲帯が内部に隠れたものも存在するが、今回は新造時より内装式の装甲を持つ艦について扱う)

内装式装甲帯の特徴などを挙げていくと、
傾斜装甲を外装式で用いた場合、船体形状が変化して重量バランスなどに悪影響を及ぼし、これを解決するには傾斜を緩くしたり船体を大型化する必要が出てくる。
排水量制限やドックなどの港湾施設などの状況によっては重大な問題である。
それに対し、内装式を採用した場合、船体形状は通常の艦と同じ形で済ますことができ、その分船体の小型化にも繋がる。

他には装甲区画が内側にある分、装甲甲板の範囲が狭くなる場合もあり、その分僅かに重量も浮くだろう。
一方で傾斜が大きい装甲帯の場合、船体内部に食い込む部分も大きくなるのが欠点である。(これは傾斜装甲全般の欠点だが)

また、外板と垂直装甲の間に(非装甲の)空間が存在する形となり、砲弾は装甲帯の前にそれらを貫通する必要があるのも特徴である。
外板にある程度の装甲を施せば、装甲帯に命中する前に徹甲弾の被帽を脱落させることが出来るともされるが、実際の効果のほどは不明。
一方で被弾時には確実に外板が損傷し、艦の航行能力や安定性に影響を及ぼす可能性もある事、装甲の修理には一々外板を切り開く必要があり、整備が面倒な点などが挙げられる。 

最後に各国戦艦の採用例について見て行くと。

イギリス 第一次大戦後の計画艦において採用される。実際に建造された艦はネルソン級。
33年の戦艦案以降傾斜装甲自体を採用しなかったことは先述したが、それらの艦の装甲帯は外装式となっている。それどころかネルソン級も外装式に改装する計画が存在した。
日本 英計画艦によく似た装甲配置を持つ金剛代艦平賀案で採用。(八八艦隊時代のA115~A125陸奥変体などの案も傾斜角が非常に深い為、一部が露出するがほぼ内装式となっている)
その後建造された大和型戦艦については船体が大型であるからか、ほぼ外装式である(一部のみバルジ内に)。
アメリカ (新戦艦の方の)サウスダコタ級でより深い角度の傾斜装甲を設けるにあたって、ノースカロライナ級より設計を改めて内装式を採用。
次級アイオワ級にも引き継がれるが、船体が大型で艦幅にも余裕があるモンタナ級は外装式に回帰している。
フランス ダンケルク級以降の戦艦にて採用。配置はネルソン級の影響が強い
イタリア リットリオ級の原案の一つは傾斜装甲を用いないものの、被帽脱落効果を狙って内装式を採用したものも存在する。
実際に建造されたリットリオ級はセメントにより一体化した装甲帯を持つ為、外装式とみた方がいいだろう。
ドイツ 傾斜装甲を採用した戦艦自体が存在しない為、内装式装甲帯についてもおそらくは見られない。

なお第一次大戦期の米テネシー級で採用されそうになった、アイアンサイド式と呼ばれる装甲配置も、垂直装甲を担う傾斜装甲が艦の内部に存在することになるが、
これらの装甲配置については米国戦艦編で一部をまとめている他、下の甲板傾斜部の項目でも触れている。

・艦尾装甲について  (最終更新2017 7/8)

艦尾というと基本的に弾薬庫や機関が納められる重要区画の外にあたるが、舵機械室という結構重要な部位が存在する為、ここに装甲を持たない戦艦はまずいない。
この部位の装甲は他にも後部弾薬庫を守る横隔壁への補助的な防御となったり、(船体中央や艦首と比べると重要ではないが)艦尾の浮力を維持する役割を持つ。

装甲配置の傾向についていくつか挙げてみると
1まったく装甲を設けない
ここに装甲がない艦はまずいないと言ったばかりだが、ウォーリアなど最初期の装甲艦の中にはここが無防備な艦も存在した。
被弾時には運が悪ければ舵に影響が出る上に、後部横隔壁にも直接砲弾が当たる形になる。

2 船体中央よりも薄い装甲帯を配置
1860~70年代の装甲艦から第一次大戦期までの近代戦艦の多くがこれに当たる。また第二次大戦期にも採用艦は存在した。
大体の厚さは船体中央部の最厚部の三分の二から四分の一程。基本的に時代を経るごとに割合は低くなる。
これよりも厚い装甲を持つものも存在したが、それらについては別に分類する。

材質は時代に合わせて変化し、近代戦艦では表面硬化装甲が中心だが、3インチよりも薄い装甲の場合表面硬化が行えない為、均質装甲製となる。
当然重要区画内の装甲帯よりも薄いと、戦艦主砲クラスへは防御力不足になりやすい。
ただしユトランドにて、モルトケやフォン・デア・タンの持つ100mm装甲が英15インチ砲の貫通を防いでいる。(命中時の衝撃でそれなりに被害は出たが)
これは当時の英砲弾の欠陥と砲戦位置の関係で大きく横方向の角度が着いた事が影響した物だが、戦艦主砲の直撃になんとか耐えた一例となる。
また徹甲弾が防げなくとも、巡洋艦以下の艦砲や戦艦主砲の榴弾に対する船体防御としては有効である。ただし範囲や厚さ、交戦距離によってはソロモンでの比叡のように被害が出る可能性も。

1880年代には後述する「3」が好まれた事で仏独以外ではあまり見られなくなったが、近代戦艦の時代にはその「3」と併用されて多重防御になる形がスタンダードになる(例はこの後に)。

3 水線付近の高さに水平装甲を配置
船体防御よりも被弾時の被害局減を目的としたもので、形状は外縁部で傾斜する亀甲甲板となる場合が多い。
長い間用いられたため、装甲材質も薄い錬鉄や軟鋼を重ね合わせる物から均質装甲一枚板の物、傾斜部のみ表面硬化装甲を用いる物など多様。
先述したように80年代の装甲艦には「3」のみで用いられていたが、その後「2」との併用が一般的になる。
そして第一時大戦後に、集中防御の定義で言うところの「舷側横方向の集中」を行う艦が再登場すると、再び「3」のみを持つ艦も復活するという流れ。
なおこの中には、ネルソン級のように重要区画内で亀甲甲板を廃した艦も含まれる。
例(3のみ) 
富士型、長門型、インディアナ級~メイン級、サウスカロライナ級~フロリダ級、サウスダコタ(BB-49)級、インフレキシブル~マジェステック級、ネルソン級~ライオン級、ダンケルク級以降のフランス戦艦、ソビエツキーソユーズ級

例(2との併用)
敷島~伊勢、ヴァージニア級~ミシシッピ級、ワイオミング級~ニュ―ヨーク級、カノーパス~フッド、シャルンホルスト級、ビスマルク級、リットリオ級、ヴァンガード
艦尾の途中で装甲帯が途切れ、2のみとなる艦も(オライオン以降の英戦艦に多い)

4 より厚い装甲帯を配置
船体中央部と比較して7割以上の厚い装甲帯を水線部に持つ配置。
近代戦艦では上端に厚い水平装甲が接続して、重要区画内に匹敵する装甲区画を形成することが多い。
その場合装甲区画が舵機械室までを覆う形の物と、別途舵機械室にボックス型装甲を設け、そこに装甲区画が接続する形の二種類に分けられる。
艦尾の船体防御としては最も強力な防御力を持たせる事が可能だが、同時に最も重量がかさむ配置となる。

加賀型以降の八八艦隊計画艦(これに加え3と併用)
米標準型
モンタナ級以外の米新戦艦(この部位に重要区画内よりも厚い装甲を配置)
ソ連の24号計画戦艦、並びにスターリングラード級もこの配置に近いが、厚さ的に微妙。
他には70年代のフランス装甲艦に多い。

5 舵機械室の周辺のみ装甲を配置
舵機械室周辺をボックス型の装甲で囲い、それ以外をほぼ非装甲とした形。
最も効率良くここに重装甲を施すことが出来るが、当然他の船体防御には殆ど寄与しない。
最も「all or nothing」に近い防御思想といえるが、今回調べた限り戦艦での採用艦は少ない。
例 
金剛代艦(平賀案)
大和型(なお舵機械室以外も完全な非装甲では無く、船首楼甲板には主に航空爆弾への防御を考慮した水平装甲を持つ)
モンタナ級(同じくこれ以外に重要区画と舵機械室の間をつなぐ配線等の通路を装甲化している)
クロンシュタット級 など

オランダ巡洋戦艦案は亀甲甲板と装甲帯を設けるが、傾斜部の下端よりも下に60mmの装甲を設け、上は30mmと薄くなるのが特徴である。
ダンケルク級に酷似した重要区画の配置とは違い、フランス戦艦よりもドイツ戦艦に似たものとなっているが、シャルンホルスト級などとも異なる独特な配置である。

「2」はさらに細分化できるが今回はここまで(その前に下の甲板のやつをまとめなければ)各国の採用状況の流れをまとめると
日 2→3(ここから近代戦艦)→2と3の併用→3→3と4の併用→5
米 3(ここから近代戦艦)→2と3の併用→4→3→4→5
英 1→2もしくは4→3(この間に近代戦艦)→2と3の併用→3→2と3の併用
独 2→3→4(ここから近代戦艦)→3→2と3の併用
仏 4→2→2と3の併用(ここから近代戦艦)→3
伊 4→3→3と4の併用(ここから近代戦艦)→2と3の併用
流れとしては上のような感じか

陸奥引き揚げ時の写真を見ると、中央隔壁の部分にかなりの厚さの装甲が設けられていたのがわかるが、何の意味があるのは全く分からない。あと金剛代艦の18インチ装甲も。

・艦首装甲について(最終更新2016 11/3 書き直し予定

ここで言う艦首とは、船体の内、第一砲塔のバーベットや弾薬庫よりも前方の部分と定義する。
その場合、一時期の艦に存在した魚雷格納庫以外では、艦尾と比べてそこまで被弾時に致命的な損傷を引き起こす部位はない。
しかし艦首自体は艦尾と比べても船体に占める割合は大きく、波を切っている為破孔から浸水が起こりやすい。
艦首防御は速力や安定性の維持に必要とされた事もあって、この部位を完全な非装甲とした艦は意外と少ないのである。

また、敵に接近する時やT字をとられた時など、艦首を向けて戦う事は艦尾を向けた場合よりも多いだろう。
その場合、艦首から侵入した砲弾が一番砲塔下の前部弾薬庫の横隔壁を貫通、もしくは横隔壁の下をすり抜けて前部弾薬庫に損傷を与える可能性があり、これに対する防御に必要である。

艦首防御は第一次大戦後にその存在価値に疑問符が付く事になるが(後述)、これらの問題もあって、第二次大戦期の新戦艦でも艦首に部分的な装甲を維持するものが半数近くを占めている。

上でまとめた艦尾装甲よりも少し細分化してまとめてみたい
まずは垂直装甲の基準から

1 主装甲帯よりも薄い(8~4インチ程度)装甲帯を持つ
2 装甲帯は一切設けない

3 より薄い(3インチ未満)装甲帯を持つ
4 主装甲帯と同程度の装甲帯が一部のみに伸びる

水平装甲については以下の大雑把な分類を基準とする

a 非装甲若しくは弾片防御程度しか持たないもの
注 弾片防御については補足のページの件から、今回はSTS換算で2インチ以下の物を指すと仮に定義する。
b 一番砲塔近くの下甲板に厚い水平装甲を持つもの

c 一番砲塔近くの中甲板に厚い水平装甲を持つもの

まず「1」は、艦尾装甲と同じく19世紀末の前弩級戦艦から、第一次大戦期までは殆どの戦艦がこの形となる。
基本的にクルップ鋼の開発など装甲材質の進歩で、重要区画の防御に必要な装甲が薄くて済むようになり、浮いた重量でより広い範囲を装甲化する事が可能になったからとされる。
(ただしフランス戦艦などを中心にクルップ鋼導入前から艦首装甲帯を持つ艦も存在する)

装甲範囲は重要区画で言う中甲板の高さまで施され、前方に行くにつれ減厚しながら続くものが多いが、
・部分的に上甲板の範囲まで拡大するもの、

・全体的に上甲板までに装甲が施されるもの(ロシアやイタリアの弩級戦艦など)
・艦首の船体に達する前にほぼ非装甲となるもの(オライオン級以降の英戦艦など)
など多様

