おまけ3 艦砲と装甲 英国戦艦編

2015年8月公開

※注意 相変わらずこのページでは管理人の趣味と妄想が垂れ流されています。前のページの注意書きを読んでから閲覧することをお勧めします

日本海軍編とかやっちゃったならもう各国海軍扱うしかないよね、という事で作成。
このまま米独伊仏ぐらいはカバーしていきたいが、その前に既存のページを完成させなくては。
これまでは最強を決める(笑)という名目で、自艦や仮想敵として選んだ艦の艦砲に対する安全距離を求めてきたが、
今回もそれぞれの艦がどこまでのサイズの艦砲に耐えられるか、サイズ別に代表的な艦砲を勝手に選んで計算してみることとする。
計算法などは補足のページで、相変わらず重要区画以外はスルーしているが一部このページで扱っている。

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はじめに

まずは一旦安全距離云々を忘れて、第二次大戦に至るまでの装甲配置や防御様式の変遷をメインに、英海軍主力艦の系譜を最初期の装甲艦時代から一通り紹介したい。
といってもさすがに第一次大戦までは世界最大の海軍国だけあった事もあり、莫大な数の主力艦をすべて紹介する事はできない。この時代は特に大きな影響を持つ艦を中心に扱っていく予定としたい

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初期の装甲艦
帆船時代以来の海洋覇権国であるイギリスは、主に先行するフランスに対抗する形で装甲艦の導入を行っている。

まずは同国と共に戦ったクリミア戦争時、フランスが実戦投入した装甲浮き砲台を模した艦を複数建造。戦後フランスが初の航洋型装甲艦であるグロワールを建造すると、これに対抗して1861年に竣工させたウォーリアが英海軍最初の装甲艦となる。
同艦は初めて鉄製船体を持つ装甲艦で、常備排水量9千トン台と当時の艦艇の中では最大でありながら、最大速力は14ノットの高速を発揮可能という意欲的な高性能艦である。
以降同艦と同じ形式の艦としては姉妹艦ブラックプリンス以下、規模を落としたディフェンス級とその改良版のヘクター級。再び大型化したアキリーズとマイノーター級。戦列艦改造で木造のプリンス・コンソート級など、60年代半ばまでに6千~1万トンの艦を十数隻整備。先行するフランスを上回り世界一の海軍の座を維持している。

これら最初期の装甲艦は、当初「装甲フリゲート」と呼称されたように、木造帆船時代と同じく艦内の砲甲板に多数の舷側砲を並べる形で主な火砲を搭載。このような艦は装甲艦の中でも舷側砲列艦(broadside battery ship)に当たる。
搭載砲はウォーリアの場合、帆船時代では最大級の火砲であった68ポンド滑腔砲(口径8.1インチ)に加え、アームストロング式の後装ライフル砲を採用。68ポンド砲26門に加え、砲弾重量110ポンドの7インチアームストロング砲10門、同40ポンド砲4門と、計40門を搭載している。
ただし前者は滑腔砲である事、後者は薩英戦争でも見せた信頼性の問題と初速の遅さからくる威力不足から、60年代半ばには旧式化。以降の英海軍は後装砲を諦め、
信頼性と威力を兼ね備えた前装式ライフル砲を長年使用する事になる。 
例としてマイノーター級の場合、9インチ砲4門、7インチ砲22門の計26門を搭載。門数が減少した代わりに大口径化し、装甲を貫ける一発の威力を重視する流れが見て取れる。

続いて装甲配置はこれもウォーリアの場合、厚さ4.5インチ(114mm)の錬鉄製の装甲板を、垂直装甲として水線部と砲甲板を守る範囲に配置。なお甲板に装甲は設けず、この時点では防御は顧みられていなかった。
また装甲範囲は自艦の火砲に対して十分な防御力を確保している一方、その範囲は全長の6割程と狭く、砲甲板の一部と舵機室を含む艦首尾の大部分は非装甲であった。これは補足のページで定義する所の「舷側横方向の集中」を取っている事を意味しており、各国の初期装甲艦の中でも特徴的である。

以降の艦はディフェンスも同じ配置を採るも、装甲範囲の狭さには不満もあり、ヘクターでは砲甲板の範囲を完全に覆う物となり、続いてアキリーズやマイノーターでは、艦首尾も水線部は垂直装甲で防御する形に範囲を広げている。
これもマイノーターを例にすると、3番艦のみ後述するように少し異なるが、同級は垂直装甲を上甲板まで乾舷全体をカバーする範囲に設け、砲甲板ならびにその下の水線部には厚さ5.5インチ(140mm)、それ以外の重要区画以外の個所には3インチ(76mm)とやや薄めの装甲を貼る形になる。

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リードの中央砲廓艦
「舷側砲列艦」に続いて装甲艦の主流となるのは、既存の砲甲板よりも狭い範囲を装甲で囲んだ砲郭として、(主に船体中央部に置かれた)その中に火砲を搭載する中央砲郭艦(central batteryもしくはcasemate ship)である。
これは砲廓内に搭載出来る門数は舷側砲列艦よりも少なくなるが、先述した流れが示すように、装甲艦の主砲に必要なのは門数よりも一発の威力である。そして装甲範囲を集中する事で、限られた重量内で装甲厚を増し総合的な戦闘力を向上させる事が可能になる。
また中央砲郭艦は砲郭を船体から張り出す形にしたり、逆に船体側を切り欠く事で、艦首尾方向への射界を確保した艦が多い。これは66年のリッサ海戦で注目された衝角戦法と、その際に予想される正面方向での砲戦への対応という意味でも舷側砲列艦よりも効率が良い物であった。
以上「大口径化と門数減少」「衝角戦法と前方射界」という当時のトレンドに適合し、この形式は60年代以降の英装甲艦に広がっていくのである。

これらの艦は63年以降に造船官のトップである主任設計官を務めるエドワード・リードのアイディアで導入され、リサーチやエンタープライズなど1千トン台の小型艦から始まり、時を待たずして7千トン台のベレロフォン、8千トン台のヘラクレスなど大型艦も登場。また元々プリンス・コンソート級となる予定の戦列艦から設計変更された艦や、完全ではないが中央砲廓的な要素を取り入れて完成したマイノーター級3番艦ノーザンバーランドと言った艦も存在する。
 と言う風に60年台後半から70年代始めまで英装甲艦の中心となり、最終的に77年竣工、9千トン台のアレクサンドラ(以降も対露戦に備えてオスマン向けの艦を編入したシュパーブとベリール級が存在)に至る艦が建造された。

こちらも例を挙げると、まず主兵装は66年竣工のベレロフォンが9インチ10門、7インチ5門の計15門。69年竣工のヘラクレスが10インチ8門、9インチ2門、7インチ4門の計14門。最後のアレクサンドラは11インチ砲2門、10インチ10門の計12門。排水量自体は増加する一方で門数は減少し、代わりに大口径化が継続している事が分かるだろう。
また前方射界については、ベレロフォンの中央砲廓は形状的に指向能力を持たないが艦首にも砲郭があり、ここに7インチ砲を2門搭載。ヘラクレスは中央砲廓内の10インチ砲2門に加え、艦首砲廓に9インチ砲1門、砲郭外の上甲板にある7インチ砲2門が指向可能。アレクサンドラは艦首砲廓などを持たない代わりに中央砲廓が二層構造となり、11インチと10インチ砲をそれぞれ2門ずつ指向可能となる。

また装甲配置はいずれも舷側の水線部全周に加え、その上には砲郭の範囲に限り上甲板まで乾舷全体に垂直装甲を設ける形に。横から見ると艦全体の装甲範囲は「凸の字」を引き延ばしたような形になる物が多い。
(先ほど述べたように中央砲廓以外にも艦首尾に装甲砲廓を持つ艦も存在する。その場合の範囲は「山の字」型と言うべきか)
装甲厚は先ほどの3艦の場合、ベレロフォンは水線中央部と砲郭が6インチ、艦首尾が4.53インチ。 ヘラクレスは水線中央部9インチ、砲郭が8インチ、艦首尾6インチ。アレクサンドラは水線中央部と砲郭下層12インチ、上層8インチ、艦首尾106インチ。材質はすべて錬鉄製で、備砲の強化に合わせた増厚も確認できる。

なおアレクサンドラはさらに、垂直装甲の上端に当たる甲板に11.5インチの水平装甲を設けている。水平装甲は中央砲廓艦艦とは異なる種類の装甲艦の導入と共に取り入れられた物で、次の項目以降で詳しく扱いたい。

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砲塔艦の導入
備砲の大口径化という流れの中、火砲の搭載法として後の時代の基本形になるのは、舷側砲ではなく甲板上の旋回砲を主兵装とする艦である。
英海軍で続いて就役したのは、そういった艦の中でも、装甲化された砲室の中に火砲を収めそれを旋回させる形式、つまり砲塔を持つ砲塔艦(turret ship)である。
なおこの時点での砲塔は、厳密に言えば後の近代戦艦における砲塔の定義とは外れる物だが、本ページではそのままの名称を使用したい。

砲塔艦の元祖と言えば、スウェーデン出身のジョン・エリクソンが考案し、南北戦争で史上初となる装甲艦同士の海戦を演じた米海軍のモニターだが、英海軍もかなり早期から導入へ動いている。
この中心となったのがフィリップ・クーパー・コールズ大佐で、クリミア戦争を経験した彼はエリクソンと同時期に砲塔艦を考案。これが注目を浴び、1861年にはクリミア時に建造された装甲浮き砲台トラスティを改造し砲塔の試験を実施。実験用の特殊な例だが、これがモニターに先行する最初の砲塔艦とも言えなくもない。
正規の艦艇としてはモニターに後れを取るも、1962年より初の砲塔艦であるプリンス・アルバートの建造と未成戦列艦ロイヤル・サブリンの砲塔艦化を開始、それぞれ66年と64年に竣工している。

簡単に紹介すると、アルバートは4千トン弱、サブリンは5千トンとやや小型で、共に沿岸防御用の海防装甲艦に分類される。ただし純粋な沿岸任務用だったモニターとは違い、(既存の装甲艦よりは低く起倒式ブルワークで稼いだ分もあるが)一定の高さの乾舷と帆装を有するのが特徴である。  
そして両艦ともコールズ式の砲塔を上甲板の中心線上に置き、アルバートは9インチ砲を単装砲塔で4基、サブリンは10.5インチ砲を連装1基と単装砲塔3基の計5門を搭載している。

排水量を考えると同時期の砲廓艦よりも重武装であるが、一方でモニター等の例外を除き、蒸気機関と帆装を併用するのが普通なこの時代、両艦のように甲板上に砲塔を置くと、帆装が爆風を受けて損傷する恐れがある点は問題であった。
また砲塔の利点として、大口径化とは別に射界の広さを挙げる事が出来るが、マストなどが邪魔で艦首尾方向への射界が限られるのも、利点を消してしまう点となる。

防御面については舷側が最大4.5インチならびに5.5インチ厚。また砲塔はどちらも最大10インチと船体よりも厚めの装甲が施された。
またモニター等が搭載したエリクソン式の砲塔は、南北戦争時に被弾の衝撃で使用不能になる例がいくつか確認できるが、コールズ式砲塔はこの点で勝っており、実物を用いた射撃試験でもその防御力を証明している。

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モナークとキャプテン
以降の砲塔艦としては、帆装を持つ物と持たない物の二種類が平行して建造されていく事になる。
まず帆装砲塔艦としては、南軍向けに建造されていたスコーピオン級を挟み、初の大型艦であるモナークとキャプテンという2隻がそれぞれ69年と70年に就役している。

この2隻は重要なので詳しく紹介すると、まずモナークは排水量8,300t。起倒式のブルワークを持つ船体の中央部中心線上に、煙突を挟む形で連装砲塔を2基搭載。主砲にはこれまでで最大の12インチ砲を採用している。後述する装甲配置から見ると、中央砲廓艦をベースに、砲廓の中ではなく上に主砲を置いたような艦である。
これは(キャプテンと比べて)堅実な設計であるが、同時に上記の2艦が持つ帆装砲塔艦の欠点は残ったままである。砲塔の上にはフライングデッキを設けて人員を退避させるも、帆装はやはり爆風を受ける位置に。またマストが邪魔で艦首尾方向への射界もないが、これは別途艦首尾に砲廓を設け、7インチ砲を計3門搭載してカバーしている。

防御面は後にまとめるとして、続くキャプテンについても見ておこう。
7,800tとモナークよりやや小型の同艦は、実験的というか、言ってしまえばコールズと民間船造所がリードの忠告を無視して、好き勝手に設計した艦である。そして特殊な砲塔配置で爆風問題の対策を講じたが、それが原因で大きな代償を支払う事になった艦として知られている。
本艦の船体はモナークよりも上甲板の高さが低い代わりに、船首楼、中央楼、船尾楼を持ち、それらの間の低くなった部分の中心線上に12インチ連装砲を2基搭載。また砲塔上にはフライングデッキを設けて艦首尾までを繋いでいる。
言い換えるとモナークが普通に船体の上に砲塔を置いたのに対して、本艦は砲塔部分のみ船体を甲板一段分くり抜いて、下がった部分に砲塔を置いたような形と説明出来る。
これで主砲は舷側砲のような低い位置に置かれて、帆装への爆風を避けて運用が可能になるというアイディアである。(なお射界についても本艦の方が広い。ただし前後真正面への指向は出来ないので、7インチ砲を艦首尾に2門搭載してカバーしている)

本艦は上記の利点を持つ一方で、船体形状的に実質的な乾舷はモナークや既存の装甲艦に比べ一段分低い(ここが水没すると砲眼孔や砲室基部などから船内に浸水する事を考えれば)物となり、加えて建造時には設計よりも重量増加して乾舷はさらに減少した状態で完成していた。
結果として復原性に深刻な問題を抱える艦となり(現代の計算では本艦の復原力消失角は40度あまりと、モナークの3分の2程)、完成間もない70年、乗船していたコールズ大佐もろとも荒天で転覆して失われてしまった。

防御面を見ていくと、モナークは水線部の全周に加え、砲塔下部と艦首尾の砲廓を持つ部分の船体を装甲化。配置的には中央砲廓艦そのまま(装甲範囲は艦首尾砲廓があるので山の字型)と言った印象を受ける。
厚さは水線中央部と砲塔下部が7インチ、艦首部6~4.5インチ、砲塔10インチ、砲廓5インチ。
一方で砲塔が一段低いキャプテンの場合、装甲配置は水線部の垂直装甲の上の直接砲塔が乗る形になる。装甲厚は水線中央部8~7インチ、艦首尾4インチ、砲塔10インチ、7インチ砲は非装甲。

以上のようにスペック上はほぼ互角で、砲塔運用の分キャプテンが優れる部分を持つ事になるが、艦艇以前の船としての性能には雲泥の差があり、そこから兵器としての評価も明暗を分ける事となった。

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ブレストワークモニター
次に帆を持たない砲塔艦としては、米モニターより影響を受けたブレストワークモニターと呼ばれる艦が登場している。
これらは燃費の悪い当時の機関性能と、モニター譲りの乾舷が殆ど無い船体から、外洋航行や長距離の活動は不可能であり、(米海軍のモニターで大西洋横断に成功した艦もいたが)海防装甲艦として建造されている。
一方モニターからの改良点として、これらは船体の上にブレストワークと呼ばれる上部構造を設け、その上に砲塔を搭載している。砲塔をより高い位置に置く事で、モニターの欠点であった波を被って射撃に支障をきたしたり、砲塔基部からの浸水発生の防止などを狙った物である。(ハッチ類、通風筒、煙路などの開口部もブレストワーク上に)

建造艦は70年から77年にかけて竣工。排水量3千トン台で10インチ連装砲を前後に1基ずつ4門搭載するサーベラス級(一番艦はオーストラリアへ派遣されて現在も残骸が残る事で有名)より始まり、同級のマイナーチェンジ版であるアビシニアにサイクロプス級。
そして5千トン弱で12インチ連装砲を1基のみ前部に搭載し、沿岸攻撃任務という後の時代のモニター艦に近い運用も考えられていたグラットンが存在する。

防御面を見ていくと、どの艦も垂直装甲は舷側全体とブレストワークの周囲に設けており、こちらも横から見た装甲範囲は凸字型となる。
ただし砲廓艦のように装甲範囲を縮小した結果ではなく、乾舷が低く予備浮力が少ない艦種である事から、非装甲部を作らないよう全体に装甲を貼った結果として凸字型になった形と言える。

加えて注目すべきは甲板への水平装甲の導入である。乾舷が低い艦は被弾面積に占める甲板の割合が大きい事に加え、一度破孔を生じると波を被った際にそこから浸水しかねない。元々の予備浮力の少なさも重なって、命取りになる可能性も存在する。
つまり他艦と比べて水平装甲の重要性は高い物であって、元の米モニターの時点で甲板には水平装甲が導入されていた。これを受け継いだ各艦も、舷側もしくはブレストワークの垂直装甲の上端にあたる甲板を装甲化している。
なお砲塔の天蓋は通風や採光の必要性や、破孔が出来ても浸水する位置にない事から、この時点では非装甲である。

装甲厚はサーベラス等が水線中央部8インチ、ブレストワーク9インチ、艦首尾6インチ、砲塔10インチ、水平装甲1.5インチ。
グラットンはこれまでの英装甲艦では最も厚い装甲を持ち、水線中央部とブレストワーク12インチ、艦首尾10インチ、砲塔14インチ、水平装甲はブレストワーク外で3インチ、ブレストワーク上は1.5インチ。

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デヴァステーションと以降の装甲艦

73年よりキャプテン、モナークに続く大型砲塔艦として竣工したデヴァステーション級は、帆を全廃した純汽走式の航洋装甲艦として初めて建造された艦である。
同級はブレストワークモニターを排水量9千トン台まで大型化した物で、既存の装甲艦よりも乾舷は低いが、外洋航行に耐える航洋性と(少なくともキャプテンよりは上の)復原性を持ち、加えて機関のみで大西洋を横断できる航続距離を確保している。
帆装への爆風対策と外洋航行能力と言う、既存の砲塔艦で両立できなかった二つの要素をある程度解決した初めての艦である事から、本級はモニターと後の近代戦艦の間を繋ぐ艦として装甲艦史に名を残す存在である。

本艦はキャプテン建造の件を不服として、事件前に海軍を辞したリードが担当した最後の装甲艦だが、実質的な設計はリードの部下で、後任の主任設計艦(任期中に造船局長に名称変更)を務めるナサニエル・バーナビーの手による部分が大きい。また事件後は砲塔艦の復原性が厳しく検証された事もあり、彼による一部改設計を経て完成している。
基本的な部分はブレストワークモニターより引き継いだ部分も多いが、攻防の両方で若干の改良点が確認できる。

まず主兵装は口径こそ12インチだが、モナークなどの25トン砲より重い砲弾を用いる35トン砲に。また2番艦サンダラーは前部砲塔のみ一回り大きい12.5インチ砲を採用している。それらを連装砲塔に収め、前後部に1基ずつ4門搭載。
その上で砲塔は装填機構が非常に特徴的な物に変化している。前提として、無煙火薬以前の短砲身砲と言えども、装填の際に砲口を砲室内に引き込む必要がある前装砲では、大口径砲に十分なスペースを設けた場合、砲室が大型化しすぎて重量を浪費する事になってしまう。
そこで本級は砲塔外のブレストワーク内に揚弾・装填機構を収めた区画を設けて、俯角をかけた砲身をその区画に合わせて装填する形を導入。つまり砲室外から装填する事で、人員の安全を保ちつつ、砲室の大型化を防いでいる。
文章で書くとかなりアクロバティックな物だが、一応サンダラーが二重装填に気付かずに腔発事故を起こした事を除けば特に問題なく運用されており、以降の砲塔艦でも長年採用されることになる。なお同艦の物は装填機が水圧式となり、旋回俯仰装填のすべてを機力とした初めての主砲となる。

装甲配置はブレストワークモニターそのままといって良い物で、厚さは水線中央部12インチ、ブレストワーク側面12~10インチ、艦首尾8インチ、砲塔14インチ。水平装甲は上甲板に3インチ、ブレストワーク上に2インチ。

そして改設計された部分として、元々本級のブレストワークの幅は、上甲板の幅より小さい物であった。つまり断面から見ると上甲板とブレストワークの間に段差が出来る形となる。
これはキャプテン転覆以降の調査で傾斜時の復原性に問題ありと判断された為、ブレストワークの装甲を覆うように外板を設け、その幅を外縁部まで延長。中央部の乾舷を増す形として復原性を改善している。
ただし実際の所、あくまで装甲の位置は変わらずに乾舷を形成するのは非装甲の外板なので、被弾してこの部分の浮力を失えば効果を失ってしまう。そこから戦闘時の対策は十分ではないとも指摘されている。

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続くデヴァステーション級の発展形として、79年にはドレッドノートが竣工。常備排水量10,800トンと1万トンを突破した同艦は、主砲が12.5インチ砲4門となり、装甲は水線中央部とブレストワークの厚さを14インチに強化。  
また復原性に関して応急処置的な対応に留まった前級とは異なり、ブレストワークの装甲自体が外縁部に移動。乾舷を装甲化する形として先述した問題を解決している。さらに上甲板までの乾舷自体も拡大しており、より航洋艦としての完成度を高めた艦である。

一方でデヴァステーションの系譜は同艦を以て一端途切れ、この時期の英海軍は帆装を持つ異なる系統の大型装甲艦を複数建造する選択を取っている。
名前を挙げていくと、先述した砲郭艦の最終世代アレクサンドラ、独特な兵装を持つ砲郭・バーベット併用艦テメレア、意欲的な新型砲塔艦インフレキシブルという三隻がこれに当たる。
(またブラジル向けに建造していたネプチューンもこの時期編入されている。同艦はリードの設計で12.5インチ砲4門を持つモナークの大型版のような砲塔艦である)

まずテメレアは77年竣工で排水量8千トン台。既存の中央砲廓艦をベースに、砲塔とは異なる形式の旋回砲を追加した兵装配置を採用している。
これがバーベット(露砲塔)であり、装甲化された砲室を旋回させる砲塔とは異なり、旋回砲架の周りに固定式の円筒装甲を設け防御する形である。
本艦は砲廓に10インチ砲4門と11インチ砲2門(片舷3門、前方11インチ2門)、加えて11インチ単装砲のバーベットを中心線上の前後部に1基ずつ2門、合計で8門を搭載している。

なお砲郭とバーベットの併用はこの時期のフランス海軍で良く見られるが、バーベットを砲郭の上ではなく前後部の中心線上に置く点は本艦独自の物である。
そして最大の特徴として、本艦は通常のバーベット式とは異なり、隠顕砲と呼ばれる特殊な砲架を搭載している。これはアームで砲身を持ち上げる機構を持ち、装填時等は通常より高く設けられたバーベット装甲内に、名前の通り砲や人員が完全に隠れた状態で防御され、発射時のみ砲身がせり出して装甲外に現れるという仕組みの砲である。
防御面で優れる一方機構が複雑で、バーベットの持つ軽量という利点を消してしまう物でもあるので、要塞砲などでは良く見られるが艦艇での採用は非常に珍しい。自分の知る他の装甲艦ではロシアの円形砲艦ポポフ中将とエカテリーナ二世級の一番艦、それ以外ではオランダのレンデル砲艦の一部が持つぐらいだろう。

装甲は中央砲郭艦の凸字型配置に加え、垂直装甲上端の水平装甲、バーベットと艦内部に伸びる揚弾筒を装甲化している。バーベットは先述したように砲身を隠す高さがある物である点に加え、後部が装填機用のスペースになる為、上から見ると後のバーベット艦でも見られるように洋梨型をしているのが特徴である。
厚さは水線中央部11~10インチ、砲廓8インチ、艦首尾6~5インチ、前部主砲バーベット10インチ、後部8インチ、揚弾筒厚さ不明、水平装甲1~1.5インチ。

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そして最後に81年竣工のインフレキシブルは、艦型、兵装配置、装甲配置全ての面で大胆な新機軸を打ち出し、80年代の後続艦や他国装甲艦にも受け継がれる要素を生み出した艦である。

誕生の背景として、まず実際は竣工後に比較的短期間で撤去する事になるが、帆装砲塔艦である事から、設定において爆風や射界の問題に再度向き合う必要があった。
さらに重要なのは火砲の威力向上である。当時は短砲身砲とは言え、本級が搭載する事になる16インチ砲(80トン砲)であったり、イタリア向けにアームストロング社が製造した45cm砲(100トン砲)と言った巨砲が登場していた。
当時の徹甲弾である堅鉄弾は、撃角0度なら想定される距離で、口径厚かそれ以上の錬鉄装甲を貫通できるとされる。「戦艦の使用砲弾に関するメモ」でも述べたように、実戦ではスペック通りに行かない物とは言え、ドレッドノート以下既存の14インチ程度では不足は否めなかった。
しかし既存の艦をベースに単純に装甲厚を増すだけでは、大幅な大型化は避けられず、限られた重量で有効な防御力を得る新しい配置を検討する必要があったのだ。

その結果誕生した本艦を見ていくと、排水量10,800t、船体は比較的低い乾舷に、艦首尾のみ左右を切り欠いた細長い上構(もしくは船首楼並びに船尾楼)を持ち、帆装もここに搭載。そしてその間の船体中央で一段低くなった部分に連装砲塔2基を置き、また上構間にはフライングデッキを通している。
こう書くと失敗に終わったキャプテンに似た艦という風にも見えるが、無論復原性には十分な注意が払われている他、最大の特徴として2基の砲塔は中心線ではなく、一番砲塔が左舷側、二番砲塔は右舷側にずらして配置するという、いわゆる「梯形配置」を採用している。
この梯形配置と大きく切り欠かれた上構の形状によって、本艦の主砲は舷側方向と前後後方の両方に全4門を指向可能と、これまでの砲塔艦より衝角戦闘に適した真正面への射界を得る事に成功している。(一方で砲塔を反対舷に向けた場合、フライングデッキが爆風に晒されると言う問題も)

主砲は先述したように、英装甲艦の前装砲としては最大の16インチ砲で、砲塔はデヴァステーションより続く砲塔外からの俯角装填を行う物である。

続く防御面は最初に装甲厚から見ていくと、垂直装甲は水線中央部24(12+12)インチ、上部(砲塔基部)20(12+8)インチ、艦首尾非装甲、砲塔16(9+7)インチ、水平装甲は垂直装甲上と艦首尾ともに3インチ。
特に船体の垂直装甲が非常に厚くなっているのが確認できるが、以下ではこれを実現した装甲配置の変化を解説していきたい。

補足のページ用に作った画像をここでも掲載。なお一番砲塔は書き忘れ。

まず本艦は、機関部と主砲塔間を全長の三分の一程度とコンパクトにまとめ、その範囲のみ上甲板の高さまで垂直装甲を配置。その前後の艦首尾などの垂直装甲は全廃し、装甲範囲を大胆に削減している。
再び「舷側横方向の集中」を採用するという決断により、本艦は中央部に最大限の装甲を集中。装甲厚は水線部が24インチ(610mm)、その上部で20インチと一気に増す事に成功した。
これは材質を無視した単純な厚さでは舷側の装甲として史上最厚。なお正確には、本艦の垂直装甲は二枚重ねのサンドイッチ式で、上甲板までに12インチ装甲を貼り、水線部にはもう一枚12インチ、上部には8インチ装甲を重ねる形である。
当然一枚板の装甲よりは防御的に劣る物だが、極厚装甲は製造に失敗して厚さ通りの性能を持てない事も往々にあるので、その点堅実な選択とも言えるだろう。

この防御力の代償に、本艦は全長の三分の二という、非常に広い非装甲部が生まれ、実を言うと弾薬庫もこの垂直装甲外の範囲に設けられている。
防御的に大丈夫かと思うかもしれないが、この範囲は垂直装甲を持たない代わりに、水線下の高さにある甲板に3インチの水平装甲を配置。交戦距離が短く落角の浅い当時の命中弾を滑跳させるという手段でこの部位を防御している。
それでも水平装甲より上の非重要区画は完全に非装甲で、命中弾を防ぐ事は出来ないが、区画の細分化や石炭庫やコルクを充填した層を設ける事で、こちらは被弾時の被害を局限するという方針である。

以上本艦の配置を見てきたが、艦首尾についてはイタリア級装甲艦や後の防護巡洋艦が持つ防御方式、そして全体の装甲配置は、本艦よりも一足先に竣工したイタリアのカイオ・ドュイリオ級と同じ形という事になる。
なおこの配置は「装甲が厚くとも多数の被弾で艦首尾の浮力を失えば危険」と前任者のリードなどから批判を受けるも、バーナビー曰く、これまでの艦が持つ8インチまでの艦首尾装甲は近年の主砲クラスには耐えられず、それに重量を使うぐらいなら、被弾時の対策と重要区画の防御に充てた方がマシで、その考えを実行した艦という事になる。
実際に中口径速射砲の登場前であるこの時代では、装甲範囲を犠牲にしても重要区画の防御で他艦を上回る事は、戦闘において重要な点である事は間違いない。また同じ配置を持つ定遠級が実戦で速射砲時代の戦闘を生き延びた事も、「多数の被弾云々」という意見への反論となるだろう。

またここであるような、限られた重量で装甲を広く薄く「分散的」に設けるか、それとも厚く狭く「集中的」に設けるか、という二択は、装甲艦艇の歴史において何度も繰り返される事になる選択である。
今回の選択も、今後しばらくは英装甲艦で受け入れられ、一旦は技術の進歩により忘れられるが、後述するように第一次大戦後には新たな脅威から艦を守る為、再び注目を浴びる事になる。

最後に砲塔防御を見ると、こちらも装甲は二枚重ね式で、9インチと7インチの合計16インチ厚。
船体よりかなり薄い事になるが、この内外側の9インチ装甲は、それ自体が鋼と錬鉄を貼り合わせた複合装甲が導入され、実質防御力を上げている。複合装甲の採用例としては、部分的とは言えこれが初となる。

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続く2クラスは共にインフレキシブルの小型版と言うべき梯形配置艦だが、最初から帆を持たない艦となった(以降の主力艦は純汽走式に)事以外にも見逃せない点が幾つか存在する。

まず83年竣工のエイジャックス級は8,500t。
攻撃面では主砲が12.5インチ砲を4門に回帰するが、主砲以外の副兵装として、水雷艇撃退用の6ポンド速射砲、さらに中口径副砲である26口径16インチ後装砲2門が当初より搭載された。
水雷艇対策についてはこのページであまり触れる事は出来ないが、急速に発展し、以降も装甲艦にとって大きな脅威である事から重要であるし、また副砲の方も、特に19世紀末には対艦戦闘にて大きな役割を持つ事から、以降も強化が続いていく事になる。

装甲配置はインフレキシブル同じ物で、垂直装甲は二枚重ね、砲塔の外側は複合装甲を使用。
厚さは(合計厚しか把握していないが)水線中央部18インチ、上部(砲塔基部)15インチ、艦首尾非装甲、砲塔16インチ、水平装甲3インチ。備砲と同じく減少している事がわかる。

次に85年より竣工するコロッサス級は9,400t。本級より船体の構造材は錬鉄に代わり軟鋼製に。
そして主砲は25口径12インチ後装砲を4門搭載。英海軍が長らく採用を取りやめていた後装砲の主砲が復活したのが大きな変更点である。(また副砲も5門に増加)

この時期には尾栓の緊塞法などが進歩して、安全性がかなり向上していたのに加え、燃焼速度の遅い装薬の開発が進んでおり、これと長砲身砲を用いた高初速・高威力化が現実的になっていた。
そのような長砲身の大口径砲は、砲塔・舷側砲にかかわらず砲口から安全に装填する事は物理的に難しく、この点からも後装砲の見直しが行われた事になる。
もっとも本級の砲塔もデヴァステーションより続く砲塔外から行う物で、砲塔基部の艦内に装填機構を設け、今までとは逆に逆に仰角をかけて下を向けた砲尾から装填する方式である。

また防御面は装甲区画の形状が楕円形に近い形になった事以外は前級とほぼ同等だが、船体砲塔共に垂直装甲は一枚板の複合装甲のみを全面的に採用している。
当時の砲弾への防御力は錬鉄と比べて1.25倍程と言うので、船体はインフレキシブルに匹敵、砲塔では上回る防御力になったと言える。
なお水平装甲の方は基本的に船体の構造材と同じ物を用いる事が多いので、こちらは軟鋼製になったと考えられる。

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近代戦艦登場前の末期の装甲艦としては、梯形配置艦に代わり異なる3クラスが建造されている。 
最初のアドミラル級は87年から89年に6隻が竣工。排水量は9,500t10,600t前後と、一番艦を除いて再び1万トンを突破。船体の前後中心線上に主砲2基を置くと言う、デヴァステーション系の艦に回帰している。

主砲自体は艦によって異なり、一番艦コリンウッドのみ前級と同じ12インチ砲連装2基4門だが、残りの内4隻はさらなる大口径化・長砲身化を遂げた30口径13.5インチ砲4門に。また砲身製造などの都合で、ベンボウのみ30口径16.25インチ(412mm)という巨砲を単装で2門のみ搭載する形を採った。
なお最後の砲は威力的には装甲艦時代の主砲としては最強の一つ(対抗馬は伊装甲艦のアームストロング製17インチ砲)だが、発射速度の遅さや信頼性の問題もあり、兵器としての評価はあまり高い物ではない。

全艦とも主砲搭載方法にはバーベット式を採用。主砲を旋回砲室に収めるのでなく、周囲を洋梨型の装甲で囲んでいる。揚弾機構はテメレアと同じくバーベットの内部に繋がる形で、装填作業は同装甲内で行われるようになった。
また本級のバーベットもやや特殊で、砲身のみは普通にバーベット外に露出しているが、周囲は防弾能力を持つ天蓋で覆われ、内部の機構や人員を防御している。

副兵装は前後バーベット間に設けられた中央楼内を砲郭として、ここに26口径6インチ砲を単装で6門搭載。(ベンボウのみ10門、もちろん小口径速射砲も多数搭載するが略)

そして防御面はまず各部位の装甲厚から。垂直装甲は複合装甲製で、水線中央部1816インチ、上部非装甲、艦首尾非装甲、バーベット11.5インチ、揚弾筒12インチ。水平装甲は軟鋼製で中甲板3インチ、艦首尾下甲板2.5インチ、またバーベット床面に3インチ、天蓋不明。
同じく画像

装甲配置は垂直装甲を主砲間のみに限定し、前後部は水平装甲のみという、インフレキシブル系統を受け継いだ配置である。
ただし前後主砲間の区画が広くなった本級では、装甲区画の長さも全長の5割近くに増加。一方で高さは中甲板までに留まり、それより上部の舷側は非装甲となった。
厚さ材質は前級と同等だが、水線上の高さが低く、速射砲や榴弾が脅威となる以降の環境においてはあまり良い物とは言えないだろう。(同じ問題は同時期の仏装甲艦にも良く見られる)

図にもあるようにバーベットの装甲は上甲板上に載る形で、直接船体装甲とは接続せず。かわりに揚弾筒の周囲のみ装甲化して間を繋いでいる。またバーベットは床面も装甲化され、船体装甲との間の非装甲部に被弾した際に起こり得る被害を防いでいる点も地味だが重要な点だろう。

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次に90、91年に竣工したヴィクトリア級も前級と同規模の1万トン強、ベンボウと同じ16.25インチ砲を搭載する装甲艦だが、前級等と大きく異なる艦容を有している。
まず同砲はバーベットではなく砲塔に収め、連装砲塔で艦の前部に1基のみ搭載。砲塔より後ろには大きな船尾楼が広がり、この側面に副砲として26口径6インチ砲12門、後部甲板上には32口径10インチ砲を防盾付の露天砲で1門搭載するという形である。  
(本級はこのページでは割愛したコンカラー級海防装甲艦の拡大版であり、さらに元をたどるとブレストワークモニターと同時期に建造された砲塔衝角艦ルパートが原型となる)

この配置により、本級は2門のみだが巨砲を全門前方に指向出来るという、より衝角戦や艦首戦闘に適した艦になっていると言えるだろう。
(皮肉にも一番艦ヴィクトリアは、1893年にアドミラル級キャンパーダウンに衝突されて沈んだ事で有名だが、その件はここを参照)

続いて防御面は、重要区画の装甲配置と厚さは前級と同じだが、主砲並びに副砲防御に変更点が確認できる。 
まず主砲は砲塔に回帰した事で、厚さ17インチの円筒砲室内に。この砲塔も装填は砲塔外の船体内から行う形であるので、その機構や揚弾筒の防御として、バーベットに似た装甲区画(リダウトと呼称される)を船体装甲と砲塔の間に設けている。この部分の厚さは18インチと、全体的に前級より重装甲。

加えて前級までで無防御だった副砲防御として、船尾楼へも装甲が設けられたが、これは面白い事に舷側は非装甲のままで、艦首側の横隔壁に6インチの装甲を設けている(砲郭の内部にもう一層3インチ横隔壁あり)。
つまり舷側方向ではなく、艦首方向から飛んで来る砲弾のみを防御する物で、こちらも艦首戦闘の重視ぶりが伺える。

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そして最後の装甲艦となったトラファルガー級も同年に竣工。バーナビーに代わり造船局長となったウィリアム・ホワイト時代最初の主力艦である
排水量1万2千トン近くにもなった本級は、よりデヴァステーション系統の要素が強い艦となり、その上で主に防御面を大きく強化している。
主砲はアドミラル級で採用された30口径13.5インチ砲を連装砲塔に収め、前後中心線上に1基ずつ4門搭載。また副砲は上甲板上の中央楼内に40口径4.7インチ砲を6門搭載。口径は減少したが速射砲に。

防御面として装甲配置を見ていくと、基本的にはデヴァステーション・アドミラル両級より受け継いだ配置を有している。
舷側は上甲板の高さまで垂直装甲が施され、乾舷全体を防御。また装甲区画の長さ自体も全長の三分の二程と、一部は主砲塔間の外にも達しているが、艦の全周を覆う物ではなく、残りの範囲は水平装甲のみのインフレキシブル式である。
また本級で初めて確認出来る事として、副砲を収める上甲板から中央楼の範囲にも薄めの装甲を貼っており、副砲は前級とは違い全周が防御されるように。

装甲厚を見ていくと、まず垂直装甲は、水線部の装甲帯が中甲板の高さまでに2018インチ。その一段上には若干薄くなるが、前級の主装甲帯と同じ1816インチの厚さが上甲板までに施される。またこの装甲は砲塔直下の範囲を含んでおり、前級のリダウトと同じ役割を有している。
(一応断っておくと、以降の解説では舷側の垂直装甲という意味で「装甲帯」という名称を使用していく。この単語自体は装甲艦時代からあるので、もっと前から使っても良かったのだが、解説上の都合である)  
またこの上には副砲砲郭の範囲のみ、中央楼の高さまでに4インチと薄めの装甲を持つ。水平装甲は垂直装甲の上端、前後部の下甲板に3インチ。主砲塔は18インチ。

装甲材質はコロッサス級より変わらず。垂直装甲が複合装甲、水平装甲が軟鋼製である。

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近代戦艦(前弩級戦艦)の誕生と英標準型戦艦
ここからは後に近代戦艦や前弩級戦艦と呼称される主力艦の解説へ入って行きたい。まずはその元祖である、ロイヤル・サブリン級から。

排水量1万4千トンと順調に巨大化した本級は、92年から94年までに8隻もの数が竣工。建造期間は最長でも4年あまりと、5~7年程度になる事が多かった近年の装甲艦より短縮。
この内1隻(フッド)のみ実験的に異なる点を持つが、今までにない姉妹艦の数を持っている。これは均質な戦力を揃えて運用を容易にする「兵器の標準化」という意味でも、他国の先を行く主力艦と言える。

一方艦艇としての最大の特徴は艦型にあり、形状は既存の装甲艦と同じ平甲板型だが、(フッド以外の)本級は甲板一段分程高い乾舷を持つ形となる。これによって外洋での航洋性能や戦闘能力を向上させている。
実を言うと後述するように、その他の面ではアドミラル・トラファルガー両級と比べて大差ないかむしろ劣る部分も存在する。ただ航洋性の高さは、戦力を発揮できる環境や機会の増加と言い換える事も出来る。
これが兵器として重要な事は言うまでもなく、装甲艦と近代戦艦を分ける基準の一つとなる。

攻防面を見ていくと、まず主砲は30口径13.5インチ砲を連装で前後に1基ずつ計4門搭載。搭載方法も先述したフッドが円筒砲塔なのを除いて、アドミラル級と同じ天蓋付きのバーベット式である。
一方で大きく強化されたのが副砲火力である。本級は新たに40口径6インチ速射砲を採用。これを中甲板上の4門は各自装甲化されたケースメイト内に1門ずつ、上甲板上の6門は防盾付の砲架で合計10門を搭載している。(後の改装で上甲板上の6門用にもケースメイトを追加)
当時の海戦は交戦距離が短く、主力艦はここまで見てきたように、巨砲を防ぐ為に装甲範囲を犠牲にする艦が多かった。そんな環境においては発射速度の遅い主砲よりも、本砲のような中口径速射砲で非装甲部に効率よく打撃を与える事が、戦闘を左右すると考えられた時期も存在した。
この考えはその後の日清戦争で部分的に証明されるに留まったが、副砲火力の強化は重要な進歩と言えるだろう。

続いて殆ど触れていなかったが速力について。本級の機関は装甲艦時代に導入された煙管ボイラーと三段膨張機関の組み合わせであり、最大速力は17.5ノット。以降の基準となる18ノットより若干遅いが、装甲艦時代より向上している。

そして防御面をまず範囲と厚さから見ていくと、垂直装甲は前後バーベット間の全長6割程度の範囲のみに設け、それよりも外側は非装甲。
この範囲では下甲板の高さまでに主装甲帯を設け、厚さは18~16インチ。またその上部には中甲板の高さまでに4インチと薄い装甲帯を有する。
またさらに上部には装甲帯は存在しないが、先述したように中甲板上には副砲を一門ずつ収めた6インチ厚のケースメイトが片舷に2か所あり、これが舷側に面した場所のみ部分的に装甲化される。
水平装甲は主装甲帯の上端に接続する下甲板に3インチ。艦首尾ではさらに一段下の第一船倉甲板に2.5インチ。主砲はバーベット17インチ、天蓋不明。副砲防御はケースメイト以外の砲は防盾に弾片防御のみ

また装甲材質は垂直装甲に一部変更があり、基本的には複合装甲製だが、4インチの上部装甲帯のみより新しいニッケル鋼を使用している。水平装甲は変わらず軟鋼製。

配置的には主装甲帯の厚さや艦首尾の防御など、アドミラル級の物より受け継いだと思われる部分を多く持っている。
欠点も同じで、本級の方が船体に占める装甲区画の長さこそ大きいものの、主装甲帯の高さが低い点は変わらず、高い乾舷の大部分が大口径砲に脆弱である。

一方で進歩としては水線部の主装甲帯の一段上に 薄い補助的な装甲帯を追加した点だろう。
このような装甲は、主砲の徹甲弾こそ防げずに重量の無駄となってしまう(一応水平装甲に砲弾が直接命中するのを防ぐ効果もあり)一方で、英海軍は85年にディフェンス級レジスタンスを標的にした実験にて、主砲弾を防げない薄い装甲でも、速射砲や主砲の榴弾の防御に価値があると確認していた。
つまり同装甲は高さの無い主装甲帯の代わりに、速射砲を始めとした新たな脅威に脆弱な非装甲区画を減らす役割を担う装甲となる。

全体的な装甲範囲を見ると、艦首尾は未だにインフレキシブル式であるし、既存の装甲艦よりも乾舷が高くなった事もあって、中甲板と上甲板の間かつケースメイトが存在しない部分については、中央部でも乾舷に非装甲部を残している。
それでもこの装甲の導入は、以降の配置においてインフレキシブルの解説で述べた二択における前者へと回帰し、同艦以来の防御思想から脱却していく流れの兆しと評価できる。

最後に主砲の防御について、搭載法はアドミラル級と同じとは言ったが、防御面では同級と異なる点も存在する。
本級のバーベットは上甲板上の砲の周囲を囲む範囲だけでなく、艦内部の水平装甲と接続する深さまで装甲化、防御範囲を増している。

以上のように攻防面ではこれまでの艦と比べて特筆する所が無い部分もある本級だが、優れた航洋性だけでなく、速射砲の火力とそれに対応する為の装甲配置の改正などが大きな進歩として挙げられる。

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続いて紹介するのはバーフラー級(センチュリオン級とも)。94年に2隻が竣工した本級は排水量10.500トン、極東への派遣を念頭に置いた、小型浅喫水の二等戦艦である。
スペック上は速力が18.5ノットと向上した点を除いて、攻防を抑えたサブリン級の小型版となる。

まず主砲は32口径10インチ砲をバーベットに収め、連装で2基4門搭載。副砲は前級と同じケースメイトと防盾の併用で4.7インチ砲を10門搭載。どちらも一回り小さい物に。
注目すべきは主砲で、既存のバーベット式とは異なり、砲身を後部開放式の防盾で防御。形状は多角形状で、砲室とバーベットを組み合わせた近代的な砲塔の姿に近づいた物になる。
また砲塔は旋回角度関係なしに装填が可能な物が初めて採用され、それに伴いバーベットは洋梨型ではなく円筒形に。

なお同砲は次に紹介するレナウンにも採用。その良好な発射速度や扱い易さは、第三海軍卿として同艦の計画に関わり、地中海艦隊司令として座乗したフッシャー提督に感銘を与え、彼の大口径砲に対する意識を変えた事でも知られている。

続いて防御面、船体の装甲配置はサブリン級ほぼそのままと言っていい物で、主砲には先述したように 近代戦艦の砲室に近い形の防盾を持つのが変更点となる。  
厚さは主装甲帯12~9インチ、上部装甲帯4インチ、副砲ケースメイト6インチ。水平装甲は重要区画上の下甲板2インチ、艦首尾は第一船倉甲板2.5インチ。主砲バーベット9インチ、防盾前面6インチ、天蓋不明。

こちらも基本的に同級から規模を落とした物だが、一方で砲塔防盾、上部装甲帯、副砲ケースメイトと言った比較的薄めの部位には 新たな材質としてハーヴェイ鋼を使用している。
同装甲は当時の砲弾に対して、複合装甲の1.6倍程の対弾性能を持つとされる。そこから砲塔防盾はともかく他の2部位については、材質の分防御力で上回ると言えるだろう。

続く二等戦艦であるレナウンは、この時代の装甲配置の変遷を語る上で重要な艦だろう。
1万2トン台に大型化した同艦は竣工が97年と、次に紹介する一等戦艦の一部より遅いが、設計段階ではその一足先に、以降の戦艦で広く用いられる重要な要素を導入している。

主砲は10インチ砲4門を維持するも、防盾は密閉式の実質砲室に。また速射砲の火力を重視する方針から副砲を強化。一等戦艦と同じ40口径6インチ10門を搭載した上に、全門がケースメイト内で防御される形に進歩している。

そして装甲配置の変更として、まず垂直装甲はハーヴェイ鋼を全面的に採用。これにより主砲帯の防御力を維持しつつ減厚する事が可能になり、浮いた重量で上部装甲帯を強化している。
厚さは主装甲帯8インチに加え、上部装甲帯が6インチと前級の1.5倍になり、中~大口径砲にある程度対応出来る装甲を水線上に拡大した形となる。

そしてもう一つの変更点は、重要区画上の水平装甲に関する変化である。
既存の配置ではこの部分の装甲は、主装甲帯の上端に接続する形で(下甲板に)水平装甲を設けていたが、本艦の水平装甲は防護巡洋艦のように亀甲状となり、外側では下に向かって装甲帯の下端付近に接続する。つまり装甲帯の後ろに甲板の傾斜部が控える、という構造を形成している。厚さは平坦部2インチ、傾斜部が3インチ。また艦首尾の水平装甲も同じ形、厚さとなる。
この構造は第一次大戦期までは多数の艦が持ち、その後理由あって少数派となるが、最後の世代の戦艦でもドイツやフランス艦が残している。これを主力艦として初めて採用したのが本艦である。

役割としては、外側の装甲帯に命中貫通した後、破砕されたり炸裂した砲弾の弾片であったり、衝撃で発生した装甲の破片が重要区画内に飛び込むのを傾斜部が防ぐという、多重防御に当たる。  
これは砲弾側の性能が十分であれば効果は限られる物だったが、信管や弾体強度が不完全だった当時の砲弾(「戦艦の使用砲弾に関するメモ」参照)に対しては絶大で、日露戦争時の記録を見る限り、実戦環境で砲弾が傾斜部含め抜いて重要区画まで達する事は極めて考え辛いだろう。
もちろん重要区画が無事でも、それ以外の被害から致命傷に至る事は同じ戦争で十二分に証明される所だが、部分的とは言えこの部位の防御力を大きく向上させた事に違いはない。

残る部位として、主砲のバーベットは10インチとむしろ増厚。防盾と副砲ケースメイトの下段は前級と同じ。そしてケースメイトの上段(上甲板上の4門)は新たに4インチの装甲が新たに設けられた。材質はこちらもハーヴェイ鋼である。

以上の進歩により、本艦は重要区画の防御力とその防御範囲、そして兵装防御といった部分で、前級を上回るのはもちろん、サブリン級に対してもカタログ程の差はないというか、上回る面すら数多く持った艦である。
(ただし装甲範囲そのもの前級などとほぼ変わらず。副砲が全門防御されたが、中甲板以上や艦首尾には非装甲部を残している。速射砲などへの防御はそこまで進歩していない面もあるだろう)

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次に紹介するマジェスティック級は95年から98年に9隻が竣工。本級は前述したレナウンの装甲配置など要素を加え、より完成度を高めた一等戦艦に当たる。
ロイヤル・サブリン級が近代戦艦の先駆けとすれば、こちらは「英標準型戦艦」と呼ばれる事もある、英国の前弩級戦艦の様式を確立した戦艦である。

本級は排水量1万4千トン台後半。主砲は35口径12インチ砲で、これを砲室とバーベットを併用する近代的な砲塔に収め、連装2基4門搭載。副砲は40口径6インチ砲をケースメイト内に置き、中甲板上8門上甲板上4門の12門に。
サブリン級に対して主砲口径が小さくなったのが特徴的だが、これは以前述べた「燃焼速度の遅い装薬+長砲身砲」の組み合わせというトレンドの結果で、より扱いやすいサイズでありながら威力を確保した砲として採用された。
そして以降の英戦艦でも、12インチという口径は超弩級戦艦の登場まで維持され、それまでは口径長を増す方向へと進んでいくことになる。

なお主砲塔の機構は多数がサブリン級と同じである一方、後期建造の2隻ではどの旋回角度でも装填可能な物が導入されている。(後期型以降バーベットの形は円筒形に)
同砲塔は揚弾薬筒を旋回しない下部、砲室と主に旋回する上部の二段階に分け、間の換装室で砲弾を移し替える方式を採用。下部揚弾薬筒や換装室が旋回しない事を除けば、一次大戦期までの英国式砲塔に大きく近づいた物である。

装甲配置は大まかにはレナウンの物を受け継ぎ、ハーヴェイ鋼製の垂直装甲に「装甲帯+甲板傾斜部」という多重防御を有している。
その上で上部装甲帯強化の流れの末、この部位は主砲帯と同じ厚さに。つまり主装甲帯が中甲板まで高さを増した形となり、サブリン級より水線上の防御を大きく強化した形となる。
また主砲防御では砲室の装甲厚を増し、本格的な装甲砲室となったのも改良点である。

厚さは垂直装甲が中甲板までに主装甲帯9インチ。ケースメイト上段下段共に6インチ。艦首尾非装甲。水平装甲は下甲板平坦部3インチ傾斜部4インチ。艦首尾第一船倉甲板2.5インチ。
主砲塔は砲塔前盾10インチ、バーベット14インチ、天蓋2インチ
レナウンよりさらに強化された事が分かるが、装甲範囲的には大差なく速射砲などへの防御は(略)

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以降の前弩級艦については簡単に行きたいが、様式が確立した後も防御面では重要な進歩が順次見られるので、各クラスちゃんと押さえておきたい。
まずカノーパス級は99年から1902年に6隻が竣工。レナウンなどと同じく海外派遣用の二等戦艦に当たる。

同級は排水量1万3千トンあまりと、前級から2千トン近く小型化。その一方で攻撃面は12インチ砲4門に6インチ砲12門と同じ物を維持している。
(主砲塔は前級後期艦と同じ物に加え、2隻のみ新型砲塔を採用。これは弾薬庫まで達する旋回式の揚弾薬機構を持ち、砲室まで一気に弾薬を運ぶ形。近代戦艦における狭義の砲塔の定義を満たす物としては、英戦艦では初めてとなる)
残る部分として、機関は最大速力18ノット維持しつつ、新たに水管ボイラーを採用。加えて防御面は装甲材質並びに配置を再び改正。主にこの二つで軽量化を図った艦となる。

装甲配置と厚さを先に見ると、垂直装甲は重要区画間にて、中甲板の高さまでの主装甲帯が6インチ。その上部はケースメイトの範囲のみ装甲化され、厚さは上段下段共に6インチ。前後部では艦首にて下甲板のやや上まで2インチの薄い装甲帯を設ける。
水平装甲はまず重要区画上では、装甲帯の上端に接続する中甲板と下端に接続する亀甲状の下甲板の2層式に。厚さは前者1インチ、後者は平坦部傾斜部共に2インチ。前後部は艦首尾共に第一船倉甲板に2インチ。
主砲塔は砲塔前盾8インチ、バーベット12インチ、天蓋2インチ

変更点は主に3つ。まず垂直装甲の大半には、表面硬化装甲の決定版であるクルップ鋼が採用され、その分主装甲帯などの装甲厚を減じている。
この部位は6インチとかなり薄い物になったが、ハーヴェイ鋼なら8インチ相当と言う事で防御力を維持しつつ減厚した事に。甲板傾斜部による多重防御もあるので、当時の砲弾へ一定の防御力は確保しているだろう。

続いてその浮いた重量を用いて、艦首にも補助的な薄い装甲帯を伸ばし、垂直装甲の範囲を拡大している点。
艦首のみで艦尾は未だに非装甲なのと、厚さ的に対応出来るのは至近弾の弾片や小口径砲の榴弾程度と、限定的な防御力しか持たないが、インフレキシブル以降顧みられなかった装甲が復活した事になる。

前級はサブリン~レナウンまでとは違い、主装甲帯そのものを高い範囲まで設け、同一の防御力を持つ範囲を増やす方式を採っていた。
本級も重要区画を守る垂直装甲は同じ形だが、艦首装甲の導入により「主要部の厚い装甲と、その周囲の薄い補助的な装甲」という組み合わせが復活、以降もこういった分散的な配置を指向していく流れとなる。

そして最後は、重要区画上に二層式の水平装甲(「装甲配置に関するメモ」で分類した所の「二層補助分散式」)を設けた点。
背景として、当時がフランスが甲板攻撃用に曲射砲を用いるという情報が入っていた事に加え、設計者であるホワイトは、交戦距離が短く砲弾の落角が小さい当時の海戦でも、艦の動揺等で甲板に深い角度で砲弾が直接命中する可能性は十分存在すると主張していた。
そのような被弾に対して、重量を無駄に増さず甲板への防御を強化する必要に迫られた結果、生み出された対策がこの二層式の配置である。

甲板傾斜部と同じく、当時の砲弾は信管の性能不足などの理由で、一度装甲に当たると貫通しても直後に炸裂してしまう物が多数であった。
それらに対して2層式の甲板は、上層で砲弾を炸裂させ、下層と周囲の石炭庫で弾片を受け止めるという、こちらも多重防御にあたる方法で重要区画内への被害を防ぐ事が出来る。既存の下甲板一層式に有効な厚さを持たせるより、こちらの方が軽量で済む上に、上層のみで防げるような軽度の攻撃に対して、一層式よりも防御範囲が拡大する利点も有している。

この方式は以降も英国含む各国で広く用いられ、一次大戦期までは主流に。そして遠距離砲戦の実現に伴い、より本格的な水平装甲の必要性を認識させる事になったユトランド海戦でも、被弾例自体を見ると案外有効に働いていた事が分かる。(戦間期以降は砲弾性能の向上に伴い完全に通用しなくなるが)
他の部位の配置と同じく、装甲を一か所に集中するよりも分散させた方が有効という、初期の戦艦における傾向を表す例と言えるだろう。

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フォーミダブル級は前期艦3隻が01年並びに02年に、ロンドン級とも呼称される後期建造艦5隻は02年から04年に竣工。
本級はカノーパスの要素を加えた排水量1万5千トン級の一等戦艦で、日本の三笠にも近い、英前弩級艦の決定版と言えるクラスである。

武装は引き続き12インチ4門に6インチ12門だが、共に口径長を増し主砲40口径、副砲45口径砲に。
そして主砲塔の構造は上下2段階の揚弾薬筒と間の換装室を介する形に回帰。ただしこちらは全て砲塔と共に旋回する方式で、これが一次大戦期までの英砲塔の基本形となる。

装甲厚等は前期艦の物から見ていくと、垂直装甲は重要区画間にて中甲板までの主装甲帯が9インチ。その上部は上下段のケースメイトの範囲のみに6インチ。前後部では艦首に下甲板のやや上まで2インチ、艦尾は下甲板までに1.5インチの装甲帯を設ける。
水平装甲は重要区画上では中甲板と下甲板の2層式で、厚さは前者1インチ、後者は平坦部2インチ傾斜部3インチ。前後部は第一船倉甲板が艦首で2インチ、艦尾は2.5インチ。
主砲塔は砲塔前盾10インチ、バーベット12インチ、天蓋2~3インチ

配置はカノーパスの物をベースにクルップ鋼を使用しつつ、主要部にはマジェスティック並の厚さを設け防御力を向上。加えて艦尾にも弾片防御程度だが装甲帯が設けられ、防御範囲を拡大している。
(なお艦首装甲帯は厚さ3インチとも言うが、これは外板の1インチを加えた厚さ)

後期艦もしくはロンドン級では主に2つの変更点があり、まず重要区画上の水平装甲は中甲板2インチ、下甲板1インチ(傾斜部2インチ)に。最初に砲弾が当たる上層が相対的に重視され、ここで被害を止めようという思想が見て取れるが、この時期ではやや珍しい例と言える。
加えて最大の変化は艦首装甲の強化である。装甲帯は厚さ7~2インチと大部分が弾片防御以上になり、高さも中甲板までに拡大。速射砲や主砲榴弾への防御範囲を本格的に拡大した事になる。またこの部位も水平装甲が二層式になり、厚さは中甲板2~1インチ、第一船倉甲板1インチとこちらも上層優位。 
(さらにこのページでは完全に無視している部分だが、艦首装甲の強化に伴い、重要区画の正面を守る前部横隔壁の形状が変化。重要区画上の下甲板と艦首の第一船倉甲板を繋ぐ傾斜部のような形が導入され、これは以降の艦にも受け継がれていく)

そして標準型戦艦で最後に紹介するダンカン級は、03年から04年に6隻が竣工。
本級は1万4千トンとやや規模を落としつつ、19ノットと1ノットながら既存の艦を上回る速力を発揮、兵装は前級と同じ物を維持する代わりに、防御面を犠牲に重量を捻出している。
ロシアのペレスヴェート級と同じく、この時代における巡洋戦艦的な思想の艦である。

装甲配置等は、主装甲帯が7インチ、バーベットが11インチに減厚した事などを除けば、ロンドン級とほぼ同等である。(厳密に言えば本級の設計が先で、それをフォーミダブル級にフィードバックしたのがロンドン級と言う事になる)
防御面を犠牲にとは言ったが、これはフォーミダブル級と比較した場合である。カノーパス級以前の艦に対しては、材質の恩恵により同等以上の防御力を維持しつつ高速化した戦艦と評価出来る。

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以上のような変遷を辿った英標準型だが、最終的な性格を大まかにまとめれば、以下のような物になるだろう。
排水量1万トン台半ば、速力18ノット、武装は主砲12インチ4門+副砲6インチ速射砲多数の組み合わせに。
装甲配置は重要区画を主装甲帯と二層式(下層が亀甲甲板)の水平装甲で防御、また装甲材質の進歩で出来た重量的な余裕を用いて、それ以外にも装甲範囲を拡大。
上部は副砲ケースメイトの範囲、艦首尾は水線部に薄い補助的な装甲を設け、当時の脅威であった速射砲や主砲の榴弾への対応力を向上。

副砲が1門ずつ装甲化されたケースメイト内にある点、水平装甲が最終的に上層優位になった点、前後部の装甲は艦首重視である点などは普遍的とは言えないが、それ以外は本当に標準的というか各国戦艦の手本となった形である。
以降はこの様式を打ち破る艦の時代になって行くのだが、この範囲も出来次第改稿予定である。

21年以降の改稿ここまで。以降改稿予定

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さらに次級キングエドワード七世級はマジェスティック級以来の基本武装だった12インチ主砲と6インチ副砲(速射砲)に加え、9.2インチという中間サイズの砲を4門搭載している。
ドレッドノートの登場以降、準弩級戦艦と呼ばれるものである。
これは米西戦争にて米戦艦の副砲や装甲巡洋艦の主砲である8インチ砲が活躍したことに影響を受けたとされる。
さらカノーパス級以降の英戦艦と同じく、近年の戦艦は装甲材質の向上により、今まで非装甲だった艦首艦尾や舷側上部などにも薄い装甲を施す重量的余裕が生まれていた。
そういった薄い装甲に対して6インチ砲よりも有効な威力を持ち、なおかつ主砲よりは連射もできる便利な砲として搭載された。

同級の装甲配置を見ると、装甲帯の高さがついに上甲板に達している。
これは自艦が搭載するような中間砲への船体防御を強化したと解釈できるが、単に副砲配置の関係である可能性もある。
本級は9.2インチ砲の単装砲塔2基を上甲板上に設けた事で、前級まではその場所にもあった6インチ砲がすべて中甲板上に追いやられた。
その為副砲が占める面積が増え、一々ケースメイト装甲を設けるより、装甲帯として全体を覆ったほうが良いとなったのかもしれない。
各装甲帯の範囲と厚さを見て行くと、9インチの主装甲帯が下甲板まで、中甲板までに8インチの装甲帯、上甲板までに6インチ砲を守る7インチの装甲帯を持つ。
下甲板から中甲板までの範囲のみを見ると、フォーミダブル級に1インチ劣るが、全体の装甲範囲で勝る。さらに前級ダンカン級からは全体的に装甲厚を増している。
また水平装甲も装甲帯の高さが増したことに影響を受けている。
装甲帯の上端が上甲板となったことで、今まで中甲板と下甲板に設けられた水平装甲は上甲板(1インチ)と下甲板(水平部1インチ、傾斜部2インチ)の二層に。
垂直装甲の範囲拡大で、直接甲板に砲弾が命中する確立が減った事もあり、厚さ自体も削減されている事がうかがえる。

次級ロードネルソン級も準弩級戦艦に分類される艦で、6インチ砲を全廃したかわりに9.2インチ砲が一気に10門に強化されている。
(この間にはチリが購入する予定が日露の対立により英海軍に編入されたスウィフトシュア級も。同級も10インチ主砲と7.5インチ中間砲を持つ準弩級戦艦に分類される)
キングエドワードとは水平装甲は大差ないが、垂直装甲が大きく強化され、主装甲帯は12インチ(前部主砲横のみ前級と変わらない9インチ)、上部装甲帯(下甲板から上甲板まで)は8インチになる。
前級よりもかなり強化された艦と言えるが、次に紹介する戦艦の登場で竣工時より旧式艦の烙印を押されてしまった話は良く知られている。

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ドレッドノート

こんなサイトを見てくれているような人に今更ドレッドノートについて説明する必要があるのかは疑問だけれど、所詮自己満足なので書いてみたい。
1906年12月にロードネルソン級よりも一足先に竣工した同艦は、後の人間が弩級と前弩級という風に戦艦を分類するように、今までにない革新的な戦艦であった。
武装はロードネルソン級が12インチ主砲4門や9.2インチ中間砲10門などを搭載するのに対して、ドレッドノートは主砲である45口径12インチ砲以外には対水雷艇用の小口径砲を除いて艦砲を持たない。
その代りに12インチ砲は10門を搭載、片舷に指向できる門数だけでも8門と前級の二倍の火力を発揮可能である。

この統一された口径の大口径砲を多数搭載する点(単一巨砲)は弩級戦艦の定義として用いられるが、これは特に遠距離戦において既存の艦に優位を持つものである。
これまでの交戦距離は3km以内と言ったところだが、近年は水雷兵器の進歩により、その射程外で戦う望ましいとされた他、砲戦技術自体の進歩により6km以遠での砲戦も十分可能になった。

このような遠距離戦闘では、基本的に口径が大きいほど弾道が安定して命中率が高くなる他、一発の威力や貫通力の面でも大口径砲の方が優れているのは言うまでもない。
6インチ砲は発射速度に優れるが、遠距離では特に命中率が低下し、この時代の戦艦は広い範囲に薄い装甲を設ける為、徹甲弾榴弾共に効果は少ない。
(それ以前に配置場所によっては波浪の影響を受けて使用できない可能性も)

9.2インチ砲も6インチ砲よりは威力が上とはいえ、遠距離戦では装甲貫通力に欠ける事すら予想される上に、発射速度、精度ともに中途半端であった。
ロードネルソン級にて6インチ砲が廃されたもの、大口径砲の優位に基づいた考えに対応したものだが、ドレッドノートはさらに同級の9.2インチ砲すら廃して12インチ砲を集中搭載する形になる。
(あと当時はまだ設備が整っていなかったが、後の戦艦が行うような斉射を行う場合、8門という主砲門数は以前の4門に比べ有効な発射数を確保しやすい点も利点になるだろう)

もう一つ同艦が持つ革新的な点は、蒸気タービンの採用により獲得した21ノットと言う高速力である。
このサイト的には特に重視されない点だが、速力の優位があれば遠距離戦闘の維持や、弱体な相手にも戦闘を強いる事もできるし、逆に自分が逃げることもできなくもないと色々便利である。

このような要素を持つドレッドノートの建造には1904年より第一海軍卿に任ぜられたフィッシャー提督が果たした役割が大きい。
その中でも、彼が1899年より三年間司令官を務めた地中海艦隊での経験が大きな影響を与えている。
当時の英海軍が想定した仮想敵は、世界二位と三位の海軍国であったフランスとロシアである。
司令官であるフィシャーにとって特に避けたい事態は、フランスの地中海艦隊にロシアの黒海艦隊が加わった戦力を同時に相手にすることであった。
そこでフィッシャーは、暗号解読などでいち早く両国艦隊の情報を掴んだうえで、機動力に優れた艦隊をぶつけて各個撃破を狙うと言う方向に活路を見出すことになる。
また艦砲に関して、フッシャーも当初は日清戦争や米西戦争の戦訓から、大口径主砲よりも中小口径砲を多数搭載した方が有効と考えていた。
しかし地中海艦隊旗艦レナウンの10インチ砲は、想像以上に発射速度・威力共に良好な砲であったため、この考えを改めている。
そして1901年には早くも口径の統一とタービン機関を搭載する高速艦の構想を記録に残しているが、その後準弩級戦艦タイプの艦も提案しており、本格的に弩級艦計画を進めるのは1904年以降となる。
また計画時には10インチ砲を多数搭載する艦を薦めていたが、近年の射撃演習の結果から12インチ砲が望ましいと、自身が信頼するベーコン大佐(後のドレッドノート初代艦長)より説得されたと言う。

本計画中には日露戦争が勃発。この時代の戦艦が初めて経験した大規模な実践であり、その戦訓は注意深く研究されている。
日本海海戦では大口径榴弾の威力や速力に勝る艦隊の優位、黄海海戦は遠距離砲戦の実現であったり、得られたのは特に新しい物ではなかったが、逆に言えば自分達が想定していた事は正しかったという自信を与える結果となった。
(尤もピクリン酸を使用した徹甲弾の自爆問題については認識されず、第一次大戦時の英艦艇における問題の一つとなってしまう)

本艦の建造が始まる以前より弩級艦に通じる艦の構想は存在しており、イタリアの造船官クニベルティが1903年にジェーン年鑑にて発表した12インチ12門、24ノットの戦艦案が有名である。
また速力は平凡だが、1904年より計画された日本海軍の薩摩型は当初12インチ砲12門(片舷8門)の艦となる予定であり、米海軍も1902年より単一巨砲艦の研究を開始している。
本艦の登場は英海軍やフィッシャー提督が飛び抜けて進んでいたからと言うよりも、単に時代の流れによるところも大きいが、それを各国に先んじて完成させたのは否定の仕様がない偉業と言える。

戦艦という存在そのものに革命を起こしたドレッドノートだが、防御面では特に大きな違いは見られない。
それどころか装甲配置を見ると、興味深いことに前級までより簡易になった部分が見られる。
先述したように英戦艦の装甲帯は初の準弩級戦艦であるキングエドワード7世級より上甲板に達し、船体中央では乾舷の全体を覆うことになる。
一方で本級の装甲帯は中甲板までの高さであり、それよりも上の乾舷は舷側主砲のバーベット部分を除き非装甲となる。
(これに伴い水平装甲が設けられるのは中甲板と下甲板の二層に回帰。厚さは前者が19mm、後者が水平部44mm傾斜部68mm

日露戦争でも大口径榴弾の非装甲区画への命中が大きな損傷を与えたように、この時代の艦にとって非装甲区画が大きいというのは良い事ではない。
これについて特に公式記録は残っておらず、「大口径砲の徹甲弾には中途半端な厚さの装甲帯を設けても無意味」という後の集中防御的な考えがあったかは不明である。
尤も後述する装甲艦エディンバラへの射撃試験では、依然として大口径榴弾の威力とそれを防ぐための広く薄い装甲の有効性を強調しているので、その可能性は低いだろう。
(第一以前の2クラスでは、この部分の装甲は7~8インチとそこまで薄くないし、ドレッドノートも艦首艦尾には薄めの装甲帯を貼っている)

考えられる理由の一つとしては、この部分の装甲帯は船体防御の他にも、舷側副砲や内側を通る砲塔の揚弾機構と言った、兵装への防御という役割を持っている。
しかし本艦はキングエドワード級までの艦に存在した舷側副砲を持たず、舷側砲塔の揚弾機構が占める範囲もロードネルソン級より狭い為、兵装への防御と言う面では意味が小さい。
つまり他の艦に比べればこの部分の装甲は価値が少なく、重量軽減の際に削られる可能性が高まる。
計画案における装甲配置を見ると、1904年12月の案では前級の様に上甲板までに装甲帯を持つ物と、最終案の様に中甲板までの二種類が検討されていた。
主要な装甲厚もこれらの案ではロードネルソン級に準ずるものだったが、最終案では主装甲帯とバーベットの最厚部が1インチ減厚している。
これも装甲帯の高さの削減と同じく、重量軽減と見ることが出来る。

と言うことで防御面では前級より劣る面があるが、重要区画の防御なら、8~11インチ程度の厚さでも当時の徹甲弾に対して十分通用するものである。
また前級を含む他の前弩級戦艦に対しては、速力と大火力を活かした遠距離戦闘で圧倒する艦であることは明らかで、艦自体の評価に影響を与えるものではないだろう。

以降の弩級戦艦
ドレッドノートの登場により、ある意味今まで持っていた戦力の優位を手放してしまった英海軍だが、それでも1911年までには10隻の弩級戦艦を完成させ、世界一の戦艦戦力を維持している。

これらの弩級艦は、砲の種類や配置、上部構造などに変化はあるが、装甲配置関連は余り変化していない。
次級ベレロフォン級では主装甲帯とバーベットの最厚部が10インチに減厚、その代わりに装甲帯の奥には重要区画全体をカバーする水雷防御用の縦隔壁が設けられた。
(最後のコロッサス級は装甲厚が11インチに復帰し水平装甲が強化されたが、代わりに縦隔壁の範囲が減少)

正直これらは個艦で見ると、各国が計画し始めた弩級戦艦に防御力で劣る感もある。

これが変わったのが、1912年より完成するオライン級以降の戦艦になる。
主砲として13.5インチ砲を搭載する、いわゆる超弩級戦艦の第一号である同級は、装甲も英弩級艦から強化されている。
同級の主装甲帯は前後部弾薬庫含め12インチ厚で、高さも弩級艦より若干高い位置(下甲板と中甲板の間程)にまで設けているが、大きく変わったのがその上の装甲帯の範囲である。
9インチの装甲帯が中甲板まであるのに加え、8インチの装甲帯がその一段上の上甲板までにも設けられた。
本級は船首楼が前部艦橋まで伸びる船体形状の為、船体中央部ではロードネルソン級の様に乾舷全体を装甲帯が覆う形に回帰している。
(その代わりにカノーパス級以降の艦が持っていた、艦首艦尾の装甲は半分程の長さに削減されている)
さらに装甲厚自体も同時期の弩級艦に劣らず、主装甲帯が一番砲塔横で減厚しない点から弩級艦からの防御力の向上は大きい。
なおダンカンからキングドワードへの変化と同じく、本級も水平装甲は上甲板38mm、下甲板25mmと前級コロッサス級よりも減厚している。
この配置はQE級の前級であるアイアン・ディーク級まで受け継がれる。
(同級は副砲を6インチに強化、その防御の為上甲板から船首楼甲板の間に6インチの装甲帯を追加している)

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と言うことでQE級までの英戦艦については以上(巡洋戦艦は後述。また第一次大戦時に英国が接収した戦艦については、ここではなく別ページで)だが、その前に一つ。

1910年には旧式の装甲艦エディンバラ(先代コロッサス級)を用いた試験が行われ、当時の装甲や艦砲に関する貴重なデータが収集されている。
このページに関連する部分のみ要約すると以下の通り
・ピクリン酸を使用する大口径榴弾が非装甲区画に命中すると、爆風により船体構造は粉砕され大穴が開く
・一方で薄い装甲(4インチ)に命中する場合、装甲が割れても爆風は内部に浸入せず、被害を大きく抑える事が可能
・煙突に大口径榴弾が命中した場合、缶室へ飛び込む弾片のほとんどは煙路のグレーチングにて受け止められるが、爆風が浸入して内部人員を殺傷する
・これを防ぐには煙突基部に薄い装甲を設けるのが望ましい
・2インチ程度の水平装甲に12インチ通常弾が撃角80度で命中した場合、この厚さでも砲弾を逸らすことが可能だが、炸裂時の弾片により内部に被害が出る

最後に挙げたように、今までの艦が持つ薄い水平装甲は有効な防御力を持たない、という事が既に認識されていたのは重要な点である。
ただしそういった艦の水平装甲は艦内部の下甲板に設けられ、直接砲弾が命中する可能性はそこまで高くない。
そういう事情から水平装甲に関する大きな変化は、ユトランド海戦の発生まで待たなければならない。