この装甲は戦艦の副砲や巡洋艦以下の主砲に対する船体防御として有効である他、先述した魚雷格納庫への防御や、前部横隔壁への補助的な装甲としての役割を持つ。

水平装甲は年代的に重視されていなかったこともあり、第一次大戦までに建造された艦の多数は1aに分類される。
(例としては日敷島~伊勢、米キアサージ~コネチカット、英カノーパス~フッド)

「1b」は改装により「1a」から変化した配置になる。
おもに艦首を向けた状態で甲板若しくは装甲帯よりも上の乾舷に命中した砲弾が、前部弾薬庫に飛び込むのを防ぐ為、低い位置に水平装甲が新たに設けられている。
戦間期の英海軍は特にこの点を警戒しており、30年代以降に改装を行った旧式戦艦(QE級の三隻、レナウン級)がこの1Bに分類できる。
日本の金剛型も改装後に似たような機能を持つ水平装甲を設けている。

「1c」は「1b」と比べると、水平装甲の位置が高い分より船体防御に優れたものとなる。
改装艦でこの配置を持つものはなく、ソ連海軍が第二次大戦期もしくは戦後に計画した戦艦(23、24、82号計画艦)がこれに分類できる。
この中で戦後に計画された2級は、前の艦型に比べて水平装甲の範囲が(艦首の三分の一から三分の二程度に)拡大している点も特徴となる。

次に「2」について、20世紀初頭には殆どの艦に広がった艦首装甲帯が再び廃された理由としては、第一次大戦後の砲弾の進歩や軍縮条約が大きく関わっている。
まず第一次大戦後、各国の新型戦艦が搭載する15~16インチ砲は、想定される交戦距離で300mm以上の垂直装甲を貫通できる程に威力を増していった。
これに対し
て「1」が持っているような比較的薄い艦首装甲帯は難なく貫通されることは言うまでもない。
またこの進化した徹甲弾に対し、これからの戦艦は垂直装甲はもちろん、今まで重視されなかった水平装甲にも十分な装甲を施す必要が生じていた。
それなら艦首に中途半端な装甲を持つよりも、その重量を重要区画の装甲に当てるべきとの考えが第一大戦に艦隊整備を試みた戦勝国側では中心となっていった。
結果として、この時期
に設計された艦の多くは、装甲帯を廃した艦首を持つことに。
このような艦の多数はその後の軍縮条約で廃棄されるが、今度は条約内で新たに定められた排水量制限を守らなくてはならなくなった。
その後の戦艦設計においても、艦首装甲帯は重視されないままであった(米海軍では少し違う流れになるのだが、可能であれば後述する)。
なお、ブルターニュ級の様に改装時の重量増加により艦首装甲を廃したものも存在する。

米海軍は大戦前の時点で艦首の大部分を非装甲とした艦を設計・建造するなど、この点についても他国海軍の先を行っているが、完全な非装甲と言うわけではない。
詳しくは「4」にて解説する。

艦首に垂直装甲を設けないと言う事は、当然中小口径弾でも容易に艦首が損傷してしまう。
船体防御の面で劣ることは否めないが、一方で戦艦主砲に対しては中途半端な装甲を設けても無駄と言うことで、防御力は変わらない。
また装甲帯を設けない方が、信管を作動させずに被害が局限できる可能性があり、有利とする意見も存在する。

水平装甲についても薄いものに留まる「2a」は、最も簡易な艦首防御と言えるものだが、その分重要区画へ回せる重量は最も多い。
前部弾薬庫についても補助的な装甲を持たない代わりに、その重量で横隔壁の装甲の増厚や範囲拡大が可能である。
例としては
伊勢型(改装後か)

金剛代艦、大和型戦艦
ノースカロライナ級以降の米新戦艦
ネルソン級(竣工時)
英1929年戦艦案
ブルターニュ級(改装後)
ダンケルク以降のフランス戦艦

「2b」は「1b」のように、艦首を向けた状態での前部弾薬庫防御として、水平装甲を持つ配置
やはり英戦艦に多く採用されている。

天城以降の八八艦隊計画艦

ティルマン戦艦
L/KからG3/N3にかけての英計画艦
KGV、ライオン級、改装後ネルソン(ロドネーは2aのまま)

なお、長門型は艦首装甲帯を廃し「2」に分類されるものだが、水平装甲は下甲板に76mm(おそらく1インチHT鋼の三枚重ね)と、非常に中途半端な厚さに。
同程度の厚さの甲板のみを艦首防御とした艦は、初期の前弩級戦艦にも見られるため、これを「2ab」としておく。

艦首装甲帯の廃止は、大和やアイオワ、KGVにリシュリューと名だたる新戦艦が採用した配置となるが、第二次大戦期の新戦艦にも、数は少ないが艦首の装甲帯を持つものも存在する。
これが「3」で、装甲帯の厚さは3インチ未満と「1」と比べて全体的に薄いのが特徴となる。
この厚さでは軽巡の6インチ砲すら満足に防ぐことはできず、非装甲でもない為信管も作動してしまうように思える。
では何に有効かと言うと、これぐらいの厚さでも巡洋艦以下の榴弾なら対応可能である他、弾薬庫横隔壁への補助的な防御となることが挙げられる。
それ以上に重要なのは、航空爆弾の至近弾による浸水を防ぐのにも十分な装甲厚であると言う点だ。
第二次大戦の環境においては、戦艦主砲の命中弾よりも航空爆弾の至近弾の方が発生する可能性は明らかに高く、「1」よりも少ない重量でこれを防御できるのは、かなりの利点となるだろう。

例(3a)
シャルンホルスト級以降のドイツ戦艦(重要区画内の方では水平装甲を中心に否定的な評価が多いドイツ戦艦だが、この部位に関しては英海軍に高く評価されたとされる)
なお艦首内部の水平装甲は薄いため、直撃弾への防御は十分でない可能性が高い。
例(3b)
ヴァンガード(KGVの「2b」の配置をもとに、ビスマルク級の艦首装甲帯を取り入れたとする説もある)
例(3c)
リットリオ級(装甲範囲は艦首の半分程とやや短め)

ようやく最後の「4」になるが、これは艦首の一部分のみに重要区画の装甲が伸びる形で、上の艦尾装甲で言う所の3の艦首版のようなものである。
ただし装甲
範囲の長さは艦首全体ではなく、3割程度が普通、長くても三分の二ほどで、残りは非装甲となる。
上の米標準型などが当てはまるが、同級の場合ちょうど装甲範囲が魚雷格納庫を覆う形となり、他の艦でも同じ目的を持つものもあるか。
装甲厚や範囲からして、最も重量がかさむ配置となり範囲こそかぎられるが、装甲のある部分は船体防御としては最も強力。
この形を初め採用したのは米サウスカロライナ級であり、所謂集中防御を採用したネヴァダ級以前から、艦首の大部分を非装甲としている事は注目に値する。
これらの艦は時期的に水平装甲の薄い「4a」に分類できるが、それ以降の艦は重要区画と同じ厚い水平装甲を持っている。
それらの艦は装甲範囲の高さから、中甲板までの物「4c」、甲板一段文低くなるもの「4b」、そして途中で甲板一段分引低くなる「4cb」の三種類の分けられる
例(4a)
サウスカロライナ~ニューヨークの米非集中防御弩級艦
例「4b」

「4a」の内戦戦間期に改装を受けた3クラス(フロリダ、ワイオミング、ニューヨーク)
例(4c)
加賀型
米標準型
米1929短戦艦案
69号計画戦艦

例(4cb)
サウスダコタBB49

見ての通り米戦艦が多い。

オランダ巡戦案のこの部分を見ると、30~15mmという非常に薄い装甲帯と30mm水平装甲を設ける形になる。
配置自体はこちらもドイツ戦艦との共通点を見いだせるが、垂直装甲がより薄い物に留められた点で異なる。

こちらも変遷を見ると以下の通り(改装艦は無視)

日 1a → 2ab → 4c →2b → 2a
米 1a → 4a → 4c → 4cb → 4c → 2a
英 1a → 2b → 2a → 2b → 3b
独 1a → 3a
仏 1a → 2a
伊 1a → 3c
露・ソ 1a → 1c

上で見てきたのは垂直装甲を主として、水平装甲と絡めて分類したものだが、純粋な水平装甲(abcの三つ+α)で分類したものも載せておく。

a
第一次大戦期までの多く
金剛代艦平賀案、大和型
ノースカロライナ級以降の米新戦艦

ネルソン級(竣工時、ロドネー)
英1929戦艦案
シャルンホルスト級以降のドイツ戦艦
ダンケルク以降のフランス戦艦

b
金剛(改装)、天城以降の八八艦隊計画艦

ティルマン戦艦
L/KからG3/N3にかけての英計画艦
(改装後の)QE級の三隻、レナウン級、ネルソン
KGV以降の英新戦艦

c
加賀型
改装後フロリダ~ニューヨーク
米標準型
米1929短戦艦案
リットリオ級
23号計画艦以降のソ連戦艦案

ab 長門型、初期の弩級戦艦
cb サウスダコタ(BB49)

;

前部横隔壁について(10/23公開 最終更新11/3)
この部位に関しては補足のページでも一部艦の装甲厚をまとめるなどしたが、配置に関しても上の艦首防御と絡める形で分類していきたい。
(なお第一次大戦前の艦は横隔壁というより甲板傾斜部で済ませている物もあるようだが、調べられる内容に限界があったので下は一次大戦期以降の物に限る)


横隔壁の位置による分類

・一番砲塔弾薬庫の前面に設ける
基本はこれ。上の艦首防御の分類では「1」「2」「3」の多くがこの形となる。
(建造された)新戦艦ではリットリオ級以外のすべてが採用

・弾薬庫よりも前部に設ける
艦首防御で言うと、「4a」「4b」「4c」といった主装甲帯が艦首に及ぶ艦の配置となる

・弾薬庫前面とは別に前部に横隔壁を設ける
「1」や「3」の艦首装甲の内、途中で艦首装甲帯が途切れる様な艦にて、その装甲帯を閉じる形で設けられる場合が多い。
(例 第一大戦期の英国戦艦やバイエルン級並びにリットリオ級、ニコライ級、23、24号戦艦など)

・弾薬庫前面とは別に、下の範囲を覆う形で前部に横隔壁を設ける
分かり辛いので図を掲載するとこんな形(掲載予定)
艦首防御でいう所の「2b」「4」の一部がこれにあたる(具体的には加賀型、サウスダコタ級BB49、G3/N3級)

横隔壁自体の形状は基本的に傾斜などを持たず、艦首へ向かって垂直に装甲が貼られているだけの事が多いが、例外も存在する。

・横方向に傾斜(上から見た場合「へ」の字型となる)
例 第一次大戦期の英戦艦の一部、イタリア弩級戦艦、82号戦艦
(横隔壁を二つ持っている艦の場合弾薬庫側のみの場合が多いが、QE・R級は前方の横隔壁も同じく傾斜)
 
・縦方向に傾斜
例 第一次大戦後の英計画艦の内、L2/3~M3、K2/3~H3、日本の加賀型(A127)以降の八八艦隊計画艦
実際に建造が予定されたG3級や建造されたネルソン級ではこの傾斜は廃止
23号戦艦の一部資料だと、弾薬庫側の装甲は垂直で、前部にある方が傾斜している例も

・縦方向に傾斜、一部が横方向にも傾斜
例 金剛代艦平賀案、 
断面から見た装甲配置は英計画艦の影響が大きいとされるが、この部位に関しては同時期の八八艦隊の頃から発展した形状となっており、単に英国戦艦の影響とも言い切れない。

・甲板傾斜部が横隔壁の上端に接続する
例 ドレッドノート、伊勢型、A126(八八艦隊計画案)
重要区画内の水平装甲がそのまま横隔壁の上端に接続するのに対し、下方向に傾斜した厚めの甲板を貼ることで、横隔壁の範囲を狭めている。
調査不足で採用艦については良くわかっていないが、一部日本戦艦に用いられていた事は確実である。

・縦方向に傾斜、一部が横方向にも傾斜、甲板傾斜部が横隔壁の上端に接続する。
例 大和型戦艦
とりあえずいろんな要素を詰め込んでみた感もあるが、最も複雑な横隔壁を持つ艦であることは間違いない。現用戦車の車体装甲みたいな形である。

いつも通りオランダ巡戦の配置も見てみると、前部弾薬庫の前面に特に傾斜しない隔壁を持つ普通の形となる。

 ;