日露戦争でも示されたように、この試験でもピクリン酸を使用する榴弾の威力が強調されている。
ただし同時に現行の戦艦が持つ薄く広い装甲に対しては相性が悪いことも確認され、その後の対戦艦戦で用いられることは少なくなっていく。
その代わりによく使用されたのが、被帽通常弾(CPC)である。
これは榴弾とは違い弾底信管を持ち、薄い装甲なら貫通する事が可能。また炸薬は黒色火薬の為ピクリン酸に炸裂時の爆風で劣るが、発生する弾片は大きく、隔壁を破って被害を拡大させるのに優れている。
なお爆風自体の効果もピクリン酸を少量充填した徹甲弾よりは上と、半徹甲弾的な砲弾と言うことになる。
第一次大戦時は徹甲弾と共に対戦艦戦で用いられ、主に砲弾の貫通力が余り期待できない遠距離を中心に使用されたようだ。
一方の徹甲弾は、炸裂時の威力に欠ける代わりに当然CPCを上回る貫通力を持つ・・・はずだったが、当時使用されていた徹甲弾には大きな欠陥があり、条件によっては普通に劣る性能しか発揮できなかった。
そのCPCにせよ性能に限界はあり、結果として当時の英戦艦の主砲はどの砲弾でも、11インチや12インチと言った厚い装甲を実戦で抜くのに適さない物になってしまった。
この件については第一次大戦後の計画艦の解説に再び取り上げるとして、そろそろ本来の解説に移りたい。

 
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第二次大戦期の旧式戦艦
ここからは安全距離の計算も行っていく。使用する艦砲は日本戦艦編と同じ7種(同ページ参照)

注意 日本戦艦編でも触れたが、今回も装甲厚のポンド表記を明確にしていないので、装甲厚には細かいズレが発生している。詳しくは補足のページを参照の事。

クイーンエリザベス級戦艦(大改装3隻
1912~13年起工 1915~47年就  
196.8m    32,182t   37,180t(満)  42口径15インチマーク1 連装4基8門     24ノット

装甲厚
垂直装甲
 330mmKC+19mmHT → 25mmHT傾斜60度(内傾) → 25mmHT×2    65
砲塔前盾 330mmKC傾斜30度(内傾)
バーベット(露出部) 254mmKC
バーベット(艦内部) 152mmKC+19mm → 152mmKC
水平装甲(弾薬庫) 32mmHT+19mmHT→ 102mmNCA+25mmHT ≒ 133mmNCA  116
水平装甲(機関部) 25mmHT → 32mmHT+19mmHT → 64mmNCA+25mmHT ≒ 105mmNCA   78
砲塔天蓋 108mmKNC + 19mmHT? ≒ 119mmKNC傾斜0~7度/横傾斜数度

上部装甲帯→甲板 あり
上部装甲帯→傾斜部 なし

船体 長船首楼型

クイーンエリザベス級安全距離

装甲部位\艦砲 8インチ 28cm 41年式36cm 14インチマーク7 15インチ 16インチ 46cm
 垂直装甲 貫通不能 15km以遠 18km以遠 23km以遠 27km以遠 29km以遠 35.5km以遠
 砲塔前盾 2.5km以遠 16.5km以遠 35.5km以遠 安全距離なし  安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
バーベット(露出部) 8km以遠
(9.5km以遠)
21km以遠
(23.5km以遠)
25.5km以遠
(28.5km以遠)
29.5km以遠
(31km以遠)
安全距離なし
 安全距離なし 40km
(安全距離なし)
 バーベット(艦内部) 4km以遠 17.5km以遠 24km以遠 27km以遠
安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
水平装甲(弾薬庫)  貫通不能 34kmまで 28kmまで 27.5kmまで 27.5kmまで 27.5kmまで 27kmまで
水平装甲(機関部) 29kmまで 31kmまで 25.5kmまで 24.5kmまで 24kmまで 24kmまで 23kmまで
 砲塔天蓋 貫通不能
~28.5kmまで
32km
~28kmまで
 
26km
~22kmまで
25km
~21kmまで
25km
~20kmまで
24.5km
~20kmまで
23km
~12.5kmまで

垂直装甲(30度)  貫通不能   8km以遠  10.5km以遠 15.5km以遠 19.5km以遠 21km以遠 28km以遠


・竣工時の艦の概要
最初に扱うのは1915年より竣工したクイーン・エリザベス級(QE級)。設計は今までドレッドノートやインヴィンシブルなど革新的な艦を生み出してきた、造船局長フィリップ・ワッツ体制下で行われ、彼が携わった最後の英戦艦になる。
特徴としては世界初の15インチ砲搭載艦であるのに加え、他艦に速力の優位を持ちつつも巡洋戦艦のように防御面を犠牲にせず、基本的に前級より強化している。
攻撃力に加え、速力と防御力の両方を高いレベルで保持していることから、世界初の高速戦艦とも称される事もあり、また第一次大戦時の英戦艦では最も強力な艦の一つである。

第二次大戦時には流石に高速戦艦と言える程の艦ではなくなってしまったが、英国最古参の戦艦として戦場を駆け回った。中でも二番艦ウォースパイトの艦歴は戦艦の歴史の中でも特筆すべき物である。
上の表は改装後の装甲を対象にした物で、主にその時代の艦について論じていくが、まずはそれに至るまでの竣工時の装甲などについて、同時期の戦艦との比較含め触れておきたい。

まず主砲は新設計にして当時世界最大の42口径15インチ砲を採用。
同砲は他国戦艦とのキャリバー・レースの中、十分な実験が行われる前に搭載が決定されていたが、蓋を開けてみると歴代最良とも言える傑作砲で、やや特殊な事情だが採用から数十年後、最後の英戦艦にも用いられる事になる。
また本級は同砲を連装砲塔に収め、背負い配置で艦の前後部に2基ずつ置き、計8門を搭載しているのも特徴である。
日本戦艦編の扶桑型の解説で述べたように、これは交互打ち方を基本とした場合必ずしもベストとは言えないが、斉射に必要な門数自体は確保。そして前級までが有した船体中央部の砲塔を設けない事で、その分の重量や空間を機関の強化に充てる選択を取った事になる。
また副兵装としては6インチ単装砲を砲郭式で並べ、計画では船体中央部の上甲板上に片舷6門、後部主砲横の中甲板上に片舷2門の計16門搭載。ただし後者は波浪の影響で運用に支障をきたす為、竣工後には前者の12門のみに。

機関は中央部のスペースの広さに加え、より進歩した重油専焼缶の導入もあり、カタログ上では他国の主力戦艦を2~4ノット上回る25ノットという速力を発揮可能である。
(開戦後の竣工で正式な状態で公試が出来なかった事もあり、記録に残る速力は24ノット程度が限界だったそうだ。マレーヤのみ過負荷状態で25ノットを記録したとされるが、その時の排水量などは不明)
なお石炭から重油への転換は数多くの利点を生み出したが、一方で最高の石炭産地であったブリテン島本土での自給が出来なくなった英海軍にとっては、海上輸送に頼る必要から弱点の一つとなって行く。
また防御的には火災の危険性が高いのではと当初考えられていたが、これについては水線下に燃料タンクを置けばまず大丈夫と判明している。(ただし石炭庫のように弾片防御として広範囲に設ける事は不可能に)

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竣工時の装甲配置

装甲配置を見ていくと、船体は第三砲塔まで船首楼が伸びる長船首楼型。重要区画上を通る甲板は主に船首楼上中下の4層となる。
まず重要区画内の垂直装甲は、中甲板までの高さを覆う主装甲帯が最厚部で厚さ13インチ。ただしこの最厚部は下甲板と中甲板の間程度までで、それよりも上の範囲で6インチまでテーパーしている。
さらに上の範囲には上甲板までに6インチ、さらに船体中央の副砲砲郭を兼ねる範囲では船首楼甲板までの高さにも6インチの上部装甲帯を設け、乾舷全体を防御している。
また重要区画外では、艦首は全長の6割程度の範囲に中甲板までの高さに、艦尾では三分の一程度は中甲板、残り三分の一の範囲は下甲板までの高さまでに装甲帯を設け、両者ともそれ以外は非装甲。厚さは共に6~4インチ。

水平装甲は重要区画内では船首楼1インチ、上甲板2~1.5インチ、下甲板1インチの3層を装甲化(船首楼の無い後部弾薬庫上などは2層)。下甲板は厚さそのままで傾斜部となり装甲帯の下端に接続する。
重要区画外では艦首が中甲板の装甲帯のある範囲に厚さ1.25インチ、第一船倉甲板に基本1インチ(艦首先端に接続する範囲のみ3インチ)。艦尾は中甲板1.25インチ、第一船倉甲板は舵機械室の防御を兼ね亀甲状の形で2.5~3インチ。
主砲塔は前盾13インチ、天蓋4.25インチ、バーベット10インチ。副砲砲郭は先述したように6インチ。
その他の部位としては煙突基部1.5インチ。また重要区画の範囲を全通する形で2インチの水雷防御縦隔壁を設ける。

装甲材質は詳細については「装甲材質などの話」を参照。基本的に4インチ以上の垂直装甲全般はクルップ鋼(KC)、砲塔天蓋などはクルップ非浸炭鋼(KNC)、薄い甲板や隔壁の類は高張力鋼(HT)である。

装甲配置の様式については、上部がテーパーする主装甲帯がやや特徴的で、水平装甲は前級までの二層式から三層式に。他にも装甲厚の増減がみられるが、基本的な部分は英海軍含む当時の各国戦艦で一般的な物と言える。
垂直装甲は重要区画水線部の主装甲帯以外にも、上部装甲帯や艦首尾装甲帯と言った補助的な装甲を設け、水平装甲は薄い物を複数層設けるという。集中防御を取らない「分散的」な配置である。

この配置は最初に垂直装甲もしくは甲板の上層が仮に貫通されたとしても、さらに奥の甲板や隔壁などの防御構造が待ち受け(通常これに加わる石炭庫は本級にないが)、重要区画を守りぬく事を狙った多重防御的な要素を有している。
そして「戦艦の使用砲弾に関するメモ」でも述べたように、装甲に命中すると簡単に損傷してしまい、自爆・早爆も相次いだ当時の不完全な徹甲弾に対しては、数字以上の防御効果を有している。一般的に「ユトランド海戦のような遠距離砲戦に対応できない」とされる、本級のような薄板からなる水平装甲も、相手の信管性能を考えると割と有効なのである。
それはユトランドの実戦でも証明されており、本級は弾体強度や自爆対策などの面で優れた砲弾を用いる、ドイツの11、12インチ砲を多数受けつつも、艦の生存に関わる程の大きな損害は受けなかった。

ただバーラムで上甲板から艦内に入って炸裂した砲弾の大弾片が下甲板を貫通して弾薬庫内に入っている。弾薬庫まで抜かれてから炸裂という最悪のパターンではないし、幸いにも誘爆も起こしていないが、多重防御が万全ではなかった例である。
また水平装甲以外にも、比較的薄い上部装甲帯は当時の砲弾性能でも十分に抜く事が出来て、そこから大弾片が生じるような被害になる可能性も存在する。
その点本級の上部装甲帯は中甲板から上甲板の範囲で6インチと、前級の8インチよりも減厚。この範囲は当時の各国戦艦は810インチ程度が多い事からすると、薄い物であるのは良くない点かもしれない。

もっとも竣工時の環境で一番注意すべきは ユトランドでの巡戦の戦没原因として有力な、主砲塔内への被害からの弾薬庫まで達する誘爆が生じる事である。
当時の英海軍の運用や誘爆対策を考えると、被害があった場合は本級もかなり危険だろう。一方で前盾や天蓋などの砲塔防御自体が厚く、当時の砲弾に対して防御力を確保出来ている事は、爆沈した巡戦と比較すると安心できる点である。
ただし一点のみバーベットは厚さ10インチと微妙。12インチよりも大きい主砲に対して若干怖さがあるだろうか。

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竣工時の評価
まず防御面では上で挙げたような問題もいくつか存在する。ただし当時は同じような防御思想を持つ英国式の艦が多数あり、その中で本級は主要部位の装甲厚などは既存の英戦艦と比較して順調に強化された物である。 
一次大戦期全体で見ても上位に入る物であり、これを上回るのは次級のR級、当時最も重装甲の部類に入る独バイエルン級、そもそもの装甲配置自体が大きく異なるネヴァダなど米標準型戦艦ぐらいだろう。また米独に対しては誘爆対策の面でも本級に遜色がみられるか。

続いて攻撃面については、「砲弾メモ」でも述べたように竣工当時の英徹甲弾は炸薬信管弾体強度と問題が多く、貫通能力という意味では最大級の火砲を活かせない事に。
ただしこの点も程度の差こそあれ、他国でも問題になっていたし、そして最大級の火砲という事から、ただ単純なエネルギー量に任せた船体区画の破壊効果自体は高い物である。
その他の点では仰角20度で最大射程は20kmを超え、当時の環境での遠距離砲撃は十分可能。射撃指揮装置はマスト上もしくは司令塔上の方位盤に、まだまだ発展途上であるが艦内部の射撃盤を組み合わせた、当時最新の物である。

速力ついては最大速力こそ巡戦程ではないが、ユトランドでは本級で構成されたトマス隊がその速力を活かしヒッパー隊との戦闘に参加。大きく戦局に寄与している。(そもそも会敵前にもう少し連携が出来ていればという話にもなるが)

最後に日米独戦艦との比較を簡単に行うと、扶桑・伊勢型は火力は侮れないし防御面や速力でも一部本級に匹敵する部分を持つが、基本的には英国式の戦艦で本級が勝る部分が多い。
そしてネヴァダ・ペンシルヴァニア級などは非常に先進的な防御思想を持つ艦だが、それでも十分でない部分もあり、そして当時の米戦艦の課題として、砲術面で本級に劣るのがネックだろう。
最後にバイエルン級は同格の主砲を持つ上に、竣工時では徹甲弾の性能で勝る。加えて装甲面は同等以上で誘爆対策も進んでいると、正直かなりの強敵と言える。

もっともユトランドでの戦訓を得た後に、英海軍では弾薬庫の誘爆対策が進められたのに加え、徹甲弾を大幅に改良。装甲命中後も自爆、損傷せずに、遅動信管により内部の弾片防御を突破した後重要区画で炸裂出来るという、最高クラスの砲弾性能を実現させている。 
この二つを行った戦争後半以降では大きく戦闘能力を向上させ、バイエルン級に対しても優位に立つと思われる。
竣工時より十分優れた艦であったが、一次大戦期で実際に竣工した艦の中では最強クラスという地位をさらに確実な物にしたと思われる。 

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戦間期の改装
本級はユトランド海戦後、応急処置的に砲塔天蓋と弾薬庫の水平装甲を若干強化している。
しかし戦間期以降、遠距離砲戦への指向と砲弾の進化はさらに進み、また航空爆弾等も発達していく。そんな環境では水平装甲が通用しなくなるのは言うまでもなく、これまで安全であった他の部分含め脆弱となる。
一方で条約期の20年代までの改装を見ていくと、防御面ではバルジの増設こそ行ったが、装甲に関する物は特にない。
そのまま35年以降、ワシントン条約で認められた代艦が就役し更新される予定だったが、31年のロンドン条約で建造は5年間延期。それに伴い30年代には本格的な改装が行われている。 
(そして第二次ロンドン条約で量的保有制限と代艦の規定そのものが消失したので、現役のまま第二次大戦へ挑むことに)

改装はバーラム(30~34年)、マレーヤとウォースパイト(34~36、37年)、ヴァリアントとクイーンエリザベス(37~39、40年)という順番で行われ、最後の2隻を除き内容には違いが存在する。
まずバーラムはバルジ増設改装からの延長として改装され、内容は最も簡易な物に。水平装甲を弾薬庫上面のみ追加(同艦含め改装後の装甲に関する詳細は後述)。加えて後に対空兵装を4インチ連装砲片舷2基計8門としている。
マレーヤは当初バーラムと同じ内容の予定だったが、同時期のウォースパイトへの改装の影響から水平装甲は機械室にも追加。水上機運用設備として船体中央部に固定式カタパルトを設置。また司令塔を小型軽装甲の物に換装し重量軽減。

そしてウォースパイト以降の3隻は大改装艦と言うべき、より本格的な改装がなされた。
まず今まで手つかずだった部分として、機関を小径水管ボイラーとギアードタービンの組み合わせに換装。機関出力を増しつつ重量を軽減、機関室内部の細分化も行われた。 
加えて水平装甲は機関室を含む重要区画全体を強化。攻撃面では主砲の仰角を30度へ引き上げ、指揮装置の更新と共に遠距離砲戦能力を向上。一方で6インチ砲は4門撤去(戦時中に全門撤去)。
外観も大きく変化し、艦橋は三脚檣ベースの物から新たに重装甲の司令塔を持たない塔型艦橋へ。船体中央部のカタパルトと合わせて、新戦艦のKGV級に似た様式となる。
最後の2隻はウォースパイトに準じた物だが、相違点として6インチ副砲を全廃し副兵装を4.5インチ両用砲に統一。これを片舷5基20門とした。また防御面では重要区画外の水平装甲を重視した改装も見られる。

以上大改装艦の3隻は、英戦艦が条約期間中に行った中ではレナウンに次ぐ程度の改装を受けたと言えるだろう。
ただし強化範囲は条約内容を順守した物であり、条約を違反した、特例で規定外の改装が許された、失効後に改装を行ったといった艦と比べるとこれでも控え目である。

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表の解説
ようやく解説に入っていくとして、計算に用いた装甲部位の説明は補足のページを参照。
まず改装後も垂直装甲は330mm(バッキング19mm)厚さの主装甲帯と、25mm下甲板傾斜部、51mm水雷縦隔壁の弾片防御という形のままで、装甲厚の変化もない(日本戦艦やレナウン級が行った傾斜部への貼り足しはない)。
なお傾斜部については合計厚76mmとする物もあり、長年このページでもその場合の安全距離を掲載していたが、これは誤りのようだ。おそらく艦首尾にある下甲板最厚部の数字と混同された物と思われる。

この部位は決して薄いものではないが、戦間期以降の徹甲弾の進歩は水平装甲への脅威を増しただけでなく、こういった厚い垂直装甲に対しても破砕されずに遠距離から貫通出来る能力を得ている。 
新型砲弾を用いる自艦主砲やそれ以上の艦砲に対しては、横方向の角度が着いた場合でなければ厳しい結果に。

続いては砲塔正面の前盾。ここも主装甲帯と同じ330mmだが、内側に30度程傾斜している。
これは水平射撃に近い距離では防御効果を増大させる物だったが、この時代に想定される交戦距離と落角では、傾斜の無い物よりもむしろ撃角が深く逆効果になってしまう。
その為表では14インチ砲以上に対してはほとんど安全距離を持たない結果になった。
なお砲室形状は全体的に丸みを帯びた物で正面の面積はかなり小さい。当たり所によっては防御力が変わる部分も大きいだろう。

そして比較的薄かったバーベット装甲も特に改装で変化はなく、14インチ砲相手に怪しい安全距離である。
また竣工時の解説では取り上げていないが、信管性能の向上と共に上部装甲帯を抜いた砲弾がその背後のバーベットに命中する場合も想定される。
表はその一例で、装甲厚は両者共に152mm。この部分もまた戦艦主砲クラスに対しては不足している。

次は水平装甲。この部分は先述したように改装内容によって一部差が存在する。
まず弾薬庫上については5隻とも同じで、竣工時の物に加え、ユトランド海戦後に25mmHTの下甲板平坦部にさらに25mmHTを追加するも改装時は5隻ともこれを撤去。新たに102mmの均質装甲を追加する形に。
そして機関部については、大改装艦の3隻では同じく下甲板平坦部に64mmの均質装甲を追加している。(この他大改装艦ではバーベット周辺の一部にも装甲が追加されたようだ)

表の安全距離を見ると弾薬庫はほぼ問題ないものの、機関部は近距離志向ならそこそこという程度。
後者も合計厚は160mmを超え、かなり厚く見えるが、あくまでこれは合計厚に過ぎない。追加の装甲以外は構造鋼の貼り合わせが大半なのも対弾性能的に差し引く必要がある。
なお砲戦で許容範囲であっても、航空爆弾への防御としても微妙な物である。フリッツXで一番奥まで抜かれたのは仕方ないにしても、通常の徹甲爆弾相手の場合も英海軍から不十分と認識されていた。
一般的に致命傷となる可能性が高い弾薬庫程には重視はされなかった結果である。

そして残る2隻の機関部装甲はこれを下回る物で、マレーヤは缶室上が、バーラムに至っては機関部全体が未強化である。
この場合の安全距離は以下のようになる。
水平装甲(未改装) 25mmHT → 32mmHT+19mmHT → 25mmHT ≒ 72/60mmHT

水平装甲(未改装) 22kmまで 16.5kmまで 11kmまで 10kmまで 9.5kmまで 9kmまで 8.5kmまで

砲塔天蓋は竣工時では108mm均質装甲だったが、ユトランド後に5隻とも127mmに強化されている。表では元の装甲に高張力鋼を貼り合わせたものと推定したが特に根拠はない。
前半分は下方向に傾斜しており、撃角が深くなる分この部位の防御力はやや不足しているか。

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ここからは表にのらない部分をこのページでも扱っていくとして、まずは上部装甲帯貫通後に重要区画に達するルートについて。
本級のこの部位には中甲板から上甲板まで、そして上甲板から船首楼の副砲砲郭部分に152mmKCの装甲帯を設けたが、大改装艦では一部変更がある。
6インチ砲が一部もしくは全門撤去されたこの際に後者の装甲帯も撤去。代わりに弾片防御程度の防御力を持つ51若しくは102mmのD鋼が代わりに配置された。

そしてこの時代では、152mmの装甲が戦艦主砲弾に無力なのは明らかである。(なお竣工時の解説では上部装甲帯の下段が比較的薄いと述べたが、330mmの最厚部ですら抜かれるこの時代にあっては、203mmでも関係ないだろう)
加えて最後の砦である下甲板が弾片防御に過ぎなかった改装前、もしくはバーラム・マレーヤの未強化部位においては、このルートでも重要区画は極めて脆弱である。 
一方で改装艦は強化された下甲板で被害を止める事が可能になり、水平装甲のみを抜くルートと比較して特に弱点にはならないだろう。(大改装艦の副砲砲郭の改変もこの強化あっての事だろう)

また上部装甲帯を貫通後、いずれの艦でも強化されなかった下甲板の傾斜部25mm部分を抜いて重要区画に達するルートについても考えなくてはいけない。
これは装甲帯と傾斜部の位置関係を見る限り可能性は低く、上部装甲帯というよりは主装甲帯のテーパー部分を貫通した砲弾であれば可能性はあるが、これも僅かな範囲である。
なおこの部位の配置は次級から悪化し、一見するとどうしてこうなったとなる配置になるのだが。

続いて煙路は煙突基部に38mm、艦内部では船首楼の25mm水平装甲と152mmの上部装甲帯が防御を担う。戦艦主砲クラスが突入してきた場合には対応できない物。
一方で大改装艦は上記装甲とは別に、艦内部部分に102mmの装甲を追加。おそらく上部装甲帯の改変に伴う物でもあったとも思われる。十分とは言えないが甲板を抜いてきた爆弾や中小口径弾への防御は強化された
もっともウォースパイトが250kg爆弾を被弾した際には、これとは別に通風塔から機関部内に被害が出ていたりするが。

水中弾防御については竣工時より存在した51mmHTの水中防御隔壁が対応するのみ。
英海軍も31年エンペラーオブインディアへの射撃実験にて水中弾の危険を認識していたが 本級では特に積極的な対策はなされなかった。

最後に艦の抗堪性や浮力保持に関する装甲という面では、日本戦艦の改装戦艦と同じく、主な水平装甲が下甲板である点がマイナスである。
これは重要区画上を全通する甲板では一番下で、水線付近の高さである事から、この装甲で重要区画を守ったとしても予備浮力の損失が大きいと予想される。
なおヴァリアントとクイーンエリザベスの改装の際には、ウォースパイトの改装では手つかずの傾斜部付近が大落角の爆弾等に脆弱として、下甲板ではなく一段上の中甲板に舷側まで達する水平装甲を追加すべきとの意見もあったが却下されている。 
その場合防御範囲的には優れるが、それはそれで主装甲帯のテーパー部分からの貫通弾が弱点になっていただろう。

また重要区画外では、艦首尾の大部分は竣工時より中小口径弾や戦艦主砲の榴弾に対応する程度の装甲を持つ。
これに加えて二次大戦期の英戦艦の一部に見られる特徴として、大改装艦の最後の2隻においては、加えて英海軍で「傘」装甲と呼称された水平装甲を追加している。  
具体的には、前部弾薬庫の前方を守る横隔壁装甲の下端部分から延びる第一船倉甲板に対して、一定の範囲に89~76mmの装甲(改装前の厚さは25mmだったが貼り足した合計厚なのかは不明)が設けられた。

この重量で重要区画上の水平装甲をさらに強化する事も出来たと思われるが、これ自体は単に艦首尾の構造と浮力を守る装甲ではなく、戦間期に英海軍が注目していた艦首方向での戦闘に対応して設けられた物である。
敵に艦首を向けて砲戦を行った場合、艦首の薄い装甲を破って艦内に侵入した砲弾が、重要区画前の横隔壁装甲の下をすり抜けて弾薬庫に飛び込む可能性があり、「傘」装甲はそれを防ぐ事が期待された。
艦首戦闘と「傘」装甲は本級の解説後に下で補足予定の英戦艦の砲戦ドクトリンに関わる物で、同時期の新戦艦でも採用される物である。

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二次大戦期の評価
まず防御面については上で見て来たように、大改装を経た艦であっても水平装甲以外は、自艦の15インチ砲等に対する安全距離は芳しくない結果となった。これは第二次大戦期の砲弾性能が大きく強化されたことによる。 
また改装戦艦の宿命としてそれ以外にも一部弱点となる部分もあるが、主要部位は同時期の日米戦艦が搭載する14インチ砲レベルに対して砲塔以外ある程度の安全距離を持っており、総じて他国の改装戦艦と十分比較出来る物である。 
ただしマレーヤとバーラムの未強化部分はまず戦艦主砲を防げる物ではないか。弾薬庫ほど致命的とは言えないが、明らかに不利な点なのは否定できない。

攻撃面に移ると、主砲15インチ砲は大改装艦では仰角の引き上げと長大な風帽を持つ新型砲弾mk17bに対応し、30km前後の最大射程を確保。指揮装置も更新され、実戦におけるウォースパイトの命中記録がその能力を証明している。
徹甲弾としての性能についてはこの下で補足するように複雑な面があるのだが、少なくともNAaB上では遠近ともかなり優れた能力を有している。
この場合遠距離戦で結構な厚さの甲板を抜けるのに加えて、英戦艦が想定した10km前半の決戦距離に持ち込めば、改装戦艦相手なら多少横方向の角度が着いても有効、条件が良ければ格上の新戦艦相手でも一発が期待出来るだろう。

またバーラムとマレーヤの2隻も仰角こそ20度のままだが、開戦後にmk17bに対応。加えて強装薬運用でさらに射程を伸ばす計画もあり、マレーヤでは実験も行われている(案の定斉発時の散布界悪化を確認)。ただ実際に使用される事は無かったようだ。

最大速力は変わらず24ノットで、大改装艦以外は老朽化によりそれ以下になる事も。この時代は30ノット付近まで高速戦艦のハードルが上がったので、その中では他の旧式戦艦と同じく中低速艦の部類に入る。

最後に大改装艦の3隻については、防御面で同時期に竣工した改装戦艦と比較できる上に、やはり15インチ砲を持つのが大きい。この威力からそれらの艦との戦闘であっても、火力を喪失しない限りは優位に立てるのではないだろうか。
一方で本砲を上回る16インチ砲艦であったり、防御面で勝る新戦艦との比較になると、安全距離から見た抜き合いでは不利になるだろう。
そう考えると、「第一次大戦期の艦としては最強クラス」という立ち位置は改装後もあまり変わっていないのかもしれない。

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補足 二次大戦期の英徹甲弾について
全体に関わる事として、NAaB上では別にそんな事ないのだが、この時期の英戦艦主砲の貫通能力としてかなり低い数字が引用される事が多い。
例として15インチ砲であれば、マーク17bでも距離2万ヤードで当時の表面硬化装甲に対して300mm程度。数字だけ見ると日米の14インチ砲以下でしかない。

この件については断言出来るデータは持っていないものの、数字通りに受け止めて優劣を語ってしまうのは間違いなく危険なので避けた方が良いだろう。
そもそも日本戦艦編で述べたように、日本の五号徹甲弾はユトランド後に英海軍が採用した改正砲弾を元にした物であるが、この砲弾は平賀アーカイブ所蔵資料を参照すると、既にVC鋼に対して上記の二次大戦期の15インチ砲を上回る数字を持っている。
そして二次大戦期の91式・1式も水中弾機能と自爆防止、空力特性改良がメインの改善点であり、弾体強度という面では(大和型用の46cm砲弾を除いて)この頃の砲弾と大差ない物に留まっている。
つまり中身は英間期の英砲弾と大差ないはずの砲弾を用いた14インチ砲に、15インチ砲が数字で大きくるという事になり明らかに不自然である。
そこから英砲弾の数字が低い件は、純粋な砲弾性能以外の条件が影響したものと考えるのが妥当だろう。

その条件としてまず思い浮かぶのは「一次大戦期の装甲に対して1.25倍の性能を持つ」 と豪語していた英国製表面硬化装甲の性能差によるものだが、これもなんとも確実な事が言えないのが現状である。
(新戦艦編でも述べたが、「1.25倍」という数字も二次大戦期の砲弾相手では実は怪しい。戦後行った射撃試験では、ヴァンガード用の装甲とネルソン級に用いられた20年代製造の物が大差ない結果に終わっている)

また砲弾に関して確実な事は、開戦後も改正が行われて性能を伸ばしていた点である。
15インチ砲弾の場合、新設計の14インチ砲弾の一部に明確な優位を持たない時期も存在したようだが、40年以降にスコットランドのカードナルド工場で製造された物は非常に優秀で、英海軍だけでなく各国大口径弾の中でも上位に入る性能を持つとされる。
なお二次大戦時の砲弾はそれ以外にもハドフィールドとファースの2社に加え、米国企業も製造しているので、これらの間には性能差があったことになる。

最後に少なくともNAaB上では、英主砲弾は口径相応の貫通能力を持つと設定されており、本ページで行う安全距離の評価などもこちらの数字を基準に書いたものである。

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補足2 二次大戦期の英戦艦砲戦ドクトリンについて
まず英戦艦の新戦艦や大改装艦などの特徴の一つとして、箱型に近い低めの塔型艦橋を挙げる事ができる。
この頂部には、方位盤、測距儀、射撃指揮所と言った指揮設備が一体化した射撃指揮塔を設けるが、他国戦艦比較して相対的に低い位置にあり、また測距儀は小型で測距能力の低い物なのが特徴である。
これには振動対策という面に加えて、当時の英海軍が想定していた交戦距離の短さが表れている。

戦間期の英海軍は、観測機の使用が可能であれば20km台後半のような遠距離戦闘も選択肢としつつも、戦闘教則では決戦距離である16000~12000ヤード(14.6~11km)まで迅速に距離を詰める事を重視している。つまり日米海軍などと比較するとかなりの近接主義であった。
後述するように一次大戦後には、今後30km程度の超遠距離砲戦が実現するとして、これに対応すべく6~8インチ程度の水平装甲を持つ16もしくは18インチ砲艦の計画が存在していた。
しかし20年代後半にはこの考えはトーンダウンし、新戦艦の計画に至るまで上記の近接主義が主となる訳である。

それには複数の理由を挙げる事ができる。
第一に主戦場の北海は視界が悪く、遠距離での観測に支障をきたす点。そして20年代当時はフッドとネルソン以外の戦艦(30年代も大改装艦4隻が加わるのみ)は最大仰角が低く、物理的に射程が短いままであった点。 
また弩級艦の誕生時より遠戦志向の背景の一つに、魚雷の射程外で戦いたいという思想が存在するが、戦艦の水中防御改善や回避運動の実施、そもそも英艦隊は数で勝るのでこちらが水雷戦を仕掛けるといった点から、射程内での戦闘が許容された点。

これらに加えて根本的な理由と思われるのは、遠距離戦闘では命中数が少なくなり、敵に決定打を与えられない可能性が高まる点である。
ユトランド海戦(同海戦は遠距離砲戦以外も普通に行われたが)では、様々な理由があったとは言え、最終的に英艦隊は戦力で上回りながら、敵艦隊に十分な打撃を与えられずに不甲斐ない結果に終わってしまった。
そして同海戦の自国巡戦を襲った爆沈は対策が取られた今は可能性は低く、徹甲弾の性能が大きく向上したとはいえ、沈めるには多数の命中弾が必要となる。 
こうして英海軍が辿り着いたのが、会敵後T字を取られる覚悟で艦首を向けて突撃し、日米の想定よりさらに近い距離まで接近しての決戦という、ネルソン時代の精神を受け継いだかのような見敵必殺志向である。

そして二次大戦時の実戦では大規模な艦隊決戦こそなかったが、ビスマルクを相手にしたデンマーク海峡海戦とその後の追撃戦における砲戦が、まさにこの戦術を実行に移した代表例と言える。
この際に前者ではフッドが距離を詰めた後返り討ちにあってしまうが、ビスマルクを作戦中止に追い込む損傷を与えており、そして後者でKGV並びにネルソンは手負いとはいえ、同じ相手に多数の命中弾を与えて勝利する結果になった。
一方でカラブリア沖海戦のように遠距離戦に終わった海戦や、またビスマルク級の装甲配置を知った後、新戦艦については2万ヤード以遠での砲戦を行うよう定めるなど、近接主義に反する例も普通に確認できる。

なお敵艦隊に確実に決定打を与える必要があるという考えは、一次大戦期では消極的だった主力艦の夜戦投入を研究する流れにも発展している。こちらはマタパン沖の夜戦での戦果に繋がる事になる。

最後に本ページの内容に関連しそうな点を雑にまとめておきたい。

艦首を向けての接近時は、距離の変化が大きく、加えて照準線に対する左右方向の動揺に対処する必要があり、通常の戦闘よりも射撃程度を低下させると思われる。
その上でフッド以前の未改装艦では、上記の2つの要素が指揮装置の能力を超えてしまい、射撃精度を極めて低下させる可能性が高い。
接近に成功した場合、一部未改装艦の弱体な水平防御をカバーする効果もあるが、逆にそれらの艦は接近時に被弾落伍して決戦に参加できない可能性も。
近距離戦闘を主とした場合、水平装甲の価値は相対的に低下するが、接近するまでの被弾対策と航空爆弾への防御として必須である。
接近時に艦首を見せた際の前部弾薬庫防御として、新戦艦や改装戦艦の一部ではQE級の解説で述べた「傘」装甲が導入された。
これを持たない非大改装QE級2隻、R級、レパルス、フッド、ロドニーはこの部位が弱点になる可能性あり。
決戦距離においては、格上相手でも垂直装甲や砲塔への貫通弾もしくは多数の命中弾で戦闘力を奪う可能性がある一方、被弾時には自身も危険になるのは言うまでもない。
基本的には一対一というよりは、数的な優位を持った上で確実に相手に打撃を与える際に適した戦術。同時に一次大戦後の英海軍には適した物だろう。

 

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R級戦艦

1913~14年起工 1916~49年
190.3m 31,560t(常) 33,200t(満)  42口径15インチマーク1 連装4基8門  22~18ノット

装甲厚
解説内に別途記載

上部装甲帯→甲板 あり
上部装甲帯→傾斜部 あり

船体 長船首楼型

・竣工時の艦の概要と装甲配置
続いてロイヤル・サブリン級戦艦(リヴェンジ級とも。さらに頭文字からR級とも呼ばれ、以下はこの呼称を用いる)について。

本級も引き続き15インチ砲8門を搭載する戦艦ながら、ドイツとの建艦競争が続く中でのコスト削減と石油供給の不安から、機関は石炭併用で最大速力は平均的な21ノット、前級より規模を抑えた艦として計画。
そして14年より再び第一海軍卿の座に就いたフィッシャー提督の意向により、最終的には重油専焼、速力23ノットの艦となるも、それでもQE級よりやや規模の小さい艦として完成した。

また設計は1912年よりワッツに変わって造船局長に任命された、ユースタス・テニスン・ダインコートの元で行われた。
艦の特徴としては先述した点に加え、後述する装甲配置の改正の他、副砲は前2級のような後部砲郭は設けず、上甲板上の砲郭に片舷6門、船首楼甲板上に露天(のちにケースメイト化)で片舷1門ずつの計14門を搭載。

早速配置について見ていくと、船体は第三砲塔まで船首楼が伸びる長船首楼型。重要区画上を通る甲板は主に船首楼上中下の4層となる。
重要区画内の垂直装甲は、中甲板までの高さに上部でテーパーしない厚さ13インチの主装甲帯を設ける。この上には上甲板まで6インチ、副砲砲郭の範囲で船首楼甲板までの高さに6インチと上部装甲帯を設け、乾舷全体を防御。
重要区画外では、艦尾共に全長の6割程の範囲に中甲板までの高さに装甲帯を設け、厚さも共に6~4インチ。

水平装甲は重要区画内では船首楼1インチ、上甲板1.25~1インチ、中甲板2~1インチと主に3層を装甲化。中甲板は2インチ厚の傾斜部となり、下甲板を突き抜けて装甲帯の下端に接続する。
重要区画外については、艦首は中甲板と第一船倉甲板が基本1インチ(後者は艦首に接続する範囲で2.5インチ)。艦尾は中甲板1インチ、そして下甲板が舵機械室の上を覆う形の亀甲甲板が2~4インチ。
主砲塔は前盾13インチ、天蓋4.25インチ、バーベット10インチ。副砲砲郭は6インチ。
その他の部位としては煙突基部1.5インチ。また重要区画の範囲を全通する形で1.5インチの水雷防御縦隔壁を設ける。