司令塔の装甲について(2016 10/28)
艦橋というものは一部に弾片防御程度の装甲を持つ程度で、戦艦主砲に耐えられるものではないが、前部砲塔との間にある司令塔は例外である。
ここは艦の操舵装置を内蔵する部位であり、砲塔に準ずる重装甲が施されている事が多い。

他にも艦や艦隊の指揮をとる人員を守る役割を持つが、日本海海戦時の東郷司令長官のように、指揮官は視界が限られるここよりも、危険だが視界の良い別の個所(羅針艦橋など)を好むことが多かったそうだ。
また日露戦争や第一次大戦時には、近くで炸裂した砲弾の弾片が司令塔のスリットから浸入、内部人員を殺傷した例もあるように、ここにいれば絶対に安全と言う訳でもない。
さらに言うと操舵装置も前部の司令塔以外にもあるわけで、ここが破壊されるのは、機械室や舵機械室といった場所に直接損傷を負った場合と比べるとそこまで致命的というわけでは無い。

以下の理由から軍縮条約期の英海軍では、司令塔に重装甲を施すことは排水量制限のある現状では無駄が多いと判断されている。
そこでQE級やレナウンの改装時に司令塔を持たない一体型の箱型艦橋を採用。中層にある操舵室の防御は側面で3インチ程度に抑えている。
また新戦艦であるKGV級でも同様の艦橋を採用。ただし駆逐艦や軽巡洋艦程度の砲撃には耐えられた方がいいとされ、装甲厚は4.5インチに増加した。
ヴァンガードでは艦橋がさらに大型化しているが、装甲厚自体は変わらず。
なおPOWの艦橋にビスマルクの主砲弾が命中し、艦長を除く多数の人員が殺傷されたのは有名な話である。
ただし砲弾が命中したのは装甲個所ではなく、その上にある非装甲の羅針艦橋や対空指揮所周辺であって、多数の死者を出したのは司令塔の廃止・軽装甲化とはあまり関係はない。

また米海軍も真珠湾攻撃で損傷した戦艦を復帰させる際、司令塔こそ残しているが、装甲厚は側面で5インチ厚程度に減じている。
この時点で軍縮条約は消滅していたが、改装によりトップヘビーとなるのを防ぎたかったのが主な理由となる。(同じ理由で煙路防御も撤去している)
ただ第三次ソロモン沖海戦にてサウスダコタが至近距離にて8インチ砲を多数被弾したこともあり、他の戦艦は司令塔の重装甲を保ったままである。

話は変わるが、サウスダコタ級(BB-49)の計画時、司令塔を置くスペースに問題があったため、第二砲塔のバーベットに司令塔の機能を持たせることが研究されていたとか。
もちろん問題だらけで実現しなかったが、すごい発想だと思う。

長門型戦艦より用いられた櫓型の艦橋は、50万トン戦艦で有名な金田大佐(後に中将)が考案した事で知られている。
この金田案の艦橋は重装甲の司令塔を廃する物だったが、最終的には以前の艦よりも小型の司令塔が設けられる形となっている。

・均質な厚さの主装甲帯を持たない例について(10/30)
日本語力に限界が来ているが、つまり重要区画の主装甲帯が同じ厚さではなく、最厚部は機関部横のみで弾薬庫などでは減厚しているような例、もしくは逆に弾薬庫横の方が厚かったりする艦について。
前者は初期~第一次大戦期、後者はそれ以降という傾向があると思うが、もちろん例外も存在する。
弩級艦以降でこの二つの特徴を持つ艦を挙げると、
・船体中央部以外(前後砲塔横)で減厚
ドレッドノート~コロッサス、インディファティガブル~タイガー、扶桑・伊勢、カブール・ドリア、ミナスジェラシス、リヴァダヴィア
・弾薬庫の方が厚い物
H3~G3/N3、条約以降の英戦艦すべて(ライオン38年案除く)、サウスカロライナ、23・24号


・舷窓ってどれくらいの厚さの外板にまで設けられるのかなあと(2016 10/22)
以前よりリットリオ級の70mm部分に空いていることは知っていたけど、他にもイタリアの弩級戦艦(120~150mm部分)、ガングート級(127mm部分)、ダントン~ブルターニュ級(160~180mmぐらい)などにもある事を確認。
これらの部分には副砲用の開口部もあるし、防御力の低下を気にしなけば、普通に装甲帯と呼べる厚さでも設ける事は可能ということか。

;

・砲塔天蓋の形状について(2016 11/20)

厳密には砲室天蓋だが(略)
本編では基本的に、よほど傾斜している物を覗いて傾斜を無視して扱っているが、実際は横方向や下方向へ傾斜する部分を含むものが多数である。
弩級艦以降の調べられる範囲で例を挙げて分類してみる

・全体的に傾斜の無い平坦(水平)な形
例 第一次大戦後の英計画艦やネルソン、KGV級、Nカロライナ以降の米新戦艦(アラスカ含む)、
艦が傾斜していない限りは、どの角度から被弾しても一定の防御力を持つ事に

・全体若しくは一部分が傾斜する形
当然命中角度によっては撃角が深くなったり、逆に浅くなったりして、平坦な物とは防御力は異なってくる。
前方に向けて下がる形に傾斜する物が多く、その場合砲塔を敵に向けた状態での被弾では撃角が深くなり、防御上は不都合となる。
ただこのような傾斜は、設けることで砲塔前盾や側面など垂直装甲の面積を減らすことができ、被弾面積や重量の削減には有効な面も。
先述したように採用艦はこちらの方が多く、形状の差もある為、さらに細分化したい。

1 全体的に前部へ行くにつれ下方向に傾斜する形
例 サウスカロライナ~アーカンソー、ニューメキシコ、テネシー級
どれもほとんど水平に近い角度であり、最も深いテネシー級でも3.5度程度。

2 天蓋の内後部は水平で、前部が下方向に傾斜する形
例 ライオン級(新戦艦)、コロラド級、金剛代艦~大和型(やや緩やかに傾斜角が変わる)、第一次大戦期のドイツ戦艦、ダンケルク~リシュリュー級、ボロジノ級、23号計画戦艦

3 全体的に下方向に傾斜し、前部の方が後部よりも深い角度となる形 
正直写真だと2と判別できない 大和型はこちらの要素も

4 天蓋の内、後部と前部がそれぞれ逆方向に傾斜する形
例 リットリオ級

以下の分類では、さらに横方向の傾斜が加わる

5 1に加え、左右がそれぞれ横方向に傾斜する形
例 ドレッドノート~ベレルフォルン、インヴィンシブル~インディファティガブル級、クールベ~ブルターニュ級
つまり天蓋は、左(前と左に向かって傾斜)と右(前と右に向かって傾斜)の二つに分かれる。

6 2に加え、左右がそれぞれ横方向に傾斜する形
例 Stヴィンセント~フッド、ヴァンガード、河内~伊勢型、イタリア弩級戦艦(改装後含む)
つまり天蓋は、後部左(左に向かって傾斜)後部右(右に向かって傾斜)、前部左(前と左に向かって傾斜)、前部右(前と右に向かって傾斜)の4つに分かれる。
この中でも竣工が遅いフッドやヴァンガード(カレイジャス)の砲塔は、心なしか傾斜が浅く、水平に近い感じに。

7 1に加え、左右の一部が両端に向かにつれ下方向に傾斜する形
例 ニューヨーク~ペンシルヴァニア級、ガングート~マリーヤ級
つまり天蓋は、中央(前に向かって傾斜)、右(前と右に向かって傾斜)、左(前と右に向かって傾斜)の3つに分かれる形になる。

8 2に加え、左右の一部が両端に向かにつれ下方向に傾斜する形
例 長門型など八八艦隊戦艦
天蓋は、後部中央(水平)、後部左(左に向かって傾斜)、後部右(右に向かって傾斜)、前部中央(前に向かって傾斜)、前部左(前と左に向かって傾斜)、前部右(前と右に向かって傾斜)の6つに分かれる。

9 天蓋の内、前後左右の一部がそれぞれの方向で下方向に傾斜する形
例 ドイツ新戦艦、並びにドイツ製砲塔を使用するオランダ巡洋戦艦、クロンシュタット級改正案
平坦部が広く傾斜部が狭い関係で、他の天蓋よりも傾斜部の角度は深い(その分撃角も深くなってしまうが)

;

煙路防御について(2016 12/9)
正直把握している艦が少なすぎるが、知っている範囲だけでも

戦艦というものも船であるのだから、石炭や石油を燃やして動力を得ている。
その際に発生する煙は、船内に閉じ込めておく訳にはいかないので、ボイラーから煙路を伸ばして排出しなければいけない。
その際に甲板に開口部を設ける必要が生じるが、同時にここに被弾した場合、下の缶室内に被害が及ぶ可能性が生まれる事になる。
今回はこの煙路に関する防御方式を見ていきたい。 

まずは戦艦の時代において多くの艦は、格子状の装甲「グレーチング」を煙路に設けている。
これは煙を通しつつ防御力を確保しようというもので、形状的に直接命中した砲弾への防御というよりは、飛んできた弾片が入らない事をメインとした物である。
戦艦時代の始めにおいて、砲弾は交戦距離的に低い弾道で垂直装甲に当たる確率が高い点、信管の性能不足により装甲命中後すく爆発してしまう点から、直接砲弾が煙路に達して機関部内に侵入する可能性は低いと考えられる。
そうすると弾片防御のみといっても、当時の環境で効果はそれなりにあったと言えるのではないだろうか。

ただしピクリン酸を採用するなど強力な威力を持つ榴弾に対しては、付近に命中した際に爆風や小型の弾片が内部に入って被害を及ぼす事も確認されている。(1909年エジンバラ試験より)
これを防ぐ為に、煙路の外側や周辺に1~2インチ程度の装甲を設けた艦も多い。

このように弾片防御がメインであった煙路防御だが、第一次大戦ではユトランド海戦をはじめとして、戦艦の交戦距離が大きく伸び、砲弾も大落角で命中する事が判明。
さらに砲弾の進歩により垂直装甲を貫通した砲弾がすぐに炸裂せず、貫通力を保ったまま煙路に命中するといった可能性が認識される。
つまり徹甲弾が煙路に命中、機関室内で炸裂するという事態が現実的な物になるのである。
この点から煙路防御にも、直接砲弾の貫通を防ぐような厚い装甲が要求される事になる。

そのタイプの防御で最初に登場したのは、井戸枠のような垂直装甲を開口部を囲む形である。
こういった垂直装甲は日本国内では「コーミングアーマー」(coaming armour)やリングアーマーと呼ばれている。なお英語圏ではあまり使われず、単に煙路防御と呼ばれることが多い。アーマードシリンダーという表記もあるようだ。
初期の採用艦は第一次大戦よりもはるかに昔で、垂直装甲自体を廃したイタリア級装甲艦や、初期のフランス前ド級戦艦にも採用艦が確認できる。
本格的な採用は米海軍のネヴァダ級で、13.5インチと主装甲帯と同厚のコーミングアーマーを設けている。
ユトランド前の設計ながら集中防御を採用した結果、上部装甲帯を廃した事により開口部へ直接砲弾が達する確率が上がっており、それに対応する為の採用と考えられる。

その後の米戦艦は、テネシー級で厚さや範囲的に小規模な物になるが、海軍休日前の戦艦すべてにこの方式を採用している。
他国の例だと、日本海軍は長門型の時点では上述した弾片防御のみであったが、その後の計画案の内A116より、ネヴァダ級の範囲に鍬てて一部煙突基部に装甲を有する、かなり防御範囲の広い物を採用している。
そして最終的には、テネシー級の様に範囲を抑えたものとなったが、加賀型以降の八八艦隊戦艦がコーミングアーマーを有する形で建造される予定だった。
さらに金剛代艦(平賀案)は非常に厚い物を設けるようであったり、改装艦では金剛・扶桑型にて増設されているが、機関部の強化が余りなされなかった伊勢・長門型には設けられなかったようだ。
英海軍はフッドまでは弾片防御だが、ネルソンより9インチもしくは7インチのコーミングを採用。それ以降はよく知らない。
伊海軍もリットリオ級に採用。ソ連海軍のソユーズ級にも確認できるが、24号戦艦では廃されているようだ。

という風に広く採用されたコーミングアーマーだが欠点もあり、砲弾よりも落角の大きい航空爆弾に対しては、運が悪いとホールインワンしてしまう可能性があった。
もちろん開口部の範囲や構造次第で可能性を減らせるものの、そうすると防御範囲の割に重量がかさんでしまう。
その欠点を解消する方式として、弾片防御程度しかないグレーチングではなく、煙を通す小さな穴が開いた装甲甲板を用いるというアイディアが登場する事になる

これが大和型で用いられた事で有名な「蜂の巣甲板」という事になるが、実は色々と調べているとこの形の防御は他国でも結構採用されているようだ。
まず米サウスダコタ、アイオワ級は最大で厚さ15インチの蜂の巣甲板が確認でき、この事から他の米新戦艦も同じ方式である可能性も高い。
またオランダ巡洋戦艦の図面にも厚さ225mmのグレーチングがあり、これが蜂の巣甲板だとすると、技術的に繋がりの強いドイツ新戦艦にも採用されている可能性が。・・・とこの項目を書いた時に予想していたが、ブレイヤーによると35mmから40mmの穴を設けた装甲甲板を設けたとあり、やはり蜂の巣甲板を使用していたようだ。
さらにリシュリュー級も厚さ300mmの物が採用されている。
今回確定したのはこれだけだが、発想的にグレーチングと大差ないので、他の艦でも採用されている可能性は十分にあるだろう。

蜂の巣甲板の利点は、どのような角度からの直撃でも対応できる防御力を与える事であり、また大和型の場合、同程度の防御力を有するコーミングアーマーよりかなり重量の削減ができたようだ。
ただし欠点もあり、基本的に防御力の高いグレーチングでしかないため、先述したように付近に被弾すると爆風が内部に侵入する可能性がある。
大和型はこの対策として煙路の周辺に別途50mmの装甲を貼っていたが 、それでも武蔵は航空爆弾により機械室内に被害を受けている。
結局航空爆弾に対する完全な防御は難しい、というのが本音だろう。

またこれらの防御により重要区画内への被害を抑えられたとしても、排煙機能自体を完全に守ることは難しく、そもそも防御のない煙突に被弾した場合も、排煙や通風が阻害されて何らかの不具合が発生する事が予想される。
なおテネシー級や加賀型が持つ9インチ程度のコーミングも、第二次大戦期の砲弾相手に普通に貫通されて缶室内への侵入を許す可能性も高い。
という風に被害を防ぐのはかなり難しい部位と言える。
第二次大戦時の米標準型では、改装によるトップヘビーを防ぐために煙路防御を撤去した例も確認できるが、結局はその程度の価値と見做されたとも解釈できるだろう。

・主装甲帯とバーベット厚の関係についてメモ(編集中)
バーベットは露出部側面、装甲帯はバッキングや裏側の傾斜部など含まず
装甲帯の傾斜がないか浅いもの(船体中央部で7度以下)
1 バーベット厚が主装甲帯の126パーセント以上(小数点以下は四捨五入)
インディファティガブル~タイガー(前後部の一部)レナウン(改装前)、扶桑・伊勢(前後部の一部)、長門(改装)、69号

2 116~125パーセント
インヴィンシブル、インディファティガブル(船体中央)

3 106~115パーセント
ライオン(42年案機関部)、金剛、ビスマルク、H39、カブール・ドリア(改装による増加装甲を含む場合)、
ブルターニュ、ニコライ一世、ソユーズ(機関部)

4 96~105パーセント
ライオン~タイガー(一部除く)、レナウン(改装後)、ヴァンガード(機関部)、ライオン(38年案、42年案弾薬庫)、扶桑・伊勢(一部除く)、長門、ニューヨーク、米標準型、サウスダコタ(BB49)、バイエルン、マッケンゼン、シャルンホルスト※、ボロジノ※、ソユーズ(弾薬庫)

5 86~95パーセント
KGV、ヴァンガード(弾薬庫)、河内、カイザー・ケーニヒ、デアフリンガー、カブール・ドリア(改装前)、ノルマンディー、マリーヤ

6 76~85パーセント
オライオン~R、フォンデアタン、ザイドリッツ

7 75パーセント以下
モルトケ、ガングート

※この2クラスはバーベットが内傾

8度以上の傾斜を持つ物
1 126パーセント以上(小数点以下は四捨五入)
金剛代艦平賀案※、大和型、ノースカロライナ~モンタナ、レキシントン、アラスカ、ダンケルク・ストラスブール、

2 116~125パーセント
H3・G3(機関部)、リシュリュー、24号計画戦艦(一部除く)

3 106~115パーセント
N3・ネルソン(機関部)、加賀・天城、ソユーズbis、24号(弾薬庫の一部)、オランダ巡洋戦艦案

4 96~105パーセント
フッド、L・M・K・J3・I3、ならびにH3・G3・N3・O3(ネルソン)の弾薬庫、紀伊、リットリオ*、

※バーベット19インチ説を採用
被帽破壊用の装甲との合計厚

雑感
傾斜装甲により厚さ以上の防御力を持つ装甲帯は、場合によっては厚さ分の防御力しか発揮できないバーベット装甲よりも薄い物ですまされることが多い。(当たり前だ)

・甲板傾斜部・亀甲甲板について(仮公開)

これを書いている人間がこの部位の正確な名称を知らないと言う大きな問題があるが、今回は甲板傾斜部や亀甲甲板と呼ばれる部位について。

戦艦では装甲帯を貫通した砲弾に対する被害の局限や重要区画の防御、もしくは装甲帯の支持構造の強化を目的として設けられる構造だが、その厚さや傾斜角、範囲などは艦によって大きく異なる。
その防御力は被弾時の衝撃で飛び散った装甲の破片や構造材を受け止める程度のものから、ビスマルク級の様に近距離から放たれた戦艦主砲弾の貫通を阻む物まで存在する。
こういった機能や形状の違いを含めて論じたいが、その前に各国海軍での採用状況などをまとめておきたい。
なお上のメモでも触れたように、この構造は艦尾防御として広く使われているが、今回は重要区画内での使用に注目する。

20世紀の戦艦において、亀甲甲板は舷側装甲帯と組み合わせる形で重要区画の防禦を構成するが、元は単体で防禦を担う構造として軍艦に導入された物だった。
装甲艦の登場以降、艦砲の進化と共に必要とされる装甲厚は増していき、1881年竣工の英インフレキシブルは合計厚610mm(錬鉄)、80年竣工の伊カイオ・デュイリオ級は550mm(軟鋼)にも達している。
それに対して舷側装甲を完全に廃して亀甲甲板のみを設ける方式が、少なくとも70年代のイタリアやイギリスにおいて同時期に考えられていた。
これは艦の外殻で炸裂した榴弾の弾片が重要区画に飛び込みのを防ぎ、徹甲弾を傾斜部で滑跳させる事を狙った方式で、当時の交戦距離では舷側に厚い装甲を設けるより効率よく重要区画を守れるものとされた。
代償として艦の舷側は非装甲になり、榴弾や小口径弾でも命中時には被害が発生する点が問題になるが、一応外殻と甲板の間には石炭庫を設け、細分化により被害の局限を図る形になる。
(単に傾斜部と水平部からなる装甲というと、南北戦争時の一部南軍装甲艦にもみられるが、やや配置が異なり、あちらは艦の外側に台形の装甲を貼る方式である)

イタリア海軍はこの方式を採用したイタリア級装甲艦を1885年より竣工させているが、後続では採用されず。
またイギリス海軍の装甲艦では結局採用されなかった(船体中央は装甲帯を貼り、艦首艦尾が水平装甲のみとなる方式を採用)が、80年代には新型巡洋艦の防御様式として復活。
これが防護巡洋艦として各国海軍に広まる艦種となる。
ちなみに最初の防護巡は84年に竣工するエスメラルダだが、最初に水平装甲のみを貼ったのは79年より竣工する英コーマス級で、亀甲甲板は82年竣工のリアンダー級から。

なお防護巡洋艦は、その後速射砲の開発や榴弾の高威力化により、実戦では非装甲部の損傷が問題とされた。
さらに装甲材質の進化で少ない重量で舷側装甲を設ける事が可能になった事もあり、20世紀初めには陳腐化。
以降亀甲甲板のみを用いた防御様式の艦が主流になることはなかった。
(なお1910年代のアメリカ戦艦はこれと似た方式を採用する計画が存在したが、大落角の砲弾に相性が悪い点と非装甲部の損傷が問題となり採用されていない)

今回論ずる舷側装甲帯に亀甲甲板を組み合わせる方式の艦は、自分の知る限りではフランスの装甲巡洋艦デュピイ・ド・ローム(95年竣工)が最初である。
追記→調べているとイタリアの装甲巡洋艦マルコ・ポーロ(起工されたのはフランス艦よりも後だが竣工は一年早い)で採用されている可能性がある他、
1890年代のブラッセイ海軍年鑑を覗いていると、全く知らないオランダのモニター艦(94年竣工)でこの方式と思われる断面図を見つけてしまった。
さらに80年代にドイツが清国海軍に建造した巡洋艦の時点で採用されていた可能性も否定できないと言う風に、最初の艦については自信がないのが現状である。

そして確定している事として、戦艦ではこの方式が採用されるのはもう少し後になり、1897年に竣工する英レナウンが初となる。

・主力艦における採用
かなり偏った情報しか持っていないのが現状だが、ワシントン条約までの各国戦艦での採用状況をまとめると以下のようになる。
イギリス レナウンに続くマジェスティック級からフッド(1920年竣工)までの戦艦、巡洋戦艦に採用。ワシントン条約で建造が取りやめられた新戦艦案にて廃止。
日本  敷島型(1900年より竣工)から長門や加賀など八八艦隊艦まで採用されるが、途中河内と扶桑の船体中央部はこれを持たない。
また加賀型以降の傾斜部は少々特徴のある形状だが、これについては後述
アメリカ キアサージ級(1900年竣工)の弾薬庫横で最初に採用され、ヴァージニア級(1906年より竣工)で重要区画全体に広がるも、初の弩級戦艦であるサウスカロライナ級で廃止。
その後ネヴァダ級で復活するも、水雷防御の関係かテネシー級で再び廃止される。という風に各国の中でも採用艦は少なめ。
ロシア  レナウンに近い装甲配置を持つペレスヴェート級(1901年より竣工)で導入、途中フランス製のチェサレーヴィチは異なる形状だが、同艦含む戦艦すべてに採用される。
ガングート級以降は厚めの縦隔壁と組み合わさった独特な形に。

ドイツ  1902年より竣工のヴィッテルスバッハ級から採用。第一次大戦までの戦艦ではバイエルン級やそれ以降の計画艦までに存在する。
フォンデアタン以降の巡洋戦艦(大型巡洋艦)にも基本見られるが、未完成となったマッケンゼン級以降の案では廃止されている。
フランス 装甲巡とは違い、初期の戦艦は主装甲帯の上端と下端に水平の甲板を二層持つ方式を採用した為導入は遅れ、1906年より竣工のレピュブリク級が最初になる。
イタリア 不明 少なくともレジナ・エレナ級以降は採用しているか。

このように一部の例外を除けば第一次大戦までの艦の多くが持つ構造であったが、ワシントン条約以降の艦での採用は以下の通り


イギリス 条約後初の戦艦となるネルソンは条約で廃案となった計画艦を元にした為、傾斜部を持たず。
条約明けに建造されたKGV・ライオン・ヴォンガードはネルソン級とは異なる装甲配置を採用するも、これらにも見られず。
日本 金剛代艦(平賀案)、大和型戦艦共にネルソン含む英計画艦の影響が強い艦であり、当然傾斜部はない。
ソ連  UP41のみで確認。ソユーズ級の改正案の一つには装甲帯の背後に厚めの弾片防御を持つものがあるが、これは縦隔壁であり傾斜部とは言い難い。
アメリカ  装甲配置はテネシー級をベースにした物から研究が始まるため、こちらでも採用されず。
ドイツ  シャルンホルスト級以降の戦艦案すべてに採用
フランス 20年代末の代艦案からリシュリュー、アルザスまでの戦艦すべてに採用
イタリア  こちらもソ連海軍と同じく、縦隔壁に近い形状の弾片防御を持つのみで、採用艦はない。

ここで形状や厚さ・材質等から分類を試みた上で、傾斜部の採用状況の変遷について解説を試みたい。

以下編集途中

この構造が採用されなくなった原因は まず米海軍の様に水雷防御との兼ね合いに問題があったと思われる点。
もう一つは単純に、これまでの艦で用いられてきた、構造用鋼製の2~3インチ厚程度の傾斜部では、戦艦主砲への防御は十分ではないと考えられるようになった点だろう。
これは本文中でも紹介しているが、この時期になると表面硬化装甲を貫通しても破壊されずに、有効な遅動信管によって艦の奥深くで炸裂する徹甲弾が実用化されている。