装甲材質は同一。そして配置は大部分が前級から受け継いだものだが、重要区画内の2点が主な変更点となる。
一つ目は主装甲帯。前級のこの部位は上部がテーパーする特殊な形状であったが、これを取りやめている(また本級は水線下の部分も殆どテーパーしていない)点。
これに伴い要する重量は増えたものの、13インチ最厚部の高さが中甲板までに拡大し、また製造コスト削減にも繋がった。
もう一つは水平装甲。前級と同じく重要区画上で3層(後部弾薬庫上は2層)の甲板を装甲化しているが、前級ではそれが船首楼上下であったのに対して、本級は船首楼上中に。つまり一番下層の装甲が一段分高い中甲板となり、ここに亀甲状の2インチ装甲を設けた点。

後者の改正に対して前任者であるワッツは、前級までの配置に比べて砲弾が各甲板を抜いて重要区画に達する確率が高く、防御上の問題となり得ると批判している。
これに対してダインコートは、石炭庫(既存の艦では下甲板から中甲板の範囲にも存在)を持たない艦は、重要区画外の艦内で炸裂した砲弾による被害が拡大しやすい、つまり多重防御の内側で攻撃を防いでも、その外側の区画の水密を失い艦の復原性に危険が生じる。
それを局限するためには、より高い位置に水平装甲を設ける必要があるとし、暗に前級の装甲配置を批判しつつ反論したと言う。
(もっとも先述したように、本級も元は石炭庫を持つ艦として計画されている。この配置は石炭庫の下にある水平装甲を廃することで、供炭を容易にすると言うのも目的の一つだったりするが)

両者の主張どちらが防御として正しいかと言うと、これは砲弾側の性能によって左右されるとしか言いようがない。 
装甲艦エディンバラへの射撃実験の結果をみるかぎり、装甲の近くで大弾片が発生するような炸裂をした場合、一番下層の水平装甲で受け止めるにはHTなら3インチ程度は欲しいという結果が出ている。
よってその場合には本級の中甲板装甲では不十分であり、位置が高くなった分砲弾が達する可能性が増して危険というワッツの指摘は事実である。
しかし当時の砲弾性能では、外側を抜いた直後に自爆するか破砕されている場合も多くあり、そのような被弾例が主となる環境においては、ダインコートの主張も十分理解出来る物である。

この他の特徴としては、完成が遅れたラミリーズのみ主装甲帯より下を覆う形でバルジを追加して完成している。これは実験用を除けば英戦艦における初期の採用例となる。

竣工時の評価  
防御面は上の通り、QE級のマイナーチェンジ版。その中で賛否のある水平装甲の改正はともかく、主装甲帯の最厚部範囲が増した点は純粋に改善点と言える。
また攻撃面も主砲含め同じ物だが、水平装甲の改正に伴う重心の変化などで、QE級よりもGM値が低下しているのが影響している。
一般的に復原性の低下というとネガティブな意味を持つが、同時に動揺周期が長くなって砲術上有利という面もあり、本級では殆ど意図的に設計された物である。そして用兵側からも好意的に受け入れられている。

以上のように、竣工時の本級は大雑把に言うと、速力面以外はQE級と同程度が若干上回る能力を持つ艦である。
戦時の量産艦というイメージや、老朽化した第二次大戦期の評価から侮られる事も多い艦だが、少なくともこの時期においては当時最も強力な戦艦の一つと言うのは間違いないだろう。

以降の改装について
竣工後はユトランド後に水平装甲を若干強化した他、20年代半ばまでにはラミリーズ以外の艦もバルジの追加やその改正を実施、また船首楼甲板上の6インチ2門を撤去し対空兵装の強化なども行われた。
一方で第二次ロンドン条約で代艦規定が消滅するまで、本級はQE級よりも早く廃艦が予定されるなど、戦力としての評価を一次大戦期よりも下げていた。
それもあって他艦の大改装が行われた30年代、他艦と比較出来る規模の改装を実施したのはロイヤルオークただ一隻のみとなっている。

以前はQE級を上回る部分もあったのがこの時期に評価を下げた一因は、本級のコンセプトである比較的小型で復原性を意図的に低い艦とした点に由来している。
比較的小型で全長が短い事は、対空兵装等を増設するスペースが限られる事を意味し、また低い復原性能は改装による大幅な重量増加を危険にし、本級の拡張性を低い物としてしまった。
これらは建造時は想定していなかったであろう、長期的な運用や改装が必要な当時の環境において、比較的速力が遅い点と共に本級の大きな足かせになってしまった。

唯一戦間期に強化を行ったロイヤルオークは、34~36年にかけてQE級で言うとマレーヤに近い規模の装甲強化を含む中規模改装を実施(なおカタパルトは固定式ではなく第三砲塔上に)。
この際に中甲板の平坦部に弾薬庫4インチ、機械室2.5インチの均質装甲を貼り足し、缶室を除く重要区画の水平装甲を強化している。

そして他の艦もまた、同艦のような内容の改装計画が存在した他、開戦後には後述予定のキャサリン作戦に関連した大胆な物なども提案されるが、いずれも情勢や期間の問題で実現せず。
最終的にはリヴェンジを除く3隻が戦時中、応急処置的に弾薬庫上のみ2インチ(2.5インチとする資料も)の均質装甲を貼り足すに留まった。
さらにレゾリューションはこの改装も一部分のみに留まったと言う。

表の解説
垂直装甲や砲塔防御などは、数字の上ではQE級とほぼ同等であるので、相違点のある水平装甲のみ扱いたい。
該当部位の装甲厚と計算結果(なおロイヤルオークの強化部位はQE級とほぼ同じぐらいなので下のみ)は以下の通り。

ロイヤル・オーク
水平装甲(弾薬庫) 38mmHT → 102mmNCA+25mmHT → 9mmHT ≒ 128mmNCA
水平装甲(機械室) 25mmHT → 32mmHT → 64mmNCA+25mmHT → 9mmHT ≒ 98mmNCA
水平装甲(缶室) 25mmHT → 32mmHT → 25mmHT若しくは25mmHT×2 → 9mmHT ≒ 61~72mmHT

ロイヤル・サブリン、ラミリーズ、レゾリューション一部
水平装甲(弾薬庫) 38mmHT → 51mmNCA+25mmHT+25mmHT → 9mmHT ≒ 94mmNCA
水平装甲(機関部) 25mmHT → 32mmHT → 25mmHT若しくは25mmHT×2 → 9mmHT ≒ 61~72mmHT

装甲部位\艦砲 8インチ 28cm 41年式36cm 14インチマーク7 15インチ 16インチ 46cm
水平装甲(弾薬庫)  28kmまで 29.5kmまで 24kmまで 23kmまで 22.5kmまで 22.5kmまで 19.5kmまで
水平装甲(機関部) 22km
~25kmまで
16.5km
~22kmまで
11km
~12.5kmまで
10km
~12kmまで
9.5km
~11.5kmまで
9km
~11kmまで
8.5km
~9.5kmまで

なお弾薬庫上の中甲板でユトランド後に応急処置として貼られた25mmHTがあるが、改装時における扱いは不明。ここではQE級と同じく撤去と推定。
やはりロイヤルオークの強化部位以外は十分な強化がなされておらず、特に未強化の機関部は有効な遅動信管を持つ戦艦砲弾なら容易に重要区画に達するだろう。 
そもそも装甲に関する改装を受けていないリヴェンジは弾薬庫も危険で、防御上の重大な弱点となる。

表に乗らない部分
ここも多くはQE級と重複してしまうので、異なる点について解説する。
まず上部装甲帯から中甲板を抜いて重要区画に達するルートについて。この部位も未強化艦はやはり無力だが、それらの艦は水平装甲のみを抜く通常のルート自体無力なので、特に弱点なる訳ではない。
そして強化がなされた艦の部位は一定の防御力を持つのも変わらず。

一方で上部装甲帯から中甲板の傾斜部を抜くルートについては注意が必要である。本級は傾斜部と装甲帯の上端が両方中甲板までと同じ高さにあり、図(未掲載)を見れば分かるように位置関係的にこのようなルートが比較的発生しやすい。
その場合の防御力は152mm上部装甲帯→51mm甲板傾斜部と、これも元々の水平装甲が弱体な艦であれは特に弱点とはならないが、その部位をせっかく強化したロイヤルオークにとっては重大な問題となる可能性があるだろう。

もう一つ防御範囲の話をすると、先述したように本級はQE級と比較して水平装甲の下層が一段上にあり、ダインコートの主張するように重要区画外への損傷に対する浮力維持により積極的である。
ただしこの時期では、未強化部位の素の装甲が薄すぎるという点があり、そもそも重要区画まで被害が達する可能性が高いので大きな意味はない。唯一ロイヤルオークのみある程度はその恩恵を得られるだろう。
なお同艦も贅沢を言うなら、中甲板で傾斜部とは別に平坦なまま舷側に達する部分にも2~3インチ程度の装甲があれば、上部装甲帯→傾斜部ルートの防御も含めより有効だったろう(そんな事を言うとQE級の大改装艦みたいにまず機関換装して重量捻出から~という話になるが)。

二次大戦期の評価
二次大戦期の本級は、QE級と同じく主要部位は徹甲弾の進歩に追い抜かれた感がある上に、ロイヤルオークを含む5隻すべては同級の大改装艦と比べると、程度の違いこそあれ弱点を残す形で艦歴を終えている。第二次大戦期の戦艦としては不十分な面が大きいだろう。
攻撃面では砲弾はmk.17Bに対応し威力的には十分な物。ただし仰角は20度のままで強装弾運用も実際はという事で、実戦ではそこまで起こらなったし先述したドクトリン的に可能性は低いが、遠距離戦闘には向かない程度の射程。
他には一部艦では機関の老朽化がひどく、不調時には18ノットぐらいしか出ない物もあったり、旧式戦艦としても苦しい面も。

以上のように竣工時は最強クラスであった本級だが、この時代は改装が不十分な艦が多い事もあり、まったく異なる低い評価をせざるを得ない。
新戦艦編のラストで書いた「戦艦なんてR級より強ければ~」という発言も、あながち暴言とは言い切れないのが本音である。
二次大戦期の列強海軍の主力艦の間で本級に劣るとなると、直接戦闘能力のみで考えた場合であっても、巡戦や大型巡洋艦的な要素の強い艦の他、攻防面の改装が本級と同じく不十分な仏旧式戦艦やソ連ガングート級程度ではないだろうか。

なお酷評はしているものの、実戦の場では船団護衛中のラミリーズがシャルンホルスト級の2隻に襲撃を諦めさせるという戦艦らしい存在感を見せる事もあった。(シャルンホルストが護衛艦を引き離している間にグナイゼナウが襲撃する計画だったが、これに乗らなかった形)
ドイツ水上部隊は貴重な戦力をすり減らしたくないので、敵艦との交戦を避ける傾向が非常に強かった(別の機会では軽巡相手に逃げた例も)のが実態だが、実際に戦闘になってもそう簡単にやられる事はないだろう。
特に同級の主砲は口径が小さく低平な弾道で、最大の懸念である弾薬庫水平装甲が一定の安全距離を確保出来る点が大きい。
また仮に敗れたとしてもフッドを撃沈した後のビスマルクのように、少なくない損傷を受けて任務中止か最悪の場合追撃で喪われるリスクを負わせる事になると考えられる。

キャサリン作戦
同作戦は1939年以降、再び海軍大臣に就いたチャーチルによって計画された(一次大戦からまだ諦めていなかった)バルト海侵攻作戦である。
前回のそれで目玉だったのは高速軽装甲のハッシュハッシュクルーザーだったが、今回はR級等の旧式戦艦に水中・水平防御と対空能力の強化などの改装を行い、大型低速の重モニター艦とでもいうべき兵器とする案が研究されている。

39年10月の改装案を見てみると、まず水平装甲は厚さ不明だが他艦とは違い上甲板に追加。
これでは上部装甲帯への被弾に対する防御力は殆ど改善しないが、砲戦ではなく航空爆弾への対処をメインとした場合は防御範囲の面でより優れた物となる。
そして水中防御を強化しつつ吃水を減少させるため、ガロッシュ(靴の上に履く靴の一種)と呼称された二重の大型バルジを設置。これに伴い全幅は42mを超え、外側は入らないのでドック外で工事を行う予定であった。また速力は16~13ノットに低下するとされる。

結局は実行されなかった同案だが、その後もチャーチルは陸上砲撃艦のアイディアを諦めておらず、また作戦自体はともかく未改装のR級では何かしらの強化は必要とされ、その後も似た改装案が何度か提案されている。
その一つはダカールで被雷したレゾリューションの修理時に提案された物である。
この際には4インチの装甲を上甲板に設けるのに加えて、上甲板の開口部にも穿孔した5インチの装甲で防御、つまり蜂の巣甲板の使用が確認できるのは注目すべきだろう。

 

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レナウン級以前の巡洋戦艦について

世界初の巡洋戦艦と言えば1908年より竣工するインヴィンシブル級だが、同級をおおざっぱに評すると、ドレッドノートと同じく大口径砲と速力の持つ優位を既存の装甲巡洋艦に与えた艦である。
つまり装甲巡洋艦における弩級艦とも言うべき存在である。

なお本級の計画時にはまだ「巡洋戦艦(Battlecruiser)」という呼称は認知されておらず、新型の装甲巡洋艦として計画されている。

そもそも装甲巡洋艦と言うものは艦の規模にもよるが、舷側装甲帯を持つなど中小口径弾への防御に優れ、非装甲、もしくは甲板装甲のみを持つ防護巡洋艦といった他の巡洋艦に対して優位を持つ。
その戦闘能力はさすがに戦艦に及ぶものではないが、それでも速力は20ノット超えの艦が多く、戦艦で補足することは難しい。
このような艦が各地で通商破壊戦を行った場合、英海軍にとって大きな問題である。
そこで19世紀の終わりから英海軍もフランスやロシアに対抗する形で装甲巡洋艦の整備を進めていたが、本級はそういった装甲巡洋艦を狩る、さらに強力な装甲巡洋艦と言うべき存在である。

また本級もフィッシャー提督の考えが大きく反映された艦であり、むしろ今後は水雷兵器の発展で低速艦の使い道が限られると予想していたフィッシャーにとって、こちらが本命と言うべき艦であった。
なお計画時には一回り小さい9.2インチ砲を16門搭載する艦を希望しているが、こちらもベーコン大佐により説得されている。
最終的に戦艦案と同じく12インチ砲を多数搭載し、他の装甲巡に2~3ノット優速な25ノットの装甲巡洋艦として完成する。

なお弩級戦艦の研究が、英国だけでなく同時期の日本やアメリカ海軍でも行われていたのと同じように、巡洋戦艦につながる要素を持つ装甲巡洋艦の計画も他国で進んでいた。
一つは米テネシー級や伊ピサ級、さらに日本の筑波型にロシアのリューリクなど、10インチ以上の艦砲を4門搭載する艦。
これは単一巨砲とはならないが、戦艦に匹敵する火力を持つことから、インヴィンシブルに対する「前(準)弩級巡洋戦艦」と言うべき艦である。
そして独シャルンホルスト級にブリュッヒャー、仏エドガー・キーネ級といった、8インチ付近の中口径砲を多数搭載した艦も存在する。
といっても弩級艦研究とは違い、本級の様に主砲を大口径砲で統一した装甲巡洋艦に関しては、完全に英国が先を言っていたようだ。

本級の装甲については実は下の方にあるおまけで扱っているが、こちらでも少し。
重要区画内は中甲板の高さまでに6インチの装甲帯を持ち、その外側には装甲帯が艦首にもあるが艦尾には存在しない。
水平装甲は下甲板に38mmの装甲を持ち、同甲板は傾斜部を経て装甲帯の下端に接続する。
これは装甲巡洋艦マイノーター級をベースにしたもので、艦尾の装甲帯がない等劣る面もあるが、基本的には大きな差はない。
装甲巡が持つ9.2インチ以下の砲、もしくは戦艦主砲の榴弾を自身の交戦距離で防ぐ程度の装甲である。
つまりそういった砲を持つ通常の装甲巡洋艦に対して、戦艦の火力を持つこちらは大きな優位を持つことになる。

一方で上で挙げた大口径砲を4門搭載する他国の装甲巡洋艦に対しては、近距離では本級の装甲帯が抜かれる可能性もなくは無い。
また装甲を比較すると、本級は装甲厚若しくは防御範囲で上の装甲巡洋艦に劣る面も存在する。
と言う風に若干不安要素はあるが、基本的にドレッドノートとロードネルソンの関係と同じく、速力の優位と遠距離砲撃の火力で本級が圧倒する形になるだろう。

本級は日露戦争にて日本海軍の装甲巡洋艦が活躍したことを受けて、艦隊戦時には自軍の戦艦を支援するために戦艦とも砲戦を行うことが想定されていた。
実戦では射撃場の様にうまく装甲は抜けないものだが、それでも6インチと言う厚さは戦艦主砲の徹甲弾へは不足している。
相手が前弩級艦でもない限り戦うのは難しいと思われるが、普通の装甲巡洋艦と比べると主砲が通用する可能性があるだけましか。
単独での殴りあいは避けたいが、自軍の火力支援なら活躍できただろう。

インヴィンシブルに続く高速艦としては、当初垂直装甲最厚部が9インチ若しくは10インチと、より重装甲の高速戦艦的な要素を持つ艦が研究されていた。
ところが建造費の問題もあり、後の計画案は速力や装甲厚は前級のままで、主砲は9.2インチ砲を8門のみを搭載する艦、つまり主砲口径を統一しただけの装甲巡洋艦に退化してしまう。
既にドイツ海軍の巡洋戦艦(大型巡洋艦)フォン・デア・タンの情報は入ってきていたが、これでも同艦以外の各国巡洋艦に対しては、速力の優位を持ち十分な戦力として考えられていたらしい。
ただその後、ドイがさらに巡洋戦艦の整備を進める事が判明。この案では対抗できるわけがなく、結局は前級インヴィンシブルのマイナーチェンジ版がインディファティガブル級として建造された。

同級は防御面は大きな変化ではないが、前後部弾薬庫の装甲帯が4インチ(2・3番艦は5インチ)に減厚。それを犠牲に艦尾の装甲帯や煙突基部への榴弾防御、上甲板水平装甲の範囲拡大と、防御範囲を増している。
基本的に攻防力はあまり向上しておらず、主に防御面で同時期のドイツ艦と比較すると劣ることは否めない。
大戦後にダインコートが回想したように、やや時代の進歩に取り残された感もある。

次級ライオン級は、同時期に計画されたオライオン級と同じく、既存の艦を上回る13.5インチ砲を搭載し防御面にも向上が見られる。
また速力も28ノット近くと、前級より全体的に強化された艦である。
(本級の計画時には既に巡洋戦艦という用語も定着していたらしい)
重要区画の装甲は、まず中甲板までの高さに主装甲帯があり、最厚部は9インチと前級の1.5倍に。
さらにこの上部には、上甲板までの高さにも6インチの装甲帯が新設され、中小口径砲や戦艦榴弾への防御範囲は大きく広がった。
ここまではかなりの強化と言えるが、前後部弾薬庫横の主装甲帯は6~5インチしかなく、この部分は前級までとあまり変わらない。
一応インヴィンシブルの頃から、弾薬庫側面には2.5インチの装甲が内部に設けられており、これ含めた防御力はそこまで弱体ではない
ただ装甲帯のみでは同時期のドイツ巡洋戦艦が持つ11・12インチ砲を防ぐのには不十分である。
水平装甲はオライオン級と同じく上甲板38mm下甲板25mm。

本編で紹介するレナウン級以前の英巡戦(つまりここで紹介する艦)の装甲配置は、以降このライオン級をベースにしたものとなる。
排煙問題への対策や重量砲弾を使用するなどの改正を受けた、準同型艦のクイーン・メリーも特に変わらない。
一方で最後のタイガーはアイアンデュークと同じ流れで、副砲を6インチに強化したのに伴い、それを守る6インチの装甲帯が上段(船首楼まで)に追加された。

また日本戦艦編でも触れたが、同艦は主装甲帯の下端に3インチの装甲が追加されている。主に至近弾による浸水を防ぐ目的があったらしい。

第一次大戦時の英巡戦主力であるこの四隻の内、クイーンメリーは弾薬庫誘爆により敢え無く沈んでいるが、その原因は何度も言うように、装甲の厚さよりも装薬の取り扱いの問題が大きかった。
それ以外はユトランドでの戦いぶりを見ればわかる通り、インヴィンシブル級やそれ以前の英装甲巡洋艦ほど貧弱というわけでない。
ただし先述した前後部弾薬庫の減厚部分は、本級の防御上かなりの弱点となっているのは残念な点だ。
さらに徹甲弾の問題もあり、ドイツ艦に比べて口径ほど火力の優位を持たない事を考えれば、ザイドリッツやデアフリンガーと言った艦に対して、個艦では厳しい物があるのではないだろうか。
(ザイドッツは砲塔が薄いままなのが幸いだが、デアフリンガーはどうだろう)

その後は15インチ砲8門に、戦艦並の装甲を持つスーパー・ライオンとかスーパー・タイガーと呼ばれる案が検討されていたりもするが、実現には至っていない。

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レナウン級巡洋戦艦(改装後)

レナウン 1915年起工 1916~45年就  23~26年、36~39年改装
242.2m 32,000t  15インチ42口径マーク1 連装3基6門  31ノット
装甲厚
垂直装甲(弾薬庫) 229mmKC微傾斜 → 25mmHT×2+51mmNCA傾斜50度(内傾) 82
垂直装甲(機関部) 229mmKC微傾斜 → 25mmHT×2傾斜50度(内傾)
砲塔前盾 229mmKC傾斜30度(内傾)
バーベット(露出部) 178mmKC
バーベット(艦内部)38mmHT → 102mmKC
水平装甲(弾薬庫) 19mmHT → 12mmHT → 102mmNCA+25mmDS ~ 51mmNCA+25mmHT×2 → 25mmHT×2 ≒ 141/123mmNCA~109/90mmNCA    116  82
水平装甲(機関部) 32mmHT →12mmHT → 38~51mmNCA +25mmDS ≒ 84~72mmNCA   66  54
砲塔天蓋 108mmKNC傾斜0~5度/横傾斜数度

上部外殻→甲板 あり
上部外殻→傾斜部 あり → なし

船体 長船首楼型

レナウン安全距離

装甲部位\艦砲 8インチ 28cm 41年式36cm 14インチマーク7 15インチ 16インチ 46cm
 垂直装甲(弾薬庫) 2.5km以遠  19.5km以遠 27km以遠  31km以遠  安全距離なし 安全距離なし  安全距離なし
 垂直装甲(機関部) 10km以遠 24km以遠 31km以遠
32km以遠 安全距離なし  安全距離なし 安全距離なし
 砲塔前盾 8.5km以遠  安全距離なし  安全距離なし 安全距離なし  安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
バーベット(露出部) 13.5km以遠
(15km以遠)
31.5km以遠
(34.5km以遠)
35km以遠
(安全距離なし)
34km以遠
(安全距離なし)
安全距離なし  安全距離なし 安全距離なし
 バーベット(艦内部) 16.5km以遠 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
安全距離なし
 水平装甲(弾薬庫) 貫通不能  34.5km
~31.5kmまで
 
27.5km
~23.5kmまで 
27km
~22.5kmまで 
26.5km
~22kmまで
26.5km
~22kmまで 
26.5km
~18.5kmまで 
水平装甲(機関部) 26.5km
~25kmまで 
28.5km
~25.5kmまで 
 22.5km
~19.5kmまで 
21.5km
~17.5kmまで 
20.5km
~16.5kmまで
20km
~15.5kmまで 
16.5km
~12.5kmまで 
 砲塔天蓋 29km
~27.5kmまで
30.5km
~28kmまで
 
24.5km
~21.5kmまで
24km
~20kmまで
23.5km
~19.5kmまで
23km
~19kmまで
19.5km
~11kmまで

:

垂直装甲(弾薬庫30度) 貫通不能、13.5km以遠、20km以遠、23.5km以遠、28km以遠、31.5km以遠、40km以遠
垂直装甲(機関部30度) 5km以遠、19km以遠、24.5km以遠、28.5km以遠、安全距離なし、安全距離なし、40km以遠

次に取り上げるレナウン級は、元はと言えばR級戦艦の6・7番艦として建造される予定だった二隻である。
しかし第一次大戦が始まると、フォークランドやヘルゴラント・バイトでの戦いにて巡洋艦キラーとしての巡洋戦艦の価値が改めて認識される事となる。
フィッシャー提督の尽力もあって、二隻は急ピッチにて新設計の巡洋戦艦として設計・建造された。(R級8番艦レジスタンスは幻に)

主砲は門数こそ6門と少なめだが、そのかわりにQE級やR級と同じく15インチ砲を搭載。当時最大の火力を持つ巡洋戦艦となる。
また最大速力はついに30ノットを突破し31ノット台を発揮と、高速大火力という巡洋戦艦を体現するような艦である。
そして本級は防御力を犠牲にする点も受け継いでいる。垂直装甲に至っては6インチ厚の主装甲帯のみとなり、
これはライオン級やタイガーといった以前の英巡洋戦艦に比べて、主装甲帯の厚さ、全体の装甲範囲共に大きく劣るものである。
それどころか、最初期の巡洋戦艦であるインヴィンシブル級(若しくはその基となった英装甲巡洋艦)と同程度と言える程まで退化してしまった。

本級の建造中にユトランド海戦が発生するも、根本的な防御力不足を改善することはできずそのまま竣工。
そのため戦間期には複数回に渡り装甲に関する改装を行っている。
本級はその際に水平装甲の強化だけでなく、垂直装甲を強化した数少ない艦の一つである。
この垂直装甲に関する改装を含め、改装の時期や内容はレナウン・レパルスで異なる。そのため解説も分けて書いて行きたい。



まずはレナウンについて、いつも通り垂直装甲から
実は本級の装甲帯は船体中央部でも傾斜が確認できる。カレイジャス級と同じく、フッドに先行する傾斜装甲の採用例と言うことで注目に値する。
ただ角度自体は浅く、効果の程は大したものではないので表には反映していない。

竣工時は厚さ6インチの主装甲帯のみを中甲板の高さまでに配置している。
中甲板と言うと、ライオン級などと同じ高さに思えるかもしないが、本級は船体形状の都合で重要区画上の最も下を通る甲板が中甲板となっており(弾薬庫上のみ下甲板を有する)、そこまで高くない。
さらにライオン級以降の英巡洋戦艦は、主装甲帯以外にも上部装甲帯を上甲板(タイガーは副砲防御の為に船首楼甲板)までに持っていることを比較すると、
本級はインヴィンジブルと同じく非常に狭い(低い)装甲範囲しか持たないことになる。

一応インヴィンシビルの防御はフォークランド沖海戦で示されたように、巡洋艦との戦闘では十分であり、また戦艦の榴弾に対して致命傷を受けない程度の装甲範囲を有している。
一方で徹甲弾へは、ドイツ11インチ砲含め不十分であり、本級も大差ない防御ということになるが、20年代の改装にてこの装甲帯をを撤去。
代わりにライオン級などと同等の9インチ厚の装甲帯を中甲板の上、元の主装甲帯より少し高い範囲にまで配置している。
改装当時は軍縮条約により垂直装甲の強化は禁止されていたが、予定されていた工事が遅れていた為、本艦は特例として認められた。
これにより装甲範囲では依然劣るものの、前後部弾薬庫横で6~5インチまで減厚するライオンからタイガーといった巡洋戦艦を上回る主装甲帯を獲得している。

さらに弾薬庫に関しては30年代に水平防御を強化した際に、HT鋼からなる中甲板傾斜部にも均質装甲を貼り足し、多重防御を強化している。
それでも表の方を見ると、やはり改装後でも9インチと言う厚さ自体、戦艦と比べると薄い部類に入る為安全距離は狭い。
ユトランド時の12インチ砲程度に対しては十分な程度に強化されたが、改装を受けた自艦の15インチ砲を含めこの時期の主力戦艦の砲撃に耐えられるものではない。
さらに大型巡洋艦勢のより新しい11・12インチ砲相手でも不足することになるが、もちろん巡洋艦の8インチ砲に対しては、この時代でも十分な防御である。

砲塔前盾は229mmで、一応竣工時よりライオン級等と同等だが戦艦と比べると薄い。
興味深いのがユトランドで砲塔への被弾が3隻の巡戦にとって致命傷になったことを受け、被帽脱落を主な目的とした装甲を増設していた時期がある点だ。
これは太さ25mmの鉄柵を19mmの鋼板で覆ったもので、現代の装甲車に設置される金網状の増加装甲と似たようなものか。
→調べたらそれっぽいのが出てきたのでリンク掲載
ttps://www.google.com/patents/US1385897
これによると開発者は前世紀の装甲発展期に活躍したトレシダー大佐。
英海軍はこれを全戦艦に追加する予定だったそうだが、実験により既存の徹甲弾へは効果を発揮するものの、ユトランド以降に開発された新型徹甲弾(後述)への効果は薄いと判明。
本級を含む一部の巡洋戦艦のみに設置されたが、写真等を見てもそれらしいものは見つからず、早々に撤去されたと思われる。
と言うわけで普通に229mm装甲で計算したが、こちらも大口径砲に耐えられるものではない。

バーベットも178mmと、のちの米重巡洋艦の一部に迫られる厚さしかない。
この部位も防御力は不足しているが、さらに重大な弱点となりうるのがバーベットが102mmまで薄くなる下部である。
通常上部装甲帯(若しくは甲板)を抜いた砲弾しか到達しない部分となるが、本艦は上部装甲帯をもたず、主装甲帯の範囲も薄くなる部分をカバーするほどではない。
そのため有効な遅動信管を持つ砲弾なら、38mmの外殻を抜いたあとに貫通力を殆ど失わないまま命中する可能性がある。その場合の防御力は178mm部分よりも下。
ただし、3番砲塔は178mm部分が一段低い位置まであり、そもそもこのルートが発生しない他、一番砲塔側面の外殻は厚さ3インチまで強化されている。
このルートについて懸念があるのは二番砲塔のみとなる。

水平装甲については、竣工時はいつも通り各甲板に薄いHT鋼を持つのみ。
まず20年代の改装にて、中甲板と弾薬庫上の下甲板にHT鋼を貼り足して応急処置としている。
弾薬庫上の中甲板は合計102mmとなるなど、材質を無視すれば当時としてはかなりの物に。
均質装甲を用いた本格的な強化は30年代後半に行われたが、この時には以前貼り足したHT鋼を撤去したりしなったりと、部位によって差が生じている。
ここでも中甲板が主な防御力を担う甲板となり、弾薬庫の一部を除いてHT鋼を撤去、かわりにD鋼と均質装甲からなる装甲を貼っている。
表の方を見ると部位内で結構差があるが、基本的には弾薬庫の一部や機関部に関しては点距離砲撃に対応できる程の強化ではないと言える。

装甲配置的についても一つ、竣工時の本級の装甲配置は、英インヴィンシブル級やそれ以前の装甲巡洋艦から受け継いだものだが、
これは同時期の戦艦と比較すると、垂直装甲を主装甲帯のみとした点から、後に流行する集中防御様式に近いものと言える。(重要区画内のみを見た場合)
一方有効な水平装甲を持たないと言う意味では、本ページで言う集中防御よりも旧式の配置に分類できるが、30年代の改装では主装甲帯の上端にほぼ接続する甲板に水平装甲を貼っている。
これにより改装後の本艦は、主装甲帯とその上端に接続する装甲甲板を中心とした装甲区画を形成しており、集中防御採用艦といっていい防御様式になる。
一方のレパルスはちょっと違う形になっているのが面白いのだが、具体的な解説はまた下で行いたい。

なおこの装甲配置だと、外殻→中甲板の水平装甲というルートも発生する。
本級の外殻は38mmと後の集中防御艦よりは厚く、横方向の角度によっては表の物と同程度の防御力は確保できそうだが、基本的に表の物よりも安全距離は短くなる。
具体的には弾薬庫 貫通不能/34~30km/27~22.5km/、26~21km/26~20km/26~19km/25.5~16km
機関部は25.5~23.5km/25~21km/17.5~13km/、15.5~12.5km/14.5~11.5km/14.5~11.5km/12.5~10km
こちらでは弾薬庫も一部は不安な防御力しかもたず、機関部は戦艦主砲に対して殆ど意味を成さないものに。

最後にまとめると、第二次大戦期において列強の主力戦艦との戦闘を行った場合、本艦(レパルスも大して変わらないから本級でもいいんだが)の装甲は無力である。
(戦間期に砲弾の更新を行わなかった艦に対しては話は別だが)
弾薬庫上の水平装甲のみ有効な防御力を持つが、遠距離でも垂直装甲を抜かれるためあまり意味はない。
搭載主砲は大改装QE級と同じ強力な物なので、ラッキーヒットを狙うか撃ち合わずに火力を一方的に生かせる戦場が必要となるだろう。

これは日本の金剛型も同じだが、大火力と速力を兼ねる本艦は、巡洋戦艦として条約下の英国にとって非常に貴重な戦力であった。
「巡洋戦艦は戦艦とは撃ち合えない」というのはこの本級が登場したユトランド海戦以降の常識であり、本艦もその常識の範囲内にある。
尤も、それを覆すような艦が早くも第一大戦後の英国海軍に登場してしまう。
その意味では本級は英国最後の純正な巡洋戦艦と言える。

レパルス 
1915年起工  1916~41年就 18~21、33~36年改装
装甲厚
バーベット(艦内部)152mmKC~38mmHT → 102mmKC

水平装甲(弾薬庫) 19mmHT → 12mmHT →   89mmNC+25mmHT×2 → 25mmHT×2 ≒ 139mm/124mmNCA
水平装甲(機関部) 32mmHT →12mmHT → 64mmNCA +25mmHT ~ 25mmHT ≒ 107mmNCA ~ 52mm/38mmHT

上部装甲帯→甲板 あり
上部装甲帯→傾斜部 不明 

船体 長船首楼型

レパルス安全距離

装甲部位\艦砲 8インチ 28cm 41年式36cm 14インチマーク7 15インチ 16インチ 46cm
 バーベット(艦内部) 9km
~16.5km以遠
25.5
~安全距離なし
33.5
~安全距離なし
34.5km
~安全距離なし
 安全距離なし 安全距離なし
安全距離なし
水平装甲(弾薬庫)  貫通不能  34.5kmまで  27.5kmまで 27kmまで  26.5kmまで 26.5kmまで  26.5kmまで 
 水平装甲(機関部) 29.5km
~14.5kmまで 
31.5km 
~10.5kmまで
25.5km 
~7kmまで
25km 
~7kmまで
24.5km
~6kmまで
24.5km 
~6kmまで
23.5km
~5.5kmまで 

次は2番艦レパルスの改装について見ていきたい。
第一次大戦後の改装で、薄い上に範囲の狭い6インチ主装甲帯を撤去し、その場所に9インチの装甲帯を設けたのは一番艦と同様。
(なおこの9インチ装甲帯は新規に製造された物ではなく、空母イーグルとして完成したアルミランテ・ラトーレ級二番艦に使用される予定だった物だとされる)
違う点の一つが9インチ装甲帯の範囲で、レナウンの物より若干低く、高さは中甲板までと元の装甲帯とあまり変わりはない。
そのかわりに、元の6インチ装甲帯を上部装甲帯として再利用して、これを主装甲帯の上に配置している。
結果として9インチの主装甲帯を中甲板まで、6インチの上部装甲帯が上甲板までに配置されている。
ライオン級と比べると、船体形状を加味すれば垂直装甲の高さは同等、主装甲帯は高さは若干劣るが、厚さは船体中央で同程度で、弾薬庫横の厚さで勝る程度には強化された。
またレナウンと比べると、こちらも主装甲帯の高さでは劣るが、6インチ部分を含めた垂直装甲全体の高さでは勝っている。

(元々この部分の改装はレパルスの方が先なので、レナウンの方こそ「二番艦とは異なり、6インチ装甲帯を再利用しない代わりに、より広い範囲に9インチ装甲帯を配置した」と説明するべきだったか)

さらに本艦も奥に控える中甲板傾斜部に貼り足しを行い、装甲帯を抜いた砲弾への防御力を強化している。
この部分は詳しい材質までは把握できなかったが、どうやら一番艦と同程度の厚さとなるようだ。
つまり表に使用する垂直装甲(主装甲帯→傾斜部)の防御力は一番艦と同程度となり、表の結果は省略。

砲塔関連もほとんど変わらないが、本艦は先述した6インチ装甲帯の分、一部のバーベット装甲はこちらが上。
(それでも8インチ砲以外に対しては誤差程度)

水平装甲は本艦も第一次大戦後に弾薬庫上はある程度の厚さを持っていたが、均質装甲を用いて大きく強化されたのは33年の改装になる。
改装後の弾薬庫や機械室といった部位の水平装甲は一番艦を上回り、英国の旧式戦艦の中では強力な部類に入るだろう。
一方でこの改装では近い時期に行われたマレーヤと同じく、缶室の強化を行わなかったのが特徴である。
そのため機関部の一時は実質竣工時のままで、弱体としか言いようがない。
一応同時に機関部の細分化を行ったので、竣工時よりは大きな被害を防げるとされているが、戦艦砲弾の炸裂に対してどこまで対応できるかは不明。
後に改装された一番艦やウォースパイトでは缶室上も強化されているが、やはり装甲があるに越したことはないと判断されたのだろう。
あとこの厚さでは、マレー沖海戦で使用された500kg爆弾でもかなりの損害が発生しそうだ。

なお表を見る限り缶室は8インチ砲にも普通に貫通されかねないが、甲板のみを抜くのではなく6インチの上部装甲帯を抜いて中甲板に達するルートなら、8インチ砲程度には有効な防御力を持つだろう。
ただし戦艦主砲が命中した場合、6インチの装甲帯や1インチしかない中甲板はとても耐えきれず、こちらも近距離から抜かれることになる。
また6インチ装甲帯を貫通したあとに、機関部や弾薬庫の中甲板に達する場合、こちらは装甲帯の分表の結果よりも広い安全距離を持つ。
そして6インチ装甲帯→中甲板傾斜部の場合は、表よりもはるかに近距離で抜かれることになるが、これは中甲板の水平部の範囲に依る。
仮に一番艦のように外縁部付近まで伸びる場合、このようなルートは発生しないが、実際の範囲が把握できていないので不明。