そういった砲弾に対して中途半端な厚さの傾斜部を設けるくらいなら、その重量で舷側装甲帯を強化すると言う流れになるのは当然だろう。

英国は1918年のフッド模型実験にて傾斜部が近年の徹甲弾に対して有効でない事を確認、20年代以降の計画艦で傾斜部を廃している。
なお日本海軍も同年に長門の傾斜部を模した実験で同じような結果を得ているが、加賀以降の艦ではひとまず傾斜部の形状変更で対応を図っている。
(ちなみにオーストリア海軍が建造を予定していたモナルヒ代艦級も似たような傾斜部の形状改変を行っているが、同じような理由があったがは不明)
しかし欧米視察所見の平賀の所感を見る限り、条約期に入ると結局無駄が多い物とされ、最終的には英国に習った傾斜部を持たない形になる。

これに対して傾斜部の採用を続けたドイツ海軍は、この部分に一枚板の均質装甲を用いた上で4インチ以上の厚さを確保している。
他の海軍のようにこれを廃するのではなく、近年の徹甲弾に対応するレベルまで強化することで対応を図った例と考えられるだろう。
本文中でもまとめたように、ドイツ戦艦はこの配置により一部の防御力は同時期の戦艦の中でもトップクラスの物を獲得したが、一部防御範囲や重量効率などの弊害も存在する。
一方で同じく傾斜部を残すフランス戦艦は、均質装甲製だが既存の艦と大差ない厚さに留まっている。
これは堅実な配置とも言い換えることが出来るが、他国海軍の選択と比較するとちょっと中途半端だと思わざるを得ない。
(実際ジャンバールやダンケルクは、被弾時にこの部分が特に役立ったわけでもない)

実戦における傾斜部の効果

黄海海戦(1904)
三笠

ユトランド海戦
モルトケ
デアフリンガー

メルセルケビール襲撃
ダンケケルク

ビスマルク追撃戦

編集中

同じく傾斜部の効果に関する射撃実験

2017 8/17
1918年の「長門型水線甲鉄構成及背後防御甲板ノ効果ニ関スル実験」の一部を活字化を試みたもの。
(平賀資料で資料番号2238 大正八年五月十二日 □□長会議 内にある資料)
大体何が言いたいかはわかる程度だが掲載

・二  水線甲鉄ヲ貫徹シ若クハ□所□テ炸裂セル弾丸ニ対シ防御甲板傾斜部ノ価値ヲ実験セントス
弾丸ハ十四寸及十六寸弾、射程一万五千米未□ニ於ケル存速及落角ヲ有ス、本実験ノ成績ハ
イ 十四寸以上ノ巨弾ガ舷側甲鉄ヲ貫徹シテ弾体完全ナレバ勿論ノ事、破損?セラルルトス□モ□个ノ大片□ニ破壊セラザル場合ニハ三吋ノ防御甲板ハ□□□ノ威力ヲ以テ貫通セラル可シ
ロ 十四寸以上ノ巨弾ガ貫徹ノ際炸裂スレバ炸裂ノ威力ハ防御甲板ニ径三呎内外ノ破孔ヲ生ズ可シ
但シ通常榴弾ノ如キ貫徹ノ始メ□炸裂スルモノニ対シテハ甲鉄板ニ破孔ヲ生ズルモ防御甲板ハ全ク無事ナリ
故ニ舷側甲鉄ハ貫徹ノ□ニハ弾丸ヲ佃力(細片?)ニ破壊セシムルカ若クハ自爆セシメザル以上ハ船内ノ防御甲板ノ□□ノ厚サニテハ防御ノ効力極メテ薄弱ナリ
又貫徹中ニ炸裂スル場合ト雖モ□未本?□ニテモ英米独ニテモ行ハルル所ノ甲鉄直後ニ設ケラレタル防御甲板ニテハ効果頗ル乏シク少クモ六七呎ノ間隔ヲ置クヲ要ス

これを見ると第一次大戦後の艦(米軍はそれ以前より)の多くで亀甲甲板が廃されたのも納得が行くが、ユトランドの成績と比較すると炸裂時の破壊効果がかなり大きく評価されている気がする。
おそらく実験では石炭庫など間に入るものを省いたか、そもそも設けない場合を想定した物では無いだろうか

2017 12/12
砲熕試験記録はまだ一部しか見れていないけど、1914年の試験で傾斜部関連の物を見つけたので、前みたいに活字化を試みてみる。(識別子120030125 44枚目)
標的は元資料に模式図があるのでそちらを見て欲しいが、9インチの垂直装甲と、その裏側の2インチの傾斜部(水平から35度、垂直から65度傾斜)からなる。
傾斜部は垂直装甲の下端に接続するのではなく、若干距離を離す形。

ここから
I.(june25.3)
12" gun s.v.448.5 m.s.(45cal.12ノrange 13,000meter), 制式12" capped A.P.
9"armor penetrated (dia of hole 10.5"), but 24"× 1.25" 凹 xxxx on 2" v.n.c and no crack at all
II oct 26.3
12" gun s.v.747.6 m.s.(45cal.12 range 1200m), 制式12" capped A.P.(下瀬炸填、三年式信管)
9"armor penetrated (dia of hole 13 " to 15"), 
2"鈑ハ全ク破壊セラレ□ナ片トナリ2'×3'ノ一片ノ如キハ100'後方二飛散セリ、要スルニ片々トナリnearestノモノモ5'ヲ距リ全ク原型ヲ止メズ

I ニ於テハs.v.小ナリニ依リ炸裂ハ未ダshellガ□□鈑ニ穿入セザル以前ニ起タルニ依リ2"armorニ當リタリシ弾片ハ小□□ナリシニ依リ損傷小ナリシモ IIニ於テハ弾片ノ大部分□9吋ニ抜ケ炸裂セシ依リ2"鈑ヲ粉砕セシモノノ如ク考ヘラル
IIノ如ク外側9"armorヲ貫通シテ炸裂シタルモノノ威力ハ絶大ニシテ□□□□DKモ□効力ヲ為サズ、弾丸ノv大ナリシモ□□□ハ□タメニアラズシテ炸裂ノ威力ナリトスル時ハ舷側甲鉄ガ弾丸ヲ貫カシメサ□□□ノ□ニハルル以上ハ甲鉄ノ下部ニ水平□□□□DKヲ□セザル可カラズ。(shellハIIx9"鈑ノ3/4ヲ貫キタル時ニ炸裂シタルモノナラン)

最後の方が全然読めていないが、1918年の物とは違い、一回目は現実的な距離にて外側の装甲で自爆した砲弾による被害を防ぐ結果に。
あと二回目は内部にかなりの損傷を与えると思われるが、それでも至近距離にも関わらず傾斜部を抜いた後に炸裂とは行っていない(信管が瞬発の三年式だからか)点に注目。

編集中

.

・装甲帯の高さ等についてメモ(2017 7/8)

当たり前の事として、要目等で垂直装甲が同じ厚さだからといって、それらの艦が同じ防御力を持つとは限らない。
補足のページで見たように装甲材質や傾斜の有無などによって実質防御力が全く違う場合がある事、さらにそれらが同じであっても配置や船体に占める範囲なども艦全体の防御力へ影響するものである。
今回は装甲範囲の中でも重要区画内の装甲の高さについて、本文中では触れていたものの、こちらではまとめていなかった件などを載せておきたい。

まず20世紀の戦艦ではまず起こらないことだが、1880年代には極めて低い範囲に主装甲帯のみを配置した艦がそこそこいた。
(英アドミラル級やフランスのオッシュ、またデュピュイ・デ・ロームが登場する前の装甲巡洋艦も)


このような艦の装甲帯は傾斜時に水没して、舷側を防御する装甲が無くなってしまう可能性がある。
この状況では艦を守るのは内部の水平装甲や石炭庫のみとなり、水中弾が発生しない限り、もはや防護巡洋艦と何が違うのかと言いたくなる。(水平装甲の形状が違うけど)
また逆方向に傾斜する場合、装甲帯の深さが足りないと非装甲部分が水線上に露出するという現象も発生する。
(非装甲部分へ被弾後に傾斜が収まれば、そこから大浸水する事が予想される。そして今度は逆に傾斜して装甲帯が水没と)
そしてロイヤルサブリンやシャルルマルテル、インディアナ、富士、シソイヴェリーキーなど初期の戦艦でもこの面影はあり、主装甲帯の高さは未だに大きくはなかった。
一方でこれらの艦では主装甲帯とは別により薄い上部装甲帯が導入されており、主装甲帯が水没しても中小口径砲から水線部を守る事をねらっている。
初期の上部装甲帯は主装甲帯との防御力差がかなり大きかったが、やがて装甲材質の進歩によりその差は小さくなり、場合によっては当時の戦艦主砲に耐える事もある程度可能になる。また主装甲帯自体の高さを改善した艦も登場していく。

20世紀に入ってから一次大戦までの艦の多くは、この主装甲帯と上部装甲帯が乾舷の高い範囲を防御する形になる。
この時期の同じような配置の艦でも、主装甲帯の高さは艦によって差が大きい。

      
上の二図は結構極端な例で、主装甲帯が中甲板の高さまである艦と、下甲板までしかない艦になる。
第一次大戦時の徹甲弾は実戦で10インチ以上の垂直装甲を抜くのに苦労しており、つまり当時の主な戦艦が持つ主装甲帯にはあまり通用しなかった。
一方でそれ以下の厚さである事が多い上部装甲帯は主砲弾に耐えられない部分という事になり、その範囲が広い程防御力に劣ると評価できる。
最初に挙げたよう主装甲帯が水没して上部装甲帯だけになる事も考えると、左図のように主装甲帯の高さがあるのに越したことはないだろう。

なお主装甲帯の高さで劣っていても、上部装甲帯を含めた10インチ厚以上の範囲で勝るのならば、当時の砲弾への防御ではこちらの方が優れているとも言える。
尤も当時の艦は副砲防御などを兼ねる上部装甲帯の上段が薄く、さらに水平装甲という弱点を抱えている。
これらの被害が発生しやすいせいで、主装甲帯の範囲は大きな差には繋がらないかもしれない。

また戦間期にこれらの艦が防御力の強化を行う場合、垂直装甲は条約でいじれないので、基本的に水線付近にある下甲板の水平装甲を強化するのが基本である。
そのような場合、左図では上部装甲帯を貫通した砲弾は下甲板の水平部に当たるのに対して、主装甲帯の高さがない右図では、傾斜部に命中するルートも発生する。
後者は撃角の関係でより貫通されやすい可能性があり、やはり防御力は左図に劣る。

そして大戦後は砲弾側の進歩で上部装甲帯の防御力不足が決定的になったのと、水平装甲を強化する必要から、より厚い主装甲帯のみを設ける形が主流になっていく。
そうすると最初に挙げた問題などに再び注意する必要があるが、一部の例外を除けば、主装甲帯のみでもそういった影響を受けない範囲を防御している事が多い。
また一部の艦は水中弾防御対策として水線下に厚い装甲を持つこともあり、むしろ深さでは今までの艦を上回る事の方が多いようだ。
(こちらもネルソンやリットリオ等の例外も存在する)

..

・水線下への被弾並びに水中弾について (2017 8/11書き直し)
始めに
第二次大戦における艦船の沈没理由では、(戦艦を含め)魚雷など水雷兵器による浸水被害が大きな割合を占めるだろう。
一方で通常の火砲でも浸水被害は発生し、特に今回扱う水線下への命中弾は恐ろしい被害を与えかねない。

水線下の被弾ルートは主に2つがあると思われる。まず一つが艦の動揺で水中にある部分が露出する場合、もう一つが艦の手前に着水した砲弾が水中を進み命中する場合である。
しかし後者については、長年砲弾が海面に着水しても、若干入水した後に反跳して再び飛び上がるか、そのまま海中に没する(若しくは砲弾の種類によっては海面で炸裂する)のが殆どという考えが存在した。
つまり、装甲艦や初期の戦艦の時代には、水線下の深い範囲には砲弾は直接命中しないとされていた。
よってこの範囲には爆発の被害を吸収する効果を持つ石炭庫が置かれる程度で、直接装甲を施した艦は存在しなかった。
(なお当時の艦の垂直装甲でも、先述した艦の動揺や、浅く入水した砲弾へ対応する程度の装甲帯の深さを持っている例が多い)

一方で交戦距離が延びるにつれ、一定の落角で着水した砲弾が反眺も水没もせず、ある程度水中を進む現象がまれに発生するようになる。
これが水中弾となって命中するという事で、特に砲弾や信管の性能が上がった第一次大戦後の環境で艦の大きな脅威として認識される事になる。

一応水中弾自体はこれ以前より確認され、下でまとめたようにユトランド海戦でも発生している。
しかし20世紀に入ると戦艦は魚雷の進歩に対応する為、石炭庫などに加えてその裏側の縦隔壁を装甲化しており、当時の砲弾ではこの防御を十分に破れなかった。
それが信管性能の向上により、縦隔壁ごと抜いて艦の奥深くで炸裂する可能性が高くなってしまった、という流れである。
そして二次大戦時では水中弾に対応した防御を試みた艦が登場するが、その防御様式などを見る前に、水中弾や水線下への被弾の実例を挙げてその効果について考えてみたい。

------
とりあえず調べることの出来た範囲で発生例と被害をまとめてみる。
日清戦争
黄海海戦にて浪速の水線下に21cm砲と思われる砲弾が一発命中。損害軽微

日露戦争
三笠:黄海海戦にて30数発を被弾。その内6インチと口径不明の2発が水線下の非装甲部分に命中。前者は炭庫内に漏水を起こすも被害は軽微
朝日:同海戦での唯一の被弾が左舷後部水線下の米庫横だが、特に被害なし

日本海海戦では水線下へ突入した砲弾が4発あり、内3発は舷側装甲を持たない艦に命中している。
日進(装甲巡):同海戦で10発を被弾、内一発は「左舷6吋甲鈑水線下」を貫通し炸裂した。(この文だと非装甲部分を抜いたのかは不明)
これにより炭庫内に浸水するも被害は拡大せず、戦闘に支障を来すレベルではなかった。
笠置(防護巡) :同海戦での唯一の命中弾が水線下の炭庫にて炸裂、その後ボイラーの一部に浸水が達し速力低下、戦列を離れている。
高千穂(防護巡) :こちらも唯一の命中弾が後部水線下にて炸裂。その際の衝撃により一時操舵困難に
千早(通報艦) :3発被弾。内一発が水線下に当たり炭庫に被害。

ロシア艦では黄海海戦でのツェサレーヴィチの浸水は水線部の装甲が押し込まれたものとされるが、水線下の非装甲部分近くで炸裂した砲弾による漏水とする証言もあったり。
あとここでまとめたように、旅順港で着底した艦には28cm砲の水中弾が少なくない数命中している。

第一次大戦
ドッガーバンク海戦
ライオン:被弾17発の内4発が水線付近への被弾だが、水中弾という程で無いか。

ユトランド海戦 
リュッツオウ:大口径弾だけでも二十数発を被弾。その内フッド隊との交戦にて5発を水線下に受ける。(装甲帯よりも下の非装甲部分に命中したのは一発のみ)
内一発は船体中央部にて装甲帯下端のテーパー部分を貫通するも不発化。傾斜部にて止まる。
残りの四発はすべて艦首に命中。特に前部魚雷発射管に命中した2発による浸水は激しく、一番砲塔火薬庫にまで達した。
これらの被弾により艦首が沈下した本艦は速力が低下して戦線を離脱、後に自沈処分とされた。
ケーニヒ:主にアイアンデュークからの13.5インチ砲弾など10発被弾。 
内一発が装甲帯の下端を抜いて炭庫にて炸裂。水雷防御隔壁の一部が破壊され副砲弾薬庫にも浸水。
マレーヤ:大口径砲被弾数8発。内シェーア隊からと思われる2発が非装甲部を抜いて炸裂、浸水。

リガ湾での戦い
スラヴァ:ケーニヒより12インチ砲を5発被弾。内2発が水線下に命中、浸水多量により自沈処分。

戦間期の射撃実験
土佐:1924年に標的艦として四発の41cm砲弾を被弾。内2発が水中弾となる。
この内一発が有名な一撃で、艦の25m手前で着水した砲弾がバルジと水雷防御縦隔壁を破って機械室内で炸裂。甚大な被害を与えた。
エンペラーオブインディア:1931年に標的艦として13.5インチ砲弾を被弾。その際に装甲帯の下端を貫通した砲弾が重要区画に達する事を確認。

第二次大戦
ブルターニュ
メルセルケビールにて4発被弾。最初の一発が水中弾となり後部弾薬庫にて炸裂。大量の浸水により横転爆沈。

ビスマルク
デンマーク海峡海戦でPOWの14インチ砲弾を3発被弾。
内一発が非装甲部分を抜いて水雷防御区画で炸裂、縦隔壁からの漏水で最終的に缶室の一部を放棄。
一方で数十発を被弾したはずの最後の戦いでは特に発生していないようだ。
プリンスオブウェールズ
同海戦にて38cm砲弾4発、8インチ砲弾3発を被弾
内38cm砲弾1発、8インチ砲弾2発が水線下に命中するもすべて不発化。重要区画内の被害は軽微。

ボイシ(軽巡)
サヴォ島沖海戦で9発被弾。その内一発の8インチ砲弾が水中弾となり二番砲塔弾薬庫内で炸裂。
弾薬庫内で誘爆を引き起こすも浸水により鎮火。ただしこの浸水により前部主砲3基すべてが使用不能に。

霧島 
第三次ソロモンの第二夜戦にて多数の16インチ砲弾を被弾(米軍記録は9発だが生存者の証言では20発とも)。
複数発が水線下に命中したとされ、一部は海底調査でも確認されている。
砲弾の被害は重要区画に達しなかったとされるが、周辺の区画を破壊。雷撃処分前に転覆する一因となった。

ソルトレイクシティ
アッツ島沖海戦にて5発を被弾。その内3発が水中弾。
一発は燃料タンク内で炸裂し、機械室へ浸水を引き起こした。(その際のダメコンの不手際で同艦は短時間ながら一時航行不能に)
残りの2発は小規模な漏水とビルジキールを破損させただけと被害は軽微。

あとスラバヤ沖のエクセターやサマールのガンビアベイも水線下の被害があったそうだが、具体的な損傷は把握していない。

----
まとめ
まず艦に与える被害については、(陸上からの砲撃だった旅順艦隊への攻撃は例外として)明らかに時代を経るごとに激しい物となっていると言える。
一次大戦の時点でも艦の喪失に繋がる損傷を与えているが、二次大戦では弾薬庫内で直接炸裂して被害を与えた例が確認できる。特にブルターニュやボイシの例がそれで、一発の命中弾で致命傷を与えかねない理想的な例である。

一方でビスマルクや霧島、ソルトレイクシティの例のように重要区画内に砲弾が達していない物、POWのように軽微な損傷に終わった物の存在も忘れてはいけない。
後者は信管の不具合だとして、前者も水中を進む間に余勢が失われて隔壁を抜く威力を失ったか、抜く前に信管が作動した物と思われる。
大遅動信管の採用で知られる91式すらこうなった例を見ると、弾薬庫に達するような理想的な例を実現するには、やはり運の要素も絡んでいたと思われる。

発生確率の評価は難しい。
上の例を見ると数発被弾の内一発という例はおろか、唯一の被弾が水線下という例が存在する。
これだけを見ると非常に高い数字だが、当然海戦全体の命中弾に占める割合はそれを大きく下回るものとなるだろう。

とりあえず後日加筆するとして、現時点で把握した例ではこのようになる。
黄海海戦(日露) :日本艦隊被弾数50発未満中3発 → 6%程度
日本海海戦:日本海軍第1~4戦隊総被弾数127発中4発 → 3.15%
細かく見ると、第一戦隊65発中1発(約1.5%) 第二戦隊68発中1発(約1.5%) 第三戦隊5発中1発(20%) 第四戦隊9発中1発(約11%)
ユトランド海戦は大口径(11インチ以上)総被弾数約200発との事で、約4%
部隊ごとの被弾確率は英独で明らかに異なるが、これは後日追加したい。
リガ湾 ロシア艦隊被弾数8発中2発 → 25%
メルセルケビール フランス戦艦総被弾数10発中1発 → 10%
デンマーク海峡海戦 総被弾数12発中4発 → 約33%(英側9発中3発、独側3発中1発)
アッツ島沖の総命中数は確か20発を越えないと記憶しているので、この海戦も結構発生率は高くなるか。

見ればわかるように現状では殆ど片方の記録しか利用できていない。
日露戦争のロシア艦隊(少なくとも鹵獲されたオリョールやニコライ一世では確認できず)やサヴォ島沖の青葉古鷹の例を含めれば、また記録は変わると思われる。
それを抜きにしても一部海戦での発生率は非常に高いが、これはあくまで水中弾が発生した海戦のみをまとめた例である。
先述したビスマルクの追撃戦や北岬沖海戦などは、数十発の命中弾がありながら水線下の被害はないとされる。
さらに第一次ソロモン沖で戦没したニューオリンズ級三隻は、大小100発以上を合計で被弾したが、ヴィンセンスに未確認の一発がある以外発生していないなど、発生率の低い海戦も存在した。
これらを入れれば、全体の発生率は結構下がるのではないだろうか。

といっても少ない命中弾で確実に水中弾が発生した例があるのは紛れもない事実である。
個人的な話になるが、架空戦記などで都合の良い時にいきなり水中弾が出れば「そんな上手く行く訳無いだろう」と萎える事もある。
しかしこれを見る限り、完全に有り得ないと否定するのも間違っているような気もする。

もうひとつ難しい点が、水中弾の発生距離(落角)との関係だろう。
一般的に水中弾は落角が浅すぎても大きすぎてもダメで、第二次大戦の戦艦主砲の場合は20km台前半が最良とも言われる。(米軍では2~3万ヤード間とされる)
しかし上の例では二次大戦でも、10km台半ばやそれ以下で普通に発生している。
より遠距離なら発生率は高くなったのか、実はもう少し近距離の方が適していたのだろうか。
(ソロモン戦やビスマルク追撃戦の例から、落角が小さすぎる場合の発生率はやっぱり低いと思われるが)
結局は戦闘例が少ないのが問題で、双方が数十発以上をいろんな距離で当てるような戦闘が起こっていれば話は別だが、これは色々と仕方がない。

---------
水線下の対弾防御と水中弾対策について
上でまとめたこの部分へ被害を与える方法は、最終的には以下の三種類があると思われる。


1 艦の動揺で水線上に露出した部分やごく手前の海中に落ちた砲弾による被害。
どちらも古い時代から確認されてきた被害で、水線下の比較的浅い部分に命中する。
もう二つは水中弾がより深い部分に命中する例。
2 一次大戦辺りから見られる、艦の外殻や装甲帯の下端を破って重要区画突入前に炸裂するもの。
3 大戦後の脅威となる、重要区画内に突入後炸裂する理想的な水中弾。
これらは「稀によくある」程度は実戦でも発生しており、特に下二つは艦に致命傷を与えかねない。
そういった脅威に対する対策の有無も、戦艦同士の優劣を比較する際には少なからず検討が必要な要素と言える。

まず普通の戦艦はある程度の深さまで装甲帯を設けており、「1」に対する防御範囲は心配しなくてはいい。(もちろん装甲帯自体が直撃弾を防げる防御力を持っている事が前提となる)
・・・と思ったが一部の艦、具体的には英ネルソン級と伊リットリオ級の装甲帯の深さはやや不安になる。
どちらも装甲帯自体は非常に強力な防御力を持つ艦だが、その発揮の為に範囲が犠牲になった面があると思われる。(リットリオ級の場合はプリエーゼ円筒も理由の1つか)
これに関してはネルソン級の防御力に感服していた平賀譲も欧州視察の後に「同艦設計上ノ一大缺陥 」と断じている。
ただし装甲帯の深さは排水量によって変わり、公試時よりも数十センチ深い状態なら、少なくとも「1」に対する不安はそこまで大きい物では無くなるか。

一方で「2」や「3」へは、上のユトランドや土佐の例から、当時の戦艦が持つ装甲帯の深さでは砲弾を止める事はできず、何らかの被害を内部に被る事になる。
その中で「2」は砲弾自体は重要区画内には達しないが、炸裂の効果で隔壁などを破壊してその内部に浸水を拡大させる。
つまり内部への侵入を許しても、炸裂の威力が重要区画に及ばなければ深刻な損傷は回避できる可能性が高い。