以上のように、本艦の防御面は一番艦と比べて長短の両方が見られる物である。
ただ攻撃面では砲弾がマーク17Bに対応せず(既存の砲弾も装甲を抜いて重要区画に達することのできる、徹甲弾として一定の性能を有しているが)、主砲仰角も20度で強装弾での運用も行われていなった。
実戦において20km台後半の命中弾が無かった事、英海軍の近接志向を考慮するとしても、総合的にみて英戦艦の中でも特に劣るものだったと考えられる。

アドミラル級巡洋戦艦(フッド)
1916年起工 1920~41年就
262m 42,672t(常) 42口径15インチマーク1 連装4基8門  31ノット
装甲厚
垂直装甲 305mmKC+19mmHT×2傾斜12度 → 32mmHT+18mmHT傾斜30度内傾
砲塔前盾 381mmKC 傾斜30度内傾(推定)
バーベット(露出部) 305mmKC
バーベット(艦内部) 178mmKC+25mmHT×2 傾斜12度 → 125mmKC  205
水平装甲(弾薬庫) (38mmHT)  32mmHT+19mmHT → 25mmHT+32mmHT+19mmHT → 25mmHT +25mmHT  ≒ 133/111mmHT~116/93mmHT     47  66    46
水平装甲(機関部) 32mmHT+19mmHT → 25mmHT →  32mm+19mmHT ≒ 86/60mmHT
砲塔天蓋 127mmKNC傾斜0~3度/横傾斜数度

上部装甲帯→甲板 あり
上部装甲帯→傾斜部 あり

船体 長船首楼型

フッド安全距離

装甲部位\艦砲 8インチ 28cm 41年式36cm 14インチマーク7 15インチ 16インチ 46cm
 垂直装甲 4km以遠 15.5km以遠 17km以遠
20.5km以遠 23km以遠 25km以遠 31km以遠
 砲塔前盾 貫通不能 11km以遠 17km以遠 安全距離なし  安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
バーベット(露出部) 5.5km以遠
(7km以遠)
16.5km以遠
(19km以遠)
20km以遠
(23km以遠)
24km以遠
(27.5km以遠)
28.5km以遠
(安全距離なし)
 30km以遠
(安全距離なし)
37km以遠
(40km以遠)
 バーベット(艦内部) 3km以遠 15km以遠 19.5km以遠 22km以遠
25.5km 27.5km 38km
水平装甲(弾薬庫)  29km
~28kmまで
31km
~29.5kmまで
22.5km
~20kmまで
22km
~18.5kmまで
21km
~15kmまで
20.5km
~14.5kmまで
15km
~12.5kmまで
水平装甲(機関部) 25kmまで 26kmまで 11kmまで 10kmまで 9.5kmまで 9.5kmまで 8kmまで
 砲塔天蓋 貫通不能 32.5km
~31kmまで
 
26.5km
~25kmまで
26km
~24.5kmまで
25.5km
~24kmまで
25.5km
~24kmまで
24.5km
~21.5kmまで

垂直装甲(30度) 1km以遠、9.5km以遠、11.5km以遠、14km以遠、16.5km以遠、20.5km以遠、25km以遠

英海軍は第一次大戦の開戦後、フィッシャー提督の意向により上のレナウン級に加え、カレイジャス、フューリアスといった特殊な巡洋戦艦の整備を進めていた。
1915年にフィッシャーが第一海軍卿を辞任すると、そこから戦艦整備を中心とする方針に立ち返っている。
ここで研究された戦艦案はQE級を基にした15インチ砲8門搭載、速力25.5ノットの高速戦艦案である。
装甲配置を見ると、QE級より全体的に垂直装甲が減厚しているが、そのかわりに僅かながら傾斜装甲を取り入れている事が確認できる。
(なおフィッシャー卿が辞した後にバルト海作戦が行われる可能性があったかは不明だが、本級もかなり浅い喫水が要求されている)

これに反対したのがGF司令長官のジェリコー提督で、現時点でドイツ海軍に対し戦艦では十分な優位を持つが、巡洋戦艦では優位を持つか怪しい面があると指摘。
(1915年までに完成したドイツ巡洋戦艦が6なの隻に対し、英国は10隻となる。数の上では優位と言っていいが、英海軍は既にドイツ艦が英戦艦に匹敵する重装甲を持つとの情報を得ていた。
英巡洋戦艦の内最初の六隻は軽装甲によりドイツ艦に個艦性能で劣る事は確実であり、全体の差もより小さいものと言える)
またジェリコー提督は、ドイツがリュッツオウ(デアフリンガー級)の後に「386mm砲を主砲とし、戦艦並みの装甲に30ノットの速力を両立する巡洋戦艦」を3隻建造するとの誤った情報を得ていた※。
この艦に対して、自軍が建造中のレナウンやカレイジャスと言った軽装甲の艦で対抗不可能なのは明白、現行の高速戦艦案も速力に大きく劣り、対抗としては中途半端と言える。
そこでジェリコー提督は低速重装甲の純戦艦もしくは、より強力な巡洋戦艦の建造を強く提案している。

以上が本級が計画されるきっかけだが、よく言われる「マッケンゼン級への対抗」は参考にした本では全く触れていなくて困惑している。
(一応ジェリコー提督が危惧したドイツ新型巡洋戦艦は、マッケンゼン級の誤報だと思われるが)

その後設計された初期の案は15インチ砲8門を搭載し30~32ノットを発揮する、排水量35,500から39.500tの艦であった。
(代案としてフューリアスの40口径18インチ砲を連装化して6門積む案も)

主要な装甲厚は以下の通り
主装甲帯 8インチ(+バッキング1.5インチ)、上部装甲帯5インチ(+バッキング1.5インチ)、砲塔前盾11インチ、バーベット9インチ、各甲板合計厚3.75インチ、砲塔天蓋4.25インチ
装甲帯は傾斜装甲の効果を考えれば、レナウン級もちろんこれまでの英巡戦で最も強力と言えるものだが、QE級やR級には劣る。砲塔周辺も同様である。
戦艦並みと言えるのは水平装甲ぐらいで、基本的にはライオンからタイガーといったレナウン以前の巡洋戦艦を全体的に強化した艦となっている。

しかしユトランド海戦後、既存の巡洋戦艦の防御力不足が指摘された結果、主要区画のほぼ全体で装甲厚を増している(詳細は後述)。
これにより大部分の装甲厚でQE級やR級を上回り、それこそ戦艦並みの防御力を持った巡洋戦艦として建造されることになった。
4隻の建造が予定された本級だが、1917年になると英国の造船能力にも限界が来ており、一番艦フッドを除く三隻の工事は中断され戦後には建造中止に。
その間に行われた装甲の実物大実験では、ユトランド海戦後に開発された新型の15インチ砲弾に対し、一部が有効な防御力を持たないという衝撃的な事実が判明する。
これに対応するため泥縄式とも思える弾薬庫水平装甲の増強を行うも、根本的な解決には至らないまま竣工している。
本艦の完成以降には装甲配置を一新し、より完全な防御力を持つ艦の設計も行われるが(これらの艦については後述)、すべてワシントン条約で廃案となる。
結果として、このフッドがワシントン条約締結時における英国を代表する最新鋭戦艦として保持されるに至っている。

このように一部不安を抱えた部分もある本艦だが、排水量4万トン越えという世界最大の主力艦であり、30ノット越えの速力に戦艦並みの装甲を両立している。
(本艦の様に火力速力装甲の三拍子が高いレベルでそろった艦は、近い時期ではドイツのマッケンゼン・ヨルク代艦や日本の八八艦隊主力艦、本国ではフッド以降の計画艦(G3級)などが存在していた。
しかし、それらの艦は戦局や軍縮条約により未完成に終わるため、同じコンセプトの艦の登場は実質第二次大戦期まで待たなければならない)
QE級を一段上回る新しい高速戦艦ともいうべき艦であり、その存在は列強海軍すべてに影響を与えたといっても過言ではない。

戦間期においては最新鋭の戦艦であった事もあり、大規模な改装は後回しにされた結果、改装が予定されていた41~42年を迎えるまでに第二次大戦が勃発。
そしてフッドに代わって世界最大の戦艦として竣工した、ドイツのビスマルクによって撃沈された事はあまりにも有名である。
それまで英国海軍の象徴として親しまれていたフッド喪失の衝撃は大きく、その後の戦いを含めビスマルクが伝説化する一因ともなった出来事だろう。

前置きが長くなったが、今回はその最期を含め、フッドの装甲について見ていきたい(独15インチ砲は表にないけど)。

まず垂直装甲から、フッドの舷側には高さにより厚さの異なる装甲帯が貼られ、この内水線下から中甲板のやや上の高さまでに配置された主装甲帯が最も厚くなる。
なお本級もレナウンと同じく、船体形状の都合で重要区画上の甲板では中甲板が最も下を通る甲板となる(弾薬庫上のみ下甲板あり)。中甲板までと言っても、R級戦艦と比べると主装甲帯の高さはあまりない。
この部分は先述したように203mm厚として計画されていたが、ユトランド後の改正により純正な戦艦への匹敵する305mmに強化されている。
特筆すべきは傾斜装甲の採用で、12度とレナウン級よりも深い傾斜を設けることで、より強力な防御力を発揮可能である。
これに加え特徴的なのは装甲帯を支える構造材(バッキング)で、通常は木材やセメントを挟み込む形で1インチ以下の薄い鋼板が設けられている。
ところがフッドはこのバッキングの鋼板が他の戦艦に比べて厚く、
主装甲帯で合計38mm、上部装甲帯で合計51mmになる。
それらを含め表を見ると、R級やQE級の330mm装甲を上回る防御力を持っていると言えるだろう。

表を見ると、15インチ砲以降の大口径砲に対する安全距離は、QE級はおろか米標準型戦艦よりも広く、一部改装艦を除けば旧式戦艦の中で最も強力な部類に入る。
(逆に比較的小口径な艦砲に対してはQE級の方が比較的広い安全距離を持つようになっているが、これはQE級の弾片防御が無駄に厚いせい)
また砲塔正面やバーベットはそれぞれ381mm、305mmとなり、どちらもQE・R級より2インチ装甲厚を増している。
表ではあまり有効な装甲とは言えない結果になったが、竣工時の戦艦の砲弾に対する評価は全く違ったものと思われる。

次に水平装甲についてだが、竣工時からすればフッドの水平装甲は決して薄くない。それどころか非常に厚い部類に入る。
特に弾薬庫は当時の15インチ砲からの砲撃に耐えられることを目的としており、竣工前に行われた実物大実験では23km付近(当時の基準では超遠距離砲撃)を想定した15インチ砲弾を防いでいる。
合計厚は後部砲塔付近で7インチ、前部に至っては8.5インチにも達し、当時の戦艦の中は文句なしに最も厚い。(機関部は合計5インチ)

しかし材質や配置を見ると、強力な一枚板の装甲甲板を持たず、各甲板に複数枚のHT鋼を重ね合わせる旧来の配置である。
これは特定の甲板に水平装甲を集中するネヴァダ級以降の米標準型や長門型といった日米戦艦にくらべると、配置としては劣る面が存在する。
当然防御力も合計厚ほどでは無い。それでも弾薬庫は当時の戦艦の中では最も強力なものだが、この部分含めても第二次大戦期の砲弾には有効ではないという結果になった。
弾薬庫より薄い機関部はさらに悪い結果となり、水平装甲は改装を行うことの出来たQE級に比べ大きく劣る箇所である。
一方で砲塔天蓋は竣工時より127mmの均質装甲が貼られ、形状も撃角が深くなってしまう傾斜部を改め、より水平に近い物に。
その分既存の艦よりもやや強化され、この時期でもある程度の装甲を備えていると評価できる。

ここまで解説してきた内容だと、本級の防御力は改装前のQE級を上回っているように感じるだろう。
しかしどうしてもしわ寄せがくるもので、本級の舷側装甲はQE級やR級と比較して、主装甲帯の装甲範囲が水線上、下両方ともに狭くなっている。
つまり主装甲帯以外の垂直装甲へ命中する可能性が高くなるという事だ。その場合、127mmから178mm(+51mmのバッキング)の装甲が貼られた上部装甲帯に命中することになる。
この部分に命中した砲弾が重要区画に達する場合の弾道を想定してみると、まず砲塔周辺だとバーベットの基部に命中する場合がある。
「ここの装甲が薄いため致命的な弱点になる」とでも書けば分かりやすいのだが、安全距離を見てみると、確かに主装甲帯に比べれば弱体と言えるがそれでもQE級を上回る。
というか上で述べたとおり、QE級の上部装甲帯は同年代の戦艦と比較して弱体な物である。

一方で上部装甲帯を貫通した砲弾が水平装甲に当たる場合は問題である。(補足のページの図も参照)
特に178mm(+51mm)厚部分を貫通した砲弾は、すぐ下にある中甲板(機関部2インチ、弾薬庫3インチ)に到達する為、水平装甲の薄さが致命的となる

さらに問題なのが、貫通後の砲弾が舷側装甲の後ろに控える中甲板傾斜部に命中する場合である。
その場合実質防御力は178mm(+51mm)
傾斜12度の上部装甲帯のみとなり、主装甲帯に比べ非常に脆弱な物となる。
(それでもレキシントンより硬いじゃんとか言ってはいけない)
実際に1919年の実物大実験では、新型の15インチ砲弾がこのルートを貫通し弾薬庫に損傷を与えている。

上でも言っているように、このような弱点はこの時期の防御様式を採用した艦の多くに共通するものであり、フッドだけの欠陥という訳ではない。
ただし主装甲帯の高さがQE級などと比較して狭くなり、それらの弱点に砲弾が命中する可能性が高くなっているのは本級の重大な問題と言えるだろう。
英海軍もこれらの弱点を自覚しており、フッド以降はこの防御様式を一新、ネヴァダ級のように集中防御を採用した新型戦艦を設計している。
また本艦についても、上部装甲帯の上半分(127mm厚部分)を全撤去し、各甲板の強化もしくは装甲帯最厚部の範囲拡大を行う計画がなされていた。(後述)
ちなみにこの「上部装甲帯→中甲板」という弾道はビスマルク戦でも触れるので覚えていてほしい。

全体的に見ると第二次大戦期の艦砲に対しては不十分な部分があり、14インチ砲艦以上には格下でも危険な場合も。それでも旧式戦艦の中では優秀な装甲と評価できる部分も多い。
爆沈の影響で脆弱なイメージを持たれることが多い本級だが、ネルソン級を除く改装前のビッグセブンの5隻とも比較できる装甲である。

第二次大戦期の戦艦、巡洋戦艦との戦闘についても考えたいが、ここでネックとなるのがやはり戦間期に十分な改装を受けられなかった点だろう。
防御面については先述したが、攻撃面でもQE級に搭載された新型徹甲弾マーク17Bに対応する前に沈んだのが痛い。
この徹甲弾は日本の九一式などと同じように、既存の砲弾よりも空気抵抗の少ない長めの風帽を持つが、揚弾機構のサイズが合わないので改装なしには運用できない。

これに対応する改装が受けられなかったフッドだが、一応最後に使用していた砲弾では被帽や弾体などは最新の砲弾を基準に改められている。
ただ空力的に劣る都合で最大射程は26km台と短く、その分遠距離では撃速が小さく、落角が大きめになる。
その為垂直装甲に対する貫通力は、竣工時の物よりは向上しているが、17Bへは劣るものに留まっている。
NAaB上での貫通力は日英14インチ砲の中間程度(2万ヤードで15インチ強)とされ、これでは他の14インチ砲艦に火力面で優位に立つことはできない。
さらに機関の老朽化による速力低下なども考えると、戦間期を代表する戦艦とはいえ、第二次大戦における対戦艦戦力としては微妙な評価にならざるを得ないだろう。

それでも沈むまはかなり活発に活動し、対戦艦戦も2回経験している点は兵器として評価すべき点だとは思う。
やはり改装さえ行われていたら、爆沈しようが違う評価ができるのだけれど・・・
でも改装したら箱型艦橋になるのか・・・フッドにあの艦橋は似合わないだろうなあ 前から見ると結構格好いいけど
追記 箱型艦橋よりもカタパルト内臓で艦橋の間に隙間ができることの方が見た目的にはまずいと最近思った。

戦没について
ちょっと脱線したが、そろそろビスマルクとの戦いについて触れておきたい、それに関連して水平防御に関することで一つ。
フッドの喪失原因として、長い間水平防御の不足が指摘されていた。その為かビスマルクではなくオイゲンの砲弾が水平装甲を貫通し、フッドを爆沈に追いやったという説も存在する。
この表で使用しているのは米国の8インチ砲だが、この分だと射程の限界近くならフッドの弾薬庫装甲を貫通することも可能であろう。しかしデンマーク沖海戦の交戦距離よりも遠くなるため難しいところか。
(ところでオイゲンが甲板を貫通したのではなく、水中弾によりフッドを撃沈したという説は、信憑性はともかくロマンがあって好きだったり。誰が言っているのか忘れたけど)

という事で最後にビスマルクとの戦いにおけるフッドの爆沈原因について触れておきたい。
ただここまで引っ張っておいて申し訳ないが、現時点で原因については確定しておらず、更なる海底調査等の研究が期待される。ここでもあくまでフッドの装甲配置から受けた被害を推定するのみとする。

そもそも弾薬庫に直撃したのではなく、火災の延焼や装薬の取り扱いの不備から生じた誘爆などを視野に入れる必要があるが、そうすると装甲関係ないじゃん、となるのでここでは弾薬庫を直撃したと考えよう。
なお生存者の証言によると、爆沈前のフッドは一部甲板で結構な火災を生じていた(副砲の即応弾もしくは航空機燃料に引火したとされる)。
場所も爆沈時に火柱が上がった後部マストの近くと一致しているが、フッドに致命的な損傷を与えたのは間違いなく、艦内部奥深くにある後部弾薬庫の大爆発である。
そこまで延焼するような激しい火災が発生していたとするのなら、弾薬庫以外で被害が報告されなかったのは不自然だと思う。

まず爆沈時の交戦距離(15km以内)から考えると、ビスマルクがフッドの弾薬庫装甲を貫通するには水平装甲(甲板)ではなく、垂直装甲(舷側)への命中弾だった可能性が高い。
ビスマルクの主砲は高初速軽量弾を使用し、中近距離での垂直装甲貫通力は旧式の16インチ砲に匹敵する。
しかしその代わりに落角が小さめで、水平装甲への貫通力は同サイズの艦砲の中でも低いものとなっている。
そう考えるとこの距離では甲板に命中したとしても、
フッドの弾薬庫に達するのは難しくなる。(機関部なら可能だが)
落角的にも舷側に命中したと考えた場合が自然だが、それでは舷側の垂直装甲の内、どの部分に当たったかと言えば次の三つになると思われる。

1 普通に主装甲帯305mmと弾片防御を貫通し弾薬庫で爆発
当海戦での交戦距離のほぼ全域において、ビスマルクの主砲はフッドの主装甲帯を貫通することが可能である。
垂直装甲は横方向の角度が加われば防御力が増し、計算してみると40度弱傾ければ一応この距離でも防げなくはない。しかし被弾時のフッドはドイツ艦隊へ全砲門を向けるために回頭した所で、この効果もなく無防備だった可能性が高い。
なお被弾時の距離からして、この状況ではフッドのみならず大抵の戦艦はビスマルクの主砲を防ぐことが出来ないだろう。
(なんか普通にこれの気がする)
2 水線下に水中弾が飛び込み爆発
この海戦では双方に水中弾が記録されており、フッドにも命中した可能性はある。
また旧式戦艦は水中弾防御を持たない艦が殆どであり、同じ状況ではビスマルクの主砲を防ぐことが出来ないのも同様である。
これも装甲関係ないじゃん
3 上部装甲帯を貫通後に中甲板(平坦部もしくは傾斜部)を貫通、弾薬庫で爆発
普通に舷側抜いて撃沈できる状況でこれを考えるのも何かおかしい気がしないでもないが、フッドの主装甲帯の狭さを考えると、ここへの命中弾もあり得る話である。
弾薬庫上の中甲板には合計3インチ(25mm+32mm+19mm)のHT鋼が貼り合わせてあり、当初ビスマルクの水平貫通力では上部装甲帯を貫通後にこの部位を抜くのは難しいと思っていた。
しかしフッドの図面をよく見てみると、後部副砲弾薬庫上の中甲板は1.5インチしかないことが確認できる。
(水平装甲全体で見ると楼0.75インチ→上2インチ→中1.5インチ→下2インチの計6.25インチ)

この厚さでは38cm砲に対する有効な防御を期待できず、ここを抜いた時点で炸裂したとしても、弾片が下甲板を貫通して弾薬庫に達することが想像できる。

またフッドが被弾するまで回頭していた点も貫通に繋がったかもしれない。回頭時に艦が外側に傾斜したとすると、装甲帯の傾斜は増すが甲板に対する撃角は逆に深くなる。
結果としてより貫通されやすい状態になると思われる。(そうすると地味に水平装甲のみを貫通した可能性も生まれることに)
そして上部装甲帯→中甲板の傾斜部という砲弾のルートも存在する。その場合は平坦部と比べ撃角が深くなり、水平部を抜くよりさらに簡単に貫通されるだろう。
もし実際の爆沈理由が、先の実物大実験で指摘されつつも直せなかった弱点だとすると、それはそれで皮肉な事だろうと思う。

以上の3つを挙げてみたが、爆沈原因が1・2の場合はフッドの位置に他の戦艦がいても重大な損傷を負った可能性がある。
一方で3の場合は防御様式の不備が戦没原因になるため、他の被弾ルートとは別の評価が必要になるだろう。

追記  最近読んだ本では「横方向の角度が付いた状態で、比較的薄い機関部の(水平もしくは上部装甲帯→甲板)装甲から重要区画内に突入、そのまま機関部の横隔壁を破り副砲弾薬庫で炸裂」とあった。
実際にそうなのかはともかく、横隔壁がらみの視点はなかったので感心した。

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フッド改装案

上で見てきたように、この艦の防御力は軍縮条約前に竣工した戦艦の中でも優れた部類に入るが、装甲配置の都合で一部に弱点を残している。
また戦間期における交戦距離の延伸と砲弾の進歩により、現状の水平装甲では対応できなくなった点は他の艦と同じである。
装甲に関する改正を受ける前に第二次大戦に突入したフッドだが、開戦を控えた39年には対弾防御の向上を含めた大改装の計画が進められていた。

防御面に関する改正案は二つ存在する。まずはA案
・上甲板から船首楼甲板の高さにある厚さ5インチの装甲帯を撤去
・弾薬庫上の下甲板(2インチ厚)の範囲を拡大、船体外板に接続するように
・中甲板から船首楼甲板の高さにある厚さ7インチの上部装甲帯を主装甲帯と同じ12インチに増強(実質主装甲帯の高さを上甲板まで拡大するのに等しい)
・上甲板の水平装甲を強化、機関部上64mm相当、弾薬庫上を102mm相当に(相当と言うことは、既存の水平装甲に貼り合わせる形で、均質装甲一枚板で64/102mm相当に強化すると言う意味か)

一方B案
・上甲板から船首楼甲板の高さにある厚さ5インチの装甲帯を撤去
・弾薬庫上の下甲板(2インチ厚)の範囲を拡大、船体外板に接続するように
・中甲板の水平装甲を強化、機関部上合計102mm、弾薬庫合計127mmに、さらに範囲も装甲帯に接続するまで拡大

両案の相違点について、B案は重要区画上を全通する甲板の中で最も低い中甲板を強化しているが、これはQE級や日本の旧式戦艦の改装時と同じ方式になる。
一方でA案は主に一段上の上甲板を強化している。さらにこの案では垂直装甲に関する改正を行い、垂直装甲は実質上甲板の高さまで配置された主装甲帯のみとなっている。
つまり上甲板までの高さにある主装甲帯と装甲甲板に装甲が集中する形となり、レナウンに行われた改装同じく、本ページが定義する所の集中防御に近い形となっていると評価できる。

またどちらの案も下甲板の範囲を拡大しており、主装甲帯を抜いた砲弾が弾薬庫に達するまでには、必ずこの水平装甲に当たるようになっている。
元々あった装甲は25mmのHT鋼二枚重ねで弾片防御以上の物でなかったが、追加された装甲が均質装甲であったり、全体的に均質装甲に貼りかえられた場合は話は別である。
主に落角の浅い近距離で主装甲帯が貫通された時、弾薬庫に砲弾が飛び込むのを防ぐ事が可能になるだろう。

水平装甲の強化について、A案の物は以下の通り
弾薬庫(38mmHT)→ 102mmNCA相当 → 25mmHT+32mmHT+19mmHT → 25mmHT+25mmHT ≒  156/141mmNCA~145/129mmNCA   30.4 53 37
機関部 32mmHT+19mmHT → 64mmNCA相当 →  32mm+19mmHT ≒ 104/85mmNCA 38

 水平装甲(弾薬庫) 貫通不能 34.5~33.5kmまで 29~28kmま 28~27kmまで 29~28kmまで 28~27kmまで 28.5~27kmまで
 水平装甲(機関部) 26.5km以遠   28.5km以遠  22.5km以遠  21.5km以遠 22.5kmまで  20.5km以遠   16.5kmまで

レナウンの最厚部と同程度に。機関部は少々弱体だが、竣工時からは大幅に強化された。
B案については肝心の中甲板の強化内容がわからない為何とも言えない。
仮にレナウン級の様に1インチのDSに均質装甲を重ねた新規の水平装甲を設けたとすると、機関部の安全距離はA案を確実に上回るだろう。
ただ既存の水平装甲に2インチづつ追加するだけの可能性もあり、その場合今度は弾薬庫でA案に劣る事に。

次にフッドの弱点であった、上部装甲帯(178mm部分)への被弾について。
A案は思い切ってこの部分を厚さ12インチと主装甲帯と同等の防御力に強化、貫通弾自体を減らすことを試みている。
一方B案は装甲帯はそのままで、中甲板(弾薬庫5インチ、機関部4インチ)の範囲を装甲帯に接続するまで拡大して、貫通弾を受け止める方式となる。
どちらの方式でも既存の配置の防御力不足は大いに改善している。
ただA案の様に主装甲帯の範囲を増す方式だと、本級の主装甲帯を普通に貫通できる最新の15・16インチ砲に対しては対応できず、その効果には限界がある。
その点B案の方が砲弾を重要区画内に入れないと言う意味では優秀だが、艦内部での炸裂を許す点ではA案に劣っている。

こうして見るとどちらも着実に強化されているが、A案は主装甲帯と装甲甲板からなる「防御力を最大限発揮出来る装甲区画」が広いと言う利点がある。
一つは先ほども指摘したが、上部装甲帯→傾斜部のルートでB案は艦内部での炸裂を許しやすいのに対し、A案は装甲帯で止めている点 。
もう一つは水平装甲の高さで、上甲板を強化したA案の方が主に航空爆弾による被害を局限できる。

ただ両案とも装甲帯の一部を撤去した都合で、前部砲塔のバーベットの内、船首楼甲板から上甲板の高さで152mmになる部分がむき出しになっている。
改装前と比較すると防御力が低下する部分となるが、弾薬庫に直接砲弾が入るよりはましとされたのだろう。
またその一段下、上甲板から中甲板までの高さでバーベットは125mmとなるが、B案の場合ここの防御力は改装前と変わらず。
一方でAは先述の装甲区画内にこの部分を収めており、防御力は比べ物にならない。
実際の計画時でも航空爆弾やバーベットの防御が重要視され、最終的にA案が採用されている。

この他には他の大改装艦よろしく司令塔の撤去を含む上構の一新に水雷防御の強化、機関や対空兵装の更新などを行うようだ。
なお排水量は200t減少し、速力は31ノットを維持可能とされている。
見てきたように防御面では既存の弱点を大きく減らしており、一部部位を除いて他国旧式戦艦の多くが搭載する14インチ砲に対して有効である。
日本戦艦の弾薬庫や米標準型の水平装甲など本級よりも強力な部位を持つ艦もいるが、総合的には劣ることはないだろう。
さらに改装では新型砲弾への対応で火力面の優位を持つ点からも、改装後の本艦は16インチ砲艦を除いた旧式戦艦の中では最も有力な艦となるだろう。
また第二次大戦の環境では速力に優れる点で旧式16インチ砲艦以上とみてもいい。
(現実的に考えると残念なことに、時期的に改装を行えないか、終戦までに間に合わない事になる可能性しかないが)

最後に上で推測した被弾個所でドイツ15インチ砲に対応できるか考えてみたい。
まず1だが、両案とも主装甲帯自体の強化は行われていない為、最初に述べたように下甲板の効果に期待するしかない。ここがHT鋼であった場合、まずこの距離の15インチ砲には耐えられないだろう。
そして2の水中弾については依然対策されていない為、結果は変わらない。
次に3については、両案とも改装前より防御力を増している為、重要区画に達する可能性は大きく減っている。
ただ「上部装甲帯→傾斜部」のルートだと、A案ではちょっと防御力不足の感もある。ただこの場合も下甲板次第だろう。
最後に追記で触れた「機関部の装甲→横隔壁」のルートについて。
横隔壁自体は強化されていないようだが、両案ともこの距離で独15インチ砲に耐えられるまで水平装甲を強化しているし、上部装甲帯関連も弾薬庫と同じ程度(A案の一部は不安)は防御できる。

結局のところ、改装を行っても抜かれる時は抜かれるし、爆沈も免れない場合も十分にありえる。
と言ってもその原因は本級の防御の不備ではなく、状況的にしかたなかったと言われるような場合が殆どになるだろうか。

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第一次大戦後の新型戦艦・巡洋戦艦案

一次大戦で英国は勝利しつつも大きく国力を疲弊させる事になる。一方で戦後はドイツ海軍に代わって比較的消耗の少ない日米海軍が大規模な建艦計画を実行に移しており、英国もこれに対抗する必要が生じていた。
そして実現性に一部不安を感じつつも、20年代初めに巡戦と戦艦を4隻ずつ、合計8隻の新型主力艦を起工する計画を立ち上げている。
最終的にこの計画は、巡戦の設計が完了し発注した時点でワシントン会議を迎え中止。新たに条約型戦艦の計画に移っていく事になるのだが、本項目ではこの条約前の計画案について語っていきたい。

各案の解説に入る前に、全体に関する特徴をいくつか挙げておきたい。
まず本計画で特に重要視されたのは、フッドの時点では不十分であったユトランド海戦の戦訓への対応、当時大きく進歩していた徹甲弾への対応を含む防御面の改正である。
つまり八八艦隊計画で言うと、長門型に対する加賀・天城型の登場と似た流れと言える。ただし本計画の方が進行度自体は低い物に終わった点、また兵器としてはさらに革新的で大胆な要素を取り入れた物と言える点は相違点だろう。 
その要素は計画中止後、実際に建造されたネルソン級に受け継がれ、そして同級は条約期以降の新戦艦にも影響を与えていく事になるのである。

装甲配置の変化
最初はその防御面について見ていきたい。 
前提として、当時は「使用砲弾に関するメモ」でも解説した英徹甲弾の大幅な性能向上があり、交戦距離の延伸も止まらず水平装甲への被弾率並びに威力の上昇も継続。そして艦砲自体も大型化が続いている。
とにかくフッドを含む既存艦の防御は既に不十分と見做されており、新型艦にはこれに対応した今までにない防御力が必要とされている。

一方でいくら艦が大型化しても、防御に費やす重量には限度があり、既存の装甲配置より重量効率の良い抜本的な改正が求められた。
結果として本計画の装甲配置は、近代戦艦登場以降のこれまでの英主力艦では最も大きく変貌したと言って良い物になる。その変更点は大別すると主に二つ。

一つ目は垂直装甲の防御範囲削減。これまでの配置で艦首尾や舷側上部などに設けられた、比較的薄く補助的な装甲帯は現行の戦艦主砲弾に対しては全くの無力となる。
それらの補助的な装甲帯は思い切って全廃し、その重量で主装甲帯や水平装甲に必要な防御力を与える事を優先しようという考えである。
この場合は広範囲が非装甲区画となり、中小口径弾や戦艦主砲の榴弾と言った物を多数を被弾した場合に浮力を喪失しやすく、場合によっては危険になるだろう。
ただし中小口径砲はユトランドでも証明されたように遠距離戦闘では命中弾が少ない事から重要性は低く、主砲榴弾の被害にしても重要区画の強化が不十分になって、ここを徹甲弾に抜かれて致命傷を負うよりはマシである。

もう一つは水平装甲の改正である。こちらも甲板の上層や上部装甲帯で信管を作動させ、下層で受け止めるという、既存の多重防御的な防御策はもはや通用しない。
水平装甲は甲板一層、それも構造材の貼り合わせではなく、最大限の対弾性能を発揮できる均質装甲のほぼ一枚板の装甲を持つ物に集中。ここで砲弾を止めるか逸らす積極的な防御に。
同時にその甲板は主装甲帯の上端の高さに設けて、今までより高い防御範囲の獲得を狙った。 

なおこの改正で否定された既存の装甲配置、つまり主装甲帯以外にも補助的な装甲帯を広い範囲に設け、多重防御的な要素を持つ薄い水平装甲を複数層設ける物は、上で見てきたようにカノーパス級など前弩級艦の時代に採用され、当時の環境に合わせて変化しつつフッドまで受け継がれてきた配置であった。
これを捨てた本計画は、限られたリソースを使い大口径弾の致命的な一撃から艦を守る点を重視するという、英主力艦の系譜で言うと装甲艦インフレキシブルの時代の防御思想に戻った事になる。
また上記の前提によって、20数年ぶりに「分散的」よりも「集中的」な装甲配置の方が利益のある環境が整い、この思想に回帰したとも言えるだろう。

配置の細かい部分については他にも最新鋭艦に相応しい要素を取り入れており、下の図と共にさらに具体的に見ていきたい。

左フッド(機関部)に対して右は本計画の中でも「L2・L3」戦艦案以降多くの案で見られる物の断面図。いつも通りいい加減な模式図なので色々異なる部分も。

まず垂直装甲は先述したように上部装甲帯を持たず、水線部の主装甲帯のみに集中。フッドまでと同じく傾斜装甲だが、より傾斜角を深くして対弾性能の強化を狙っている。
なお既存の外装式装甲帯では、傾斜角が増すと共に船体形状が不安定化していくが、本案では外板と装甲帯の間に非装甲区画が生じる欠点を忍びつつ、内装式装甲帯を採用して角度と安定性を確保した。

水平装甲も厚い一層に集中され、主装甲帯の上端に接続する。断面図から見た本級はこの二つからなる装甲区画に最大限の防御を施し、重要区画のみを守る範囲を重視した形となる。
これは本ページで定義した「集中防御」の要素で言う「舷側縦方向の集中」「水平装甲の集中」を行い、本ページにおける狭義の集中防御の定義を満たすものである。

図を用意してない重要区画外の配置については、艦首尾には垂直装甲が設けられず「舷側横断方向の集中」も行っている事に。ただし艦首尾には重要区画なみの厚い水平装甲が設けられている。
「集中防御」の字面から受ける印象とは異なるかもしれないが、これはインフレキシブルからマジェスティック級と言った19世紀の集中主義的な配置でも見られた物である。
垂直装甲の無い部分には水線付近の甲板に水平装甲を設け、少しでも浮力の喪失を阻止。また艦尾装甲は重要な舵機械室を覆い(一部案では装甲帯の範囲外にある副砲弾薬庫の防御も)、艦首装甲はQE級の解説で述べた「傘」装甲的な前部弾薬庫防御の役割を担っている。

重要区画の話に戻ると、この部分の水平装甲で注目したいのは、外側の部分が傾斜部となって下方向に向きつつ装甲帯の上端に接続している点である。
これは主装甲帯の高さを減じてしまう他、傾斜の分撃角が深くなって装甲としてあまり良いとは言えない物だが、大和型の解説でも述べたように他の利点を有している。
こちらの方が要する重量が少ない他、傾斜装甲帯を採用している艦の場合、同じ高さの水平装甲が上端に接続するとして、こちらの方が艦幅が少なくて済む。つまり艦の小型化に効果があり、今までにない大型艦となった本計画では重要な点である。(上の図では装甲帯と外板の間隔が大きくて傾斜なしでも同じ艦幅でいけるように見えてしまうが)

これも以前書いた事だが、最終的にこの甲板傾斜部はネルソン級には受け継がれなかった一方で、日本の大和型、正確に言えばそれ以前の金剛代艦平賀案や最上・利根型の機関部装甲にも採用される事になる。
平賀の欧米視察時にネルソンの情報がもたらされ、以降の日本艦が影響を受けた流れは良く知られている。その一方で本計画の情報についても何か掴んでいたのかという点は気になる所だが、詳細は不明である。

やや脱線するがその他の部分としては、本計画より対応する弾頭重量を定めた上で本格的な水中防御が求められた。
防御構造は外側のバルジではなく外板より内側に内装。またその内部も、今まで装甲隔壁手前の区画に充填されていた水密鋼管の使用範囲を装甲帯前の水線付近のみに留め、水線下の範囲には代わりに液層を設けたのが大きな変更点である。
これにより水中防御は外側から空層→液層→装甲帯の下端から伸びる装甲隔壁という構造となり、これで750ポンド(340kg)のTNTへ対応するとされる。

最後に以上の改正によって、英海軍も「進歩した徹甲弾を用いた遠距離戦闘」という当時の環境に適した集中防御艦を整備する事になったが、これは戦後海軍のトップ3であり、この時期に新規の戦艦建造を実行に移した日米英の三か国では最も遅れた物である。
しかしそれもあって、本計画は先行する集中防御艦には無い新たな要素を多数持っている。内装式の傾斜装甲帯、均質装甲ほぼ一枚板かつ弾片防御甲板すら廃して一層に集中した水平装甲などがそうで、また地味に「舷側縦方向の集中」「水平装甲の集中」の2つに加えて、「舷側横方向の集中」の3つすべてを満たすのも近代戦艦としては本計画が実質初めてと言って良い。(ネヴァダ以降の米戦艦や加賀天城も艦尾に意外と厚い装甲帯を有している)
さらに装甲帯が内装式で水中弾防御用の装甲が続かない点、艦首尾に厚い水平装甲を持つ点などの違いもあるが、大まかな部分は先行する集中防御艦よりもむしろ後の大和型に近い。そこからも先進性と完成度の高さが分かるだろう。

なお20年後の第二次大戦期を想定した場合、集中主義的な防御は航空爆弾などへの防御にはマイナスな面もあり、対艦戦闘での防御も水中弾防御がないなど、本案の配置は必ずしも最良とは言い難い部分も存在する。 
それでも計画当時の戦艦同士の戦いを想定した場合には極めて効率的であり、英海軍は当時の最適解ともいえる配置を本計画で一気に獲得したと評価すべきだろう。

それ以外の概要
続いて攻撃面も本計画では大きく変化している。  
主砲については既存の15インチ砲は優れた砲であるが、日米が16インチ砲艦を計画する中では見劣りする事は否めない。
英海軍は既にフューリアスに搭載された40口径18インチ砲の製造に成功しており、そこからさらに一歩進めた45口径18インチを計画、本計画での主な搭載主砲としている。
ただし一部案では実現性や小型化の問題から、一段階縮小した45口径16インチ砲を採用。こちらはネルソン級の主砲として実際に就役・実戦を経験する事になる。

これらの砲は砲弾重量が、18インチは複数の数字があるがいずれも40口径砲とは違い1300kg前後、16インチ砲は929kgと、どちらも同口径の砲と比べて軽量弾を用いる点が特徴である。
英海軍の想定として、このような砲は近距離では撃速の大きさ、低平な弾道からくる威力と命中界の点で優れるのは言うまでもなく、これから重要視される遠距離戦闘においても適した物と見做されていた。
軽量弾は同口径の重量弾よりも砲弾が短い分斜撃時に弾体が損傷し辛く、また飛翔時のエネルギー減衰が大きい分、遠距離での落角は重量弾よりもむしろ大きくなり、優れた水平装甲への貫通力を発揮可能という理屈らしい。
ただし実際の所これは誤りで、またネルソン級が用いた16インチ砲の場合、それ以前に散布界や命数の問題があって初速が下げられ、結果として色々と不満の残る物になっている。
仮に18インチ砲艦が就役していた場合、そのサイズから他国の16インチ砲を上回る物になったとは思われるが、同じ理由で口径の割には微妙な砲と見做された可能性も高いだろう。

加えてこれを収める砲塔には、重量的に優位な3連装砲塔の導入がなされている。
この時期英海軍はモニター艦ロードクライブに設けた固定式の15インチ3連装砲架の実験にて、揚弾装填機構や発射時の砲弾同士の干渉と言った点に問題が無い事を確認している。
この結果もあり各設計案は連装・3連装の二種類が平行して作成され、最終的にはこちらが採用されることになる。
そして砲塔配置については計画途中で大胆過ぎる変化を遂げたことで知られるが、この点は後述する。

副兵装では対艦用に6インチ砲が復活。これをケースメイトや露天砲ではなく、波浪や爆風から守られた密閉砲室に連装で搭載している。加えて別途高角砲として4.7インチ単装砲が加わる。

速力面ではどちらも機関に効率の良い新型のボイラー用いてスペースと重量を節約。
戦艦と巡戦の2本立てで、前者は23ノット程度とと既存艦や当時の各国戦艦の中では平均かやや速め程度。後者はいずれも30ノットを超える速力で、防御面も既存の艦よりは上である事から高速戦艦的である。

最後にこれらの要素を盛り込んだ結果、計画案は小さい物でも常備排水量4万トン台半ば、一部は5万トン超えるなどフッドすら大きく超える巨艦と揃いとなる。
当時の海軍のドックに入るのは全長890フィート(271m)、全幅106フィート(32.3m)程度の艦が限界で、一部案にはこの範囲に収まらずに民間のドックを用いる必要がある物も存在した。
また各案とも喫水的にスエズ運河の通航も不可能であり、性能の為に運用面でかなり無理をしている部分があったのは否定できない。

各案の流れと解説 
表はスペースの都合で一部割愛しつつ、より具体的な部分に入っていきたい。

まず初期では、未だに具体的な要求が定まっていない時期であるが、主力艦設計班の実質トップである造船官アトウッドの記録では、18年5月から新型艦設計に向けた作業が始まっている。 
ここから19年春まで研究された物は、主にフッドをベースに拡大した物で、この時点で(15インチ)3連装砲塔の導入や40口径18インチ砲の搭載、新型ボイラーによる機関の小型化などが研究された。
また別の場所では副兵装を一種類に統一する動きもあったが、こちらは実現していない。

そして装甲配置については新しい要素を取り入れつつ、上述した内容と比べると試行錯誤が目立つ物である。
18年の時点で既に、徹甲弾改良の責任者で当時軍令部員のドライヤー大佐は、今までにない装甲厚と集中防御の必要性を意見しており、また近代戦艦における集中防御の初源である米戦艦の情報もまた、米国出張中の造船官スタンリー・グドールを通じて入ってきていた。
一方で初期の段階では集中防御艦ではなく、フッドに近い配置をベースに重要区画の長さを短縮しつつ、上部装甲帯が主装甲帯に匹敵するレベルに増厚。水平装甲は2層式だが既存の物よりも増厚(重ね合わせなどの構成は不明だが、厚さ的に均質装甲を含む可能性あり)した物などが確認出来る。
同時期に米国の巡戦計画にグドールが提出した物に近い要素を持つ物があり(米国戦艦編を参照)、当時の英海軍で注目されていた形なのかもしれない。

そして19年7月、内装式の傾斜した主装甲帯とその上端に一層式の水平装甲が接続する集中防御艦という、以降の案に受け継がれる配置がついに登場している。

19年末以降になると、具体的な要求と共に設計案の作成が進んでいく。
その中で形として残る初期の案は、20年6月に提出された戦艦「L」案である。(この巡戦版である「K」案もあるはずだが、具体的な情報は把握していない)
同案は連装案が50,750t、三連装案が49,100t。艦首尾の形状や三脚マストが目立つ艦橋(ただし重装甲の司令塔がない)、連装案のみは長船首楼型船体など、初期の案だけあってフッドの面影を残す過渡期的な外観を持つ。
主砲は45口径18インチ砲を連装4基もしくは3連装3基を艦の前後に振り分けて配置。各砲塔は背負い配置ではなく同じ高さにあり、重要区画の短縮という意味では非効率的で、前の砲塔への干渉を避けるため一部は艦首尾方向で常に仰角を取った状態となる。
副砲は船体中央部の甲板上に6インチ連装砲を片舷4基ずつ計16門、4.7インチ高角砲を単装4基搭載。速力は7万馬力で25もしくは26ノットと、以降の戦艦案よりもやや速めである。

装甲配置も一部上述した物とは異なる点があり、まず垂直装甲は重要区画間に内装式の主装甲帯のみを設けるが、この装甲は18インチと非常に厚い代わりに傾斜は10度と浅めで、なおかつ高さは僅かに8フィート(2.4m)しかない。
それに対して水平装甲は水平部が8.75インチ(222m)、外側で13インチ(330mm)の傾斜部となって主装甲帯の上端に接続する。

上述した配置に対して、本案は装甲帯の防御範囲が非常に狭いが、その代わりに厚い甲板傾斜部が相対的に大きく、この部分で垂直装甲の防御範囲をカバーする考えである。
これは水平装甲の重量を確保するために装甲帯の高さを減らすべきという、戦後疑問委員会という所で提案された意見を取り入れた物と考えられる。
また米国の戦艦案で以前に何度か出てきた「アイアンサイズ式」に似た部分もある配置だが、そちらはより防護巡的というか傾斜部の角度が急で範囲が大きく、また装甲帯が外装式で傾斜を持たない点で異なっている。

表はもったいないので改稿後も掲載。
L案
装甲厚
垂直装甲 457mmKC傾斜10度
砲塔前盾 457mmKC 傾斜20度内傾(推定)
バーベット 457mmKC
水平装甲 222mmKNC
砲塔天蓋 229mmKNC

L案安全距離
 装甲部位\艦砲

8インチ

28cm

41年式36cm

14インチマーク7

15インチ

16インチ

46cm

 垂直装甲 貫通不能 7km以遠 7.5km以遠
11.5km以遠 14.5km以遠 15.5km以遠 19km以遠
 砲塔前盾 貫通不能 5.5km以遠 7km以遠 14km以遠 21.5km以遠 23km以遠 33.5km以遠
バーベット 貫通不能 6.5km以遠
(9km以遠)
8.5km以遠
(10.5km以遠)
9.5km以遠
(13km以遠)
13.5km以遠
(16km以遠)
15km以遠
(17.5km以遠)
20km以遠
(23km以遠)
水平装甲  貫通不能 39kmまで 31.5kmまで 31kmまで 貫通不能 31.5kmまで 32.5kmまで
砲塔天蓋 貫通不能 39.5kmまで 32kmまで 31kmまで 貫通不能 32kmまで 33kmまで

垂直装甲(30度) 貫通不能  貫通不能     貫通不能     貫通不能    3km以遠    9km以遠   11km以遠 


先述したように装甲範囲の狭さを補うために甲板傾斜部が広く設けられているが、それを含めた範囲でも装甲範囲は狭いとしか言えず、また傾斜部自体も非常に厚い装甲を必要とするなど、本級の配置の欠点と言えるだろう。
この装甲範囲の狭さが、主砲塔配置の問題と共に本案の再設計の一因になったことは想像に難くない。

なお装甲甲板以外は厚さ不明で含めていないのと、装甲甲板も実際はネルソンのように薄い構造材との張り合わせ合計厚である可能性もあるが、ここでは不明なのでそのまま計算している(以降の案も同じく)。
砲塔天蓋ついに傾斜部を持たない完全に水平な形に。

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この改正版が戦艦「L2・L3」案と巡戦「K2・K3」案で、8月から10月に作成された。
これらの案も排水量が「L2」52100t、「L3」51100t、「K2」53100t、「K3」52000t。全長は戦艦案 860フィート(262m)、巡戦案885フィート(270m)。未だに大型すぎるとして採用されなかったが、ここで見られた要素は以降の案に受け継がれる事になる。
船体はいずれも平甲板型(中央楼あり)で、艦尾にトランサムスターンを採用して全長の抑制を図った他、砲塔は前後部に分けつつも背負い配置を採用。また未だに三脚マストを持つ形だが、新しい塔型艦橋の導入(また司令塔も復活)も外見上の大きな特徴である。

そして装甲配置も改正の結果として、上で解説した物に到達している。
前案に対して主装甲帯は減厚するも傾斜は25度に増し、さらに高さも4m程度と拡大。水平装甲は傾斜部が大きく減厚するとともに範囲と傾斜角も減少し、強力な主装甲帯による防御が前案よりも重視されている。
厚さは戦艦案が垂直15インチ。水平装甲は水平部8インチ傾斜部9インチ(10度程度傾斜)。巡戦艦は垂直12インチ、水平部6インチ傾斜部7インチ(10度程度傾斜)。 
他に速力は戦艦案が同じく70000馬力25ノット、 巡戦案は二倍以上の14400馬力で30~29ノット発揮。 

L2・L3案
装甲厚
垂直装甲 381mmKC傾斜25度
砲塔前盾 457mmKC 傾斜20度内傾(推定)
バーベット 381mmKC 
水平装甲  203mmKNC
砲塔天蓋 203mmKNC

L2/L3案安全距離
 装甲部位\艦砲

8インチ

28cm

41年式36cm

14インチマーク7

15インチ

16インチ

46cm

 垂直装甲 貫通不能 6km以遠 6.5km以遠
9.5km以遠 11.5km以遠 15km以遠 17.5km以遠
 砲塔前盾 貫通不能 5.5km以遠 7km以遠 14km以遠 21.5km以遠 23km以遠 33.5km以遠
バーベット 1km以遠
(2.5km以遠)
10.5km以遠
(13km以遠)
12.5km以遠
(15km以遠)
15.5km以遠
(18km以遠)
19km以遠
(22km以遠)
20km以遠
(22.5km以遠)
26.5km以遠
(30km以遠)
水平装甲 砲塔天蓋 貫通不能 37.5kmまで 31kmまで 30kmまで 貫通不能 31kmまで 31.5kmまで

 

垂直装甲(30度)   貫通不能    貫通不能     貫通不能     貫通不能    2.5km以遠   10km以遠  12.5km以遠

垂直装甲は高さを改善しただけでなく対弾性能も表の結果ではむしろ上がり、こちらも18インチ防御として十分な物となっている。 
しかし内装式とは言え深い傾斜装甲を設ける事のデメリットも避けられない。25度と言う角度は後の戦艦でも備えた例は無く、本級はその点でかなり無理をしていると思われる。
(計画案を含めると、日本の八八艦隊案や大和型初期の藤本案などが装甲帯を25度で配置しているが、前者は外装式で後者は不明)

総合的に見れば、砲塔周辺を除いて対18インチ砲防御を第二次大戦期でも維持している。
自らも18インチ砲を持ち、当時では決して遅くない速力の本案は、建造できていたら10数年早く大和型に近いスペックを持つ艦が登場する事になる。無論この時点で対抗できる艦はまず存在しないだろう。
さすがに大和型と比較すると、艦首尾の水平装甲を持つ点を除けば、さすがに本案でも攻防走の面で勝る所は特にないが、この時代に一部で匹敵するスペックを持つ時点で驚異的である。
もっとも建造できずに机上の案に留まったという点は、兵器としてさらに大きい差かもしれないが。

K2・K3案
装甲厚

垂直装甲 305mmKC傾斜25度
砲塔前盾 381mmKC 傾斜20度内傾(推定)
バーベット 305mmKC 
水平装甲  152mmKNC
砲塔天蓋 203mmKNC

K2/K3案安全距離

 装甲部位\艦砲

8インチ

28cm

41年式36cm

14インチマーク7

15インチ

16インチ

46cm

 垂直装甲 2.5km以遠 11km以遠 12km以遠
14km以遠 16.5km以遠 19km以遠 23.5km以遠
 砲塔前盾 貫通不能 11.5km以遠 18km以遠 24km以遠 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
バーベット 4.5km以遠
(6km以遠)
15.5km以遠
(17.5km以遠)
18.5km以遠
(21km以遠)
22.5km以遠
(25.5km以遠)
26.5km以遠
(29.5km以遠)
 28km以遠
(31km以遠)
35km以遠
(38.5km以遠)
水平装甲 貫通不能 34kmまで 28.5kmまで 28kmまで 28kmまで 28kmまで 27.5kmまで
砲塔天蓋 貫通不能 37.5kmまで 31kmまで 30kmまで 貫通不能 31kmまで 31.5kmまで

垂直装甲(30度) 貫通不能 5.5km以遠 7.5km以遠  6km以遠   9km以遠  15km以遠 20km以遠

こちらは大部分が当時の15インチ砲を基準とした物だが、それでも砲塔の垂直装甲を除けば第二次大戦期でも16インチ防御を持つ。
実現性を無視すれば、天城・レキシントンはもちろん、13号艦すら上回るレベルの恐ろしい高速戦艦である。

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以降は大型過ぎた案を小型化する試みがなされ、 最初に巡戦「J3」案が作成される。  
本案は主砲が18インチではなく15インチに小型化し、これを9門搭載。全長は860フィート(262m)だが排水量は43,100tと大幅に減少している。
また小型化と同時に、他国巡戦(主にレキシントン)への対応として高速化を図ったのも特徴であり、出力15万馬力で最大速力は32ノットに向上した。

船体形状は長船首楼型でトランサムスターン未採用など、フッドと同じ物に回帰。装甲配置は25度の主装甲帯と一層に集中された水平装甲による集中防御だが、装甲帯は外装式で、窄んだ水線下の部分にバルジを設けるフッドまでの様式となっており、新旧の要素を組み合わせた形である。
装甲厚は垂直装甲等が前案と同じ厚さなのに対して、水平装甲が4インチとかなり(当時に射撃試験の結果からすると対15インチ砲でも2万ヤードでは微妙)控えめに。またこの部分は傾斜部を持たずに水平なまま装甲帯に接続するのも異なる点である。

本案は八八艦隊計画のA123、A124と同じく、革新的な新規案に対して既存の艦をベースに着実な強化を施した保守的な案と言える。
また仮にフッドの建造が数年遅れるか、英海軍が集中防御を早期に採用していた場合、このような姿の艦が実際に生まれていたかもしれない。

一方でまったく違った方法で小型化を図ったのが、後の案の基礎となる戦艦「M2・M3」案である。
本案は18インチ主砲や装甲配置は「L2・3案」と同じ物を維持しつつ、主砲塔とその弾薬庫を艦の前部に、機関部を後部にそれぞれ集中配置し長さを短縮、重量軽減を図ったのが最大の特徴となる。
これに伴い、艦上には前から前部主砲、前艦橋、後部主砲が立ち並び、その後ろに煙突等の後部構造が置かれるという、後のネルソン以上に特徴的な艦容が生まれる事になった。  
同時に後部主砲の射界が制限されるのに加えて、18インチ砲塔に挟まれた艦橋はネルソン級以上に激しい爆風に晒されると予想され、結果論的だが射界の狭さや重要機器の搭載などでかなりマイナス面が出た可能性は高いだろう。

ただし重量的な利点は否定できない物で、速力を23~23.5ノットに甘んじた点も加えて、本案の排水量はM2が48750t、M3は46,000t 加えて全長ではM2が815フィート(248m)M3が775フィート(236m)と小型化に成功した。

装甲配置や厚さは先述したように前案と同等の18インチ防御。また主砲弾薬庫の集中配置には防御面での理由も存在したと指摘されている。
それによると、本案の時点では煙路は始めとする機関部の各種開口部の防御が不十分であり、艦首を向けた際に被弾すればここから重要区画内に侵入した砲弾が勢いのまま横隔壁を貫いて後部弾薬庫に達してしまう。主砲弾薬庫を後部に設けないこの配置ではそれを防げるという。
(もっとも副兵装が艦橋横と後部に分けて配置されるようになったので、本案を含めその弾薬庫が未だに機関室の後部にあったりするのだが)

そして巡戦案として「M」案と同じ要素を取り入れたのが巡戦「I3」案である。ただし本案は小型化よりも高速化の達成を重視した、18インチ砲9門18万馬力32.5ノットの案である。
これに伴い排水量は「K3」案と大差ない51750t、全長に至っては925フィート(282m)にも。当時の英海軍での運用は物理的に難しい物であった。
装甲配置や主な厚さは「K2・3」案と同等だが、水平装甲は弾薬庫に対して機関部の装甲を減じる形に。厚さは前者が水平部7インチ傾斜部8インチに対して、後者は水平部4インチ傾斜部5インチになる。

これを受けて小型化した巡戦案が「H3」案並びに「G3」原案で、12月に提出。 この内後者が改良を経た後に巡戦の最終案として採用される事になる。
そちらは個別に取り上げるとして先に「H3」のみ軽く解説するが、本案は18インチ砲を維持しつつ門数を6門に減じた案である。
主砲配置は複数案あるが、「H3a」のみ3連装砲塔2基を前部に背負い配置で集中、また副砲は中央部に4基ずつの配置に回帰している。残る「H3b」と「H3c」は引き続き艦橋を挟む配置で、砲塔の高さと副砲配置が異なる。
それぞれ全長860フィート、排水量は45,000t以下となり、出力据え置きで速力は33.25~33.75ノットと過去最高に。

装甲は水平装甲だけでなく垂直装甲も弾薬庫の方が厚くなる。厚さは垂直装甲が弾薬庫14インチ機関部12インチ。水平装甲は弾薬庫水平部8インチ傾斜部9インチ、機関部水平部4インチ傾斜部5インチ。   
弾薬庫は戦艦案にも匹敵し、巡戦案としては最も優れた装甲を持つ。 

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G3級戦艦

計画のみ(起工前に計画中止)
261m 48,400t(常) 45口径16インチマーク1 三連装3基9門   3231ノット

装甲厚
垂直装甲(弾薬庫) 356mmKC傾斜18度  
垂直装甲(機関部) 305mmKC傾斜18度  
砲塔前盾 432mmKC 傾斜20度内傾(推定)
バーベット 356mmKC
水平装甲(弾薬庫)  203mmKNC
水平装甲(機関部) 152102mmKNC
砲塔天蓋 203mmKNC

上部装甲帯→甲板 なし
上部装甲帯→傾斜部 なし

船体 平甲板型

G3級安全距離

 装甲部位\艦砲

8インチ

28cm

41年式36cm

14インチマーク7

15インチ

16インチ

46cm

 垂直装甲(弾薬庫) 1km以遠 10.5km以遠 11km以遠
15km以遠 17.5km以遠 19km以遠 23km以遠
 垂直装甲(機関部) 3.5km以遠 13.5km以遠 15km以遠
18km以遠 20km以遠 22.5km以遠 27km以遠
 砲塔前盾 貫通不能 7.5km以遠 10.5km以遠 20km以遠 23.5km以遠 25.5km以遠 37.5km以遠
バーベット 1km以遠
(3.5km以遠)
12km以遠
(14.5km以遠)
14.5km以遠
(16.5km以遠)
17.5km以遠
(20.5km以遠)
21km以遠
(24km以遠)

 22.5km以遠
(25.5km以遠)
29km以遠
(32.5km以遠)
水平装甲(弾薬庫)  貫通不能 37.5kmまで 31kmまで 30kmまで 貫通不能 31kmまで 31.5kmまで
水平装甲(機関部) 28km
~貫通不能
30km
~34kmまで
24km
~28.5kmまで
23km
~28kmまで
22km
~28kmまで
21.5km
~28kmまで
18km
~27.5kmまで
 砲塔天蓋 貫通不能 37.5kmまで  31kmまで 30kmまで 貫通不能 31kmまで 31.5kmまで

垂直装甲(弾30度) 貫通不能 4km以遠 5km以遠 5.5km以遠 8km以遠 14.5km以遠 17.5km以遠
垂直装甲(機30度) 1km以遠 8.5km以遠 10km以遠 11km以遠 13.5km以遠 18.5km以遠 23km以遠

竣工時(計画時)の概要と装甲配置
最終案である本級は、様々な妥協とバランスを取った結果、全長856フィート(261m)常備排水量48,400tに。スエズ通行は結局無理で使用できるドックも制限があるなど、当時の英海軍にとって許容出来る限界ギリギリの巨艦である。
門数を減らした「H」案に対し、本級は主砲9門を維持しつつ口径を縮小。当初は16.5インチ、最終的には16インチ砲が採用された。これを三連装砲塔に収め、艦橋を挟む独特な配置で3基9門搭載。
副兵装は6インチ連装砲を艦橋横と艦尾の二か所に分けて配置し、片舷4基ずつ計16門、加えて4.7インチ高角砲を6門搭載。

速力は16万馬力で「32ノット程度」を想定。この速力を発揮できるか疑問視する声もあり、公試に向けてグドールとダインコートの間で賭けが行われた事が公式記録に残っている。
32ノットを達成出来ればグドールが1ポンド、出来なければダインコートが5ポンド支払うという内容で、設計班の空気が極めて良かった事を示すエピソードとして伝わっているが、残念ながら賭けの結果が出る事はなかった。

装甲配置も改めて最初から述べると、船体形状は平甲板型で(一部は中央楼や艦尾楼を設ける)基本的に重要区画上を通る甲板は上中下の3層。
垂直装甲は中甲板までの高さに主装甲帯のみを設け、厚さは弾薬庫14インチ機関部12インチ。共に18度の傾斜装甲となる。上部ならびに艦首尾には装甲帯を設けず非装甲。
水平装甲は重要区画上では中甲板を装甲化し主装甲帯の上端に接続。厚さは弾薬庫が水平部8インチ、機関部6~4インチ。またこの他にも上甲板に1インチの薄い装甲を持つ。 
加えて重要区画 艦首尾では第一船倉甲板を装甲化。艦首は全長の四分の一程の長さに8~7インチ。艦尾は後端までに5~3インチの厚さを持つ。
主砲塔は前盾17インチ、バーベット14インチ、天蓋8インチ。
この他には水雷防御縦隔壁は重要区画横に1.75インチ。煙路周辺には12~5インチの装甲が施される。

配置は上述した物と比較して幾つか変更点が加えられた。  
まず主装甲帯は厚さこそH3案と同等だが、傾斜が18度と浅くなっている。これでも既存艦よりは深いが、やはり25度というのは八八艦隊や大和型の計画でも見送られた点からしても、他のデメリットが大きかった物と思われる。
また水平装甲は原案の時点では機関部が2~3インチとかなり弱体であったが、重量増加を覚悟で他巡戦案以上の物に増強している。
そして注目すべき点として、水平装甲は傾斜部ではなく若干カーブする程度の高さの変化を経て装甲帯に接続する形になったようだ。正直この流れは良く把握していないが、この部分もネルソンで採用された配置に近づいている事になる。

その他の部分では艦首の水平装甲はL案以降は艦首の半分程を覆っていたが、本案ではその範囲が減少。より「傘」装甲的な前部弾薬庫防御の為の装甲になっていると言えるか。
また煙路防御は既存の案にあったかは把握していないが、少なくとも本案では設けられたようだ。

副砲は最後部の1組が装甲帯の範囲外にあるが、副砲弾薬庫自体はすべて範囲内で防御。またその砲塔への給弾ルートは艦尾の水平装甲がカバーする形になる。

竣工時の評価
本級はワシントン会議の際には各国から「スーパーフッド」として扱われる事もあったが、上で見てきたように実際は様々な新要素を持つ、まったく異なる設計の艦である。
そして同艦を含む既存の巡戦を大きく上回る艦である事は言うまでもない。

この時代の仮想敵としては、レキシントンや天城・紀伊など日米の高速艦が相手になるだろう。
これらの艦と比較した場合、防御面は普通に優位を持つ。機関部水平装甲の一部のみ迫られるが、やはり弾薬庫上と天蓋が安心できるのは大きい。
一方攻撃面は同じ16インチという口径に加え、先述した軽量弾と主砲自体の信頼性不足、そして爆風問題が存在する。防御面のような優位はなく、ネルソンと同じく不具合の解決には時間を要する物と思われ、竣工時の比較では最も懸念される点だろう。
また竣工する20年代後半には日米ともに徹甲弾の性能を増しており、五号弾使用の45口径16インチ砲に対する垂直装甲の安全距離は、弾薬庫15.5km以遠、機関部18km以遠となる。 
つまり防御面も10km台後半の決戦距離において、正撃の場合は機関部の垂直装甲などが普通に破られる可能性がある。その点たとえレキシントン級が相手であっても油断はならない。(いつも通りこの部位は横方向の角度にもよるが)

しかし条約がなければ建造出来た可能性が高い艦の中では、全体的に非常に有力である事に変わりはない。これをスペック上で上回るとなると、実現性は低いが掉尾6艦の計画が順調に進んだ場合ぐらいになるだろう。 
4隻のみと日米に対して数的な不利のある中だが、その中で個艦として最も秀でた形になる。

最後に
表の解説もしておくと、機関部水平装甲の一部が弱点で、前案より減厚した砲塔前盾など砲塔の垂直防御も微妙だが、その他はこの時代の16インチ砲等にも対応出来ている。
仮に第二次大戦時に保有された場合、贅沢を言えば水中弾防御が欲しいが、改装せずとも装甲範囲については十分。ドクトリンに適した「傘」装甲を最初から持つのも良い点である。
またこの時代は16インチ砲の不具合も大分改善しているし、高速戦艦として通用する高速力を有している。   
さすがに近い排水量のアイオワと比較すると火力に防御両方ともやや見劣りするが、この時代の新戦艦が相手でも普通に比較できる。そこから発注された英主力艦では未だに最強クラスの1つと言えるかもしれない。

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N3級戦艦

計画のみ(詳細決定前に計画中止)
247.5m 48,500t(常) 45口径18インチマーク2 三連装3基9門   23ノット
装甲厚
垂直装甲(弾薬庫) 381mmKC傾斜18度
垂直装甲(機関部) 343mmKC傾斜18度 
砲塔前盾 457mmKC 傾斜20度内傾(推定)
バーベット 381mmKC
水平装甲  203mmKNC
砲塔天蓋 203mmKNC

上部装甲帯→甲板 なし
上部装甲帯→傾斜部 なし

船体 平甲板型

N3級安全距離

 装甲部位\艦砲

8インチ

28cm

41年式36cm

14インチマーク7

15インチ

16インチ

46cm

 垂直装甲(弾薬庫) 貫通不能 9km以遠 9.5km以遠
13.5km以遠 16km以遠 17.5km以遠 20.5km以遠
 垂直装甲(機関部) 1km以遠 11km以遠 12km以遠
15.5km以遠 18km以遠 20km以遠 24km以遠
 砲塔前盾 貫通不能 5.5km以遠 7km以遠 14km以遠 21.5km以遠 23km以遠 33.5km以遠
バーベット 1km以遠
(2.5km以遠)
10.5km以遠
(13km以遠)
12.5km以遠
(15km以遠)
15.5km以遠
(18km以遠)
19km以遠
(22km以遠)

20km以遠
(22.5km以遠)
26.5km以遠
(30km以遠)
水平装甲  貫通不能 37.5kmまで 31kmまで 30kmまで 貫通不能 31kmまで 31.5kmまで
砲塔天蓋 貫通不能 37.5kmまで 31kmまで 30kmまで 貫通不能 31kmまで 31.5kmまで

垂直装甲(弾30度) 貫通不能 1km以遠 2km以遠 2km以遠  6km以遠 12km以遠 15km以遠
垂直装甲(機30度) 貫通不能 5km以遠 6km以遠 7km以遠  10km以遠 16km以遠 19km以遠

巡戦の翌年度に建造が予定されていた戦艦4隻については、最終的に具体的な設計案が定まらないままワシントン条約により計画が中止される事になる。
その中で21年6月と比較的遅くに形がまとまっていた物として、本計画の戦艦案を代表する案とされる事が多いのがN3案である。
本案はM3ベースをG3の要素を取り入れた物で、水雷防御幅を確保する為の船体形状の変更を経て、全長825フィート(247.5m)排水量48,500tと、後者は巡戦と同程度まで大型化した。

装甲もG3と同じく主装甲帯の傾斜を18度に軽減、甲板傾斜部の軽減(ほぼ廃止)、弾薬庫重視の装甲厚(ただし水平装甲は同一)等の特徴が見られ、戦艦案だけあってより厚い装甲が施された。
具体的な装甲厚は垂直装甲が弾薬庫15インチ機関部13.5インチ。水平装甲は重要区画上8インチ艦首8インチ艦尾8~6インチ。砲塔前盾18インチ、バーベット15インチ。水雷防御縦隔壁2インチなど。

M3以前と比べると垂直装甲の傾斜や装甲厚の分劣るが、これでも全体の防御力は大和型を除く新戦艦勢とも比較できる物である。
個艦の戦闘力では同時期の主力艦全般、日本の加賀~13号艦や米サウスダコタ級といった艦への優位を維持している。

なおG3とは違い当時の財政事情から、戦艦4隻の完成はかなり悲観的な見方がなされており、条約による計画中止が歓迎されている。実現性という意味ではやや差し引く必要があるだろう。
そして先述したように本案以降も戦艦案の研究自体は続けられていた。
18インチ砲艦ではなくサウスダコタ級の様に16インチ砲12門を搭載した別案があった他、また18インチ砲艦案にしても、常備排水量51,000tとより大型化したO3案(この計画番号は後にネルソン級となる条約型戦艦案に流用)が存在する。

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条約期の主力艦案
21年11月より始まったワシントン会議において、米国は今後新造可能な主力艦を基準排水量35,000tまでに制限する事を提案。最終的にこの主張が認められる事になる。
英国は当初G3を何とか建造しようと制限を43,000tとすることを提案するも認められず、新たに35,000t案の研究を行う事になる。

最初に提出されたのは「F2・F3」案。両案は速力29.5もしくは28.5ノットを発揮する、以前の巡洋戦艦案に近い艦である。
また主砲は16インチではなく15インチ砲で、F2が連装3基6門、F3は3連装3基9門搭載。その配置は全基を艦橋より前に集中するという、さらに大胆なものに改められた。また副砲は6インチ砲が12もしくは8門に減少。
防御面はG3と基本的に同じ装甲配置だが、排水量制限もあって大部分が若干減厚。水平装甲は完全に平坦になり、また艦首の傘装甲を失っている。さらにネルソン級に近づいた物に(完全に同一ではない)。

そして陸奥の保有に伴い2隻の新型艦建造が認められた英海軍は、以降の計画を戦艦案1本に定めて複数の案を作成している。
「F」案も排水量の割にはバランスの取れた高速戦艦に思えるが、他国海軍が既に16インチ砲艦を保有している状況で、15インチ砲艦はやはり見劣りしてしまう。
また巡戦的なアプローチ自体もF3案の時点で排水量的にはかなり厳しく、16インチ砲と高速力の両立は難しかった点、他国の最新鋭艦も23ノット程度で十分対応可能と考えられた点などもあったと思われる。

この戦艦案の中で16インチ砲搭載の「O3」案が認められ、最終的にネルソン級として建造される案となる。   
この他にも「P3」並びに「Q3」案は、新型の50口径15インチ砲をN3までの配置で配置。またO3案にも後の最上型の前部砲塔のような砲塔配置を持つ物も存在する。

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ネルソン級戦艦

1922年起工 1927~47年就
216.4m 33,800t  45口径16インチマーク1 三連装3基9門   23ノット

装甲厚
垂直装甲(弾薬庫) 13mmDS→356mmKC 傾斜18度→19mmDS傾斜10度
垂直装甲(機関部) 13mmDS→330mmKC 傾斜18度→19mmDS傾斜10度
砲塔前楯  406mmKC 傾斜20度?(内傾) 推定、写真を見る限りかなり傾斜は浅い
バーベット 381mmKC
水平装甲(弾薬庫) 19mmDS→158mmKNC+13mmDS ≒ 170mmKNC
水平装甲(機関部) 19mmDS→95mmKNC+13DS ≒ 109mmKNC
砲塔天蓋   184mmKNC

上部装甲帯→甲板 なし
上部装甲帯→傾斜部 なし

船体 平甲板型

ネルソン級安全距離

 装甲部位\艦砲

8インチ

28cm

41年式36cm

14インチマーク7

15インチ

16インチ

46cm

 垂直装甲(弾薬庫) 1km以遠 10.5km以遠 11km以遠
15km以遠 17.5km以遠 19km以遠 23km以遠
 垂直装甲(機関部) 2.5km以遠 12km以遠 13km以遠
16.5km以遠 18.5km以遠 20.5km以遠 25km以遠
 砲塔前盾 貫通不能 9.5km以遠 14km以遠 21.5km以遠 26km以遠 28km以遠 40km以遠
バーベット 1km以遠
(2.5km以遠)
10.5km以遠
(13km以遠)
12.5km以遠
(15km以遠)
15.5km以遠
(18km以遠)
19km以遠
(22km以遠)

 20km以遠
(22.5km以遠)
26.5km以遠
(30km以遠)
水平装甲(弾薬庫)  貫通不能 35.5kmまで 29.5kmまで 29kmまで 29kmまで 29kmまで 29kmまで
水平装甲(機関部) 29kmまで 31kmまで 25kmまで 24kmまで 23.5kmまで 23.5kmまで 20kmまで
 砲塔天蓋 貫通不能 36kmまで  30.5kmまで 29.5kmまで 29.5kmまで 30kmまで 30.5kmまで

垂直装甲(弾30度) 貫通不能 4km以遠 5km以遠 5.5km以遠 8km以遠 14.5km以遠 17.5km以遠
垂直装甲(機30度) 貫通不能 6km以遠 7.5km以遠 8.5km以遠 11.5km以遠 16.5km以遠 20.5km以遠

ビッグセブン編も参照

・艦の概要と装甲配置
再度「O3」の名称を用いた設計案を経て実際に建造される事になった本級は、大雑把に言えばN3までの戦艦案に「F」案の要素を加えて3万5千トンに再構築した物といえる。
船体は引き続き平甲板型だが、以前の案よりも縦強度上有利として乾舷を高め、その分を軽構造に。また構造材には新型の高張力鋼であるD鋼を大幅に採用し重量軽減を図っている。
主砲は45口径16インチを3基全てを艦橋前に集中配置。副兵装は6インチ連装砲を後部に片舷3基ずつ12門。他にも4.7インチ6門を搭載する。

これらの艦容は条約前の計画案の事を知らなかった大多数の軍人にとって衝撃的な物で、「タンカーに似た醜い姿」からネルソル・ロドソルという不名誉なあだ名を授かっている。
(進水式後の本級を艦首から撮った写真が残っているが、特にこの時は主砲塔が未設置+完成時よりもさらに乾舷高いので商船に見えるのは否定できない)

機関は後部よりの艦橋から煙突を離すために、缶室が機械室の後ろに置かれる独特な配置を採用(の割には逆流確認されてるが)。そして運動性は初期の悪評に反してそれほど悪くない。
(前にも書いたように本級の評判に関して他にもネット上で背景や詳細を考えずに無批判のまま垂れ流したり、誇張されてる事も多い)