当然これは内部に設けられた隔壁と炸裂位置の距離により大きく変わり、隔壁以外にも石炭庫や重油タンクその他充填物などの防御効果も影響する。
必要とされる防御力の判断材料は少ないが、上の被弾例や補足の「弾片の件について」を見る限り、とりあえず戦艦主砲へはHT鋼なら最低でも2インチ厚の縦隔壁を持つ事が望ましいと思われる。
この程度の厚さの隔壁は第二次大戦時の新戦艦や改装戦艦なら水雷防御用として備えた例が多く、その意味で「2」が致命傷となる艦は限られるか。

因みに「2」の例である上図中央は合計76mmの縦隔壁を持つ加賀型を想定した物。
ここでは大口径弾が縦隔壁の手前で炸裂。隔壁はその衝撃を受け止めるも大きく変形して漏水が発生。同時にスプリンターが飛び出して奥の隔壁が破損するも、重要区画内の被害は局限された。
・・・的なイメージ(妄想)で書いてみたが、実際にどうなるかは全く自信がない。

しかし「3」への対応となると、通常の水雷防御用に設けられる厚さでは不足する。
もちろんこういった砲弾は水中を進む間に速力が削がれ、通常の貫通力は失われるはずである。
(これに関しては金剛代艦関連資料にデータが多く残っているが、現時点では把握していない。後日加筆予定)
それでも土佐の例から、2~3インチ程度の隔壁は大口径砲弾の直撃に耐えられず、重要区画への突入を許してしまう。

この対策には幾つかあるが、最も確実な方法は艦底近くの深い範囲にまで直撃弾へ耐えられるような装甲を貼る事だろう。
この装甲は同じく装甲帯の奥にある縦隔壁に設けられるか、若しくは主装甲帯の下端に接続する下部装甲帯を設ける形になる。
前者は後者に比べて装甲が奥にある分、砲弾が達せずに「2」に終わり易いという利点があるが、後者は防御範囲の面で勝っている。

なお両者とも装甲範囲は船体やバルジの内側で、一番外側の部分は防御されていない。
勿論そこを装甲化すれば防御範囲はさらに拡大するが、これは通常の水雷防御を行う上で不都合しかないので採用例は無い。
当たり前だが、第二次大戦時の環境では水中弾よりも魚雷を受ける確率の方が多く、水中弾防御を持つにしても通常の水雷防御との両立は必須である。
因みに外側を装甲化すると何が悪いかというと、爆発の威力をそのまま受けてしまうのが問題点だと言う。その際に薄い装甲なら破砕されて、大量のスプリンターを艦内部に送り込んで浸水被害を悪化のだ。
つまり水中爆発の影響をなるべく受けない場所という事で、艦の内側に装甲を設ける事が必要となる。
(それでも大和やサウスダコタなどの下部装甲帯形式は威力の向上した魚雷に対して、少なからず防御に問題があると報じられている。これは結局の所、他の戦艦も当時の魚雷に対して完全な水雷防御を獲得したかと言うと...という話にもなってくるが)

直撃弾防御へ必要な具体的な厚さは、先述したように後日加筆予定。

また上の方式より若干消極的な対策として、主装甲帯の深さを今までの艦よりも若干増すだけという物もある。
この装甲帯は艦底に達する程でもなく、縦隔壁も厚くないといった具合で、装甲帯よりも下を潜り抜けた砲弾が「3」となって突入すれば重大な被害を受ける。
しかしこの装甲帯の下を抜けるほどの深い位置を進んだ水中弾は、既に長く水中にあって勢いを失うなどして「2」に留まる可能性が十分にある。
つまり、「3」になりやすい勢いを残した浅い位置の砲弾のみを主装甲帯で止める事を狙った方式である。

この方式はKGV級などの新戦艦に採用されたと思われ、上のPOWの被弾例はそれが効果を発揮したものと評価できるか。
ただし土佐の例では水線下3m台を抜いた砲弾が「3」になっているので、このような例には対応できないと思われる。
またこの方式では、上のと違い水雷防御に与える影響が小さく済むのも利点と取れるかもしれない。
(尤もKGV級の水雷防御は失敗としか言いようがないが)

最後にさらに消極的な方法だが、水雷防御区画の幅を出来るだけ増して、縦隔壁を艦の奥の方に配置するのも効果はあるだろう。
これだけでも命中した砲弾が重要区画突入前に炸裂してくれて、「2」に留まる確率は上がるはず。
同時に水雷防御区画が広くとれる点も利点となるが、まあこの場合は艦内容積や非対称浸水と相談という事で。

--------
最後に各国戦艦の水中弾対策をまとめたい
日本 
日本海軍はおそらく最も水中弾に関心を寄せていた海軍で、攻撃面でも九一式徹甲弾の採用が知られている。
存在に関しては少なくとも海軍休日前より認識されていたが、重視するきっかけはやはり土佐への実験だと思われる。
日本戦艦編で触れたように、新型徹甲弾の開発により同艦も防御力不足は避けられないとすでに予想されていた。それでも当時最高レベルの艦として就役する予定だった艦が、いとも簡単に損傷を受けたのは衝撃だったのだろう。
その結果、第二次大戦時は新戦艦は勿論、旧式戦艦の改装時にも規模の差はあれ水中弾防御を盛り込んだ唯一の海軍となった。

・金剛型
弾薬庫横の外殻(改装で設けられたバルジの内側)に1インチのHT鋼を三~四枚貼り足す
→ 最も早い時期に設けられた防御だけあって、かなり独特な配置。
ただしこの厚さでは直撃弾を防ぐのは難しく、またバルジとの間隔が狭すぎて魚雷の被害を拡大させかねない。無い方がマシと断言できるかは自信が無いが、かなり効率の悪い配置に思える。

・扶桑型 
弾薬庫横の水中防御隔壁下部に2インチのNVNC鋼を貼り足す、元の隔壁が38mmのHT鋼なので合計で89mm。機関部も38mmHT鋼の二枚重ねで合計76mmに。
→依然として弾薬庫含め直撃弾に耐えるには微妙な厚さだが、前級とは違い艦の内部を強化している。水雷防御の邪魔にならない点は進歩と言えるか。

・伊勢型 
弾薬庫横の縦隔壁にかなりの厚さのVC鋼を貼り足す。
これは最大195mmという記述をよく見るが、実際は部位により厚さの異なるテーパー装甲を複数枚用いる。
(具体的には240mmから73mmと様々。第二砲塔の弾薬庫には195mmから120mmにテーパーする装甲を貼っており、上の記述はこの部位を指すものと思われる)
→前級とは違い、少なくとも弾薬庫の広い範囲で直撃弾に対応できるように

・長門型 
竣工時より重要区画全体に屈曲した水中防御隔壁(合計3インチ厚のHT)を持つ。
→土佐の例から直撃弾には対応できず、改装時には弾薬庫横に装甲を貼り足している。
まず一二番砲塔横では107mmから220mmVHを隔壁の形状合わせて傾斜部から垂直部に貼り足す。そして三番砲塔横では274mmから199mmにテーパーする装甲、四番砲塔では199mmの装甲を一層奥の隔壁に新たに設けた。
→ こちらも伊勢と同じく直撃弾に有効な厚さと範囲

大和型 
機関部は200mmから50mm、弾薬庫横は270mmから50mmにテーパーするNVNC鋼が主装甲帯の下端から艦底若しくは弾薬庫床面までに配置される。
→設計時より有効な水中弾防御を持ち、それが重要区画全体に施された唯一の日本戦艦。
この形式は金剛代艦平賀案ですでに確認できるものであり、また魚雷防御との両立には失敗した面があるのは先述。

アメリカ 
米海軍で水中弾が致命傷を与える脅威だと重く受け止められたのは、少なくとも35年以降だとされる。
この時期には条約明けを見越した新戦艦の計画が行われており、そこで水中弾防御を盛り込んでいる。

ノースカロライナ級 
設計時に水中弾防御の欠如が問題視され、応急処置として弾薬庫横の傾斜した水中防御隔壁に95mmから51mmの均質装甲を配置。

サウスダコタ級 
装甲帯の下端から艦底にまでテーパーする均質装甲を重要区画全体に配置。
→ 重要区画全体へ水中弾防御を施した最初の米戦艦となる。大和型と類似した構造で、水雷防御としての欠点が問題視された点も同様。

アイオワ級
サウスダコタ級に準ずる

モンタナ級
上記の問題により、ノースカロライナ級の配置を採用。
ただし装甲は216mmから96mmの均質装甲とより厚くなり、さらに範囲も重要区画全体に拡大した。

なお旧式戦艦への改装で水中弾防御を追加する事はなかったが、ネヴァダ以降の標準型戦艦はかなり深い主装甲帯を有している。その分「3」の発生を防ぐ確率は高いだろう。
さらにペンシルヴァニア級並びにニューメキシコ級では、デイヴィス魚雷砲なる兵器への対策の為、水中防御隔壁に3インチの装甲を持つとも言う。
(無反動砲と同じ人が開発、命中時弾頭に仕込まれた8インチ砲弾を発射して水線下へ損害を与える。威力自体は通常魚雷に比べ劣るもので、広く用いられることはなかった)
→ 少なくとも「2」に対応した厚さだが、これでも直撃弾にはやや不足。

イギリス
ユトランドにて水中弾の被害を受けるも、深刻な脅威とは見なされなかったのか、ネルソン級では特に対策は取られず。
それが31年の射撃試験を始めとして見直され、またそれ以前の20年代末の条約型戦艦案の時点で下部装甲帯形式に近い物が検討されていた。
しかし30年代に行われた実験では、通常の水雷防御に与える影響が大きいとしてこれは採用されず。
KGV級以降の新戦艦は主装甲帯を通常よりも深い位置まで設ける、やや消極的な方式を取った。

なお1945年のライオン級戦艦案やマルタ級航空母艦といった計画艦においては、水雷防御隔壁の一部を最大4~3インチ程度に強化しているのが確認できる。
これは砲弾ではなく、当時開発されていたロケット推進爆弾が水線下へ命中した際の対策として盛り込まれたものである。
戦艦砲弾に水中弾に対して機能するかは微妙な厚さだが、少なくとも「2」の命中弾に対しては確実な防御力を持つと思われる。

ドイツ
同じくユトランドで被害を受けるも、その後も直接的な防御に関する対策は特に採用されていない。
シャルンホルスト級以降はやや装甲帯の深さを増した程度か。

フランス
フランスは他国に先んじて※1910年代より水中弾効果に関心を寄せていた国である。
そして1914年には計画中だったリヨン級に水中弾防御として、80mmから35mmの装甲を水線下に設ける配置の研究がなされていた。
これにより各国戦艦に先駆けて「積極的な」水中弾防御に匹敵する物をいち早く獲得していた可能性があったが、開戦より計画中止。そして戦間期以降の主力艦ではこのような配置は確認できない。

ダンケルク級以降の艦は装甲帯の深さが増した他、非常に広い水雷防御層を用いた消極的な防御に留まったと評価できる。
(※なお水中弾効果自体は先述したようにより古い時代、少なくとも1860年代の英国でも確認されている)

イタリア
リットリオ級の装甲帯を見る限り、対策は無いように見える。
そもそも水中弾効果にどれだけ注目していたかも不明。

ソ連
戦後に設計されたスターリングラード級重巡(巡戦)がモンタナに似た形で最大100mmのテーパー装甲を持つ。
それ以前の艦だと、同じく戦後に計画された24号計画艦含め見られない。

こうしてみると「3」のような直撃弾に対応した積極的な水中弾防御は、実際に建造された艦では日米戦艦のみに設けられたようである。
中でも大和・サウスダコタ・アイオワ級、弾薬庫のみに限れば伊勢・長門型、そしてやや薄いがノースカロライナ級といった艦が該当するだろう。

a

-----------------------
・各甲板の定義について

上甲板や中甲板と言う名称については補足のページでまとめておいたが、こちらでは水平装甲としての機能から分類を試みたい

編集予定

→ 2018 6/24 いつまでも書かないのも何なので、関連して金田大佐の考えを紹介

1918年の甲鈑対弾丸効力標準では、当時の水平装甲の防御法として以下の三種類が挙げられている。
消極的防御
一層目には信管を作動させる程度の厚さ、二層目には炸裂した砲弾を受け止めるのに十分な厚さを持つ甲板を設ける方式。一定の遅動信管を持つ砲弾に対しては三層目にも二層目のような甲板を設ける
積極的防御
どれか一層のみ敵弾を破砕若しくは滑跳させるのに十分な厚さを持つ甲板を設け、防御力を集中させる方式
中庸的防御
一層に十分な厚さの甲板を設けるが、もう一層下にも弾片防御甲板を設ける方式