装甲配置を見ていくと、まず船体は平甲板型、重要区画上を全通する甲板は上中下。
垂直装甲は下甲板の高さまでに18度傾斜した主装甲帯を設け、厚さは弾薬庫14インチ機関部13インチ。これ以外の舷側上部や艦首尾には装甲帯を持たない。
水平装甲は重要区画内では主装甲帯の上端に接続する下甲板を装甲化 厚さは弾薬庫6.75インチ(6.25+0.5)、機関部4.25インチ(3.75+0.5)。重要区画外は艦尾のみ第一船倉甲板の8割程に4.75インチ(4.25+0.5)厚。  
主砲塔は前盾16インチ、バーベット15インチ、天蓋7.25インチ。副砲塔は1.5~1インチ。水中防御縦隔壁1.5インチ、煙路コーミング9~8インチ。

装甲材質は垂直KC、厚い水平装甲がKNC、加えて薄い甲板や隔壁、弾片防御類にはD鋼を使用。

配置として大部分がG3で予定されていた物を継承しており、この時代に適した徹底した集中防御艦の建造をついに実現した事になる。
なお上の説明では装甲範囲が以前の艦よりも甲板一段分下がっているが、これは乾舷が増して装甲区画上の甲板が2層に増えたことによる数え方の問題である。
下図を見ても分かる通り、装甲帯とその上端に接続する水平装甲からなる装甲区画は、予備浮力を守る水線上の範囲も(通常時は)ある程度は確保している。

一方で比較的その範囲が狭いのも事実である。他国の先行する集中防御艦では装甲帯の高さは4.5~5mやそれ以上なのに対して本級は4m弱。以前の案で甲板傾斜部がカバーしていた範囲がなくなった分も影響している。  
もちろん装甲範囲の為に厚さを犠牲にして、十分な防御力を得られないようでは話にならない。それでも本級の場合は、水中弾はおろか水線付近への命中でも艦の動揺によっては装甲下の非装甲区画を抜かれてしまう危険があった。
この点は以降英海軍でも弱点と認識され、今後の課題として対策が行われる事になる。

ただし、とある動画で紹介されたネルソン級の模式図は不正確な物と言わざるを得ない。(自分の図もアレりはマシ程度だがどうしても寸法が合わない部分が・・・

現実のネルソン級と比較すると、装甲帯の高さが半分から三分の二程と狭さを誇張して描かれている他、装甲配置や艦型はネルソン級と言うよりも、今まで紹介してきた計画案とフッドを混ぜたような奇妙な形になっている。

水平装甲は最終的に傾斜部の無い物を採用。またF案と同じく艦首水平装甲は設けず艦尾のみに。

最後に「F」案からも変化した本級のみの要素として、水中防御縦隔壁など装甲帯背後の構造が挙げられる。
まずこれまでの防御隔壁は主装甲帯の下端から伸びる物を装甲化していたのに対して、本級では主装甲帯の一層奥にあるやや外傾した隔壁を防御隔壁として、装甲帯より分離した。 
また今までの案ではフッドまでが持つ亀甲甲板の廃止により、甲板による装甲帯下端の支持を失っていたが本級はその対策が取られている。
水中防御隔壁から外板まで伸びる傾斜した棚板を設け、装甲帯の下端をこの上に置くことで内部への圧入を防ぐ構造となる。(これは後の新戦艦でも採用。また日本の大和型も主装甲帯のみを見れば似た形か)

竣工時の評価
本級は一次大戦以降の遠距離砲戦にほぼ対応した装甲配置を持ち、これは実際に就役出来た艦としては世界初といえる。
同時に防御面を含め、排水量制限や急進的な設計そのものを起因として不評な部分も多々あり、(以降の英戦艦はもっと保守的な形に回帰してしまう)、若干兵器として無理をした部分があった事も否定できない。
しかしながら、本級が戦艦史において非常に重要な存在である事は何度でも強調しておきたい所である。
挑戦的な本級を生み出した事は、もはや絶対的な存在ではなくなったとは言え、今まで主力艦建造をリードしてきた国としての意地と理想を感じさせると個人的には思っている。

他艦との比較ではやはりこの時代の16インチ砲艦、改装前の長門、コロラド両級が相手になる。
防御面だと装甲厚は排水量制限もあってG3に比較的近い、つまり機関部が増厚したとは言え接近戦では16インチ砲に対して油断ならない物である。また装甲帯の浅さから来る水線下への被弾対策でも劣っている。
もっとも両級とも16インチ砲に対する垂直防御は本級以下であるし、土佐の例のような勢いを保ったまま深い部分に命中した砲弾へも対応できない。そして本級が持つ水平装甲は(この時期の英海軍のドクトリンからは反してしまうが)遠距離砲戦にて両級に対して大きな優位となる。

一方で火力面は門数で勝るが軽量弾の上に精度の為に初速が下げられ若干だが威力面で劣る。それ以上に深刻なのが砲塔機構を含めた信頼性の低さで、竣工時の本級について考える際には大きなネックとなる。
主に防御面の優位からスペック上はある程度抜けていると思われるが、仮に実戦で遅れをとるとすればこの火力面での問題が響いた場合になるだろう。

改装と表の解説 
条約期の最新鋭艦として保有された本級だが、開戦前には防御範囲の拡大など装甲配置の改正を含む大規模な改装計画も存在していた。(後述予定)
しかし計画時期的に殆ど実現せず、開戦後も対空装備やレーダーの増設など改装は比較的小規模に留まっている。(大戦末以降は艦橋がゴツくなっていて割と外見の印象は変わるが) 
唯一ネルソンのみ装甲に関する改装を行っており、艦首の第一船倉甲板に「傘」装甲として4~2.5インチの均質装甲を全長の8割程に設けている。また艦首横隔壁も艦底近くまで増設され、これらで艦首を向けた戦術への対応を図っている。

一応表の解説をすると、配置はビッグセブン編や上で解説した通り。砲塔前盾と機関部水平装甲が比較的弱体だが、この時代でも多くの部位は対16インチ防御と言える。
厚く深い傾斜を持つ主装甲帯と厚い装甲材質一枚板の水平装甲という組み合わせは、砲戦時の対弾性能のみを考えた場合、この時代でもやはり最適解の一つだろう。 
比較的新しい艦とは言え、改装なしこの結果に出しているのは就役艦では新戦艦ぐらいであり、本級の防御思想の優れた面を示している。

表以外の部分ではまず上部装甲帯云々はないので煙路から。
この部分はG3に見られた広範囲ではなく、下甲板開口部周辺のコーミングにのみ98インチの垂直装甲を設ける。厚さ的に中途半端かもしれないが、防御自体は有する事に。

次に水中弾対策は先述したように装甲帯の深さ不足から、水線付近に命中して特に勢いを保った砲弾が突入しやすい配置である。 
英海軍は一次大戦の時点でライオンやマレーヤが水中弾の被害を受けて、その存在自体は認識していたが、やはり重量との闘いの中で一部範囲が犠牲になったとみるべきか。
また水中防御区画内の縦隔壁も勢いを保ったまま突入する砲弾を防御する厚さではなく、既存の英戦艦と同じく積極的な防御は有していない。

副砲塔はそれ自体は弾片防御程度だが、副砲弾薬庫は(以前の一部案とは異なり)重要区画内で機関部と同厚の装甲で防御される。
またこの砲塔は軽巡・重巡編で解説したショートトランク式砲塔の原型で、誘爆対策は既存の副砲よりもかなり厳重である。
揚薬機構は火薬庫から砲室まで直通せず、固定式の下部揚薬機から途中に弾薬供給所を経て旋回部の上部揚薬機へと至る。さらに薬嚢砲にもかかわらず防爆容器(再利用可)に入れて運ばれるように。

最後に防御範囲の面では、装甲区画の高さこそ水線上のある程度は確保しているが、以前の艦よりも範囲の大きい前後部を防御するのは基本的に艦尾水平装甲のみ。また中央部では内装式装甲帯により生じた側面区画があるなど、浮力を失いやすい区画は大きめである。
これまでより高い乾舷やGM値からもこの点は想定済みと思われるが、やはり航空爆弾などへの防御は不向きだろう。(その点ネルソンが改装で追加した艦首の傘装甲は範囲も広く、区画防御としてもそれなりに有効だろう)

まとめ
何度目になるかわからないので簡単にいくと、この時代であっても本級は、一部に弱点を残しつつも装甲範囲の防御力は有力な物を持っている。
そして大きな点として、開戦までにようやく主砲の信頼性を向上させる事に成功している。(実際にビスマルク追撃戦では少なくとも初期のKGV級の主砲よりは上と証明)
そこからKGV級が14インチ砲艦、ライオン級が未成に終わった中では、攻防面のみを考えると二次大戦時の英戦艦では未だに最も有力とも言えなくもない。

KGVの代わりに新戦艦編に出すわけにもいかないが、他の新戦艦に対する表もここに載せておこう。 

ネルソン級安全距離(対新戦艦)

 装甲部位\艦砲

38cm50口径
(リシュリュー)

 15インチ50口径
(リットリオ)

38cm47口径
(ビスマルク)

16インチ45口径
 (NC)

16インチ50口径
(アイオワ)

 垂直装甲(弾薬庫) 20.5km以遠
21km以遠 18.5km以遠 19km以遠  23km以遠 
垂直装甲(機関部 22.5km以遠 23km以遠 20km以遠 20.5km以遠 25km以遠
砲塔前盾 35.5km以遠
36.5km以遠
26.5km以遠
32km以遠 安全距離なし
バーベット 23.5km以遠
(26.5km以遠)
24km以遠
(27.5km以遠)
20km以遠
(
23km以遠)
21km以遠
(24km以遠)
26km以遠
(29.5km以遠)
水平装甲(弾薬庫)  34kmまで 36kmまで 32.5kmまで 26.5kmまで 29.5kmまで
水平装甲(機関部) 26kmまで 27.5kmまで 26kmまで 20kmまで 21.5kmまで
 砲塔天蓋 35kmまで 37kmまで 33.5kmまで 27.5kmまで 30.5kmまで

垂直装甲(弾30度) 14km以遠 14km以遠 13km以遠 13.5km以遠 16.5km以遠
垂直装甲(機30度) 17km以遠 16km以遠 14.5km以遠 15.5km以遠 19.5km以遠

欧州の他国海軍が竣工させた新型戦艦(独ビスマルク、仏リシュリュー、伊リットリオ)と比較しても全く劣らない数字と評価できる。(砲塔正面は脆弱だが、それは上の三隻も同じ)
ただしネルソン級自体はこの時期の戦艦としては速力に劣り、これらの艦とはそもそも戦う機会が限られるのが難点だ。

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ネルソン級
改装案
建造就役が20年代と英戦艦の中では比較的新しい本級だったが、36年から39年までは不満点を改善すべく改装計画が存在していた。
最初は35年ごろ出された副兵装の両用砲への統一、艦橋の改正と言った要望から始まり、その後造船側が望んでいた装甲配置の改正を含む大規模な物へと発展していく。

装甲配置に関わる改正は主に2点で、第一は最大の不満点であった主装甲帯の範囲拡大。 
ここでは既存の主装甲帯の下端近くから水中弾防御を伸ばす案も当初はあったようだが、最終的には既存の装甲帯を撤去し、「傾斜を持たないが高さのある外装式装甲帯」を設ける形に。つまり新戦艦でも採用される当時英海軍で好まれた配置に。

補足として前者は普通の水中弾防御とは違い、主装甲帯とは逆方向に傾斜し下端が外板に達する(よって主装甲帯と合わせた垂直装甲の形は「く」の字のようになる)12~6インチ装甲の図が残っている。
後者については新規の装甲帯は厚さこそ弾薬庫14インチ、機関部13インチと以前と同じだが、水線下で6もしくは7インチにテーパーする部分を有する。単純に既存の装甲帯を外装式にした以上に防御範囲を拡大する物のようだ。
なお装甲帯の安全距離についてはヴァンガードの物と同程度と思われる。数字の上ではかなり下がる事にはなるが、同時にこの防御範囲の問題を英海軍が重く見ていた証と言えるだろう。

第二の変更点はネルソンのみ修理時に実行される事になる艦首水平装甲の追加。
英戦艦ドクトリンにおける「傘」装甲としての役割に加え、改装後の副兵装案では5.25インチ砲を6基搭載し、その内2基を一番砲塔前の艦首に置く物が一時期有力視されていた。
金剛代艦艦本案の解説でも述べたが、艦首水平装甲は重要区画外に置かれた副砲弾薬庫防御を兼ねる物となる。

なお39年初めの時点では、上記の改正の他にも航空艤装の追加、機関換装して速力2ノット以上向上、そして可能であれば非装甲の上部舷側に弾片防御追加といった内容が検討されていた。
その際に注目すべき事として、ここでは垂直装甲の改正が最優先、艦橋改正も望ましいと評価されつつも、最初の要求であった副兵装の統一はそこまで優先度は高くない物とされている。(また機関換装の優先度は最低、航空艤装は大改装艦のような形ではなく砲塔上のカタパルトのみが現実的とされる)

2年程度の工事期間が予定された同計画だが、その後の情勢の悪化と開戦を迎えあえなく実行不能に。一方で戦争も後半となった43年以降には、それよりは時間のかからない副兵装を統一する計画が復活する。
ここでは既存案と同じく(艦首搭載案はなくなったが)英国製の砲に換装する物に加え、国内の余裕がないのならと、ネルソンのみD級デリーのようにレンドリース法に基づいてアメリカで米国式装備を搭載する計画も存在していた。
この計画はウェストヴァージニアなど米大改装戦艦のような配置で、38口径5インチ砲を連装で片舷に4基ずつ置いた模型まで残っているが、結局自国艦の造修が優先され認められず。米国での改装自体は行われたが、ボフォース機銃の搭載などに留まった。
そしてロドニーに至っては、改装はおろか老朽化した電線類の交換や水漏れの修理もままならない程度の状態で艦歴を終える事になる。

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ネルソン級以降の条約期戦艦案

英国は日米と同じく、31年より新たな代艦建造が条約により認められていた。
その後のロンドン条約でこれは5年先送りとなるが、それまでに研究された戦艦案についても触れておく。

既存の規定で建造できる代艦というと、ネルソンと同じく基準35,000t、16インチ砲艦までとなる。
当時の英国はそれに対して、基準25,000t、主砲口径12インチまでと、制限をより厳しくすることを国際社会に訴えていた。
この規模の艦では技術の進歩を考えても、各国が保有する16インチ砲艦を上回る戦力になることは考え辛い。
つまりビッグセブンの3クラス7隻が各国海軍の最強戦力である時代が今後も続くことになる。
英国のネルソン級はこの中で最も新しい上に、他の16インチ砲艦に比べ攻防性能での優位を確実に持っていた。
そして個艦制限の強化を行い、他国がより優れた戦艦を建造する事を出来なくしてしまう事で、この優位を維持しようという狙いである。
(この環境では高速で火力の高いフッドの価値も上がるだろう)
中々したたかな考えだが、素直にバランスのとれた16インチ砲艦は現行の制限では難しいと分かってきたこと、そして建造費を抑えたかったという理由も存在する。

実際に1927年に開かれたジュネーブ会議、並びに1930年のロンドン会議において提案されているが、主に米国の反対により受け入れられず。
さらにロンドン会議に前後して登場したドイツ装甲艦も大きな影響を与えている。
ヴェルサイユ条約の穴を突く形で建造されたこの艦は、戦艦として見ると非常に弱体だが、それでも殆どの戦艦を上回る高速性と巡洋艦を圧倒する程度の火力を持つ。
イギリスが求める小型戦艦では、この装甲艦を補足して確実に仕留めるだけの性能を持たせるのは難しかった。
実際フランスは26,500t、13インチ砲とより大型のダンケルク級の建造を決定、それを受けてイタリアも同規模の艦の建造へ動いている。
このような状況では他の列強海軍がイギリスの提案を受け入れるはずはなかった。
こうしてイギリスの目論見は失敗に終わるが、代艦建造を行える艦齢を5年間延長することが認められた為、より優れた戦艦の登場を先延ばしにする事には成功した。
尤も五年後に建造される戦艦の制限でも策を弄した結果、色々失敗してしまうことになるのだが。

代艦の研究は1928年より始まる。
24年の時点でダインコート卿は造船局長を辞任して後任のウィリアム・ベリーに代替わりしていたが、設計班自体はフッドの頃とあまり変わらず、アトウッド並びにグドールが中心となる。
案の内容は制限の強化を見越した小型戦艦案が中心となるが、自らの提案がすべて受け入れられなかった場合に備えて、現行の制限内での研究も行われている。

16A案は数少ない制限一杯の35,000t、16インチ砲艦案であり、主にネルソン級の反省点を盛り込んだものとなっている。
まず主砲は連装4基を前後部に配置と保守的な物に。砲門数が一門減ったが、より信頼性の高い連装砲塔を採用することで火力では劣らないものとされた。
また威力面でも不満のあったネルソン級の砲に変えて、より重い砲弾を低めの初速で運用する砲が求められたが、こちらは補給面の都合から実現せず。
防御力は砲塔配置の変更などもあって、装甲帯や砲塔といった垂直装甲は全体的に1~2インチ減厚した。それでも強力な傾斜装甲や厚い水平装甲などは受け継がれている。
この時期になると、日本の金剛代艦など優れた防御を持つ研究案が登場しており、G3やN3の頃のような優位は無いが、それでも互角以上に戦えるものである。
またこの時期には水中弾への対策が必要とされており、本級もネルソン式の配置に加え、内装式装甲帯の下端にさらに4m程の深さを持つ傾斜した装甲帯が接続。より広い装甲範囲を獲得している。
攻防力の面ではネルソン級以下の物となってしまうが、同級で見られた多くの不具合を無くす努力が見られるのは大きい。
速力はネルソン級と同じく23ノットであり、第二次大戦期に於いては低速で使い道が限られるのが痛いところだが、それ以外の面ではより信頼のおける戦力になっていただろう。

次に14Aや14Bといった14インチ砲艦案は、排水量3万トン付近で設計がまとめられている。 
当初は28,000tを基準とした研究が行われていたが、この排水量で十分な門数と防御力(水中弾防御を含む)を確保するにはネルソン式の砲塔配置を採用する必要があると判明。
やや排水量はオーバーしてしまうが、こちらもより信頼性が高く運用しやすい連装4基が好まれた。
主砲は重めの砲弾を運用し、のちにKGV級に採用された14インチ砲に近い性能となったと思われる。
装甲は垂直装甲が弾薬庫11インチ機関部10インチとなるなど、基本的にネルソン級より3インチ減厚。(砲塔正面のみ14インチと2インチ減厚)
18度の傾斜装甲の効果を考えれば表で言うと加賀型に近い安全距離となり、第二次大戦期でも14インチ砲防御としても順当な物と思われる。
一方で水平装甲は航空爆弾などの対策としてネルソン級より変わらず、砲塔天蓋は6インチに減厚したが依然有効なものである。
速力は25~23ノットと、こちらも高速力を求めない普通の戦艦となる。
この性能なら、改装を行った旧式の14インチ砲艦相手でも十分に対抗でき、16インチ砲艦にしても改装前なら接近戦や遠距離にて勝機もある。
さすがにネルソン級や改装を行った16インチ砲艦相手では近遠共に不利となるが、その意味では英国の思惑通りの性能と言えるだろう。

戦艦案の中心となる12インチ砲艦は、2万5千トンの小型戦艦が予定されていた。
主砲配置は他の案と同じく、連装砲塔を前後部に2基づつ配置する形が中心である。
また重要区画を短縮する為に砲塔を3基とした案も、前方2基後方1基と、ネルソン式の前部集中が避けられている事がわかる。
(一応ネルソン級が竣工する前の研究案では主砲3基の前部集中も確認できる他、のちの戦艦案でも重量削減やカタパルト配置に適しているとして検討されてはいる)
装甲については、まず垂直装甲は弾薬庫10インチ機関部9インチに。
上の案から順調に減厚しているが、ネルソン級と同等の傾斜装甲とすると、第二次大戦期の14インチ砲にもある程度耐えることが出来るだろう。
さらに水平装甲はネルソンと同等と、搭載主砲や排水量の割に重装甲が施されている。
(ただし水中弾防御は採用されない可能性が高い)
速力は23~25ノットだが、23ノット案以外の多くが目標とされた25,000tを超過している点が問題とされた。
結局25ノットの12インチ砲艦に要求された装甲を施すには、排水量27,000tが必要との研究結果が報告されている。
そこで装甲を垂直8~7インチ、水平4~3インチで我慢して24ノット25,000tとする案や、搭載主砲を10~11インチまで減らす研究も行われるが、どちらも受け入れられる事は無かった。
(もはやこれらの艦では旧式の14インチ砲艦にすら対抗できず、既存の13.5~15インチ砲艦に変えて建造する程の価値はないと言える)

こうしている間にロンドン条約の内容がまとまり、(主力艦関連では)ワシントン条約の批准国の間で受け入れられる。
個艦制限の強化は認められなかったが、代艦建造自体が5年先送りとなり、これにより早急に新型戦艦の設計を行う必要はなくなった。
(この直後にはドイツ装甲艦への対策として30ノット発揮可能の小型高速戦艦の研究が行われるが、特に発展することなく終了している)
尤も英国は個艦制限の強化を諦めておらず、五年後の第二次ロンドン条約でも議論される事になる。

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キングジョージ五世級戦艦

1937年起工 1940~51年就
227.1m 36,700t  45口径14インチマーク7  四連装2基・連装1基計10門  28ノット

装甲厚
垂直装甲(弾薬庫)  374mmCA+22mmDS傾斜4度 → 22mmDS
垂直装甲(機関部)  349mmCA+22mmDS → 22mmDS
砲塔前盾 324mmCA
バーベット 324mmCA
水平装甲(弾薬庫) 12mmDS+19mmDS →149mmNCA+12mmDS ≒ 165mmNCA
水平装甲(機関部) 12mmDS+19mmDS →124mmNCA+12mmDS ≒ 140mmNCA
砲塔天蓋 149mmNCA前部微傾斜

上部装甲帯→甲板 なし
上部装甲帯→傾斜部 なし

船体 平甲板型

KGV級安全距離

 装甲部位\艦砲

8インチ

28cm

41年式36cm

14インチマーク7

15インチ

16インチ

46cm

 垂直装甲(弾薬庫) 1km以遠 10.5km以遠 12km以遠
15km以遠 18km以遠 19.5km以遠 24.5km以遠
 垂直装甲(機関部) 2.5km以遠 13km以遠 15km以遠
18km以遠 21.5km以遠 23km以遠 29.5km以遠
 砲塔前盾 4.5km以遠 15km以遠 17.5km以遠 21.5km以遠 25km以遠  26.5km以遠 33.5km以遠
バーベット 3km以遠
(4.5km以遠)
13km以遠
(15km以遠)
15.5km以遠
(17.5km以遠)
18.5km以遠
(21.5km以遠)
22km以遠
(25km以遠)
 23.5km以遠
(26.5km以遠)
30km以遠
(33.5km以遠)
水平装甲(弾薬庫)  貫通不能 36kmまで 30kmまで 29.5kmまで 30kmまで 30kmまで 30.5kmまで
水平装甲(機関部) 貫通不能 34.5kmまで 28.5kmまで 28kmまで 28kmまで 28kmまで 28.5kmまで
 砲塔天蓋 貫通不能 35kmまで  29kmまで 28.5kmまで 29kmまで 29kmまで  29kmまで

垂直装甲(弾薬庫30度) 貫通不能、2.5km以遠、3km以遠、8km以遠、11.5km以遠、14.5km以遠、17.5km以遠
垂直装甲(機関部30度) 貫通不能、5km以遠、6km以遠、12km以遠、15.5km以遠、17km以遠、22km以遠

ロンドン条約により五年間先送りとなった代艦建造は37年より認められる。
本級もそのタイミングに建造が開始され、第二次大戦時に新型戦艦として完成した戦艦だが、その前に本級に至る戦艦研究についても上の続きとして触れる事が出来たらと思う。

まず研究は33年より始まる。
当時の英海軍はまた造船局長が代替わりしたのと、1910年代より長年設計班の中心であったエドワード・アトウッドが何かしらの理由で居なくなり、グドールが後を継いで作業を行っていた。
(アトウッドは英戦艦関連ではよく名前を聞く人物であり、造船工学に関する著書でも知られているが、肝心の人物像や経歴については把握できていない)
また36年にはグドールが造船局長に就任し、その前後より設計班はハーバート・ペンゲリーが主導している。

この時点では以前の研究案を受け継いだ12インチ砲搭載の小型戦艦案が中心となる。
米国を中心に拒絶される中、何故そこまでこだわる必要があるのかと疑問に思うが、一応米国は1931年より従来の35,000t案に加え3万~2万5千トン程度の戦艦について研究を行っているし、日本も詳細は不明だが2万8千トンの14インチ砲艦を検討していたとされるので、可能性も全く無い訳では無かったのだろう。

そしてこのページ的に重要なのは、この時期に英海軍がネルソン式の傾斜装甲を捨てることになった点である
KGVにおけるネルソン式の傾斜装甲の廃止は、新戦艦編でも幾つか理由を推測している他、このページでも「装甲範囲の狭さによる水中弾防御の欠如」を理由として挙げていた。
しかしこれとは別に大きな影響を与えたのが、水雷防御との兼ね合いである。
本案では、以前の案と同じくネルソン式の内装式装甲帯に水中弾防御を付属させたものと、米標準型に近い傾斜しない外装式装甲帯を持つ防御様式が比較されている。
水雷防御は米テネシー級などで採用された、空・液(燃料)・空の三層からなる多層式防御が導入されている。
そしてこの水雷防御を使用するにあたり、傾斜装甲から伸びる水中弾防御の装甲が隔壁の形に影響を与え、水雷防御の効率が悪い物となると判断されたそうだ。
また水中弾防御用の薄い装甲帯は、水中爆発で破砕されて被害を拡大させてしまう可能性も指摘されている。
その結果、より厚い外装式装甲帯を深い位置まで設ける方式が好まれた。

管理人は水雷防御については全く知らないというか思考停止状態なので、この時点で傾斜装甲の廃止と言う対弾性能を大きく変化させることにまで影響しているとは知らずに驚いた。
(そうすると水雷防御を重視しておいてPOWはシャフトが曲がって云々という話になってしまうが、水雷防御関連は本当に知らないのでこの辺で)
この内装式傾斜装甲から外装式非傾斜装甲への回帰というのは、同時期の米国やフランス海軍(金剛代艦平賀案を入れれば日本海軍も)とは全く逆の流れであり、素直に興味深い。
戦艦の装甲配置において、一部の形質のみで年代を決定する事が出来ない事を示す明らかな例である。

話を12インチ砲艦に戻して、先の研究案での経験から排水量28,000t台に大型化しているのが特徴となる。
排水量が増加した分、砲門数が10~12門に強化された案が多い。10門案では連装砲塔を妙高やブルックリン式の配置にする方式や三連装との混載が検討されている。
副兵装はいずれも4.7インチ対空砲と6インチ副砲を併用する形で、6インチ砲はネルソン級と異なりケースメイト式である。
そして速力は基本23ノットと変わらず。装甲艦やダンケルク級の登場などがあっても、これ以上速力を増すには防御力を犠牲する点が受け入れられなかったそうだ。
装甲は傾斜装甲の廃止により、垂直装甲は12.5インチ・11インチ厚となっている。
傾斜の恩恵は受けられないが、装甲厚と品質が向上したことを考えると、20年代の12インチ砲艦案と同程度の防御力を維持している。
さらに水中弾防御も考慮されており、装甲範囲でも以前の案を上回るだろう。
一方で水平装甲は5.5インチ・3.5インチと減厚しており、機関部の防御はやや不足してるか。

また同時期には、地中海艦隊の副司令でその前には第三海軍卿を務めていたバックハウス提督が戦艦案について意見している。
そこでは6インチ砲を廃止して副兵装の口径を統一、重装甲の司令塔廃止、条約が続く場合60年代まで保持される艦なのだから、より高速力(27ノット程度)が必要など、35年以降の戦艦案に強く反映される内容が含まれている。

34年に第二次ロンドン会議が開かれると、主に米国との交渉を通じて、さすがに28,000t、12インチ砲艦の制限は難しいという意見も強くなる。
それを受けて排水量3万から3万5千トン、速力23ノットの14インチ砲艦案が作成され始めた。
最終的に採用される四連装砲塔の使用もこの時期に決定しており、3基12門案が中心になる。

35年には、本格的に個艦制限の強化が失敗に終わることを想定して、現行の制限内で作成された戦艦案が登場している。
排水量35,000tに16~14インチ砲を搭載した高速艦が中心となり、速力は29~26ノットに。
興味深いのは、これらの案の一部には巡洋戦艦の名称が用いられている点だ。
各案の装甲を見ると、確かに一部の案は垂直12インチ、水平5~3インチと、16インチ砲に比べると弱体だが、14インチ砲には対応できなくもない程度ではある。
さらに厚い装甲を持つ案もあったりと、当時の英海軍でも巡洋戦艦と高速戦艦の境が曖昧になっていた事を伺わせる。

これらの案の中でも、当初は射撃管制の観点から14インチ12門艦が好まれていたが、最終的には15インチ砲9門を搭載する「15C」案が選ばれた。
当時は仏伊が条約で認められた代艦として15インチ砲艦の建造に動いており、さらにドイツも15インチ砲艦の建造を発表していた。
つまり英国以外の欧州海軍国が15インチ砲艦の建造を行う所となり、これに対応する形で選ばれた案ということになる。
同艦は速力28.5ノットに装甲は垂直14~13インチ、水平6.5~5インチと、結構バランスのとれた高速戦艦で、後述する装甲配置の改正を行えば、おそらく最終案よりも優れた艦になっただろう。
しかしこの案は第二次ロンドン会議にて、新造艦の主砲を14インチ以内とすることが認められた為消滅してしまう。

その後は14インチ砲12門艦の設計が進められ、最終的に若干垂直装甲を増した10門艦として完成するが、これ以外にも装甲配置の大きな改正が行われている。
一つ目が艦首防御の強化で、非装甲の艦首を抜いた砲弾が一番砲塔弾薬庫に飛び込むのを防ぐため、艦首下甲板を装甲化した。
これに加えて重要区画内の装甲甲板をネルソンよりも一段上の中甲板に設けて、浮力維持に優れた広い装甲区画を獲得したのもこの時期である。

最終案である「14P」案は1936年4月に作成、翌月に承認されて条約明けの37年1月1日より順次建造された。
その頃の他国戦艦と言えば、先述したように独仏伊は15インチ砲艦を計画し、日本は条約自体を拒絶して巨大戦艦の建造へ。
残るアメリカは英国と同じく14インチ砲艦の建造を予定していたが、後に日本の動向によりエスカレーター条項が発動、改設計を行って16インチ砲艦を建造してる。
それに対して本級は戦力化を急いだこともあり、改設計も行えずに列強新戦艦の中で唯一の14インチ砲艦として完成してしまった。
言ってしまえば、自国が長年進めてきた、個艦制限の政治的駆け引きの犠牲になった艦である。
(完成を急いだおかげで活躍の機会を得た部分もあるので、複雑な所ではあるが)

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本級は新戦艦編でも扱っているが、一応こちらでも表のほうを軽く触れておくと、
まず垂直装甲の安全距離は弾薬庫が対16インチ、機関部が15インチ防御に匹敵するが、これはネルソン級に比べるとやや劣るものとなっている。
そのかわり高さは広く、7mもの範囲に貼られてる。
これは4m程のネルソン級を大きく上回るのはもちろん、各国戦艦の中でも最も広い範囲を防御できている(水線下に水中弾防御を持つ日米新戦艦を除く)。
主装甲帯は水線下の部分も深く、これは先述した1931年の射撃試験の結果も影響していると思われる。

優れた船体防御に比べ、砲塔やバーベットの垂直装甲は各国新戦艦のなかでも弱体と言える。
本級について「攻撃力の代わりに防御力を重視した」と言う評価をたびたび聞くが、この部分に関しては当てはまらないだろう。

水平防御は数字のみを見ても、弾薬庫はネルソン級と同等、機関部に関しては大幅に上回っている。
また装甲帯の範囲が高くなったため、その上端に接続する装甲甲板もネルソン級に比べ高い位置になり、船体の非装甲区画が小さくなっている点も改善点だ。
なお上甲板を含めない外殻被弾時の安全距離は弾薬庫で 貫通不能/35.5km/30km/29km/29.5km/29.5km/30km
機関部 貫通不能/34km/28km/27km/27.5km/27.5km/27km
砲塔天蓋に関しては普通に減厚したが、装甲品質の改善もあり、そこまで問題となるものではない。

一応まとめると、砲塔周辺の垂直防御に問題があるが、それ以外は普通に新戦艦として堅実なものとなる。
その砲塔周辺の装甲についても、日米の旧式14インチ砲艦程度には通用する物ではある。
またそういった旧式戦艦の中には本級の搭載する14インチ砲に耐えられない艦も多く、当時の戦艦全般と比較すれば決して「戦艦のようなもの」という劣った存在ではない事は確かである。
新戦艦の中では微妙、と言う評価はあまり変わらないのだが。

 

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ライオン級戦艦
(1938年案)
1939年起工 未完成
239.3m 40,550t    45口径16インチマーク2 三連装3基9門  29ノット

装甲厚
垂直装甲(弾薬庫) 374mmCA+22mmDS傾斜4度
垂直装甲(機関部) 374mmCA+22mmDS
砲塔前盾 374mmCA傾斜なし
バーベット 374mmCA
水平装甲(弾薬庫) 22mmDS+19mmDS →149mmNCA+12mmDS ≒ 169mmNCA  34
水平装甲(機関部) 22mmDS+19mmDS →124mmNCA+12mmDS ≒ 145mmNCA
砲塔天蓋 149mmNCA前部微傾斜

上部装甲帯→甲板 なし
上部装甲帯→傾斜部 なし

船体 平甲板型

ライオン安全距離

 装甲部位\艦砲

8インチ

28cm

41年式36cm

14インチマーク7

15インチ

16インチ

46cm

 垂直装甲(弾薬庫) 1km以遠 10.5km以遠 12km以遠
15km以遠 18km以遠 19.5km以遠 24.5km以遠
 垂直装甲(機関部) 1km以遠 11.5km以遠 13.5km以遠
16km以遠 19.5km以遠 21km以遠 27km以遠
砲塔前盾 2km以遠 12km以遠 14km以遠
17km以遠 20.5km以遠 21.5km以遠 28km以遠
バーベット 1km以遠
(2km以遠)
10km以遠
(12km以遠)
12km以遠
(14km以遠)
14.5km以遠
(17km以遠)
17.5km以遠
(20.5km以遠)
18.5km以遠
(21.5km以遠)
24.5以遠
(28km以遠)
水平装甲(弾薬庫)  貫通不能 36.5kmまで 30.5kmまで 29.5kmまで 貫通不能 30.5kmまで 30.5kmまで
水平装甲(機関部) 貫通不能 34.5kmまで 29kmまで 28.5kmまで 28.5kmまで 28.5kmまで 29kmまで
 砲塔天蓋 貫通不能 35kmまで  29kmまで 28.5kmまで 29kmまで 29kmまで  29kmまで

垂直装甲(30度) 貫通不能、2.5km以遠、3km以遠、8km以遠、11.5km以遠、14.5km以遠、17.5km以遠

英国が望み続けた個艦制限強化への希望は、第二次ロンドン条約への日本の不参加で打ち砕かれることになる。
日本の動向に注目が集まる中、英国は制限拡大を見越した15~16インチ砲艦の研究に再び取り組み始める。

まずはKGVに準じた船体に15インチ若しくは16インチ砲9門を搭載、弾薬庫のみに16インチ砲防御を施した艦の排水量について推算している。
(装甲厚は垂直・水平それぞれ、弾薬庫411mm・162mm、機関部286mm・32!mm)
その結果15インチ9門でも35,000tを大きく超過、16インチ砲艦に至っては9門では機関重量が捻出できず、門数を6門とした上で22ノットに抑える必要があるとの厳しい結果となった。

1937年3月末には日本が正式に条約の制限に同意できない事を通告、エスカレータ条項の発動が確実になる。
その後の研究としてはKGVの船体に15インチ若しくは16インチ砲を搭載した場合、装甲や速力をどれだけ削減すれば排水量内に収まるか研究される。
(他にもネルソン級の主砲配置や6門案が提案されるも、特に進展せず)
排水量を抑えるために、水平装甲を1~0.5インチ減厚、副砲の削減やカタパルトの撤去、主砲を三連装三基から一基を連装砲とした速力26ノットの艦とする事等が提案されている。
こちらは現実的な案として迎えられたが、連装砲と三連装砲を同時に設計するのに掛かる手間から好ましくなかった。

11月には9門艦計画として、先の副砲塔の削減や航空艤装の廃止などに加え、主砲弾数の減少や装甲配置の変更を行うことで、排水量を36,000程度に抑えつつKGV並みの速力を持たせる案が登場する。
(装甲配置の変更については、装甲甲板である中甲板を下方向へ微傾斜させたり、装甲帯の高さを減らす等、装甲範囲を犠牲にして重量軽減を図っている。
ネルソン級の様に装甲甲板を下甲板まで下げる事も検討されたが、装甲範囲は狭くなりすぎると航空爆弾による被害が拡大する為認められなかった。
一方甲板に傾斜をつけると砲弾の撃角が深くなり、徹甲弾に対する防御力が低下してしまうが、元が厚いのでそこまで悪影響はないとされている)

このようにかなり切り詰めた16インチ砲艦の設計がしばらく続くが、この状況は1938年7月より発効するエスカレーター条項の内容により一変する。
新たな制限では最大口径は16インチまでとなっただけでなく、排水量も一万トン拡大された45,000tが上限となった。
この決定に前後して、35,000tを超える計画案が複数作成される。
その中から好まれたのが16F-38案であり、16インチ砲9門に29ノットを発揮可能な4万トン案である。
装甲配置もKGVに準ずるものとされ、さらに弱体だった砲塔やバーベットの垂直装甲が強化されている。
他には30ノット(基準排水量では31ノット)とより高速な16G-38案(43,000t)、16インチ砲を12門搭載する16E-38案(48,500t)なども存在したが、
ドックの大きさから4万トン付近が望ましいとされた他、後者は排水量が制限越えの上に、砲塔の製造能力の限界から見送られている。
(この砲塔製造に掛けるリソース不足というのは、後のヴァンガードの建造にも大きく関係している)
最終的に削減されていた副砲を含む対空兵装の追加や、機関部の垂直装甲を弾薬庫と同等とするなど変更を経て、16F-38がライオン級として承認される。
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四隻の建造が予定されたライオン級は、まず1939年6月から7月にかけて最初の2隻が起工されるも、9月の開戦により建造は延期。
その間にフッドやPOW喪失の戦訓を盛り込んで改設計が行われるも、1943年にはこの計画も中止に。
(内容は更なる対空兵装の追加、航続距離の延長、水雷防御や弾片防御の改善など。
排水量は42,550tとなり、カタパルト撤去に機関部の垂直装甲がKGVと同等に戻された他、速力も0.5ノットほど低下している)
尤も英海軍はこの2隻の建造自体を諦めておらず、1944年には設計を根本から改めた艦とする計画も存在した。
当然その内容は元のライオン級とかけ離れた物になるので、こちらは改めて下の方に書いてみたいと思う。

ということで、前級では324mmしかなかった砲塔やバーベットが374mm(381mm)に増厚している。
また機関部の装甲帯も374mm(381mm)+バッキングと弾薬庫と変わらない厚さに。
KGVと比べると全体的に16インチ砲対応防御を獲得していると言えるだろう。
水平装甲はKGVの時点で十分な物があったが、本級では装甲甲板の一段上にある上甲板が10mm増厚されており、安全距離もさらに広くなっている。
(外殻被弾時はKGVと同等)

本級の16インチマーク2/3砲はカードナルド弾を基準にしたのか、NAaB上ではかなり強力な砲として設定されている。
垂直装甲に対する貫通力を見てみると、第一次大戦期の表面硬化装甲に対する貫通力は2万ヤード(18.3km)で510mmにも達する。
これは大和アイオワ、リットリオの主砲には劣るが、リシュリュー級の主砲を最大初速で運用した際の貫通力と同等で、サウスダコタの16インチ砲を上回る。
ビスマルク級の垂直防御なら、19~20km付近で傾斜部含めて打ち抜けることになる。
実際にここまでの威力を持つと信じるとすると、KGVはもちろん15インチ砲艦であるヴァンガードに比べても、戦艦同士の戦いではより有力な艦になっていただろう。
新戦艦編に放り込んでいたら面白かったかも。

上で少し触れた6門案は、垂直411mm、水平162mmと言う重装甲となっている。
この場合の垂直装甲はサウスダコタ級の主砲に対して18kmで安全距離を持つ他、大和アイオワの主砲を除く艦砲(仏伊15インチ砲を含む)に対して22km以内での安全距離を持つ結果に。
速力30ノットの高速艦である上に、数字上での攻防力に優れているとなると、かなり魅力のある案だと思う。
ただし6門では当時の主砲運用に不都合だとされた他、防御面ではこの厚さの表面硬化装甲で品質を維持できるか疑問が呈せられている。
さらに全長に対する装甲区画の割合はネルソンよりも短く、5割を切ってしまうのも不安な点だ。
尤も砲門数を6門に減らすことで艦のサイズを抑えると言う試みに関しては、数年後には日本海軍の超大和型で行われている他、英海軍自身も選ぶ手段でもあるのだが。

 

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ヴァンガード

1941年起工 1946~60年就役 
248.2m  44,500t   42口径15インチ砲 マーク1  連装4基8門 30ノット

装甲厚
垂直装甲(弾薬庫) 349mmCA+22mmDS傾斜約4度 → 37mmDS
垂直装甲(機関部) 324mmCA+22mmDS → 22mmDS
砲塔前盾 324mmCA 傾斜約30度(内傾)
バーベット324mmCA
水平装甲(弾薬庫) 22mmDS+19mmDS → 149mmNCA+13mmDS ≒ 169mmNCA
水平装甲(機関部) 22mmDS+19mmDS → 124mmNCA+13mmDS ≒ 145mmNCA
砲塔天蓋 149mmNCA傾斜0~5度/横傾斜数度

ヴァンガード安全距離

 装甲部位\艦砲

8インチ

28cm

41年式36cm

14インチマーク7

15インチ

16インチ

46cm

 垂直装甲(弾薬庫) 2km以遠 12.5km以遠 14km以遠
17km以遠 20.5km以遠 21.5km以遠 27km以遠
 垂直装甲(機関部) 3.5km以遠 14km以遠 17km以遠
20.5km以遠 24km以遠 25.5km以遠 32km以遠
 砲塔前盾 貫通不能 12km以遠 20km以遠 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
バーベット 3km以遠
(4.5km以遠)
13km以遠
(15km以遠)
15.5km以遠
(17.5km以遠)
18.5km以遠
(21.5km以遠)
22km以遠
(25km以遠)
 23.5km以遠
(26.5km以遠)
30km以遠
(33.5km以遠)
水平装甲(弾薬庫)  貫通不能 36.5kmまで 30.5kmまで 30kmまで 貫通不能 30.5kmまで 31kmまで
水平装甲(機関部) 貫通不能 34.5kmまで 29kmまで 28.5kmまで 28kmまで 28.5kmまで 29kmまで
 砲塔天蓋 貫通不能 35km
~32.5kmまで
 
29km
~27kmまで
28.5km
~26.5kmまで
29km
~26.5kmまで
29km
~26.5kmまで
 29km
~26.5kmまで

垂直装甲(弾薬庫30度) 貫通不能、4.5km以遠、5.5km以遠、10.5km以遠、14km以遠、16km以遠、20.5km以遠
垂直装甲(機関部30度) 貫通不能、7km以遠、8.5km以遠、15km以遠、17km以遠、19.5km以遠、25km以遠

新戦艦編と同じく、装甲品質はKGV級と同等として計算

建造経緯などは新戦艦編でやってしまったが、取り敢えず装甲配置の特徴はKGVの物をベースに艦首艦尾に薄い装甲帯が追加された点である。
これは直撃弾への防御力は期待できないが、航空爆弾の至近弾による浸水を防ぐのに有効として導入された。
本ページで英国装甲艦~戦艦の装甲配置を見てきたが、艦首艦尾や舷側上部など重要区画以外の装甲は導入と廃止を繰り返している事が確認できる。
そして最後に本艦で艦首艦尾の垂直装甲が復活した所で、その系譜が途絶えるという事になる。

妄想になるが、もし第二次大戦以降も盛んに戦艦建造が行われた場合、航空機からの被害を少しでも減らす為にこういった装甲を持つ艦が主流になったかもしれない。
(ソ連が戦後に計画した24号計画艦も同じような装甲を持っているし)

最後に新戦艦ではあまり触れなかった他国戦艦との戦闘について妄想してみたい。まずは枢軸側から。
(本艦と実際に戦える艦は限られるが)
新戦艦編で触れたように、本艦はは一部装甲こそKGVより薄いが、堅実な船体装甲と15インチ砲の火力から、より優れた戦闘力を持つ艦だろう。
そのなかで弱点となるのが、KGVと同じく砲塔の垂直装甲が薄く、新戦艦が搭載する15インチ以上の艦砲に対抗できない点である。
それでも本艦は枢軸側の11~14インチ砲艦へは有効な防御力を持っており、こちらの主砲も十分通用する。
伊勢型の弾薬庫の一部やシャルンホルストの多重防御は強力だが、どちらもそれ以外に弱点を抱えている。
よほど近距離でない限り、こちらの優位は揺るがないだろう。
また速力に優れる事から接近戦に持ち込まれるのを避けやすいのも良い点である。

一方で自艦以上の艦砲を持つ最新鋭艦相手だと優位はそこまでない。
対大和型は言うまでは無く、リットリオ級もカタログ上は恐ろしい艦である。そしてビスマルクもその防御様式から20km以内で殴り会えばこちらが不利と言わざるを得ない。
これらに対しては、20km台の遠距離戦での砲撃精度という、このページらしくない部分に頼る必要がある。
実際対ビスマルクでは撃沈時に回収した資料やソ連経由でその防御様式を把握して以降、英海軍は一部の艦へ2万ヤード以遠での戦闘に徹するように通達している。
もう少し距離をとれるなら、水平装甲や砲塔防御からこちらが優位になり易いだろう。
リットリオ級も遠距離戦ならこちらも十分戦えるが、さすがに大和型は厳しいか。

そして本艦の完成後にも就役していた米仏の新戦艦に対しても優位を持てるかは怪しい。
一応凌波性や乾舷と装甲帯の高さ、艦首防御を持つなど勝る部分もあるが、相手側は火力か主要区画の防御力のどちらかで本艦に優位を持つ。
この時期に戦艦同士の戦いで優位を持つからといって何になるかと言われればそれまでだが、両国戦艦への対抗はライオン級の方が相応しいだろう。

本艦は建造目的である戦艦戦力の増強としては(戦争に間に合わなかったという点を無視すれば)十分すぎる性能を持っている。
長年海軍戦力のトップを走ってきた大英帝国最後の戦艦としては、少し微妙な評価にならざるを得ないが、全盛期を過ぎた国力からすると、身の丈にあった良艦とも言えるか。
尤も英国は大戦終結まで本艦を最後にするつもりはなく、先述したライオン級を完成させる予定だった。
最後はこれについて扱おう。

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英44・45年戦艦案

研究のみ(決定前に計画消滅)
B3案
283m 55,540t 45口径16インチマーク4 三連装3基9門 29ノット
X3案
247m 45,360t 45口径16インチマーク4 三連装2基6門 29ノット

装甲厚
垂直装甲(B3) 249mmCA → 76mmNCA(推定)

垂直装甲(X3弾薬庫)312mmCA → 76mmNCA(推定)
垂直装甲(X3機関部)287mmCA → 76mmNCA(推定)
水平装甲(弾薬庫)149mmNCA
水平装甲(機関部)100mmNCA

英44・45年戦艦案安全距離(km)

 装甲部位\艦砲

8インチ

28cm

41年式36cm

14インチマーク7

15インチ

16インチ

46cm

 垂直装甲(B3) 4.5km以遠 18.5km以遠 24km以遠
27.5km以遠 安全距離なし 安全距離なし 安全距離なし
 垂直装甲(X3弾薬庫) 2km以遠 14km以遠 18km以遠
20.5km以遠 24.5km以遠 27.5km以遠 34.5km以遠
 垂直装甲(X3機関部 3km以遠 16km以遠 20km以遠
23km以遠 27.5km以遠 29km以遠 37.5km以遠
水平装甲(弾薬庫)  貫通不能 35kmまで 29.5kmまで 28.5kmまで 28.5km以遠 29kmまで 29kmまで
水平装甲(機関部) 貫通不能 30.5kmまで 25kmまで 24kmまで 23.5kmまで 23kmまで 21.5kmまで

B3垂直装甲(30度) 1km以遠、12.5km以遠、16km以遠、19.5km以遠、23.5km以遠、25km以遠、34km以遠
X3垂直装甲(弾薬庫30度) 貫通不能、3.5km以遠、9km以遠、13.5km以遠、17km以遠、18km以遠、25km以遠
X3垂直装甲(機関部30度) 貫通不能、5.5km以遠、11.5km以遠、16km以遠、19.5km以遠、20.5km以遠、28.5km以遠

英海軍は当初、戦後も戦艦10隻からなる艦隊を保持する予定であり、ライオン級2隻を新設計で完成させるべく1944年より研究を行っている。
(他の8隻はKGV級4隻、ヴァンガード、レナウン、ネルソン級2隻)
すでに戦艦と言えども航空機に対する脆弱性を持つ事は十分に認識されており、大型爆弾によるローマ、ティルピッツの撃沈はそれを象徴する出来事と言える。
しかしながら時の第一海軍卿であるカニンガム提督を始めとして、未だに航空機は万能ではなく、戦艦にも運用次第で十分な価値があるという意見も根強かった。
さらに大戦中はブレストのシャルンホルスト級2隻に対して幾度も航空攻撃を加えるも撃沈には至らず、本土帰還を許してしまうという出来事も起こっている。
そういった事態にも対処できる、有力な水上戦力の必要性が支持された事になる。

そうして計画された本案だが、その内容は同時期のドイツH44案(という名の最大戦艦研究)のような夢のあるものではなく、現実の環境に適応した兵器である事が望まれていた。
その結果作成された案は、ある意味英海軍の限界と戦艦という艦種自体の終焉を印象付ける厳しい物になったとも言える。
表で扱ったものは、1945年時にまだ採用される可能性のあった2案である。

新型戦艦で主に望まれた要素は、空母の護衛や陸上砲撃に使うために高速巡航時にも十分な航続距離を確保する事と、後述する改良版16インチ砲の搭載である。
また副兵装は新型の4.5インチ両用砲(改装戦艦の物とは異なる)を採用。元の5.25インチ砲よりも対空重視となった点も変更点である。(加えて対空ミサイルの搭載も検討されていた)

残る防御面では、対弾防御関連でこれ以上の強化を行うのは難しいとされている。
ライオン42年案の防御だと最新の16インチ砲に対しては(想定していた近距離戦では少々厳しい面もあるが)そこまで問題ではない。
それに加え防御面で重視されたのはやはり水中防御で、大威力の魚雷はもちろん新しく実用化が進んでいた対艦ロケットの水中爆発などへの対策も必要である。
その上で本案は全長256m、基準排水量4万5千~5万クラスに収める事が望まれていたが、これはヴァンガードより若干大きい程度でしかない。
このような状況では、対弾防御がたとえ自艦の火力強化により不釣り合いになったとしても、強化が見込めないのは当たり前だろう。

だが現実は残酷なもので、対弾防御を強化しなくとも、要求された性能をこのサイズに収めるのは不可能という研究結果が報告される。
そもそもヴァンガードの時点であのサイズなのだから、さらに追加要素を加えた本級は、何らかの新機軸や技術革新が無い限りさらに重くなるのは当然である。
要求を満たした試案は16インチ砲9門に装甲は垂直15/14インチ、水平6/4インチ、最大速力29ノットというものだが、全長は290から305m、排水量は満載で6万7千トンから7万トン(基準ではおそらく6万トン弱)にも達していた。
余談だが、時の造船局長(グドールの後任)がこの件で海軍本部のメンバーにあてた書簡には、「これ見て辞任しないでね(意訳)」的な文言があるほど状況は悲惨なものであったという。

こうして一部の要素を犠牲に排水量削減を行うことになるが、ここでも真っ先に対弾防御、厳密には垂直装甲が削られている。
そもそも第二次大戦を振り返ってみれば、結局敵戦艦や陸上砲台との交戦で失われた英主力艦はフッドのみであり、結果論的には火砲の脅威は航空機や水雷兵器と比べると小さい。
そこで垂直装甲を一気に10インチまで削減する案が研究され、上のB3案もこの延長あたる。
対弾防御の削減は環境の変化に合せた合理的な判断ともいえるが、同時に長年戦艦の本分であった、同クラスの艦砲を持った他戦艦と殴り合うのには向かなくなってしまったと言える。
海軍は戦艦を建造するといっても、そこに期待するのは敵戦艦と雌雄を決する主戦力ではなく、強力な火力を持つ支援艦としての価値に傾いていたとも評価できるであろう。
(尤も敵戦艦との戦闘をまったく想定しないわけでもなく、この厚さでも横方向の角度をどれだけとれば16インチ砲に耐えられるか試算が行われている。またシャルンホルスト級やクロンシュタット級など主力戦艦に比べ火力に劣る艦に対しては、水上戦闘でもまだ有効な面もある)
なお水平装甲は航空爆弾への防御を兼ねる事もあってそのままだが、今後も用いられるであろう大型爆弾などには耐えられない物に留められた。
(実は以前にはこれらの兵器への対策として、厚さ12インチの水平装甲を持つ案も検討されていたとか。採用されなかったが、おそらく史上最も厚い水平装甲を持つ戦艦案である)

しかしこの防御削減版も基準排水量は5万トンを優に超え、現行の設備での建造・維持には好ましくない。
そこで新たに検討されたのがXシリーズで、16インチ砲を3連装3基の9門から2基6門に減らして、X1以降の案ではネルソン以来の前部集中配置を採用。加えて水雷防御の簡略化をおこなってまで4万5千トン付近に収めた案である。
垂直装甲は9インチとさらに薄くなり、さながら現代版レナウンといった具合だったが、最後にメモが残るX3案では弾薬庫12.5インチ、機関部11.5インチに強化されている。
これを見る限り、本案は完全に敵艦との戦闘を捨てた支援艦という訳でもなく、空母の護衛として敵高速艦との戦闘も十分に考えれていたと思われる。

その後はなぜかB3案の再検討や非常に微妙な15インチ砲艦案などが登場するが、結局時勢からして戦艦建造の機運はなく、英国における戦艦の歴史にも大きな区切りがつくことになった。

英国最後の計画案である本案に関連して気になるのは、やはりなぜこんなにスペックの割に大型化してしまったかだろう。
これは英海軍自身も気になっていたようで、米国よりもたらされたアイオワ級の情報と比較しつつ検証を行っている。
・伝統の居住性重視やマージンとして、米艦よりも純粋な戦闘能力以外の部分でスペースや重量をとっている
・ヴァンガードなどを含めこの時期の英戦艦は米艦よりも乾舷が高く、航行性や生存性に有利だが、その分船体も大型化
・同時に装甲配置では本案の方が広い範囲を防御し(水中弾防御用の下部装甲帯こそないがこちらは艦首防御あり)、これも生存性には優位な点だが当然重量はかさむ
・動力の多くを伝統的な水圧に頼っており、電力重視の米海軍よりも重量がかさむ。
(あとは機関性能の差も結構な影響があったと思われる)
という風に、この時期の英国らしい保守的な部分が足引っ張った面が大きい。
同時にここからも分かるように、戦艦の設計では単純な要目にはあまり載らない部分が大きな影響を与えているものである。

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表の方は語ることは少ないが、垂直装甲は装甲帯を貫通した砲弾が水雷防御として設けられた縦隔壁に当たるものとして計算。装甲帯のバッキングは不明なので省略。
ちなみに厚さ10インチの上に傾斜を持たないB3案の垂直装甲について、英海軍は横方向の角度が40度着けば、16インチ砲でも2万ヤード(18.3km)まで耐えられるとしている。(30度だと2万7千ヤード(24.7km)まで悪化するとも)
ただ新戦艦編で述べたとおり、この時期の英海軍は自国製装甲の品質を過大評価、もしくは砲弾の性能を過小評価していた節があるので、そこまで楽観できる装甲の厚さだとは決して言えない。

詳細不明の為表には含めていないが、水平装甲はこれまでの艦と同じく装甲甲板とは別に上甲板にもある程度の装甲を持つと思われる。 
その為弾薬庫ではヴァンガード級と同等、機関部も表ほどに狭い安全距離とはならないだろう。(機関部なら3km程拡大)

搭載する16インチマーク4は発射速度を大幅に向上させた他、米SHS程ではないがマーク2/3砲より大質量の砲弾を使用する砲として開発される予定だった。
また薬室は予定されていた初速よりも高圧に耐えられるように設計されており、高初速での運用にも対応できた可能性も存在する。
NAaB上ではマーク2/3砲が非常に優秀な成績となっていたこともあり、この砲が開発されていた場合SHS対応の米16インチ50口径にも匹敵する砲と評価されていた可能性もある。
そうすると、まあ水上戦闘艦としては艦のサイズの割には微妙な評価になってしまうが、以前のライオン級にも勝る面もある強艦として扱えるのかもしれない。
なおこの砲の採用は、装填機構の強化に伴う砲塔の大型化に大型砲弾の使用による弾薬庫容積の拡大など、本案が無駄に大型化した一因でもあるが。

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おまけ

艦砲は日本戦艦編で使用した物(5インチ砲除く)とシャルンホルストの28cm砲で

インヴィンシブル級巡洋戦艦(ユトランド前)
1908~21年

装甲厚
垂直装甲(弾薬庫) 152mmKC → 25mmHT×2傾斜50度内傾 → 64mmMS
垂直装甲(機関部) 152mmKC → 25mmHT×2傾斜50度内傾
砲塔前盾 178mmKC 傾斜30度内傾(推定)
バーベット 178mmKC
水平装甲 (25mmHT
→) 38mmHT  
砲塔天蓋 76mmKNC傾斜7度/横傾斜数度

上部外殻→甲板 あり
上部外殻→傾斜部 なし

装甲部位\艦砲 14cm 6インチ 8インチ 28cm
垂直装甲(弾) 2.5km以遠 3.5km以遠 12km以遠 35km以遠
垂直装甲(機) 3km以遠 6.5km以遠 15.5km以遠 39km以遠
砲塔前盾 貫通不能 5.5km以遠 15.5km以遠 安全距離なし
バーベット 2km以遠
(3km以遠)
6.5km以遠
(7.5km以遠)
14km以遠
(15.5km以遠)
32km以遠
(35km以遠)
水平装甲 15(17.5km)まで 15.5(18.5)kmまで 14.5(21)kmまで 安全距離なし
(15kmまで)
砲塔天蓋 貫通不能 20kmまで 23kmまで 20.5kmまで

まず垂直装甲は中甲板までの高さに6インチの表面硬化装甲を配置。
戦艦として見ると当時の基準でも非常に薄く、カノーパス級戦艦と同じ厚さの装甲帯となる。
一方でこの厚さは同時期の英装甲巡洋艦と同じ厚さであり、これでも8インチ程度の主砲を持つドイツ装甲巡洋艦への防御は十分なものとされている。
(コロネル沖海戦ではその英装甲巡洋艦がシュペー隊のシャルンホルスト級に普通に撃沈されているが、本級はその二隻に遠距離での砲戦を行い完封している)
また第二次大戦期の巡洋艦を見ると、最も重装甲とされるザラ級やボルティモア級の船体中央部でも本級の装甲帯と同じ厚さとなる。
装甲の品質や傾斜の有無により装甲帯自体の防御力は劣る物になるが、上の二級とは違い艦内部には結構な厚さの弾片防御を持つ。
第二次大戦期の八インチ砲に対する安全距離は、機関部で同等弾薬庫では本級が勝る結果となった。

砲塔とバーベットの装甲も同時期の装甲巡洋艦に準ずるものだが、砲塔前盾は178mmとマイノーター級から25mm減厚している。
バーベットはレナウン級のように艦内部で減厚する事はないようなので、同級の解説にあったような弱点は本級に存在しないと思われる。

水平装甲はユトランド以前の薄い物である事は本級も例にもれないが、本級の水平装甲は特に弱体である。
まず上甲板の僅かな範囲に25mmの装甲があるが、重要区画全体を覆うのは実質下甲板の38mmHT鋼のみ。
同時期の弩級戦艦やマイノーター級に比べても劣り(セントヴィンセント級のみ本級と同等)、材質を考えると第二次大戦期の重巡洋艦の大半にも劣るだろう。
(舵周辺を守る艦尾部分ではこれよりも厚くなるが、本ページでは扱わない)
装甲帯の高さが中甲板までしかない本級は、落角がそこまで大きくない砲弾でも直接下甲板に命中する可能性も高く、特に問題となる部分である。

一番艦インヴィンシブルは10kmを少し超える距離での戦闘において砲塔に被弾爆沈している。
これは天蓋への被弾であった可能性があるが、それに対して表でのこの部分の安全距離はどれも20km越え。
おそらく当時の11/12インチ砲よりも大分落角が浅い砲を使用しているからだろう。
普通の戦艦主砲には、傾斜も相まって至近距離からでも装甲を叩き割られると思われる。

ユトランドでの本級の喪失原因は、クイーンメリーと同じく装薬の取り扱いの不備から砲塔被弾時に誘爆を起こしたからとされている。
しかし砲塔やバーベットへの被弾がなかったとしても、本級の垂直並びに水平装甲はドイツ巡洋戦艦の11・12インチ砲へ耐えられるものではない。
垂直装甲はQE級やライオン級の上部装甲帯への被弾例から、容易に貫通弾を許すことが想像できる。
尤もそれらの砲弾で重要区画内で炸裂した例は存在しないことから、被弾即爆沈となる可能性は低い。
それでも被弾数が増せば、同海戦で大破放棄された装甲巡洋艦ウォーリアと同じ運命をたどる可能性も高い。
(というか比較的近距離で行われたウォーリアとの戦闘では、6インチの装甲帯を貫通して機関部で炸裂した砲弾もあったとのこと)
水平装甲も同海戦の緒戦にて繰り広げられた、15kmを超える遠距離砲撃では危険にさらされると思われる。
こちらもQE級やライオン級の被弾例を見ると、HT鋼からなる32~38mmの甲板は、この距離での被弾で貫通されている事が確認できる。
そして甲板二層(ライオン級だと船首楼か上甲板38mm、下甲板25mmの二層)の装甲を打ち抜いてから重要区画内で炸裂した砲弾は存在しないが、先述したとおり本級の水平装甲は実質下甲板のみである。
その為被弾時には砲弾が重要区画内で炸裂する可能性が高く、砲塔内での誘爆を除けば最も爆沈するような被害に繋がりやすい部分と考えられる。
下甲板への直撃時に弾片が侵入する可能性を含めると、より近距離でも危険になるだろう。

インヴィンシブルを除く2隻は第一世界大戦を生き延びたが、二線級の戦力となった本級はワシントン会議を待たずして解体されている。
その前にはアルミランテ・ラトーレ級戦艦の二番艦の代わりとして、チリ海軍に売却される話もあったとか。

なお次級インディファティガブル級では、装甲帯の6インチ部分は船体中央のみとなり、前後部の弾薬庫では4インチ(2、3番艦では5インチ)まで減厚している。
その代わりに艦尾装甲帯の増設、上甲板の25mm部分範囲の拡大、煙路防御の設置など、中小口径弾や大口径砲の榴弾への防御を増している。
また砲塔天蓋の厚さは変わらないが、今までの艦よりも装甲の支持構造が強化された。
ただ本級や次級ライオン級でもこの部分の被害を防げていない点から、十分な改善ではなかったのだろう。

カレイジャス級大型巡洋艦(巡洋戦艦)
1917~21年(のちに空母に改装)
装甲厚
垂直装甲
 25mmHT+51mmHT傾斜約6度 →  25mmHT傾斜45度(内傾)→ 38mmHT
砲塔前盾 229mmKC 傾斜30度内傾(推定)
バーベット(露出部) 178mmKC
バーベット(艦内部) 25mmHT+51mmHT傾斜 →  76mmKNC
水平装甲(弾薬庫)25mm  →19mm+25mm ≒ 54mmHT
水平装甲(機関部)25mm  →19mm ≒ 36mmHT
砲塔天蓋 108mmKNC傾斜0~5/横傾斜数度

上部装甲帯→甲板 なし
上部装甲帯→傾斜部 なし

装甲部位\艦砲 14cm 6インチ 8インチ 28cm
垂直装甲 9km以遠 17km以遠 28.5km以遠 安全距離なし
砲塔前盾 貫通不能 1km以遠 8.5km以遠 安全距離なし
バーベット露出部 貫通不能 6km以遠
(7km以遠)
13.5km以遠
(15km以遠)
31.5km以遠
(34.5km以遠)
バーベット(艦内部)
水平装甲(弾薬庫) 17kmまで 18kmまで 20.5kmまで 14kmまで
水平装甲(機関部) 14.5kmまで 15kmまで 13.5kmまで 9.5kmまで
砲塔天蓋 貫通不能 貫通不能 29km
~27.5kmまで
30.5km
~28kmまで

バルト海での作戦用に大口径砲を搭載した大型の(軽)巡洋艦。
今日軽巡洋艦と言うとロンドン条約で規定されたスペック内の艦を指すことが多いが、本級は条約よりも前に建造された上に、同時期の軽巡洋艦とも異なる性格の艦である。
戦艦並の火力と巡洋艦の速力を持つという意味では巡洋戦艦に近い艦と言えるが(実際に軽巡洋戦艦と呼ばれる事もある)、
防御については装甲巡洋艦に準じた装甲を持つ初期の巡洋戦艦よりもさらに薄い物に留められた。
巡洋戦艦と言うよりも、
高速の大型モニター艦というイメージも強く(準姉妹艦のフューリアスは特に)水上戦闘には向かなさそうだが、一応第一次大戦では敵艦との交戦経験もあるようだ。
第一次大戦終結後すでに一線を退いていたが、ワシントン条約で一定排水量の主力艦を空母に改装することが認められた為、日本の天城型やアメリカのレキシントン級のように空母に改装されている。

垂直装甲は浅い傾斜装甲を採用しているが、76mm(正確には25mm+51mm)と非常に薄く、材質も構造用鋼であるHT鋼を使用している。さらに裏側にも弾片防御程度の装甲しか施されていない。
装甲帯の厚さは同時期の軽巡洋艦と全く同じであり、本級が軽巡洋艦と関連付けられる最大の理由である。
元々の設計思想からして、高速長射程を活かして防衛にあたる旧式の前弩級戦艦をアウトレンジすることを狙っている。
そのため大口径砲を被弾する事は想定しておらず、表を見てみると第二次大戦期の8インチ砲に対しても十分な防御力を持たない。
なおインヴィンシブル級とは違い、こちらの垂直装甲の幅は非常に高く、乾舷全体を覆っている。厚さを考えれば当たり前かもしれないが。

水平装甲は設計時においては3インチ越えと、当時の基準で言えば非常に厚い装甲を設けることも検討されていたが採用されず。
それどころか機関部は既存の巡洋戦艦よりも劣る程度の装甲しか備えていない。

ロバーツ級モニター
1941~54年(65?)
装甲厚
傾斜部装甲(弾薬庫) 127mmNCA傾斜55度内傾 → 38mmDS
傾斜部装甲(機関部) 102mmNCA傾斜55度内傾 → 
砲塔前盾 330mmKC傾斜30度内傾
バーベット 203mmCA
バーベット基部 152mmNCA傾斜35度内傾(角錐台)
水平装甲(弾薬庫)
 102mNCA
水平装甲(機関部) 76mmNCA
砲塔天蓋 125mmNCA傾斜0~5/横傾斜数度

装甲部位\艦砲 14cm 6インチ 8インチ 28cm
傾斜部装甲(弾)
貫通不能 貫通不能 8.5km以遠 安全距離なし
傾斜部装甲(機) 1km以遠 3.5km以遠
23kmまで
安全距離なし 安全距離なし
砲塔前盾 貫通不能 貫通不能
2.5km以遠 16.5km以遠
バーベット 貫通不能 3.5km以遠
(4.5km以遠)
10km以遠
(11.5km以遠)
24.5km以遠
(27km以遠)
バーベット基部 4km以遠 7km以遠 15km以遠 安全距離なし
水平装甲(弾) 貫通不能
貫通不能 28.5kmまで 31kmまで
水平装甲(機) 貫通不能 22kmまで 25.5kmまで 27kmまで
砲塔天蓋 貫通不能 貫通不能 貫通不能 33.5km
~30.5kmまで

水上戦闘を行うための艦艇ではないが、排水量の割に装甲もあるので掲載。材質はすべて推定
本級は写真等を見てわかるとおり、非常に太い船体に水線上でも確認できる大型のバルジを備えている。
乾舷の半分程、中甲板の高さまでをバルジが覆い、その部分は大きく内傾した形となっている。

本級の装甲配置を見て行くと、まず垂直装甲は水線上に出たバルジの外板に装甲を配置するという独特なものとなっている。
その為垂直と言うよりも傾斜部装甲と言っていいほど大きく内傾している。(垂線から55度ほど傾斜)
本級の装甲は艦砲よりも航空爆弾から重要区画と船体の持つ浮力を守ることを重視しており、
艦の安定性と水雷防御に大きな役割を果たすバルジを損傷から守る必要から、このような独特な配置となっていると思われる。
この傾斜部装甲はバルジの上端に当たる中甲板の高さまで配置され、同甲板の水平装甲と接続する。

つまり防護巡洋艦のような台形状の装甲区画を形成しているわけだが、本級の場合船体の浮力を守る為、バルジの外板というより外側の部分に装甲を持つ点で異なる。
また1910年代に米国で検討されていたアイアンサイド式の装甲区画の形も本級に似るが、この型式も傾斜部と船体外板の間に非装甲区画を持ち、本級程外側に装甲を持っているわけでは無い。
(なお本級の前身である、エレバスやテラーなど前大戦のモニターは傾斜部が船体内部にあり、バルジ外板に装甲もない。つまり上記の配置を採用していた。
そこからより浮力維持に適した配置として発展したのが本級の配置なのだろう)
どちらかというと、南北戦争でモニターと戦った「ヴァージニア」など南軍装甲艦に近い形状である。

表の方を見て行くと、まず垂直装甲を担う傾斜部の装甲厚は、弾薬庫周辺が5インチ、機関部並びに艦首の一部が4インチとなっている。
(本級は砲塔と艦首までの半分程が装甲区画に含まれているが、これも重要区画の防御と言うよりも浮力確保のための装甲範囲だろう)
何度も言っているように、内傾する形で傾斜を持つ装甲は傾斜を持たない装甲に比べ、砲弾の落角が小さい時は対弾性能を増すが、逆に落角が大きい砲弾には撃角が深くなり貫通されやすくなる。
その為砲の貫通力によってはかなり極端な安全距離を持つ結果になった。

バーベット装甲は上甲板上に露出する部分から中甲板の水平装甲に接続する部分まで設けられる。
ただし通常の円筒型の8インチ装甲は上甲板と中甲板の間程までしかなく、その間には中甲板から伸びる内傾した6インチ装甲が施されている。
その部分は円筒形ではなく角錐台に近い形。

水平装甲は新戦艦程でないが弾薬庫4インチ、機関部3インチと排水量を考えるとかなり厚め。
二番艦アバークロンビーではさらに強化され、機関部も弾薬庫と同じ4インチ厚になり、砲塔天蓋は6インチに。

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おまけ2 
こちらは普通に軽(装甲)巡洋艦とその8インチ砲搭載型の垂直防御を扱う。
「軽巡・重巡編」に移設

おまけ3
インコンパラブルの装甲配置が分からないのが残念。具体的な研究も殆どされずに構想止まりだった艦なので、仕方がないと言えば仕方ない。
そもそもこのスペックで建造すること自体不可能な艦ではあるが、近い時期の艦も参考に色々妄想してみる。
(具体的にはレナウン竣工時、カレイジャス、1916年高速戦艦案、フッド初期案・最終案)

自分が参考にした本にはこの艦に関する事が全く載っていないが、とりあえずブレイヤーの本を参考文献に挙げているウィキペディア記事曰く、装甲厚は垂直11インチ、水平4インチだと言う。
まず垂直装甲の厚さは既存の英巡戦を大きく上回るも、戦艦と比べると弩級艦レベルの物になる。
主装甲帯以外の垂直装甲の有無や装甲帯の範囲、高さなどついては不明である。
上で挙げた参考艦の垂直装甲の配置をまとめると
・レナウン 6インチの主装甲帯のみを限られた高さに配置、それよりも上の乾舷は38mmと弾片防御程度。装甲帯は微傾斜する。
・カレイジャス 3インチの主装甲帯を乾舷全体に配置、こちらも微傾斜
・1916年高速戦艦案 高さによって厚さの異なる装甲帯を乾舷全体を防御。12インチの主装甲帯と4~3インチの上部装甲帯からなる。装甲帯はすべて微傾斜
・フッド初期案 高さによって厚さの異なる装甲帯を乾舷全体を防御。8インチの主装甲帯と5インチの上部装甲帯からなる。装甲帯はすべて傾斜
・最終案 高さによって厚さの異なる装甲帯を乾舷全体を防御。12インチの主装甲帯と7~5インチの上部装甲帯からなる。装甲帯はすべて傾斜

本級が設計される際にこれらの艦の要素が盛り込まれているとした場合、すべて傾斜装甲を採用している事から、本級にも用いられる可能性が高い。
つまり装甲厚よりも強力な防御力となる事は確実だが、傾斜角は本級の後に設計されたフッドでようやく12度となりレナウンやカレイジャスの時点では10度未満と言った具体で、そこまで深い角度を持つことはないだろう。
仮に300mm相当の物になると仮定すれば、ユトランド時の戦艦主砲に対する防御としては有効な物だと評価出来る。
ただそれでもフッド最終案には劣るもので、竣工時期には主砲の大口径化と砲弾の改良も進む事もあり、微妙な防御力としか言う他ない。
垂直装甲の配置については、薄い主装甲帯を高い位置まで配置するカレイジャス方式以外はすべて可能性がある。
防御力ではフッド最終案方式、重量ではレナウン方式が優れるが、時期的に1916年案の様に「巡洋艦の砲撃に耐え、戦艦砲弾の信管を作動できる程度の薄い上部装甲帯」を設ける形になる可能性が高いような気もする。
尤もどの方式でもユトランド以降の大落角で命中する進歩した砲弾には対応できないだろう。

水平装甲の4インチは特定の甲板の厚さなのか合計厚なのかは不明。
後者の場合、特に同時期の艦と変わらず、この部分も有効な防御力を持たない。
前者だとした場合、フッド最終案(弾薬庫中甲板が3インチ)すら上回り、この時期の艦としては異例の厚さの水平装甲を持つことになる。
尤も時期的に一枚板の均質装甲が用いられる可能性は低く、こちらも大戦後の環境では微妙な防御力である。

結局どの案でも(第二次大戦期と比べて砲弾の性能が低いとはいえ)自艦主砲はもちろん、新型戦艦の搭載する16インチ砲に対して有効な防御力を持つことはないだろう。

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