正直「十分な厚さ」と言うのが条件によって変わるので厳密な分類は難しいが、一応実際の艦艇に当てはめる事も十分可能である。
消極的防御は近代戦艦の初期(英国ならカノーパス級 日本だと敷島型)からユトランドまでの大多数。
積極的防御は、そもそも一層しかない砲塔や司令塔の天蓋。そして水平装甲としてはネルソン級、あと大和型も当てはまるだろう。
そして中庸的は米標準型、八八艦隊主力艦、フランス新戦艦などとなるか。
ただこの中に当てはまらない物として、一層目に信管を作動させる程度の甲板を設け、その下に十分な厚さを設けるという、米新戦艦などの方式も存在する。

なお同資料では砲塔・司令塔天蓋には炭和装甲(浸炭装甲)を用いるとあり、正直またか思う。

---

本ページにおける水平装甲分類の試み(2019年12月28日) 
長年放置していたが、各ページの簡易化や砲弾メモの更新をする上で避けて通れないと気付いてしまったので挑戦したい。  
毎度のことのように後で誤りが見つかって訂正する事になるとは思われるが、とりあえず本項における分類を他ページにも使用していく予定である。
 

この分類は上記の金田大佐による物を継承しつつ、各甲板の対弾性能と位置という2つの判断基準を用いて細分化を試みたものである。
まずは判断基準を明確にするという事で、一つ目の対弾性能から。

補足ページ等で何度も述べている事であるが、対弾性能は装甲の材質や貼り合わせの有無などの影響で大きく変化し。単なる厚さで判断する事は不可能である。    
そこで今回は補足のページで示した方法にて、平均的な(NAaB的に言えば第一次大戦期の)均質装甲に換算した場合の厚さを使用。
これが甲板の対弾性能であるとして、それをAからEの5つに分類する。 

A 0.8インチ(20mm)以下 どちらかと言うと船体構造としての要素が強く、あまり防御力は期待できない甲板(なお普通の構造用鋼であれば1インチ弱に相当)
B 0.8インチ(20mm)より上、2インチ(51mm)以下  直撃弾を防ぐというよりは弾片防御であったり、砲弾の信管を作動させる程度の効果を持つ甲板
C 2インチ(51mm)より上、3インチ(76mm)以下 ここからは直撃弾を想定した装甲甲板の部類に入るが、ユトランド海戦以降の交戦距離では弱体な部類
D 3インチ(76mm)より上、5インチ(127mm)以下 ある程度遠距離での直撃も想定した装甲甲板。金田大佐が言う所の「十分な厚さ」はここからと想定される
E 5インチ(127mm)より上  さらに遠距離戦闘を想定した厚さの装甲甲板

甲板の位置  
本ページの解説では基本「上甲板」や「中甲板」と言った名称を使用しているが、これは船体形状によっては一部で混乱を招きかねない呼称である。
そこで今回はもっと大まかな位置として以下の用語を用いる事とする。 

上層 落下する物が最初に当たる可能性が高い、一段上にある甲板
中層 上層から数えて一段もしくは二段下にあり、なおかつ水線よりも上の高さにある甲板。装甲配置によっては主装甲帯の上端に接続する事が多い
下層 上層より下にあり、水線付近の高さにある甲板。装甲配置によっては傾斜部を経て装甲帯の下端に接続するものも多く見られる
最下層 下層よりも下に設けられた甲板。甲板と言うよりは、弾薬庫天蓋の追加装甲である事が多い。そもそも重要区画上にない艦も 

---------------------------
この二点を組み合わせて行くと以下のように。これ自体は特に解説せずにメモとして置いてるだけなので、具体的な分類例まで飛ばす場合はここをクリック 
一応ド級艦以降から代表的な物を 

サウスカロライナ~ニューヨーク級(竣工時):最上A、中層A、下層B 
ネヴァダ級(竣工時):上層A、中層C、下層B
ニューメキシコ以降の米標準型(竣工時):上層A、中層D、下層B
レキシントン級:上層B、中層A、下層B

ドレッドノート:上層A、中層B、下層B  
オライオン級:上層B、中層A、下層B
ライオン級:上層B、中層A(一部B)、下層B
QE級(竣工時):上層B、中層A(一部B)、下層B
フッド弾薬庫:上層B、中層B、下層C、最下B
フッド機関部:上層B、中層B、下層B

ナッサウ級:上層B、中層A、下層B 
デアリフンガー級:上層B、中層A、下層B 
バイエルン級:上層B、中層A(一部B)、下層B

金剛型(竣工時):上層B、中層A、下層A
扶桑型(竣工時):上層B、中層A、下層B
長門型(竣工時):上層A、中層C、下層B
加賀型:上層A(一部B)、中層D、下層B(一部C)
天城型:上層A(一部B)、中層D、下層B(一部A) 

コンテ・ディ・カブール級(竣工時):上層B、中層B、下層A
ブルターニュ級(竣工時):上層B、中層B、下層B
ガングート級:上層B、中層B、下層A
インペラトール・ニコライ一世:上層B、中層C、下層A

条約以降の新造艦もしくは改装艦

米標準型(一部除く改装艦):上層B、中層D、下層B
ノースカロライナ級:上層B、中層D、下層A、(弾薬庫最下B)
以降の新戦艦:上層B、中層E、下層A

ネルソン級:上層A、中層E、下層Aか甲板なし
QE級(大改装艦):上層B、中層B、下層D
新戦艦:上層B、中層E、下層A

金剛型(改装後):上層B、中層A、下層C(一部D)
長門型(改装後弾薬庫):上層A、中層C、下層E
長門型(改装後機関部):上層A(一部B)、中層C、下層C(一部B)
大和型:上層B(一部A) 、中層E、下層A

ダンケルク級:上層A、中層D、下層B
リシュリュー級:上層A、中層E、下層B
コンテ・ディ・カブール級(改装後)上層B、中層D、下層Aか甲板なし
リットリオ級:上層B、中層弾薬庫E機関部D、下層Aか甲板なし
ビスマルク級:上層B(一部D)、中層A、下層D
23号計画戦艦:上層B、中層E、下層B
24号計画戦艦:上層C、中層E、下層B

分類例
分類における名称の補足
・防御力別の呼称 
B=補助的な装甲(以下は補助と略)
D以上=主要な装甲(以下は主要と略)
C=主要な装甲に準ずる装甲(以下は準主要と略)

・B以上の甲板が1層しかない物を単層式、複数ある物を多層式と呼称
多層式の中でも、最も対弾性能の高い甲板が複数存在した配置を分散主義、 その他の甲板に対して二段階以上の差がある場合(他甲板がAに対してC以上、Bに対してD以上など)を集中主義、と定義。
また一段階のみの差に留まる場合は不完全な集中主義とする。

これを踏まえたうえで分類例に入る。
まず主要な分類として、一次~二次大戦期の戦艦の多くは以下の四つに当てはまるだろう。 

・二層補助分散型 
例: B・A・B、 A・B・Bなど。補助的な防御力を持つ比較的薄い甲板を上下に二層設ける配置
甲板一層一層は大落角で直撃した砲弾の貫通を防ぐ事が出来ないが、一層目で信管を作動させ、炸裂した弾片を二層目で受け止めて重要区画の被害を防ぐという、多重防御を狙った配置である。  
金田大佐の分類でいう「消極的防御」に当たる。平賀譲の欧州視察所見では「英国式散在主義」という表現も。 

採用例を見ると、英海軍がカノーパス級からアイアンデューク級まで長年使用しており、その影響を受けた同時期の各国主力艦にも多く確認できる。
その点から、一次大戦時期(ユトランド海戦)までの戦艦では最も採用例が多い配置と言っていいだろう。
なお砲弾のメモでも述べるように、命中弾が有効な遅動信管を持たない場合、この配置は遠距離砲戦でもある程度有効な防御力を有している。
ただし砲弾側で信管の問題が解決していく第一次大戦以降は、完全に脆弱な配置とみなされるように。 

・中層主要集中、下層補助型
例:A・D以上・B。中層に命中弾を逸らしたり破砕できる程の厚い装甲を貼り、もし砲弾の破片などが甲板を突破しても、さらに下層に設けた補助的な甲板で受け止める事を狙った配置。 
金田大佐が言う所の「中庸的防御」に該当。なお装甲配置にもよるが、中層の甲板は主装甲帯の上端に接続する事が多い。

採用例はニューメキシコ級以降の米標準型、加賀型以降の八八艦隊主力艦、フランス新戦艦など
(なおネヴァダや長門などは中層がCであり、防御力や集中度合が不完全としてここには該当しない事となった)

・中層主要集中・上層補助型
例:B・D以上・A。上記配置と同じく中層に厚い装甲を設けるが、もう一層の補助的な甲板は下層ではなく上層に設け、信管作動効果や小型爆弾への防御を狙った配置。

採用例は米英の新戦艦。さらに一応大和型やリットリオ級も該当する。
金田大佐の分類に登場しないように、一次大戦期より後に登場した新しい配置と言える。

・下層主要集中、上層補助型 
例:B・A・D以上。二層目に当たる下層に厚い装甲を貼る配置。上記二層補助分散型の発展系とも言える。
上記の中層主要集中型と比べると、甲板一層分防御範囲が狭いが、一方補助的な甲板との距離が大きく信管作動効果が高い点も指摘できる。
どちらかと言うと、垂直装甲の範囲の都合で中層に装甲を貼ると弱点が生まれる場合や、甲板傾斜部による垂直装甲の強化を狙った場合など、垂直装甲の都合で採用されている印象を受ける。

採用例では日英の改装戦艦や、ビスマルク級に代表されるドイツ新戦艦が該当する。 

------
加えて分類が可能な例をまとめていく 

・無装甲 
例:A・A・A。時に防御力を持つ甲板が存在しない場合。
近代戦艦ではおそらく存在しない。

・下層補助型 
例:A・A・B。上記配置とは異なり単層式に分類できる。これは下層のみに補助的な装甲を持つ例。
信管作動能力の点から、二層分散型より一部砲弾に対する実質防御力は劣ると思われるが、有効な遅動信管が基本となる第二次大戦期では大差ないだろう。    
弩級艦以降では米サウスカロライナ級から竣工時のニューヨーク級までに確認できる。

・下層準主要型
例:A・A・C 上の例と同じく単層式の下層強化型だが、より厚い甲板(具体的には2.5~3インチ程度の構造用鋼など)設けた配置。
カノーパス級以前の主力艦や防護巡などで見られる。

・中層主要型
例:A・D以上・A 中層のみに主要な甲板を有する単層式の配置。主要な四配置の一部とは違い、補助的な甲板を設けずにその効果が得られない一方で、敵弾を直接防ぐ装甲に一番装甲を集中できる配置である。
近代戦艦では集中主義を極めたネルソン級が該当、大和型も上部補助型に分類したがこちらに近い面も。

・三層補助分散 
例: B・B・B  ここから多層式にもどる。消極的防御の一種で、名前の通り補助的な甲板がもう3層になった配置。
例としては第一次大戦中の戦艦の一部にみられる。代表はフッドだろう。

・中層準主要不完全集中、下層補助型 
例:A・C・B。中層を強化するも、対弾性能や厚さの集中が不完全で中層主要集中からは外れる過渡期的な配置。
竣工時の長門型やネヴァダ・ペンシルヴァニア級が該当。

・下層準主要、上層補助型
例:B・A・C。例:B・B・Cなど。こちらは下層が強化が不完全な例。
補助分散型の改装時に十分な強化がなれなかった艦。具体的には日英の改装艦の一部機関部などで確認できる。

・二層準主要分散型
例:A・C・C。非常に中途半端な配置
改装後長門型の機関部一部で確認できる。 

・中層主要集中、上下層補助型
例:B・D以上・B。上下両方に補助的な甲板を有する贅沢な配置。
ソ連の新戦艦で確認できる。

以上が現時点での分類となる。一応本ページは体系的な装甲配置分類の作成も目標の一つであるので、今回の作業は目標への大きな一歩になったのではないだろうか。これ以上はいつやるかは不明だが。 

 

 

戻る

inserted by FC2 system